素材

正宗白鳥




 私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。また材料を得るために旅行をしたり讀書したりしたことはない。雜誌などに頼まれて何か書かうとして机に向つて筆を採つてから、さて材料はどれにしようかと考へるのである。
 さうすると、いろ/\な材料が頭に浮んで來る。幾十となく思ひ浮ぶ。生きてゐる限り材料の缺乏に苦しむことはない譯なのだ。自分自身の生涯については云ふまでもなく、肉親縁者の事、近隣の男女の事、ピン/\跳ねてゐるやうな生々した人生の姿が次から次へと眼前に浮んで、どれを捉へて來ようかと迷ふほどであるが、さていよ/\その一つを取つて、一篇の人生圖を描かうとすると駄目だ。二三行書くと、ぴたりと行き詰まつてしまふ。頭の中では生きてゐた者が萎びて、書き續けると死んでしまひさうになる。いゝ材料ほど六ヶしい。數十年の文學修業の甲斐のないのに何時も歎息される。
 それで、例によつて例の如き型通りのものを、不承々々に書いて、書き上げたあとで、作者自身詰まらない思ひをして、依頼者や讀者に對して氣の毒な思ひがするのである。今度も「文藝日本」の依頼を、今日中に果たさうとして、朝から齷齪あくせくしてゐるのだが、材料に迷ふばかりで、題目とペンネームとだけを書いては棄て/\して時を過してゐた。書けないから、何時ものくせで、寢ころんで手あたり次第に本を讀んだり雜誌を讀んだりした。
 チエホフなら、あゝいふちよつとした事でも、面白い小品に纏めるのだらうなと、汚れた天井を仰ぎながら、私は旅中のある光景を思ひ出した。
 それは、この春故郷へ歸つた時、汽車の中で見た小さな事であつた。
 汽車が兵庫から海の見える方へ向つて進んでゐる間に、私は昔須磨驛の近くの踏切に建てられてあつた「ちよつと待て」といふ自殺豫防の制札がまだあるのか知らと窓外に目を注いでゐた。「一枝切らば一指を切るべし。」といふ辨慶の制札を思ひ出して、詰まらない興味をも起したりしてゐたが、そこへ、車掌が切符改めに來たので、棚の上の帽子をおろして、そこへ挾んでゐた青切符を取り出した。
「此處は二等室です。」と、車掌が云つて、「ぢや三等へ行きますわ。」と、若い女が云つたのが、私の耳に聞えたので、私は今まで氣のつかなかつたその女の方を見やつた。
 若い女は相當な服裝をしてゐたが、平氣でさう云つて、急がず騷がず私たちの前を通つて三等室へ行つた。
 切符改めが濟むと、中老の田舍紳士が眼鏡越しに上目を使つて、隣の客に向つて、
「圖太い女ですなあ。大阪から乘つたのですよ。あゝいふことには馴れてると見えて平氣なものだ。」
せんを取られるんでせう。」
「なあに、若い女だから車掌も見逃がしてやるんでさ。我我だつたらあゝ簡單に濟ましちや呉れませんよ。」
 あたりの客は、その紳士の方へ目を向けて、その話に同感してゐるやうな顏付をした。
「わたしは昨年越後の方へ商用で出掛けましたが、ある乘り換へ場所で、時間があつたから、茶店へ寄つて休んでゐると鞄の側に置いてあつた切符が見えなくなつたんです。大慌てに搜しても見えない、發車時間は迫つて來るといふので、停車場へ驅けつけて、新奇に切符を買つて改札口へ行きかけると、さつき茶店にゐた時に見た樣子の變な若い男が改札口を入つて汽車に乘つたのを見つけました。わたしはテツキリ此奴だなと思つたものだから、汽車に乘ると車掌に頼んで、切符を改めて貰つたのですが、果してそれだつたのです。明石から新潟までの二等切符で、途中下車のしるしまでもわたしのには違ひないんですからね。それでもしらを切つて愚圖々々云ふから、わたしは横つ面を張り飛ばしてやりました。」
「この頃は汽車の中の切符しらべが煩くなつたが、さういふ奴があるからなんですね。」
 それにつれて、いろ/\な不正乘客の話があちらからも此方からも出た。かの紳士は明石で汽車を下りたが、ある少女は窓から顏を出して、「さつきの女の人が下りたよ。」と母親らしい側の女に知らせた。母親もその側の客も窓の外を見た。
