星より來れる者

室生犀星




「星より來れる者」序


 このごろ詩はぽつりぽつりとしかできない。一時のやうに、さうたやすく書けなくなつたかはり、書くときはすらりと出てくる。それが詩の本統かもしれない。詩を書き出して十年になるが、やはり古くかいたことを時時かき換へてゐるにすぎない氣がする。併し一方からいへば、一つのものをかいても、本統に別な氣持でかいてゐることを考へると、形式でなく、輪廓でもない、心核から、しつかりと自分をかいてゐる氣もする。
 さういふわけで、私は特に作らうとするより、考へようとするより、れいの、すらりと書いてゐる。それすら極めて稀にしかできないのだから、私として珍らしい詩集かもしれない。詩などといふものは、甚だしく轉換かはるものでなく、一とところに目ざめてゐる心は、やはり、むかしのやうに一とところに寂然として沈んでゐるわけのものである。それゆゑ、變化かはつたとか變化らないとかいふことは、眞實そのものでなく、たんに形式や輪廓、もしくは詩行の配列などから言はれることが多いのである。

 リズムの問題なども、文字の上では、絶對にありえない。内容の優柔な波動や、その詩の心の状態などに、眞のリズムがある。形式や文字のつらなりにはない。すくなくとも第一流の詩には、リズム論者などの通常的色盲にはふれることのできない、いいところがある。ぼんやりした美しい肉顏に向つてゐて、それがどうといふこともなく、ただ、じんわりとうつくしく感じるところの、その美がある。決して言ひあらはせない、目や口ではなく、また皮膚でもない、統べられた或るふしぎな美しさがある。詩もやはりさういふところにいいところがあるに違ひない。それは總て部分からいへば皮膚の纎細でもあり目の圓滑でも肉置きのゆたかな點も、部分的に指摘することはできるであらうが、それを狩りあつめた、何ともいへない、ぼんやりとした美は、それ全體の上にある筈だ。私の詩も、いくらかさういふ表情のなかから沁み出たやうな子供らしい觀念をいまだに持つてゐるのである。しかし、さういふいいものが私の詩のなかにあるかないかが甚だ疑はしいが、私としてはやはりういふ傾向に氣が向いてゐることを一言述べておきたいのである。
大正十一年一月二十一日田端にて
室生犀星
[#改段]



我庭の景




藁のなかから
朱い花が撥き出てゐる
藁は乾いてきいろく柔らかい
そして温かい

花と葉と蕾とが
冬の日に向いてゐる
土は凍えてゐる
撥きでた花はかつと朱い
樂しい色をしてゐる

天の一方


おまへはうつくしい手をもつてゐる
しなやかでゑくぼが浮いてゐる

おまへはそのうつくしい手で
おまへの白い膝や肌をみがく

おまへは飽くこともしらずに
誰の手にもふれずに湯あみをしてゐる

けれどもおまへは誰ともはなしをしない
つかれたときのわたしの瞳の奧で

おまへはたえずほほゑんでゐる
わたしの不機嫌な日も いやな日も

わたしはお前の湯浴みをのぞいてゐる
あきることもなく輝いてゐる

途途


山峽のあちこち
そでぐちの赤い田舍女が
さびしげに畑を打つてゐた
なかには手をやすめてこちらを眺めてゐるのもゐた
ぽかんとして長閑に

馬車はゆるい山路を歩いて
ごとりごとりと搖れてゐた

ひとびとは眠り
物懶いあたたかさが漲つてゐた
菜花 桃林
優しい谿川


 一疋の虻が靜かに立たうとして、うすい綟れた羽根を震はせた。
「立てるか。」
 誰かが乾いた土の上から聲をかけた。かれはすぐ返事をしようと思つたが、羽根の方へ入れた力のために、聲が出なかつた。
 ひつそりした枯草の裾には、いつさいのものが聲をひそめて伸びあがらうと、温かい日光のなかに靜まりきつてゐた。
 虻はできるだけのちからで、羽根の尖端を震はせながら、すこしばかり冷たい感じのする微風に乘り移らうと焦つてゐた。朝顏の蕾のやうに絞られた羽根が、まだひ弱さうであつたが、すこしづつほつれて行つた。
 かれは殆ど夢中になつて、まぶしい光のなかに戰いでゐる何かの嫩葉立ちの青い色をながめてゐた。かれは實際いままで曾て斯樣な青いいろを見たことがなかつた。生れてはじめて眺める色だつたのであるが、ふしぎに、かれは目のなかで、いつか左ういふ影を宿したことがあるやうな氣がした。それが今ほとんど記憶といふほどのものでなく、ぼんやりと考へあてられた。
 かれはあとさきを振りかへつて見たが、生きものらしい、自分に似たものが一疋も立つてゐなかつた。自分ひとりか知らとさへ思へた。大きな土手の枯草の茂みが、燃え上るやうな熱度を空からと、地の中からとに蒸し上つて、あたり一杯に漂うてゐたのである。
 すぐ近くに途方もない大きな流れがあり、蒼蒼した川波の音がひびいてゐた。すくなくとも、其處からくる風は冷やりと、羽根のつけもとを痛いほど撫でさすつては過ぎて行つた。
 そよ風がくるごとに、その煽れで少しづつの綟りを戻しては、風の上にそつと乘りうつらうとした。が、脚は反對にしつかりと枯草の莖にしがみついて、脚をはづすとおちさうで、それゆゑに風とともに立つことができなかつた。同じことを繰りかへしてゐるうち、かれは、一尺ばかり下の地面が、あれほど危なく感じてゐた先刻とくらべて、いまは目まひもしなければ落つこつても何でもないやうな氣がした。
 自分の這ひ出てきた穴が、小さく貧しげに見えた。虻はきふにをかしい氣がして靜かにほほゑんで見た。
「立てるか。」
 さういふ聲が再び枯草の間から優しげに囁いた。
「うむ。」
 かれは、はじめて聲をあらはして何者かに答へてみせた。が、やはり四邊には何物をも見つけることができなかつた。茫々たる土手は長く茶褐色につらなつて、内部は、ほのぼのとした蒼みある色をうかべてゐた。
 かれは、そのとき本氣にならないで、ただ羽根をうごかしてゐるに過ぎなかつたのであるが、ふしぎに、ふうはりとからだが、輕く浮くやうになつて、風の上に乘ることができた。そして五寸ばかりさきの、まだ枯れ穗のある草の頂に止まつた。そのとき初めて虻はすつかり廣がり切つた自分の羽根を樂しげに顧みたのである。
「立てるか。」
 さういふ聲は三度かれのまはりから起つた。虻は知らず知らず又羽根をつツ立てた。黄金いろの尻がだんだん色濃くなつた。そしてかれは二尺ばかりの空中へ舞ひあがつた。すべては滑らかで温い空氣に充ちてゐて芳ばしい匂さへしてゐた。からだぢゆうが新しい別ないきいきしたちからと強さとで、一心に凝りあがつて舞ひ止まつてゐた。
 かれは、その靜かな空中で自分の羽根の音が絶え間なくぶむぶむと鳴るのを快げに聞き入つた。彼はすぐ目の下にある土手の一部を目にいれると、自分のいま出てきた穴などは、もう考へなくなつてゐた。
 虻は嬉しかつた。重いと思つた空氣はいまは柔かい羽根を抱きしめるやうに、あたりに深く限りしられずに充ち、わづかな風もつめたくはなかつた。かれは何處へゆかうといふ氣はなかつたが、何處へでもゆけるやうな氣がした。
「おれはだんだんに飛べるやうになつた。おれは何處へでも行ける。」
 かれはさう思ふと一直線に翔つた。かれは眼に起伏する小さい丘や窪地やを快げに見おろした。それからそれらの青味が枯草を全きまでに覆ひつくさうとする日南へ出たり、王宮のやうな美しい樹の下に止つたりした。かれは四度「立てるか。」といふ聲を聞いたときは、もう羽根はつややかなセルロイドのやうな光を空中に自在に閃かしてゐた。
 かれは、その立てるかといふ聲が、ずつとさきに頭のなかに殘つてゐることを次第に考へ出した。かれのさきの代にも、さういふ聲が起つてゐたやうに思へた。かれは、さう考へたとき青い川波も長い土手も、青みある草原も、美しい樹も、みないつか一度ながめたことがあるやうな氣がした。
 ぶむぶむぶむ……虻はふりそそぐ光のなかを急いだ。あてもなかつたが、明るい日光のある方へ方へと、あたらしい羽根のつづくかぎり趁つて行つた。

