庭をつくる人

室生犀星




つくばい


 つれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。わたくしは子供のころは大概うしろの川の磧で暮した。河原の中にも流れとは別な清水が湧いていて、そこを掘りいて小さいながれをわたくしは毎日作って遊んだものである。ながれは幅二尺くらい長さ三間くらいの、砂利をこまかに敷き込み二た側へ石垣のまねをつくり、それを流れへ引くのであったが、上手かみての清水はゆたかに湧きながれて、朝日は浅いながれの小砂利の上を嬉々と戯れて走っているようであった。自分はところどころに小さい橋をつくり、石垣には家を建て、草を植え花を配したものであった。此の頃になってつれづれ草ばかりでなく、水は浅く川はば一ぱいにながれて居る方がよいと思った。水というものは生きているもので、どういう庭でも水のないところは息ぐるしい。庭にはすくなくとも一ところに水がほしい。つくばい(手洗鉢)の水だけでもよいのである。乾いた庭へ這入ると息づまりがしてならぬ。わたくしたちが庭にそこばくの水を眺めることは、お茶を飲むと一しょの気持である。
 わたくしは蹲跼つくばい(石手洗い)というものを愛している。形のよい自然石に蜜柑型の底ひろがりの月がたの穴をうがった、茶人の愛する手洗石である。庭のすみに置くか、中潜りの枯木戸の近くに在るものだが、此のつくばいの位置はむずかしくも言われ、事実、まったくその位置次第で庭相が表われやすい。わたくしは茶人や庭作人の眼光外にいるものだが、しかしこの位置だけは定石であるだけに踏みやぶるわけにはゆかない、つくばいだけは背後うしろの見透しが肝心である。矢竹十四五本ばかりうしろに見せ、前石(つくばいに跼んで手を洗う踏石)の右にひくい熊笹を植えるのもよい、とくさは手洗いにつきすぎて陳腐であるから、若しこれを愛する人があるならば此のつくばいから四五尺はなれたところに突然に植えて置く方が却ってよかろう。しかしつくばいとのつなぎのために砥草とくさのわきに棄石がなければならぬ。或る庭で見たのであるが唯の一本の枝ぶりのよい山茶花の下につくばいがあり、水さばきの鉢前の穴の上に山茶花四五弁こぼれている風情は全くのよい姿をしていた。これは偶然に初冬のころだったので目を惹いたのであろう。
 いっそ此のつくばいのうしろに猗々たる藪畳があっても、つくばいが相応に立派なものだったら百畳の竹をうしろに控えていても、しっかりと抑えて据えられるであろうと思う。主としてつくばいは朝日のかげを早くに映すような位置で、決して午後や夕日を受けない方を調法とする。水は朝一度汲みかえ、すれすれに一杯に入れ、石全体を濡らすことは勿論である。その上、青く苔が訪れていなければならぬが、一塵を浮べず清くして置かなければならぬ。口嗽ぎ手を浄めるからである。
 兼六公園にある成巽閣の後藤雄次郎作の四方仏は、小流れに沿うて据えられ、石仏四体が刻まれている。小流れの両側に奇石珍木を配してあることは言うまでもない。平常閉してある庭中の幽雅は木々草石の上にこもっていて、穏かなすれない極寂ごくさびがあった。上流に突然とした砥草の茂りがあるのも、老巧な植木やの手なみが窺われていた。わたくしはこの手洗いに仏を刻んである因縁をひそかに考えて見て、清きが故なお浄かろうとする意図を床しく思うた。茶庭では燈籠は木のうしろにいても、手洗いは上手かみてに立たなければならなかった。つくばいは人の手にふれるものだけに、たとえ隅の方にあっても品格は上手に位するものである。瑞雲院の庭のつくばいは二方の踏石から辿ることになり、一枚の短冊石を踏んで行くのであるがその打ち方も厳格であった。兼六園の池のきわの手洗いは大石であるが、三抱えくらいの椎の大樹の根元にしっかりと置かれ、雄心を遣るに豪邁であった。わたくしはまだこれほどの大樹の根元に置かれた手洗いを見たことはない。
