錢形平次捕物控

猫の首環

野村胡堂





「人の心といふものは恐ろしいものですね、親分」
 八五郎が顎を撫で乍ら、いきなりそんな事を言ふのです。
「あれ、大層物を考へるんだね。菓子屋の前を通ると、店先の大福餅をつかみ喰ひしたくなつたり、酒屋の前を通る度に、鼻をヒク/\させるのも、人間の心の恐ろしさだといふわけだらう」
「止して下さいよ、親分、あつしのことぢやありませんよ」
 平次の鼻の先で、八五郎は無性むしやうでつかい手を振りました。
「さうだらうとも、お前の心なんてものは、ビードロ細工で見透しだよ、腹が減るとお勝手ばかり覗くし、お小遣が無くなると、俺の懷を氣にするし」
「もう澤山、――あつしの言ふのは、淺草阿倍川町の佛米屋ほとけこめやと言はれた俵屋孫右衞門が、昨夜隱居所で殺されてゐたと聽いたら、親分だつて變な心持になるだらうといふことですよ」
 八五郎は漸く本筋に入りました。
「へエ、あの評判の良い人がねえ、俺は逢つたことも無いが、昔は淺草で鳴らした人だといふぢやないか」
「少し一てつ者ではあつたが、義理堅くて深切で、評判の良い人でしたよ。それを虫のやうに殺すなんか、ひどいぢやありませんか、八方から人氣のあつた孫右衞門を、殺すほどうらんでゐた者があると思ふと、あつしは世の中がいやになりましたよ」
「八五郎に出家遁世とんせいされると、俺も困るし、差當りあのが泣くだらう。人助けのため阿倍川町へ出かけて見るとしようか」
「さうして下さいよ、親分が乘出して、下手人を縛つて下さると、あの娘が喜びますよ」
「誰だえ、お前の言ふあの娘は?」
「俵屋孫右衞門の娘、お柳と言つて十六、花のつぼみのやうな可愛らしい娘ですよ」
「俺の言ふあの娘は、煮賣屋のお勘子かんこさ」
「冗談いつちやいけません」
「お前には少しお職過ぎるかな」
 無駄を言ひ乍ら、手早く仕度をして、二人は五月の陽の照りつける街へ出ました。
 道々八五郎は、俵屋のことを、いろ/\説明してくれます。先代の主人孫右衞門は、佛米屋と言はれた、評判の良い人でしたが、十年前に配偶つれあひに先立たれ、四、五年前から中風で足腰の自由を失ひ、二年前からは寢たつきりで、家督かとくは養子の矢之助に讓り、何不自由なく養生して居るといふことです。
 當主の矢之助は、孫右衞門に子が無かつた爲の夫婦養子で、嫁のお舟は遠縁の者、矢之助は四十二の厄、内儀のお舟は三十八の働き盛り、多數の雇人を、顎の先で使ひこなすと言つた、口八丁の才女です。
 孫右衞門の本當の娘のお柳は、矢之助お舟の夫婦養子が入つてから出來た子で、今更どうにもならない存在でした。それ丈けに孫右衞門の寵愛が深く、わけても母親の死んだ後は、簪の花のやうに大事に育てました。
 家族はその四人だけ、あとは、番頭の與七が四十八の白鼠、手代の幾松は十九の子飼ひ、親は有名な幇間たいこの幸三郎ですが、伜まで道樂商賣は見習はせ度くないといふので、曾ての旦那筋、先代孫右衞門に頼んで堅氣の商人に仕立てる積りの年季奉公です。
 あとは下男の太吉と、下女のお梅だけ。米搗の男達は、大概冬場だけ國許から稼ぎに出て來る越後者が多く、御厩おうまや河岸の仕事場に寢起して、夏場は留守番二人だけになつてしまひます。
 八五郎の説明が終る頃、二人は漸く阿倍川町に着きました。


 二人を迎へてくれたのは、内儀のお舟でした。三十八といふ大年増ですが、眉の跡の青々とした、眼の大きい、かなりのきりやうで、口の大きいのが氣になりますが、その代り辯舌爽やかで、男まさりやり手らしく見えます。
「ま、八五郎親分、御苦勞さまで、――錢形の親分さんも御一緒ですか、それはまア、飛んだお世話樣で」
 なか/\人をそらしません。
「おや、錢形の親分さん、御手數をかけます」
 後ろから顏を出したのは、番頭の與七でした。四十七八の世馴れた男で、自分の都合さへよければ、どつちへでも附いて行きさうな人間です。
 奧へ通ると、さすがに大家で、親類縁者や、近所の衆が立て混んでゐることゝ思ふと大違ひで、當代になつて人附き合ひが惡く、遠い親類や町内の人達も、あまり寄りつかなくなつたと、後で人の噂に聽きました。
 隱居の孫右衞門の病間といふのは、北側の渡り廊下を距てた離屋で、六疊と四疊半の二た間、その奧の六疊に、昨夜の血を清めたまゝの死骸を、新しい布團の上に横たへてあります。疊建具から調度は、思ひの外に簡素なもので、部屋の中がムツと汗臭いのも、俵屋の大身上の隱居部屋に似合はぬことです。
 死骸の世話をして居たらしい、養子の當主矢之助は、平次と八五郎の顏を見ると、少し遠退いて挨拶しました。四十二といふにしては、子供つぽいところのある丸顏で、一應愛嬌者に見えますが、こんなのは案外したゝかな魂の所有者であることは、いろ/\の場合に平次は經驗して居ります。
 床の裾の方に、小さくなつて居るのは、殺された孫右衞門の獨り娘、お柳と――八五郎の説明でわかりました。八五郎が説明してくれなければ、全くわからなかつたかも知れません。十六娘の初々うひ/\しさも、恐ろしい悲歎と絶望に打ちひしがれて、まことに見る影もない姿ですが、挨拶する時フト擧げた顏は、涙に濡れて脹つぽくさへなつて居るのに、何んとも言へない可愛らしさでした。
 これは世に言ふ美人ではなく、日蔭に咲いた虫喰ひ牡丹の莟のやうな、一種の可憐さと、弱々しさと、そして若さとの異樣な混合で、人の心に喰ひ入る、いぢらしさを持つて居る顏といふべきでせう。
 身扮みなりは思ひの外良く、小綺麗な單衣などを着て居りますが、それがさつぱりした木綿物でもあることか、疊み皺の目立つ絹物で、下着の破れや、帶の汚れが目立つのも妙な淺ましさです。
 死骸は一應清めてありますが、髯も月代さかやきも伸び放題、身體も汚れて、小薩張りした寢卷と甚だ調和が取れません。六十といふにしては、ひどい衰弱で、骨と皮ばかり、昔は立派であつたことと思ふ人品も、賤しさと棘々とげ/\しさに、人の眼に不氣味に燒きつきます。
 傷は右の喉笛へ一ヶ所だけ、薄刄の鋭い刄物で、一氣に頸動脈を掻き切られたものでせう、恐らく聲位は立てたにしても、人を呼ぶ力も無くこと切れたのかも知れません。
「昨夜の樣子は?」
 平次は言葉少なに、主人矢之助に訊ねました。
「昨夜、戌刻半いつゝはん(九時)少し前だつたと思ひます、店を閉めて、奉公人達は、それ/″\自分の部屋に引取り、家内はお勝手に居たやうで、私は二階の部屋で凉んで居りました。御存じの通り暑い晩で、彼方も此方も開け放したまゝで」
「――」
 矢之助は息を繼ぎました。平次は默つて先を促がしました。
「下女のお梅が、隱居所の雨戸を閉める積りで、渡り廊下まで來ると、部屋の中から飛出した猫が、暗い中を氣狂ひのやうになつて庭へ飛降り、垣根の方へ逃げて行つた相です。何んか唯事でないやうな氣がして、奧の六疊へ入ると、中は血の海で、親父はまだ息があつた相です」
「何んか言はなかつたのかな」
「さア、其處まではわかりません、――お梅は隱居所から飛出して騷ぎ立てたので、家中の者は皆んな集まつて來ました、私も二階から降りる時、あんまり急いで踏み外したりしましたが、なに怪我は大したことぢやありません」
「それから」
「醫者を呼んで手當てをしましたが、もう手遲れで」
「部屋は閉めてあつたことだらうな」
「窓も雨戸もすかしてありました。入らうと思へば、何處からでも入れたわけで」
「刄物は?」
「鞘は縁側に落ちて居りましたが、中味はずつと離れた生垣のところに投り出してありました。今朝になつて、幾松が見附けた相で」
「見覺えのある刄物か」
「父親の持物で、隣の部屋の用箪笥に入つて居た筈です、細身の匕首で、――これですが」
 矢之助が振り返ると、若い手代の幾松は、手拭に包んだ匕首を、隣の部屋から持つて來て、そつと平次の前へ滑らせます。
 この幾松といふのは、幇間たいこ幸三郎の子でいかにも素朴な眞面目な男、十九の年にしては筋骨も逞ましく、糠の匂ひの紛々とした、米屋の若い衆らしい好青年でした。
 匕首は細くて長く、ひどく華奢きやしやなものでしたが、それだけ不氣味に鋭さを持つて居ります。
「御隱居は、自分でこれは取出せなかつたのか」
「長い間の患ひで、足腰は全く立たず、手と口だけ丈夫なのが反つて口惜しいと言つて居りました。隣の部屋の箪笥のものを、自分では出せる筈もありません」
 主人矢之助は確と斯う言ふのです。


 平次は、八五郎に近所の樣子を見せ乍ら、自分は、部屋の配置、家の造りを見て、曲者の侵入經路を調べました。
 離屋は全く獨立したもので、庭からは――雨戸さへ開いて居れば――何處からでも入れますが、手と口だけは達者であつたといふ隱居の寢間へ、まだ灯のある宵のうちに押し込んで、聲も立てさせずに、正面から匕首で刺すといふことは、一寸考へられないことであり、曲者は矢張り、家の中の者ではないかと、平次が考へたのも無理のないことです。