むじな


机の前にどす黒く
むじなのやうに坐つて書いてゐると
座敷の隅の方にもも一人坐つて書いてゐる
私のやうにむじなのやうなやつが
机にかがみこんで
唇を閉ぢて息をつめるやうに
こつこつ彫るやうにかいてゐる

實際、私とおなじいやつが
私の方へ向いて
私がうごけば
そいつが動き
ため息すれば
そいつもああとやるのだ

私はいつもそいつを感じたとき
誰にするともなく
ひとりでにたりとやる
そいつも煤のやうに微笑する

我庭の景


あやめが舟のやうに浮んでゆれてゐる
水盤に影がうつつて
そのまはりは芝です
あをあをとした纖細な高麗芝です。
すこし離れて朝鮮瓦の唐獅子が
苔むしたまま
青い雨にうたれてゐる。

わたしは古い石燈籠が一つほしいのです
苔のある
古い土と調和のとれた純日本風な石燈籠がどつしりと据ゑたいのです
楓と杏とのの陰に――。

そこは一番深い緑につつまれてゐて
きつと石に青みを着せるやうな
雨露がふるからです。

古い土や石は
日本風なわたしの室と調和します。

星簇


雲と雲との間に
ずつと遠く一つきりに光る星、
その星はきえたり
またあらはれたりする不思議な星、
ちぢんだり伸びたりする光、

雲と雲との間にそれがちらつく

毎晩こちらから覗いてゐると
あちらでも毎晩覗いてゐる
ながく覗いてゐると
ますます親切に鋭どくなる星、

電話のやうなものが星と星との間に
いくすぢも架けられ
絲をひいて
下界のわたしの方まで
寂しい聲をおとしてくる

青九谷


古い青九谷の鉢がある
底には水がしたたつてゐる

抱へると冷たくない
温かい鳥を抱へたやうな氣がする

いつもいつも
わたしはそれを樂しげに眺める

家族のものらから氣をわるくしたときや
仕ごとに疲れたときや

世間のいやなことを聞くとき
人をののしつたあとなど悲しげに眺める

鷄頭


秋になると鷄頭が赤い
それを秋ごとに新しくながめる
鷄頭は王宮に生えてもいい草だ
その鷄頭が十本ばかり
垣根にみだれてゐる
通りすがりにそれをみていい氣がした

冬さめ


一日は寂しい冬の雨になつた
さてわたしは机にあごつきをして
同じことばかり考へてゐる
道路が雨に濡れてゐること
燈のかげが其處にうつつてゐることなどである
それゆゑ寂しいのではない
ただわたしはどのやうにかういふ雨の日を送つたらよいか
時間が愉しく送れるかといふことを
あれかこれかと考へてゐるのである

雨は冬になると幽暗になる
わたしの室内にいつしらず
いつも寺のやうな匂ひと靜かさがくる
わたしはその中で
長いパイプで煙草をふかしてゐる

どれもこれも愉しいことなどはない
考へあぐんで
火をさかんに起してゐるだけである
わたしの瞳に火のかげがしてゐる
それは誰も氣がつかない
それきりで消えてしまふのである

かうして一日は冬の雨でくれた
長い明日の雨が又やつてくるだらう


おまへは何處から來た
まだおまへの顏を見たことがない
さういふ匂ひさへ※(「鼾のへん+嗅のつくり」、第4水準2-94-73)いだことがない
おまへは珍らしい客だ
虫に似てゐる
昨夜からおまへは家に居つづけだ

おまへは翼をもつてゐる
いつおまへは發つてゆくかわからない

話し聲


ある晩
星をながめてゐたら
どこかで話しごゑがした
ききなれない聲だ
となりはもう寢てゐる
靜まりきつてゐるのに
話しごゑはなかなかやまない


苔が青く生えてゐる
そこへしづかに日かげが辷る

日かげがうつる
虫針のやうに 這うて

苔に水をやつてゐる
わたしのうしろから暮れかける

ふたりのこども


こどもがふたり居て
ふたりとも騷いであそんでゐた
ひとりがひとりの顏を引掻いた
片方もきかないで引ツ掻いだ
ふたりとも組みあつて
しまひに泣き出してしまつた
そのつぎに私がみたとき二人とも
けろりとして泣きやんで
地上に石を積んであそんでゐた
そしてまた喧嘩をしはじめた
またけろりとした

雨後


水たまりができた
木の葉が映つてゐる
濡れた虫がはうてゐる
日がきらきらと落ちてきた
ひつそりした我家ではきふに明るい聲がし出した
どこかで雨戸を繰つてゐる
水たまりは淺いが
かげは深い 空いつぱいに映つてゐる

街と家


十日ほど室にばかりゐたら
青い樹をみるのがいやになつた
なんだか痩せるやうな氣がした
毎日毎日ながめてゐるうちに。
それゆゑ町へ出て行つた
柳のしたをあるいてゐる女たちを見たら
すこし肥えるやうな氣がした
おもふさま派手な外着が光つてゐて
目にたいそう樂しかつた

二つの心


誰にでも親切でありたい
誰とでも戰へるやうになりたい
さういふ二つの心が
いつも心をゆききしてゐる
底の底ではめつたにひけをとらない
必らずいいものが書けさうな氣がする
そればかりがいつも脈うつてゐる
私の本統をささやき交してゐる


大きな芭蕉の廣葉がゆらついてゐると
大きな魚か何かが
泳いでゐるやうな氣がする
わけても蒼蒼した空氣が重なつてゐる晩方は
海のそこのやうで
樹にしろ下草にしろ
みな波の中にゆれてゐるやうだ
こまかい葉ほど
波のなかに震へてゐるやうに見える

私は窓からそこを覗く
靜かな海で
うみ草で一杯だ
月夜になる
それがなほ蒼みを積みかさねて
空までつづく

深然しんとして
窓だけが開いてゐる



都會の川



都會の川


雨は靜かに降りそそいでゐる
川の上は森として
こまかい音を立ててゐる
をりをり電車がどんよりした上に影をうつしてはゆく
幾艘となく荷足船がつながれてゐる

船は動いてゐるやうで
そのままつながれて
雨にうたれてゐる
屋根庇から烟がひとすぢ上つてゐる
窓から橋の上の電車を一人の子供が
いつまでも熱心にながめてゐる

往來の人かげもみな水の上にうつつては
しづかに消えてゆく
烟はやはり上つてゐる
子供の母おやらしい女が
ひと束の青い葱を洗つてゐる
總てがしんとした雨中で橋のかげになつてゐるのである

富士山


雪晴れの美しい太陽が出て來た。
雪の日の空の青みの濃いこと。
そして温いこと。

ガードの土手の方へあるくと
白い富士山が見える
人家の屋根と疎林の間に。
疎林のしたはレール道になつてゐて
山の手線の電車が
二つばかり過ぎ去つたあとだ

おれは富士を眺める
富士山はまるで子供らしい好奇の目を瞬かしてくる
おれはお前の下をよく通つた
煤でよごれたきたない汽車の窓から
初めてお前をみたのは今から十三年前だ。

おれは凍えた手で
窓ぎはをがりがりと掴んでゐた
おれはどうにもならなくて國へかへりつつあつたのだ
寒さと飢とに逐はれて冷たい窓ぎはで
がりがりと硝子戸をこすつてゐた。

なるほどお前は美しい姿をもつてゐる
お前の平和はなかなか讀みつくせない。
だがおれはいまなら
お前の姿をゆつくり眺められる
おれの生活がこの東京に落ちついたから。

道路

 その一

紫ぐんださくらの枝をとある家の垣根越しにながめては通る
毎日のやうに
ときには悲しげに見る
毎日かぜが荒く
冷たいひびきをもつてゐる

なかなか温かくはならない
紫ぐんだ櫻の枝はがぢがぢとしてゐる

道路

 その二

褐いろの板塀からピアノが鳴つてゐる
やれたおしめが旗のやうにさがつてゐる

そこでピアノはいよいよれいに鳴る
門の前には
八百屋が零して行つたばかりの
青菜や葱の屑が
幾日もそのままにされてゐる。

ある雜景


 歳の暮になると、南天や千兩や萬年青や梅もどきや、さういふ紅い念入りな實が、つやつやしく光り出してくる。店店の飾り窓に猫のやうに白いボアや、青や紅や黒や紫や竪縞や碁盤や格子型やさういふありとあらゆるシヨオルが、襟首にぺたぺたと靡いて、ほつそりした顎の先をつるつると撫でながら、そとを歩いてさへ居れば惱ましく視線にまつはりついてくる。鮭のやうに瘠せたのや河豚のやうなのや、鯛やほうぼうのやうに紅いのや、出目金魚のやうなのや、西洋人のやうなのや、それらが織物のやうに町町の旗やクリスマスツリイや飾り窓の間をつづつてゐて、みんな動いて、混線して、ごちやごちやになつて、肉顏と肉顏とが重なつて、もう一度重なつて、こんどは離れ、次から次へと限りなく艶めかしい。
 馬車や人力や電車や自動車や、トンカツやシチユーや香水や肥料や埃や空ツ風や星や星ぞらやが、それらの艶めかしいものを背景にして、三重に四重に馳つたり匂つたりする。カツフエの近所に八百屋があるやうに、呉服屋に隣つてネクタイ屋があるやうに、紅いシヨオルを卷いたうしろに、黒いソフトをかむつた男がゐるやうに、トンカツの次へコオヒイが出るやうに、鬼灯のやうにふくれた西洋婦人のあとへペングイン鳥のやうな男が跟いてゐるやうに、ゐるやうに、ゐるやうに――
 ほんとに歳の暮になるとボール紙や櫻紙や小包紙や新聞紙やしで紐や障子紙が、そこらぢゆうに匂つて、新しい下駄のやうな剃り立ての顏やタドンのやうな頭やハイカラや、つぎから次へと限りなく目まぐるしい。唯いつも變らないのはサンドヰツチマン位なもので、二歩あるいて三歩止どまり、三歩あるいてはちからない咳をして居た。肺のそこからひびいて居るやうな聲で、ごほんとやつては二歩三歩づつあるいて居た。そのあとさきに古びた電柱が立ち、瘠犬がちよろつき、低い家並を這ひあるく煙とも靄ともつかぬものが物悲しげに垂れてゐることはお定りのやうであつた。
 かれは街路樹のやうに瘠せこけて、絶えずひよろついてゐた。その上、ひとびとの財布は反古籠のやうに亂れてゐたが、かれの垢じみた盲縞の巾着のそこには蜜柑の皮のやうな二十錢札一枚が、しかも破れ目を繼がれてあぶら染みてへばりついてゐた。しかも彼が折折口にするのは、これまた不思議な「戀は優し」といふオペラの唄の一章で、どこからどう聞きおぼえたか、髭もぢやな口もとから絶えず同じ唄をうたひながら、極く低い聲で、一歩あるいては二歩で止まりながら、同じい道路をあちこちするのであつた。