 つくばいの品格は最もすぐれたものでなければならず、形は大きくも小さくもない、程よい見馴染みなじみの快いものでなければならぬ。何となく奇岩めいた姿つきで、高峯一端の清韻を帯び、そのうえ雲霧を掻き起こすような気もちのものを尊ぶことは実際である。聊斎志異の白雲石の口碑のように穴あり時に綿のような雲を吐かねばたらぬ。そして鉢(水を入れるところ。)の中は古鏡のように澄み古色自ら在る体のものでなければならない。蒼い底に水をたたえた一基のつくばいは、何か庭の中に人あって鏡を見ているような心もちを起させるようである。実際、一掬の清水はよく庭裏の誠をうつすからである。
 手洗いにはわたくしの知っている限りでは、普通のつくばいの外に、しゃれた石臼のような伽藍形があり、それは円い石に円い水鉢がうがたれている。っとしゃれたのに唐船というのは、自然石の鍬のような反りを持った石の左よりに水鉢があって、むかしの唐船のへんぽんたるに似ていて風致あるものである。司馬温公われまつばというのは三方に峯のある石のまん中が水鉢になり居り、風雅であるが居処いどころをきらうものであるから、鳥渡ちょっと据えるところに難しいしろものである。円星宿は普通の胴円どうまる通しの手洗いであるが、石水壺は先でひろがり底すぼまりの置水鉢で、石材次第で栄えるものだが、わたくしは嫌いである。却って石水瓶の三方取手のある枕型の胴すぼまりを面白いと思っている。支那朝鮮によくある大壺取手づきに似ていて、石であるため陶器以上のおもしろさである。陶器と石とはどちらが面白いかと言えば、味の細かいことは到底陶器には及ばないが、一味通じた底寂しい風韻枯寂の気がながれ合い、ときに陶器に見味うことのできぬところに、わたくしの心を惹き何かを思うさま捜らしてくれるのである。そのほか方星宿の四角なのもあるが、取り立てて言うまでもない。富士形、ひょうたん形に至っては、われわれ雅人と称するともがらには要なき俗手洗いである。つくばいは飽迄自然石を穿ったもので水鉢の磨きも叮嚀に寂然たるものでなければ面白くない。赤日石林気というのも又つくばいの銘でなければならない。
 筧手洗いというのは高みにある手洗鉢に筧の水をしたたらすのであるが、これは生きているようで風致湧くごときものがある。凡兆の「古寺の簀の子も青し冬がまへ」という句があるが、何となくこの句の趣のような山住み山家の気持を表わすもので、春おそい日の永いころに筧の滴る音を書屋で聴くのはこころ憎いものである。その滴る水の流れ口を次第に低めにして自然に敷砂利しきじゃりの間を縫うてゆく趣の深さは、わざと細流をしつらえるより幽寂新鮮味は数倍するであろう。
 四方仏というのは角胴四面に仏をきざんだのであるが、清韻愛すべきものである。わたくしは所謂難波寺形という大樹の下に据える手洗いに、姫蔦の蔓を這わしたことがあったが、蔦が石面一杯に蒸しつき、葉と葉との間に一掬の水がのどかに澄んでいるのは、まことに天来の穏かさを保って、限りなく美しいものである。茶庭では手洗いの前に湯桶手燭を置き、茶席の会中立前の所作の一つになっているそうである。わたくしは茶の方は詳しくないが、其行きとどいた精神にはいつも敬服している。茶道はまた色道に通ずというわたくしの哲学は、古今の茶道大義でなければならぬと思うている。清浄の中にいて色道を思うの情は、林泉に踞して亦垂鉤の境に蹲むと一般であろう。水光日を浮べ出て転た佳人を想うの心を誰も咎めるものはいない。こんな色道は枯れ侘びてなお余燈にむかうようで、わたくしは好きである。遠州好みの茶庭のように大樹一本、小樹四五本、踏石を分けた中庭括り、八ツ窓茶室というような感じである。そのように整うところに何かの色があった。さびももとを掘じくり出すと何かの色が出て、褪めていて懐しいものである。

