回想

正宗白鳥




 私は日露開戰の前年、讀賣新聞社に入社して、滿七年間の勤務を續けたのであつたが受け持ちは、主として美術、文學方面の消息を傳へることと、作品の批評をすることで、演劇の批評もしてゐた。今日の文化欄を主宰してゐたのだが、何もかも一人でやつてゐるやうなものであつた。當時の讀賣は、美術新聞であり文學新聞であつたものだが、さういふ新聞に於いて年少の私が一人で自由自在に殆んど何の束縛もなく、藝術全般の批評を試みてゐたことは、回顧して私は不思議に思ふとともに、痛快な事であつたと思つてゐる。
 その道で何の素養もなかつた私が、當代のさま/″\な美術作品を批判するなんか、僭越至極であつたが、傳統に捉へられず、周圍の情勢をも顧慮せず、自分の感ずるところをそのままに打ちまけたところに、何かの新味があつたのではないかと思つたりしてゐる。
 とに角あの時の、讀賣の文化欄は特色があつたのである。いい意味か惡い意味か、他の新聞の穩健平板な文化欄とはちがつてゐた事は、絶えず非難攻撃を受けてゐたことによつても證明されるのである。私は非難を空吹く風と受け流して、自己を發揮してゐたのだが、當時の主筆は、時々にがい顏をしてゐながらも、私に警告もせず、私を排斥もしなかつたのであつた。今日の新聞の有樣から云ふと、想像も及ばぬことである。私が美術批評をも劇評をも止めることになつたのは、自責の念に基いたので、こんな暴評は新聞のためによろしくないと自分で氣づいたためであつた。私の藝術觀、人生觀がおのづから生長したためであらう。あの頃は政治論でも社會各方面の論評でも、私のやうな態度のものが、どこかにあつたかも知れない。
 とに角、今日の新聞の論調は、どの方面ででも、周圍を顧慮してゐるものばかりであるやうだ。





底本:「正宗白鳥全集第二十九卷」福武書店
   1984(昭和59)年3月31日発行
底本の親本:「読売新聞から見た日本文化の八十年」読売新聞社
   1955(昭和30)年3月20日
初出:「読売新聞から見た日本文化の八十年」読売新聞社
   1955(昭和30)年3月20日
入力:山村信一郎
校正:フクポー
2019年2月22日作成
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