錢形平次捕物控

月待ち

野村胡堂





「あつしはつく/″\世の中がイヤになりましたよ、親分」
 八五郎は柄にもなく、こんなことを言ひ出すのです。
「あれ、大層感じちやつたね、出家遁世とんせいでもする氣になると、二三人泣く娘があるぜ」
 平次は縁側に腰を掛けたまゝ、明日咲く鉢の朝顏のつぼみなどを勘定して居りました。まことに天下泰平の姿で、八五郎の厭世論などには乘つてくれさうもありません。
「何時の世になつたら、惡い事をする奴が無くなるのでせう。喧嘩だ、殺しだ、泥棒だ、放火ひつけだと、毎日々々惡い人間を追ひ廻して居るこちとらだつて、大概イヤになるぢやありませんか」
「惡い奴と岡つ引、考へて見ると、病氣と醫者見てえなものさ、何處まで行つても切りが無いから、宜い加減のところで十手捕繩を返上して、高野の山へでも登るとしようか。クリ/\坊主になると、額の寸がつまつて、八五郎も飛んで良い男になりさうだぜ」
 平次と八五郎の掛け合ひは、相變らず無駄が多くなつて來ました。七月二十七日もやがて晝近い陽射しで、縁側に掛けてゐても汗がにじみさうです。
「ところで、親分は、昨夜の月待ちを何處でやりました」
「俺は寢待ちさ。信心氣がないやうだが、此間からの御用疲れで、宵から一と眠りしてしまつたよ」
「湯島臺から明神樣の境内、ことに芝浦高輪あたりは、大變な人出だつたさうですよ」
 七月二十六日の曉方近くなつて出る月を、寢ずに待つて拜むと、三尊の來迎らいがうが拜まれるといふ俗説があり、江戸の海邊や高臺は凉みがてらの人の山で、有徳うとくの町人や風流人は、雜俳や腰折を應酬したり、中には僧を招じて經を讀ませる者もあり、反對に幇間たいこ藝子を呼んで、呑んで騷いで、三尊來迎を拜まうなどといふ、不心得な信心者もあつたわけです。
「お前は何處に潜つて居たんだ」
あつしは北の國で、歌舞の菩薩の見世みせを一と廻り拜んで、向柳原へ歸つて寢てしまひましたよ。月待ちと洒落しやれるほどは金がねえ」
「罰の當つた野郎だ」
「親分、お客樣のやうですね」
 八五郎は無駄話を切上げて、庭木戸を押しあけると、表口の方へ、外から廻つて行きました。
 それから暫く、何やら押問答をして居ましたが、やがて、二十三四の浪人風の男を、後から押し込むやうに、追つ立てゝ來ます。
「この方が、親分にお願ひがあるんですつて」
 それは、若くて貧乏臭くさへありましたが、短いのを前半に手挾たばさんで、長いのは木戸のあたりで、鞘ごと腰から拔き、右手に持添へて小腰を屈めたあたりは、なか/\に、好感の持てるたしなみです。
「錢形の親分――でせうな、私は芝口一丁目に住む、神山まもると申すもの、折入つてのお願ひがあつて參りましたが」
 顏をあげると、青々とした月代さかやき、眉が長く、唇がキリリとして、娘のやうに鼻白む風情です。
「お話といふのは?」
 平次はこの浪人者のために、縁側に席を設けさせました。
「芝口一丁目の金貸、久米野官兵衞殿が、昨日の夜半過ぎ、御自分の家の二階で、何者やらに殺されました」
 神山守は散々躊躇ちゆうちよした末、思ひきつた樣子で話の緒口を切りました。
「で?」
 平次はその後を促しました。久米野官兵衞といふのは、武家あがりの金貸で、その名前位は平次も知つて居ります。
「久米野官兵衞殿は、二階六疊の前の縁側に、月の出を待つて居るところを殺されました。家中の者は、一人殘らず階下したに顏を合せて居り、その時二階に居たのは、官兵衞殿の外には娘のお玉殿だけ。お玉殿が親殺しの疑を受けてその夜の明けぬうちに、露月町の金六に縛られました」
「お玉どのは親を殺す筈もなく、またそんな惡いことの出來る人でもありません。お玉どのを縛つて行く金六の跡を追つかけて、いろ/\申しては見たが、鬼の金六と言はれた御用聞、私の言ふことなどには、耳もかしてはくれません。この上は錢形の親分にすがる外は無いと思ひ、芝口から飛んで來たものゝ、さて、何んと言つて親分に頼んだものか、きつかけが六つかしくて、愚圖ぐづ々々して居りました」
 神山守は、兩刀の見識も捨てゝ、町の御用聞の平次に、一生懸命にすがるのでした。
「仰しやることはよくわかりましたが、御用聞にも御用聞の繩張りらしいものがあつて、露月町の金六の縛つたものを、あつしが神田から飛込んで行つて、すぐ繩を解かせるといふわけには參りません」
