錢形平次捕物控

隱れん坊

野村胡堂





「もう宜いかい」
「まアだゞよ」
 子供達はまた、隱れん坊に夢中でした。此邊は古い江戸の地圖にも、『植木屋うゑきやと百姓家多し』と書いてある位で、お天氣さへ良ければ、子供達は家の中で遊ぶといふことは無いのですが、雨が降ると、室内遊戲いうぎの方法も興味も持たない子供達は、一日に一度は屹度『隱れん坊』を始めるのです。
 それは限りなく安らかな晝下がりでした。櫻が散つて、菜の花が黄金色に燃えて、四月の生温い雨は、すべての人を心からしつとりさせます。駒込淺嘉町の大地主幸右衞門の家は、その廣さと裕福さのせゐで、いつものやうに森閑しんかんとして、隱れん坊遊びの歌だけが、哀調を帶びて、屋敷中何處までも聽えるのでした。
「おや、のぶちやんは此處に居たのか」
 納屋から出て來た叔父の與三郎は、何やら合點の行かぬ樣子で眉をひそめます。四十五六の、青白く痩せた中年者で、若白髮が小鬢こびんに見えるのは、早く女房に死に別れて、苦勞をしたせゐかも知れません。
「松ちやんが隱れて居るのよ、何處に居るかわからないんだもの」
 主人幸右衞門の娘で、今年十歳とをになるお信は隱れん坊のことなんか忘れてしまつたやうに、納屋の前の、母屋に續いた粗末な渡り廊下に立つて、隣の子の常吉と、雨垂あまだれの落ちるのを、面白さうに眺めて居ります。
「それは呑氣だな、家の中から聲が聞えたやうだが、押入ぢやないか」
「さうかも知れないワ」
 お信はさう言つて、廊下から家の中に飛上がると、與三郎と常吉もそれに續きました。
「それぢや早く見てやれ」
 さう言へば、哀調を帶びた、『まアだゞよう』と言つて居た女の子の聲が、先刻から聞えなくなつて居るやうです。
「此處よきつと」
 一と足先に入つたお信は、その次の部屋、納戸代りに使つてゐる八疊の、押入の唐紙をサツと開けました。
「あツ」
 お信が立ちすくんだのも無理はありません。押入の下の段に入れてあつた大一番の葛籠つゞらは蓋をしたまゝ、上から拔刀ぬきみがズブリと突つ立つて、葛籠から漏れた血が、押入の床板を赤黒く染めて居るのです。
「――」
 叔父の與三郎は、物も言はずに、お信をかき退けると、拔刀ぬきみを葛籠から引き拔いて、二三度手を滑らせ乍ら、あわて氣味に蓋をあけました。中から現れたのは、胸を刺されて最早息の根も絶えた女の子、それは、與三郎自身の一人娘、九つになるお松だつたのです。
「お松」
 與三郎は死骸を抱き上げました。春雨に濡れた着物は、更に娘の血潮に汚れますが、與三郎はもうそんな事など、考へてゐるひまも無かつたやうです。
「どうした、どうした」
「何んかありましたか」
 廣い家でも、この騷ぎは聽えない筈もありません。
 多勢の者が、廣い家の方から集まるやうに、ドカ/\と入つて來ました。その中には主人の幸右衞門や、内儀のお淺や、お淺の妹のお雪を始め、下男の伊太郎、隣の伜金之助なども交つて居りました。
 雨に閉された、閑寂かんじやくな春晝は、一ぺんにその靜けさを掻き破られて、引釣つたやうな聲、あわたゞしい足音、淺嘉町の一角が、人から人へ、家から家へと、波打つやうに不安と恐怖を傳へて行くのです。


 翌る日は、びつくりするやうな天氣、陽炎かげろふの中を泳ぐやうに、八五郎はこの報告を明神下の錢形平次のところへ持つて來たのです。
「追分の梅吉親分におびき出されて、淺嘉町の小娘殺しを調べて來ましたが、あつしぢやどうにも手に了へねえ、ちよいと御神輿おみこしをあげて下さいよ親分」
 駒込から飛んで歸つても、大して疲れた樣子もない八五郎は、親分の平次に駄々つ子見たいな顏をするのが、好きで/\たまらなかつたのです。
「一體どうしたことなんだ」
「九つの小娘が、隱れん坊をしてゐて、葛籠の中に入つたところを、大ダン平で刺されて死んだとしたら、どんなもんです、親分」
「そいつはむごたらしいな、お前が見て來ただけの事を話して見な」
「かうですよ親分」
 八五郎は詳しく話しました。淺嘉町の大地主、幸右衞門の家に起つた、雨の晝過ぎの痛々しい事件。
「怪しい人間は居ねえのか」
 平次もツイ乘氣になりました。九つの小娘を、葛籠の上から、蟲のやうに刺し殺す人間があると思つただけでも、平次の義憤をたぎらせます。
