きりぎりすは夜明けの四時になると鳴き止む。部屋のなかに籠を置いて雨戸を閉めてあっても、四時になるとぱったり静かになる。なぜかというと、四時には明け方の微かな明りが漂いはじめるからだ。それがきりぎりすには判るらしい。夕方から鳴きはじめるが、夜更けの一時から二時の間にしききりなしに鳴く。息をつかずに僕のかぞえた数では、百十一遍続けさまに鳴いていた。つまり、きりきりきりという口調をくりかえすのである。しかし僕のいうのは昼間鳴くきりぎりすではない。だから信州では夜なくのを「きす」といい、昼間なくのを「本ぎす」といっていた。
きりぎりすは昼間もなくが、風が吹くとなく。風が吹くと羽根さばきがらくになり、気持よくなけるらしい。昆虫でも物に
僕は或るときにきりぎりすを二疋同じい籠に入れておいたが、翌朝になると一疋は喰い殺されてしまっていた。喰い殺されたほうは腹を食いやぶられていたが、何度入れかえても同様に殺されていた。きりぎりすは同じ種族同士を共食いにするものであるらしい。大抵、腹のにくを食われている。葱、きゅうりを餌にしてやるが、葱のような烈しい匂いの植物をかじるくらいであるから、同種族共食いが平気であるらしい。きゅうりをやって見ると種子をかじって中の汁を
栗いろをしたのと緑いろをしたのと、二種類いるが、信州の碓氷山中では殆ど緑いろをした一種類しか住んでいない。七月終りころから九月の中ごろまでしか生きていないようである。九月中頃になると昼間は七十度くらいであるが、朝は六十二三度、夜は五十七八度に下るから生きていても鳴かなくなる。つまり寒さにいじけてしまうのである。十月になるともう碓氷の山中は初冬のような寒さに変るから昆虫類は生息できなくなる。霜が下りるからである。
僕は大抵、きりぎりすを一疋ずつ籠に入れて飼うているが、東京に持って帰っても二三日しか生きていない。途中汽車でゆすられる関係もあるが、気候が暑いためであるかも知れぬ。信州の山中は夏でも涼しい七十七八度であるから、東京の暑さにはかなわないのであろう。それに夜露とか
秋が深く
そういうお爺さんになったきりぎりすは、鳴いても二声か三声くらいで鳴きやんでしまう。羽根がボロになっているから音がよく出ないのだ。それからああいう羽根を震動させるにも力がいるので、そんな力がもうなくなっているのだ。夕方になると草むらの奥の方にかくれる。冷たい夜露や霜を避けるためである。草むらの底のほうは下葉が落ちつくしてがらんどうになり、宮殿の美しい緑の柱や廊下が崩れかかっている。此処の王さまだったきりぎりすは跛を曳いて、冠の珠や飾りは失せてしまい、かわぜみいろの鎧さえボロボロになっている。王さまは食べる元気さえない。王様はお得意の音楽さえもう打っちゃっておしまいになっていた。
きりぎりすは秋に、土のなかに卵を生みつけるが、生長期の例のくさむらの宮殿にいるころは、却々はしこい上に神経過敏で、僕らの足音や、くさむらが不意に不自然にうごいたりすると、鳴き
籠の中に飼うと捕まえた翌晩あたりから鳴きはじめ、一週間もすると籠になれて暴れるようなことはない。
万葉集や芭蕉時代はきりぎりすとこおろぎの区別をつけずに一緒にうたっている。どこまでこおろぎの俳句であるか、きりぎりすであるか、よく判別しがたい、芭蕉など夜明けのきりぎりすをうたっているが、江戸や京洛にいた彼は昼間なくきりぎりすを夜なくように書くわけがないであろう。やはりこおろぎをうたったものかも知れない。
きりぎりすわすれ音に啼く火燵かな 芭蕉
などの句はやはりこおろぎのことをうたったものらしい。火燵をするころにこおろぎは生きのこっていても、きりぎりすは生き残ることはないのである。
床に来て鼾に入るやきりぎりす 芭蕉
猪の床にも入るやきりぎりす 芭蕉
猪の床にも入るやきりぎりす 芭蕉
どうも、これらはこおろぎの句であるらしい。ただ一句、本物のきりぎりすらしい句は、奥の細道の行脚の折、加賀の国でよんだなかに、
むざんやな甲の下のきりぎりす 芭蕉
という一句がある。時は夏から秋にかけたころであるし、きりぎりすと
きりぎりすを飼う面白味は勿論、その鳴く声にあるけれど、それにも増して、美しい丈夫そうな形にある。ことに、長い脛がヴァイオリンの糸のように美しく出来上っている。僕はまるで部屋じゅうにきりぎりすを放していて、まるで野原にねているほどその逞しい声にききほれている。子供たちもまるで野原にねているようですね、と、感心して言っている。秋から初冬にかけてきりぎりすの声ほど美しく楽しいものはない。