「親分、ウフ、可笑しなことがありましたよ、ウへ、へ、へツへツ」
ガラツ八の八五郎が、タガの
「冗談ぢやない、人の家へゲラゲラ笑ひ乍ら入つて來やがつて、水をブツ掛けて、酒屋の赤犬をけしかけるよ」
「怒らないで下さいよ、あつしはまた、可笑しくて可笑しくて、横つ腹の筋がキリキリするほど笑つてゐるのに、親分はまた、何んだつてそんなに機嫌が惡いんで」
「盆も正月も無え野郎にはわかるめえが、今日は十月の
「相濟みません、人の氣も知らねえやうですが、借金や掛けは拂はねえことに極めて居ると、思ひの外氣の輕いもので」
「呆れた野郎だ、だから叔母さんは、お前の
「でも、もう少し放つて置いて下さいよ、女房を持つと、急に人間がケチになつて、
「お世辭なんか止せ、お前の柄ぢやねえ、ところで何がそんなに可笑しいんだ」
「へツ、その事、その事。あつしがいつまで獨りでゐるわけも、實は其處にあるんで、へツ、へツ、へツ」
「又笑ひ出しやがる、氣色の惡い野郎だ」
「實はね、親分、このあつしが、色男番附へ
「色男番附? そいつは何處の國の番附だ、よもや日本ぢやあるめえ」
八五郎のヌケヌケした報告に、さすがの平次も
「日本も日本、江戸の眞ん中、神田向柳原で、洒落れた野郎が『息子番附』といふのを
「物好きなひとだな」
「今月は顏見世月で、芝居町の方も大變な景氣だから、此方でも一番素人芝居でも打つて、江戸中の娘達の人氣をさらつてやらうといふ相談で、先づ手始めに拵へたのが『息子番附』その實は『美男番附』その中から、立役も
「で、その番附は?」
「東、大關は佐久間町の酒屋、丹波屋の伜清次郎、西の大關は
「番附を一々讀上げられちやたまらない、――大事なのはお前だ、三役にでも入つたといふのか」
「なアに、其處までは行きませんがね」
「前頭の何枚目といふところか」
「それ程でも無いんで」
「それぢや何んだ、年寄か
「飛んでもねえ、そんな
「プツ、腹も立たねえな」
「最初からの申合せで、役不足は言はねえことにしてあるんで、番附に載らねえ奴だつてあるんだから、不服を言はうものなら、町内の息子附き合ひが出來なくなります」
「それで嬉しがつてゐるのは、お前の取柄だ、世の中が無事で宜い、ところで話はそれつきりか」
「その『息子番附』の兩大關が、去年の娘番附の張出大關、師匠の文字花や水茶屋のお幾ではなくて、米屋の孫娘お芳を、三つ巴になつて張り合つて居るから面白いぢやありませんか」
「そんな事は、面白くも何んともないよ」
平次はあつさり片付けてしまひましたが、これが大きな騷ぎの原因にならうとは、素より思ひもよりません。
江戸時代の
それから幾日か經つて、まだお月樣が丸くなりきらない頃、八五郎がうさんな顏をして、明神下の平次の家を訪ねて來ました。
「變なことがありましたがね、親分」
「何が變なんだ、お前が急に出世して、息子番附の大關にでも据ゑられたといふのか」
「そんな事なら、少しも變ぢやありませんが――」
「大きく出やがつたな」
「息子番附の大關、向う柳原一番の良い男丹波屋の清次郎が、昨夜
「頓死?」
「頓死に違ひありません、米屋の隱居藤兵衞の家の前で、倒れたつきりグウと伸びちやつたんで」
「變つた話だな、清次郎の年はいくつだ」
「たつた二十一、中氣のあたる年ぢやありませんね、――でも傷も何んにも無く、毒にやられた樣子も無いから、頓死とでも思はなきや、親達だつて諦めきれませんよ」
「まア、詳しく話して見るが宜い、どんな樣子だつたんだ」
平次は乘氣になりました。二十一の良い若い者が、ポカポカ頓死するやうな陽氣では無かつたのです。
「最初から話さなきやわかりませんがね、佐久間町の米屋の隱居藤兵衞といふのは、もう六十を越した年寄ですが、
「――」
「ところが、その孫娘のお芳といふのは、神田下谷きつての良いきりやうで、番附面では張出大關だが、版元に金をやつて、娘番附の大關になつた、文字花やお幾とは、比べものにならないほどの綺麗な娘です」
