三百年後

小倉金之助




 老境にはいると、若い時分のような楽みが、だんだんと無くなって来る。殊に近頃の御時勢では、喰べ物も大分まずくなったように思われるし、白米にも御別れを告げたし、いまにお酒もろくに飲めない時が来るかも知れない。只今では、私の楽みといえば、古本いじりときまってしまった。

 この頃の寒さでも、天気のいい日に、日当りのよい廊下で、三百年も以前の和本や唐本や洋書などを、手当り次第に取上げて、いい加減のところから読みはじめる楽みは、およそ何物にも代え難いものがある。
 妙なもので、書物も三百年位の歳を取ると、私にはただ懐かしいのだ。よくも今まで生きていて、そしてよくも貧しい私の懐に飛込んで来て呉れたものだ。そう云う感謝の気分にもなるし、時にはまた、ほんとうに此世でお目にかかれてよかった、と云う様な、三百年前の恋人とのめぐり逢い。――どうかすると、そんな気分にもなることがあるのである。

 しかし、何か仕事をしなければ、書物も買えないような身分の私は、何時までも、そんな陶酔気分に浸っている訳には行かない。やがて其の気分から醒めると、今度は急に、内容の検討、価値批判の精神で、頭が一杯になって来る。三百年前の書物というのも、私に取っては、娯みに読むのではなく、実は仕事のための資料なのだった。

 批判することは、批判されるよりも苦しいのだが、しかし、その苦しい批判を外にして、どこに学問の歴史があり得るだろう。
 ところが世の中には、批判されるのを、ひどく厭がる学者があるらしいが、私からいわせると、そんな先生は、一日も早く廃業するに限ると思う。
 こう云うと、いや真面目な立派な仕事をするからこそ、批判の的になるのである。だから、批判を免れるつもりなら、箸にも棒にもかからぬような、誰も相手にしないような、つまらぬ仕事(?)ばかりやればよいではないかと、皮肉な連中が、にやにや答えるかも知れない。
 なるほど、それは一理がある。けれども私にかかっては、それでも駄目なのだ。私は立派なものを批判すると同時に、つまらないものをも批判するつもりなのだ。立派な作品がその時代を代表するなら、愚作もまたその時代を代表する権利を持っている。愚作の意味を認め得ないような歴史家は、片眼しか持たないのだと思う。

 ところで私は、遺憾なことに予言者ではないのだから、三百年後のことは見当も付き兼ねるが、しかし三百年後のわが日本は、文運も層一層隆々として栄えることと想像される。
 そうすると、其の頃になっても、私と同じような根性の人間が、また生れないとは限らないのである。
 そこで今の内に、出版屋さんに告げておきたい。――
 もし皆さんが、三百年の後に、昭和時代の学問は皆実に立派なもの許りであったと、云われたいなら、今日以後、つまらない本をば高価にして、保存の出来ない質の紙に印刷するがよい。これに反して、立派な本をば廉価にして、永久性ある紙質を用うべきである。

 これが、この歳になって、やっと悟り得た一つの教訓である。(昭和一四・一二・一一)
〔一九四〇年一月〕





底本:「エッセイの贈りもの 1」岩波書店
   1999(平成11)年3月5日第1刷発行
底本の親本:「図書」岩波書店
   1940(昭和15)年1月号
初出:「図書」岩波書店
   1940(昭和15)年1月号
入力:川山隆
校正:富田倫生
2013年5月18日作成
2024年1月30日修正
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