歌舞伎舞踊
中谷宇吉郎
吾妻徳穗さんの歌舞伎舞踊(カブキダンス)が、先年アメリカへ來た時は、まず大成功といっていい成績であった。
シカゴでも、連日ほとんど滿員つづきで、しかも觀客は、大部分アメリカ人であった。日本からの藝能家の中には、在米日本人を當てにして來る人も、時々あるようである。しかしあの歌舞伎舞踊は、その點、堂々として、アメリカ人を相手に乘り込んだ形であった。
この調子なら、日本の歌舞伎なども、そのうちにアメリカへも、ヨーロッパへも、出かけられそうな氣がした。しかしそれは門外漢の氣樂な想像であることを徳穗さんから聞かされて、なるほどそういうものかと思った。
第一の難點は經濟問題である。ヒューロックのような一流の線で、しかも到るところで滿員つづきの盛況であったが、それでもやっと收支のバランスが採れた程度であったという。
あの舞踊のアメリカ進出は、素直に見て、日本の文化をアメリカ人に認識させる上で、非常に貢獻をした、と私は思っている。日本文化の國外宣傳には、政府は從來相當な金を使って來た。しかし吾妻さん一行が殘した足跡は、いわゆる對外文化事業のそれ等に比して、少しも劣っていない。研究所へ行っても、近所の家庭を訪ねても、あの頃一時は、歌舞伎舞踊の話が必ずのようにもち出されたものであった。
政府の援助なしに、こういう事業をやることは、生易しいことではない。一番困るのは、國情がちがう點である。たとえば演劇關係の場合などでは、アメリカの劇場には、音樂をはじめいろいろな係の人員が皆附屬している。小屋だけを借りるわけにはいかないので、借りた期間中のこれ等の人々の俸給も、一緒に拂わなければならない。アメリカの劇團なら、そういう人たちは皆役に立つので、自分で連れて來るよりも、旅費だけ浮くことになる。しかし歌舞伎をやるような場合には全く用がないので、俸給のただ拂いになってしまう。
そういうハンディキャップの下で、しかも何といっても短期間の興行であるから、餘程經費を節約しないと、赤字になる。シカゴを晝興行で打ち揚げて、夜行二晩で羅府へ行き、着いた日の晩から幕を開けるというような無理をして、やっととんとんに行くという話であった。同行の若い娘さんたちは、見物どころの話ではなく、皆へとへとになって、舞臺にしがみついている恰好であった。外國へ行くと、日本人は誰でも「日本のため」という氣持になるので、こういう無理をしても、とにかく皆がまとまって仕事が出來るようである。
「日本のことが頭の奧になかったら、とてもこういうことは出來ません」と徳穗さんは言っていたが、多分それは本當だろうと思う。
底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2026年2月8日作成
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