メメント モリ

田辺元





 西洋には古くからメメント モリ Memento mori(死を忘れるな)というラテン語の句がある。ふつうには、例えば髑髏(しゃれこうべ)の如き、人に死を憶起させるものを指してかく呼ぶのであるが、しかしその深き意味は、旧約聖書詩篇第九〇第十二節に、「われらにおのが日をかぞえることを教えて、知慧の心を得さしめたまえ」とあるのに由来するものと思われる。けだし人間がその生の短きこと、死の一瞬にして来ることを知れば、神の怒を恐れてそのおこないを慎み、ただしく神に仕える賢さを身につけることができるであろう、それ故死を忘れないように人間を戒めたまえ、とモーゼが神に祈ったのである。その要旨がメメント モリという短い死の戒告に結晶せられたのであろう。ところでこの戒告は、現代のわれわれにとって、今述べた詩篇の一節に含まれて居たような内容とはだいぶん違った一層深き意味をもつごとくに思われる。なぜならば、今日のいわゆる原子力時代は、まさに文字通り「死の時代」であって、「われらの日をかぞえる」どころではなく、極端にいえば明日一日の生存さえも期しがたいのである。改めて戒告せられるまでもなく、われわれは二六時中死に脅かされつづけて居るのだからである。しかしそれではわれわれは果して、この死の威嚇によって賢さを身につけ知慧の心を有するに至ったであろうか。否、今日の人間は死の戒告をすなおに受納れるどころではなく、反対にどうかしてこの戒告を忘れ威嚇を逃れようと狂奔する。戒告を神に祈るなどとは思いも寄らぬ、与えられる戒告威嚇の取消しを迫ってやまないのである。例えば毎日のラジオが、たあいない娯楽番組に爆笑を強い、芸術の名に値いせざる歌謡演劇に一時の慰楽を競うのは、ただ一刻でも死を忘れさせ生を楽しませようというためではないか。「死を忘れるな」の反対に「死を忘れよ」が、現代人のモットーであるといわなければなるまい。
 西洋の文芸復興期に始まった生の解放という気運は、ただに近世において絢爛たる芸術文学の花を咲かせたばかりではない。更に生の自由なる享楽と伸張とのために発達した科学技術をあくまで奨励発展せしめて、遂に今日の科学技術時代をもたらしたのである。科学技術がそのはじめ生に奉仕すべき使命をになって居たことはなんら疑をれないところである。その関係を生の立場から反省した結果が、科学の自覚としての哲学における実用主義認識論に外ならない。しかも哲学はこの科学批判にとどまらず、更に一般に文化をその批判の対象として生の普遍的自覚にまで自らを拡充した。前世紀末から今世紀初にかけて流行したいわゆる「生の哲学」というものこれである。それに属するのは、ただにこの名を標榜するものには限らない。一般にいわゆる理想主義の哲学といわれるものも、人間に固有なる理想的本質を実現することをもって生の満足となし、生を超え死を超ゆる何ものかに奉仕することをも生のためであると主張する限り、すべて「生の哲学」に外ならないのである。たとい、その何ものかを生の彼岸に超越するものであると考えるにしても、それがどこまでも生の此岸から指向せられ要請せられたものである限りは、実はやはり生の要求上定立せられた観念に止まり、真に超越的なるものであるという実証はない。多くの宗教が生を超越する立場を標榜するにかかわらず、実は生を超えるものでないことはその証拠である。神仏を人間の福利のために礼拝するならば、それは超越的なるものに奉仕するのではない、反対にそれらを生に奉仕せしめるのである。
