つれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。わたくしは子供のころは大概うしろの川の磧で暮した。河原の中にも流れとは別な清水が湧いていて、そこを掘り
わたくしは
いっそ此のつくばいのうしろに猗々たる藪畳があっても、つくばいが相応に立派なものだったら百畳の竹をうしろに控えていても、しっかりと抑えて据えられるであろうと思う。主としてつくばいは朝日のかげを早くに映すような位置で、決して午後や夕日を受けない方を調法とする。水は朝一度汲みかえ、すれすれに一杯に入れ、石全体を濡らすことは勿論である。その上、青く苔が訪れていなければならぬが、一塵を浮べず清くして置かなければならぬ。口嗽ぎ手を浄めるからである。
兼六公園にある成巽閣の後藤雄次郎作の四方仏は、小流れに沿うて据えられ、石仏四体が刻まれている。小流れの両側に奇石珍木を配してあることは言うまでもない。平常閉してある庭中の幽雅は木々草石の上にこもっていて、穏かなすれない
つくばいの品格は最も
手洗いにはわたくしの知っている限りでは、普通のつくばいの外に、しゃれた石臼のような伽藍形があり、それは円い石に円い水鉢がうがたれている。
筧手洗いというのは高みにある手洗鉢に筧の水をしたたらすのであるが、これは生きているようで風致湧くごときものがある。凡兆の「古寺の簀の子も青し冬がまへ」という句があるが、何となくこの句の趣のような山住み山家の気持を表わすもので、春おそい日の永いころに筧の滴る音を書屋で聴くのはこころ憎いものである。その滴る水の流れ口を次第に低めにして自然に
四方仏というのは角胴四面に仏をきざんだのであるが、清韻愛すべきものである。わたくしは所謂難波寺形という大樹の下に据える手洗いに、姫蔦の蔓を這わしたことがあったが、蔦が石面一杯に蒸しつき、葉と葉との間に一掬の水が
わたくしは世に石ほど憂鬱なものはないと思うている。ああいう寂しいものを何故人間は
蕭条と石に日の入る枯野かな
蕪村
こがらしや畠の小石目に見ゆる同
木枯や小石のこける板ひさし同
石が寂しい姿と色とを持っているから人間は好きになれるのだが、反対のものであったら誰も石好きにならないであろう。その底を掻きさぐって見たら石というものは飽かないものであるからである。さびは深く心は静かである。人間はその成長の途中で石を最初におもちゃにするようであるが、また最後におもちゃにするのも石のようである。俳句が文韻の道の初歩のものであるとしたら、老いてまた最後の文事の友でなければならぬ。わたくしは幼児川原に遊んで遠くに石を投げて見て、何秒かの後に始めて戞然たる石が石を相打つを聞き、世の幽寂の最初に触手した感じを抱いたものであった。
芽の吹くころになると踏石や捨石が冬がれの中から身を起し、呼吸をしてくるように思えた。すくなくとも何かの鋭さを現わしたが、それは木の芽草の芽が浮き出させてくるのかも知れない。浅い芽の色が蒼古たる石を上と下とから形を描き合せるのかも知れぬ。
石は絶えず濡れざるべからずというのは、春早いころがその鋭さを余計に感じる時であるからであろう。水の溜まる石、溜まるほどもない微かな中くぼみのある石、そして打水でぬれた石は野卑でなまなましく、朝の旭のとどかぬ間の石の面の落着きの深さは譬えようもなく奥ゆかしい。或いは夜来の雨じめりでぬれたのが、空明りを慕うているさまは恋のように仄かなものである。それが飛石であるときは踏みかねる心をもつ。朝の間は石の心も静まっていると見えるからである。わたくしはある朝、蒼黒い棄石のきわに一本の蕗の薹を眺め、凝然と驚いて瞠って眺めた。それは一本のかんざしを持った何か巨大な生きものの、微笑み跼まるのに眼がふれたからであった。