 他人からは評判の良い者が、案外家の中に、寢刄ねたばを合せる敵を持つて居ることがあり、孫右衞門の命を取つたのも、そんな關係で、思ひも寄らぬ身近の者かも知れないのです。
 母屋はかなり堂々たる二階建で、店口と裏と二ヶ所に梯子段があり、裏の梯子段は離屋のすぐ前から、主人矢之助の部屋に通じ、店の梯子段は、店の上から三間續きの、奉公人達の部屋に通じて居ります。
 この店の梯子段から離屋へ來るためには、二階の主人の部屋の前を通るか、階下したのお勝手に居る内儀の眼か、お勝手の側の三疊に居た筈の、下女のお梅の眼に觸れなければならず、宵のうちに離屋に侵入して、主人の喉笛を刺すことは、奉公人達――番頭の與七と手代の幾松と下男の太吉には先づ不可能なことゝ見なければなりません。
 すると、犯人を家の中の者と限定すれば、主人にして養子に當る矢之助と、その女房のお舟、下女のお梅の三人のうちの一人といふことになります。
 一とわたり家の中を見た平次は、座下駄を突つかけて、狹い庭傳ひに、お勝手の方へ廻つて見ました。近頃は雨が多い上に、庭と言つても建物と板塀の間の少しばかりの空地で、陽にうといためか、歩けば一々刻印をしたやうに足跡がつくので、どんな神變不可思議な曲者でも、外から忍び込んで、隱居の寢て居る離屋へ、足跡を殘さずに近寄る工夫はありません。
「おや、其處で、何をして居るんだ」
「あれ、私かね」
 平次に聲をかけられて、フト顏を擧げたのは、下女のお梅でした。年は二十八、三浦から來た出戻りの女で、よく働く正直者だとは後で聽いたことです。
「猫の行水は珍らしいな」
「でも、血だらけだよ。可哀想に、御隱居樣が殺されて居るのを見て、びつくりしたこんでせう。首環も何も振り落して、昨夜からどけえ行つたか、姿も見せなかつただよ」
 白い、大きい猫でした。お梅はたらひでしめした雜巾で、せつせと、その雪のやうな毛並を汚した血を拭いてやつてるのです。
「その猫は、お前によく馴れて居る樣子だね」
「よく馴れてゐますだ。恐ろしく人見知りをする猫で、滅多に人の傍へは寄らねえが、御隱居樣とお孃樣と、私にはよく馴れて、打つても叩いても、甘えて喉を鳴らして手に了へねえだ」
「どれ、一寸見せてくれ」
 平次は盥の傍に寄つて手を出すと、猫は忽ち背を丸くして、お梅の手を潛り拔けたと見るや、疾風の如く逃げ去つてしまつたのです。
「それね、お前樣も、猫には好かれねえだ」
「まア、い、猫には嫌はれても、お前に嫌はれなきや――ところで、お前が昨夜、御隱居の殺されてゐるのを見付けた時のことを、もう少し詳しく話してくれないか」
「詳しくなんか、話しやうは無いだよ。尤も、御隱居さんが、私の顏を見ると、――」
「待つてくれ、御隱居は、床の上に仰向に寢て居たのか」
「いえ、起直つて、布團にもたれて居ましただよ。其邊一パイの血で、私が思はず大きな聲を出すと、瀬戸物でこせえたやうな眼で、ヂツと宙をにらみ乍ら、――矢之助、矢之助――と二度ばかり旦那樣の名前を言つたやうだが」
「それは本當か」
「間違えは無えだ。旦那樣には言はなかつたけれど」
「一體、この家の中には、ごた/\は無かつたのか。もめ事とか、喧嘩とか」
「そんな事、私は知りましねえ」
「御隱居と主人の中は?」
「あんまり良いとは言へねえけれど」
 お梅は急に口をつぐんでしまひました。自分の言ひ過ぎに氣が付いたのでせう。


 店へ廻ると、番頭の與七と、手代の幾松、下男の太吉が、二三の近所の衆と、何やらひそひそと語り合つて居りました。
「今朝匕首を拾つたのは、どの邊だ、教へてくれ」
 平次は幾松を呼出して訊くと、
「此方ですが」
 幾松は先に立つて案内しました。生れはどうあらうとも、何んとなく小氣味の良い青年です。
 幾松が平次を案内して、ゆびさしてくれたのは、お勝手に近い生垣の袖のところで、其處は陽當りが良いせゐか、土がよく乾いて、足跡らしいものもありません。
 此處から隱居所までは、母屋の角を一つ廻らなければならず、曲者はうつかり此處まで刄物を持つて來て、氣が付いて捨てたか、又は取落したものかわかりません。
「ところで、この家はモメ事があるやうだが、お前はどう思ふ?」
 平次は匕首に事寄せて、此處まで幾松を誘ひ出したのは、そんな事が訊き度いためでした。
「私は何んにもわかりません。でも、お孃さんが可哀想で」
「それはどういふわけだ」
