神のない子

室生犀星




 ミツは雨戸に鍵をかけて出かけたが、その前に勘三も仕事に出かけた。
 あん子は晝まで表に出て、土橋の石に日の當る光の加減を見て、母親が食事の用意に歸つて來るすがたを、町端れから、町の方に眺めた。ミツは雨戸を開けあん子に飯を食べさせ、自分も食べ、やはり晝に戻る勘三にも食べさせた。
 三人の食事が終ると、あん子はまた表に出た。母親のミツは雨戸に鍵をかけあん子に眼もくれないで町の方に往つた。あん子が何時も閉め出されてゐるのは、家の物品ものしなを持ち出さない要心と、火の用心も兼ねてゐたのだ。
 あん子は家の周圍と、裏の低い山、瘠せた川のあひだで何時も一人で遊んだ。家の裏手とか腰板つづきの、人の氣づかない處で石をつみ重ね、板切れで家のやうな物を建てて夕方にはこはして去つた。あん子は八歳になり十歳になり十三歳になつた。
 九歳の時に裏山にれこまれた。
 あん子はその青年の言ひなりのことをしてやつただけで、亂暴はうけなかつた。青年は後も振りかへらずに山を下りて往つて、それを見送つたあん子はその翌日もその場所にゆき、其處の草の上に坐つて町の背後にあるキラキラする海の景色を眺めた。間もなく暖かい水に變らうとする海づらは、いつになく眩しすぎるやうであつた。青年があとをも見ずに往つたことが、そんなふうにするのが恥づかしいためだらうと思つた。その翌日も、翌々日も芒のでかい株のある窪地にいつてみたが、海は益々眩しく青年は何處にもぶらついてゐなかつた。
 好んで川をぢやぶぢやぶ渡ることの好きなあん子は、もう十四歳になつた。あん子が川を渡ると、水が白くちぢれ裂かれて、川底に達したかがやきが再び亦あん子の大腿部に飛びついて、さらに水の上に還つてくだけた。
 あん子が腰をおろす山の苔場では、みみずが苦しげに呼びつづけた。誰だ、重い、上から押すのは誰だ、と。あん子はこの非透明なみみずといふもののからだが、こはかつた。だからひ出してくると飛び退いて、乾いた石の上に腰をおろし直した。それほど、あん子の成長はみづみづしく大きかつた。あん子は何時も癖になつてゐるおもちやを投げ棄てた。みぢかい竹切れかぼうでなければ、美しい小包の紐だつたが、それを持たなくなり、もう十五歳になつた。
 大概の日の夕食後は若い母の肩をちから一杯叩くことで、揉みほぐす肩凝り療治があん子のしごとであつた。百姓家の野良の手傳ひはこの烏賊肌いかはだのミツの密集したあぶらを、カチカチに凝りあげてゐた。ミツは手ぬるいあん子の肩叩きに、少しでも早くぢかにほぐれるやうに、肌脱ぎになつてぴちやぴちや叩かせた。三十六歳の膨大な肌を一そう廣げるやうにして、ミツは、もつと強く力をいれて叩けとあん子を急き立てた。
 勘三は二梃の鎌に同じ二丁の木鋏に砥石を當てては、これが女房かといふ顏附で、ミツの肌脱ぎを客觀的に折々打ち眺めた。どれだけやつても女の肌は減ることがない、ふくれてかたまる一方だ、勘三はこの一つのことがふしぎでならなかつた。肌脱ぎはよせ、往來から見えると注意してみても、ミツは受けつけなかつた。あん子がくたくたになる時分、ミツはやつと肌を入れた。たつた六疊ひと間しかない部屋は、急にその間際からくらくなつたやうである。

