動員令

波立一




耳の奥底に唐人笛ビートロ飴屋の幼い想出
連隊の奴隷達は夢の中で枕を外した

激しい夜風とあれ狂う喇叭らっぱの号音
――非常呼集だ

丘の黒い建物は真夜中に眼ざめた
丘の兵隊屋敷は点々と燈火をちりばめてゆく

不寝番は雀躍こおどりしてバタバタ駆けまわった
息をきらしても叩き起すのは愉快だ

ざまあみろ 起きろ! 起きろさ
起きるよ…… うるせい!

週番司令あ誰奴どいつだ?
俺あ 不服だぞお……

周章あわてて起きた初年兵の寝台の上に
不寝番は疲れ不貞腐れて寝込ねころむだ

初年兵の左手は軍衣袴のボタンをいじめ
一年兵の上靴を並べて匍いまわる

二年兵は不精不精起きあがる
二年兵は不機嫌にどなりちらす

この頓間野郎!
銃なんかもちだすなあ 火災だ

初年兵はビックリして直立不動の姿勢
けっ! この一銭五厘

初年兵はオドオドして銃床にもど
再び 不動の姿勢で二年兵を注目する

早くでろ! 何をしてるか
階上廊下で兵器曹長がわめいている

隣の班からぞろぞろ押しあえひしめく
不寝番はかすかな鼻鼾をたてている

兵舎内の燈火をよぎり人影が乱れる
真夜中の営庭に約二千の兵員が並んだ

寒い…… 日給十八銭も辛いな
非常呼集なんて勿体つけるなあ真平まっぴら御免よ

第二中隊 気をつけい……
改った兵器曹長の号令が鼻毛をくすぐる

軍刀をがちゃつかせて週番司令が来た
連隊週番下士が弓張提灯で随行だ

第二中隊 現在百三十八名異状なし
報告を鼻でうなずき週番司令は隊列を巡る

こらッ きさまの睾丸類マラボタンは満開じゃ
寝呆ねぼけ奴! 軍帽しゃっぽを忘れたんかあ

廻れ右いッ これは尻尾か ああ?
その兵! 阿弥陀にかぶっとる ああ?

休め!
気をつけい!

休め! ハキハキしろ!
気をつけい!

命令を達する
当連隊に動員下令 要員の出発は十九日だ

瞬間! 兵卒達の後頭部が異様にざわめく
(まさか? 俺は行くまい……)

休め……
気をつけい!

諸子はみな忠良たぐいなき陛下の臣だ
出征希望の者は三歩前へ出ろ!

兵卒達は直立不動のまま頑強に応えぬ
深夜の土に凍てついたか動かなかった

兵卒達の胸に生々しい予告がうごめく
予言の主は軍法会議に縛されているのだ

奴は莞爾にっこりとビラを撒き手渡した
この手はビラを掴みこの眼は読んだ

白襟に縛され黒襟にまもられてゆく朝
奴のものいえぬ眼は俺らの心臓を刺した

ビラは判然はっきりと語った
戦争は少数者の利潤を守る人行為だ

週番司令は口髭を顫わせてののしりだした
大尉の三角の眼は焦々いらいらしく燃えだした

きさまらは…… 日本軍人か
チャンコロが怖いのか うッ

三歩前に曹長や軍曹伍長が恐縮している
兵卒達は無言のまま 暗い前方を睨んでいる

奴は怒りっぽく優しかった
演習休止の時 誰彼も奴と煙草を吸った

奴の頭脳は俺らの教科書 小説だった
奴の思想を尊び上官を号令蓄音機と見做みなした

奴の言葉 奴の行動
俺の身体からだに刻まれた疼きをおぼえる

戦争反対
けれども 銃剣を手離すな!

火花ちる 奴の言葉が閃く
よし! われわれは戦地に行く

三歩前へ! 立止ると……
兵卒達の眼は一斉に週番司令を睨んだ
(『プロレタリア文学』一九三二年四月作品増刊号に発表)





底本:「日本プロレタリア文学集・38 プロレタリア詩集(一)」新日本出版社
   1987(昭和62)年5月25日初版
底本の親本:「プロレタリア文学」
   1932(昭和7)年4月作品増刊号
初出:「プロレタリア文学」
   1932(昭和7)年4月作品増刊号
※×印を付してある文字は、底本編集部による伏字の復元です。
入力:坂本真一
校正:雪森
2015年7月31日作成
2015年8月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード