水不足

正宗白鳥




 この土地には水が缺乏してゐる。震災後は殊にひどくなつた。地盤が動搖して水脉が狂つたのか、多くの井戸が涸れてしまつた。昔から、どんな旱魃かんばつが續いた時にも、水量の減じたことのないと云はれてゐた山ノ手の大井戸でさへ、一月十五日の二度目の大地震のためにすつかり調子を狂はせて、稍々ややもすると、乾枯びた底を見せるやうになつた。他所の井戸で貰ひ水の出來ない家では、夜の明けないうちから、汲みに出掛けた。
 雨の少なかつた去年の冬から此年の春にかけては、下町にある四五軒の湯屋は屡々休業した。辛うじて營業を續けてゐた家でも、時間を縮めたり湯水を惜しんだりした。それで、清潔な湯に氣持よく入りたい者は、汽車に乘つて平塚まで入浴に行くやうになつた。
「冬だからまだどうにか間に合つてるが、夏場に大勢の避暑客がやつて來たらどうするだらう?」と、私は氣遣つてゐた。
 私の家には井戸がなかつた。何時まで此處に住むか分らないのに、借りてゐる地所に井戸をるのは馬鹿げてゐるし、ことに私の家の建つてゐるあたりは、地下が岩石なのだから、井戸の鑿賃ほりちんが高い上に、鑿つても水が出るか出ないか、はつきり分らないと云はれてゐた。しかし、下が岩石で固められてゐたからこそ、あの激震に會つても家屋の崩壞を免れて、生命を全うすることが出來たので、さう思へば水の不自由なくらゐは忍んでもいゝのであつた。
「水が充分にありさへすれば、この土地もいゝんだけれど。」と、妻はつねに零してゐた。水に富んでゐる土地から來た知人にも屡々訴へた。
 私だち夫婦はたまに東京へ行つて、水道の栓を捻つて、有りあまる奇麗な軟い水が涌き出るのを見ると、貧人が急に富豪になつたやうに感じて、他人には分らない有難さを覺えて、その水に親しんだ。そして、湯屋などで都人士が、湯水を濫費してゐるのを見ると、勿體ないことをすると思つたりした。
 移轉當時、妻の機轉で、浴室に大きなタンクを造らせて、屋根から雨水を引くことにした。「大島のやうですな。」と、水汲人夫が冷かした。一荷いくらの水代を拂ふのは、洗濯好きの主婦のゐる私の家は、米代よりも水代が嵩張る譯なので、天水の利用はいゝ思ひ付きであつたのだが、その代り、大雨が降り出すと大變だ。夜中にでも飛び起きて、タンクに淀んでゐる古水ふるみずをかひ出さなければならない。タンクが溢れると、浴槽へうつさなければならない。この機會にて、洗濯に取り掛らなければならない。空樽にでもバケツにでも洗面器にでも、滿々と水を湛へて、我々は一安心するのである。…………我々は水については、どれほど神經が過敏になつてゐるか知れない。
 移つて來た最初の夏、久しく雨が止絶えてタンクが涸れて、汚れ物が大分溜つたので、妻は近所の共同井戸へ行つて、二三枚の浴衣を洗濯した。私も汲み立ての冷たい水でサイダや果物などを冷やすために、バケツで二三杯汲んで來たが、すると、薄暗い路次で立ち話をしてゐた長屋の主婦が、「別莊の人は勝手に人の水を使つて、後を放散ほつちらかして歸つて行くんだからいゝや。おらつちは井戸替へをしたり、修繕のお金を出したりせにやならないから割に合はねえだ。」と、聞えよがしに云つた。
「洗濯してると、ジロ/″\此方を見るんですよ。この邊の井戸は組合の外の者には汲ませないんでせう。」と、妻は云つた。
「しかし、金さへ出しや汲んで來て呉れるものがあるからいゝぢやないか。それだけは別莊地だから便利だ。……水汲人夫みづくみてがなくなりや、自分で大井戸まで汲みに行くんだね。おれだつてバケツに一杯づゝなら提げて來られる。」
「でも、水にお金を出すのは馬鹿々々しくつて。」
 ちやんとした浴室があつて、先住者が、檜づくりの浴槽を無代で讓つて呉れたのであつたが、二人切りの小人數で、わざ/″\風呂を立てるのは厄介なので、大抵は下町の湯屋へ出掛けることにしてゐた。私は運動がてら、氣晴らしにもなるし、毎日下町まで往復するのは何でもなかつたので、湯屋の戸の開く時刻を見計らつて、少しくらゐ戸口にたたずんで待つてゐても、一番風呂に入るのを一日の樂みにしてゐたが、妻に取つては、湯屋通ひは厄介であつた。ところが、何時となしに懇意になつた近所のある商家で、「はひりに來い。」と勸めて呉れたので、それを幸ひに貰ひ風呂をすることにした。この商家の老主人は、獨力で富をつくつたので、安田善次郎翁のやうな人であるが、私だちに對しては、不思議に好意を寄せて呉れた。家事についていろ/\世話を燒いた。震災後の修繕の際には、自分で大工を連れて來て差圖したりした。「世事にうとい若い方のすることは、傍で見かねる。」と云つたりした。
 私は、貰ひ風呂は氣兼ねがするので、いくら勸められても頑として應じないで、地震後一月あまり湯屋の休業中は、水浴で凌いで來たのであつたが、妻は非常に助つた。一日置きに立てた湯に、眞先に入れて貰へた。
 氣をつけて見ると、この近所の人は、何かの縁故に依つて、風呂桶の据ゑられてゐる家へ貰ひ風呂に行つてゐるのであつた。老人は云ふまでもなく、若い者でも、一日の勞働を終つて下町の湯屋まで出掛けるのは億劫なので、近所で間に合せるやうにしてゐた。
 私の故郷の家の、風呂貰ひの爺さん婆さんのことを思ひ出した。家中の者の入つたあとで、誰れかゞ垣根越しに近所の家へ知らせると、その聲に應じて、次から次へ貰ひ手がやつて來て、小さな汚れた風呂の中へ入つてゐた。そして、夏の頃であると、浴後に涼み臺に休んで喧ましく、その日の村の噂をして時を過した。……時世の變つたこの頃だつて、あの風習はまだ名殘りを留めてゐるだらう。
「でも、人を手頼るのは不安なものですよ。いくら親切に云つて呉れたつて、それがいつまで續くか分らないんだから。」と、妻は、他の事について近年さう思つてゐると同じやうに、貰ひ風呂についてもさう思つてゐた。
 が、彼女は、近所の百姓家にも、ある關係から話し合つてゐるうちに、そこの風呂にも入れて貰ふことにした。その風呂場は、草花などの咲いてゐる畑の側に假小屋見たいに建てられてゐた。湯の中で蟲の音が聞かれたり、月が見られたりして、傍目には風流に思はれたが、貰ひ風呂の弱味があると、さう悠長に湯浴を樂んでゐられさうでなかつた。
 兔に角、妻が、この百姓家とかの商家の風呂へ、一日代りに入れて貰ふことは一年あまりも續いた。百姓家の若い主婦は、私の家の裏庭の木戸口へ廻つて聲を掛けた。商家からはいつもぼんやりした店僮てんどうが使に立つて呼びに來たが、この店僮は、私だちの返事がおくれると、玄關から無遠慮に上へ上つて搜すのであつた。季節々々の食物など持つて來て呉れる時でも、この小僧はキヨト/\あたりを見廻しながら、玄關から臺所まで入つて來るので、「これから、聲を掛けて呉れさへすりや、私の方から出て行きますよ。」と云ふと、「それぢや、お氣の毒だから。」と答へて、やはり無斷で入つた。
 風呂場ではいろ/\な世間話が聞かれた。
 私の家の向ひ側の八百屋には、老夫婦が住んでゐたが、この老夫婦も、私の妻と同じやうに、かの商家や百姓家の風呂を貰つてゐた。
「八百屋のお主婦かみさんは押しが強くつて、まだ湯が沸いてゐないと云つても、ずん/″\先へ入つて、自分が出ると、直ぐにお爺さんを呼んで來て入れるんですよ。わたしの家ぢや、皆んなが野良から歸つて、これから汗を流さうと思つて待つてるのに、あのお主婦さん、そんなことを構ふ人ぢやないんだから。」と、ある時、百姓家の主婦が不平を云つた。
 その話を妻の口から聞かされた私が、