石について


 わたくしは世に石ほど憂鬱なものはないと思うている。ああいう寂しいものを何故人間はで慕うのであるか。

蕭条と石に日の入る枯野かな
蕪村
こがらしや畠の小石目に見ゆる
木枯や小石のこける板ひさし

 石が寂しい姿と色とを持っているから人間は好きになれるのだが、反対のものであったら誰も石好きにならないであろう。その底を掻きさぐって見たら石というものは飽かないものであるからである。さびは深く心は静かである。人間はその成長の途中で石を最初におもちゃにするようであるが、また最後におもちゃにするのも石のようである。俳句が文韻の道の初歩のものであるとしたら、老いてまた最後の文事の友でなければならぬ。わたくしは幼児川原に遊んで遠くに石を投げて見て、何秒かの後に始めて戞然たる石が石を相打つを聞き、世の幽寂の最初に触手した感じを抱いたものであった。
 芽の吹くころになると踏石や捨石が冬がれの中から身を起し、呼吸をしてくるように思えた。すくなくとも何かの鋭さを現わしたが、それは木の芽草の芽が浮き出させてくるのかも知れない。浅い芽の色が蒼古たる石を上と下とから形を描き合せるのかも知れぬ。
 石は絶えず濡れざるべからずというのは、春早いころがその鋭さを余計に感じる時であるからであろう。水の溜まる石、溜まるほどもない微かな中くぼみのある石、そして打水でぬれた石は野卑でなまなましく、朝の旭のとどかぬ間の石の面の落着きの深さは譬えようもなく奥ゆかしい。或いは夜来の雨じめりでぬれたのが、空明りを慕うているさまは恋のように仄かなものである。それが飛石であるときは踏みかねる心をもつ。朝の間は石の心も静まっていると見えるからである。わたくしはある朝、蒼黒い棄石のきわに一本の蕗の薹を眺め、凝然と驚いて瞠って眺めた。それは一本のかんざしを持った何か巨大な生きものの、微笑み跼まるのに眼がふれたからであった。石は庭ぬしの悲しい時は悲しそうな表情をして見せ、機嫌よいときはかれも闊達で快然としていた。一朝わが思いならざるときその眼を落すのも、石床蒼古の上に停まるのであったが、それよりも先きにかれは綿々の情に耐えざるの風姿があった。わたくさは[#「わたくさは」はママ]そういう思いでかれと相抱くことを屡々感じた。相阿弥が山紫水明の間に心を悲しませ、親兄弟よりも木石交契を慕うたと自ら言ったのも解るような気がする。すくなくとも石面一顰の表情にこころづいたときには、その人の愛は行き着いたのであろう。或る子供が庭へ出て草の芽のあたまを撫でながらいたが、その子供のしたことはわたくしの石面をなでると同じいいとしさのあまりである。