 しかるにこのような生の立場の世界観、すなわち広く「生の哲学」と呼ばれるべきものは、その生の立場の文化的産物、なかんずく現代におけるその代表と目される科学技術のために裏切られて、今やのっぴきならぬ自己矛盾の窮地に追込まれて居る。現代の危機とか不安とか呼ばれるものはこれに外ならない。その結果、従来価値の原理と認められて来た生が、今やその根柢をくつがえされてニヒリズムに陥り、その反対勢力たる死にわたされて居るのが現状である。それでは人間は果して永くニヒリズムに留まることができるであろうか。否、それは生の顛覆に外ならないから、生が自己を保ち能う所ではない。そこでは生はただ断えざる不安にさいなまれ、死の威嚇に翻弄せられるのみである。死の威力に脅されながらかえって死に誘惑せられるのも、そのような生の空虚に絶望する結果である。現代における自殺の流行はその兆候に外ならない。しかし自殺はいうまでもなく生の敗亡であり死の勝利であって、とうてい生の自己矛盾の突破ではあり得ぬ。それが生の逃避ではあっても生の貫徹満足ではないことあきらかである。われわれは自殺の誘惑に屈服することなく生を遂げるために、別の方途におもむかなければならぬのである。
 しからばその途とは何であろうか。そもそもわれわれが生の自己矛盾に追込まれたのは、生の直接なる享受を無反省に追及し、その結果、生は常に死に裏附けられ、何時その表裏が顛倒して、死が表に現れ生が裏に追いやられるかわからない、という自覚を失うからである。すなわち正に、「死を忘れるな」という戒告に反して死を忘れる結果なのである。今や改めて、メメント モリの戒告に従い、それを実行しなければならぬ時機に、追詰められて居るわけである。しかしそれではこの戒告は果して実行可能であろうか。また実行可能であるとして、その結果詩篇の句にある如く知慧の心を有せしめるものであろうか。そこにはいかなる根拠と理由とがあるか。今や「生の哲学」の破綻に直面した現代の人間は、改めて「死の哲学」を問題としなければならぬ運命に際会して居るといってよい。「死の時代」は当然に、「死の哲学」を要求するわけである。元来西洋の哲学は、その歴史的由来と発展径路とに従って、いうまでもなく「生の哲学」に属する。今日これを自己矛盾の破綻に追詰めた直接の原動力が、科学技術に外ならざることを見るならば、そのことは説明の必要がないであろう。それに対して、もし「死の哲学」というべきものが、現在から将来への課題として人類に負わされるとするならば、その最も有力なる手引となるもの禅の悟道にくはないと思われる。今日西洋において禅に対する関心が一般に高まり、特に、すぐれた哲学者芸術家のそれに対する傾倒の尋常ならざるものがあるのは、一にそのためであろう。私はかねてから「死の哲学」を、自己の要求上私自身に課して来たものであるが、しかしその結果はなお未熟であるばかりでなく、簡短にそれを要約することも容易ではない。他日を期する外ないのである。ただその代りに、みずから同じ課題に力を注がんとせられる人々のために、その手引として禅の公案の一つを紹介し、禅道の見地からよりもむしろ「死の哲学」の手引という立場から、それに解釈を加えて見ようと思うわけである。


 私の選ぶ公案というのは、碧巌集へきがんしゅう第五十五則として伝えられて居る道吾どうご一家弔慰という則である。唐代に起ったその話はこういうのである。生死の問題に熱中する若年の僧漸源ぜんげんが、師僧の道吾にしたがって一檀家の不幸を弔慰したとき、棺をって師に「生か死か」と問う、しかし師はただ「生ともいわじ死ともいわじ」と言うのみであった。けだし漸源の意、もし生ならば弔慰するに及ばず、またもし死ならば弔慰も通ずることなからんという二律背反に悩まされて、師道吾に問をかけたわけであろう。しかし師僧はこれに対しいずれとも明確なる答を与えなかった。そこで漸源更に帰院の途中再び道吾に問い、答えずんば打たんと迫った。しかも道吾依然答を与えなかったので、漸源遂に師を打つ。そののち道吾他界するに及び、漸源は兄弟子にあたる石霜に事のいきさつを語ったところ、石霜もまた不道不道(いわじいわじ)というのみであった。漸源ここに至って始めて、生と死とが互に両立せざるものとして区別せらるるにかかわらず、それを矛盾律に従い、生か死かと判定する能わざるものなること、両者を不可分離の聯関れんかんにおいて自覚せる者に対してのみ、その問が意味を有するものなることを悟り、先師道吾が自分の問に答えなかったのは、彼をしてこの理を自ら悟らしめるための慈悲であり、その慈悲いま現に彼にはたらく以上は、道吾はその死にかかわらず彼に対し復活して彼の内に生きるものなることを自覚し、懺悔ざんげ感謝の業に出でたというのである。