 海はふくれるだけふくれると、その眞中が二つに割れて土用波が立つて來た。町の海水浴の人達は、出立の荷作りで砂濱に人氣がなかつた。あん子は夏ぢゆうは濱に出なかつたが人がゐなくなると、よく海ぎしに出た。着物をぬいで海につかつてみたが、下着一枚のあん子の裸は、裸のなかのまるはだかのやうなものであつた。荒い土用波が立つてゐるので警備員が自轉車でやつて來るのが見え、あん子は急いで海からあがつた。何だ、にやにやして此奴白痴バカか、と言ひ、それでも、二本の鰤くらゐある母親ゆづりの大腿部に、無理無態な情感を強ひる無邪氣さがあつた。
 砂濱に往き出すと毎日海に出る癖がついた。
 町の中はもう空つぽになつてゐたが、それでも、泳がないで砂もぐりする人達がゐて、生唾のやうな白い女の顏に男の顏が食つ付き、それが二つに割れた西瓜のやうにはなれては、ぴたつとまた食つ付いて見えた。あん子は急にからだが痒くなり、手でお臀を掻いた。ゆつくり眺められる程この人達は無遠慮であつた。
 船小屋に揚げた空らの船、船と船の間の通り路、船の中にも女と男が幾組もゐた。小暗くなる時分まであん子はそれを見て歩いた。どれも同じことをしてゐて、白地の洋服が揉んだ紙にしか見えない、あん子は或る處をえらんでしやがんで砂を握つてゐたが、握つても乾いた砂は指の間から零れた。時々、膨れた波が髮のやうにうるさく近づいて見えた。
 幾日もぶらついてゐる間に、あん子は船の中に或る日たうとう連れこまれた。その男は優しい手をしてゐた。それほど相手の手ばかりが暗い中で眼立つた。あん子は殆ど物を言はない、男はあん子に顏をまつすぐにしろと言ひ、顏をあげたあん子はずつと俯向いて船繩を指先でほぐしてゐたが、男は邪魔になる船繩を取り上げて砂の上に抛げ捨てた。母親の肩を叩く時間が繩のおもちやを取りあげられた時から、氣になり出して來た。
 男は丸呑みの言葉づかひで大膽に言つた。そいつを脱ぎたまへと、あん子は立つてそれを脱がうとすると、男は立つてはだめだ、坐つたままで脱げ、立つと人に見られるときつく言つた。あん子は言はれるままに坐つてそれを脱いだ。腹は減つてゐないかと男は折箱の包をとかうとしたが、あん子は空いてゐないと答へた。腹は先刻から烈しい勢ひで空いてゐたが、船の中に連れこまれてからきふに、むねまで一杯に固い物がつまつて來て、その固い物で腹はまるで空いてゐるのが停つて了つた。
 男はお前の名前は何といふのだと聽いた。彼女は答へた。
「あん子。」
「明日の晩また此の船を尋ねて來い。」
「晩は出られない。夕方なら來られる。」
「ぢや、いま時分來い。きつと、來るか。」
 あん子は肯づいてみせた。
 男はうしろも見ずに去つた。
 あん子は拾つた貝の袋を提げ、灯のついた町に入つたが、何時もとは違つて町の樣子が變つて見えた。家にはいるとミツはあん子の眼を見て、鳥渡ちよつと驚いたふうに言つた。あん子は遊んで歸つてくると眼をきらきらさせてゐるが、東京の人達の派手な樣子を見るから、そこから、掻き立てられてゐるのかな、と言ひ、父親の勘三はあん子の時分は眼でいろいろな物を見るから、きらつくんだ。お前だつて夏の間、町が海水浴の人達であふれてゐる頃の眼つきは、歸つてくると何時もとはちがふ、はついて黒瞳くろめがふくれてゐる、冬の間は死んでゐるやうに動かないと言つた。
 ミツは負けずにからかつた。あんただつてばかづらで、町かどでぽかんとして裸の足ばかり見てゐてさ、喉の乾いたからすのやうにがつがつしてゐるやないか。日雇風情がそんな別嬪を見てゐたつて何になる、人ごみの中にまぎれ込んだ別嬪を搜さうとあせつても、いきり立つのは眼ばかりだ。あたしがゐるのに、何が不足なんだとむねを叩いてみせた。むねは、あばらが何處にあるのか判らない厚い張りがあつた。
