すらんらん集

仲村渠




晴天


煙突を眺めるのが好きなひとがゐた。
天気がよいと煙突ばかりを数へてチヨオクでいたづらしながら歩いてゐるとたいへん楽しかつた。又煙突に裂かれる気流のぐあひや、獰猛な煤煙とその方向。及び煙突と煙突との空間が造形ある膨大不可思議な図面。又、飛び去りゆく飛行機の残す空中水脈が人間の眼球神経及び光彩矢条に波及する微妙なる反応。なほ、都市乾燥空気の大圧力と火災報知機の弾力性ボタン間に於けるキン急な相互関係。実に、これらに於ける一大綜合的法則を偶然にも発見するに至つた。試みにこの法則を青色方眼紙上に表はしてみるのに、精緻にして一糸乱れぬ、実に鮮明をきはめたものであつた。


手紙


職業はあつた。
ビラ撒きにやとはれた。
飛行機は雲よりかるかつた。
雲にはいると雲又雲のほかなにもなかつた。
雲を出ると入日がさして街が見えた。
ビラ撒くまへに糞を垂れたら街がさつと傾いた。
たいへんびつくりした。
きらきら落ちる糞が美しかつた。



橋のなかほどまでついてゆくと。
ここをさわつてごらんなさい!
こわごわ手をあげてさはつてみれば、彼女のもみあげから頬にかけて、やはらかいうぶげがしつとり霧にぬれて光つてゐた。ぼくはてのひらをあてたまゝ、橋のさきにある交番の赤い火がほオツと、霧のなかでともつてゐたのをおぼえてゐる。
次の晩、おなじ橋のなかほどまで行つて僕のほうから立ちどまる
と。晴夜でせう?
ふりむいた彼女はさう云つて、づるさうな笑顔に星ある空を指さしてゐるのであつた。


霧のおりる階段


階段ていつものだね。
そんなことを話しながら下りていつて、又あがつてゆくうちに、さて山之手線でどの駅がいちばんよい階段を持つてるだらうかと云ふことになつた。
展望の利くばかに高い歩廊もいゝな。
地下鉄道の口みたいな階段もよいぞ。
それから二人は急行列車の止らぬやうな小駅のこと。霧のおりた、ひろい広場に出る階段はマアブルでなくても高貴であつた。しかしみすぼらしい階段もそれぞれの変つたおもむきを有してゐること。つまらん階段が日日、多量に街の生活を出したり入れたりすることや短いステツプは気が急いて、又長いステツプはばからしいことであつた。
格好だけでもたいへん面白いが。階段はへんに人生的意義を持つてるらしいぞ。
お濠を越して街の灯が霧のなかで美しく、しじゆう僕らの眼の前について廻つた。
たいへん声高にはなしたが、この堤の公園を散歩する人は他に見あたらなかつたから、密行する巡査をのぞいては誰れも知らぬだらうと思ふ。
さようなら。
ああ、さようなら。
長い階段を下りきつたところで二人は右と左に別れていつた。


街と森


地平線のさきのちひさな森で待つた。
恋人はこなかつた。
月がちひさくなつた。
怒つて帰つたら。誰れか追つかけてきた。
どんどん帰つても追つてきた。しかたがないから駆けながら肩越しにふりむけば、小さい森を先頭に隊を組んだいろんな形の森が月に背を光らして追つてきた。
ぼくは一生懸命に走つた。
やつとのことで街に帰り、灯のあひだをぬけ、市長の家に駆けこんで息をついた。大きい掌をひろげて白髯の市長は迎へてくれた。
そして僕には白葡萄酒をすゝめながらも、次のことを話してくれた。
ぼくの祖父はたいへん剛胆だつたこと。
ぼくの祖父は獰猛な森や林をきり拓いてこの街をうち建てた創設者なること。
かの、美しい恋人については多くを語らなかつた。


月夜及び卵と機械


父から貰つた旧式の懐中時計が一時を廻つたから、もう寝ようと思つてスヰツチを切ると急に、さつさつ水でもはねるやうな音が耳に這入つてきた。何だらうとふたゝび研究室にとつてかへしてみれば何のこつた!窓ぎわに据ゑた真空硝子鐘の中で光度計の風車がいつしんに廻つてゐる音だとわかつた。カアテンを引くと勿論音ははつと止る。メータアを調べて見れば昨夜より3,029強である。
こんなに光度の高い夜は、父から貰つた旧式の懐中時計をのぞき、研究室いつぱいにある精密な諸機械に狂ひが生じやすいものであるからして、色々反応を調べてみたが別に異常がないのをみとめ、つひでに弟が何より大事にしてゐるコーチンのとやを見てまわつたがこれも変りはなく、たゞ卵が一つ落ちてゐたから拾ひあげて、そつと元のまゝにしてやつた。


月夜


月夜に濡れると
軍艦は怒つたやうなしなをつくつた

水兵は大砲によりそつて円い水平線を眺めました
水兵は海と空との見分けがつかなくなりました

ながい脛を抱いてゐると
水兵はこほろぎのやうに泣きたくなつた


俯瞰図


丘にサーカスがはぢまつてゐて
テントの天井で娘はさびしい脚をそろへてゐた
靴下のさきにはまるい穴が明いてゐて
覗いた爪先に街の景色が映つてゐた


魚屋と秋


魚惣のあにいが黙つてゐるのはすぢ向ふの果物屋で焼く栗の匂ひだらうよ
こんな裏町のうへに月が青すぎるといふのは
店先に雑魚寝した鮮魚の目玉と鱗だらうよ
秋はもつとちつさひ室が欲しいといふのはあにいの紺のどんぶりの底
でつかい蟇口に転つた新しい五銭玉だらうよ


白夜


白い巨人は風船をこさへ
白い巨人は白い服をぬいで風船をこさへ
白い巨人は口をぽかりと開けた口も白
手を入れするするひきだしたはらはたも白
白い巨人は風船をこさへ風船も白
白い巨人は風船に乗り空も白
白い風船はのぼり音も白
白い風船は空のまんなかで消え音も白
あとには一つの月が残つて月も白


土用波


熾んなむれがよせてくる
幼魚のぐんぜいが寄せてくるいちめん銀いろの月の出のなかを
ふるい背中を積んで
脚を呑んだ鮫は沈んでゐるよ
みだれる海流ながれのとほくかすか 海面うへをかへる土用の波のうたである
ねむる鮫のうたである





底本:「沖縄文学全集 第1巻 詩※(ローマ数字1、1-13-21)」国書刊行会
   1991(平成3)年6月6日第1刷
入力:坂本真一
校正:良本典代
2017年10月25日作成
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