「濟ました顏して車屋を呼んでる。」と云つてある客は笑つた。
「しかし、さつきのお話も少しおまけがありさうですな。」と、さつき紳士の話に合槌を打つてゐた客が云ふと、
「さうですとも。切符を盜んだ奴が同じ汽車に乘るつてことはないでせう。」
 あたりの客は微笑して、同感してゐるやうな表情をした。
 これだけの事でも、うまく取り扱つたら、穿つたものが出來上りさうに思はれたが、私にはいゝ知慧も出なかつた。
 さうして材料の選擇に惱んでゐるところへ、隣室で妻と話してゐた女客が、ふと私の部屋へ顏を出した。この女は婦人病と咽喉の病氣で長い間惱んでゐるのであつたが、氣の弱くて頭が單純で、人の言葉に動かされ易くて、病氣の治療にも迷つてばかりゐた。
「此間は奧樣に東京の病院へ連れて行つて頂きまして。」と、彼女は子供らしい挨拶をした。
咽喉のどの治療をさきにやるんですか。」
「昨日二度目に行つて、喉の中へ機械を入れて電氣で診て貰ひました。何にも惡いものは出來てゐないと仰有るんです。今日は手術するといふことでしたから、機械を入れて切つて下すつたのかと思つて、苦しみを辛抱してゐましたが、あとで承ると、あなたの治療はこれからだと仰有るのでガツカリしました。何處が惡いのか分らないからもつと調べて見ようと云ふんですから、研究の材料にされるやうで詰まりませんわ。」
「毒のせゐぢやないんですか。」
「さうも仰有らないんです。」
「有名な病院でそんなアヤフヤなことを云つちや困りますね。」と、妻は云つて私に向つて「たゞ機械で喉をしらべたゞけで三十五圓も取られたさうですよ。」
「この頃は病院は弱味につけ込んでひどくぼるんだから。」
かんの聲を出す時に、普通の人は喉が開くのに、あなたのは閉ぢる。發音の仕方が惡いのだらうから、今度は教へて上げようと仰有るんですけど……。」
「だつて以前は何ともなかつたんでせう。」
「えゝ。……昨年お稻荷さんのお告げを聞いて貰つたら、毒だつて仰有つたのです。それに、先日も、氣合術で評判の方に診て頂いたら、やはり毒だつて仰有るんです。」
 女客は、巫女から稻荷の護符を貰つたことや、氣合術の人に身體の惡血を吸つて貰つたことを手眞似つきで話した。ある耳の遠い女は耳の血を吸つて貰ふと、直ぐに常人のやうにあたりの音聲が聞えるやうになつたなどゝいくつかの奇蹟について話したので、私たちは笑つた。
「子宮が惡いと云ふと、下腹へ口を當てて吸つて呉れるんですが、赤い血が口に含まりますの。何だか自分の血を取られるやうでいやですわ。」
「その人は手品をやつてるんでせう。」
「わたしは三日で止しました。」
 彼女は十數年前結婚後間もなく、夫の病毒に感染してから、五體に異状を來して、肥滿してゐた昔に比べると、體量が半分になつたことなど話したが、そのために夫を恨むやうな口は利かなかつた。
「とに角東京の病院へ續けて通つて御覽なさい。」と、私が云ふと、
「さういたしませう。氣合術は何だか手頼りないやうですから。」と、女客はさう決心して歸つて行つた。
「婦人科の院長さんのお話だと、あの人は子宮全體を取つてしまはにやならないんですつて。淋しいでせうね。」と、あとで妻が云つた。
 私はこの女のいたましい一生について考へた。またかういふ種類の數多あまたの病女を取り扱つてゐる、私の知つてる婦人病院の院長が、不景氣知らずの巨利を得てゐることも私は考へた。
 素材は多い。しかし、それを藝術品に仕上げるのは六ヶしい。





底本:「正宗白鳥全集第十二卷」福武書店
   1985(昭和60)年7月30日発行
底本の親本:「文芸日本 第一巻第四号」文芸日本社
   1925(大正14)年7月1日発行
初出:「文芸日本 第一巻第四号」文芸日本社
   1925(大正14)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:山村信一郎
2013年6月14日作成
2013年10月16日修正
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