「物見遊山や稽古事などは、及びもつかないことですが、俵屋の一と粒種ですから、あんなに嚴しくしつけなくたつて宜いと思ひますよ」
「?」
「お内儀さんが、朝から晩まで躾け/\と言つて、箸のあげおろしまでやかましく言つた上、まるで下女同樣に働かされて居りますよ」
 幾松は若さの義憤に燃えて、ツイ主人夫妻の非難になるのでした。
「昨夜お前は何處に居た」
「店二階でした。番頭さんと、太吉どんと一緒で」
「よし/\それ位のことで」
 平次は幾松を店へ歸して、庭から縁側の方へ行くと、障子の蔭から、此方を覗いて居る白い顏が、ハツとしたやうに引込んでしまひました。娘のお柳だつたことは、あとに殘つたおもかげの優しさでもよくわかります。
 番頭の與七は利口と愚鈍と、自由自在に使ひわけるたちの人間で、平次につかまつての話も、ヌラリクラリと一向にらちがあきません。
「御隱居を怨む者? 飛んでもない、そんな人間はある筈もございません。御主人夫婦と御隱居樣の仲ですか、――それはもう、はたの見る眼も羨ましいやうな親子の間柄で、ハイ」
 などと、よくも斯う空々そら/″\しい事が言へるかと思ふ程です。
 下男の太吉は二十二三、逞しく正直さうな男ですが、上總から來たばかりで何んにも知らず、平次の調べも、此迄で先づ一段といふことになりました。
 と、丁度、近所を一と廻りした八五郎が、持前の氣輕さと、巧みな口取りで、思ひの外材料を集めて來てくれたのです。
「驚きましたよ。親分、俵屋といふものは、遠くで見たのと違つて、近くの評判は散々ですね」
「何が散々なんだ」
「評判のよかつたのは殺された先代の孫右衞門で、今の主人矢之助と來たら、夫婦養子の癖に先代が少し中氣の氣味だからと言つて押込隱居をさせ、足腰が立たなくなつてからは、あの隱居部屋へ閉ぢ籠めて、三度の食ひ物もあてがひ扶持ぶち、飯が一杯に味噌汁少々、漬物が二た片、盆も正月も、それで押つ通したといふから、大したいぢめやうぢやありませんか」
「俵屋の先代を、誰が一體?」
 平次は身内に義憤の湧き上がる心持でした。
「養子の當主矢之助ですよ。尤も親不孝は夫婦の相談づくで、一方だけといふことはありません。ことにあの内儀のお舟と來たら、鬼のやうな女で、めんは一寸踏めますが、亭主を引摺り廻して、身動きも出來ない親から、奉公人達にまで辛く當る相ですよ」
「――」
外面如菩薩げめんによぼさつ、内心如夜叉によやしやといふのですね。女の薄情なのは、恐ろしいものですね。時々は自分で隱居所へ膳を運ぶこともあるが、月に一度腐つた干物でもつけると、離屋の隱居所へ入る前に、あの渡り廊下で、野良犬を呼んで投げてやり、隱居へは空つぽの皿だけ見せる相ですよ、――年寄には油つ濃いものは毒だといふんだ相で、躾け/\で、先代の一人娘お柳さんをいぢめ拔くのと、同じですね。あの樣子では、お柳さんも何時どんなことで、食ひ合せか中毒でコロリと死ぬかも知れないと近所中の噂ですよ」
「――」
「隱居は毎日泣いて居た相ですが、誰にも逢はせないから、愚痴のこぼしやうも無かつたでせう。その間に娘のお柳さんが、下女と同じにこき使はれ、下女並の食物をあてがはれ乍ら、自分のおかずをそつと隱して、窓から父親の孫右衞門にみついでやるのを、近所の衆が見て、涙をこぼした相です。それも、一度内儀に見付かつて、ひどい仕置を受けたといふのは、腹が立つぢやありませんか、親分」
「よしわかつた。お前が泣くのも尤もだが、次を話せ」
「あの娘のお柳は、誰が何んと言つても、俵屋の一と粒種だから、婿でも貰つて、この身上を引渡すのが本當でせう。それを當主の矢之助とお舟の夫婦が、他人の癖に大きな面をして、隱居と娘を邪魔物にするのは、ブチ殺してもやり度いやうだと、これも近所の衆の噂ですよ」
「變なことになるぜ、八。それでは矢之助とお舟が殺されるわけになるが、隱居が殺されるのは筋が立たないぢやないか」
「隱居を邪魔にしたんぢやありませんか」
「邪魔かは知らないが、そんな危い橋を渡つて、足腰の立たない年寄を殺すのは、無算當むさんたうに過ぎるやうだが――」
 平次はなか/\八五郎の説に賛成してくれません。
「ところで、もう一つ、面白い話がありますよ」
「面白い話?」
「あの若い手代の幾松は、野幇間の幸三郎の伜だと言ひましたね」
「うん、聽いたよ」
「幸三郎は幇間持のくせに妙な男で、たま/\、良い伜が生れたのは、神樣の授かり物だから、これに道樂稼業を見習はせちや惡いと、昔世話になつた俵屋の孫右衞門旦那に頼み、小さいうちから丁稚でつち奉公に出したんだと言ひましたね」
「うん」
「その幾松は感心な男で、働き者で正直だが、此の道ばかりは別と見えて、何時の間にやら、娘のお柳とねんごろになつた」
「本當かえ、それは。十八と十六だぜ」
「十八と十六でも、男と女に違ひはありません、――あつしだつて身に覺えはありますが」
「止せやい、馬鹿々々しい」
「兎も角も、お安くないんだつて、これも近所の衆の噂で、へツ」
 八五郎は、獨り悦に入つて居ります。十八と十六の戀仲が嬉しくてたまらなかつたのでせう。


 平次はそれつきり阿倍川町を引揚げてしまひました。下手人が鼻の先へブラ下つて居るやうな氣がして、八五郎はひどく口惜しがりますが、平次が手を下さないのでは、どうすることも出來ません。
 俵屋を出る時、下女のお梅と、下男の太吉に、何やらさゝやきました。『猫の首環を何處へ落して來たか、見付かつたらそつとしまつて置いてくれ』と言つたやうですが、八五郎には、その意味が少しもわかりません。
 翌る日、八五郎は相變らずまげぷしを先に立てゝ飛んで來ました。
「サア大變、三輪の萬七親分が乘出して、俵屋主人矢之助を縛つて行きましたぜ」
「さうか、やりさうな事だな」
 平次はあへて驚く色もありません。
「何んでも、三輪の親分のところへ『俵屋孫右衞門殺しの下手人は、養子の矢之助に違ひない』といふ手紙を投げ込んだ者があつた相で」
つまらねえ事をする奴があるんだな、放つて置けよ」
「宜いんですか、親分、あんなに骨を折つて、手柄を三輪の萬七親分にさらはれちや」
「宜いつてことよ、二三日經てば、矢之助は戻つて來るよ」
 平次の豫言は見事に的中しました。矢之助は三日目に歸され、俵屋は何事も無かつたやうに、忌中の札を剥がして商賣を始めたのです。
 それから五六日經つた或日のこと、
「御免下さい、親分さんに、ちよいと御目にかゝつて申上げ度いことがありますが、へエ、私は俵屋の手代幾松の父親、幸三郎でございますが」
 と、大きな坊主頭が、平次の前へ恐る/\現はれたのでした。
 丁度晩の膳を引いて、八五郎と差向ひのまゝ、未練らしく徳利に殘つた燗ざましを絞つて居るところでした。
「あ、師匠か、俺は遊びに縁が遠くて、滅多に逢ふ折もないが、師匠の名前だけはよく知つて居るよ」
 平次に聲をかけられて、
「へ、へ、恐れ入ります」
 などと、幸三郎は神妙らしく、額で疊を掃くのです。
「ところで、何んだえ、用事といふのは?」
「私は、俵屋の大旦那、亡くなつた孫右衞門樣に、海山の御恩を受けて居ります。一々は申上げられませんが、その一つ二つを拾つて申しますと、私の亡くなつた女房は、吉原の中所の店の新造で、そでと申しました。若い盛りで、私と飛んで落つこちになり、死ぬの生きるのと言ふ騷ぎをいたしましたが、俵屋の大旦那樣が可哀想だと仰しやつて、誰が袖を請出うけだして、私と添はせて下さいました。その仲に生れたのがあの幾松で」
「――」
 平次は默つて聽いて居ります。
「女房は七年前に亡くなり、男手一つで育て兼ねて、伜の幾松は俵屋に丁稚奉公に出しました。それから一年過ぎ、私は惡い客に騙されて、危ふく謀判ぼうはんの一味に引摺り込まれるところを、大金を出して救つて下すつたのも孫右衞門旦那で、お蔭で私は首がつながりました。そんな大恩のある旦那樣が、人手にかゝつて亡くなられたのを、默つて見て居ては、私は畜生よりも劣つた人間になります」
「で?」
「俵屋の御隱居――昔の大旦那樣を殺した下手人は、私の眼で見てもわかつて居ります。錢形の親分さんに、それがわからない筈はございません、――こんな事を申し上げたら、さぞ御腹も立つことでせうが、どうしてあの下手人を縛つて下さらないか、私にはどうしてもわけがわかりません」
「證據が無いのだよ、師匠」
 勢ひ込んで疊みかける幸三郎の鋭鋒を、平次は輕くいなしました。
「證據は澤山ございます。匕首のしまつてある場所を知つてるのは、若御主人とお内儀の二人だけ。あの時二階から、人に知られずに、そつと降りて離屋へはひれるのは若御主人だけ、匕首は二階から投げると、丁度生垣いけがきのあの邊へ落ちます。下女のお梅が飛込んだとき、御隱居樣はまだ息があつて――矢之助、矢之助――と若御主人の名を仰しやつたと言ひます。御隱居樣は眼も口も、お手も大した不自由はなかつたのに、足だけは不自由で隨分養子御夫婦に迷惑がられ、邪魔がられて居りました。御隱居樣さへ亡くなれば、あとはお孃樣一人、俵屋は若主人御夫婦の自由になります。――それでも證據は無いと仰しやるでせうか、親分さん」