 今この公案に哲学の立場から多少の註脚を加えるならば、それの核心というべきものは、生と死といずれも人間の自覚に属し、しかも相関聯するものとしてのみ自覚せらるること、単に外界に生起する出来事とは異なるのであるから、これを了知するには、何よりもまず自ら両者を表裏相即不可分離の聯関において経験し自覚しなければならぬ、両者の外に立って観想的にそれを眺め、「あれかこれか」と分別する立場に止まっては、とうていその真義がとらえ得られるものではないということである。それにつき、客観的事実として「あれかこれか」と二者択一的に判定し得るものでないからには、「生か死か」と問われても、「生ともいわじ死ともいわじ」と答を拒む外ないのである。しかしその理に想到し、自らの問が客観的には答うべからざるものなることを悟ってこれを断念し、それを悟らしめるために慈悲の鉗鎚けんついを加えた先師が、その死にかかわらず今もなお生きて自己の内にはたらくことを自覚すれば、死にして生という死復活の真実が実証せられるわけである。一般に人間は生か死かの行詰まりにおいて自ら進んで自己をなげうち棄てる行為に出でるならば、死にながら生との緊張聯関を保ちつつ、かえって死を生に転換し得る。生死は本来自覚にとり離ればなれのものではなく、表裏相即し、決死行為に依って相入流通せしめられるものだからである。もしただ生のみに執着するならば、かえって反対に死を招くという矛盾に陥ると同時に、自ら進んで死する自己抛棄ほうきの実行は、生の自己矛盾を脱出せしめることができる。もとよりそれは単に、みずから自由に死する能力が人間に具わるという知識を意味するのではない。進んでその能力をはたらかせ実行するとき、始めて不思議にも生死交徹こうてつ相転換してその相入相即が実証せられるのである。生死を超える絶対者は、二律背反を転換的に統一して、死における生を信証せしめ、死復活こそが死に脅されることなき真実の生に外ならざることを悟らせる慈悲であるといわなければならぬ。それは生の直接存在を否定転換して死復活の生に翻し、もって本質的生を遂げしめる原理であるから、絶対無即愛といわれるわけである。
 しかしながら、単にこの絶対無即愛の恩恵に依って死復活の転換を行ぜしめられるだけでは、各現在において、いわゆる「永遠の今」といわれるべき瞬間の信証が、成立するのみであって、その復活的生の内容がなんらか持続するものとして具体的に充実せられることはないであろう。それでは、たとい死に脅される生の不安が解除せられるとしても、積極的に生の本質を恢復し、死苦の中に生きる喜あらしめるものがないといわねばならぬ。すなわち生きながら死するばかりでは、死につつ生きるといわれるべき理由が認められないわけである。この難点はいかに解決せられるであろうか。
 そもそも絶対は絶対無即愛といわれるべきものであるとしても、絶対的なるものは本来相対存在を超越するからには、それが直接に相対者と同一水平面上ではたらき、愛を恵むということはあり得ない。必ずそれには相対者が媒介として介入し、自らはたらきつつ、はたらかされるのでなければならぬ。東西の宗教いずれも中間媒介を絶対と衆生人間とのあいだに介在せしめ、祖師とか預言者とかの役を演ぜしめるのはそのためである。科学の一般的理論は師につかないで独学することも可能であろう。しかし絶対に具体的個別的なる自覚の真実は、出会いに依って結ばれた生ける師弟の間で、実践的に行ぜられた所を師から学びつつ自ら悟ることに依ってのみ、伝えられるのである。生ける個別的人格の交通なくして、絶対的真実は学ぶことも悟ることもできない。従って絶対無即愛も、生ける師の愛を通じて媒介実現せられるのである。しかしてその師の愛を通じて自ら真実を悟得した弟子は、それに感謝する限り、当然に、自ら悟り得た真実を報謝して、更に新しく他人に回施えせし、彼をして彼自身の真実を自悟せしめるための媒介としなければならぬ。ここに自ら真実を悟るに師を要すると同時に、その真実を更に他に回施するに、それぞれ自己に固有の真実を自覚する主体(すなわちいわゆる実存)が、個別的にしてしかも普遍的なる真実に対応してモナドロジー的に実存協同を形造るべきゆえんがある。自己は死んでも、互に愛によって結ばれた実存は、他において回施のためにはたらくそのはたらきにより、自己の生死を超ゆる実存協同において復活し、永遠に参ずることが、外ならぬその回施を受けた実存によって信証せられるのである。死復活というのは死者その人に直接起る客観的事件ではなく、愛に依って結ばれその死者によってはたらかれることを、自己において信証するところの生者に対して、間接的に自覚せられる交互媒介事態たるのである。しかもその媒介を通じて先人の遺した真実を学び、それに感謝してその真実を普遍即個別なるものとして後進に回施するのが、すなわち実存協同に外ならない。この協同において個々の実存は死にながら復活して、永遠の絶対無即愛に摂取せられると同時に、その媒介となって自らそれに参加協同する。その死復活は師弟間の愛の鏡に映して自覚され、間接に永遠へ参じ不死を成就するといってよい。
 このように生死が自然現象の如く客観的事件として存在するものでなく、あくまで個々の実存的主体に対して自覚せられる媒介事態であるのみならず、生と死とは、前者の終末限界として後者が前者から予想せられるところの事象であるに止まらず、自ら進んで生の執着を抛ち棄てれば、かえって死が生に復活せしめられ、愛に依って結ばれる実存間において、それが実存協同として自覚せられ、死せる先進者の慈悲は生ける後者にはたらくことが実証せられると同時に、その感謝報恩のため、更に自己の後進者に自らの悟得せる真実を回施し、その後進者をして彼に固有なる真実を悟らしめる結果は、疑もなく死復活せる生を本質的に喜あるものたらしめるはずである。もし果して「死の哲学」の真実がかかるものであるとするならば、「生の哲学」の窮境を打開する路が、ここに見出だされることは否定できないであろう。
 すでにクリスト教は、ギリシヤ人に固有なる調和的生本位の科学的世界観を超出して、旧約のヘブライ宗教から伝えられた人類の堕罪説と、それに対する神罰としての死の観念とを、教の中心に置き、その死を免れる途として、神の怒をなだめてそのゆるしを乞うために、罪を悔改め、自己を犠牲に献げて神の愛と隣人愛とを実践する新約の立場に進み、死復活を説いたのである。更にそのイェスの福音を彼自身の十字架上の死とその復活にまで具体化し、主イェス・クリストを神子として神の人間に対する愛の媒介となすに及び、死復活の観念はクリスト教の中心となったわけである。その際復活せるイェスの直接に現れたのが、彼の生前に彼を崇め慕った直弟子や婦人であったという福音書の記事は、さきに述べた如く、生死の主体的交互媒介的自覚に属すること、しかも両者の相入相即の交互的転換に依る自覚が、「生の哲学」を「死の哲学」へ翻転せしめるものであるということを裏書きするものでなくして何であろう。私は「死の哲学」の真実をクリスト教から学ぶこと最も大なるものである。