「でも、お玉殿が、潔白とわかれば――」
「待つて下さい、神山樣、あつしが此處に居て、貴方のお話を伺つただけぢや、お氣の毒ですが、久米野のお孃さんが、潔白か潔白でないか、わかるわけが無いぢやありませんか」
「でも、久米野の主人が殺された頃、お玉殿が、あの家の二階に居なかつたとわかれば」
「それは申す迄もない事です。お孃さんが二階に居なかつたとわかれば、露月町の金六親分は鬼でも蛇でも、お孃さんを縛るわけが無いぢやありませんか」
「では申しませう、親分」
 神山守は思ひ定めた樣子で、きつと顏をあげました。興奮に色づいた顏は美玉のやうで、この若い武家は、どうかしたら、大變な罪を作つて居ないか――と平次は感じたほどです。
「包み隱しの無いところを仰しやつて下さい、お孃さんの命を救ふために」
「そのお玉どのは、――何を隱さう、あの時刻――丁度子刻こゝのつから丑刻やつ前まで、ツイ裏の私の浪宅に來て居たとしたら、どんなものでせう」
「あなたは獨り住ひで?」
「左樣、外に見た者の無いのは、今となつては物足りないが」
 神山守は呻吟しんぎんするのです。若い娘が、若い男の獨り住居の家へ、眞夜中の子刻こゝのつから丑刻やつ近くまで居たといふことは、一體何を意味するでせう。
「畜生、うまくやつて居やがる」
 それを聽いて、大きな舌鼓したづつみを打つたのは、外ならぬ八五郎だつたのです。


 神山がトボトボと歸つた後、
「あのちよいと」
 平次の女房のお靜は、お勝手から容易ならぬ顏を持つて來ました。何が何んであらうと、客と應待して居る平次の前などへ、物々しい聲を掛けるお靜ではありませんが、
「どうしたといふんだ、晩の米位はある筈ぢやないか」
 平次は驚く色もなく、こんな調子で受けます。
「そんな話ぢやありませんよ。あのお侍のお客の話を、若い女の人が、お勝手の羽目に吸ひつくやうにして、皆んな立ち聽きして居ましたよ」
「そいつは、八」
「合點」
 平次の目配せ一つで、八五郎は飛出しました。
 が、暫くすると路地一パイに、
「あれ、何をするのさ、いけ好かない」
「何を好い女の氣で居やがる。錢形の親分の家を覗いて、無事に歸れると思ふのが間違えだ。サア、來やがれ」
「行くよ。行きや宜いだらう。痛いぢやないか、無暗に手なんか引張つて。――良い女の手を握るのを役得の氣で居やがる。畜生ツ」
 かう鳴らし乍ら、二十二三の良い年増が、八五郎に引立てられて、木戸の内へ入つて來るのでした。
 それは澁皮しぶかはけた、なか/\のきりやうでした。が、身扮みなりは大したことも無く、顏には紅白粉の氣さへありませんが、嬌瞋けうしんを發すると、燃え立つやうな情熱が、ともすれば八五郎を壓倒するのです。
「お前は何んだ」
 平次は備を直しました。この女には鐵火なところがあつて、今まで附き合つた、淺黄色あさぎいろの青侍とは、少しばかり違ふところがありさうです。
「馬鹿におしでない。お勝手を覗いた位のことで、お調べは大袈裟ぢやないか。第一貧乏臭いお白洲しらすつたらありやしない」
 女はポン/\言ひ乍ら、沓脱くつぬぎの下に立つて居るのです。
「貧乏臭いお白洲は宜いな、ハツハツ、ハツ。野暮なせりふになつて濟まないが、芝口一丁目の久米野官兵衞殺しは、放つちや置けないぜ。氣の毒だが、お前の名前と用事を言つて貰はうか」
「私が、殺したとでも言ふのかえ」
「氣の毒だが、そんな事になるだらうよ。お前の名は」
「國、久米野のめひさ。給金の無い下女と世間では思つて居る」
 久米野官兵衞の姪のお國が、何んの目論見があつて、神山守をつけて、此處までやつて來たのでせう。
「その久米野の姪が、何用あつて此處へ來たのだ」
「錢形の親分に逢ひに來たのさ」
「何?」
「錢形の親分に逢つて、叔父を殺した下手人を擧げる積りで來ると、一足先にやつて來た浪人者の神山守さんが、お玉さんを助けたさに、一生戀命の嘘八百ぢやないか」
「?」
「二人の口が合ひさへすれば、どんな證據でもでつちあげられるものなら、世の中に所刑臺おしおきだいに乘る馬鹿は無くなるよ」
「――」
「ね、親分、何んとかしてやつて下さいよ」
「何んにもすることは無いぢやないか。露月町の金六が、下手人を縛つたなら、俺が口を出すまでも無からう」