 幸三郎は疊を叩かぬばかり、平次に詰め寄るのは何んとしたことでせう。
「よし/\、もう一度考へて見よう、ところで、師匠の伜の幾松はどうして居るんだ」
「へ?」
「お孃さんのお柳を庇ひ過ぎて、俵屋から追ひ出されたのぢやないか」
「どうして、親分さんは、それを」
「お前の眼の色に、ちやんと出て居るよ」
「恐れ入りました。幾松は大した縮尻しくじりも無いに、難癖をつけられて、六年越奉公をした、俵屋を追ひ出されました。――昨日のことでございます。可哀想に、お孃樣は、此先どんなことになりますことか、見張つてやる者もございません」
「お前の言ふのも、よくわかるが、それ丈けのことで、人を縛るわけには行かないのだよ」
「證據と言つて、何が不足なんでせう、親分さん。私は御覽の通り意氣地の無い藝人ですが、これをしろと仰しやれば、口幅つたいやうですが、火水の中へでも飛込んで、孫右衞門樣の敵が討ちたうございます」
「不足なものは、猫の首環だよ。赤い小布こぎれくけて、小さい鈴をさげた首環」
「そんなものを、御冗談でせう親分」
 幸三郎は一概に笑ひのめしますが、平次の顏は、眞面目に引締つて、ほぐれさうもありません。


 その足で幇間の幸三郎は、愛嬌稼業柄らしくも無く、坊主頭を振り立てゝ、俵屋に怒鳴り込み、主人矢之助と下男の太吉につまみ出され、下駄で打ち据ゑられて、額に怪俄をしたといふ話は、明神下の平次にも聽こえましたが、大店おほだなに野幇間風情が怒鳴り込むといふのが、土臺間違つた話で、これは何處へ訴出たところで、取りあげてくれる道理もありません。
 事件はそれつ切り、二日、三日と經つて、五月も漸く晦日みそか近くなりました。
 或日八五郎が、今度こそは、兩手を宙に打ち振り乍ら、疾風の如く飛んで來たのです。
「何があつたんだ、八、喧嘩か、火事か、借金取か」
やられましたよ、親分」
 八五郎は息せき切つて、暫らくは後が續きません。
「何がやられたんだ」
「俵屋の内儀、――あの内心如夜叉が、二階へ上つたところを匕首で一とゑぐり
「死んだか」
ごふが深いから死にやしません、ほんのかすり傷で、首筋を引つ掻いただけですが、騷ぎが大きいから、阿倍川町中夜討をかけられたほどの騷動ですよ」
「曲者は?」
「首尾よく逃げた相で」
「首尾よく逃げた――といふ奴があるものか」
「晦日に近くて月が無いといふのは、何んといふ有難い天道てんたう樣の覺し召しか、曲者は二階から飛降りて、路地の闇に姿を隱してしまつた相で」
「刄物は無かつたのか」
「そんな間拔けなものは殘しやしませんよ。あれは鎌鼬かまいたちですね」
「あんな事を言やがる」
 平次も放つても置けず、阿倍川町まで出かけましたが、お内儀の傷があまりにも輕かつたのと、曲者の殘したものは一つも無く、家中の者も、二人三人づつ固まつて居たので疑ひやうは少しもありません。
「父親がやられたのと、同じ手口ですね」
 矢之助はうさんらしく首を捻りますが、さうかと言つて、誰を疑ひやうも無かつたのです。
 平次はその歸り、門前町の幇間幸三郎の長屋を覗きました。幸三郎は仕事のことで留守、伜の幾松は、俵屋から追ひ出されたものゝ、行き場もなくくすぶつて居ります。
「昨夜、お前は何處に居たんだ」
「此家に居りましたよ。親父と二人、一杯呑んで、宵のうちは愚痴話になり、亥刻よつ(十時)前に寢ましたが、犬が吠えて暫らく寢付けなくて弱りましたよ。何んか變つたことでもあつたんで?」
 幾松のけゞんな顏には、何んの驅引があらうとも思へなかつたのです。
 其處を出て、明神下の方へ、物を考へ乍ら行くと、二三丁のところで、幇間の幸三郎にハタと逢ひました。
「おや、錢形の親分、宜いところでお目にかゝりました。丁度明神下の親分さんのお家まで行かうと思つて居たところで」
 幸三郎はひどく上機嫌です。
「何んだえ、師匠、急に用事でもあるのか」
「なアに、用事つて程ぢやありませんが、一人で溜飮りういんを下げちや勿體ないと思ひましてね」
「?」
「俵屋の内儀が、曲者に刺されて、引つ掻ほどの傷を拵へたんですつてね、惜しいことに、曲者の手許が狂つたんですね」
「何を言ふんだ師匠、俵屋の内儀が、殺されなかつたのが惜しいといふのか」
