サガレンの浮浪者

広海大治




ただようてくるったかい三平汁さんぺいじるにおい
堪え兼ねて牧草の束に顔を埋める
しのびよる背筋の冷さ
浅い眠りの夢は破れる
ああ! 一杯の飯を食いたい

赤い毛布ケットを巻きつけた むくんだ足
寒気は骨のしんまで突き通す
伸び放題の鼻ひげに
呼吸いきは霜をたくわえ
鼻孔はきんきんとひからびる

破目板の隙間から躍り込む風
小屋に舞う雪神楽
やがて粉雪はうず高く層を重ねる
辛うじて乾草の小屋に宿り
打ち震え闇の中に聞く
猛けるサガレンの夜の吹雪

しばれる大地の呻きを聞き
凍傷の指先にガンジキの紐結び
北極星の白い光を仰ぎ見た幾夜か
たった一尾の干鱈を盗む為に
野良犬のように漁場の闇に足音忍んだ
沢の百姓のささくれた手から馬鈴薯ごしょいも貰い
露命支えた幾日であったか

とど えぞの生え繁る山々
深い熊笹の峯々
背丈より高い蕗の密生する沢の湿地で
****た棒頭ぼうがしらの**が嚇し続ける
豊真鉄道工事場で精根枯らして働き倒れる章魚たこ人夫

朝霧が山襞に立ちこめる頃
露に光る虎杖いたどりの群落踏み折り現場へ送られ
鶴嘴つるはしとスコップともっこう
口汚ねえ棒頭の罵声と
びんたと棒に追い捲くられ
星屑戴いて飯場へ戻る裸体はだかの章魚人夫

片言の日本語 一言云うた
――ヤボ! 返事ぬかすかなまいうか
棒頭のこぶしが唸り
へたへたと草の上にへたばった朝鮮人 金
吹きだす二筋の血汐
ぶち折られた前歯
唯 ぎろりと睨み返す
終業しまいが他の現場より遅いと云うただけなのだ
流れる鼻血に怯え声挙げて泣きだした少年金の弟

嶽土を掘り崩しトロで運び
山のどてっ腹へ風穴開ける
雲突く橋脚ピーヤの足場組立
縄を結んで丸太つたう瞬間とき
ぐらつく頂上てっぺんから芋虫の様に転落した仲間
叩きつけられ腹は裂け
おんこの幹に肉片が散らばった
血は倒れた蕗の葉に生臭い斑点を浴せ水溜りにとけた
不様ぶざまに潰れた肉体が土饅頭と変り果て
雑草の根にからまれ白骨となってしまっても
あいつの肉親は何も知る事は出来ない

シベリア嵐が丸太小屋を揺がし
軒の氷柱つららが伸びては太り
節くれだっては崩れ落ちる章魚部屋で
白樺がんびの根っこいぶらし
若芽と馬鈴薯ごしょいも、塩鱒の汁も食い倦きて
又来る南樺太の四月
兎は残雪の谷間に木の芽立ちをさがし
野地やちだもの梢もふくらんだ
雨が雪をとかし夜の寒気に又しばれるサガレンの春
未だ絞り残した肉体が俺達にはあったのか
古い仲間と欺されて来た新しい章魚と
砂と岩石と土埃と
棒頭の**と

日を追うて枕木スリッパの数はふえ鉄路は伸びた
隧道トンネルは骨をしゃぶって口を開け
鉄橋は血をすすって谷を跨いだ
章魚は建設車で奥地へ送られ
土砂を担い崖土を崩し
岩盤砕きトロッコを押し
俺達の足が折れ
腕が千切れ
盲目となり
血へどを吐いて棒頭の**を頭で殴った

毛だらけの腕振り廻し喧嘩する俺の相棒
鶴嘴の利く事が得意で
トロを威張り指で五寸釘曲げて力む
――俺の肋骨あばら一枚骨だで弾丸たまだて通らぬサ
夜の飯場で胸板ひろげる奴
奴の女房へ着かないだろう手紙書いてやる俺
上りを片っ端から焼酎にしぷんぷん臭い顔すりつける奴だが
バットの一箱そっとくれ
むくれた俺の足をさすり
小廻りの荷駄手伝ってくれた奴

滝の沢口の隧道で
崩土にやられた仲間達の中に
地下足袋片っ方引っ懸けて掘り出されて来た奴
唇は紫に破れ血はへばり
傷だらけの胸にはもう動悸が無い

真夜中の飯場の外で唸き声が聞える
樺太犬が鈍く吠えた
飛丁だぞ!
棒頭達がどたどた崩れ出た
暗闇の中に**が峯を揺った
逃げ遅れ窓下に這いつくばった仲間
きれぎれに悲鳴を挙げた
ならならと並べられた逆釘の板莚
疲れ切った俺達の脳髄へ針を突き通す
夜っぴて谷底から聞えてくる呻き
明け方の草の上に伸びている
水漬けされた仲間の死骸

豊原と真岡の市街地の空に煙火打ち挙げ
鉄道事務所は日章旗で飾られる
鉄道開通だ 開通祝賀会だ
未開の宝庫が開かれた
豪商 請負者 利権政治家 庁と庁鉄の高官達が新線の車窓に乾杯する頃
土塊つちくれのようにほうり出された章魚人夫
歯車一枚二枚で宗谷海峡は渡れない
サガレンのあわただしい秋が去って
季節の風はカムチャッカから
シベリヤから雪と氷をともなった

今更がつがつと残飯を貰い
ぼろマントに逃げ去る体温を止めなければならないのか
何故この積雪の上に循環不順の心臓を破裂させ
人間の脱穀をぶち捨てて仕舞わないのだ

雪は陸と海を覆い
昆布一切れも見えぬ海端
ゴメと烏はひらひらと流氷の上を飛び交い
ぬくもりのない光を反射する太陽
赤ただれた雪盲はまぶしく
水腫れた足を曳ずる

流氷の張りつめた海原の雪に
俺はガンジキの足跡残す
はるかな流氷の下をひたひたと洗う潮
青空を流れゆく白雲
振り返るおかは低く連り
点接する白樺の裸木
豊真線の雪をけって
俺達の俺達の鉄路に
汽車はひえびえと警笛をひびかす

氷塊の間隙に水音たてるのだ
病み疲れた肉体
ゆらゆらと漂流している俺の肉体
氷下かんかい魚は死屍に群り
雪はうず高く覆い
潮は打ち寄せては凝結し
真白い氷のひつぎとなり
潮流に乗せて海峡を北へ葬送するのであろうに

ああだが!
荒み果てた俺の心の隅っこにも
せめぎ切れぬ人の面影
海峡二つの彼方の内地には
齢老いたお母あが居るのだ
俺を此のどん底へ追いつめた生活のきずながあるのだ
今はもう畑一切れもないさびれた故郷の村があるのだ

水平線の果て波浪はきらめ
赤々と沈む太陽
焼ける雪 たぎりたつ波
照り返す 波と雲と
落陽と氷流と
とろける赤と金色
生きている!
生きている空と海
陸も海も 天地いっぱい
ああ何にも生きている世界だ

ぼろっ切れを投げ捨てろ
胸を 胸の皮引き剥がして仕舞え
ぐっと胸突きあげてくるもの
そいつが空いっぱい氾濫するのだ
今!
大陸へ沈む太陽
赤い翼馳ってシベリアを越え
ロシアの空に暁の訪れをするのだ

俺は大口開き頬すじ落ちる涙をなめて
せまる思いの胸をはだけ
夕焼の光をぐっと呑み込む

明日の為に! 此の傷いた身体を曳ずろう
何処までも何時いつまでも曳ずって行こう
ぶたれけられてもしつこく生き伸びてやろう
生きる為に体温をたくわえ
大地の氷の解ける春を待とう
サガレンの赤い夕焼を死んでいった仲間達に代って
生れ変った浮浪者の肉としよう
呻いている 生きている 戦っている
無数の労働者の為に血に変えよう
(『詩人』一九三六年四月号に広海太治名で発表)
*〔原注〕ガンジキとはズックの履物の一種
氷下魚とは結氷の下にセイソクする小魚





底本:「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」新日本出版社
   1987(昭和62)年6月30日初版
底本の親本:「詩人」
   1936(昭和11)年4月号
初出:「詩人」
   1936(昭和11)年4月号
※初出時の署名は「広海太治」です。
※「**は伏字あるいは復元不可能な削除をあらわす。」旨の記載が、底本にあります。
入力:坂本真一
校正:雪森
2015年9月1日作成
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