「無いから困つて居るんで。家が廣いし、銘々一人つきりの仕事をして居るから、誰がやつたか見當もつきませんよ、そんな虐たらしい事をしさうも無いのは、父親の與三郎たつた一人、あとはやり兼ねない人間ばかりですが、確かにやつたと思はれる奴は一人も居ないんだから厄介でせう」
「――」
「主人の幸右衞門は五十八、口やかましくて地代の取立てはうるさいさうで、人にうらみを買はないとは限りませんが、まさか義理ある中の姪を殺す筈もありません」
「それから」
「内儀のお淺はぐんと若くて三十六、與三郎とは仲が惡い相ですが、大ダン平を葛籠に突き立てるほどの力はありさうも無く、その妹のお雪は、滅法可愛らしい娘で、人なんか殺せる柄ぢやありません」
「柄で人を殺すかよ、お前はどうも可愛らしい娘といふと、冒頭はなつから惚れてかゝるから始末が惡い」
「そんなわけぢやありませんがね、――それから下男の伊太郎は三十位、無愛想な野郎で、これなら小娘はおろか牛だつて殺せますよ」
「下男がそんな事をする筈は無いぢやないか」
「與三郎に小ツぴどく小言を言はれるんださうですよ、それに内儀の妹のお雪をつけ廻してゐるのを、與三郎に素破拔かれて、人前で恥を掻かされるんですつて」
「そんな事で、九つの小娘を殺す氣になるのかな」
「戀に眼がくらんでゐるから、何をやり出すかわかりやしませんよ、尤もその時來てゐた、隣の植木屋の伜の金之助も、お雪に熱くなつてゐるさうで、この男だつて怪しくないとは言ひきれません。殺されたお松といふは、九つになつたばかりといふのに、恐ろしくませた娘で、お雪と金之助の逢引してゐるのを、素破拔いて、飛んだ騷ぎをしたこともあるさうですから」
「それで皆んなか」
「まだ外に、隱れん坊の相手の、主人の娘の十歳になるお信と、隣の伜で金之助の弟の八つになる常吉といふのが居りますが、此二人は父親の與三郎と一緒に家の中へ飛込んで、お松の死んで居るのを見附けた位だから、下手人では無い筈で」
「當り前だ、十歳とをや八つの子が大ダン平で葛籠つゞら越しに人を殺せるわけは無いぢやないか」
「兎も角ちよいと覗いて下さいよ、親分」
「よし、そんな惡い奴は放つちや置けない、お前もう一度頼むぜ」
 平次は八五郎の案内で、駒込淺嘉町へ飛びました。翌る日の晝過ぎのことです。


 此邊は江戸の郊外で、商賣屋はほんの少し、百姓家の外にはおびたゞしい寺と少しばかりの武家屋敷があり、夏になれば雲雀ひばりも揚がれば、ほたるも飛びます。
 幸右衞門の家は古く大きく、お寺のやうな構へです。庭先には巨大なけやきが五六本、後ろは栗林を背負つて寺に續き、その間に母屋と小屋が二た棟、外に小さい塗籠ぬりごめが一つ、なか/\堂々たる家居です。
「おや、錢形の親分さんださうで、私は當家の主人幸右衞門でございます」
 と、迎へてくれたのは、成程やかましさうな五十七八の親父です。木綿物の折目の無いのを着て、裾から淺黄の股引などがハミ出して居りますが、別に百姓をするわけではなく、斯う言つた手堅い風俗をして、しつかり溜めるのがこの中老人のたしなみでもあつたのでせう。
「飛んだことがあつたさうだね」
「左樣でございます、九つや十の子をあんな虐たらしいことをして、父親の與三郎は男泣きに泣いて居ります、全く可哀想なことで」
 幸右衞門はさう言ひ乍ら、平次の一行を奧の一と間に案内してくれました。
 佛樣を置いてあるのは、父親の與三郎が寢起する六疊で、北向の薄寒さうな部屋ですが、其處を型の如く飾つて、近所の女達が二三人、拜んだり話したり、しめやかに伽をして居ります。その中に立つて、青白い顏、それが殺されたお松の父親與三郎と八五郎が教へてくれました。
「氣の毒なことだつたな」
「――」
 平次に聲を掛けられて、與三郎は顏を擧げました。何處か病身らしい弱々しい感じですが、その上一人つを殺された悲歎にしひたげられて、男の癖に、眼まで泣き脹らしてゐるのは、いかにも痛々しい姿です。
「錢形の親分さんだよ、わざ/\來て下すつたのだ」
 主人の幸右衞門が注意すると、
「ハ、ハイ、宜しくどうぞ」