 ミツはまた續けた。冬になるとあたしに近寄らないくせに、町が盛り出すそれに煽られて來るぢやないか。勘三はたくさん白い物を持つた奴には、かなはんと戲談を吹つ飛ばしたが、その白い物がすでにあん子にも過剩される程、持つてゐるのに自分の言葉から思ひついた。
 あん子は小指くらゐある貝殼を丁寧にならべて、うつとりとして一人で遊んでゐた。貝殼は人の眼と鼻と口とを型取り、大きい顏のりんくわくを描いてゐるふうであつた。そこにあん子は自分の顏を近々と寄せていつたが、お下げの髮が頬をすべつて粗末な疊のうへに垂れ、顏は貝殼とすれすれになり、勘三はそれをミツに見せまいと、坐り直して背中であん子を蔽ふ姿勢を取つた。
 ミツは、どうしたのよ、と、突然に何時もと違ふ勘三を眼敏めざとく見つけた。
「石のやうになつて夕刊讀んでゐてさ、何が出てゐるの。」
 勘三は夕刊を手から離した。ちよつとしたことでも六疊の間にひびきわたる音があるものだが、新聞紙のたたまれる音があたりの單調さを引き裂いて、この夜のしめくくりをこの音がつけてくれた。
「あん子、もう、寢なよ。」
 あん子の手は一擧にさらはずに、順々に眉から眼へといふふうに貝殼を顏の列から外していつた。袋に落ちこむ貝殼の乾いた音がつづいて、勘三は背中がらくになつた。お前は病氣持ちだから砂濱に出ない方がよい、日ぐれから夜はあそこはまだ夏の盛り場の人達がのこつてゐるんだから、惡い奴がゐてもおとつさんは見つけることが出來ないからと、勘三は壁際に寢床をしいてやつた。
 あんたたら今日はばかにあん子をいたはつてゐるぢやないかと、ミツは笑つて何時になく寢床までしいた勘三を、そんな氣にもたまになるもんかねと言ひ、それにしても躰ばかり大きく女になつて來て、あの子はどうしたらよいのかと言つた。
「どうもかうもないさ、この儘で居させるより外はない。」
 あん子は床にはいると、すぐ寢ついた。冬の間は海鳴りが聽えるが、夏は南風で潮騷は聽えなかつた。

 今年の夏の終りの音樂會が、公民館に催されるビラが辻々や電柱に貼られた。先刻からビラに刷りこんだ明智敏郎の顏をずつと永い間見つめてゐたあん子は、ビラの前から離れるとまた引き返して、明智の顏を熱心にながめた。一晩きりの歌うたひは東京でも流行つてゐる男で、この土地の出身であるために特別出演といふことらしい。あん子はこの男の顏を誰よりも強くおぼえてゐた。裏山の芒の生えたところに連れこんだ男なのだ。あん子は九歳、この青年は裏山に連れこんで見たものの、すぐ相手がバカであることが判つたのか、それともバカを知つて連れこんだのか判らないが、ついて來いといふと素直について來たことで、バカの正體がわかつたのか、草場に着くと却つて青年は自分のしたことに甚だしく戸惑ひしてゐるらしかつた。
 それでも、青年はあん子を背後から抱いて、それだけで元の位置にかへして言つた。一人で山を下りられるか、あそこから眞直ぐの一本道だといつたから、あん子は顎をしやくつて見せて判つた意味を現はした。青年はうしろも見ずに山を下りて町の方に行つたが、何處の誰だかといふことは今までわからなかつたが、ビラに刷られた寫眞の顏がそれだといふことが判つた。そんなにえらい人になつてゐたとは、まるで知らなかつた。あん子は確かに人違ひでない自信があつた。
 あん子は砂濱の船小屋に約束どほりの、少し早めの夕方にすがたを現はした。男は先※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りしてゐて光つた靴をはいてゐた。よく來たとも言はず又微笑む顏もしなかつた。言語道斷な仕打ちで男はあん子を船の中に坐らせた。あん子はすぐ歸らうとする男に急きこんで訊いた、叱られるとか毆られるとかいふ懸念は少しも持たなかつた。
「公民館のうたを聽きに行くなら、連れてつて。」
「あ、明智が出るあれか。」
「聽きたいわ。」
「明智はこの土地の出身だが、きみは奴を知つてゐるのか。」
 あん子は髮と一しよに慌てて頭を振つて見せた。
「知らない。」
「きみなんか知つてゐる譯がないんだが、奴は碌にうたひもしないのに有名になつたものだ。」
「連れていつて。」
「ばか言ふな、きみなんかと歩いただけで人の笑ひ物になる。」
「だつて、そんな、……」
「何がだつてだ、うすのろと歩けるかといふんだ。」
 あん子は明智の話をしたのが惡いのだと、自分に咎めを感じた。
「ぢや明日また來るわ、いま時分。」
「明日はだめだ。」
「でも、あたえ一人で來るわ、明後日はどうでせう。」
「明後日もだめだ、もうこんなことは止さうぢやないか。」
 男は船から飛び下りると、薄情な肩先きを尖がらして砂道を旅館街の方に向いて行つた。
 あん子も男のしたやうに船から飛び下りたが、道は別な方向を取つた。悲しみも何もない空つぽの頭は、きふに渚の方に取つて返して貝をひらひはじめた。貝殼がてのひらに握りしめられる數多いほどの、嬉しさはなかつた。ふたのあかない唖といはれる貝は、死んでもふたを固くしめてゐて、中の樣子を見せなかつた。見せないといふところにこの貝の意地強さがあるのだ。あん子は爪でこじ開けてみたが、中は細かいにも、もつと細かい眞砂子が半分ほど詰つてゐて、あとには何もなかつた。

 家ではミツがもろこしを燒いてゐて、それにあぶらをぬつてはりまや一家の夕食であつた。勘三はその一本を神だなに供へ、三個百十五圓の罐詰をミツはぎいぎい切り放つた。
 夕食はすぐ終り、勘三は夕刊を讀み、ミツは仕事着に針を加へてゐたが、あん子は突然、機嫌好ささうな母親に訊いた。
「公民館に行つていい。」
「何しにさ、お前なんかの行く所ぢやない、……」
 勘三は人つてものは判らないものだ、あんなふらふら息子が一ぱしの歌手だなんてことになると、うつかりしてゐられないと若い者がいふのも當り前だ。併しあん子はあんな歌なんか聽きに行くのはどうかと思ふな、な、あん子、そんなに聽きにゆきたいのか、それに入場料も要るんだらうと、勘三は強く引き止めるふうもなかつた。
「お金ならあるもの。」
 ミツはふいに言つた。
「だつてお前が公民館に出かけるなんて、可笑しいぢやないか、ただの少女こどもと違つているし皆變な顏をして見るよ。」
「どうしても行くわ。」
「あの人のうたならラジオだつて聽けるのに、お前が大勢の人の中にはいつて行くのは考へものだ。」
 あん子はあの時の青年の樣子には、こんどの若い男のむごい仕打ちと違つた温和しさがあつたことが、いくらバカでも判つた。それがえらい人になつたといふことで、あん子が山に連れこまれたことが今になると嬉しかつた。それだけあん子に値打ねうちがあつたのだ。さうでなかつたらいて來いなぞと言はないだらう。
 あん子は寢床にはいると、すぐ寢つくことが出來た。あはれな顏を横にして其處だけ暗いひとに、明りを咲かしてゐるやうだ。

 公民館の隅の床几に、あん子はけふはことさらに人眼に立たないやうに坐り、手のひらが熱くなる程からだが引き緊つて來た。明智敏郎の出番になるとあん子は俯向いて、恥づかしくて顏が擧げられなかつた。顏を見られる心配もあつたのだ。明智敏郎の眼があん子ばかりを見てゐる、避けやうもない狹い館内の人達が皆あん子に注視してゐるやうで、困り切つて一そ出ようかと惑ふたが、ためしに、そおつと眼をあげて明智や聽衆を見直した時には、誰もあん子なぞに眼を留めてゐる人のゐないことに氣づいた。明智敏郎の眼もあん子には一瞥もくれないで、入口の天井を見てうたつてゐた。うたの意味はよく判らないが聲は低くなると美しい。こんなにえらい人があん子をちよつとだけではあるが、抱いてくれたことがあつたといふことだけで、あん子は俯向いて眼をくしやくしやさせたのであつた。こんなに澤山の人達から驚く程の拍手で終つた明智敏郎の出演を最後に、今夜の音樂會が終つたことをあん子はやつと知つたくらゐ、茫然自失の續いた時間を送つた。
 皆が出た後、あん子はあとの人波の尻尾につながつて出たが、自然に公民館の裏横手にある事務室の石段の前に立つた。出演歌手は明るい事務室で立つたり坐つたりしてビールを飮んでゐて、其處だけがえらい人達の集まる所で電燈の光までが威張つて見え、あん子は恐ろしい氣がした。公民館の出入口が此處一箇所しかないことを、遊びに行つてよく知つてゐた。此處に居れば明智敏郎が出て來ることが判るし、ちよつとくらゐ逢へるといふ思ひであつた。
 横手の空地にはもはや人はゐない。あん子はコンクリの石段に腰をおろし、蟲の聲と鹽ぱい海寄りの風を頬に受けて坐つた。そのうち、四五人連れの樂士達が樂器を抱へて石段を下りて來て、あん子のすがたを一樣に見咎めてそのままで去つた。石段にゐると邪魔になるので立つて白ペンキの圖書室の外側に立つたが、ふいに見上げると事務室には小使が一人居殘つて、後片付をしてゐるらしく茶碗のふれ合ふ鋭い音が立つてゐたが、間もなく電燈が無慈悲に一燈ものこさずに消された。
 あん子は先刻の四五人連れの中に、明智敏郎が交つてゐたことを初めて知つた。あん子は表通りまで一呼吸いきに走つて出て、町すぢを眼ではしつてみたものの、砂地の白く續いた果には、おほかたの店もしまひかけ、人通りは吹き消したやうに絶えてゐた。それでも、町の中程にある郵便局の前まで走りつづけてみたが、旅館は何處なのか、實家の質屋に滯在してゐるのかも判らず、あん子はただ白つぽい上に白つぽい砂地をふはふはと雲の上を歩くやうな氣で、手を垂れてとぼとぼと戻つて往つた。悲しみとか失敗しくじつたとかいふ區別のない一種の空腹時のやうな手頼りのない感慨が、そこら一杯にひろがつて來ても、それを選りあらためることの出來ない頭腦には、どう言ひやうのない茫漠さがあつただけだつた。
 町端れで突然に聲をかけられた時に、母親のミツの顏が暗い中で鬼のやうに憤つて眼の前にあつた。いきなり手をぐいと掴まれ手元に引き寄せられると、急にあたり構はずに叫んだ。いままで何處をうろついてゐるんだ、少女こどもの癖に夜遊びなぞしてくさつてと、ミツは咬みつくやうに呶鳴つた。あん子は斯樣な母親のすさまじい激怒に出會つたことは今までになかつた。その上、ミツは握りしめた手を一層手勁くしびれる程、揉みつけて置いて突然衝つ放した。往く所があつたら何處にでも失せろと言ひ、先きに立つて足早に歩いていつたが、あん子は、わあ、と聲を擧げてき出してミツのあとに尾いていつた。寢ついた田舍の町に異樣な二たすぢの黒雲が、煮えるやうに人間の形をつつんで、黒い炎をあげてゐるやうだ。
 ミツは振り向いて叫んだ。
「お前に若しものことがあつたら、わたし達がどのつら下げて世間を通れると思ふんだ。」

 翌日からあん子は家の中にゐるやう命じられ、雨戸は外から締められた。六疊の裏手は勝手で直ぐ戸は開いたが、明るい日光の外部の光景は判つてゐても、一歩も出なかつた。表の雨戸の節穴から見た道路には、今日はことさらに人通りが途絶えて、隣のコロッケ屋ではぢゆうぢゆうコロッケを揚げはじめたので、間もなく晝近くなつた時間を知つた。
 節穴から直角の裏町の通りがずつと見渡され、母親のミツが手拭で髮をおさへ急ぎ足で來るすがたが見えた。その背後から古帽子を横つちよに冠つた勘三が、母親とはちがつた重い足どりで、母親に氣づかないふうに歩いて來た。二人は話もせず一緒に連れ立つて歩かうともしないで、他人のよそよそしさで歩き、誰方どちらも振り返ることはしなかつた。親達が喧嘩をしたのではないかとも思つたが、そんなぶりぶりした樣子もなかつた。ただ、道路で一緒になつて歸つて來たに過ぎないやうに見られたが、喧嘩なぞしてくれないでほしいと思つた。
 あん子は勝手に用意した新聞紙を食卓から取り除き、いそいで飯をお茶碗によそつてそこにきちんと坐つた。その新聞に明智敏郎の寫眞が掲載されてゐたので、慌てて新聞紙は急いで押入に入れた。あとで切り拔くことに思ひつくと、その寫眞にどうして今まで氣づかなかつたらうと、切り拔くたのしさが午後には日の當つて雨戸まで暖まる嬉しさで、食事も早く濟ました。
 親達は碌にお互の話もしないで食事が終ると、土間かまちに腰を下ろして地下足袋をはいて出かけた。こんどは勘三が先きに立ち、ミツは後からついて行つた。やはり物を言はない、何も話をするのにたねも最早なくなつてゐるのだらう、あん子はしぜんに親達の肩先を眺めた。一人は怒つてんがつた骨立つた肩を見せ、一人はまんまるくつていさうな肩を動かしてゐた。あん子はまた足元をみたが乾いた砂地から砂ほこりが立ち、勘三はリウマチの氣があつたので自然引摺るやうに歩いてゐた。これがあん子にとつて兩親であるといふふかい考へにはとどかないで、どの往來の人達よりも親しいといふ漠然たる考へを持つただけであつた。かれらは四辻で別々になり、あん子は節穴から眼を外した。
 あん子は明智の寫眞の出ている新聞紙を勝手の硝子戸の明りで丁寧に切り拔き、その裁ち口をもう一度鋏で切り直して、少時、明智敏郎の顏をながめた。どういふ人よりも澤山に話をしかけるやうな顏立ちであり、いかなる人間よりもあん子にはたいせつな人間であつた。よその人に話しかけても判らぬことが、明智の前にあん子が顏さへ見せれば直ぐにも判明することがあるやうな氣がした。
 あん子は半紙で寫眞を包み、それを状袋にしまひ込んで嚴かに封を施した。かうして置けばすぐにも開封されることのない安心感が、彼女を大きく喜ばした。
 あん子は押入の隅の方に入れてみたが、思ひ直して、釣り棚の新聞紙の下敷につき込んでみても、新聞は折々の包紙に用ひるので危ないと思ひ、さらに疊を起して床に入れようとしたが、母親が平常此處にお金を匿してゐるので見付かる心配があつた。あん子は狹い六疊の隅から隅を見くらべて見ても、何處にも母の眼のとどかない處はなかつた。天井も床下にも、やはり物がはいつてゐて、不意に天井からミツが行李をおろすことがあつたりして、この家には一時的にしても物を匿すやうな處はない。母親の眼と手が同時に動く場所ばかりであつた。