 電車や自動車やペングイン鳥やトンカツや玩弄屋おもちやややカツフエ等は、相渝らずごつちやになつて町ぢゆうに入亂れてゐるのである。けれどもサンドヰツチマンだけはべつな車道と人道との間をこつこつあるいて、悲しや「戀はやさし」の唄を唄ふのである。而も誰もはつきり聞いたこともなければ本人さへも分らない唄である。ふいに通りがかりにそれを聞いた私は、さて、びつくりしながら師走の砂ほこりのなかにぼんやり立つて、おなじ爺さんのやうな口のうちで、あさましくそのうたを口ずさんで、誰かに叱られたやうにそそくさと歩き出したのであつた。
 ふしぎなことは師走の日ざしの色が、冬の日のさびしい灰ばんだ寒さを含んでゐるに拘はらず、ときには濃く襟卷のそとから温まつてくることである。世に古りて襟卷をする人のこころもち、水仙と福壽草の鉢をあちこちの日かげを追うて持つてあるく龜のやうに寒さにちぢんだ老人、紅い手を露き出しにしてごしごしと洗濯する女の美しさ日のあたつた水のあたらしさ、ぢやぶぢやぶハネル面白さ。
 郊外の道のわるいあたりに敷かれた藁蓆と垣根の調和、さういふところにある櫻の木、やや紫ぐんで、水氣立つて、すつきりと蒼ぞらに伸びた姿、山の手の電車が、さういふ垣根から透き、新建の家が光り、寒菊を圍うた庭もあり、突然にうつすりと燒芋の匂ひがただようてくる温かさ、さうかとおもへば、さういふ惡い小徑までどこから出てきたものか、時には美ごとに肥つた女が紅い手袋と青いシヨオルと、惱ましげな渦卷銘仙でからだを包んで、ふらふらと犬のやうに出てくることがあるものである。何も彼も紅いものづくめで、何も彼も、手も足も微笑つてゐるやうな女である。
 足袋を干した影が移るにしたがつて、わたしの家では干鰈が乾反りかへつて、刷毛のやうな尾のさきを舞うてゐるどす黒い冬越しの蠅が、その頃は何處へか姿をかくしてしまつて、唯、篠竹にざわめく夕風が凍みついてくるだけである。と、夜夜の寒ざらしの月がばつさりと、砥がれて光を投げる。
 わけても田舍の[#「田舍の」は底本では「田舎の」]田端から出かけるには、まづ動坂くらゐなもので動坂は鮭と鰊と鱈の子の町つづきである。古蝙蝠のやうなマントの人や、肘のぬけた役所がへりの洋服、ここにもトンカツや經師屋や古道具や、例の青や紅の褪めかかつたシヨオルを卷いた人やが、ごちやごちや混み合ふ。溝川だけが末は藍染川になつて流れるのであるが、大根や葱の洗ひ屑もこの頃だいぶ尠なくなつてゐて、こぼこぼ鳴る上をれいの師走の月が優しく夜夜にうつつて居た。
 けれども通行するひとびとの呼吸が白くやさしく、ただ一軒きりの雜誌屋のはでな新刊のそばで、ひらひら蝶のやうに止つてゐることが多い。瓦斯と電燈との逆光で白い呼吸を吐いてゐて、みるから師走らしい氣がするのであつた。
 動坂は田端の入口である。いつも下向時のやうに賑やかで混んで門松の匂ひがして……そして例の鮭や鱈の子やハイカラが蒸しかへるのである。――

人をたづねて


人をたづねて淺草のうら町をあるいた
寺と寺とが隣り合つて
木がその庭から町の上に覗いてゐる
晴れた土の上には
子供が遊んでゐる
その着物の紅い布などが目立つほど
寂しいうら町である

大きな寺を幾度も※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)
同じい小路を往つたり來たりしてゐても
たづねる人の家がわからない
ふしぎなほど分らない
どの家にもみな女がゐて子供があり
しもた家ばかりの小路つづきである

さういふ家はありませんねといふ
わたしのほとほと困つた顏をみてくれもしないで
あるものは洗濯をし
あるものは夕方の土を掃き
または晝の三味線をなまめかしく弄つてゐるのである

さうして私はまた同じい小路から小路へ裏町へ
もとの大寺の門の前へ出るのである
あたまはつかれるし
こころは苛立つ
とみればこれは思ひがけない寺のなかから美しい矢絣銘仙の娘が
ぽつかりと水に浮くをしどりのやうに現はれてくる

木は寺の庭から覗いてゐる
がつかりしてかへりかかると
公園の樂隊やどよめきがこのさびしい裏町の上におちてくる
足をとどめてその音をききいると
すぐ近くでしてくるのである
また元の大通りへ出ると
軌道の工事で通りは混みあつてゐる

ふいと電車にのり
いまあるいてきた不思議なほど靜かな町をおもひ
ひとり目をつむつて搖られてゆく
それゆゑ冬の日はくれやすい。

幽遠


けふ初めて障子をひらいて
夕方の庭にしたしんだ
どれほども寒くはない
夕方の光線が机のそばへやつてくる
そのなかで本をよんでゐたりする
懷かしい幽遠な氣がした
ものの移りかはる微妙さを身にしみてかんじた

西日の中


片側町に夕日が射してゐて
蠅が一杯舞うてゐる
金色の波がゆれてゐる
その暑いなかを私は立止つて眺めてゐる
ふいに私は思ひ出したことがある
蠅にまみれて坐つてゐた姿を
きたない町の軒さきで
じりじり西日にいられてゐたことを思ひ出した
西日の色にそまつた顏が
いまも悲しさうに私を見詰めてゐる





地獄の刷繪


電車のなかで
わたしは耐らなくなつて
目をおとしてゐた
覗くまいと思つても
こらへてゐても
つい見てしまふのだ

十七くらゐの少女で
左の頬に黒い痣がみにくく目立つた
優しい目つきで
二重瞼になつて色も白かつた

左の手で吊革をもち
學校の道具で
その頬を覆うてゐるのだ
なるべく人に覗かれまいとしてゐる
心はすこしも油斷をしてゐない
優しい目でありながら
きりつとしてゐる

右の頬は白く美しい
左のそれにくらべて天國のやうに美しい
それだのに左の頬は暗く地にずり落ちてゐる
私は見まいとする
するほどなほ覗かうとしてゐる

電車のなかで
わたしは耐らなくなつて
窓へ向きをかへ
できるだけ忘れようとした
覗くまいとした

淺草公園のなかにある寺


公園の池にそうて
昆蟲館や水族館のある通りに向つたところに
何といふ寺かしらないが
こんもりと緑深く陰氣に靜まつた石の塀がある
その内部が非常にしづかで尼寺のやうな感じがする
活動館や食ひ物屋や露店にはさまれたこの寺だけは
まつたく公園の空氣にふれないでゐるやうだ
ジヤンバルジヤンが少女コゼツトを連れ込んだ尼寺みたいな氣がする
石の塀が苔蒸してあをあをしてゐる
そこを通るたびに一種の空想を刺戟させられる
とかげか何かのやうに
つるりと石の塀を乘り越えてみたくなる
塀のうちになんだか尼さんのやうなものが居るやうだ
それでなくとも何か特別の女がそこに居るやうな氣がする

巷塵


すれちがひに
よく似た人とおもうたが
誰だかよく思ひ出せなかつた
十年も二十年も眺めてゐた人のやうであり
さうでないやうにも思へた
死んだ人にあんな人があつたやうだ
さういへば誰かに似てゐた
蒼白い片頬がするどく見えた
皮を剥いてたべる魚によく似てゐた
がやはり思ひだせなかつた
あまり度度あることで
またすぐ忘れてしまふ顏だつた


みんな別れた
別れてしまへば何んでもない
青い苔のあるベンチの上で
かう話しながら二人はわかれた
そこから段段があつて
道路は一すぢになつて彼らは又出くはした
別れてしまへば何んでもない
二人は同時にさう考へて
ちよいと微笑ひ合つて
寒さうに立ち停まるのもいやだつた
で、そつけなく別れた

一人づつになつても
べつに寂しくもなかつたのだ
で、かれらはまつすぐに家へかへつた
ひとりは電車で
ひとりは徒歩で
べつべつな町をあるいて行つた
ふしぎなことには二人ともふきげんになり
たよりなささうな
ぐつたりと電車に首垂れてゐた

も一人は歩きながら
荒れた町をながめながら
うそさむい顏をしてゐた
どちらも會ふことがなかつた
どちらも心では別れて了へば何んでもない
と考へてゐた


淺草へ行つて活動や買物や
他のいろいろなものを看てかへると
妙に淋しくなるのはどうしたものだらう
地についてゐない遊びは
あとからだんだん寂しくなる
ことに夫婦ものなど
草臥れて世にまたなく寂しげにぐつたりと
公園からかへつてゆくのをみる
そのうしろでやはり樂隊や活動の館が
紙細工のやうに灯れて聳立してゐる

あそこにある池の水にしろ
柳や欅にしろ
みんな埃ばんで
水などはどろんとしてゐる
をりをり浮ぶ肥えくさつた緋や藍色の鯉までぶくぶく肥えた腰のやうにみえる

それが背後にうかんで見える
それゆゑなほ寂しい

田舍


田舍などの古い爐にゐる虫
冬は火のそばへまでくる虫
その虫は
あぶら虫に似てゐる
燻し金のやうな羽をもつてゐるが飛ばない

古い爐にかならず老人がゐる
老人は終日
爐べりを這ふむしをながめてゐる
田舍の冬の日の短かさは
やつと障子の高の一と棧だけ射して
音もなく消えてゆく
窓のそとは雪で一杯になつてゐる

ごとりといふ音もない
吹きさらしの風は雪を砥ぎすましてゐる

ただ黒いむしが爐のまはりを走つてゐる
ときには動かずにゐる
時計のむしに似てゐる
藁屋根はぬれて氷柱からしづくが落ち
しづくはちびりちびりと低い音を立てる
休んだかと思ふと またちびりと來る

退屈もそこでは死んでゐる
そこには半年のあひだ土を見られない
ただ一軒の家にひとりづつの
あるひは二人づつの老人がゐるだけである
煙草と茶と永い夜と雪と死と
かはるがはるに家家の戸口を叩いてくる
死は雪のなかに
茶は老人を冷やしてゐる

そとへ出たとて何があらう
露はな山と雪と
遠い太鼓のやうなひびきをもつ風が
谿あひ川のほとり往還の並木に潛んでゐるだけである
山一つ向うの小學校でなければ正確な時計一つない
みな家家の柱の時計は休んでゐる

道路


忘れることのできないのは
汚ない姿で
濕つた淺草の道路をじくじく歩いたことである
何の用事だか さもしい心で
屋根越しにななめに夕日を眺めて通つたことが今だに忘れられない

あの日の道路と家並と
記憶にすらない人の顏かたちさへ、今になると浮んでくる
屋根の上の廣告、せまい西洋料理店
汚ない犬や溝の工事など
よごれた繩のやうにずるずると思ひ出される

わたしは乏しい金で何を食べたか
何を見たかすら覺えない
ただどす黒い勞働者と卓をかこんで
何かをがりがりと食べてゐた
沈んだ氣持で まづさうに其處を出て
やはり濕つた道路をあるいてゐた

いつまでもさうしてゐるうち
わたしは脚氣のやうに勞れて ぬかるみを歩いては停り
停つては歩きながら
さもしい鴉のやうに黒ずんだ影をおとしてゐた

どうどう※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)


その女は何處の誰であつたかも忘れた
よい瞳つきで
扉にもたれてしげしげと見詰めてゐた
暗いところで花のやうに匂つてゐた
道はぬかつてゐた
わたしはそこをやたらに歩いて
その家をぐるぐる※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つてゐるうち
自分の家のまへへ出た
家では妻が縫ものをしてゐた

その女は何處の誰であるかもしれない
よい手足ですらりとあるいてゐた
その女のことにあたまをとられて
ぼんやり歩いてゐるうち
坂があり木があり
子供があそんだりしてゐる道へでた
そこから自分の家の前へ出た
家では妻が縫物をしてゐた

都會と屋根


 私は活動寫眞がすきで、よく淺草へ出かけるが、いつでも妙に館内のはばかりの窓からぼんやり人家の屋根や往來の混雜した飮食店や小料理屋の二階などをながめてゐると、その濕つぽい屋根や道路などから、へんに一種いひがたい朦朧とした、いつか、其處の汚い飮食店のなかに坐つてゐたやうな氣もし、また乾くと埃で烟るやうな道路を暑い日に、それほどでもない用事のために疲れて歩いてゐたやうな氣もしてくるのである。
 おそらく非常に疲れてゐて、そして絶えず陰氣にてくてく歩いてゐる姿が、いつも、そこの窓から小用を達しながら眺めるときに見えてくるのである。なぜか混線された家並や道路や荷車や小汚ない通行人や溝や柳や一品洋食店などが、うすぐらい私の生活にコビリついて、何時まででもさういふところを通つたり眺めたりするごとに、ふいに私を沈ませてくるのである。まだまだ、そこらの溝の匂ひの沁みた飮食店に、どうかすると、みすぼらしい私が左の頬肘をついて、勞れた目つきで鍋や皿や豚肉のならんだ小棚をながめてゐるやうに思はれるのである。
 わけてもどうかすると、夕景などにその窓さきから、ななめに人家の屋根を射りつけた殘照の、へんに赤茶けた色あひを見ると、ますます氣がしづみこんで、それをもとへ返すためには、かなりな時間がかかるのである。それゆゑ、私は淺草の裏通りをあるくことが厭である。が、まだあそこを通りもしなければならない氣もするし、そこの泥濘やにはたづみの上に沁みた私のみすぼらしい黒ずんだ影が、はすかひに屋守のやうに落ちこんでゐるやうな氣がするのである[#「するのである」は底本では「するのてある」]


或る婚筵の席で
にはかにあたりが騷がしくなつた
三階の西洋料理店で
窓下は京橋の大通りになつてゐた
誰かが死人が來てゐる
すぐ階段の上にゐると囁いたものがゐた

階段の上に
せいの高い脊廣の男が立つてゐた
みんなは驚いてその方をながめた
その男はたばこを咥へ
陰氣なうすぐらい顏いろをしてゐた
たしかに死んだ男だと
みんなの耳から耳へ
その聲がささやいた

その男のうしろに大きな鉢の緑葉があり
それが煙るやうに見えた
その男はみんなと話をしなかつた
みんなは知り合ひだのに變だと
なかにはもう震へてゐるものさへゐた

會場のつぎに花嫁の支度部屋があつて
ドアに鍵がかかつてゐた
誰かが這入らうとすると開かなかつた
はんたいの窓越しにその室を覗きこむと
花嫁はぼんやり坐つたきりになつてゐた

みんなそばへよると
花嫁ははじめて氣がついた
が何もいはなかつた
ただ顏いろがわるかつた

れいの男は筵席の最後のコオヒイまでのんで
ゆつくりかへつて行つた
が、ふしぎなことには
料理店の勘定書は九人前しかなかつた
あの男をいれると十人前だつたのだ
が、どうしても九人前しか出さなかつたと
主人が言つてゐた

その男はそれきり來ない
さう嫁の方のものが言つてゐた


わたしは街道の淫賣屋に坐つてゐた
冬で寒さが荒く
茶碗ががちがち氷つてゐた

女の肌は荒繩のやうに粗かつた
それを毎夜靴や下駄で踏みつけるやうな客が
門の前にひしめいてゐた
女はその肌を絹や黄金でつくり上げ
高價なシヨオルを頸すぢに卷きつけてゐた

自分のからだの荒廢なぞ問題ではなかつた
かの女はすきな食物と贅澤で
一切をごまかしてゐた
反對に肉體は勞れる一方で
蜂の巣のやうに穴だらけになつてゐたが
それをていねいにきんや絹で埋めてゐた

わたしはさういふ街區に
晩も晝も坐つて
あさましく餓鬼のやうに震へてゐた
その肌のきんを拔いたりはめたりしながら
それと同じい荒んだ氣持で
永い間坐つてゐた

女はさういふうちにどんどん變化つた
さきの女は何處へか行つて
つぎに出た女が間もなく
からだを傷だらけにした
さきの女と同じいやうになつてゐた

繰り返されるうち
私はそれらの女をいちいち其處の柱に
名前を彫りつけておいた
十七人目に冬は完全に終つた
春になると
もう柱は傷だらけになつて
私はもう名前を彫りつけるのが物憂かつた

ただその名前だけを見に行つた
柱は古びて蜘蛛の巣と煙草のけむりに煤ばみ
私の爪あとも消えがちになつてゐた
私はそれを見あげながら居たが
女は誰も氣がつかなかつた
誰一人としてそれを訊ねるものがゐなかつた

私は一人の友だちをつれて行つて
その街區の家の柱を見せた
友だちはあきれ返つて數多い女の名前をながめた
が、そのうちの一人として彼の知つた女も居なかつたので
興もなささうにしてゐた

最後に私はかれを恐ろしい注射室へ案内してみせた
そこにあらゆる藥品があり
うす青いガラス瓶の堆積を棚の上にながめさせた
藥品が肉體の崩落を停めるもの
注射によつてのみ生きる種族を證據立てるもの
その他一切の忌はしい惡魔的藥品の裝置がかれを吃驚させた

友だちはかへるとき
ドアの把手をとることさへ怖れた
私は微笑つてかれを賑やかな街區へ送つて出た。



障子の内




古い妻は干鰈を日なたへ出して
その鹽かげんをひとりでほめてゐる
日はあたたかくさしてゐる
その影はすぐ足袋ともつれて
ひとむらの篠竹の影と一しよに障子に映つてくる
啼くものは冬の蠅だけである

古い妻はさて
おなかのこどものために
小さい襦袢やおしめを縫ふのである
日なたへ出て
さうして一日をくらすのである

冬木


濃いむらさきの芽が着いてゐた
冬のさむい薪のなかに
それを抓んでみると生きてゐて
すべすべしてゐた
それゆゑ日南へ干しておいた

春の午後


朝の湯からあがつて
小鳥の籠の手入れをすまして
靜かにたばこをふかしてゐると
その青さが深くなつてみえる

小鳥は濡れた羽がきをやつてゐる
日のなかで
嬉しさうに水浴びをしてゐる
霧が立つごとに虹が立つ
わたしはうつとりしてそれを眺める

遠くからしてくるものは豆腐屋のラツパ
汽笛の聲
どこかで井戸をあげる音くらゐである
心はのんびりと小鳥をながめてゐる
誰も訪ねてこない川端の奧の
さくらにまだ間のある春の午後である

ある夜


家家のラムプの明りが
こん夜はたのしげに點いてゐる

しんとした夜の奧に
あるものは木立のしげみの中にある

どこの家へでも行つて
親しげに話したい氣がした

障子の内


書物をよんでゐると
けさの障子の明るさがいつもとは異つてゐる
靜かで温かで
日に蒸された地面がぼんやり匂つてくる

机にむかつてゐる片頬がいきる
障子をへだてて
ほんのりと櫻色がさしてくるのである
そのうへ室はいつまでも誰もこないから
あし音一つない

桃の小枝


温泉のしき石に
けさ何處かの子供が持つてきたのであらう
桃の小枝が踏みにじられて
青い蕊を沁み出してゐた

湯にはひりながらそれを眺めてゐると
窓のそと一杯に日があたると
向ひ山を染めた樹の花がゆめのやうに燃えた
さびしく感じた

小鳥


ある日
留守の間にひとりの青年がたづねてきて
小鳥のつがひを籠にいれたまま
わたしにおくつてくれた

小鳥はちひさな夫婦で
名もわからないポルトガルの種であること
その人が西洋人から貰つたものであること
さう言つて見知らぬ友はかへつた
粟がひと包みそへてあつた

その友はへいぜい
下宿のわびしい室で
この珍らしい小鳥を放し飼ひにしてゐた
玄關に出たうちのものに
その籠をわたすとき
見知らぬ友は實際なつかしさうに小鳥をながめて
しばらくは去らうとせず
さて煙草を一本のんで
ゆつくりと籠と小鳥とを眺めて
道のわるい田端の奧から歸つて行つた
ときどき餌をもつてきませう
可愛がつてやつてください
さう見知らぬ友が言つて去つた晩おそく
私は町からすこし醉つてかへつて
自分の室の机の上に
この珍らしい小鳥を見いだした

あくる日は晴れて
あさの光にあてると
ココア色の羽根と白いくちばしをもつた小鳥は
水をあびながら
ひくい聲で
くくくと啼きながらあそんでゐた

ときをり次の間越しに
わたしは仕事の手をやすめて
その啼きごゑにききとれた
晴れた日とかかはりのある鳥類の
しかもつがひで啼きいそしむ姿は寂しく
わたしの目の前を去來ゆききした


わたしは微笑つてみた
何氣なくふいに
靜かに
その女もさうしてみせた
そのあひだに三百年も經つてしまつた

暖爐


まだ春ではあるがわたしの室には
暖爐がしづかにもえてゐる

蘇鐵の濃いみどりがそこにある
つかれるとそこで煙草をのむ

冬はなかなか去らない
それゆゑなほ暖爐がなつかしい


屋根も篠竹も
霜のおもみで垂れて動かなかつた

冬の
砥のやうな月がその上に出てゐた

みな凍えあがつて
風は全くなかつた 何も動かなかつた

恐怖


道をたづねてきたひとが
ひと晩に三度もやつてきた
三度ともわたしはそれを教へた
暗い晩で
雲がさかんに寒ぞらに走つて
砥ぎ出された星がいくつも輝いてゐた

その人はその晩はさすがにう來なくなつた
しかし私はどうしても來るやうな氣がした
暗い星ぞらをみてゐると
ぬかつてゐる道をあるいてゐるその人が見えるやうな氣がした

わたしは机にもたれては
聞耳を立ててからだを凝らしてゐた
もしやその人がふいに來はしないかと
胸がどきつくほど落ちつかなかつた
窓はいくども開けてみた
暗さが、暗さを折りかさね窓につづいてゐた
たうとうその人は來なかつた



夏晝



鮎のかげ


脊なかにほくろのある鮎が
日のさす靜かな瀬のうちに泳ぎ澄んでゐる
幾列にもなつて
優しいからだを光らしてゐる

その影は白い砂地に
かげ繪のやうに
大きくなつたり小さくなつたりして
時にはけたりする
水のかげまで玉をつづつて
底砂へ落ちてゆく

ちひさい物音にさへ
花のやうに驚いては散つて
またあつまる鮎
すらりと群をぬいた大きな鮎が
ときどき群を統べてゐるのか
すこし瀬がしらへ出たり
ほこらしく高く泳いでは水面へ
ぱちりとはねくり返る
しんとした波紋がする
あとは土手の上の若葉の匂ひがするばかり

夏晝


夏のあかるさ
すみからすみまで光に埋つてゐる
そのなかに
ひとつづつ彫られてゆく
小さい生きものの姿
うすい羽
誰が彫つてゐるかわからないが
ひと鑿づつそれが浮んでゆく


夜になつて木の葉を見ると
ふしぎに幽遠な氣がする
むくれあがつた土を見ても
深いところを覗くやうな氣がする

夜になつて風がささやく
木の葉をゆすぶる
何かがこつそりと抱き合つたやうな氣がする
影と影のやうなものが……

空はふかく
星がいちめんにある
いくら見てゐても飽きない
みればみるほど何かを發見するやうに思ふ
あたらしいものが心に乘りうつることをかんじる

かたまつて光つてゐるのや
一つきり非常に地上に近いところに
はすかいに光を投げて
澄みかがやいてゐるのがある
群星をはなれてゐるので寂しい
妙になにかを話しかけられてゐるやうな氣がしてくる
見れば見るほどなにか話したくなる

ゆめ


わたしはゆめを見た
ひとつきりのゆめを……

それはいつ見たゆめかわからない
けれどもわたしはそのゆめのなかで
ふしぎなものを貰つた
小さくちかちか光つたもの
星に似たやうなもの
かたちのないもの
わたしのこころそのままなもの

わたしはわたしの心にあつてみた
ときには夜になると
ひつそりと私からはなれてゆく心を……

果しない遠いところへ
微妙なこどものやうになつて
星のなかへ
そこでさまざまなものに逢ふ
さまざまなけだものに逢ふ
ものをいはない影のやうな人物に逢ふ
そこにゐるものはみな裸で
美しい光のなかに遊んでゐる


きりきりと羽根を震はせると
蠅は美しい虹いろにかがやいた
そして死んだまねをした
動かない
ぢつとしてゐる
死んだのかも知れない
仰向けになつたままからだが光つてゐる

蠅はすてられた
地べたのうへに
そこでは蟻の活動がはじまつてゐた
地上といはず
地下といはず
たくさんの蟻がうづをまいてゐた

蠅はなかなか動かない
死んでしまつたのだらうと誰でも考へる
あかるい夏の光が照つてゐる
蠅のからだにもどんどん光がそそがれ
あたたまりが旺んにつたはつてゐる
けれども動かない

蟻は木や草や家や
あらゆるものを取りまいてゐる
そして上れるものには皆のぼり
あるけるところを皆歩いてゐる
けれどもまだ蠅をしらない
すてられた蠅はまだ死んでゐる
しかし間もなく動くだらう
ふしぎに默つて
そして立つてゆくにちがひなからう

山峽の道路


枯草がなびいてゐる
うそ寒い夕がたが落ちてきた

枯草がなびいてゐる
それが見えぬほど暮れてゐる

どこからか子供の聲がした
一つ燈が疎林のあひだにみえる

山の手線


停車場の粗い建物と冷たい敷石に
まるい少女が立つてゐる
かの女のからだのどの部分も紅い
着物も肩かけも手袋も
その顏も

雪はふらないが寒いのである
誰でもうすぼんやりとレール道をながめてゐると
汽車も電車も夢のやうに見える日である
顏も着物も紅い女が
つめたい敷石にひとりだけ立つてゐる
みればみるほど美しい
類ひなく優しい

誰でもその女に目を遣る
冷たい玻璃戸にかこまれた或は吹きさらしの山の手線では
匂へるだけ匂つてゐる沈丁花の株が
日に蒸されて土手の上にある

やがて女をのせて電車がゆく
あとは敷石と玻璃だけが冷えに冷えてのこつてゐる

土手


田端の奧にガードがある
そこのふた側になつてゐる土手が
このごろ眞青になつて深い草むらをつくつた

あさはきつと歩きにゆく
仕事にくたびれた午後も
晩食の濟んだあとでも歩く

ふしぎに晩は向つ側の土手が、
くらみをもつてどつしりと臥てゐる
こちらの土手も長く暗く
深い谷間を想像させる
向う側の人家の屋根、
屋根をかこむ樹、
樹にちらつく美しい星、
そして緑から吹き出たやうな
そよそよした爽やかな風がからだをなでる

ときどき隙間には山の手の電車が通る
あかるい窓、
ちらつく白いきもの、
女の乘客のふくれた膝、
シグナルが一つ、青く震へてゐる

どんなに疲れたときでも
この土手にくるとさつぱりする
誰も晩はあるかない
風ばかりが囁やく――。

愛陶の民


古い陶器をながめてゐると
古い樹の肌とどこか似てゐるやうに考へる

ふしぎに陶器は古いほど
木の根のむくれ立つたところが似てゐる
それゆゑ木の根にころがしておくといい

わたしは支那人が高麗青磁などの古い破片を
服の前ボタンにつかつたり
時計のくさりにつないだりしてゐるのをみると
ほんとに陶器を愛する民をみるやうな氣がする

實際古いものほど新らしい
形がなくともいい
古陶の土の味はひさへわかれば
私にはもう何もいらない

こころみに一つの古い壺を
目の前にすゑてみてゐると
空の色までわかつてくる
調和の靜かさその激しい關係のいみじいちからのこもつてゐるには
いつもわたしを驚かせる

手にとる
その圓みを超えて柔らかさがくる
異性の肌のまるみさへ沁みでる

盜心


わたしは銀貨を一つふところに持つてゐて
うすぐらい勝手に立つてゐた
身うごきもしなかつた
干魚の臭ひがしてゐた
母のこゑがしてゐた
そのたびにわたしはびつくりした

わたしは唏きじやくつてゐたが
銀貨はしらないとこたへた
頬はいくども打れた
が やはり知らないとこたへた
母はまもなく去つた
干魚の匂ひがしてゐた

わたしはじやりじやり干魚をかじり出した
干魚はうまかつた
わたしの足のうらには
さツきの銀貨がぴつたりと踏まれてゐた

こんどは父がきた
わたしは干魚を握つてゐた手を
無理にコジあけられた
父は干魚をもつて母のところへ行つた
わたしはやつと銀貨を手ににぎりしめた

父と母とあらそふこゑがした
わたしはそれでも銀貨をかへさうとしなかつた。

美しい蠅のうた


私の室から女の室がみえた
女はいま朝の化粧をしてゐる
大きな鏡にむかつて樂しさうにひいやりと
冷たい水おしろいを襟足にひいてゐる
夏のあさで
女の脱いだ肌がぽたりと重さうに
やや青みをおびて展げられてゐる

じみなこつくりした艶はあるが
決して光るほどでもない
重みが美しい
盛られて動いて
やはり靜まつてゐる

夏の朝はさはやかで
もちろんよく晴れてゐる
家のなかには誰もゐない
たださういふ女の化粧がながい間つづく

緑の木が一杯に
女の室のまはりにあるため
なほハツキリ見える
どれだけ時間が經つたかしらない
しかし女の化粧はいつまでもつづく
蜘蛛の糸のやうにこまかく
眉毛ひとつうごかない

ぢつとしてゐる
その肌に蠅が一疋とまつてゐる

顏の印象


ある夏
ゆきとかへりとに同じい人を見た
それは信越線で山の中だつた
その人をまた東京の町のなかで見た
三年經つてまたその人の顏を見た
しまひにときどき又その人とあふやうな氣がして不安な氣がした
ゆめの中までその人はきた

肩が凝ると
その人の顏がぼんやり浮んできた



雀どり



乳をもらひに


母おやに乳がないゆゑ
八幡さまの裏まで
まいにち貰ひ乳をしにゆく
その路は青い垣根がつづいて
人のうちの庭が見える坂になつてゐる
そこには卯の花が白い

朝と晩と、その坂みちに
乳をもらひにゆく私は雨にぬれ
白い瓶をかかへてかへる
坂は片側町で
地笹が雨で蒼蒼しい

母おやに乳がないゆゑ
こどもが泣いてしかたがない
かんしやくが起つても
默つて私はがまんをしてゐる
ぎあ、ああお、ぎや、ああお

乳の時間になると
私は雨のなかを出てゆく
ぎあ、ああお、ぎや、ぎややああお、

朝と晩と
母おやが急がすゆゑ
坂みちの卯の花くだす雨のなかを
がらすの瓶をさげて歩いてゆく私、
けさも乳があつてくれればいいと
そればかり考へては坂を下りてゆく
坂は片側、八幡さまの森になつてゐる

枇杷の實


ある人に
枇杷の實が熟つたから
お子さんをつれて採りにいらつしやいと言つたら
その人は子供を五人ばかりつれて
日曜の朝
一つも殘らず採つて行つてしまつた

實際一つものこさず
きれいに木を裸に剥いてしまつて
微笑ひながら歸つて行つた

わたしの家のものは
まだその枇杷の實を一つもたべてゐない
みんな樂しみに熟れるのを待つてゐたのに
私のお世辭が木を裸にしてしまつた

五升ばかりあつたのを
その人はバスケツトに入れて持つて行つたのだ
すこしは私の家にも置いて行くだらうと思つてゐたのに

あとで
私のうちのものが集まつて
さびしさうに枇杷の木を見あげた
いくらなんでも
あんまりひどい人だと
みんな口口に言ひあつた。

ふくろふ


ほう、ほう、
ごろすけほう、ほう、
なに鳥でせうかと誰かがいふと
あれはふくろふだと
みんな耳をかたむける

ほう、ほう、
ごろすけ、ほう、ほう、
田端の奧の入梅深いばんには
ほう、ほう、ごろすけほうと啼く。
古い木のしたには
いいものが埋つてゐるんだと誰かがいふ。

さういへば彼の榎は古いんだ
千年くらゐは經つだらうね
石器時代のなにかが埋つてゐるかもしれない
さうかね。
そんなに古いかね、

ほう、ほう、ごろすけほう、
ぽつりとまた雨になるのに、ほう、ほう。

雀どり


妹がめくらだつたので
姉がすずめをつかまへて來て
糸であしをつないで持たしてゐた
これは雀といふもんだよ
よくおぼえて置くんだよといふ

妹は糸をたぐつて
雀を手ににぎつてみた
あつたかい小さい鳥だつたので
妹はよろこんで往來であそんでゐた
通りすがりのわたしを見て
その姉はにつこりわらつてみせた
めくらの妹はやつぱり雀をにぎつてゐる。

こども


こどもが生れた
わたしによく似てゐる
どこかが似てゐる
こゑまで似てゐる
おこると齒がゆさうに顏を振る
そこがよく似てゐる
あまり似てゐるので
長く見詰めてゐられない

ときどき見に行つて
また机のところへかへつてくる私は
なにか心で
たえず驚きをしてゐる





底本:「室生犀星全集第二卷」新潮社
   1965(昭和40)年4月15日発行
底本の親本:「星より來れる者」大鐙閣
   1922(大正11)年2月20日発行
※「淋しく」と「寂しく」、「干魚の臭ひ」と「干魚の匂ひ」、「絲」と「糸」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
※底本の親本の「公園小品」「郷國雜記」「幼年期」「草の上にて」「蝉頃」「めぐみを受け」「ある感想」「詩と小説と」「街燈餘映」「秋山煙霞行」「嵐冠十郎」「冬の星」「冬日」が収録されていないのは、底本通りです。
入力:岡村和彦
校正:きりんの手紙
2020年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード