變ったホテル

中谷宇吉郎




 ボストンは米國の東海岸、大西洋に面した街である。このあたりは、ニュー・イングランドと呼ばれ、初めに英國の清教徒精神をもった連中が、拓いたところである。
 この附近は、いわばアメリカの「山の手」であって、ジャズ文化とは反對の舊い文化の中心地となっている。ボストンはアメリカの學都と呼ばれ、ハーバート大學や、岡倉天心がいた美術館のあるところとして、日本にもよく知られている。
 ボストンの南に、半圓形を描いた細い半島があって、その海岸には、たくさんの避暑地がある。日本でいえば、東京にたいして、鎌倉、江ノ島、逗子などというところがあるのと同じことである。
 その中で一番有名なのは、ウッズ・ホールという町で、屈曲した海岸線の景色もよく、水もきれいなので、ボストンやその附近の人たちの、最も好んでいる避暑地の一つである。ここにはまた、有名な海洋研究所があって、日本でも海洋關係の學者の間には、きわめて親しまれている名前である。
 ところで、こんどこの海洋研究所の建物を借りて「雲の物理學」に關する會議が、九月七日から四日間開かれることになった。それに出席のために、今日の夕方、ウッズ・ホールへ着いたが、初めてのところなので、宿は幹事に任せておいた。そしたらこの表題の「變ったホテル」に部屋をとってくれた。變ったといっても、なにも惡い意味ではないから、名前をいってもよいが、ブレークウォーターというホテルである。海岸にすぐ面したところにあって、一流とはいえないが、いかにも夏の間長期滯在するのにふさわしい樣式のホテルである。
 ちょうどシーズンの末期になっていて、會議出席の連中が半分ばかりの部屋を占め、きわめて落着いた雰圍氣である。それでたいへんに氣に入ったわけであるが、夕食に食堂に行ってみて、ちょっと驚いたことを發見した。
 ボストンから友人がドライヴしてくれて、少しのどが乾いたので、ビールでも一杯飮もうかと思って注文したら、「うちには酒類はありません」という返事である。避暑地の宿で、ビールも飮ませないということは、ちょっと豫期しなかったので、「この町はドライ・タウン(禁酒の町)か」と聞いてみたら、「いいえ、よそのホテルには酒を出すところもあるが、うちの食堂では、どういうわけか、酒類は出しません。多分酒類販賣の免許をとるのが厄介だからでしょう」とすましていた。
 アメリカという國は、まことに多樣な國である。それにしても江ノ島あたりの避暑客相手の宿屋で、夕食に酒もビールも出さないという宿屋があったら、お客はどういうだろうか。





底本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2026年2月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード