めたん子傳

室生犀星




 めたん子はしぜん町の片側に寄り切られ、皮紐とか棒切れとかで、肩先や手で小突かれ、惡い日は馬ふんを蹶とばして、ぶつかけられてゐた。めたん子は抵抗する氣が全然失せてゐて、對手をちよつと見返るだけで、その眼には何時も怒りは封じられてゐて、怒ることが出來ないのだ。皮膚は熟柿色で眼はやぶ睨みをしてゐるのが、友達仲間から厭がられ、憎まずにゐられないのである。これは人間に與へられてゐる皮膚の色ではない。
 めたん子はだから朝の登校時間も早目に出るのだが、性來のぐづのろで歩くのに手間がかかり、途中で友達仲間によく打つかつてゐた、一たん仲間につかまると早足で逃げることなぞ、氣合をうけて出來なくなり、一層遲足になつて仲間から充分に調戲からかはれいぢめられるのである。めたん子もそんないぢめられる厭な時間を、自分から待ち設けてゐるやうなのろくささで、肩を小突かれ背中から押し倒されようとしても、却つてお愛想笑ひをするくらゐである。一度でも、朝の内にいぢめられてゐた方がその日一日あんらくなやうな氣がし、泥でも藁繩でも打つかけられるままにされてゐる。めたん子はそれが當然自分の受ける折檻であつて、受けない日が友達仲間の手拔かりであり、馬鹿忘れしてゐるやうに思はれた。だからめたん子は町の片側を歩いてゆき、溝板があればその溝板づたひに行くのである。それだけでも、仲間を恐れることを仲間に知らせたい、こびであつた。
 めたん子の家は魚屋であるが、父親も母親も、いくぢがないから友達から虐められるのだと言つて、構ひつけない、上り口に居れば邪魔だといつて追つ拂はれるし、店に出てゐると、おめえが出てゐるとさかながあがつてしまふと言つて、表で遊べと父親は呶鳴どなつた。めたん子はしぜん公衆電話のハコのある、神社の石柵の裏側から、第二京濱國道のくるまの列を見てゐるより、見るものがなかつた。遊ぶ仲間は一人もゐないし、おとなでもめたん子の火傷したやうな顏色を見ただけで、再度と言葉をかけてくれないのである。めたん子は柔しい顏をして話してくれる人間をまるで知らない、また知らうとも思はない、にくまれ續けることがめたん子にとつて、致し方なく受けとるものに、馴れ切つてしまつてゐるのである。めたん子の兄は家業の手傳ひをしてゐるが、この兄もまためたん子の顏さへ見れば、呶鳴りちらすか、突き飛ばすかして對手にしない、そんな仕打ちにも、おやぢは兄をたしなめるといふ事はなく、見て見ぬふうをしてゐる。兄のたけしはそれほど仕入れには熱心であつて、大物よりも、雜魚ざこの刻み値が刻んだ利益のあることを知つてゐて、おやぢの代りに仕入れに行くくらゐであるから、氣に入つてゐるのである。おやぢはあいつさへ居なければ、くよくよ腐る氣も起きないんだがといひ、母親も精根も盡き果てたやうにあの子さへ居なければ、くらうのたねが無いんだがと呟く、めたん子はそんな毎日を一たい自分のどこが惡いのだらうと考へてみるが、そんな考へに適當な解き明しを得たことがない、何時も途中でわからなくなつてしまふ。それでも、めたん子は遊び仲間について行き、仲間はづれにされてゐても、何時も一人はなれて坐るか、棒立ちになつてゐるかしてゐて、たとへ、遊んで貰へなくともいてさへ居れば、尾いてゐるだけで事足りてゐた。友達仲間はめたん子を使にやるとか、棒搜しとかに使ふ以外は殆ど眼中に置いてゐない、あれほど酷く虐められても遊び仲間にはぐれるといふことは、めたん子にとつては虐められてゐるより増しな事なのである。
 金本といふ子は東京生司院といふ醫師の子であるが、吉田といふのは理髮店の子であり、木村は仕立屋の末の息子だつた。才記醫院の才記兄弟は双生兒、二人とも同じ服を着て、何でも同じ物を双生兒であるために、持たされてゐた。この仲間のうちで家が一等ゆたかで、金づかひの方は才記兄弟の受持であつた。春田といふ測量師の子に、觀音堂のある寺の子の參平をあはせた六七人連れは、それぞれの家庭にはる番に遊び順を持つてゐた。それはそこの家庭の父親のゐない時間を豫め知つて置いて、仲間に來て貰ふのである。才記兄弟の家には午後におやぢが往診の時間を見計らつて行くとすれば、參平の家は日がくれかけると寺の詣りが尠なくなるから、その時刻に本堂で遊ぶことになつてゐた。この順番はかなりに義務の履行を強ひるものであり、自分の番に當る時に家庭の都合が惡いと、その番の者は菓子とか果物をだまつて店につけにして貰つて、仲間にとどけて食ふことにしてゐた。
 併しめたん子は何處の家庭にも、はいることは出來ない、幾ら尾いて行つても、そこの家の前でめたん子は突つぱねられてゐた。毎度の事でなれてゐながらも、其處の家の前で二十分や三十分は待つてゐて、去るは心のこりがして往來を眺め入つて家のやうすをうかがふごときありさまを續けてゐた。その擧句あげくには二三人家から飛び出して來てめたん子を趁ひ立てる事は、毎度の事である。めたん子は突き飛ばされながら肩を落して、去つてしまふ、併し家に戻れば邪魔者扱ひにされるし、うつかりして居ればおとなまでが、汚ないつらしてやがるといふ言葉を叩きつけて行く、めたん子の遊ぶ時間はどれだけたつぷりあつても、何處も行き停まりであつて、戻つてもまた行き停まりまで行かねばならない、めたん子はこんな往つたり來たりを續けて、そこで一人の友達を見付けるどころか、年下の、ほんの赤ん坊のお化けのやうな者からも、避けられ罵られてゐた、だからしぜんに皆の戻る時刻まで皆のゐる家の近くをうろちよろしてゐるのだ、めたん子は友達仲間がどういふ遊びを、遊びやうのない退くつな時間に敢てその遊びを行ふかを知つてゐた。もと池だつた屋敷跡の空地では、すすきかもじ草がたくさん生え繁つて、友達仲間がどんな遊びをしてゐても、たとへ空地に這入つて行つてもすぐには見分けられない、雜草と地盤に深さがあつた。見張役をいひつけられためたん子は、薄の長い葉やかもじ草がさはる、うす痒くチリヂリと大腿の間ふかく刺される觸りを感じてゐた。かれは單なる見張役であつて、幾ら待つても自分の順番が※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて來ることがないのだ、長い葉がもつれ合ふ叢の間から、白いお臀が見え、暑い日ざしはむんむんする空地一帶に、何の物音もあらはすことがなかつた。めたん子は永い間そこで、前をおさへながら根氣好く仲間が草むらから出て來るのを待つた。町の中で人にいやがられながらぶら付くより、此處で友達の張番をしてゐる方が面白かつた。ふだんはすぐ居睡るくせを持つかれも、此處では叢がそれぞれ森のやうになつて散在してゐる、その森の仲間の遊びを見てゐる方が、らくであつた。居睡りどころではなくかれは表から、人夫とか通行人とかが不意に這入つてくる警戒もしなければならない、かれは見張りの忠實なこころに決めて、役をつとめてゐた。
 て友達仲間は遊びが濟んで起き上ると、一處に集まつてタバコを喫ひはじめた。かれらはいくらか青みを掻きまぜた顏つきだが、わづかな時間の時になにをしてゐたかといふことを、殆ど懸念してゐない、何もしてゐなかつた平氣さが皆が皆に行き亙つてゐた。驚くべきこの平氣さがかれらの時から、まなばれてゐたのだ、その樣なことがらがそれの敢行後にはすでに問題になつてゐないし、氣にもしてゐない、おとなの世界のそれと少しの渝りがないのである。やむをえない整理のために、かれらもうす痒い雜草のしとねに就いてゐたとしか思はれなかつた。めたん子は何時もこのことがらの後には、平常いぢめられてゐる仲間らに、言葉の荒さや行爲の粗暴をうまく融かしてくる、優柔さのあることを無理にも知るやうになり、ほつとした氣で仲間の喫ふタバコの煙を眺めてゐた。友達仲間はそんな時間には決して不意に毆るとか、蹴るといふ手荒なことはしなかつた。つづめて言へばそんな日の仲間は柔しかつた。とはいへ、めたん子の對手になり彼も愉しくさせることなぞ、絶對にありえない、めたん子は皆の顏色をながめて、軈て干河豚ひふぐの包みを持つて來たことに氣がつき、皆の前に差し出した。店の硝子箱に賣物としてあつた河豚の干物は、わかい齒の仲間に、じやりじやり噛みしめられた。烈しい鹽分と甘美い異樣な干物のにくは、いまし方まで不足してゐた仲間の肉體に、烈しく應えて、はなはだ甘美いものであつた。かれらはそれを纖維になるまで噛みしめた後、てんでに寢轉び、間もなく再びかれらが先刻ゐた叢に、それぞれに何の屈託遠慮もなく、お互に、うん、とか、行かうよとか言つてまた這入つて行つた。ただ、かれらは譯の判らない笑ひ聲を立てて、その笑ひ聲に人を馬鹿にしたやうなそれを、打放してゐた。自分らのすることを笑つてゐるのだ、そしてめたん子はまた往來を警戒しながら仲間がくさむらから出て來るのを待つた。めたん子の肉體も精神状態にも、新鮮の度合がきびきびしてゐて、少しも弛んでゐなかつた。かれは先刻眺めたとおなじ白いお臀をあさいみどりの、長い葉の間にながめた。友達にたいする親愛のきざしが平常些つとも感じてゐないのに、かれはその親愛がむねにゆくことを寧ろ當り前にかんじてゐた。かれらが再び草むらから出て、町に戻つて行くのだが、めたん子も機嫌よく後について行つた。
 坂下のアパートの前は空地で、空地に共同の犬舍があつた。そこのむく犬はめたん子と仲よしだつた。アパートは殆どが女ばかりの部屋借りで、女の人達はいひあはせたやうにふとつたのばかり、住んでゐた、も一つはこれらの女は悉く長身で、はでで、こぼれるやうなものを、一杯身につけてゐた、一杯身につけてゐたといふことは、すぐ眼に立つといふ言はばどこも色氣とか、なまなましいもので一杯だといふことであつた。めたん子は犬舍のそばに坐つて、午後のお湯がへりの女達が洗面器をかかえ、頬をつやつやさせて戻るすがたを、ほれぼれと見恍れてゐた。めたん子はその中でも赤い毛の女を好いてゐた。赤毛の女をめたん子は見た度數をかぞへて見たりした、かれは赤毛の女ばかりでなく、同じ女の顏を何度見たかといふ度數をかぞへることが好きで、數多く見たといふことはそれほど彼女達への親愛度をふやすものであつた。數多く見たことはそれほど彼女達を知つたことにもなるのだ、赤毛の女は夕方早くに出掛けるが、出掛けないでアパートの中にじつとしてゐる肩はばの廣い女は、お湯のほかは滅多に顏を見せない、肩はばの廣いといふことは、おほがらな女を意味してゐたが、めたん子はその肩ぐるまに乘ることをほしいままに考へ、かれの跨ぐのに肩は廣すぎるくらゐであつた。めたん子はアパートの入口の天井につかへるやうなその外の女をも好いてゐた。妙に女ばかりのアパートには、たいてい好きさうな顏ばかりが揃つてゐてどの女もめたん子が空地で彼女達を見てゐることを知つてゐない、こんなに、かげに隱れて見守られてゐては、女の顏がりはしないかといふめたん子の不安はあつた、店にさかなを買ひにくる女達のために、めたん子は出前にゆくことを望んでゐたが、兄はどういふものか自分で出掛けて行つてめたん子に手傳はせなかつた。女ばかりのアパートはその部屋の中まで這入つてゆけるし、調理臺の上に置いてかへる例になつてゐたが、兄はそこで女達から近所の使ひまでたのまれ、その用向きをしてやつてゐた。


 めたん子は晝の食事の時間に、双生兒の才記兄弟のべんとうから湯氣が立つてゐるのを見た。それは焚いてすぐに作られたべんとうであつて、寒い日にはいかにも温かさで、ほかほかしてゐた。辨當棚は廊下の外にあるから、授業中に才記の家の女中がそつと置いて行つたものらしく、教師から才記兄弟は注意されたことも度たびだつたが、其後も、やはり焚きがけのべんとうを食べてゐても、がつがつして皆が急いで食べてゐるので氣付かないのだ、めたん子はすぐ隣の席にゐるため、その温かい湯氣立つた景色が見られた。めたん子はそれを教師に告げ口をする程氣の利いた子ではない、ただ、かれはその温かい辨當の内容を通じて、才記の家が醫師でありかれの家庭とはくらべ物にならない富有なことを知つてゐた。才記の家に友達仲間が集まると、かならず菓子が盆の上に盛られて出て、皆はあつといふ間に食べてしまつた。果物が出ることもあつた。そしてそれを皆の前にはこんで來るのは、才記の姉のたまさんであつて才記と同じでぶちやんであつた。どんな弟達の無理難題でも聞き入れ、菓子のお代りもしてくれるし、麥湯の熱いのも沸かしてくれてゐた。才記は姉のたまさんにいふ言葉づかひは、何時も命令みたいなもので、叱り飛ばし蹶散らすやうなまねまでしてゐても、決してたまさんは怒るといふことがなかつた。めたん子が遊び仲間にまぎれ込むと、すぐ才記か、外の友達につまみ出されてしまふが、めたん子は裏口に皆の眼のつかない處に跼んで、邪魔にならないやうにしてゐた。だから姉のたまさんは、めたん子のために一人前分の菓子を持つて來てくれたが、決して皆のゐる座敷に上れとは、一度もいつたことがない、若し座敷に上げれば才記が怒るし、内々たまさんもめたん子を家の中に入れることが、きたならしいやうに思はれた。それはめたん子の邪推であらうが、實際はめたん子の着てゐる物は皆の物とはちがひ、垢と魚くさい臭ひがあつて着替へることがないから、異樣な顏かたちと相調和して、きたないものであつた。だからたまさんも彼を座敷に上げることは、好かないらしい、これはめたん子も習慣とはいへ、ちやんと知つてそれを守つてゐた。めたん子はあらゆる年上も、ずつと年上の女が好きなやうに、たまさんの粧いがアパートの女連のやうに、どこかに潰れたやうなところのないのを、ことに好いてゐた。めたん子は品の高さは知らないが、よその女に見られない變つたものを見てゐるし、言葉づかひもあまつたるく、からだ付もへなへなしてゐるが、へなへなのしかたが餘處の女とちがつてゐた。そのへなへなしたものは直ぐに、きちんと同じからだに纒められるものを持つてゐたからだ。
 めたん子はだからその温かい辨當を女中に持たせるのもたまさんであり、授業中に人の眼につかないやう棚の上にのせさせるのも、たまさんの指圖であると思つた。その原因はふたごであることと、ふたごの兄弟の間に行はれる情あひのふかさであることが、めたん子に判つてゐた。情あひといふ難かしい言葉はこの際へんであるが、かれはふたごだから可哀想におもふのだと思つた。よその家では出ない菓子や果物が出るのも、やはり友達からばかにされないためのたまさんの、心づかひだらうといふことであつた。心づかひなどといふ、しやれた言葉ではなく、やはり可哀想だと思ふためであらう。秋が來て雨の日があると、才記の家に集まつた友達仲間が例の遊びをする時に限つて、めたん子を呼び入れ、母屋おもやと離れの間の土間に立たせて、立番をさせることにしてゐた。かれらは離れにゐるのであるから、家人は滅多にやつて來ないことを知つてゐる。若しやつて來るとすれば姉のたまさんの外には、誰も來ない筈である。それもお八つ時の出物が濟んでしまへば、無人あんらくのさかひだつた。めたん子は命ぜられたまま土間に跼み込んで、誰かが來れば大聲で呶鳴るか、足音を聞いて即刻皆に知らせるのである。大概いままでに失敗しくじつたこともないのである。めたん子は異常にしづまり返つた離れの障子に、そそぐ雨あしを眺めて皆ががやがや話聲を立てる時間まで、例によつて辛ぼうづよく待つてゐた。そんな不倖な時間をかれは不倖とも悲しいとも感じてゐない。また時間の永さを覺えないのである。かれは毛の赤い女と天井に頭髮のつかへる女と、スカートをやたらにふくらがす脛長すねながさんと、例の肩の眞白い幅の廣い女とが、何十度その顏を見入つたかについて計算をはじめるか、それらの女達がどれもみな同樣に好きであつて、どの女が一等賞に値する女であるか、二等賞に値するかの判斷が、容易になし難かつた。苦心慘澹をしながらめたん子は誰に一等賞をあたへるかに、うつつを拔かして考へこんでゐるのだ。それらは所詮毛の赤い女に何時の間にかひかれてゆくのが、ふしぎな惹かれやうであつた。それの氣持をたづねて見るまでもなく、毛の赤い女はどこも一さい赤い毛を生やしてゐることにあつた。めたん子はそれを確かに見たからだ、だから頭の中で美人競べをして見て、一等賞をやらうと考へても、わきから、※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)ぎ取るやうに一等賞は何時も、赤い毛の女に當てられてゐた。かれ自身も情あひを感じて赤毛の女に、一等賞をさづけることになつてゐた。かれは頭に記して一等賞は赤毛さんとしるし、雨寒い鷄頭のくろずむ庭を見てゐたとき、突然母屋のわたり廊下を來るたまさんのすがたを眼にいれた。めたん子は離れへの通路に立ち竦んで、たまさんを通すまいとしたが、たまさんは寧ろ不思議さうにどうしてわたしの通るのを邪魔するのかと訊ねた。めたん子は懸命になつて只わけも言はずに、通すまいとするだけだつた。たまさんは變な子ね、どうして離れに行つちや惡いのと、めたん子を押し退けた。かれはたまさんの前の方に立ちふさいだ、何をするのよ、お離れに用事があるのよ通してとたまさんは慍つて、本氣になつてめたん子を突き退けて、離れの障子戸をいきなりさつと開けた。その時めたん子は突然譯の判らない聲をあげて、皆を呼びつづけた。だが、たまさんはその時少年達が、二人づつお金を勘定してゐるやうに寄り添つてゐるすがたを見うけた。寢ころんでお金を算へてゐるふうに見える遊びは、たまさんがはじめて見るものだつたが、たまさんがそれに眼をやると同時にみんなは起き上がり、てれかくしに、庭土間に出て見張役のめたん子に一撃をくらはすと、次々へと、役に立たないかれの横つ面を毆つた。めたん子はだまつて毆られてゐた。毆られるだけの失敗をかさねたからだ。
 たまさんは押入から必要な着類を取り出さうとし、やつと非常に迅い或る考へが少年連のしてゐたことの、譯の判らないものを次第に判るやうな時間に出會した。そしてたまさんは先刻この離れにはいる前とはちがつた顏色になり、取り出す着物が見定められないふうで、あれもこれも引き出したが、かんじんの搜す着物がしまひ方を違へてあつたやうに、まるで見當が判らなかつた。たまさんは焦つて掻き※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)し頬がもえて來た。そしてやつと離れを出たときに少年達はみんな熱さうな頬を、雨のしぶく土間でさましてゐるふうに見えた。たまさんは皆の顏を見ないで廊下を渡つて行き、かれらもたまさんの方に顏を向けなかつた。それから、十分も經たない間に、皆はそこに居たたまらなくなつて、才記の家から出て行つた。たまさんは急に皆の歸る姿を見るとむやみに腹立たしくなり、眞赤な頬をほてらせた弟が、皆の後から尾いて行かうとするのを呼びとめた。たまさんは二十二になり、兄弟とは七つも違ひ、呼びとめられると孝一は素早く外に出て行つた弟を、わざと大聲に呼んで見て、氣持を胡麻化ごまかさうとあせつた。もう一遍呼びとめ、直ぐ外に出ようとする弟をたまさんは確かりと片手で通せん坊をしたが、孝一はそれを突き退けようとし、たまさんは手を引いたために孝一は却つて出足を挫かれて突つ立つたままだつた。
「少しあんたにお話があるんだけれど、……」
「話なんかないよ、其處退いてよ。」
「あんたね、先刻何をしてゐた。」
「何もしてゐないよ、遊んでゐただけなんだよ。」
 姉のたまさんの顏はぶるぶるしてゐて、孝一はまだ、これほど烈しい顏の相のちがつた姉を見たことがなかつたので、そのことだけでも平常と異つた姉が感じられた。
「お父樣に言はないといふお約束をしてあげるから、それでも言はないの。」
「知らないよ。そんな事。」
「あんた、あれがお父樣に知れたらどんな事になるか判つてゐる?」
「…………」
「いへないわね。いへないことをしてゐたわね。」
 姉の熱い手が孝一の手の甲をつかんだ、どこにそんなちからがあるか判らないそれが振りはなさうともがいても、掴んではなさない大きな手であつた。燃えた姉の顏のいきれがふつふつと、いきれ立つてゐた。
「もう、しないわね。」
「…………」
「しないつて事をそれだけ言へば何でもないのよ。」
「何だか知らないけど、しないよ。」
「お約束したわね。」
 姉の手がはなされ、一生懸命に掴まれてゐたので、こんなに赤くなつたぢやないかと、孝一は手の甲をさすつて姉の顏を睨んだ。痛かつたらご免なさいと突然、孝一はふだんの聲音にかへつた姉の顏に、もうがくがくしてゐるものがなくなつてゐるので、唾をのみこんだ、このふだんの顏にもどつた姉に先刻からとはべつな眞面目さがあらはれそれが却つて孝一にはコワいやうな氣がして來た。
 たまさんの背後から兄が尾いて行き、たまさんは平常どほりの顏にかへつた。孝一は姉があんなに怒つてゐたが、姉があんな短時間に、何も彼も、見取つてしまつたのであらうかと、一人になると頬がかつとした。俊二が戻つて來ると、彼は姉の怒つてゐたことを話しながら、何もわかりはしないんだ、ただ怒つてゐるだけなんだと簡單にかたづけたので、孝一はいくらか氣が樂になつた。けれども孝一は姉が唇もとをわくわくさせてゐた事、いままで見たことのない手嚴しさで詰め寄つた事、手まで掴まれた事を話して、家であんな事をするのは皆にさう言つてこれからはやめようといつた。弟も、同じ口調でやめようといつた。自分達の祕密を見られたことでは、それを心の中に打棄つて置けないものが、はじめてこの兄弟を反省させた。女である姉にそれを見られたことに、恥とも極り惡さともいへないものが、人間への成長の途上でこの兄弟をひどくさとしてくるものがあつた。


 めたん子は愚鈍でのろのろしてゐるが、時と場合によると喫驚びつくりするくらゐ素早いことがあつた。滅多にそんな氣合を見せないが、たとへば町で行きあふ、やや遠くから見えてゐる場合は、すつと小路に外れてしまふ、近くでとても逃げられない時はのろのろしてゐるが、殊更にさうやつてゐるとしか思はれない、バカが一層バカに化ける術を心得てゐるとも思はれる。からたちの深い繁りの中の黄ろい實を採るために、皆は石を投げつけるが、からたちの細かい荊のある枝の間に石は停つて、黄ろい實は落すことが出來ない、めたん子は譯もないふうで枝のすくない隙間から、棒切れを※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しこんで根氣好く永い間かかつて突ついて落すのだが、そんな何でもない所作で美しいからたちの實を採ることを知つてゐるのだ。
 めたん子は家にゐる時でも、不意に何處にも、すがたを見せない時があつた。めたん子はそんな時は老人のやうに裏町をぶらつくのである。ただ、ぶらつくに過ぎない、そして急に戻つて來たかと思ふと、また、何處かに姿を匿してしまふのである。そんな時は大抵裏口から梯子はしごを架け、下屋をつたつて屋上に登つて、反對側の下屋にそつと下りるのである。めたん子はその晩も屋根づたひに、向うにある浴場の硝子窓の位置がやや低めに見える屋上に、腹這ひになつて見入つた。雨はあがつてゐたが瓦がすべり、かれが確かりつかんだ瓦の目繼が何枚も、はがれた、めたん子は柘榴ざくろの實を二つに割つた中にゐる變な頭の作用が、何時ものやうにぐらぐらして來るのを感じ、また足をすべらせた、さかな屋の屋上ではめたん子がどんな忍び足になつても、屋根はみしみし音を立てるので、そんなことに氣のつくめたん子は自分自身が恐くなつて下りて行つた。何時もかれはただ登つてみるだけで、例の恐ろしさのために下りてしまふのだ、こんなめたん子を兄も父も知らない、幾つも平衡してゐる眞黒な屋根が重なり合つてかれを脅かすのだ、脅かされるとちぢみ上がつて一どきに、みだれた頭をかけまはるものだけを、ちよつと見ただけでかれは何者かにすくはれながら、墜落しないで下りることが出來た、バカはバカ並に祕密をまもることに手固くできてゐて、誰にもこの事はしやべらなかつた。餘りに恐ろしいことはそのまま友達仲間にも、話さずに置くことであんしんがあつた。かれは屋上から何時かは墜落するのであらうといふ考へを、しばらくも頭からはなさなかつた。そのためにめたん子は殆ど登ると同時に下りるやうになり、登らうと考へると登ることでやつと落ち着いて、すぐ下りるやうにしてゐた。どんなに友達仲間からいぢめられても、この屋根にのぼる時ほどの怖さはない、かれが下りて茶の間にはいると父の造平は、めたん子の顏や胸や足もとを見入り、何處にいままで行つてゐたんだとけげんさうに言ひ、裏に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つたかと見れば裏口にもゐないぢやないかと、僅かな時間のあひだをどう使つてゐるかに、ふしぎがつた。併しめたん子はそれには答へずに店の間の、ね床にはいつてしまふのである。バカかと見れば本物のバカでもないし、と言つてりこうかと思へば何一つりこうにも見えない、いまゐるかと氣がついた時分にはもうゐなくなつてゐて、突然又どこからか現はれて來る變な奴だ、ああいふ子供は一たい大きくなると何になるのだらうと、造平はむやみにめたん子の生ひ立ちをあやぶんでゐた。のろくさいが消えるときにはすぐ消えてしまふ奴だと、造平は何處かに性根があるやうにも思へるかれを、充分に見とどけることが出來なかつた。めたん子は父造平よりも、兄のたけしを怖がつてゐた、かれとは三つ違ひで、めたん子とほぼ同じ通りみちを歩いてゐるからだ、たけしの机の抽出ひきだしにはたくさんの女の顏があつた。寫眞切拔きの類がその底の方に、何重となくつつんだ小袋の中にはいつてゐて、そこでも、聲とも騷がしさとも區別しがたいものが、紙といふものの間に浮沈してゐた。