「と、飛んでもない、飛んだ災難だつたといふ話で、へ、へツ、へツ」
「ところで、師匠は昨夜何處に居たんだ」
「私ぢやございませんよ、俵屋の内儀を引つ掻いたのは」
「さうだらうとも、念のために聽いて置くのだよ」
「伜と二人、一杯呑んで、宵のうちは愚痴話しになり、亥刻よつ(十時)前に寢てしまひましたが、犬が吠えて暫らく寢付けなくて弱りましたよ。それつ切りで、へエ」
 幸三郎の言ひわけは、伜の幾松と符節ふせつを合せて居ります。


 それから又五日、俵屋の事件は、平次が最後の斷を下す前に、重大な破局へ落込んでしまつたのです。
 今度は、八五郎の注進が飛んで來る前に、淺草阿倍川町の現場から、土地の下つ引が飛んで來たのは、まだ夜明前の暗い時分でした。
「親分、阿倍川町の俵屋の主人矢之助が殺されましたよ」
「それは」
 平次も事件の急發展に、ひどく驚いた樣子です。
「直ぐ來て下さい、御檢死は明るくなつてからでせうが、兎も角、親分へ」
「よし、すぐ行く、が、向柳原の八五郎にも知らせてくれ、――後から來るやうにと」
 平次は薄暗い道を拾つて驅け出したことは言ふ迄もありません。
 隱居孫右衞門の殺された時と違つて、未明の俵屋は、大變な騷ぎです。
「親分さん、私はもう」
 平次の顏を見て、飛んで出たのは、内儀のお舟でした。
「どうしたことです、お内儀さん」
「何が何やら少しもわかりません、昨夜店で帳合をして遲くまで仕事をして居た主人が、亥刻半よつはん頃(十一時)店を引揚げて、二階へ來る積りだつたんでせう、梯子段の下まで來て、いきなり刺された樣子で」
「――」
 内儀はゴクリと固唾かたづを呑んで續けるのです。
「騷ぎを聽いて驅けつけた時は、もう虫の息でした。曲者はもう姿もありません、家中の大騷動になつて、お醫者も呼びましたが間に合はず、――」
 内儀は唯しどろもどろに續けます。
「兎に角、佛樣に」
 平次は番頭の與七をうながして、死骸を納めてある部屋に行つて見ました。
 主人の死骸は、その殺された梯子段の下の、八疊に納めてありますが、傷は隱居の時と違つて、後ろから一と突き、肩胛骨かひがらぼねの下をやられたもので、心の臟を破つたらしく、恐らく聲も立てずに死んだことでせう。
「刄物は?」
「それもありません。曲者は最初から忍び込んで居た樣子で、私共が驅けつけた時は、何處へ潜つたか、影も形もありませんでした。暑い晩で、雨戸は一枚開けたまゝで、何處からでも逃げられたことでせう。今朝になつてから庭も見ましたが、よく乾いて居て、足跡も見付かりません」
 番頭の説明をつまでもなく、この事件の六つかしさは、平次にもよくわかります。
 その時驅けつけた八五郎に、そつと囁いて門前町の幸三郎の家を覗かせると、間もなく戻つて來て、
「幾松一人ぼんやりして居ますよ。親父の幸三郎は、關所の手形まで用意して三日前にお伊勢樣へ出かけた樣で、『今頃は小田原かな』などと呑氣なことを言つて居ました」
「仕方があるまい。――ところで、下女のお梅と、下男の太吉を呼んでくれ」
 明るくなつた庭、縁側に腰をかけると、何處かで時島ほとゝぎすの啼くのが聞えて、今日も暑くなり相な鱗雲うろこぐもが、朝の空に黄金色に漂ふのです。
「へエ、お梅と太吉が來ましたが」
 八五郎に呼出されて、下女のお梅と下男の太吉はけゞんな顏を庭先に揃へました。
「お前達に頼んで置いた筈だが、猫の首環は見付かつたか」
 平次の問は、この場合いかにものんびりして居ります。
「昨日の夕方、裏の生垣の外のドブを掃除して居て、漸く見付けましたよ」
 それは下男の太吉でした。
「どれ/\」
「あんまりひどく汚れて居るから、ちよいと洗つて置きましたが、まだよく乾かないかも知れません」
 さう言つて太吉が手拭に包んで居たのをほどいて、平次の前へ、生濕なまじめりの赤い首環を出しました。
 縮緬ちりめんらしい小切でくけた猫の首環、小さい鈴まで附いたまゝですが、どうしたことか、首の上に當る部分が、刄物で切つたやうに、見事に――しかも眞つ直ぐに切れて居るのです。
「わかつたよ、八」
 平次の聲は思はず大きくなりました。
「何がわかつたんです、親分」
「御隱居の孫右衞門は、人に殺されたのでなく、自分で喉を突いて死んだんだ」
「そんな馬鹿なことが親分」
 八五郎は、あまりの事に、親分を馬鹿扱にしてしまひました。
「皆んなを此處に集めてくれ、俺は言つて聽かせることがある」
「待つて下さい、親分」
