寂しき魚

室生犀星




 それは古い沼で、川尻かわじりからつづいてあおくどんよりとしていた上に、あしよしがところどころに暗いまでにしげっていました。沼の水はときどき静かな波を風のまにまにたたえるほかは、しんとして、きみのわるいほど静まりきっていました。ただ、おりおり、岸の葦のしげみに川蝦かわえびが、その長いひげを水の上まで出してねるばかりでした。
 その沼はいつごろからあったものか誰も知らない。れたこともなければ、減ったこともなく、ゆらゆらした水がいつも沼一杯にみなぎっていた。そのうえには、どんよりした鉛筆でぼかしたような曇った日ざしが、おそい秋頃らしく、重く、低い雲脚くもあしれていたのです。
 そこには非常に古い一匹のうおが住んでいて、岸の方の葦のくらやみに、ぼんやりと浮きあがっていました。かれは水中の王者のように、その大きなからだを水面とすれすれにさせながら、いつも動かず震えもしないで、しずかに、ゆっくりと浮きあがっていたのです。その魚のあいばんだうろこには、のめのめな水苔みずごけえていて、どれだけ古く生きていたかがわかるのでした。ただに鱗ばかりではなく、尾やひれまでに微塵みじんな、水垢みずあかのようなこまかいのようなものが生え、それがふるえるということもなく、かれのからだ一面に震えていました。

 その魚はいつも何かしきりに考えているような、澄んだおとなしい泳ぎ方をしていた。たとえば、やや衰えはじめた青い目のひかりはいつの間にか薄らいで、ほとんど動くというようなことがなかった。いつも森のなかのように静かで、たえず空の方をながめては、また何か考えあぐんだように、間もなく沼の底ふかくながめ込むのでした。沼の底は、これもどんより曇って、幾枚もの硝子板ガラスいたを合したように、ある蔭はちぢみ、あるものは細長くなって見えました。竹や水や古いむしろの破れたのなどが、いちめんに濃い陰影をつくって、そこにもこいふななまずのようなものまで、一つずつの魚巣うろもぐりこんで、れいの青い目でそとを眺めていました。けれども、かれらは、ひるのうちは滅多に水の上まで、空気のあるところまでは浮きあがってゆかなかった。そうするには、昼間はあまりに恐ろしいような気がしたからです。そのかわり夜になると、かれらは珍らしい水と空気との境目さかいめまで行って、月や星や風や空気や草木のささやきを知ることができるのでした。
 ひとしく、その蒼茫そうぼうとしたふしぎな空、ふしぎな蒼白い星のかずかず、そういうものは夜になると沼の上をおおうてくるのでした。月や星のかげは、水中の祝祭にでも現われたように、矢のような青白い光の線状を乱射してくるので、かれらはその光のあいだを泳ぎ廻りながら、ただ、水と空と夜との世界を遊びにふけるのでした。そこでは一切がかれらの仲間ばかりの世界で、何者もその美しい世界を乱してくるものがなかった。ただ、葦やよしの根が、さきの方に風をうけると、ふしぎに揺れて、水のなかで低い笛のような音を立てるのと、けるにしたがって繁くなる夜露が、しんとした水面にかすかな音を立てるばかりで、あとはただ虫のこえばかり聞えるだけでした。虫は水の中からも起ってくるように、あちこちでいていたのです。
 けれども、古い魚だけは、夜もおちついて底の方へ下りようともせず、動こうともせず、ひとところにじっとりあがって、ぽっかりと浮いているのでした。かれの背なかには、夜風がふれてゆき、星や月のひかりも、空にあるごとに、かれに触れて冷たくれてゆくのでした。そのたびに、かれの背中は蒼白く輝き、すこしずつひりひりと、一枚々々の鱗がふるえるようになるのでした。それらの月や星のひかりが、この古い魚にとって、どれだけの喜びであったかもしれない。かれはその光に打たれるごとに、喜ばしそうにからだをすこしずつ動かすのであった。そうするときにのみ、かれのからだは生きているように見えるのです。そのほかは、いつも、じっと死んだようになって動かないでいるのでした。