「でも、金六親分ではタガがゆるいから、神山守があの調子で無實の證據を掻き集めると、三日も經たないうちに、お玉さんを許して歸すに決つて居る」
「するとお前は、お玉は親殺しの下手人に違ひないと言ふのか」
「さうは言やしません。外にも叔父を怨んでゐる者は二人や三人はあるんだから、誰がやつたかわからないが、お玉さんだつて、此節の樣子では、親位殺し兼ねませんよ」
「お玉は何をうらんで居るのだ」
「好きな男と一緒にしてくれないばかりでなく、隣の方を向いた窓まで、皆んな釘付けにするやうぢや、お玉さんどんなに人間が素直でも、親を怨み度くもなりますよ」
「ところで、變なことを訊くが、お前は久米野の家で下女代りにコキ使はれて居ると言つたが、それで腹の底から諦めて居るだらうな」
「――」
「口のきゝやう、化粧の濃さ、お前は只の素人ぢや無いやうだ。久米野の家に引取られる前は、何をして居た」
「親に死に別れて食へないから、神明樣の前で働いて居ましたよ。それが惡いんですか、親分」
「誰も惡いとは言やしない。――ところでもう一つ、久米野の家の者といふと誰と誰だ」
「内儀――と言つたつて、お玉さんの母親は五年前に亡くなつてお妾上りのお紺さんと言ふのが、内儀の位に濟まして居ますよ。四十になるやならずの、まだ脂の乘つた――」
「それから?」
「手代の敬吉、三十五のちよいと良い男、勘定は細かいが、膽の太い」
「外には?」
「私の外に下女のお徳と、下男の三次、二人は喧嘩ばかりして居るが、根が好い人達で、お徳は四十女の癖に大の喰ひ辛棒、つまみ喰ひの名人、下男の三次は二十五六、ヒヨツトコの國生れの癖に、道樂強くて勝負事が好きで、夜なんか滅多に家に居たこともありません」
 この女の達辯は、さすがの八五郎をも辟易へきえきさせます。神明前の怪しい茶店で、筋の惡い客にもみ拔かれたせゐでせう。
 話やら辯解やらが一とわたり濟むと、お國はしなを作つて暇乞いとまごひをし、さつさと歸つてしまひました。
「恐ろしい女ですね、親分」
 その後ろ姿が見えるうちから、八五郎は顎を長くしてうめくのです。
「妙な匂ひがするよ、行つて見ようか。八」
「へエ、親分が、ね」
「露月町の金六は鬼といふ綽名はあるが、根がわからねえ男ぢや無い、行つて話して見た上、トコトンまで調べて見度くなつたよ」
 平次は手早く仕度をすると、八五郎を追ひ立てるやうに、七月の眞晝の街を、現場に向ひました。


 芝口一丁目の久米野官兵衞の家へ着くと、露月町の金六は、手下の下つ引二三人と共に、嚴重に表裏を固めて居りました。
「おや、錢形の」
 妙なところへ、神田から遙々錢形平次がやつて來たのは、金六にも腑に落ちない樣子です。
「變な話を訊いたんで、ちよいと覗き度くなつたんだが、惡く思はないでくれ、露月町の親分」
 平次は打ちとけた態度で、ざつと先刻の一埒、浪人者神山守と、姪のお國がやつて來たことを説明しました。
「さうか、そんな事だつたのか。――昨夜その時刻に二階に居たのは娘のお玉だけだとわかつたが、若い娘が自分の口から、その時分は、お隣の浪人者と逢引して居たとも言ひ兼ねたんだらう。兎も角腰繩を打つて、番所に預けてあるが、何しろ主人の官兵衞は名代の金貸しで、人に怨を受けて居るから、詮索せんさくをして行つたら下手人が多過ぎて見當が付かなくなるかも知れないよ」
 露月町の金六は苦笑ひをし乍ら、久米野の家に誘ひ入れました。
「八、お前は近所の噂を掻き集めてくれ。世間の人は、金持の内證ないしよ話なんてものは、思ひの外知つてるものだ、如才もあるめえが――」
「おつと合點、どうせ情事いろごとめか、金の怨みでせう。そんな事なら」
 八はポンと胸を叩くのです。尤も順風耳の八五郎と言はれてゐる位、噂を集めることゝ、口の固い相手に物を言はせる腕にかけては天稟の名人で、平次如きは足許にも及ばなかつたのです。
 八五郎が何處ともなく飛んで行つた後、平次は改めて久米野の家に入りました。本芝一丁目の東側、砂濱を隔てゝ近々と海を眺める二階家はなか/\の洒落しやれた住居。兩刀を捨てゝ金貸を始め、金が出來てから遊藝やお茶に興味を持つたといふ、主人官兵衞の好みがよく現はれて居ります。
 入口の八疊に居たのは、手代の敬吉、三十五六のちよいと良い男、物腰は丁寧ですが、口の重いたちと見えて、平次と金六が入つて來たのに、何んの挨拶もせずに、少しばかり三白眼ぱくがんを伏せただけです。
 店の裏からすぐ梯子段で二階に登ると、二た間續きの奧の六疊に、主人官兵衞の死骸を運び込み、まだ葬ひの仕度にも取かゝらず、女二人がウロ/\して居りました。それは妾のお紺と、先刻明神下の平次の家を訪ねた姪のお國ですが、輕く目禮しただけ、眉をも動かさないのは、なかなかのしたゝかさです。
 妾のお紺は、お國が説明した通り、小肥りの脂ぎつた大年増で、決してみにくくはないのですが、何んとなく不氣味な表情を持つた、お國の澁好みとは、まさに對蹠的な感じのする女です。
 平次は二人の女の間を通つて、主人官兵衞の死骸に近づきました。金六の手下が内外を固めて居るために、親戚の者も、近所の衆も近寄れなかつた爲か、葬ひの仕度も手につかない樣子で、佛樣の枕元には水と線香が上げてあるだけ、生前の豪奢な生活に比べて、寧ろ物の哀れを感ずるお粗末さです。
 官兵衞といふのは六十歳と聽きましたが、澁紙色の皮膚、骨張つた身體、何んとなく逞ましく醜く荒々しく、その上武藝のたしなみも一と通りはあつたといふ位ですから、どう考へても、女子供一人では、易々と殺されさうな人間ではありません。
 平次が死骸を調べるうち、お紺お國の二人は、遠慮したものか、無言のうちに誘ひ合せて、裏梯子を下へ降りてしまひました。二階に殘つたのは、平次の外には、露月町の金六だけ。
「傷は前から、左の胸を刺したものだが、これだけの人間を、前から刺すのは大變な腕前の下手人ぢやないか」
 死骸の胸をはだけて、平次は舌を卷くのです。六十歳の金貸と言つても、武家崩れの非凡ひぼんの體格で、しかも刄物は眞つ直ぐ突つ立つた樣子です。
「ところで刄物は?」
 平次が訊くと、
鎧通よろひどほしだ。お定まりの九寸五分、武家の持物に違ひないと思つたら、主人の官兵衞の手箱にあつた品ださうだ」
「見付かつたのか」
「庭に捨てゝあつたよ」
 金六は縁側の隅から、手拭に包んだ一口ひとふりの短刀を持つて來て見せました。拵へも金具もよく、柄のさめに血がこびり附いて居るのは、何んとなく不氣味です。
「どんな具合に」
「一寸ばかり深く、土に突つ立つて居たよ」
「二階からはふつたのだな、――鞘は?」
「見えなかつたよ」
「ところで露月町の親分」
 平次の聲は改まりました。
「この首の樣子は變ぢやないか」
「いや、氣が付かないが」
 しわにも贅肉ぜいにくにも、見たところ何んの變化もなく、絞殺した樣子などは、馴れた眼にも見出せなかつたのです。
「それが不思議なんだよ。これほどの男を殺すのは、毒害か首を絞める外は無いと思ふが、口の中にも、身體にも、毒の跡は一つも無く、首を絞めた樣子もない」
「だから胸を刺したに間違ひはあるまい。この通り單衣の上から傷口があるし、刄物まで見付かつて居るんだ」
 金六は錢形平次の執こい疑問を説き伏せるやうに、一言々々力をこめて言ふのです。
「それはわかつて居るが。――胸を突かれて心の臟を破つて死んだにしては、血が少な過ぎるよ。別に拭いた樣子も、掃除した跡もないのに、縁側に少し血だまりがある外に、單衣に少し附いて居るだけぢやないか。それに、短刀で胸を刺されゝば、どんな急所をやられたにしても、死にきるまでは、苦しみも動きもするだらう。それが縁側にたつた一箇所、行儀の良い血溜りが一つあるきりは變ぢやないか」
「?」
「それに、この恰幅かつぷくだ。部屋の中にはあかりも點いて居たことだらう。鼻の先へ來て、短刀で突いて出るのを、默つて突かせる道理はあるまい」
「成程ね、さう言へばその通りだが――」
 露月町の金六には、これ以上の智惠はありません。


「これは何んだらう」
 縁側の柱に、少しばかり疵のあるのを、平次は指先で撫で廻して居りましたが、それは柱の面が少しれただけで、決して新しい疵でないと見たが、そのまゝ、元の座に還つて、金六の連れて來た、内儀のお紺を迎へました。
「御用で?」
 相手の身分にかまはず、男さへ見れば、クネクネと身體で表情をする、白粉の濃い女です。肉體の豊滿さを買はれて、素人から妾奉公に出た女が、無暗に玄人くろうとの眞似をして、しつつこく、脂つ濃く取廻すと言つたたちでせう。