めたん子はそれをたけしのゐない時に、ひろげて見るのであるが、嘗てその事で疑はれたことはないが、何時も重ねた順序を間違へがちであるのに、たけしはそれには氣付かないふうだ、氣づかないとすればバカである。氣がついてゐるならもつと別な場所に匿すはずであらう、ただ、めたん子はこれも何時かは見付けられ、酷く引ぱたかれることがあらうと怖れてゐた。かれは自分のすることで發覺されない事件はなく、何時かは見付けられることを先きに考へるくせがあつた。何事につけても、匿し終へたことがないからだ。匿し終へることは餘程のりこう者でなければ、さうは出來ないとめたん子は考へてゐる。この何時かは發見されるといふ戰慄前のめたん子の恐怖は、すべて今までに當らなかつたことはなかつたのだ。その點でかれは彼自身に對する豫言者のごとき者であるかも知れぬ。
 めたん子は雨つづきの擧句に、多摩川に出水があると、かれは平然と濁流に飛びこんで下流まで泳いで行つて、あざやかに河岸にはい上がつてにやにや笑つたりしてゐた。他の少年達は水が濁つて泡立つと決して泳がないし、濁流を怖がつてゐた。めたん子は平常とは二三尺くらゐしか増水してゐないから、深さは殆ど背丈しかないことを知つてゐた、うはべは濁流滿々として威勢はよいが、實際は河岸ぞひに泳いでゆくことは、立つて水中を歩いてゆくやうなものであつた。かれはこの祕密を皆の前で喋つたことはなく、増水すると潔く濁流に飛び込んで皆をあツといはせるのである。そして彼は水勢の迅いこと、深いことを少年達の質問にまかせて、ただ、ふんふんと答へるだけである。めたん子は十人の友達仲間のバカ面をこの時ほど、小氣味好く見守る時はない、も一つ例をあげると、町はづれの瑞巖寺にもう三年程前から、人間の頭ほどある、赤蜂の土の巣が堂裏に下がつてゐて、一年ごとに外側から灰色の土が塗り込められ、何時も、毛の生えた大赤蜂が巣に出入りしたり、ぶら下がつたりして羽音のうなりが、ゴムの紙鳶絲たこいとのやうに鳴つてゐた。赤蜂のなかでもお尻に縞目のある濃い黄熱色をしたやつで、からだは毛ば立つて見るからに勇ましい蜂だつた。友達仲間はこの瑞巖寺の境内にはいると、先づ赤蜂を調戲はずにはゐられない、高さは十メートルくらゐある堂裏にかれらは石を投げ付け、怒りやすい蜂を怒らせるのである。最初の石の一つが巣甕すがめに當らうものなら、その瞬間から赤蜂は怒つて羽根をふるはせて、巣甕の上を取り卷く、怒ると羽根を鳴らすくせのある蜂は、巣甕のまはりから一疋づつ少年たちを眼がけて、叩き付けるやうに落下して行く、それは一文字型の馳驅であつて、決して曲りみちをしない、ぶむ、……と來ると誰かの頭にかーんと打つからざるをえない、だから少年達は首をちぢめる、赤蜂は勢ひ餘つて地上に墜落する奴もゐるし、鐘樓の石垣に打つかる奴もゐた。この烈しい體當りは絶え間なく繰り返され、たうてい除けることが出來なくなると仲間はそれぞれ逃げ場を見付けて、物かげに跼み込むのだ、だが何百疋ゐるか判らない赤蜂はふしぎに一度にはかかつて來ないで、二疋三疋四疋といふやうに速射砲のやうに、間斷なく體當りして來た、赤蜂もこの大赤蜂に螫されたらたいへんな疼きをあたへる、火の串のさきで突つかれる痛みを持つてゐるから少年達は棕梠しゆろの葉の柄の長いやつで叩き落さうとするのだが、蜂の方の數が優勢であるから勢ひ慌ててしまふ、慌てると叩きそこなつてしまふのだ、そこらに半死の蜂が白い砂地に怒つてふるい立つころ、少年達はちからが盡きて鐘樓裏にかくれるのだが、そんな時のめたん子は例のぼやつとした顏付で、巣甕から一直線に下りてくる蜂をじつと見詰めてゐて、長い三寸幅の板切れでかーんと狙ひ打ちにし、一疋づつ叩き落す、ちつとも慌てずにつツ立つてゐるので、蜂の方が頭とすれすれに馳つて來たり、肩先を越えたりして却つてされないのである。逃げると蜂は輪をえがく、輪がちぢめられてると眼先が危なくなり、うろたへて輪から外に出ようとすると、輪のくさりに引つかかつて螫されるのだ、落ち着いて輪をえがく奴を叩き落して逃げないと、追ひかけられたらきつと背中か首すぢを螫されるのである。めたん子逃げろよバカだなといはれても、めたん子はにやにやしながら、かーんと板切れに蜂を叩く音を立てた、蜂は怒つてゐるから栗の實のやうに硬いからだを鯱張しやちほこばらせてゐて、かーんと勇ましい音を立て叩き落された。