 夜はちょうどこの沼から三里ばかり離れている大きな都会には、盛りあがるような電燈の海が波うっていて、それが非常な巨大な軍艦のように黒ずんで、どっしりと重々しくなって見えるのです。ちょうどその余映のような、ほんのりした明るみが、この沼の水の上にも、あるかないかほどの明るみを浮ばしてくるのでした。
 魚はそのほたるのあかりのようなものをまでなつかしそうに、からだに吸いとるようにしていたのです。
「おれは晩になると、このほんのりした光さえ慕わしくなるのだ。あの明るいにぎやかなところはいったいどこのあたりにあるのだろう。そうして、それがおれには何故なぜ見ることをゆるされないのであろうか。こうして、からだにまで光をうけて、おれはいつそこへゆけるのだろうか。」
 かれはそう考えると、青い目で、そらの方をゆっくりと眺めるのでした。空には大きな都会のさまざまな街々まちまちの姿や賑やかさ、または音楽や燈影が、まるで地図のように広げられてくるのでした。白い道路と道路、都会の美しいはだ、それらが星と星とを織り込んで眺められてくるのでした。
「あそこには何も彼もある。おれが永い間考えとおしたふしぎな国がある。そこには一切が光でみたされているのだ。この沼のような暗みや水垢や塵芥ごみくたがあそこには一つもない。」
 魚はこう考えると、すこしずつ、からだを動かしながらいました。星の位置がかわるごとに、かれもその静かな位置を変えてゆくのでした。ちょうどそれは物差ものさしで計ったように、しぜんに、かれは天上のうごきをからだに受けながら、その意志こころを継いでゆくもののようでした。
「おれがいつも自分でも知ることのできないうちに、向岸むこうぎしの暗みへまで吹かれるように動いてゆく。ふしぎに自分でそのちからを知ることができないのだ。そして向岸の暗みへゆきつくと、間もなく、あおじろい夜明けがやってくるらしいのだ。あそこは水も冷たい。別な新しい水がいている。」
 魚はこうつぶやいているうちに、ふしぎに北へ北へとかれのからだが流されてゆく。星もみな北へ動いているように、だんだん光を失ってゆくのでありました。

 魚は、ときにははげしい日光をせなかにうけながら、沼の岸の方にからだをすりよせ、そしてはぼろぼろと落ちる土くれをまで、なつかしそうに食べつくすのである。または木の根などに、からだが痛むのもかまわないで、り寄りながら、くるしそうにもだえているのでありました。
「おれのまだ見ないところがある。この岸さえじのぼってゆけば、それがはっきりわかってくるのだ。おれは毎日この岸にきて空の方をながめている。岸つづきの珍らしい山河や、夜になると明るくなってくる都会が、この岸つづきのはてにあるのだ。おれはそれを考えるとたまらなくなる。」
 かれはそう思いながら、じとじとになった岸の土をぱっとみこんでは、くるしそうに吐いていた。どろにごりした水が乱れたきたない水脈をつくっては流れた。
「この土のあじわいさえも、いまはおれを苦しめるばかりだ。おれは一日も早く明るい地上に出てゆきたいのだ。ふしぎな地上、まだ見たことのないものが、数限りなくある地上――。」
 魚は考え沈みながら、ぼんやりと、こんどは疲れきって浮いていました。それはまるで日光に透いた沼水のなかに、いつの間にか鱗のいろさえ衰えかけていたが、それでも、できるだけの努力と我慢とをつづけて、しつこく、その岸辺をはなれようとはしなかったのでした。他のいろいろな魚族はみんな暗く涼しい底の方に沈んで、やすらかに昼間はねむりふけっているのでした。誰一匹として古いこの魚が、水の上にいつも動かないでいるとは気がつかなかったし、そんなことは若いぴちぴちした魚族にとっては何でもないことでした。唯かれらは時々底の方から、水の上にぼんやり浮いている大きな古い魚の姿を、まるでそれは描いたような姿でいることを不思議そうにながめていました。なかには、
「あれはやはり魚族のうちだろうかな。ああいう大きなやつが、この沼にいたかな。」
 そう鮒のようなものがいうと、とぐろを巻いていた長い魚はこう答えました。
「いや、あれは魚族ではあるまい。いつもあそこにいるから。まだおれは、あいつの動いたのを見たことがない。」
 ところがまた一匹の鯉のようなさかしげな尾とひれをもった魚が、
「あれはこの沼じゅうで一番大きな魚だ。あいつは何年前からかしらないが、あそこにじっとしてふしぎに何かを考えているのだ。あれは何も食わないらしい。水ばかりを呑んだり吐いたりしているらしいのだ。あれのそばへ寄ると、なんだかいやにおいがする。」
 そう言って、きみわるそうにその影をしずかに眺めました。
「だが、あいつはいったい、何を考えているのだろうか。」
 鮒のようなものが、水垢をきながら欠伸あくびをしいしい言いました。
「さあな。何を考えているのかな。」と長いやつがこたえると、ものうげに、くるくるととぐろを巻いてやすんでしまいました。
 そのとき水の上の影は、日光のあんばいで陽炎かげろうのようにゆらゆらしながら、それがまた沼底の方まで輪廓をえがきながら、大きなうっすりした陰影をおとしているのでした。うすにごりした水底のかげが余り大きかったので、かえって小さい魚族はだれ一匹として知るものがなかったのでした。

