螽※[#「虫+斯」、第3水準1-91-65]の記

室生犀星




 きりぎりすは夜明けの四時になると鳴き止む。部屋のなかに籠を置いて雨戸を閉めてあっても、四時になるとぱったり静かになる。なぜかというと、四時には明け方の微かな明りが漂いはじめるからだ。それがきりぎりすには判るらしい。夕方から鳴きはじめるが、夜更けの一時から二時の間にしききりなしに鳴く。息をつかずに僕のかぞえた数では、百十一遍続けさまに鳴いていた。つまり、きりきりきりという口調をくりかえすのである。しかし僕のいうのは昼間鳴くきりぎりすではない。だから信州では夜なくのを「きす」といい、昼間なくのを「本ぎす」といっていた。
 きりぎりすは昼間もなくが、風が吹くとなく。風が吹くと羽根さばきがらくになり、気持よくなけるらしい。昆虫でも物にこわがったり不快なときは鳴かないにちがいない。昼間静かな雨がくる前に、何となく冷気をかんじるようなときにも鳴く。併しそれらのどういう機会にも増して夜中に鳴く声は、きりぎりす自身が自分で鳴きながらうっとりしている状態がよくわかるのだ。一生懸命になり、ほれぼれと鳴いている。歌俳諧によみ込まれているような悲哀の情からではない、きりぎりす自身は愉快で楽しくて暫くでも黙っていられないのである。きりぎりすの昂奮しているのが判るような気がする。僕は毎年軽井沢にくると子供にせがまれ、きりぎりすをつかまえなければならんことになる。つまり僕がつかまえることが上手なように子供達に思われ、僕はその信用をうらぎりたくないために、無理にも上手にならなければならないのである。だからぶよにくわれながら懐中電燈をもって叢のなかを明るく照らす、懐中電燈の明りは叢のなかを青写真のように映し出し、茎と葉との宮殿がならんで見える。全く叢のなかの夜ほど美しいものはない。きりぎりすは大抵叢の中段のような芒や雁来紅の枝葉の上を少しずつ動きながら、鳴いている。枝葉を移りながらいるのは、叢のなかでは一番大きく立派に見える。顔つきはどこかかぶとのようにがっしりしているし、鬚が栗いろの強い張りをもって絶えず微動しながら、草の葉と葉のすきまを縫うている。一たいに叢は茨や芒や月草や雁来紅や萩のしげみになっているが、きりぎりすのほかにいろいろな秋の虫がじっとしているのや這うているのや数えきれないくらい沢山に住んでいる。瓜蠅、つゆ虫、ばった、足長蜘蛛、蚋、蚊とんぼ、尺蠖しゃくとりむし金亀子たまむし、羽蟻、蟷螂かままり、それ等の虫がそれぞれ枝と葉の宮殿のなかに休んでいる。つゆ虫(馬追ともいうが)ときりぎりすだけは忙しげにないているだけである。
 僕は或るときにきりぎりすを二疋同じい籠に入れておいたが、翌朝になると一疋は喰い殺されてしまっていた。喰い殺されたほうは腹を食いやぶられていたが、何度入れかえても同様に殺されていた。きりぎりすは同じ種族同士を共食いにするものであるらしい。大抵、腹のにくを食われている。葱、きゅうりを餌にしてやるが、葱のような烈しい匂いの植物をかじるくらいであるから、同種族共食いが平気であるらしい。きゅうりをやって見ると種子をかじって中の汁をうまそうにすすり、それをすすってしまうと次の種子をくいやぶり、汁をすすっている。その恰好が鼠のように前脚二本で種子を持って食べるのである。よく顔をみているときりぎりすのそんな食べものに取りついているときは、大抵、笑っているようである。殊にきりぎりすの眼が大きいからそう見えるのかも知れない。どこか馬の顔によくている。
 栗いろをしたのと緑いろをしたのと、二種類いるが、信州の碓氷山中では殆ど緑いろをした一種類しか住んでいない。七月終りころから九月の中ごろまでしか生きていないようである。九月中頃になると昼間は七十度くらいであるが、朝は六十二三度、夜は五十七八度に下るから生きていても鳴かなくなる。つまり寒さにいじけてしまうのである。十月になるともう碓氷の山中は初冬のような寒さに変るから昆虫類は生息できなくなる。霜が下りるからである。
 僕は大抵、きりぎりすを一疋ずつ籠に入れて飼うているが、東京に持って帰っても二三日しか生きていない。途中汽車でゆすられる関係もあるが、気候が暑いためであるかも知れぬ。信州の山中は夏でも涼しい七十七八度であるから、東京の暑さにはかなわないのであろう。それに夜露とか湿しめっぽい草とか空気などのちがいが気候に敏感なきりぎりすには生きている力を与えないのであろう。
 秋が深くよる寒さがつづくと、昼間はくさはらの上のほうに這い出して日光に長くとまり、しばらく余生をたのしんでいるように見える。長い脚が一本きりになったのや、羽根のさきが布目を出してボロボロになったのがいる。そのころは大抵さわり角(ひげ)は雑草にすりきられてしまい、短い淋しい糸の屑のようになっている。からだも痩せ落ち物音に敏感さが失われている。じっと日光のなかにこもっている姿は生葱をポリポリ齧っている鋸屋さんのおもかげがなくなっていた。よく草むらで捕えるときに指さきに噛みつくが、くつわ形の大きな複雑そうな切物で一ぱいになった口でパックリとやると、指さきに血がにじむくらいの傷をつけるのである。
 そういうお爺さんになったきりぎりすは、鳴いても二声か三声くらいで鳴きやんでしまう。羽根がボロになっているから音がよく出ないのだ。それからああいう羽根を震動させるにも力がいるので、そんな力がもうなくなっているのだ。夕方になると草むらの奥の方にかくれる。冷たい夜露や霜を避けるためである。草むらの底のほうは下葉が落ちつくしてがらんどうになり、宮殿の美しい緑の柱や廊下が崩れかかっている。此処の王さまだったきりぎりすは跛を曳いて、冠の珠や飾りは失せてしまい、かわぜみいろの鎧さえボロボロになっている。王さまは食べる元気さえない。王様はお得意の音楽さえもう打っちゃっておしまいになっていた。
 きりぎりすは秋に、土のなかに卵を生みつけるが、生長期の例のくさむらの宮殿にいるころは、却々はしこい上に神経過敏で、僕らの足音や、くさむらが不意に不自然にうごいたりすると、鳴きんでしまい、鳴き止むとすぐに枝を移って前の位置を変えてしまう。非常にびっくりしやすいところがあって、草の葉がざわつくと驚いて顔をうしろに引く。そしてぐっと敵の容子をうかがうと素早く次の枝に乗りうつり、葉のかげにかくれてしまう。鈍感なようで却々りこうだ。要心の深い奴は物音がすると、叮嚀にくさむらの奥まで走り込むほど臆病なのもいる。羽根は鳴くだけの役目で滅多めったにたってゆくことがない。
 籠の中に飼うと捕まえた翌晩あたりから鳴きはじめ、一週間もすると籠になれて暴れるようなことはない。温和おとなしく馴れて鳴いている。ただ、ひどく食いすぎをして胃をこわしやすくなる。消化不良のようなものを起し、尻のほうにおできのような糞をつけたままでいることがある。そんなときは餌をやらないように二日間くらい打っちゃっておくと、なおることがあるが、それは季節にもよるけれど、秋もおそくなると余命がないからなおらない。
 万葉集や芭蕉時代はきりぎりすとこおろぎの区別をつけずに一緒にうたっている。どこまでこおろぎの俳句であるか、きりぎりすであるか、よく判別しがたい、芭蕉など夜明けのきりぎりすをうたっているが、江戸や京洛にいた彼は昼間なくきりぎりすを夜なくように書くわけがないであろう。やはりこおろぎをうたったものかも知れない。