「八百屋ばかりぢやない。お前だつて、あの家の者よりも先へ入れて貰つてるんぢやないか。水の足らない土地で骨を折つて風呂を立てて、他人を先へ入れる氣によくなれるものだ。」と云ふと、
「あの人だちは、昔氣質むかしかたぎで心が穩やかだからですよ。あしこの老人としより夫婦なんか、そりやノンビリしてゐるの。……此間も、小さい子が居酒屋の飼犬に噛まれて、それが狂犬らしいと云ふのに、苦情も云つてゐないんです。」
「今の時世にでも、百姓にはそんな人があるんだね。」
「あの人だちは、とても八百屋の主婦おかみさんとは口の上で太刀打ちが出來やしませんよ。お向ひの奧さんを、何故わたしより先へ入れるつて、つけ/\とやり込めることもあるんですつて。」
 八百屋の主婦は、六十を越してゐたが、口が達者で灰汁あくぬけがしてゐて、この近所の田舍婆さんとは際立つて違つてゐた。そのあまりに利害にさと過ぎるのに、私の妻などは、時々反感を抱きながら、屡々その口車に乘せられた。
「わたしの家には、風呂桶を置く場所も御座いませんし、お爺さんに、あの年齡としで風呂水を汲ませる譯にも行きませんしさ。近所で入れて貰ふより外爲樣が御座いませんよ。でも、たゞで入つてやしません。ちやんと附け屆けをして居りますよ。」と、主婦は目元に例の愛嬌をこぼして云つて、「あの家も慾が深いんですからね。此間も、××へ行つた時の土産を持つて行くと、長宮の方がお前んとこよりや餘計持つて來たと云ふやうな口を利くから、そんなら長宮の方のをわたしの目の前へ出して見せろ、そんな筈はないと小突いてやりました。此方の心附を、多いも少ないもあつたものですかよ。」
 口達者な主婦は、かの商家の込み入つた家庭の内情をも、そのすばしこい目で觀察して、噂の種にした。それが商家の主人の耳に入つたので、「そんな出鱈目を世間に言ひ觸らされちや困る。」と、主人は家の者に命じて主婦をなじつて、「家には病人もあることだから、今後は湯に入ることもお斷りしよう。」と云はせた。
「それはわたくしが惡う御座いました。」主婦は早速主人の前へ出て詫びて、風呂貰ひにはその晩も出掛けた。
「そんな六ヶ敷いことを云つたつて、あなた。蔭ではどんな尊い方のお噂でもいたしまさあね。」と、主婦は、商家で叱られたことを、私の家へ來て興味のある話の種にした。
 しかし、不斷から主婦を煩がつてゐた商家では、今度をいゝ機會に頑強に入浴の拒絶をした。
「家には病人があるんだから、當分見合せて貰ひたい。」と云つて、主婦の歎願を取り入れなかつたので、主婦はしまひには涙を落した。
「ぢや、どうしても入れて頂けないので御座いますか。……それなら、お向ひの奧さんもお斷りなすつて下さいまし。」
「そんなことは、わたしの方からは云へないから、お前さんが云ひたければ、自分で、お向ひの奧さんにさう云ひなさい。」
 主婦は默つて歸つたが、その翌日私の家の窓際へやつて來て、機嫌のいゝ笑ひ話をしたあとで、
「わたくしはお風呂が貰へなくなりました。」とこぼした。
「人樣のお世話になつてると、いつかそんな目に會ふから手頼りないものね。わたしだつて何時いけなくなるか分りませんよ。」と、事情を知らない妻は、同情を寄せた返事をした。
 今日は人の事、明日は自分の身の上と、妻は感慨を催してゐたが、その夕方、例のぼんやりした店僮が、「奧さんお風呂が湧きました。」と、いつものやうに知らせに來た。
 妻は、入浴具を持つて八百屋の前を横切るのに氣兼ねをしながら、商家へ行つたのであつたが、歸つて來ると、
「わたし達はよつぽどお馬鹿さんなのね。」と、商家で聞いたことを私に話して、「世の中のことは底には底があるのだから、迂闊に人に同情も出來やしない。八百屋の主婦おかみさんは、照れ隱しに今朝けさあんな泣き事見たいなことを云ひに來たんですよ。」
「あの主婦さんも案外氣が弱いんだな。」
「……でも、わたしも、これを機會に貰ひ風呂なんか止さうかしら。今のうちはよくつても、先方でいや氣が差して來た時に、長い間の習慣で斷るにも斷れないで、お互ひに氣まづい思ひをするやうなことが出來て來るでせうから……。百姓家の方でも、この頃は變に卒氣ないんですよ。充分な附け屆けをしないからなんでせうが、高が湯のお禮に大袈裟なことは出來ませんからね。」
 妻はさう云つて、兩方とも穩やかに斷ることに極めた。そして、自分の家で簡單に湯に入れる工夫をして、ブリキ屋に頼んで、トタンの湯桶をつくらせた。
 それから商家から小僧が呼びに來た時に、二三度續けて斷つたが、すると、商家では變に思つて、若い主婦がわざ/″\譯を糺しに來た。
「八百屋の主婦おかみさんにこの先また何と云はれるか分りませんから、わたしの家で湯を使へるやうにいたしました。」と云ふと、
「へえ、それで大きなトタンの桶をおこしらへになりましたの。あんなものを何になさるのかと思つてゐました。」と、商家の主婦は面白さうに笑つて、「でも、父はどうしても奧樣にはこれまで通り來て頂かなきやならないと申してゐますのです。さうでなければ、今まで長い間御懇意にしてゐたのが何にもならないと云つて機嫌が惡いんですよ。」
 さう云つて熱心に勸められたので、妻は今まで通り商家へ貰ひ風呂に行くことになつた。しかし、百姓家の方は、それつきりで、向うから呼びには來なくなつたし、妻の方から、ある用事で夕方顏出しすると、そこの若い主婦が、また湯に入りに來たのかといはぬばかりに、目に角立てた。八百屋の主婦もつひに斷られたらしかつた。
 暫らくして、妻が野菜を買つた次手に、
「あなたは、この頃はお湯はどうしてゐます?」と訊ねると、
「とても下町のお湯屋までは行かれませんから、××さんのお別莊にお願ひして、入れて頂いてゐるんです。」と、主婦は弱つてゐるやうであつた。
「もう避暑のお客樣が大分來たやうだから、この頃はお忙しいんでせう。」
「えゝ、忙しいのは結構なんですけれど、今年ことしはお爺さんも弱つちやつて、おらあ、もう働くのはいやだ、東京の息子の所へ行つて暮したいと云ふんで困りますよ。いくら息子の家でも、他人もゐることだから氣兼ねでさあね。此方にゐりや、老人としより同士で柔かい好きなものを氣ままに食べられるだけでも得なんですからね。」
「どつちにしても主婦さんは、懷中ふところが温かくて生活くらしに不自由しないんだから幸福ですわね。」
幸福しあはせか不幸福か、人間死んで見なきや分りませんさ。わたしども、この先どれほど生きてるものでもないから、老人同士で四國まゐりでもしようかなんて云つてるんですよ。」
 この老いた主婦には實子はなかつた。
 その話を聞いた私は、
「歳を取ると、後生願ひにさう思ふのかも知れないけれど、四國遍路は樂なものぢやないよ。」と云つて、自分自身の生活について考へた。
 かのトタンの桶は、入浴の具になるかはりに、天水溜めに役立つべく、浴室のタンクの側に置かれた。





底本:「正宗白鳥全集第十二卷」福武書店
   1985(昭和60)年7月30日発行
底本の親本:「改造 第七巻第十号」改造社
   1925(大正14)年10月1日発行
初出:「改造 第七巻第十号」改造社
   1925(大正14)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:山村信一郎
2013年11月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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