 古い魚は、やはり毎日のように浮きあがっていました。悲しそうに、ときどき、ぽっかりと空気をひとくち吸うとぱっと吐いて、さて、寂しそうに長い吐息をつくのでした。そのあわはすぐきえてしまいます。と、また、あとは死んだも同様の動かない姿がいつまでもそこにながく止っているのでした。
「おれはこうしているうち、妙に気が遠くなる日がつづいてゆくのはどうしたものであろう。あたまがしびれるようになって、つい知らずらずうとうととしてしまうのだ。まるで夢を見ているような気がする……。」
 と、かれは、ようようと葦の根にからだをささえながら、非常に弱くなったからだをつくづく眺めるようにつぶやきました。実際、かれは、いつか見たときとくらべるとからだ中がせてしまって、それに鱗のつやがほとんどなくなり、どこか、よろよろと尾ひれのちからも自由にならないようなところが見えました。その目はとろんとして何を見つめるということなく、弱々しく、たよりなくなって見えるのでした。
「おれは自分でも次第にからだが重くなるような気がする。ともすると、じっとしていられなくなって何者かがおれを引いているような気がする。そのため、おれは妙にひょろひょろするのだ。」
 そう考えながらもやはり、
「この岸つづきに何かがある。おれにはわからないが何かが行われている。おれたちの世界にないものがそこにあるのだ。」と考えて、また、よろよろしました。
「おれのからだの上に何物かが乗っているような気がする。そのためおれは重くて自由に泳げないのかもしれない。」
 魚はこう考えたときに、ひとりでに、くるりと裏がえしになって、白い腹をあらわしたのでした。そのさらされたような白い腹は、あさましいせた色をしていました。
「だが……こうしておれはもう起きあがるちからさえなくなったが、しかし何といういい気持がするのだろう。うっとりとした何とも言いようのない気持だ。ひょっとすると、おれはこのまま起きあがれないで、息が絶えてしまうかも知れない。それにしてもおれは何という安々したいい気持になったことであろう。」
 かれがそう考えているうちに、白い腹がすこしも脈をうたなくなりだしたのです。それはあまりに長く生き過ぎた老魚としての、どっしりした姿が水彫りにされたまま、しんとした水の上に今は全きまでに浮きあがったのでした。
 けれども、かれは幾年かの間考え通した地の上のものを、何一つとしてさぐることができなかったのでした。
 ただ安らかな死がかれのところにきただけなのでした。





底本:「日本児童文学名作集(下)〔全2冊〕」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年3月16日第1刷発行
   2001(平成13)年5月7日第12刷発行
底本の親本:「室生犀星全集 第三卷」新潮社
   1966(昭和41)年2月28日発行
初出:「赤い鳥」
   1920(大正9)年12月1日発行
入力:門田裕志
校正:きりんの手紙
2019年7月30日作成
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