人民詩人への戯詩

槇村浩




1 中野重治


「ここは穴だ
黒くて臭い」
これは中野重治の生涯のスローガンだった
彼は帝国ホテルのまん中で立停り
鼻をいじりながらこう呟いた
それから機関車の後姿を見送って
うや/\しく敬礼しながら
だがこの偉大な「大男」の煤臭いにおいにへきえきして
またこう呟いた
列車が雨のふる品川駅につくと
彼は前衛の乗客を見送りながら
大きく息をついて
「さようなら」と言った
中野はいつも「さようなら」と言いたがる

だが中野は党員である
彼は投獄されると、はじめて
いつでも「いよいよ今日から」だとゆう
そして多かれ少なかれがんばらない彼のグループの中で
彼は最後までがんばることで有名である

中野は牢獄であらためてハイネを読み
ハイネはやはり自分よりまづいなと思う
だが中野がハイネに対する長所と短所は
彼が彼の美くしい同志である妻に対して
ハイネのような恋愛詩集を恐らく一生かかっても書けない所にある
彼は酒をのみ
さながら党員であるかのように
党員をサボタージュしている
そしておっかなびっくり彼の妻に接吻しながら
「おれは今夜お前の寝息をきいてやる」とゆう

2 森山 啓


散文は抑揚と句読点によって韻文に転化される
これが森山啓の詩論だった
彼の情熱的な「南葛の労働者」を
人民たちは一字一句を変更することなく
浪花節に引きのばして歌うことが出来た
だがあのころの集会の思い出に
今なお労働者は眉をひそめて彼をなつかしがる

「隅田川いざ事問わん森山啓
  過ぎし人望ありやなしやと」

何といっても
「コンミューンの戦士」と「犠牲者の遺児に」は彼の傑作だった
階級的な仕事の中で
個人的な享楽とものを書くことより牢獄を選ばねばならぬときは
ふしぎと思い出したように、いつでもこの詩が愛誦されたときだった

社会主義リアリズムをはな/″\しく引っさげて打って出た時は
皮肉にも彼が実にリアルに沈滞した時だった
だが彼の沈滞は
一九〇五年のベードヌイ以上ではない
さすらい人めいた述懐がちらつこうと
常に中国人民に詩と情熱をそそいでいる森山でなければならぬ、「北平の風の中で」のように

3 上野壮夫


「勝つも負けるも力と力
何でやめられよかこの戦さ」
これがかの勇敢なコスモニストの克服者だった上野壮夫の歎声だった
彼がうっかり詩のラインに引き込んだ
「友よゆるせ」の一句は
敗北したインテリゲンチャたちの時代の象徴語となった
遠地輝武は「音のない群像」と彼の詩を評した
彼は人民を骨の髄まで煽動する
人民が彼の死んだシルエットである間は
彼は「飢餓皇帝」のように、大仰にマントをおっひろげ
大地に耳をすまして、楽屋に合図をしながらぼそ/\呟く
「そーらまた、飢えた厄介者めが立上って来るぞ!」

4 伊藤信吉


彼は風のように来、風のように去った
伊藤信吉は飛翔のできる限り、世界の固有名詞の間を飛翔した
それは彼の「風の歌」だった
ウスリのパルチザンを讃え
中国の白テロにいち早く抗議した彼も
とう/\風を引いた
牢獄の木の扉は、やさしく彼の肩をたゝいて「お休み」と言った

伊藤の故郷は「寒流」の流れるうすらさむい里だ
彼は荒れすさんだ心の大陸の廃墟へ帰って行った
敗北の竪琴は彼のがらんどうな胸の中で
ぶーんぶーんと横っちょに揺れながら
「サヴェートになったら帰っておいで」と彼に告げた

5 工屋戦二


同志工屋戦二―――この若い労働者はわたしらに、図式化されぬ戦列の行進曲マルセーユを教えた

むかし わたしらは歌った
それは生産の轟音と××の燃焼者として
張りつめた重苦しい思想の激潮―――どよめく奔流の疾走者
さゞめく周期風に、寛衣をはためかせた檣頭手としてだった

いまわたしらは
静かな組織の微風に胸をおしつけ
瞬間の静寂に、散らされた嵐を呼ぼうとする
そして全線の中で波立つ水平をめぐる気負った清新さと共に
労働の鼓動をうたう青年舵手を見た

それは没落の腐り水を洗う新ネフスキー街の掃除夫
牢獄の暗鬱を吹き払う
さわやかな秋の青嵐―――
わたしらはこの日本一のみず/″\しさをもつ詩人に、心からの挨拶を送る
さゝやかな、「声なき仮面」を発掘しえぬ若さは
また退却なき
共産青年コムソモールの春であるだろう





底本:「槇村浩詩集」平和資料館・草の家、飛鳥出版室
   2003(平成15)年3月15日
※()内の編者によるルビは省略しました。
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年9月25日作成
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