 あん子は自分の襯衣やパンティのはいつてゐる風呂敷包を最後に取り出し、それを廣げてその汚れ物の中に寫眞ををさめた。パンティやスカートがあつても、みな清拭されてゐる物ばかりであつたから、あん子の心はやすらかであつた。いくら母親でも、この風呂敷の中は展げて見ることはない。
 例の貝殼の袋に、色のある紙類、美しい紐類に菓子の空ら箱、古いが表紙が大事な二三册の雜誌がはいつてゐて、思ひ直してその雜誌の中に状袋をはさみ込んで、それを表紙の上からそつとおさへて、彼女ははじめてこれで安心といふふうに倖せ好く微笑んだ。うすぐらい六疊の間にこれほどの濃い微笑みは、あん子自身でもいままでに覺えたことのない、咲きほこつた微笑みだつた。その風呂敷包を押入の深い隅の場所に匿してから、彼女はぺたつと部屋の眞ン中に坐り、はだかの膝を誰かに見られでもしたやうにスカートを伸ばして、これを隱した。秋づいた日は間もなく暮れはじめたが、それまでの時間の永さなぞ、少しも感じない頭のこみ入つた時間ばかりであつた。節穴、板と板の隙間、雨戸の建てつけにある食ひちがひの大きなき間に、殘りの明りが部屋の中を刺し違へて、あん子はそれらの殘光の數を算へて見たが、亂雜な光芒はその數の上ではたうてい算へ切れなかつた。

 翌年一月、播摩あん子は十五歳、そして變だと思ひ、まさかといふ懸念を裏切つて遂に懷姙してゐることがミツによつて發見された。勿論あん子はそれが何の事だか判らなかつたが、母親は詳細にあん子を調べあげて夏の終りに船の中であつたことを、彼女はやつとのことでミツに白状した。ミツは口汚なく罵ることをしないで氣味惡く默つてゐるばかりで、どう處置してよいか判らないふうであつた。これを育てあげるといふことも出來ないし、既にさうはの時期を失してゐる關係から入院といふことも出來なかつた。勘三にもミツにも親戚といふほどの近親者もゐない、と言つてこの六疊の間で出産させることは近隣の手前もあつて、そこまで思ひ切ることは出來なかつた。一つの方法も手立もない、そのうちにも神にも人にも見放されたこのバカ者の腹はふくれにふくれ、殆どが寢床にもぐつてゐる日ばかりであつた。
 母親のミツは或る日ふいに言つた。わたしなら海にどぶりんこして、死んじまふがなあ、こいつには、さういふ智惠もない、……
 父親勘三は來るところまで來てゐて、それをどう處分することも出來ない果の果まで來たといふやうな顏附をして言つた。家で産まさう、こうなれや世間なんぞ構つてゐられるか、恥づかしいとか體面がどうかう言つてゐられる場合ではない、家で産ませるより外にやりやうがないのだ、あん子に死ぬことを教へるな、海や阿部川に飛びこむことを戲談にも言ふな、奴に死ねとでも一言でも言つて見ろ、そん時あお前の首を締めるやうな騷ぎをおれは起しかねない、氣をつけてくれ、おれをこれ以上に氣狂ひにしてくれるな、奴をいぢめるな、女であるお前にそれが判つてゐる筈だ、な、ミツ、家でこつそり産まさう、腹から出たらまたその時に別の考へもあるといふもんだ、出來たことを後戻りしたつてどうなるもんか、この六疊の間で表は閉めつ切りで産まさう、今日から近所の奴とも口を利かないで遠退いてゐるんだ、家に他人は一さい入れるな、それが何より家の中の事が世間に洩れないことになる、おれとお前とで一生懸命になればどんな匿し事でも匿し切れるのだ、おれ達は惡い企らみをしてゐるんではないぞ、赤ん坊一匹の産まれてくるのをたすけるのだ、おれ達も誰かにたすけられて來てゐて、その分を今たすけ返すのだ、たすけたりたすけ返すのもこの家の中にそれがあるのだ。
