子どものくせにどうしてタカダのおばさんの家に、たびたび遊びに行ったかといえば、それはおばさんが話しぶりもやさしく子どものいやがるようなことをいわないからであった。子どものいやがることをいうおばさんは、いつもきまって意見がましくつべこべとしかるような調子で物をいうからである。タカダのおばさんの家はダイクさんだった。ダイクさんだったから坂の上に家を建てて住んでいたが、その家は妙な家で、坂の上であるから二階が普通の家のように、道路からすぐはいられる土間になっていたが、中にはいると階下が崖をえぐり抜いてできあがっていた。ちょっと見ると、ヒラヤであるが、実際は二階であった。
その坂の上からすぐ大川になり、ガケがつづいていて、飲料水をとるために、清水のわくガケのかみ手からカケヒを引いてあって、そのカケヒの水がおばさんの家のお勝手に年じゅう、そそいでいた。リョウヘイはおばさんの家に行くとすぐカケヒのもとである清水のわくかみ手に、ガケをつたってカニをつかまえにいった。清水のわくところは小さい泉になっていて、じくじくした土の穴の中に、ツメの赤い小さいカニがたくさんにいた。サクラの花弁くらいしかないカニは、おばさんから借りたどんぶりに七八つもつかまえると、どんぶりが白い陶器の地の色であるから、カニのかっこうがことさらに美しく見えるのである。リョウヘイはカニというものの十本の足がよくもあんなにたくさん必要なものだと、考えていた。人間は二本あればたくさんなのに、カニは十本もあってしかもみな同じ足なのであるから驚く、まるであれは機械じゃないかしら、機械というものも、やはりカニの足から考えついたのかもしれないと思っていた。リョウヘイは好きなカニをつかまえると、ガケをつたっておばさんの家にもどり、おばさんのすわっている長ヒバチの向こう側にすわり、どんぶりの中をのぼってはすべり落ちるカニを見ながらおばさんの焼いてくれるカキモチの固いやつをぽりぽりかじるのである。おばさんの家には年じゅうカキモチが正月からしまってあって、リョウヘイが遊びにゆくときっと二枚だけ焼いてくれるのである。カキモチは正月からあるのだから石のように固い、それをかみしめるとミツのように甘い。おばさんはどんな話をしてくれたか覚えていないが、おばさんの顔は大きく、いくらか四角な感じで目は細く、もののいい方がのんびりしていて、せかせかしていない、リョウヘイの顔を見るだけで、ほかのものを見ないで話をするのである。これはおばさんだけにかぎられたことではなく、おとなというものは子どもと話をするときには、なぜかじっと子どもの顔ばかり見つめるものである。おばさんもそうである。なんだかしじゅうにこにこして、気の長そうな話しぶりなのである。そんなときにカニはどんぶりの中をすべりながら歩いていて、それをリョウヘイは楽しく見ながらおばさんの顔はなんて四角いのだろうと思うのである。
タカダ屋というダイクさんはリョウヘイの家にくるダイクさんで、いつでも半分いねむりしているように、何をいってもうんうん返事をする人である。お金がたくさん取れると、自分の坂の上の家に、こんどは本当の二階を建てるのだといって、材木をガケの上にたくさん積んでいた。リョウヘイはそんならこんどは三階の家になるんだね、と、おばさんにいうと、三階ではなく二階の家ですよ、ここは普通の家のようにヒラヤだから、これに建て増しをしたら二階やになるのだというが、リョウヘイは、階下を加えると三階だから三階の家だといって、聞き入れなかった。どう考えてみても三階の家であった。
夏も春も景色が見られていい家であったが、冬はさびしく人どおりもすくなく、雪はふかくつもっていて、おばさんとおじさんとはコタツにあたりながらひっそりと日を暮らしていた。秋にならない前に三階の家が建って、それで、すっかりおじさんは安心してしまったのか、きゅうにすることがなくなったのであろう、リョウヘイが行くと、新聞を読むか、コタツにあたっているかのどちらかで、例によって何をいってもうんうんと返事をしていた。人のいうことを聞いているのか、聞いていないのか、よくわからないようなおじさんだった。雪がいよいよ深くなると、もうコタツからはなれないでいた。おばさんには子どもも親類もないらしい、そして冬は、ダイクさんは北国では仕事を休まねばならないほどの、大雪の日がつづくのである。
おばさんはいつ死んだのか知らない、知ったのは三年も四年も後であった。おじさんはべつのおばさんをもらってから、リョウヘイの家には出いりしなくなり、リョウヘイもべつのおばさんを見にゆく機会がなかった。さきのおばさんほどいい人ではないのであろう。
リョウヘイの家のすぐ前に、一軒のサシモノ屋があった。タバコボンとか、ひきだしのある箱とか、茶ダナとかを作る家だった。そこのおばさんは箱をみがくとか、タバコボンにロウをつけてこするとか、カンナくずのそうじをするとか、そんな仕事をしておじさんの手つだいをしていた。やはり目が細く、なりが高かったが、いつでもリョウヘイはそこでおばさんに、着もののほころびを縫ってもらっていたが、おばさんはそんなことをめんどうくさそうにはしない、リョウヘイが用事もないのにふらりとはいってゆくと、おばさんはきっと呼んで、かえろうとするリョウヘイにいった。
「あ、ちょっと、着ものがほころびているから縫ってあげよう。」
リョウヘイは着ものをぬぐわけにゆかないから、いつも着たまま縫ってもらうのであるが、おばさんはきまってこういった。
「ぬぎましたというんですよ。」
「ぬぎました。」
「それでいいわ。着て縫うときはいつでもそういうんですよ、だれかがきいていますからね。」
「だれが聞いているの。」
「針の神さまなんですよ、着ていて縫うことは針の神さまに悪いからね。」
リョウヘイはふしぎな気がしたが、やはり、ぬぎました、といったほうが安心であった。
お茶のときにテツビンをシキイの上に、リョウヘイはある時にじかに置いたことがあった。テツビンの底が焼けて熱かった。
「リョウヘイさん、シキイというものには親のひたいがあるんですよ、だから、熱いものをおいてはいけません。」
「親のひたいって変だな。」
「親のひたいのように大切なところだということですよ。」
「そう。」
「テツビンでもジュウノウでも、火にやけたものはおかないほうがいいね。」
それ以来、リョウヘイはよくわからなかったが、シキイの上にテツビンは置かないことにした。おばさんがほんとうのことをいったかどうかわからないが、シキイに家の神がいるということ、親のひたいみたいだということが、ながいあいだ忘れられなかった。
おばさんはどんな虫でも、すぐに殺すことがなかった。つまんで庭にすてていた。そして殺すなとはいわなかった。殺さんほうがいいといった。殺さないほうが気がらくだったから、これもおばさんのいうとおりに、アリでも、クモでも、たいていつまんですてた。
冬の雪がとけると、道路が悪くて歩けなかった。アシダというものをいなかでは、いまだにはいているので、雪のかたまりや水たまりでよくころぶのだった。ころぶとヒザのところに泥がくっついて、そのまま帰ると、リョウヘイは母にしかられるのがこわかった。リョウヘイはもらい子であったから、母にすかれなかったし、母はしかってばかりいた。着ものに泥をくっつけてかえれなかった。
リョウヘイはそこでおばさん、またころんでしまったというと、おばさんはよくころぶ子だね、といった。
「コタツにヒザのところを入れて乾かすんです。乾いたらもんであげるからころんだことがおかあさんにはわかるまい。」
おばさんはしばらくたってから、ぴったりと泥水の乾いたところを縁がわに持っていって、もんでくれるのである。泥なんかしらべて見ても、わからなかった。リョウヘイは母親からこごとを食うことがなくなったので、おばさんありがとうといった。
リョウヘイは冬は何もなかったが、夏は庭が広いので、アンズとか青いウメとかビワとかを、母にかくれてもいでいって、おばさんにやっていたが、そんなことをするのがはずかしいので、茶の間の茶ダナの上におくと、おいたとも、あげますともいわないで、だまってかえっていた。おばさんもだまっておじさんと一しょにたべていた。
「大きくなったらおばさんに何をしてあげようかな。」
リョウヘイはきげんのよい時に、そんなことを本気になっていっても、おばさんは取りあわなかった。
「あんたが大きくなったって、こちらが生きていられないからだめですよ。」
「そんなことはない。」
「人間は大きくなるとみな忘れてしまうから、だめ。あんたはそうじゃないにしてもね、ふつうは皆そうなんですよ。」
おばさんのいうことが、リョウヘイにはおとならしいことだったので、子どもを信じてくれないものたりない、たよりなさが、感じられた。
リョウヘイがしかられていると、おばさんは向かいの家から、すぐ飛んできて、自分の家につれて行った。そしてリョウヘイの母にこういうのが常だった。
「ごめんなさいといっていますから。」
リョウヘイは決してごめんなさいといった覚えがないときでも、おばさんはリョウヘイにかわってこういった。そしておばさんは引きずるようにして、うちにはいると、べつに何もいわないで遊ばしていた。リョウヘイはおじさんのカンナくずで舟をつくったり、美しい紙のようなカンナくずをあつめたりして、あそんでいた。
おじさんはおこるようにいった。
「子どもばかりしかったってなんにもならないじゃないか、ほころびひとつ縫ってやるじゃなしさ。」
おばさんは例ののんきそうにいった。
「あの人はあの人でいいのさ。子どもだって大きくなるんだから、一生しかっているわけにいかない。」
おばさんとおじさんの間には、やはり、子どもというものがなかった。それだから、リョウヘイをかわいがっていたいわけではない、ただ、なんとなくリョウヘイが行きさえすれば、いやな顔も、また、特別に歓迎してくれたわけでもなかった。おじさんはたまに、ついでのある時にはワラのクツを作ってくれた。雪の道を歩くときには、ワラグツはあたたかくてぽかぽかしているからだった。
おじさんは年じゅう板きれをけずっていた。どんな小さい板きれでも、大切にしまっていて、家の中はテンジョウにも、タナにも、隅のほうにも、床の上にも、家の入り口まで板のタバや板きれが立てかけてあった。あんなにたくさんの板きれをためておいて、いったい、どうする気だろうとリョウヘイは考えていたが、おじさんは仕事さい中に小さい板きれがいるときがあると、小さい板きれを積んである中から、さがしだしていた。どんな板きれでもちゃんと覚えているのが、リョウヘイにはめずらしい気がした。ちょうど、リョウヘイが小さいよごれた本でも、本という名のついたものを大切にするようなものではないかと、おじさんの板きれのことをくらべて見ていた。リョウヘイは雑誌なぞは、とじ目のこわれたのでも、半分しかない本でも、だいじにしまっていたから、きっとおじさんの板きれも、おじさんの本のようなものだろうと、考えるようになっていた。
リョウヘイがいくつの時だかわからないが、サシモノ屋さんはどこかへか急に越してしまって、行く先がわからなかった。たずねようと思っているうちに、リョウヘイはおばさんがいっていたように何もかも子どもだったからであろう、みんな忘れてしまった。おばさんが生きているのか死んでいるのかも、わからなかった。リョウヘイが大学を出たときにおばさんが生きているわけがなかったからだ。
(「銀河」昭和二三年一月)