尾長鷄

中谷宇吉郎




 今度の土佐滯在中、今一つの收穫は、尾長鷄を見たことである。
 尾長鷄のことは、中學時代に、進化論の一つの例證として、教わったこともあるが、その後あれは一種の純粹培養であって、スピーシスの變化ではない、というような話を、何かの科學雜誌で讀んだ記憶がある。
 そのいずれも、遠い昔の話であって、その後まるで專門ちがいのことなので、何時ともなく忘れていた。ところが今度の高知訪問中、竹下文雄氏の好意によって、實際に尾長鷄を飼育している人の家を訪ね、その飼育法及び尾長鷄の實物を見て、大いに昔の興味が蘇って來た。
 現在、尾長鷄を飼育している人は、ほとんど全部、いわば道樂にやっている人たちのようである。別に縣などから補助があるわけでもなく、又尾長鷄がひどく高價に賣れるのでもないらしい。農業が本職であって、尾長鷄の飼育は、いわば記録作り的な興味から來る道樂というのが、一番あたっているようである。
 この飼育は、幅一尺あまり、高さ六尺くらいの木箱の中で行われる。鷄には迷惑な話であるが、この木箱の上部に止り木があって、鷄はほとんど一生涯、この止り木にとまっている。そして眼の前においてある餌箱の中の餌を食べて生きている。尾は初めのうちは、この細長い木箱の中に垂れているが、或る程度以上伸びると、ぐるぐると捲いて、木箱の下の方の空間スペースに、釘にひっかけておいてある。
 飼育をしている人の話では、この鷄は全く別種のもので、生きている間は、毎月約三寸ずつ尾が伸びるそうである。それで、七八年も飼っていると、二十尺以上にも伸びて來る。それは土地や飼い方には無關係で、何處でも、又誰がやっても、それだけ伸びるそうである。
 これについて、町田國手と話し合ったが、同氏の説は甚だ面白い。生物の細胞は、或る程度以上増殖すると、それで一應止ってしまう。おかげでわれわれも、一定な大きさの人間として、生存しているわけである。
 もしその増殖が、無制限に行われると、それは、癌や肉腫になって、人間の場合は、致命的なことになる。ところが尾長鷄の場合は、一生涯、尻尾の根本のあたりで、細胞が増殖しつづけて、一月に三寸ずつ伸びているのである。
 まことに不思議な話で、もし誰かこの方面の學者が、尾長鷄の尻尾の伸びる機巧メカニズムを、細胞學的に研究して、癌の研究に一生面を拓いてくれたら、ずいぶん面白いことになるであろう。
 もっともそういう研究は、もう誰か既にやっていることかもしれないし、又素人の見當ちがいの床屋政談かもしれない。それだったら全くのご愛嬌である。





底本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2025年2月27日作成
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