 取つてつけたやうに挨拶して、ヒヨコリとお辭儀をするのです。隨分いろ/\の場合も見て來た平次ですが、こんなに打ちひしがれた親の悲歎といふものを見るのは、平次に取つても始めてです。
「御檢死が遲れましたので、とむらひは明日になりませう。何時までも佛樣を置くと、反つて父親の與三郎の歎きを増すばかりですが」
 幸右衞門は仕樣事なしにこんな事を言ふのです。
 傍へ寄つてお棺の中の死骸を見せて貰ひましたが、お松の死骸はすつかり清めて、經帷子かたびらを着せてあり、何んの苦痛も無いらしい、眠つたやうな顏は、反つて哀愁をそゝります。九つとしては柄の大きい方、目鼻立ちは確りして、いかにも利口さうなのも、親の身には諦め兼ねることでせう。
 傷は首筋を縫つた一と太刀、葛籠の上からあれだけやるのは、なか/\のわざです。その代り九つのもろい命は、大した苦痛もなく、たつた一と突きで絶えてしまつたことゝ思はれます。
「その時の樣子を詳しく聽き度いが」
 平次の問に對して與三郎は氣の乘らない顏を擧げました。悲歎にくれて、筋道を立てた話をする氣力も無い樣子です。
「私は納屋の中に居りました、母屋から廊下で續いた納屋で、其處でわら仕事位はいたします、――子供達は隱れん坊をして居たやうで、聲だけ聞えて居りました。納屋から顏を出すと、信ちやんと常吉が雨垂を眺めて居りましたのです、――お松は何處へ行つた――と訊くと、隱れん坊の鬼になつて、家の中に居ると申しますが、一向聲が聞えませんので、信ちやんを見にやると、押入をあけて悲鳴をあげます、驚いて飛んで行くと、お松が」
 與三郎は絶句しました。
「其邊には他に誰も居なかつたのか」
「多勢居たと思ひますが」
「誰と、誰が」
「兄さんは一と間先の自分の部屋に、姉さんはお勝手に、長男の伊太郎は、裏の物置に」
 與三郎の記憶は思ひの外はつきりして居ります。
「それつ切りか」
「垣隣りの丑松さんの聲もして居たやうです、騷ぎが始まると一番先に飛んで來たのは、お隣の金之助さんで――丑松さんの伜で」
「外に人影は無かつたのかな」
「ひどく雨が降つて居りましたから、あまり表の道も人が通らなかつたやうで」
「刄物は?」
「同じ押入の箪笥たんすに入れてある刀で、先代から傳はつたものだが、入用の無いものだから、箪笥に投り込んであります、家中の者は皆んな知つて居ますよ」
 これは主人幸右衞門が言ふのです。


 お松が殺されたといふのは、與三郎の部屋の眞裏の納戸代りの八疊で、此處は南陽みなみもよく當り、却つて住心地が良ささうですが、渡り廊下續きに納屋に面して居るので、案外落着かないのかも知れません。
 田舍の人達は、居間や寢屋を北向の暗い場所に取り、明るい南向のところに、仕事場を設けるので、町の人達が考へると、不思議な間取りになるのです。
 西側は二間の押入、その一間は全部蒲團で、他の一間は下の段半分だけが空つぽの葛籠や、手廻りの道具などを入れて置き、子供達はいつか偶然のことから、その空つぽの葛籠を見附け、自分達の隱れん坊の場所に利用したとしても、一向無理のないことです。
 押入の中はよく掃除してあり、お松を刺した刀も、拭き込んでさやに納めてありますが、檢死は濟んでも、まだ下手人が擧がらないので、追分の梅吉の指圖で、葛籠などは昨日のまゝにしてあります。
 南縁の端つこから、粗末な風除けの廊下になり、二間半ほど行くと四坪ほどの納屋になります。その戸を引あけると、中は漬物桶と味噌樽みそだるが幅をきかし、一部を仕切つてむしろを敷き、其處で藁細工位は出來るやうになつてをりますが、近頃そんな仕事をした樣子もありません。
 納屋の裏にはもう一つの潜戸くゞりがあり、その外は雜木に圍まれ、お寺の建物に塞がれて、こんなところに、こんな場所がと思ふやうな人目につかぬ空地があります。内儀の妹のお雪と、隣の伜の金之助が、此處でちよい/\逢引をしてゐるのだと、これは後で聽いたことです。
 潜戸を出て、雜木の間を西へ廻ると、母家の後を通つて、先刻平次が見た部屋――つまり、お松の棺を置いてある、與三郎の部屋の前へ出ます。それが唐紙一と重を隔てゝ、納戸の八疊に接してゐるわけです。