「昨夜のことを訊き度いが」
 平次は無表情に問ひかけました。
「毎年主人の好みで月待ちなんかやりますが、唯飮んで夜更かしをするだけですから、敬吉どんも私達も、階下へ逃げて、休むことばかり考へて居ります。遊び事もなく、客も藝人も呼ばない月待ちなんか、隨分つまらないものですから」
「――」
 平次は默つて先をうながしました。
「夜半頃は、主人も大分醉つたやうでした。月待ちに寢ちや惡いと言ひ乍ら、自分がクラクラやるものですから、私達は皆んな階下へ降りて、店の八疊で、お行儀を惡く寢そべつたまゝ、何んか食べて居りました。敬吉どんとお國さんと私の三人です。下女のお徳はお勝手に居りましたし、下男の三次は何んとか言つて遊びに出てしまつたし」
「お玉さんは?」
「二階の父親の傍に居ることゝばかり思つて居りました。それが丑刻(二時)少し前、二階から飛降りて來て、――大變、大變、父さんが――と騷ぐぢやありませんか」
「それまで、お玉さんは確かに二階から降りなかつたのだな」
「表梯子へは確かに降りません。當人は裏梯子を降りて、一寸外へ出たと言ひますが、若い娘が、夜中過ぎに、まさか、ねえ」
 お紺の言葉には容易ならぬ含みがあるのです。
「お玉さんと父親の中は惡かつたさうぢやないか」
「主人はやかましくて、――武家はもう懲々だから、町人の金儲けのうまいのをむこにする、貧乏浪人なんか以ての外だ、――と神山さんとの仲を割くことばかり考へて居りました」
「外に家中で、主人を怨んで居る者は無かつたのか」
「そんな不心得なものは、あるわけも無いぢやありませんか。私には大事な夫ですし、敬吉どんは主人が死ねば抛り出されるし、お國さんだつて、神明前の水茶屋に居たのを、救ひ出されて來た人ですから、恩があつても怨なんかある筈もありません」
「その人達の仲は?」
「さア、あんまり仲好しとは申されませんよ。お國さんは私を素人臭いとか野暮やぼつ度いと言つて馬鹿にするし、敬吉どんは、妙に忠義立てして、主人に内證では、一文も店の金を融通してくれないし、平常ふだんは睨み合ひ見たいなものですよ」
 お紺の言葉は、なか/\よく筋が通ります。平次はお紺を階下へやると、裏梯子を降りて、裏口を出ました。細い道一つ隔てゝ、其處には五六軒の長屋があり、その一軒は神山守の浪宅だつたのです。
「御免下さい」
 丁寧に訪れると、障子を開けて、
「あ、錢形の親分」
 神山守は不意を喰つて目を丸くして居ります。
「到頭やつて來ましたよ。ところで、庭から家の中を、少し見せて頂き度いのですが」
「さア/\どうぞ、遠慮なく」
 平次は家の中へ入りましたが、夜の物とお勝手道具の外には、大小と本が五六册、それつきりといふ貧しい浪宅で、目に立つものは何んにもありませんが、押入の中に、浪人神山の敷きさうもない可愛らしい女座布團が一枚と、その上に女物の袷が一枚、丁寧に疊んで置いてあるのが、意味深長ななまめかしさです。
 やがて庭へ出た平次は、小さい/\植込みの下から、鎧通しの短刀の鞘を一つ見付けました。蝋塗ろうぬりの肌が水氣を含んで、妙に意味あり氣です。
「これを御存じありませんか」
「いや、拙者のものではない」
 神山守は首を振るのです。植込の上はすぐ板塀で、外から投げ込めば、隨分此邊へ落ちさうでもあります。
 此上は大した收穫も無ささうだと思つて、フラリと外へ出ると、先刻噂をき集めに行つた八五郎が、平次を搜し乍ら、向うからやつて來ました。
「どうした、八。役に立ちさうな話はあつたのか」
「大ありですよ、浪人神山守と、お孃さんのお玉さんの逢引なんか、町内中の評判で」
「外には?」
「主人の官兵衞は――死んだ者の惡口を言ふわけぢや無いが、因業いんごふで慾が深くて、助手すけべいで強情で」
「臺無しぢやないか」
「姪のお國は浮氣で鐵火で」
「敬吉との仲は?」
「お國の阿魔は人形喰ひだから、敬吉は良い男に違ひないが、あんなヒネたのなんか振り向いても見ませんよ。その代り内々は神山守のところへ、おかずを運んだり、遊びに行つて、嫌がられ乍らも長話をしたり」
「お紺は?」
「あの女は少し足りないやうですね。手代の敬吉と恐ろしく仲が惡いさうで――」
 八五郎の報告はそれでおしまひでした。


 お勝手の下女お徳は、平次と八五郎が入つて來ると、何やらつまみ喰ひを隱して前掛で顏などを撫でて居ります。
「心配するなよ、月待ちの御馳走の殘りを調べに來たわけぢや無いから」
 八五郎はまた餘計な口をきゝます。
「あら」
 などと、四十女の赤くなるのは、見事でしたが、平次はそんな事に構はず、
「昨夜お前は何處に居たんだ。夜半よなかから騷ぎのあつた時までの間だよ」
「此處に居ましたよ。何時酒のお燗を直せと言はれるかも知れないんですもの」
 恐らく土竈へつゝひの蔭で、居眠りでもして居たことでせう。
「内儀と手代の敬吉とお國さんは、子刻こゝのつ過ぎは階下に居て、何んか食べて居たさうだな」
「大きな聲で話して居ましたよ。階下に居たことは確かですが、何んにも召し上らなかつたやうです。お酒位は少し飮んだかも知れませんが」
「お國と内儀のお紺は、仲が好いのか」
「惡くはありませんが、大して好いとも言へませんよ」
「内儀と敬吉は」
「あんなに、お互の惡口を言ふ人はありませんよ。向ひ合つて居ると、仲が好いのに、陰に廻ると、滅茶々々な惡口ですよ。變な人達ですね」
 下女のお徳との話を切上げて、平次は家へ入ると、店格子の中で算盤そろばんを彈いて居る、手代の敬吉の前に膝を立てました。
「番頭さん、忙しさうだね」
「へエ、主人が亡くなると、金の出入の始末だけでもはつきりさせて置かないと、私の落度になります」
身上しんしやうは大したことだらうな」
「思つたほどではございません。尤も現金は大抵動いて居ますから、貸金を取立てたら、三千兩近いものになるでせうが、あとは地所と家作で」
此家こゝの後は、誰が取るのだ」
「お孃さんでございますよ、――尤もあんな事になつては、此先どうなるか、私では見當もつきません」
 敬吉の眉が曇るのです。親殺しで縛られて行つた、お玉の上を案じての言葉でせう。
「お前は、内儀かみさんと仲が惡いさうだね」
「飛んでもない。主人をつかまへて、仲が善いも惡いもあつたものぢやございません、――尤も、虫のせゐといふものがありますから、好きになれないのは、致し方もありませんが、――毎日顏を合せると、ツイ胸も惡くなるわけで、へエ」
「何時から奉公してゐるんだ」
「もう十年にもなりませうか、私も四十前に世帶でも持ち度いと思つて居りましたが、不意に主人に死なれては、動くわけにもなりません」
 敬吉の話はしんみりしてしまひます。
 隣の部屋にしよんぼりして居る姪のお國は今朝とは打つて變つてしとやかでした。
「親分、かううつとしくちや叶ひませんね、何んとかして下さいよ。――それにお玉さんだつて、親殺しにされちや可哀想だし」
 かう言つた調子です。
「大層しをらしくなつたね。ところが、昨夜子刻こゝのつから先、騷ぎのあつた時まで、内儀と敬吉とお前は、階下の八疊から一度も外へ出なかつたのか」
「え、生憎あいにく、小用にも立たないから、人殺し野郎に、勝手なことをされてしまひましたよ」
「その人殺し野郎を誰だと思ふ。武藝の心得があつて、身體の丈夫な主人を、並大抵の者では殺せさうも無いが」
「だつて、叔父さんの上を行く武藝の達人なら殺せるでせう」
「何んだと?」
「裏の御浪人神山守さんは、あんな綺麗な男振りで、ちよいと役者のやうだけれど、腕の方は大したものですつてね」
「?」
「裏梯子から、そつと引入れるはありませんか、親分」
 これは實に驚くべき毒舌でした。さすがの平次も受け應へに困つて眼を見張つたほどです。
「お前は、御浪人の神山守が、下手人だといふのか」
「飛んでもない、私がそんな事を言ふと、世間の人は、私があの人に岡惚れして居たことを知つて居るから、口惜しまぎれに、神山さんを困らせにかゝつて居ると言ふでせう」
 先から先へ、この女の智惠はくゞつて行きます。


 下男の三次は外出中、家中の者に逢つた平次は、金六に案内させて、番所に留め置いた娘のお玉に逢つて見ることにしました。
「錢形の親分だ、隱さずに言へ」
 金六の聲に、ハツと顏を擧げたお玉を見て、平次は一目で『これは無實だ』と思つたのも無理はありません。
 それはさして良いきりやうでも無く、顏の道具も甚だ不揃ですが、銀の粉をまぶしたやうな皮膚、櫻色の頬、大きい眼、素直な鼻、わけても泣き出しさうな唇の曲線が非凡で、この世の中には、人に對する好意と、やるせない戀しか知らないやうな、まことに典型的な町娘です。