石は庭ぬしの悲しい時は悲しそうな表情をして見せ、機嫌よいときはかれも闊達で快然としていた。一朝わが思いならざるときその眼を落すのも、石床蒼古の上に停まるのであったが、それよりも先きにかれは綿々の情に耐えざるの風姿があった。わたくさは[#「わたくさは」はママ]そういう思いでかれと相抱くことを屡々感じた。相阿弥が山紫水明の間に心を悲しませ、親兄弟よりも木石交契を慕うたと自ら言ったのも解るような気がする。すくなくとも石面一顰の表情にこころづいたときには、その人の愛は行き着いたのであろう。或る子供が庭へ出て草の芽のあたまを撫でながらいたが、その子供のしたことはわたくしの石面をなでると同じいいとしさのあまりである。
ほろ/\と山吹散るか滝の音
芭蕉
待ちかねて隣の梅を折りに行く同
王庭吉の水仙図のごときもその水仙のくびの弱々しさ、垂れた一枚の葉の重さ、それで一気に伸びずにしずしずと伸びて咲いた水仙、その心はやはり我々と同じい辿りをしているものである。曹雲西の石岸古松をつんざくもの、九龍山人の枯木水辺をえがいた隠居図、かれらの持ち合せた心はわたくしどもの網の目のような心に、糸を振り合せてくれ、ほつれぬように結んで来てくれるのである。かれらはみな叩けば音をもっていた。
石は二ツ
沓抜、飛石の打ち方はくろうとでなければ、これこそ落着かぬものである。利休がある庭へ招かれた時に茶事の後に黙ってかえったが、あとで石の中に一枚だけ入れかえてあったことを見抜いたそうであった。ともあれ、飛石は丁々と畳んで行くいきで、庭の呼吸をつがせるようなものである。これの打ち方で庭ぬしの頭のほどが窺い知られるものである。飛石は何処まで打って行っても止まることを知らず、もう一枚、もう一枚というふうに先きを急ぐものであるから、止めをよほど抉り利かして置かなければならぬ。わたくしは飛石は庭を
或る時庭の片隅の梅の切株に、
縁側或は座敷から下りる石はがっしりしたものを用いたい。そして打ち方は石の行荘三四連ずつ打ってもいいし、四二連でもかまわない。ただ短冊石だけは喰いちがいに二分の三強の食いちがいがよい。拍子木ともいうが恰も拍子木二本を
苔は山土の赭いのを敷けば一二年で生えるものであるが、石に苔の生えることは一二年では難しく、そういう浅はかな心は棄てなければならない。苔の生えるまで永い雨の年月を待つのは雅人のこころとしても、苔を植えるの徒はわが党ではない。飛石のへりに日苔のしがみついた形、色の食い込みは
庭は春さきの冬がすっかり終りかけないころがよい。冬のさむさが隅々に残り漂うているに拘らず、春さきの景色もむらさきぐんだ影になり、土はしめりを帯びている。その土や苔のしめり工合に得も言われぬ行届いた叮嚀さがこめられて、旭のあたり加減の匂わしさは類もない新しさである。何となく植えてみたいのぞみを抱く、木々の間を覗いてあるくと、枝を透いて匂うてくるものを感じる。つまり庭全体の空気が不思議な人情的なるものにつつまれて囁いてくるようである。穏かに草の芽のあたまに当る旭のいろに天が下のめぐわしさを感じるのである。季節の故郷である。
厳格と寒威との間に立った石燈籠がやっと柔和に見え、ひと雨のあとの濡れ方もまた春の色であった。灯ともし石のきわに芽が生えているのを見ると、わたくしは曾て或る茶人の庭にあった利休形の古い燈籠を思い出した。庭のまん中に据え、松の下に蔓をからませた姿は、あっさりと好ましかった。松一本の好みもよかった。茶室にいたわたくしは主人が立ったあとで、釜の鳴るのを聴きながら眺めていると、燈籠の落着き方は能く釜の音に調和していて、わたくしをして茶室で眺めるものは茶室との結びを持っていると思わせた。燈籠は温順の相であった。胴の細い深いさびをこもらした利休形は、一面あたたかい心もちがあった。前後を通じてのあの位しずかに燈籠をながめたことがなかった。頭の奥の方にいまも閑やかに見えるような気がする。