 昨夜の大雨で、足跡は一つも無く、裏から下手人が忍び込んで、與三郎の部屋を通つて隣の八疊の納屋の押入の葛籠を刺したとしても、その時は大雨の中を歩いて、着物は濡れたことでせうが、足跡は洗ひ流されてしまつたことでせう。
 裏の方の大きい物置は、板倉風の丈夫なもので、裏には古いの新しいのと、材木や丸太が積んであり、物置の一部は穀倉こくさうで、一部は下男の伊太郎の寢泊りするところになつて居ります。
「御苦勞樣で」
 覗いて見ると、肩に掛けた手拭を取つて、ヒヨイとお辭儀をしたのは、下男の伊太郎で、三十前後の健康そのものゝやうな、陽にやけた大男です。
「お前は伊太郎といふんだね、何時から此處に奉公して居るんだ」
「もう五年になりますが」
「何時まで居る積りだ」
「親の家は草加ですが、歸つたところで、食ふ工夫が無いので、ツイ樂な奉公から身を拔けません」
 伊太郎は諦めたやうな事を言ふのです。三十近くなつて丈夫な若い者が、仕事が樂なだけの理由で、何年も奉公して居るといふのは、呑み込めないことでもあります。
「そんなにこの家は住み良いのか」
「へエ、百姓ぢやなし、商人ぢや無し、まとまつた仕事はありません、精々使ひはしりと小用位のもので、あんまり呑氣で勿體ないですよ」
「それ位で女房貰ふのを忘れたのか」
「へエ、來てくれ手がありません」
 伊太郎はそれでも、頬をポーツと染めました。近所の噂をかき集めた八五郎から、この家の内儀の妹のお雪に思召しがあつて可哀想に二三年獨りで氣を揉んでゐるのだと聽いて、ハハア、成程と、妙に合點した平次です。
 ところで、その目的のお雪は、去年の秋頃から、隣の丑松の伜の金之助と親しくなつて納屋の裏の雜木林の中で、繁々しげ/\逢つて居ると聽いて、それから伊太郎の顏を見ると、八五郎でさへ、妙に無常を感じるといふ話でした。
「主人の弟と言つて居るが、與三郎といふのは、本當の弟では無いさうだな」
「主人幸右衞門樣のお妹の婿で、その御配偶つれあひが娘お松さんを殘して、三年前に亡くなりましたが、與三郎さんは此家の支配をして居りますので、内儀さんが亡くなつた後まで、仕事をして居ります」
「後添の話などは無いのかな」
「無いこともありませんが、與三郎さんには持病がありますので、後添の話があつても一々斷つて居るやうです」
「持病といふと」
「私共にはよくわかりませんが、癆症らうしやうだと聽いて居りますが」
 病身の上に、女房に死なれて一人の娘をうしなつた與三郎はいかにもみじめです。
「あれは?」
 平次は物置の後ろから、チラリと覗く若い男の顏に氣が附いたのです。
「隣の丑松さんところの金之助さんで」
 さう言ひ乍ら、伊太郎は金之助を呼びました。
「へエ、何んか御用で?」
 相手を錢形平次と聽いて、金之助はひどく恐れ入つて居ります。二十二三の、ちよいと良い男、植木屋の伜らしくない色白で、人間も、伊太郎のやうなむくつけき感じは無く、利口者らしくも見えます。
「お前は昨日の騷ぎのとき、一番先に顏を出したさうぢやないか」
 平次の問は唐突できゝ良いものでした。
「いえ、私より先に、與三郎さんが――」
「自分の娘が殺されたんだから、あわてゝ驅け込みもするだらうよ」
「與三郎さんは雨に濡れて裏の方を歩いてゐるのを見ましたが、間もなくあの騷ぎで、皆んなと一緒に飛び込んで見ると、與三郎さんは血だらけなお松ちやんを、葛籠から抱きあげて居りました」
「いや、お前はあの時何處に居たといふことを訊いて居るのだよ」
 平次は面倒臭さうに突つ込みます。
「此家のひさしの下に居りました」
「雨が降るのに?」
「へエ、少し約束があつたもので、へエ」
 金之助はいかにも言ひ憎さうです。それを傍で聽いてゐる、伊太郎の眼が異樣に光ります。
「約束? 誰と、何んの約束だ」
「少し、その」
 金之助は益々參つてしまひました。約束の相手は、内儀の妹のお雪だつたことは、伊太郎と八五郎には、判り過ぎるほどよく判つて居るのですが。
「ね、親分、わかつて居るぢやありませんか」
 八五郎はたまり兼ねて注意しました。
「お前は默つて居ろ」
 親分は何んといふ不粹ぶすゐな男だらう――少くとも八五郎はさう思つて居る樣子でした。