 しかしながら翻って考えると、クリスト教の神は旧約以来の規定に従って本来絶対存在(いわゆる「在りて在るもの」)であって絶対無ではない。もっともクリスト教神学が哲学的に組織せられ、神話的伝説にかわって哲学的弁証がその内容となるに従い、神が絶対有から絶対無に転ぜられる傾向を示したことは争われない。しかし神が絶対無にまで徹底せられたことは極めて稀な場合に限られ、しかもその場合といえども、あからさまにそれを主張することはほとんどなかったのである。仏教、特に禅が空を説き無を標榜するのとは、正に反対であった。クリスト教が「生の哲学」と結び附き、信仰を生の否定謙抑けんよくよりも高次の生として崇める方に傾くのは自然である。今日西洋において比較的最も禅に近づきつつあるいわゆる実存主義の哲学も、なお絶対無を絶対無として行証するのでなく、依然として存在学たることを標榜するのは、その証拠であるといわれよう。私はそのような哲学に負う所はなはだ多きにもかかわらず、なおこれに賛同することができず、遂に「死の哲学」まで思索を徹しようとするわけである。それでは「死の哲学」に内実を供するものとしての禅の真実というのは、そもそもいかなるものであろうか。それは約言すれば、真実の獲得についてさえ自己の満足を抑え達成を控えて、いやしくも死の戒告に背き死の裏附けのない直接的生の満足に連なるものは、これを断念しようとすることである。大乗仏教の中心観念たる菩薩道というのはこれに外ならない。これこそ、「死の哲学」に近きクリスト教にさえ欠けるところの、絶対無の徹底であると思う。


 クリスト教も右に述べた如く本質上死復活の立場に立ち、神の人間に対する愛と人間の神に対する愛とを、その中間媒介としての神子クリストに依って両者の交互態にまで具体化しようとするものである。しかし神の絶対存在性は絶対無を超え出て有たる生命を保持するが故に、その教の内容はあくまで生の充実有の完遂というものを目標にするのは当然である。神子クリストもその人間性は漸次稀薄にせられて神性を濃厚にせられ、主クリストとしてほとんど神の代理者の地位にまで高められた。しかしそのため、クリストの完全性が神に迫るという問題は、神学の難問たらざるを得なかったわけである。その二律背反は、すでに仏の地位に達する資格を保有しながら、しかも自らその能力を抑え制限して最高点まで登らずにかえって仏より低き地位に止まって衆生に伍し、それにより衆生の済度さいどに任ぜんとする大乗仏教特有の菩薩の在り方と比較するとき、後者の無の立場に反し前者が有の立場たる生の完満に終始することは疑を容れぬと思う。クリスト教の神学が組織せられる際にその機関となったものが、ギリシヤ哲学における生的存在論の完成であったアリストテレス哲学であったということは偶然ではない。クリスト教の、「生の哲学」的傾向は、本来固有であったといってもさしつかえないであろう。
 それに比すると菩薩道が、絶対無即愛を徹底的に実現する立場であり、あくまで自己否定を媒介とし自制謙抑を通してのみ、衆生済度の愛に生きんとするものであることは明白である。その特徴は今触れた如く、人間の至上存在としての仏となる資格を具備しながら、それをそのままに実現することを差控え、他の衆生をまず先に作仏さぶつせしめるためには自己の作仏を抑制し、遂にそのため、直接には自己の作仏の障礙しょうがいとなる如き悪といわれる行為をも、無心・善悪の彼岸において方便として敢行し、死復活の絶対無即愛を、どこまでも自己否定自己制限の条件の下にのみ媒介的に行うことにある。クリスト教の神を神学的に理解する場合、純粋活動としてあらゆる否定障礙から完全に解放せられた絶対存在としてのアリストテレス的神の概念を以てしたのに比較すると、後者が直線的向上進行の目標として人間の理想的極限と解せられたのに対し、前者菩薩道が、向上即降下、往相おうそう還相げんそうとして円環を描き渦動を重ねるのは、見紛うべくもない特色である。