今日は無事

正宗白鳥




 このごろは淺間山もしきりに煙を噴いてゐる。鳴動して黒煙を吐き白煙を吐いてゐる。天明の大噴火を想像すると、今の世にだつて、無數の熔岩が猛烈な勢ひをもつて湧出して、六里ヶ原の慘状を新たに現出するのではないかと氣遣はれたりするのであるが、それは詩中の不安情調で、わが心に陰鬱の影がさすのではない。さえた空に、鳴動とともに、むくむくと噴き上つた煙が漂ふのは、見るからに壯快なのである。
 目に見えぬ灰が、いつとなしに地上に跡を留めてゐることがあつても、それはそれだけのことである。今のところ噴火の灰はいはゆる「ビキニの灰」のやうに陰慘ではない。天地に生氣が加つてゐるやうなものである。ところで、新聞やラジオの傳へるところによると、それが眞實であるなら、遠い太平洋で人爲的に降らされてゐる灰は恐るべきものである。人類發生以來、人間はさまざまな恐怖のなかに、どうにか生き續けてきたのであつたが、今度は恐怖のどん詰まりまできたやうな豫感に襲はれるのである。新聞の記事や世間のウハサは、針小棒大の誇張癖を持つてゐるのだからそれをそのままに信じて恐れるのは、杞憂ともいふべきもので、徒らにしよげ返るには及ぶまいと、氣を取り直してゐようとしても、それも不可能でありさうだ。個々の恐怖ではなくつて、人類全體の運命にかかはることなのだから、知者も愚者も、顏の黒い者も顏の白い者も、共同一致して、人類滅亡力を持つてゐる兇惡な魔物を何處かへ封じ込むべきもので、それについては、アンケートを出して訊かなくつたつて、だれも異論はないはずであるが、私は、それについての究極の效果を疑ふのである。
 學者とか何とかの假面をかぶつた惡魔が一度さういふ兇器をつくり出した以上は、いかなる場合かに、それが使用されて、人類の運命を決めてしまふのではないかと私には疑はれるのである。
 水滸傳の魔窟は、洪大尉によつて封印がはがれたのである。現代出現の最惡の兇器を各國が共同して誠意を以つて盡未來際まで封じ込めたとしても、わが空想の目で見詰めると、そこには、「遇洪而開こうにあひてひらく」と記されてゐさうである。將來の洪大尉たる魔王ルシフアは何處かで、兇器使用のためのつめをみがいてゐるかも知れない。一度出現されたものが、永久に使用されないで、立ち腐れになることがあるだらうか。私には不幸にもそれが信じられないのだ。
 聖書にいはゆる禁制の木の實を食つて知惠がついてから人類は苦難の生涯をたどることになつて、自分で自分を亡ぼすことになつたと、ある宗教家はいふかも知れない。汚職騷ぎなども果てしない人類墮落の現れともみられようが、創造主もかういふ人類には愛想をつかして、いつそこれを全滅して、新たなる世界を造り出さうと思ひついて、前例なき兇器を驅使して、自分で自分を全滅させる道を採つたといふ者があるかも知れない。あるひは敬虔なる義人ノアの一族だけを、現代的箱船に入れて殘してあとの人類を亡ぼさうとする神の趣旨かも知れないと、ある宗教家は感じてゐるであらうか。
 かういふ現代感も閑餘の空想であつて、今のところは、かういふ空想を詩人が歌ひ、文人が描き、宗教家が説教の材料にしたりして、世をにぎはし得られるであらう。人類最後の詩や歌は、人間の心を魅惑するかも知れない。人間世界夜明けの詩は、ホーマーのイリアツドであるとすると、人類終末の詩は、だれかによつて何等の形で出現するかも知れない。しかし、人類全滅のその瞬間からは、そんなものを鑑賞する者もなくなるのである。人間自製の人類滅亡兇器を永遠に封鎖する一縷の望みを、まだ我々は棄てかねて、甲論乙駁してゐる有樣は世界今日の現状である。「今日はまだ無事」。





底本:「正宗白鳥全集第二十九卷」福武書店
   1984(昭和59)年3月31日発行
底本の親本:「毎日新聞」
   1954(昭和29)年5月5日
初出:「毎日新聞」
   1954(昭和29)年5月5日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:山村信一郎
校正:フクポー
2019年9月27日作成
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