 内儀のお淺とその妹のお雪は、近所の女達を指圖してお勝手に居りました。お淺は三十六の美しくも何んとも無い平凡な女ですが、確り者らしさや、小意地の惡さは相當で、主人の妹の配偶つれあひで、何彼と差出る與三郎に對して、あまり良い感じを持つて居ないことは事實かも知れません。
 妹のお雪はポチヤポチヤとした美しい娘、姉のお淺と全く反對に、これは可愛らしさを強調して拵へたお人形のやうな感じです。下男の伊太郎が、三十過ぎまで奉公して居るのも、隣の伜の金之助が、雨の中を逢引に來るのも無理のないことでした。
「御苦勞樣でございます、遠いところを」
 内儀のお淺は、主人の幸右衞門が百姓風な樣子をしてゐるのに、これは江戸の下町の内儀と言つた、小意氣な風をしてをりました。
「飛んだことだつたね」
「お松が可哀想でなりません、私の娘のお信とは、たつた一つ違ひの仲よしで、本當の姉妹のやうに思つてをりましたが」
「お内儀さんに心當りは無いのか、與三郎をひどく怨んでゐると言つた」
「そんな者があるわけはございません、與三郎さんが憎くたつて、まさか、あんな小さい娘を」
 内儀のお淺は躍起となつて言ふのです。
「あの時お内儀さんは此處にゐた相だね」
「お勝手で晝の御飯の後始末をしてをりました」
「妹のお雪さんは?」
「私は、アノ、裏の縁側に居りましたが」
 お雪は庇の下から金之助に呼ばれて、恐らくワク/\して居たのでせう。
「お内儀さんにだけ訊き度いが」
「ハイ/\、どんな事でも」
 お淺が答へてゐる間に、お雪は座を外して裏の縁側の方へ行つたやうです。
「隣の丑松の伜の金之助と、妹のお雪さんとは大層仲が良いやうだが、姉のお前さんはどう思ひなさるんだ」
「誠に困つて居ります。金之助は良い若い者ですが、何分家と家の釣合がとれないので」
 お淺は苦澁な顏をするのです。此邊で聞えた大地主の内儀の妹と、小さい植木屋の伜では、この頃の考へやうでは、掛り合はぬものゝ一つでせう。
「それで一緒にはさせない積りか」
「本郷に、お雪を欲しいといふ方がありますので」
 この縁談はなか/\六つかしさうです。
「下男の伊太郎も、お雪さんに氣があるやうだが――」
「でも、あれは奉公人ですから、暇をやればそれまでの事で」
 内儀の物の考へやうは如何にも簡單です。
 其處を切り上げると平次は庭へ出て、けやきの並木の下で遊んでゐる、主人の一人娘お信と、金之助の弟の常吉をつかまへました。
 お信は柄の小さいおしやまで、平次の問に對して、なか/\ハキハキと答へてくれます。
「お前達は、毎日隱れん坊をするのか」
「うゝん、雨が降るとね、外へ出られないから」
「仲間は三人だけか――鬼は誰がやるときまつて居るわけぢやあるまい」
「ヂヤン拳で鬼をきめるのよ」
葛籠つゞらの中に隱れるのは、よくない事だね、誰も小言を言はないのか」
「あの場所はあたいが見附けたの、あの中に隱れると松ちやんはどうしても搜し出せないから、昨日教へちやつた」
「フーム」
「すると、松ちやんが、すぐあの葛籠を自分の隱れ場所に使ふんだものズルイや」
「罰が當つたのだな」
 八五郎がまた横合から口を出します。
「あの部屋へ入つた人に氣が附かなかつたか」
「障子が閉つて居たもの、わからないや」
 常吉が代つて答へました。
 子供達の口からも、斯うして一つも役に立つやうな證據はつかめません、平次と八五郎は、兎も角も引揚げる外は無かつたのです。


 この事件は、非常に簡單に見えて、思ひの外六つかしいものでした。暫くの間は手のつけやうもなく、平次も眺めて居る外は無かつたのです。
 尤も八五郎は決して手をゆるめたわけではなく、追分の梅吉のところを足場にして、淺嘉町のあたりを、せつせと嗅いであるきました。
 お松の初七日は濟んで、やがて五月にもならうといふ頃、
「親分、た、大變なことになりましたよ」
 鼻の頭に汗を掻いて、八五郎の大變が駒込から飛んで來ました。
「何が大變なんだ、又淺嘉町で間違ひでもあつたのか」
「間違ひも間違ひ、今度は大變な間違ひだ、若い娘がやられたんだから」
「誰がどうした」
「内儀の妹のお雪が怪我をしましたよ、命には別條なかつたが」
「それは良かつた、どんなことをされたんだ」
 あの可愛らしいお雪の顏が、平次の無感心な心にも燒きついて居たのでせう。