「生の哲学」に対する「死の哲学」の対照は、この形態的比喩に依って甚だ適切に明示せられるであろう。なお生にあっては事物は生の表現であるに対し、死復活においては無の象徴であることも、著しき対照をなす。今日の「死の時代」における哲学は渦動的象徴的たらざるを得ない。「生の哲学」の理想主義が直線的表現的なるに対し、「死の哲学」は渦動的象徴的として、形態を異にすべき筈である。その結果、「生の哲学」は観念論的であるけれども、「死の哲学」は実在論的であるという逆説も成立するであろう。
 しかし最後に注意しなければならぬことは、死復活の自覚があくまで生に即し、生の向上発展の極まる所かえって自己矛盾に陥り、その矛盾の逃れがたく対立緊張するため、遂に死の免れざることを了知し、進んで自ら死を敢行するに依り復活に転ぜられて、死復活の自覚が開かれるのであるから、その自覚は必然に生の向上に徹底してその矛盾に直面し、それに対する緊張を通じて死復活を行ぜしめられる所に成立するということである。死復活の自覚は生死交徹して両者の切結ぶ点に発生するのである。もし生の矛盾と絶体絶命とに緊張媒介せられることがなければ、死はかえって直接なる自殺行為として生に属するものとなり、従って死復活の転換が自覚せられることはあり得ない筈である。生が死をその裏面としてこれと相即する如く、死の裏面も表裏交互転換するに依って、生の表と相即相入して自覚せられるのである。菩薩が仏性を具えるからには、それは必然に人間の至上存在にむかって向上しなければならぬ。ただそれが絶対無即愛の実現を本分とするために、かえって向上即降下して円環を描き渦動を重ねるのである。生の徹底が死に転じ、死の敢為かんいが復活の生へ突破せしめられるにより渦動的となり、しかも不断に生死相即転換するに依って、渦動はどこまでも重積せられるのである。生と死との転換媒介が成立するためには、まず生の徹底果遂かすいが必要である。「死の哲学」は「生の哲学」の行詰まりにそれより遅れて現れる。菩薩は作仏行を通らずして無為に衆生済度から始めることはできない。自利利他といわれるゆえんであろう。人師たるものはまず自ら師に学び作仏に勉めて自己の仏性を徹見し、しかるのち菩薩行に出ることができる。その行の媒介としては、あらゆる倫理的世務を始め、現実の科学的認識も技術的利用もそれぞれに必要である。これらを初めから断念し制限して遁世禁慾に生の矛盾を免れようと欲しても、それは人間の種族本能に属する限り全面的に阻止することはできぬ。単なる個人の知識と教説との支配し得る所ではないのである。ただ「生の哲学」の行詰まりに徹しその限界を悟って「死の哲学」に転ぜられたものが、さきに実存協同と名づけた復活者の交わり(クリスト教にいわゆる「聖徒の交わり」)において、互に自己の真実を学び悟ると共に、他の衆生に回施しそれぞれにその真実を学び悟らせるとき、新しき「死の哲学」が菩薩道を現代的に復興創造するわけである。そこでは教説をたず実行が直接に実存協同を成立せしめるに依って、学道即自悟、自悟即回施が、まさに「死を忘れるな」の知慧に人間を覚醒せしめる筈である。国際間の緊張もこれによって始めて和らぐであろうか。





底本:「死の哲学 田辺元哲学選※(ローマ数字4、1-13-24)〔全4冊〕」岩波文庫、岩波書店
   2010(平成22)年12月16日第1刷発行
底本の親本:「田邊元全集 第一三巻」筑摩書房
   1964(昭和39)年5月
初出:「信濃教育 第八五八号」
   1958(昭和33)年5月
※底本巻末の藤田正勝氏による注解は省略しました。
入力:POKEPEEK2011
校正:吉田隼人
2021年1月27日作成
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