 八五郎は飛んで行くと、内儀のお舟、娘のお柳、番頭の與七を始め、家中の者を、縁側の前、丁度、最初の夏の朝日を浴びるあたりに立たせました。後ろには部屋の障子を開けたまゝ、主人矢之助の死骸があり、平次は縁側に腰をかけて、丁度その間に挾まつた形になつて居ります。


「御隱居の孫右衞門は死ぬ氣になつた、――どうしてそんな氣になつたか、皆んなは覺えがあらう。兎も角も自分の命を自分で斷つ氣になつたが、同じ死ぬなら、怨みのある者に思ひ知らせて、あわよくば、その者を下手人に仕立てゝやり度いと思つた」
「――」
 平次の話の物々しさに、庭に立つた人達は思はずシーンとなつてしまひます。
「動かぬ身體を動かし、大骨折で次の間に這つて行き、箪笥たんすから匕首を取出したことだらう。それを布團の下に隱して折を待つたが、良い折がすぐやつて來た――不斷可愛がつて居た白猫だ」
「――」
「御隱居は、その白猫がよく馴れてゐるので、膝の上か懷の中であやし乍ら、匕首で自分の喉笛を掻き切り、恐ろしい苦痛をこらへて、血だらけの匕首を猫の首に卷いてある環に挾んだに違ひあるまい」
「――」
「猫は血だらけになつて、驚いて逃げた、それを渡り廊下で見たのは下女のお梅だが、もう暗くなつて居たので、その猫が匕首を背負つて居るとは氣がつかなかつたことだらう。御隱居は間もなく死んだが、猫は匕首を背負つて生垣のところまで逃出し、邪魔になるから、無性に首を振つたことだらう。首環に當るところは、丁度匕首の元の方の刄だ、あの匕首はよく切れるから、首環を切つて下へ落ちた。首環はその彈みで、生垣の隙間から、向うのドブに落ち、血に濡れた上鈴が付いて居るから、泥水の中に潜つたことだらう」
「――」
「鞘は自害をする前に縁側にはふつた、これで、仕事は見事に出來上り、主人矢之助は下手人の疑を一應受けたわけだが、いろ/\の事から、俺は矢之助を下手人でないと思つた。四方の樣子は親を殺せば直ぐわかるやうになつて居たし、放つて置いても御隱居の命は長くはない。灯りのある部屋で、仲の惡い養ひ親を、正面から物を言はさずに突き殺せるわけも無い、――が、猫の首環が見付からないので、俺は何んとも言へなかつた」
「では、私を突いたり、私の主人を殺したのは誰でせう、親分」
 内儀お舟の聲が激しく抗議するのです。
「それもわかつて居る積りだ、八、あの男を追つかけろ」
 平次が指したのは、皆んなの後ろに立つて、默つて聽いて居た、幾松の姿でした。この時、幾松は庭を出て、阿倍川町の往來の方へ、小走りに走つて行くのです。
        ×      ×      ×
 幾松は引戻されましたが、それは主人矢之助を殺し、内儀お舟を刺した曲者でないことは直ぐわかり、平次のこの處置は一應八五郎までも變に思はせましたが、翌る日、幇間たいこの幸三郎の水死體が、兩國の下に浮いて、何も彼も分明しました。
 幸三郎幾松親子の口が合ひ過ぎるのが、平次の疑ひの因で、俵屋のお舟を刺したのは、幾松で無ければ幸三郎の仕業と見當をつけ、續いてお伊勢詣に行つた筈の幸三郎が、江戸の町に身を潜めて、矢之助を殺したことも、平次は簡單に見拔いてしまつたのです。
 平次は幸三郎をおびき出すために、伜の幾松ををとりにしました。卑怯なやり方で、日頃の平次の好まないことですが、今となつては、幸三郎をおびき出すは、外にありさうもないのでした。
 幸三郎はリゴレツトのやうに子煩惱でした。自分の一生を犧牲にして、斯うも立派に育てた伜の幾松を助けるために、遺書を殘して大川へ飛込んでしまつたのです。
 それから、俵屋の親類達が集まつて、この騷ぎを起した内儀のお舟を遠ざけ、改めて幾松とお柳を一緒にすることになり、俵屋の跡を繼がせたのは、大分日が經つてからのことでした。





底本:「錢形平次捕物全集第一卷 恋をせぬ女」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年3月25日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1951(昭和26)年6月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年3月8日作成
2017年3月4日修正
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