弔辞(室生犀星)

正宗白鳥




 先夜室生犀星君の逝去を電話で最初に知らせて来た或る新聞記者は、同君についての私の感想を求めた。が、私は咄嗟に返答することが出来なかったので固く断った。私は現代作家論を幾つも書いているが、犀星論はまだ一度も書いたことがなかったように思っている。それについていろいろ考えながら眠りに就いた。翌日弔問のために、氏の住所を記した紙片を持って出掛けたが、一二度新聞社の自動車で、氏の家の前に立ち寄っただけなので、単独では方角が分らなかった。タクシーの運転手にも分らないので乗車を断られた。あちらこちらまご/\した果て、通りがかりの巡査に訪ねて、その巡査に案内されて、ようやく目的地にたどりついたのであった。
 はじめて氏の庭園を観た。ささやかな庭園であっても、私などとちがった芸術心境をそこに観たような感じで、座に就いてからも、いろ/\に氏の作品について空想を恣にして、私自身の作品との相違を考えたのであった。
 犀星君は無論詩人である。生れながら詩を欠いでいるような私の窺い知らない純粋な詩人であるらしい。氏は自分の好みの庭を造るとか、さま/″\な陶器を玩賞することに心根を労していたらしい。そういう芸術境地が氏の小説その他の作品に漂っているのである。私の作品にはどこを捜しても、そういう芸術心境が出現していないようである。私の住宅に庭と称せられる物があっても、それは荒れ地に、樹木雑草が出鱈目に植っているだけである。私の文学もその通りであろう。こんなものが芸術かと室生君には感ぜられそうである。庭や陶器など別として、君の小説を観ると、女性に関する関心が丹念に深さを進めていることが、私にも感ぜられるのである。ねばり強い事一通りでなさそうである。私はそれ等の点から新たに犀星君の作品検討を試みようかと、普通一般の宗教形式に由らない追悼の席に坐りながら思いを凝らした。室生君とは軽井沢に於いて親しくしていたのであった。心に隔てを置かず、世間話文壇話をしていたのであったが、陶器や庭園に関する立ち入った話、或いは文学そのものについての立ち入った話は一度もしたことがなかった。淡々とした話で終始していたのだが、それだからお互いに気まずい思いをしなかったのであろう。
 私は君よりも老いている。今後いつまで君の面影を私の心に留める事であろう?
(「心」昭和三七年五月)





底本:「白鳥随筆 坪内祐三選」講談社文芸文庫、講談社
   2015(平成27)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「正宗白鳥全集第二十九卷」福武書店
   1984(昭和59)年3月31日発行
初出:「心 第十五巻第五号」平凡社
   1962(昭和37)年5月1日発行
※初出時の表題は「弔辭」です。
入力:藤間清霞
校正:きりんの手紙
2020年2月21日作成
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