「親分も御存じのあの納屋の裏の栗の木の林で、お雪はぼんやり外を眺めて居たといふけれど、晦日みそか近くて月は無いし、十八の娘が、お星樣を眺めて居て宜いものでせうか」
「俺に訊いても始まるまい」
「察しが惡いな親分は、逢引なんて洒落れたことを、やつたことが無いからですよ。お雪はあの潜戸を出て、眞つ暗な宵闇の中で、金之助の來るのを待つて居たに違ひありませんや」
「で、どうしたのだ」
「金之助が來ずに、草刈鎌くさかりがまが飛んで來たのですよ、五日月いつかづきほどの凄いのが、闇の中からサツと娘の首筋を苅つたとしたらどんなものです」
「危いな」
「鎌ほど怖いものはありませんよ、柄の長いよく磨ぎすました奴で、闇の中から首筋を苅られたら、武藏坊辨慶べんけいだつて唯ぢや濟みません」
「武藏坊辨慶まで引合ひに出したのか」
「お雪はあんなに可愛い顏をして居る癖に、人間が恐ろしく利口で、妙なものがけて來ると氣が附いて居たから、太刀風三寸にして身をかはし」
「辻講釋ぢや無いぜ、八」
「二度目の鎌は、よけそびれて肩先をやられ、三度目の鎌は、氣障ぢやありませんか、若い娘のお尻へ來た」
「ひどい怪我をしたのか」
「なアに、幸ひ大したことはありませんが、あの娘を鎌で殺さうとした、相手の考へが憎いぢやありませんか、私はもう」
「わかつたよ、俺が行つてこの前のお松殺しと、どんな引つかゝりがあるか、調べて見よう」
 平次は事態容易ならずと見て、もう一度淺嘉町に出張する氣になりました。
 怪我をしたお雪は、繃帶ほうたいに埋まつて、姉のお淺に介抱されて居りました。
「どうだ、氣分は」
 平次が床の側に顏を出すと、
「有難うございます、幸ひ破傷風にもならず、此まゝ治つて行くだらうと外科の先生が仰しやいます」
 姉のお淺が横から口を出しました。
「その惡戲者の見當はつかないのかな」
 平次が訊くと、
「そりやもう、誰にでもわかつて居ります」
 姉のお淺がさう言ふのを、
「あれ、姉さん、そんな事を言つちや」
 と妹のお雪がたしなめるのでした。
「誰が怪しいといふのだえ、お内儀かみさん」
「お雪の後を追ひ廻したのは、あの下男の伊太郎ぢやございませんか、あの男は鎌も使ひ慣れて居るし、それ位のことはやり兼ねません」
 お淺は遠慮もなく告發するのです。
「姉さん、そんな事を言ふけれど、あの伊太郎といふ人は、そりや正直者で、氣の小さい良い人よ」
 お雪は一應の辯解をしますが、姉のお淺はそんな事を承服しさうも無かつたのです。
 平次はそれを宜いかげんにきりあげて、物置の隅に居る筈の、下男の伊太郎を訪ねて見ました。
 相變らず、地味で健康で、物事を最後の一線まで我慢することに馴れた伊太郎は、平次の思惑などにはかまはず、春から秋にかけて、百姓が無限に欲しがる、草鞋などを作つてをりました。
「伊太郎」
「これは、錢形の親分さん」
「お前は昨夜何處に居たんだ」
「此處に居ましたよ、それがどうかしましたか」
 斯う突つかゝつて來る伊太郎です。不在證明アリバイを拵へる細工さへ知らないのでせうか。
「お雪さんを鎌で斬つたのは誰だ、――お前は知つてるだらうと思ふが」
「知りませんよ、でも、野郎は、鎌の使ひ方がからつ下手ですね、三尺柄の草刈鎌を持つてゐて、蚯蚓みゝずばれほどの引つ掻きは、なさけ無いぢやありませんか」
 伊太郎は、こんな大膽不敵なことを言つて、カラ/\と笑ふのです。
「で、お前は下手人を誰だと思ふ」
「鎌なんか使つたことの無い人間ですよ、――鎌をのどに引つ掛けてまともに引いたら、どんな人間だつてお陀彿ぢやありませんか」
「成程な」
 平次は、妙な事を教はつて、その爲に伊太郎を縛る機會を失つてしまひました。
「どうしたんです、親分」
 八五郎はそれをひどく齒痒がりました。
「何がどうしたんだ」
「伊太郎を縛らないんですか、親分は」
「あの男には、妙に疑へないところがあるよ、お雪を殺すのは、伊太郎にきまつて居るやうだが、どうもそんな氣がしないから變ぢやないか」
 平次はこうじ果てた樣子です、小娘のお松が刺されてから、もう七日以上も經つて居り、昨夜はお雪まで殺されかけて居るのに、どうも大男の伊太郎を縛る氣になれない錢形の平次でした。