きりぎりすわすれ音に啼く火燵かな    芭蕉

 などの句はやはりこおろぎのことをうたったものらしい。火燵をするころにこおろぎは生きのこっていても、きりぎりすは生き残ることはないのである。

床に来て鼾に入るやきりぎりす      芭蕉
猪の床にも入るやきりぎりす       芭蕉

 どうも、これらはこおろぎの句であるらしい。ただ一句、本物のきりぎりすらしい句は、奥の細道の行脚の折、加賀の国でよんだなかに、

むざんやな甲の下のきりぎりす      芭蕉

 という一句がある。時は夏から秋にかけたころであるし、きりぎりすとかぶとといかにも調和されているのでもわかるのである。この句には前書がある。「加賀の小松といふところ、多田の神社の宝物として、実盛が菊から草のかぶと、同じく錦のきれ有り、遠き事ながらまのあたり憐れにおぼえて」と、断りがきがしてある。どうも本物のきりぎりすであるらしく、そのほうが俳句としても、がっちりしているからである。
 きりぎりすを飼う面白味は勿論、その鳴く声にあるけれど、それにも増して、美しい丈夫そうな形にある。ことに、長い脛がヴァイオリンの糸のように美しく出来上っている。僕はまるで部屋じゅうにきりぎりすを放していて、まるで野原にねているほどその逞しい声にききほれている。子供たちもまるで野原にねているようですね、と、感心して言っている。秋から初冬にかけてきりぎりすの声ほど美しく楽しいものはない。





底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
   1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第18刷発行
底本の親本:「室生犀星全集 第五巻」新潮社
   1965(昭和40)年8月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月9日作成
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