ほろ/\と山吹散るか滝の音
芭蕉
待ちかねて隣の梅を折りに行く

 王庭吉の水仙図のごときもその水仙のくびの弱々しさ、垂れた一枚の葉の重さ、それで一気に伸びずにしずしずと伸びて咲いた水仙、その心はやはり我々と同じい辿りをしているものである。曹雲西の石岸古松をつんざくもの、九龍山人の枯木水辺をえがいた隠居図、かれらの持ち合せた心はわたくしどもの網の目のような心に、糸を振り合せてくれ、ほつれぬように結んで来てくれるのである。かれらはみな叩けば音をもっていた。
 石は二ツつぎ、三ツ組、五ツ組とか言い秘伝のようなものがあるそうであるが、わたくしは勝手に組めばいいと思っている。しかし物には釣合というものがある。その釣合以上の何ものかがわたくしたちを打ってくれればいいのである。一つ置いた石が物足りなさそうにしている態が見え、友ほしそうである。或いは寂寞に耐えない風姿をしている。それを見抜いてやることも我々の心である。何かかれらにも感情があり、一つきりで立てないときにはも一つ石を接ぐのもいいだろう。そして二つ接いでもなお母石が寂しがったら我々はどうしたらいいだろう。五つを接がねばならないが併しそのために調和をやぶったらどうしたらいいか。わたくしはういう時に無理にもと通り母石ひとりを立たせて置き、さびしがらせて置くのである。
 沓抜、飛石の打ち方はくろうとでなければ、これこそ落着かぬものである。利休がある庭へ招かれた時に茶事の後に黙ってかえったが、あとで石の中に一枚だけ入れかえてあったことを見抜いたそうであった。ともあれ、飛石は丁々と畳んで行くいきで、庭の呼吸をつがせるようなものである。これの打ち方で庭ぬしの頭のほどが窺い知られるものである。飛石は何処まで打って行っても止まることを知らず、もう一枚、もう一枚というふうに先きを急ぐものであるから、止めをよほど抉り利かして置かなければならぬ。わたくしは飛石は庭をよろうているものであることを熟々つくづく感じている。
 或る時庭の片隅の梅の切株に、霊芝れいしが五本生え、月を経てその菌は笠をひろげた。霊芝というものは支那あたりに珍重するばかりでなく、床の置物にするくらい稀有の目出度いものである。滅多に生えないものらしい。形は茎も笠も菌であるが質は固く陰干かげぼしにするとそのままの形を残すものだ。水を打って見ると朱の色に冴えて見えた。その生え方が一本は右に二本目は左に、三本目は笠が大きく少し離れて、四本目と五本目が右と左とに程よいほど離れていた。そのはなれ方にも言われぬ妙味があった。わたくしはその時漫然と飛石の打ち方を頭脳に思い浮べ、こんなふうに打てばいいのだと思うた。自然に生えた霊芝の離れ方にならうことも面白いと思うたのである。何となく岩段沓抜組方というのに似ているのも、偶然ではあるが古くから言いならされていることは争えないと思うたからである。
 縁側或は座敷から下りる石はがっしりしたものを用いたい。そして打ち方は石の行荘三四連ずつ打ってもいいし、四二連でもかまわない。ただ短冊石だけは喰いちがいに二分の三強の食いちがいがよい。拍子木ともいうが恰も拍子木二本をならべ食いちがい三分の二程度に置いた見取りでゆけばいいのである。これらの飛石のまわりに苔が生えて居れば、何も下草は植えなくともよいものである。しかし処々に白い斑の入った姫熊笹を飛び飛びにかすれた墨絵のように植えるのは、程のよいものである。あるいは苔のままでもよい、苔は日苔といい打水をしないでも蒼々としているのをわたくしは一番に好んでいる。山にある苔である。暑い日には乾いたままで蒼く、へいぜいは水をやらないで折々の雨を待つか或は一週一回ぐらいの水でよい。がっしりした苔である。大庭などはこの苔の方がよい。水をやらない癖にして置けばそのまま苔になるのである。苔は肌のこまかいほどよいとしてあるが、山苔日苔の肌の荒いのは一層の荘重を感じさせるものである。総じて庭は石と苔との値が深ければよい、龍安寺の石庭は或る意味で枯淡な達人の心境をそっくり現わしたものと言ってよい。寂しさにすぐれた人間の心もつき詰めてゆくと、石庭の精神でなければならぬ。わたくしは重い曇天の下で、蹲まり睨み合い、穏かにも優しいかれらの姿を一瞥したとき、すぐ或る種類の人々の心を覗き見た感じをもった。
 苔は山土の赭いのを敷けば一二年で生えるものであるが、石に苔の生えることは一二年では難しく、そういう浅はかな心は棄てなければならない。苔の生えるまで永い雨の年月を待つのは雅人のこころとしても、苔を植えるの徒はわが党ではない。飛石のへりに日苔のしがみついた形、色の食い込みは紙魚しみのある一帖の古本こほんのように懐しいものである。わたくしは石の上の蝸牛、いなご、せきれいの影を慕うものであるが、真寂しい曇天或は雨日の景をも恋うものである。拝石などと言って庭中清浄の境に置いて、これを拝む定石はあるそうであるが、わたくしはこんな古いことは廃めてもよいと思うている。池ぎわには垂鉤石というものがあったり、硯滴石、硯用石、筆竿石、筆架石などという名前があるが凝れば自らそう名づけて見たいであろう。その他鴛鴦石や虎渓石、陰陽石などというのも、石の形から考え出したものである。兼六園などはこれらの古い名前の石がところどころに置かれ、古きに則っている。陰陽石などは庭のどこかに昔は隠して入れたものであるそうであるが、詰らないことをしたものであるというより、何か縁起を取り入れたようで微笑まれるようである。