「で?」
「そのお芳といふのが、顏にも素姓にも似合はないお轉婆者で、講中は何人あるかわかりません。母親は義理ある仲、父親は店の忙しさで寄りつかないのを宜いことに、隱居の見舞といふことにして、若い男が入りびたりだから面白いぢやありませんか」
「ちつとも面白くないよ、さう言ふお前も、講中の一人だらうが」
「講中と言つても、あつしなんかは相手にされませんよ、遠くから吠えて見せるだけで」
「情けねえな」
「その隱居藤兵衞のところへ、酒屋の伜清次郎が見舞に行つた歸り――見舞と言つたところで、馬鹿な話をして夜を更かして、孫娘お芳の顏をマジマジと見乍ら、お月樣の
「大層
「まア、我慢して聽いて下さいな、――戸を閉めると間もなく、丁度清次郎が身づくろひをして、シヤナリシヤナリと歩き始めた頃、ドタリグウと來た」
「何んだえ、そのドタリグウといふのは」
「人間の倒れた音で、お芳は
「で、三人が一緒に表へ飛出したといふのか」
「飛出す迄もありません、戸を開けると、鼻の先に、ドタリグウの正體が轉がつて居ますよ」
「?」
「抱き起して見ると、清次郎はもう人心地もなく、間もなく息が絶えてしまひました。人間は弱いやうに見えても、さう
「それは昨夜の事か」
「まだ死骸も酒屋の親許に引取つたまゝ、そのまゝにしてありますよ、どうしたものでせう」
「行つて見よう、どうも腑に落ちないことがある」
平次は珍らしく、自分の方から乘出す氣になりました。それほどの事件とも思はない、八五郎の方が面喰つたほどです。
最初に佐久間町の
まだ
身體には全く傷はありませんでした。いや、たつた一つ、後ろの首筋に、皮下出血とも思へる
親達は、何を訊いても、一向に埒があきません、一人息子の清次郎が、どんなに働き者で、親孝行で、良い男であつたかといふことを、くり返しくり返し聽かされるだけのことです。
外へ出ると八五郎が、
「死んだ子の可愛いゝのは無理もありやせんが、清次郎はそんな心掛の良い息子だつたとは思はれませんよ」
とブチこはしなことを言ふのです。
「何んか惡い噂でもあつたのか」
「男つ振りがよくて、如才が無くて、人間が少し薄情に出來て居ると、親の知らない罪を作りやすね」
「どんなことがあつたんだ」
「娘番附の大關と、息子番附の大關が、同じ町内に住んでゐるんだ、無事に顏ばかり眺め合つちや居ません」
「フーム、其處へ行くと、呼出し奴は無事で宜いな」
「からかはないで下さい、世の中には、大關よりも呼出し奴のあつしの方が良いといふ娘もあるんだから」
「お前の
「あんな
「
「自業自得と言つちや惡いが、町内の綺麗なのを
「あれツ、大層怨んで居るぢや無いか、清次郎殺しの下手人は、八五郎、お前ぢや無かつたのか」
「冗談ぢやない」
八五郎は妙にプリプリして居ります。色男番附の大關は、死んでも罪障消滅しさうもありません。
米屋の隱居藤兵衞の家は、反つて
家はしもたや造りですが、なか/\の木口で、隱居が達者なころ、お茶などを
「此處を搜して見たか、八」
「一と通りは見ましたが、清次郎の死骸の後ろ首に打ち身を拵へたしろものでせう」
「いや、そんな事ぢやない、此ドブ板の破れたところに、妙なものが落ちて居るんだ」
「おや、手紙ですね」
八五郎はドブ板を剥がすと、手を突つこんで、その中から何やら取出しました。天氣續きで水つ氣が無いので、幸ひ濡れても居りません。
「天地紅の結び文は洒落れて居るね、いづれお前の好きな色文か何んかだらう、開けて讀み上げて見な」
「へツ、飛んだ色つぽい
「どうしたんだ」
「何んにも書いてありませんよ、白い紙の天地紅を、結び文にしたのは何んの
「そんなものぢやあるまい、どれ、俺が預つて置く」
平次は無造作に、それを自分の懷の中に滑らせました。
格子の外から聲を掛けると、下女のお種が取次に出ました、四十前後の醜い女で、その上出戻りで子供があつて、
「昨夜のことを訊き度いが」
平次が上り框に腰をおろして、さう言ふ下から、
「あの、私から申上げますが」
とお種をおし退けるやうに顏を出したのは、見たところ、十九か
「お孃さんが話してくれるのは有難いが、人一人の命に拘はることだから、何事も隱さずに言つて下さいな」
平次は相手構はず念を押しました、この娘は、若さも美しさも飛越えて、性根の
「でも、清次郎さんは、病氣で急に亡くなつたのでせう」
「頓死といふことになつて居るが、腑に落ちないことも少しはある」
「さうでせうか」
「清次郎は時々
「三日に一度、五日に一度位」
「お孃さんとそんなに懇意なのかえ」
「いえ、お祖父さんの話し相手で」
「お孃さんと、何んか約束でもあつたやうに言ふ人もあるが」
「飛んでもない、そんな事が」
お芳はにべもなく否定するのです、尤もこの輝くばかりの娘の美しさの裏には、何んの
念のため中へ入つて、隱居の藤兵衞にも逢つて見ましたが、これはひどい老耄で、二十一歳の若い男――清次郎などの話相手になる老人ではなく、つまりは老人を慰めるといふ口實で、娘の逢引のだしに使はれて居たことでせう。
家の中も一應見せてもらひましたが、なか/\贅澤で數寄をこらした普請の癖に、それが又下品の凝り過ぎで、やゝ卑しくなつて居ることも特色でした。隱居と娘と下女は階下に休み、交代で泊りに來る男達は、二階の六疊に寢ることになつて居りますが、その二階もなか/\に
部屋造りの洒落れた割合に、雇人の寢具や着物などが散らばしてあり、
外へ出ると、平次は家の周圍を一と廻りしました。一軒置いてお隣は師匠の文字花の家で、その家の隣には新築の家が、半分ほど出來上がつて居り、それから先、佐久間町河岸には、お幾の住んでゐる水茶屋もあります。
この隱居所の本家、つまり藤兵衞の伜夫婦の商ひをして居る、升屋といふ米屋は表通りで奉公人の五六人も居る、なか/\の店でした。
八五郎に言はせると、當主菊三郎は、隱居の藤兵衞の娘の婿で、その娘――即ちお芳の母親は十年も前に死んでしまひ、後添を貰つて後に腹違ひの男の子が二人もあるので、お芳は自然兩親から遠ざかり、隱居の藤兵衞のところに、介抱といふ名で引取られて居るといふことです。
年頃になつて、輝やくばかり美しくなつたお芳が、若い男達から騷がれるやうになると、監督者の無いまゝに、自然我儘にも放埒になつて行くのは、また已むを得ないことだつたかも知れません。取締の大事な隱居は癈人で、母親は
奉公人のうち、昨夜隱居所に泊つたといふ、猪之助に逢つて見ました。米の粉だらけになつた、着實さうな立派な體格の男で、
「昨夜の事を訊きに來たが――」
といふと、
「私には何んにもわかりません、宵から來て
これ丈けのことを、
「お前は、お孃さんをどう思ふ」
試みに斯う訊くと、
「大きい聲ぢや言へませんが、若くて綺麗で、その上叱り手がありませんから」
と奧齒に物の挾まつたことを言ふのです。
「お前は國は何處だえ」
「
「此處へ來てから何年になる」
「もう七年になります、來年は取つて三十五になりますから、一度國へ歸り度いと思ひますが――」
「少しは金が出來たのか」
「いや、飛んでも無い、越後から來た當座、二年三年は給金も溜りましたが、江戸の水に馴れると、ろくでも無い事を覺えますから、溜つた給金も減るばかりで、へツ」
猪之助は頭を掻くのです。
猪之助と交代で隱居所に泊るといふ、鶴松にも逢つて見ましたが、これは息子番附の關脇になるといふ美男で、
「私は、なるべく逃げて、隱居家には泊らないやうにして居ります、どうも夜が遲くて翌る日の仕事に差支へるものですから」
さう言ふのは、お芳のところへ張りに來る若い男達に