遠州形は笠がふっくりと高盛りになり、荒いつくりで好きである。何となくたたずみ方に奥行があるが、宗和形は蕭条として枯木戸のある四方見通しの、庭に向くと思うた。わたくしは雑木四五本の立った下へ飛石を打ち、そして又雑木二三本の奥に宗和形を眺めたいと思うている。有楽形、宗易形、珠光形、春日、雪見などあるが、わたくしの好みとしてはせいの高くない肉の相応にある茶庭燈籠が一本あればよい、いや、もう一本ほしいものである。若し心に叶うたのに出会せば、庭中人有人不語の境を読みたいものである。燈籠は、眼をもっている。庭の四方をぐいぐいと緊めつけ纏めているものである。若し燈籠が詰らない悪作であったら庭の品を落してしまうものである。わたくしは曾て面を覆うような燈籠を崩して、台石と中台とを飛石につかうて見たが、春日であったために
これは曾て『サンデー毎日』に書いたことがあるが、或る客があって庭をつくろうと思うが、千円くらいで一寸としたものが作れるだろうかと言ったから、わたくしは発句でも書くように、一枚の半紙に無駄書をして手渡したことがあった。
竹 (矢竹或いはしの竹) 五百本
飛石 (拍子木二本をふくむ) 五十枚
すて石 三つ
茶庭燈籠(利休がた) 一本
つくばい(一つは大きく別ののは小さく) 二鉢
山土 十車
そして植木屋手間賃五十人分二百円は例外である。しの竹、七十円。飛石(くらま一枚五円見当。)二百五十円。すて石、二百円。茶庭燈籠、三百円見当。(上物はあるいはむずかしい。)つくばい、二鉢、百円。その他山土十車代等千円である。飛石 (拍子木二本をふくむ) 五十枚
すて石 三つ
茶庭燈籠(利休がた) 一本
つくばい(一つは大きく別ののは小さく) 二鉢
山土 十車
これだけで作り上げたものは十年あとには苔がついて、竹も根を張り相応の庭になるであろうが、ただ、面倒なのは竹は二タ月に一度ずつ枯葉や蟻、毛虫のつかぬ様の手入れ、及び刈込、筍仕立、(それは毎年古竹を伐り新竹を立たすこと。)皮剥ぎの手入れが肝要である。飛石の高金は飛石がわるくては庭が畳めないからで、燈籠の三百円は捜したら適当なのがあるかもしれぬ。また無いかも知れぬ。一本あればいいのである。
つくばいは手頃なのが一つでいいのであるが、わたくしの癖として二鉢ほしいのである。役石前石はもちろん買入れるのだが、これの百円は見くびりすぎているようだ。一つは竹の奥に一つは縁側から七歩くらいの居どころにする。山土の十車は苔を生やすためである。十車では足りないかも知れぬ。以上は別に深い意味のある庭ではなく、又茶がかった庭でもない。唯、このような庭もあるくらいに考えて貰えばいいのである。下草は一切植えない。歯朶一枚でもこの庭にはおことわりである。一体、庭というものは朝夕二回の掃除と打水とが必要のあるものである。
竹の植方では東南西に株を乱して植えて置く。這い出しの筍を見とどけた植え方をしなければならぬ。東の方では朝の内のかげを眺め、南西では終日その猗々たるかげを苔の上に撮らねばならぬ。茂りは尖端に揉みついた風情よりも、折々枯葉を取り葉と葉との間をすかし、空の色を伺い見るべきである。竹は画くがごとく伐るべしとはわたくしの信条の一つであるが、手入れ次第で美しく見えるものであるから怠けものには竹はやめた方がいい。棄石は大体において三方へ平凡に置く、北へ面した方へだけ二つ片よせなければならぬ。これは隣家の関係もあり一度地勢を見た上でなければ分らない。
この庭の仕上りは一つには竹の葉ずれの音をきくためと、いくらか幽寂閑雅の心を遣るためとである。燈籠というものはその庭を一と目眺めたときに、