 ミツは默つて折々勘三の眼を見て、その眼が怒らず弱り切つて底の方で、りんとして反つてゐるのを感じた。
 この人は薄情者ではない、わたしが匿してゐると同じ心の向きを持つてゐる。ミツはあん子と赤ん坊をたすけたかつた。それをすぐ口にする弱さを勘三に見せたくないために、勘三の心をさぐつて今まで默つてゐたのだ。
 ミツはなみだの溢れる眼で、勘三を見返した。感謝とでもいふ奴のしわざか、穩やかな顏で言つた。
「あんたに首を締められるバカな眞似はしないわ。どうせ、あん子はわたしの分身かたわれだもん、わたしの子供の氣になつて育てたつていいわよ。」
「わかつてくれたな。」
「あんたが度々どどのつまりに、どう出なさるかを待つてゐたのよ。」
「二人であんなバカ娘をこさへたんだから、重荷もこちらに持たなければならないんだ。」
「あ、これで安心した。ここまで切り出すのに骨が折れたわ、毎日、今日言はうか明日言はうかと思つてさ。」
 あん子は毎日ミツが仕事に出た後、押入の中に頸を突つ込んで風呂敷包を取り出さうとしながら、急に頸をもとの押入の外側に立ち直らせ、あわてて唐紙の戸を閉めた。明智敏郎の寫眞を見たいばかりに、同じ事を繰り返しながらも、包を疊の上に取り出すことが怖つたのだ。あん子は風呂敷包を開けることと明智の寫眞を見ることが自分の腹の子どもに關係があるとは思はないが、この押入の前に立つときに俄かにあん子の頭に、こんどの騷動がいつもあたらしく崩れ落ちて來るのだ。
 自分の腹の子はあん子の知つたことではなかつた。併しあん子は父親勘三とミツとが毎日黒焦げになる程、言ひ諍つてゐる騷動のまん中で、明智の寫眞をなほ一眼見ようとするあん子自身が、あまりに大膽な惡人のやうに思へたからである。
 あん子はもはや自分をよい人間だとは思つてゐない。屑の屑の女。バカの大バカ女、……
 あん子はそれでも毎日晝飯にかへる親達のお菜づくりを暗い勝手でこさへた。おなじ人蔘におなじ煮干とおなじお薯であつた。あん子は皮を剥いて出來るだけ丁寧に煮上げ、出來るだけ皿の上に行儀好く列べるやうに何度も人蔘のからだを動かし、その顏のやうなところを前向きにし、お菜はきちんと皿の向うに畠のすがたで、つくつてやつてゐた。
 煮干は見樣見眞似でしたぢに漬け、さかなといふ物のつかへない晝食には、なくてはならない優れた一皿であつた。あん子はこんな支度の間にも押入の方に眼をやつて、あの包をひろげて見入るといふことは、いよいよあん子は惡い女の上に、さらに惡い女をいま一人だけつみ重ねるやうで、押入をあけてはならぬといふ反省を持つのである。惡い上に惡くなるといふことはどういふことか判らないが、例の騷動がもう一つやつて來るといふ氣がするのである。薄暗い閉めこまれた部屋にあん子の顏は削り立ての板切れの、黄味きみを刻々にふくらがしてゐるやうで、何時までもそのまま夕方までぽかんとしてゐるのである。





底本:「はるあはれ」中央公論社
   1962(昭和37)年2月15日発行
初出:「文藝春秋」文藝春秋新社
   1961(昭和36)年10月1日
入力:磯貝まこと
校正:岡村和彦
2021年2月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード