百萬長者の花屋

中谷宇吉郎




 桑港で、たいへん景氣のいい話を聞いた。
 この近年、加州の日本人一世および二世の中に、たくさん百萬長者が出來て、一萬ドルの寄附をぽんと出せる家が十軒以上もあるという話なのである。
 それ等の人たちは、例外なく花屋であって、バラとかカーネーションとかいうような花を栽培している。アメリカの食糧過剩生産は、日本にもよく知られているとおりで、主食や蔬菜類を作っている農家は、毎年頭を惱ましているが、花作りだけは全く例外である。
 ニューヨークやシカゴなどの大都會では、花の需要はいくらでもあるそうで、バラの蕾一本が、上等な奴は一ドルから一ドル二十五セントくらいしている。普通贈物は一ダースが單位であるから、少し見榮を張ると、一束六千圓くらいの花を持って行くことになる。少し馬鹿げているが、それがどんどん賣れるのだから仕方がない。
 加州は花の栽培には、氣候的に非常に惠まれているので、大いに強味がある。それに飛行機が發達したので、ニューヨークへでも、シカゴへでも、その日のうちに送り屆けられる。少し立派な日本人の花屋は、加州大學の園藝の教授を顧問にして、ときどき來て貰って、その指導の下に花を作っている。そして一方ニューヨークやシカゴ、その他の大都會の取引店と、毎日電報で相場を打合わせて、有利な方へ花を送り出している。壁に大きい全米の地圖をはっておいて、取引先、發送經路、荷物の途中の状態などを、色附ピンで刻々に指示しているところもある。「まるで參謀本部の作戰圖見たような具合に」やっているそうである。
 ここまで行けば、アメリカのように、消費經濟の發達したところでは、大いに儲かるにちがいない。一つ不思議なことは、戰爭中に、これ等の日本人は、皆中部に強制收容されていたはずである。戰後二三年して加州へ歸って來てから、まだ七八年しか經たないのに、どうしてそう急激に大きくなったかという點である。
 事實、これ等百萬長者の花屋さんたちは、全部戰後にこの仕事を始めた、或いは再開した人たちばかりである。終戰後キャンプから出て、加州へ戻ってみたものの、普通の農場を持つには莫大な資本が要る。それで小規模でも出來る花作りを始めたという人が大部分である。
 そこに思いがけなく、朝鮮事變が起きた。戰死者の數は、太平洋戰爭にも匹敵した。その遺體は、防腐して本國へ送り、本國で盛大な葬式をすることになっている。今度の朝鮮事變には、加州およびその附近から出征した兵隊が多かったので、その葬式に莫大な量の花が使われた。それで花屋さんたちは、着手以來二三年のうちに、すっかり基礎が出來てしまったのである。一寸意外な話である。





底本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2026年2月4日作成
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