輕井澤より

〔小川未明君へ。〕

正宗白鳥




 小川未明君へ。
 先日のある新聞で、二兒を左右に伴つた君の勇ましい寫眞を拜見しました。それからその下に掲げられた君の談話の中に、「少しでもいゝ空氣を子供に吸はせたいために朝早く雨戸を開けてやる。」と云つてゐられるのを讀んで、君の側で君の話を聞いてゐるやうな氣がしました。そして、此方の清涼な空氣を君の天神町の二階まで輸送して上げたいと思ひました。(大阪のある富豪が六甲山の空氣を自分の部屋へ水道の鐵管のやうなもので呼ばうとしたといふ夢のやうな話を上司君から聞いたことを思ひ出したのです。)
 この頃の僕は眞の孤獨の生活をしてゐます。終日一語をも發せずして日を暮すことがあります。一字を書かず一語を發せず新聞以外に何も讀むことさへしないで一日を過ごすこともあるのです。
 頭腦あたまをも絶對に休めてゐようと思つてゐるのだが、しかし、生きてゐる限りは何かかにか、心に浮んで仕方がない。眠つてゐても無用な夢を見ることの多い僕は、醒めてゐる間は尚更、考へなくてもいい事を考へていけないのです。
 蠅叩きを片手に持つて、うるさく手足に觸れる蠅を叩き潰し或ひは追ひ拂ひながら、「人間の幸福は日光の中に舞つてゐる蠅のやうなものだ。」といつたある歐洲文學者の言葉に感歎したり(之れは先日讀んだ谷崎精二君の小説の中で學んだ言葉)蟲の音が繁くなつて庭前にはさき女郎花をみなへしが盛んに咲いたのを見聞きしながら何時の間に高原が秋になりかけたのかと、時節の移りかはりに感動したりする。
 岩野泡鳴氏が死んだかと思ふと間もなく先日中澤臨川君が死んだといふ知らせによつて、僕はまた驚かされました。中澤君も近來頻りに感傷的な事を書いてゐましたが、あれも病氣のせゐだつたのかも知れません。中澤君は聰明な頭腦を服つてゐた人ですが、私が知つてゐるかぎりでは、岩野氏と同じやうに、平生「死」といふやうな陰氣なことについてはあまり考へなかつたやうな快活な人だつたのです。君や僕のやうに人間や萬有の死について心を暗くするやうな無用な暇潰しをしなかつたことは岩野君と同樣だつたと思はれます。
「人間は日光の中だけに舞つてゐる蠅のやうなものだ。」と、私はこの句に感動しなければなりませんが、感動したつて何の慰藉になる譯でもありません。古來東西の大文豪の作物を讀んで感動することはあつても、要するにそれだけの者で、根底に於いて我々に希望の光を與へることは絶對にないのであります。法然上人が教へられたやうにたゞ信ずる氣になれば兔に角さうやす/\と信ぜられない我々は、西方へ向いても東方へ向いても幻以外に何もありはしません。
 我々の知人は一人々々底の知れない穴の中へ落ちて行きます。パルチザンの女を待つ暇もないのです。それにまだ慄然としないでこんなことを云つたり書いたりしてゐる僕や君は神經が遲鈍だといはねばなりません。
 今朝西の空に奇麗な虹が現れました。昔の人があれを希望の光だと云つて喜んだのは無理がないと思はれます。千草に宿つてゐる朝露を踏んで離れ山へ上ると、途中の萩は最早花をつけかけてゐました。山の上には蜻蛉とんぼが群れを成して飛んでゐました[#「飛んでゐました」は底本では「飛んでいました」]
 夜が退屈だつたので、ついこんな手紙を君に宛て書く氣になつたのです。





底本:「正宗白鳥全集第二十六卷」福武書店
   1986(昭和61)年3月31日発行
底本の親本:「時事新報」
   1920(大正9)年8月21日発行
初出:「時事新報」
   1920(大正9)年8月21日発行
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
※〔〕付きの副題は、作品の冒頭をとって、ファイル作成時に加えたものです。
入力:よしの
校正:きりんの手紙
2020年3月28日作成
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