炭坑長屋物語

猪狩満直




北海道の樺太


「北海道のカラフト」
みんな、そこの長屋をそう呼んでいた、
谷間に並べ建てられたカラフト長屋、一日中ろくすっぽ陽があたらず、
どっちり雪の積んでいる屋根から、
煙突が線香を並べたように突き出ていた、
俺は時々自分の入口を間違い、他家よその戸口を開けた、
屋根の煙突の何本目、そいつを数えて這入はいるのが一番完全であった
「来年の四月頃になれば陽があたりますよ」
古くから此処の長屋に住んでいる工夫の妻がそう言い俺達に聞かしてくれた。
来年の四月、
その四月がとても待ち遠しかった。

八号の一


親父さんは昼番
かかあは夜番
親父さんが帰って来る時嬶は家に居なかった
嬶が帰って来る時親父さんは家に居なかった
仕事から帰って来ると二人は万年床に代る代る寝た
年の暮の三十日の晩、公休で二人共家にいた
僕に遊びに来え来え言うので僕が行くと
親父さんはもう酔うて顔をほてらしていた
「いや、大将
 共稼ぎって奴はね……………
 今日は久濶で嬶にお目にかかってさ
 まるで俺あ色女にでも会ったような気持よ
 大将、人間っていうものは、いくつになっても気持はおんなじですぜ」
嬶は下をつんむいた位にして
やっぱりうれしそうな
いくらか気の毒そうな笑いをもらしていた。

十号の七


親父はハッパ場の小頭
子供が大ぜいで、何時でも酒ばかり飲んでいた
或る日針金貸してくれって来たから
たぶん煙突でも吊るに必要なのだと思って貸してやったら
山へ兎ワナかけて、兎を捕ってきては酒の肴にした
借りた針金は忘れてしまったのか
俺達は兎はウマイ話ばかり聞かされていた
それでもお正月には糯米もちごめ一俵引いて来た
引いて来たはいいが
それからこっち野菜も米も買われない日が
一週間も二週間も続いた
そして毎日餅ばかり噛っていた。

十号の五


或る日瀬戸物のぶちわれる音がした
同時に女のヒステリカルな叫び声が壁を突き抜いた
「ナナナナナントスンベ
 こん畜生よオ
 たった五つしか無い茶碗三つ壊しやがってよオ」
どすんどすん蹴り飛ばす音がして
「カンニンシテヨオ」の
幼き者の声がした。

八号の三


八号の三は坑内の馬追い
酒精アルコール中毒らしい舌は何時でもまわらなかった
袢天はんてんも帽子もドロドロにし
馬と一緒に暗い坑内から出てくると
まわらぬ舌を無理にまわして
妻に胸のいらいらをぶちまけていた
酔がまわるに従って、だんだん声が高くなるのが常だった。
「いったい、てめいは、せがれが高等を卒業したらどうするつもりだ?」
「何を毎日酒ばかし食ってけつがって
 子供の教育とはよく出来た
 わしが男だったら、立派に教育さしてみせら」
「なななんだど 畜生
 なまいきぬかすと承知しねいゾ
 酒はもとより好きではのまぬ、あわのつらさでやけてのむ。わからんか 畜生、
 えへ、金、金だよ、金さえありゃ中学でも大学でも、
 一日一円や二円の出面取りが
 どうして子供を大学へなんぞやられると思う?
 わかったようなわからない生いきぬかすない」
壁一重の対話が夜中まで繰り返され
仲々寝つかれない晩があった。

九号の二


働き盛りの兄貴と親父は失業者
一日を五十銭で働くおっかあと
一日六十銭で働く二番目がかせいでいた
「働くのもいらいけれど
 遊んでいるのもいろうですわい」
一家七人の鼻の下がかわく日が多かった。

九号の四


人間があまるんだとサ
人間があまっているんだとサ
首になって
今日屋根にのぼり煙突はずしていたが
うよ、うよ子供を引きつれ
雪の中を
何処へどう流れて行ったもんだか
家の子供は僕に言う
「何処へ行くんだべか。」

十号の八


ろくすっぽ会って話したこともないのだが
自分の家の煙突掃除をやると
いつでも屋根づたいにやってき
僕のところの煙突を黙って掃除してくれる
その男は僕に言う
「ボヤを出すと首だからねイ」

九号の七


「この不景気に稼がして貰えるのは有難ていこってすよ
 あんたさんの方は公休日にも稼げるからいいですなア」
山の裏手の方から吹いて来た風のような言葉に
僕は返す言葉に当惑した。

八号の二


ムッチリして、ろくに物を言わぬ男がいた
開墾さんにしては少し物のわかった
水と油とどっか色合のちがった
仲間を悪化する者であり、会社の秘密をアバク者なりと会社が彼をきめてしまったのは
彼が自著の詩集を友達にくれたその日からだ
彼は会社から蛇の如く、毛虫の如く嫌われ
会社の犬はうるさく彼をつき纒った
圧迫、更に圧迫
彼はまるで罪人扱いの毎日を送っていた
彼はその悲喜劇の中で
じっと明日を考えていた
彼の布団の下には仲間からの手紙があった
クロポトキンやバクーニンがあった
布団を冠り、コツコツ何かをノートへ記していた
(一九三一年十一月北緯五十度社刊『北緯五十度詩集』に発表)





底本:「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」新日本出版社
   1987(昭和62)年6月30日初版
初出:「北緯五十度詩集」北緯五十度社
   1931(昭和6)年11月
入力:坂本真一
校正:雪森
2016年3月4日作成
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