誕生日の贈物
中谷宇吉郎
私が今までに知っている誕生日の贈物の中で、一番大きい贈物の話をしよう。もちろん自分のことではなく、知人のアメリカ人の親戚の人の話である。
今年の春頃、原宿の家へ、その知人の紹介で、中年の立派な身なりの米人夫妻がやって來た。アメリカでも相當知られた金持らしく、その訪日について、大使館から政府の方へ連絡があったそうである。しかしこんどの日本訪問は全くの私用で、公式の方は全部斷っているといっていたが、私用も私用、この御兩人自身が、息子への誕生日の贈物だったそうである。
というのは、その息子は陸軍にとられて、朝鮮へやって來ていた。大事な息子で、それが朝鮮へ行っているので、親は心配でたまらない。たまたま誕生日が來たので、何でも欲しいものを言って寄こせ、何でも送ってやるといってやった。そしたら、その返事は「親爺とお袋が欲しい」というのであった。
それで二人して東京まで飛んで來た。息子は一週間の休暇がとれるので、これも東京へやって來て、一週間だけ親子で東京見物をしようという計畫を立てた。ところがアメリカの陸軍もなかなか氣が利くと見えて、特に三週間の休暇をくれたそうである。
そういうわけで、三人して、奈良だの、京都だの、日光だの、方々を見物して廻ったそうである。南の方から始めたので、三週間の間、どこへ行っても、櫻が咲いていたといって、たいへん喜んでいた。そして昨日、息子が朝鮮へ歸るのを見送ったから、明日の飛行機でたつという話であった。
アメリカの家族制度は、日本とは全くちがっていて、子供は二十一歳以上になると、全く一人前の成人として取扱われる。例えば、大學へ行っている上級の學生は、たいてい二十一歳以上であるから、原則として親は學資を出さない。奬學資金(スカラーシップ)を貰うか、働くかして學資をかせぐのが常識になっている。もっとも學資は親から貰って、自分でかせいだ金はお小遣にするという不心得な娘も大分いるそうであるが。
親が年をとって引退しても、子供は一般には、扶養という觀念をもっていない。もちろん別居であるし、親は自分で老後の生活費の準備をしているので、その必要もないわけである。
そういう話を聞くと、アメリカの親子關係は、何だか非常に水くさいという風に考えられ勝ちである。しかし金錢上の關係は、はっきりと區別しておいた方が、かえって情愛が深まるという場合もあり得るようである。金のことをいうのをいやがって、氣持が大切だなどと言う。しかし實際は經濟問題にひどく拘泥している。本當の愛情は、そういうじめじめした雰圍氣からは生れないのではないかという氣がする。
底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2024年11月4日作成
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