「ね、八、こいつはどうも、俺の手に了へねえが、たまにはお前の智慧でも、借りたくなるから不思議ぢやねえか」
 平次は、そんな馬鹿なことを言ひ出す氣になつたのです。淺嘉町の事件は、小娘のお松が殺されてから十何日、下手人の見當もつかないのに、次から次へと、事件が起きて來さうな豫感がしてならなかつたのです。
「へエ、あの智慧をね、親分が、へエ」
 八五郎は、そんな事を言ひながら、んがい顎を持つて來るのでした。
「淺嘉町の下手人だよ、お前だつて見當位はつきさうなものぢや無いか、八」
「へツ、それが判りや、ね、親分」
「呆れた野郎だ、――宜いか、あの時、小娘のお松を殺せるのは、誰だと思ふ」
「自分の居間に坐つてゐた主人の幸右衞門ぢや無し、お勝手に居た内儀のお淺ぢや無し、妹のお雪は縁側でワク/\して居たし、隣の伜の金之助は、軒の下で逢引のことばかり考へて居たとすると」
「矢張り下男の伊太郎が怪しいことになるか」
あつしも最初はさう思ひましたが、段々つき合つて見ると、あの伊太郎といふ男は飛んだ良い男ですよ、愛想は無いけれど、正直で、親切で」
「フーム、あの男が動き出すと、軒下に居る金之助と、縁側のお雪が氣がつく筈だね」
「あとは、隱れん坊仲間のお信と、常吉」
「そんなのは下手人ぢや無いよ」
「殘るのは、お松の父親の與三郎たつた一人ぢやありませんか」
「お松の父親は、一人娘のお松を殺す筈は無い」
「親分、あつしの智慧でも、其處までは行くんですがね、その先は障子へ鼻がつかへたやうに、一と足も動けなくなる」
 八五郎の智慧の行止りは、やがてまた、平次の智慧の行止りでもありました。
 だが、事件は、思ひも寄らぬところからほぐれて、悲慘な大團圓に平次は飛込むことになつたのです。
「親分、いろ/\の事を聽いて來ましたがね」
 八五郎が駒込から歸つて、斯んな事を言ひ出したのは、もう五月になつてからでした。
「何んだえ、八」
 平次は相變らず無精煙草にやに臭くなりながら、これを迎へました。
「あの淺嘉町の幸右衞門の弟の與三郎といふ男は、氣の毒なことに、一年とは壽命が保たないんですつてね」
「さうだらうとも、あの顏色ぢや」
「その上、兄嫁のお淺と仲が惡くて、出るの引くのと、年中ゴタゴタが絶えないといふから氣の毒ぢやありませんか、――ことに血筋のつながるお松が死んでしまへば、與三郎はあの家には全く他人でせう」
「で?」
「主人の幸右衞門はまた、内儀の言ひなり放題で――女房の若くて綺麗なのは毒です親分」
「餘計なことを言ふな、それからどうした?」
「それつきりですよ、あのお内儀の妹のお雪といふ、ポチヤポチヤした可愛らしいのが、いよいよ隣の伜の金之助との仲を許されて、近いうちに祝言するんださうですよ」
「で?」
「金之助がお雪の婿むこになつて入り込んで來れば、與三郎はお拂ひ箱でせうね、女房にも一人娘にも死なれた上、あの病身ぢや――」
 八五郎は、妙にしんみりするのです。
「お前の話はそれつきりか」
「まだあるんですよ、今夜といふ今夜、與三郎はいよ/\あの家を出ることになつて、家中皆んなで、お別れの膳につくんですつて」
「八」
「へエ」
「驚いちやいけないよ、今夜は、淺嘉町の幸右衞門の家が、皆殺しになるかも知れない」
「そんな事が親分」
「そんな事が無きや宜いが、俺はそんな氣がしてならねえ、駒込まで、一と走りしようか、八」
「親分が行くんなら、あつしは、自慢ぢやねえが」
 八五郎は脛などを叩いて見せるのでした。


 駒込淺嘉町の、欅と栗の並木に陽が暮れて幸右衞門の家が夕闇に包まれた頃、平次と八五郎は、汗みどろになつて飛込みました。
 が、一と足遲かつたのです。
「八、しまつたよ」
「どうしたんです、親分」
「遲かつたよ、あれを聞け」
 幸右衞門の家の中は、まさに阿鼻叫喚あびけうくわんの凄まじさだつたのです。
「どうした、これは」
 八五郎が大土間から、家の中へにじり上がると、田舍風の大きな臺所、その隣りの疊敷の八疊へかけて、五六人の人が、重り合つてうごめいて居るではありませんか。
「晩の御飯の後、急に皆んなが、氣分が惡いと言ひ出したんです、それでも一番達者な伊太郎が、這ふやうにして、追分の本道の惠齋けいさいさんを呼びに行きましたが」