竹の庭


 庭は春さきの冬がすっかり終りかけないころがよい。冬のさむさが隅々に残り漂うているに拘らず、春さきの景色もむらさきぐんだ影になり、土はしめりを帯びている。その土や苔のしめり工合に得も言われぬ行届いた叮嚀さがこめられて、旭のあたり加減の匂わしさは類もない新しさである。何となく植えてみたいのぞみを抱く、木々の間を覗いてあるくと、枝を透いて匂うてくるものを感じる。つまり庭全体の空気が不思議な人情的なるものにつつまれて囁いてくるようである。穏かに草の芽のあたまに当る旭のいろに天が下のめぐわしさを感じるのである。季節の故郷である。
 厳格と寒威との間に立った石燈籠がやっと柔和に見え、ひと雨のあとの濡れ方もまた春の色であった。灯ともし石のきわに芽が生えているのを見ると、わたくしは曾て或る茶人の庭にあった利休形の古い燈籠を思い出した。庭のまん中に据え、松の下に蔓をからませた姿は、あっさりと好ましかった。松一本の好みもよかった。茶室にいたわたくしは主人が立ったあとで、釜の鳴るのを聴きながら眺めていると、燈籠の落着き方は能く釜の音に調和していて、わたくしをして茶室で眺めるものは茶室との結びを持っていると思わせた。燈籠は温順の相であった。胴の細い深いさびをこもらした利休形は、一面あたたかい心もちがあった。前後を通じてのあの位しずかに燈籠をながめたことがなかった。頭の奥の方にいまも閑やかに見えるような気がする。
 遠州形は笠がふっくりと高盛りになり、荒いつくりで好きである。何となくたたずみ方に奥行があるが、宗和形は蕭条として枯木戸のある四方見通しの、庭に向くと思うた。わたくしは雑木四五本の立った下へ飛石を打ち、そして又雑木二三本の奥に宗和形を眺めたいと思うている。有楽形、宗易形、珠光形、春日、雪見などあるが、わたくしの好みとしてはせいの高くない肉の相応にある茶庭燈籠が一本あればよい、いや、もう一本ほしいものである。若し心に叶うたのに出会せば、庭中人有人不語の境を読みたいものである。燈籠は、眼をもっている。庭の四方をぐいぐいと緊めつけ纏めているものである。若し燈籠が詰らない悪作であったら庭の品を落してしまうものである。わたくしは曾て面を覆うような燈籠を崩して、台石と中台とを飛石につかうて見たが、春日であったために鳥渡ちょっとよい飛石につかえた。蒼みもあり燈籠らしい由緒をも持っているせいか、仲々よかった。一たい燈籠の居所は木のかげに頭だけ見えるくらいがいいものである。燈籠を繁りの前に置くのは、これ見よがしでよくない。若し繁りの前へ出すなら庭のただ中からやや隅へかけてあどけなくぽつんと置けば、却って無邪気に見えるが、そういう場合よほど古さや形のよい、せいのつまった燈籠でなければならぬ。燈籠が木と木との隙から木の葉の蒼みよりっと深い蒼みで、すれすれに姿をかくしているのは清幽限り無きものである。いまどき刻みの墓石のようなものを樹てているのを見ると、嫌悪の情さえ起らないでぞっとするくらいである。燈籠一本に庭の大部分の魅力をもたせなければならぬが、といっても他を疎んじるわけではない。何とも言えない磨きのある調度、行荘の清純、あどけなく閑かにそして眼立たぬように作るのが奥の手であろう、質素の庭ひろがりで行くのである。一瞥荒く二瞥やや細く三瞥驚嘆する程の細微を尽すべきである。見るほど飽かない謂いである。一草に心かたむけてあるを見るときに、あるじの愛の深いことを感じる。大した築山や池をほめるのではない。あるじの愛さえ庭に行き亘って居ればわたくしの望は足りるのである。曾て前田という本郷住人の庭園を見たとき銅製の鶴が二羽、からの川の中に置かれてあるのを見て、わたくしは眼を汚された思いがした。或は唐獅子を置き、大砲をさえ飾ることを思うと、わたくしは情無くなるばかりである。好みは人間をつくるものである。