「昨夜のことは、神山さんから詳しく聽いたが、何んか外に氣のついた事は無かつたのか」
 平次は靜かにたづねました。
「神山樣の家から歸つて、裏梯子を二階へあがると、父さんがあんなになつて――」
「?」
「その時、私は縁側の板敷の上に、白い長いものを見ました。輪のやうになつて、かなり太いものでした。でも、表梯子を降りて、皆んなに知らせて戻つて來た時までは、確かにその白い長いものがあつたのに、間もなく何處へ行つたのか見えなくなつてしまひました」
「それから」
「それつきりです」
「灯はいて居たのだな」
「お月待ちだからと言つて、わざと一本燈芯にしましたが、行燈がいては居ました」
「内儀と敬吉の仲が惡かつた相だが――?」
「さア、私は」
 お玉はそれ以上物を言ひ度くない樣子でした。
「兎も角、もう少し此處で辛抱してくれ、決して惡いやうにはしないから」
 平次はツイこの娘を慰めてやりたい氣になるのです。
「あの、神山樣はどうなるでせう」
 お玉にしては、そればかりが心配なのでせう。
「心配するな、あの浪人には何んの疑ひもない」
「――」
 お玉は口の中で、そつと禮を言つたやうです。
 其處からもう一度芝口一丁目へ引返して來ると、金六は道中みちなかで若い男を一人つかまへて何やら話し込んで居ります。
「錢形の親分、これが久米野の下男の三次だよ。昨夜は月待ちの人混みに浮かれて、自分の家へ歸らなかつたが、今朝はあの騷ぎで、親類から寺を廻り、今歸つて來たところだ」
 金六に引合せられたのは、成程お國がヒヨツトコの國から來た男といふだけあつて醜男ぶおとこではあるが、何んとなく人付きの良い、道樂者らしい肌合ひの男でした。
「お前に是非打ちあけて貰ひ度いことがあるんだが」
「へエ、へエ、どんなことでせう」
「お國とお内儀の仲だ」
「馬鹿と利口で、妙にそりが合ひますよ。野暮と意氣と言つても宜いでせう」
「もう一つ、内儀と手代の敬吉の間は、お互に惡口を言ひ合つてるさうだが――」
「口でくさして心でれて――といふ小唄があるでせう。年上の内儀の、敬吉どんを見る眼は唯事ぢやありませんよ。尤も敬吉どんは恐ろしく利口だから、口ぢやちこはしな惡口を言ひますがね」
「すると何ういふことになるのだ」
「内儀の不心得ですよ。ガマ蛙のやうな六十の旦那より、三十五になつたばかりの、小意氣な敬吉どんが惡い筈はありません。三々九度で乘込んだ貞女ばたけの女とはワケが違ひまさア」
「俺もそんな事だらうと思つたよ。二人の惡口の言ひ合ひは、あんまり度を過ぎるから、反つて空々そら/″\しく聽えるんだ」
「それでどんな事になるんです、親分」
 八五郎はもう、事件の解決の近いことを、本能的に嗅ぎ出した樣子です。
「これから家搜しだよ。露月町の親分は、子分衆を皆んな集めて、久米野の家の表裏を固めてくれ。逃げ出した者があつたら、誰でも構はない、一人殘らず、縛り上げるのだ」
「何を搜しや宜いんです、親分」
「白い帶だよ、丸グケの帶だよ。芝居の兒雷也じらいやの締めるやうなやつだ」
「へツ、變なものですね」
 配置が出來ると、
「それツ」
 一ぺんに飛込んだ平次と金六と八五郎、それに金六の下つ引が二三人、階下した階上うへと二た手に別れて部屋々々を家搜ししました。家は廣く、調度は多いのですが、搜す物がはつきりして居るので、やがて内儀のお紺の部屋を搜して出た八五郎が、
「あつた/\」
 逞ましい丸グケの帶、長さ二間あまりあるのを見付け出して、勝誇つた勢で二階に居る平次と金六のところへ持つて來たのです。
「何んだえ、これは?」
 金六はまだ、何が何やら意味はわかりません。丸グケの帶は、丈夫さうな羽二重を、人間の腕ほどの太さにクケたもので、その中には普通の丸グケのやうに、單に綿を入れてふくらましたものでは無く、しんに丈夫な麻繩を入れ、その上を綿と眞綿で詰めて、恐ろしく嚴重に出來て居りますが、表の用布、つまり丸グケにした羽二重は、ひどく皺になつて、眞ん中のあたりに、大きな結び玉さへ出來て居るのです。
 その丸グケの帶を、念入りに見て居る最中、
「や、御用ツ、逃げるか、野郎」