そんな時のめたん子の顏はほかの少年達のやうに、決して昂奮してゐない、くそまじめな顏をしてゐて、やぶ睨みの眼は平常とおなじ眼やにがにじんでゐるし、變つた樣子も見えない。他の少年達が螫されてもめたん子は滅多に螫されないで、威勢宜く、かーん、かちりと叩き落す、かれは巣甕から下りてくる時にもうすでに狙ひを決めてゐて、自分の顏のすぐ前で叩き落すのだ、町でいぢめられてゐる意氣地なしのめたん子とは、別人の落着きと沈勇があつた。かれの足もとの白い砂地には、一撃のもとに叩き落されてやつと這へるくらゐの赤蜂が、傷手に苦しみながらうじやうじやしてゐた。めたん子は折を見て蜂の輪から拔けて、友達仲間が跼み込んでゐる方に、悠然と行くのである。そこにはめたん子のぐづのろの状態が少しもなく、機を見るに敏なる聰明者のこなしがあつた。めたん子の父の造平のいふやうに彼奴は眞からのバカなのか、世間が無理やりにバカにして了つたのか薩張さつぱり判らない、學校の成績は中位であつて復習といふものをしたことがなく、只、教室で一應耳にいれるだけなのだ、この點からいつて眞統のバカではないのであらう。
 だが、この年も迫つた寒い雨氣のある或晩、めたん子は例によつて屋根づたひに、反對側の下屋に下りようとした時足をすべらし、一枚の瓦を抱いたまま地べたに轉がり墜ちた、恰度、その眞下は漆喰地しつくひぢになつてゐたので普通よりも大きい頭を撲ち、父の造平が馳けつけた時はもう動かなくなつてゐた。只、ふしぎな屋根からの墜落は何のために屋上に登つてゐたかがやはり不可解だつた。兄のたけしも、めたん子が屋根に登つたことを初めて知つたくらゐで、原因はわからない、二日の後に小さい葬ひがあつて、才記の兄弟や金本なぞ、平常かれをいぢめてゐた友達仲間も神妙に參列したがこの仲間に問題になつてゐる墜落の死因は依然、判らなかつた。かれら友達仲間は、めたん子といふ奴は一人でゐる時は何をしても、大膽で勇氣があつたが、仲間の中にゐるとひしやけてゐるといひ、あいつはバカと、バカでないものとを半分づつ持ち合してゐたんだと、友達仲間は批評し合つた。とむらひは孔雀くじやくアパートの前を通つて行き、アパートの女達はこの小さい葬ひを偶然に見おくるやうになつてゐた。例の赤毛の女もゐたし、天井につかへるくらゐの背丈のある女もまじり、一人の少年が不幸にも、なんの理由もなく、また原因不明の墜落死をとげたことを、口々にうはさしながら見送つた。しかも、女達はこのめたん子という[#「という」はママ]赤ちやけた顏の少年を、皆が皆で町の何處かで見覺えがあつた。何時もいぢめられてゐたし、例に漏れず町の片側を人を避けて通つてゐたことを、知つてゐた。めたん子は一度でもあんしんをして町を歩いてゐたことは、ないのだらうといふ説もしぜん皆の噂にのぼつた、才記の姉のたまさんも自宅の前で、めたん子事、林菊松の靈柩車がいそぎ足で過ぎるのを見て、たまさんは頭を下げて哀悼の意をあらはした、生前にちつとも少年らしくもないひねた顏のめたん子は、そんなひねた顏をすこしも想像させないで、ふつうの顏立ちをした少年なみの感覺で、たまさんのむねにあはれを感じさせた、ことに、この日の好天氣はたまさんに幾らかのはればれした氣で、靈柩車を見送らせた、何だかめたん子が酷くけふはいそいそしてゐるやうな氣になつたのである。始終、虐められてばかりゐて、誰にも愛されたことのない彼がこんな死方をしたのは、ひどく憐れになる半分にはしやはせがあるとも思うた。友達仲間やアパートの女達は言ひあはせたやうに何故めたん子といふ名前がついてゐたかに就て、可笑しがつて原因をさぐらうとしたが、それは遂に一つの解き明しがつかなかつた。めたん子は遂に最後までめたん子であつたのである。





底本:「室生犀星全集 第十卷」新潮社
   1964(昭和39)年5月25日発行
底本の親本:「舌を噛み切った女」河出書房
   1956(昭和31)年2月5日
初出:「文學界 第9巻第10号」文藝春秋
   1955(昭和30)年10月号
入力:磯貝まこと
校正:きりんの手紙
2021年2月26日作成
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