 これは曾て『サンデー毎日』に書いたことがあるが、或る客があって庭をつくろうと思うが、千円くらいで一寸としたものが作れるだろうかと言ったから、わたくしは発句でも書くように、一枚の半紙に無駄書をして手渡したことがあった。
竹   (矢竹或いはしの竹)      五百本
飛石  (拍子木二本をふくむ)     五十枚
すて石                 三つ
茶庭燈籠(利休がた)          一本
つくばい(一つは大きく別ののは小さく) 二鉢
山土                  十車
 そして植木屋手間賃五十人分二百円は例外である。しの竹、七十円。飛石(くらま一枚五円見当。)二百五十円。すて石、二百円。茶庭燈籠、三百円見当。(上物はあるいはむずかしい。)つくばい、二鉢、百円。その他山土十車代等千円である。
 これだけで作り上げたものは十年あとには苔がついて、竹も根を張り相応の庭になるであろうが、ただ、面倒なのは竹は二タ月に一度ずつ枯葉や蟻、毛虫のつかぬ様の手入れ、及び刈込、筍仕立、(それは毎年古竹を伐り新竹を立たすこと。)皮剥ぎの手入れが肝要である。飛石の高金は飛石がわるくては庭が畳めないからで、燈籠の三百円は捜したら適当なのがあるかもしれぬ。また無いかも知れぬ。一本あればいいのである。
 つくばいは手頃なのが一つでいいのであるが、わたくしの癖として二鉢ほしいのである。役石前石はもちろん買入れるのだが、これの百円は見くびりすぎているようだ。一つは竹の奥に一つは縁側から七歩くらいの居どころにする。山土の十車は苔を生やすためである。十車では足りないかも知れぬ。以上は別に深い意味のある庭ではなく、又茶がかった庭でもない。唯、このような庭もあるくらいに考えて貰えばいいのである。下草は一切植えない。歯朶一枚でもこの庭にはおことわりである。一体、庭というものは朝夕二回の掃除と打水とが必要のあるものである。
 竹の植方では東南西に株を乱して植えて置く。這い出しの筍を見とどけた植え方をしなければならぬ。東の方では朝の内のかげを眺め、南西では終日その猗々たるかげを苔の上に撮らねばならぬ。茂りは尖端に揉みついた風情よりも、折々枯葉を取り葉と葉との間をすかし、空の色を伺い見るべきである。竹は画くがごとく伐るべしとはわたくしの信条の一つであるが、手入れ次第で美しく見えるものであるから怠けものには竹はやめた方がいい。棄石は大体において三方へ平凡に置く、北へ面した方へだけ二つ片よせなければならぬ。これは隣家の関係もあり一度地勢を見た上でなければ分らない。
 この庭の仕上りは一つには竹の葉ずれの音をきくためと、いくらか幽寂閑雅の心を遣るためとである。燈籠というものはその庭を一と目眺めたときに、うその位置が宿命的に定っているほど動かないところにあるものである。庭は四方の均整を引締めるために、眼光紙背に徹する底のまなこをもたなければならない。燈籠の位置で庭が本定ほんぎまりになるのである。





底本:「日本の名随筆6 庭」作品社
   1983(昭和58)年8月25日第1刷発行
   1996(平成8)年4月25日第18刷発行
底本の親本:「庭を造る人」改造社
   1927(昭和2)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年7月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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