登山趣味

正宗白鳥




 日本は四面海に囲まれていながら、海洋の文学が乏しい。海上生活を描いたすぐれた文章が無い。しかし、山岳に関する文章は、明治以後にも可成り現れているようである。
 私は山を好む。それは山の空気は下界とは異り、爽やかであるためである。山を好むと云っても、身体羸弱るいじゃくであるため、実際、高山へ登ったことは殆んど無いのだ。最もよく登った山は故郷の後ろの山で、年少の頃から老年の今日にいたるまで、故郷に住む間は、殆んど毎日のように登っている。卅分位で頂上に達せられる程の小さな山で、中央山脈やヒマラヤ山を踏み破る豪傑的登山には比ぶべくもないが、それでも私だけの登山趣味はあるのだ。浅間と阿蘇とヴェスヴィアスの三噴火山には登っているが、私の心に感銘されているのは、下界とちがって空気の爽やかなことである。もっと高い山だと空気が稀薄で呼吸が困難であるか知らないが、目に映る世界は美麗を極めているに違いない。二万尺にも達するチベット高原の、宏大なる眺望と豊麗なる色彩はこの世のものとは思われない。という気持を、私はよく想望する。砂礫ばかりの樹木のない荒寥たるべき景色も、空気の清澄なために、この世の楽園の光景を呈するのであろう。
 登山家の深田久彌氏が云っている。「僕などはただの山好きで、降りたり登ったり景色に見惚れたりするだけで満足している男であった。功利的な収穫は何一つないが、ただ漫然と山を歩いていることがきっと眼に見えぬ生命の大きな貯えになっているに違いない。」
 この態度がいいと私は思う。そこが深田氏の『わが山々』という近刊の登山記録集が、清新で面白い所以である。あまり玄人染みた登山家のは、我々には案外面白くない。氏はまた「風景鑑賞の玄人は、次第に渋みがかった落ちついた景色が好きになる。」と云い、ニイチェの文句を引用し、「ジュネーヴからモンブランを見た景色はつまらない。ただ観念的な知識の慰めがあるばかりだ。」と云ったニイチェの感想に同感しているが、私自身に取っては、ジュネーヴから見たモンブランの景色は天下の絶勝のように感銘されている。
 スイスの湖水、アルプスの山々は、近年はむしろ平凡視され、登山者はヒマラヤの連峰などに熱意を注ぐようになったそうだが、我々には登山記のうちでは、今なおスイス物が最も趣味豊かである。日本人の筆に成ったものでは、辻村伊助という人の『スイス日記』が最も傑れている。これは登山紀行中の神品である。アルプスの雪崩の中に巻き込まれ生死の境を体験してようやく助ったこの著者は、十余年後の大地震の際、箱根の山崩れに会って、家とともに埋没されたそうである。





底本:「紀行とエッセーで読む 作家の山旅」ヤマケイ文庫、山と溪谷社
   2017(平成29)年3月1日初版第1刷発行
底本の親本:「予が一日一題」人文書院
   1938(昭和13)年12月1日発行
初出:「読売新聞」
   1935(昭和10)年2月2日夕刊
※読売新聞夕刊にて「一日一題」の表題で、1935(昭和10)年1月5日から1940(昭和15)年9月27日、1949(昭和24)年11月30日から1953(昭和31)年3月2日まで断続的に連載された中の、1935(昭和10)年2月2日連載分です。
入力:富田晶子
校正:雪森
2020年9月28日作成
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