パン燒き大學

中谷宇吉郎




 アメリカにはいろいろな學校があるが、パン燒き大學というのまである、という話を最近聞いて、流石にちょっと驚いた。
 本當の名前は、アメリカン・インスティテュート・オブ・ベーカリーというので、シカゴに堂々たる校舍をもっている。このごろシカゴで相當大規模な製パン、製菓業をやっている人と知り合いになったが、その家の息子が、この學校へはいったので、はじめてそういう學校があることを知った。
 日本にもパン燒きを教える學校があるかもしれないが、いまいっているのは、それが「大學」である點において、ちょっと變っているのである。インスティテュートを「大學」と譯したのは、この息子は、すでにカレッジ(日本でいえば新制大學)を卒業してから、この學校へはいったからである。
 外にも大學卒業生が大分いて、なかにはオックスフォードのキングス・カレッジという世界的に有名な大學を卒業したカナダ人も入學しているそうである。それで正確にいえば、パン燒き大學院といった方がよいかもしれない。
 インスティテュートという名前の示すとおり、パン燒きに關する科學的研究も行っているが、それは別のところでやっているので、ここでは教育が專門になっている。期間は六カ月で、年に二回學生を募集しているそうである。そして製パンに關係した、いろいろな化學方面や醗酵學の講義をするかたわら、實習をどんどんさせる。そして自分でごく上等のパンが燒けるようにして、卒業させるのだそうである。
 學生は、たいてい製パン業に關係のある家の子どもたちで、オックスフォード出の學生も、英國の有名な製パン會社に入社した男である。何でも世界で一二を爭う大會社で、米國、カナダを始め、世界中方々に工場をもっている。それでこのパン燒き大學を卒業すると、アフリカへやられるかもしれないといっていたそうである。
 製パン會社の社長や、幹部が皆職工以上に、巧くパンが燒ければ、まことに結構な話である。本當の事業はそうでなければならないのであろう。
 もっともそれをやるには、パンの燒き方を教える大學院があって、大學出の學生が喜んでそういう學校へ行くようでないと、實際には行われない。日本では新制大學が多すぎるとよくいわれるが、大學出の學生を、そう傑いものと思わなければ、多過ぎるということは、いわなくてもいいであろう。
 大學卒業生の就職難が、社會問題になっているが、教育内容についての反省も必要である。





底本:「百日物語」文藝春秋新社
   1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2025年3月15日作成
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