 階下ではバタリバタリといふ音、平次と金六が二階から飛降りると、内儀のお紺と手代の敬吉が、逃げ出さうとするところを、待機して居た下つ引に捕へられ、苦もなく繩を打たれて居る騷ぎです。
 それを面白さうに、默つて見て居るのは、姪のお國。
「逃げないのか、お前は」
 平次はその前に立つて、ピタリと胸のあたりをゆびさします。
「私は何んにも惡いことをした覺えはありませんよ、親分」
 自若じじやくとして、顏の色も變へないお國です。
「いや、あの時お前は裏梯子うらばしごの下で、見張りをして居た筈だ。そして店の八疊に三人、何處へも出ずに、顏を並べて居たと僞の證人にもなつた筈だ」
 平次は追及の手をゆるめません。
「――」
「お前は今朝、神田の俺の家へ來て『二人で口を合せさへすれば』とお玉と神山守のことを言つたらう。それがお前の智惠だつたんだ。お玉と神山守はそんな惡智惠は無かつたが、お前は『三人で口を合せた』ことを白状したやうなものぢやないか」
「えツ、勝手にしやがれ。どうせ私は何んにも知らないんだから」
 お國はまだ白を切るつもりでせう。
        ×      ×      ×
 事件は間もなく解決しました。お紺と敬吉は主殺しで極刑に處せられ、お國は罪の疑はしい者といふ酌量しやくりやうで、江戸を追放され、それつきり行方不明になり、神山守は改めて久米野に婿入し、お玉と共に堅い商賣を始めました。
 八五郎のせがむのに應へて、或日平次は、かう繪解きをしてやつたのです。
「お紺と敬吉は、主人の官兵衞を殺して、その罪をお玉に背負はせ、そつくり久米野の家を横りしようとしたのさ。お國は神山守に惚れて、お玉憎さにちよいと手傳つたのだらう。翌る日神山守が神田の俺の家へ來たのを追かけて樣子を見に來たが、自分も見付けられて、出鱈目でたらめを言つたのが、ことの起りさ」
「成程ね」
「主人官兵衞は心の臟をゑぐられて居るのに、血の出やうが少く、それに、血溜りは少しも亂れずに、一箇所になつたのは、息が絶えてから刺されたものに違ひあるまい」
「へツ」
「刺される前に死んで居たとすれば、毒害でなければ、首をめられたことだらうと思つたが、首筋に絞め殺した跡が無い。そこでフト、柔術の絞めのことを考へたよ。柔術の方で、人間の腕で絞めて、絞められた者がよく落ちることがあるが、上手に絞められると、喉佛も痛まず、落ちても首へ跡がつかないのだ。そこで、人間の腕のやうな太い柔かいもので絞めたのではあるまいかと思つた」
「驚きましたね」
「が、一人では絞められない。相手が強過ぎたのだ。で、丸グケの一方を柱に縛つて置き、醉つてウト/\して居る官兵衞の首にその丸グケを一卷して、敬吉とお紺の二人で一方の端を引いたに違ひあるまい。一人で引いては、苦しまぎれの官兵衞に手ぐり寄せられるからだ」
「へエ、ひどい事をしやがる」
「首に繩の跡が無ければ、頓死とんしでも濟まないことは無い。と思つたが、官兵衞が死んだのを見て階下へ降りてから、萬々一息を吹返したらどうしよう――と、それが心配になつた。そこで敬吉が引返して、短刀で官兵衞の胸を刺したことだらう、血溜が靜かだつたのも、血の少なかつたのもその爲だ」
「――」
「お玉が裏梯子から二階へ來て父親の死んで居るのを見たとき、白い太い長いものが眼に入つたのは、その丸グケを片付けるひまが無かつた爲だ。後でお紺は氣がついて隱したことだらうが、兎に角、お玉に妙なものを見られたのが天罰といふものだらう」
「驚いた惡人共ですね。だからあつしは、ツクヅク世の中が嫌になると言つたでせう」
「尤も世の中には、お玉のやうな良い娘もあるよ。氣長に生きる工夫をすることだ」
 平次は一事件が濟んでホツとした樣子です。





底本:「錢形平次捕物全集第一卷 恋をせぬ女」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年3月25日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1951(昭和26)年8月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年4月13日作成
2017年3月4日修正
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