 さう説明してくれる内儀のお淺は、まだ元氣の良い方でした。一番ひどくやられたのは主人の幸右衞門と、義弟の與三郎で、身體の弱い與三郎は、眼を三白眼にして、もう息も絶え/″\、主人の幸右衞門は、内儀のお淺と妹のお雪が介抱して居りますが、介抱して居るこの二人も苦しさうで、甚だ覺束ない有樣です。その中でケロリとして居るのは、娘のお信だけ、尤もこれはたつた十歳であまり役にも立ちません。
「八、毒を盛られたらしいな、吐かせる外には無い――種油か胡麻の油があるだらう、搜し出して來い」
 平次は、八五郎と手をわけて、及ぶだけの手當を盡しました。
 その間に醫者の惠齋が駕籠を飛ばして來てくれたり、隣の植木屋の丑松と金之助父子が來てくれたり、一ときほど經つて、どうやら落着きましたが、氣の毒なことに主人の幸右衞門と、義弟の與三郎は、たうとう息が絶えてしまつたのです。
「さア、親分、この下手人は誰です、――一家皆殺しにされるかも知れないと飛んで來た位だから、親分にはわかつて居るでせう」
「わかつて居る、――が、縛るわけには行かないのだよ」
「ぢや、どうするんです」
「默つて歸るのさ、――毒は石見銀山いはみぎんざん鼠捕りだ、こいつは味も匂ひも無いから、防ぎやうは無かつたのだらう、別れの酒へうんと入つて居たのさ、あとは汁にも、め物にも打ち込んで居たに違げえねえ、妹のお雪は少しやられたが、子供のお信はケロリとして居る」
「誰がそんな事をしたんです、親分」
「歸らうよ八、あとは近所の衆や親類方がやつてくれるだらう、明神下まで道は遠い、話しながら歸ると夜半よなかになる」
 平次と八五郎は、この一段落になつた幸右衞門の家を出て、五月の夜の爽やかな町を、靜かに辿りました。
「親分、下手人は誰です、あつしは氣になつてならねえ」
「弟の與三郎だよ」
「えツ、與三郎は自分の娘のお松を殺したんですか」
 八五郎はさすがに膽を潰してしまひました。
「あの葛籠つゞらの中に隱れたのを、幸右衞門の娘のお信と思ひ込んだのだ」
「へエ」
「あの日に限つて葛籠の中に、自分の娘のお松が隱れて居た、與三郎はさうとは知らずに葛籠を刺して、背中合せの自分の部屋を通り、庭へ出て雨の中をグルリと一と廻り、表の方の納戸へ、潜戸から入つた。見ると、渡り廊下に、たつた今自分が刺した筈の、お信が常吉と二人で、雨垂を眺めて居るぢやないか、すると葛籠の中は誰だらう、――與三郎は膽をつぶしたことだらう」
「成程ね、あの時、與三郎は納屋で仕事をして居たと言つた癖に、ひどく濡れて居たさうですね」
「その上、金之助が裏の方で、チラリと與三郎を見て居る」
「何んだつて、そんなむごたらしい事をやる氣になつたんでせう」
「兄嫁のお淺が憎かつたのさ、――それに、お雪が嫁に行つて、娘のお信が死んでしまへば、姪のお松があの家の跡取になれると思つたんだらう。與三郎は身體が弱くてあと一年とは壽命が保たないかも知れない、死んだ後のことを考へて、フラフラとあんな事をしたが、飛んだ間違ひで自分の娘を殺してしまつたのだ」
「お雪を鎌で斬つたのは?」
「お雪はお淺の妹で、憎い相手の一人だ、それに、あんな與三郎のやうにヒネくれた人間は、幸せな人間は皆んな憎くなるのだよ、逢引の相手を待つて居るお雪が、どんなに浮々として居たことか」
「へエ――」
「與三郎はいよ/\あの家を出されるときまると、自分も死ぬ覺悟で、皆んなに毒を盛つてしまつた、――こんな人間は一番タチが惡いな」
「――」
「尤も、あとは無事にをさまるよ、お雪のところへは金之助が婿に入るだらう、――伊太郎はあきらめて草加へ歸るか――あれは良い男だがね」





底本:「錢形平次捕物全集第二卷 白梅の精」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年4月5日発行
初出:「小説新潮別冊」
   1952(昭和27)年6月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年12月30日作成
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