尤もこの男は近在のもので、升屋の遠縁にあたり、良い男のくせに堅いのが評判で、兎もすれば開き直つて人に意見などをやり度い癖があり、浮氣娘のお芳には、あまり評判は良くなかつた樣子です、外に交代で泊る小僧が一人ありますが、これは全然事件と關係があり相もありません。
「どうだ、八、もう一つ伸して、文字花とお幾に逢つて見るか」
平次はまだ諦らめきれない樣子です。
「そいつは難儀だが、序に親分に引合せて置きませうよ、あの文字花といふのは厄介な女で、向柳原中の若い男をフラフラにさせましたよ、それから掻き集めた
「お前も講中の一人だらう、確かり絞られたことだらうな」
「御冗談で、あつしは逆樣に振つたつて、水つ
「大きな事を言やがれ、
「たまには豆ねぢや金平糖位は貢がれましたよ」
「それ見な、皆んな白状しやがつて」
二人は元の隱居家の裏から、師匠文字花の御神燈の下に立つて居りました。
「あら、八親分、隨分久し振りね、私の家へ入らつしやるなんて、どんな風の吹き廻しでせう」
格子につかまつて、まともに朝の陽を受けた顏が、咲き誇つた花のやうに、パツと匂ひます、二十五六の良い年増ですが、小柄で充實して、ホルモンでねり固めたやうな、魅惑と燃燒を感じさせる女です。
「今日は露拂ひだよ、錢形の親分が、お前に逢ひ度いとさ」
「まア」
文字花はさすがにたじろぎましたが、すぐに陣を立て直して、
「――どうぞ此方へ、錢形の親分さんが來て下さるなんて、まア、何んていふ良いお
などと如才もありません。
「いや、此處で結構だよ」
「錢形の親分さんは、女ばかりの世帶ではお茶も召上らないんですつてね」
少しばかり
「そんなことはあるものか、事と次第では暴れ飮みをして、カンカンノウを踊つて見せるよ、今日は忙しいんだ、それ、例の良い男の清次郎の死んだことで――」
「本當にお氣の毒ねえ、良い人でしたが、少し浮氣つぽくて困つたけれど」
チクリと嚢中の針が出ます。
「師匠も大層
「え、え、皆樣御存じだから隱しやしません、昔は隨分何んとか言はれましたよ、でも半歳足らずで
「恐ろしく見限りやがつたね、清次郎も浮ばれまいよ、ところで近頃は繁々と猪之助が來る相ぢやないか」
「三日に一度は來ますよ、鹽辛聲で唄の稽古も目當てがあつての修業でせうが、私はあんな人は嫌ひ」
「どうしたわけだ」
「ケチで強情で、自惚が強くて、賽錢惜みをするから」
文字花はぬけ/\と斯んな事を言ふのです。
「
「あれは威勢の良い、胸のすく兄さんよ、でも、その辰さんだつて、近頃は隱居所のお芳さんに夢中なんだもの、此節の素人衆は、油斷も隙もありやしない」
平次は八五郎に目配せして、其處を立ち退きました。斯う言つた調子の女は、物馴れた平次でも、何よりの苦手です。
水茶屋、巴屋の茶汲女のお幾は、もう一段厄介な女でした。巴屋の裏の川に臨んだ母屋に寢泊りして居り、平次が行つた時は、もう晝近い陽射しなのに、まだ顏も洗はず、寢亂れた恰好のまま、寢臭くなつて出て來るのです。
「私に御用? なアに」
などと、娘番附の大關は、
昨夜のことを話して、その反能を見ましたが、
「ま、清ちやんが死んで? ま、可哀想に」
などとまだそれさへも知らずに、
それから十二三日。
月の出が漸く遲くなつたある晩のこと、眞夜中過ぎの明神下の戸を、恐ろしい勢ひで叩く者があります。
「何んだ、八野郎か、あわてゝ來やがつて」
錢形平次はその調子の亂暴さに、顏を見ないうちから、八五郎と鑑定したやうです。
ガラリと戸を開けると、
「親分」
「皆まで言ふな、――火事は何處だ、方角は?」
「佐久間町三丁目、來て下さい、清次郎と全く同じ手口でやられましたよ」
「誰が?」
「棟梁の伜の辰の野郎が、今度は間違ひもなく首筋を折られて、こはれた人形のやうに、フラフラになつて死んで居ます。ドブ板の上には、今度は師匠の文字花の自慢の
「よし、行かう」
平次は手つ取り早く仕度をすると、八五郎と一緒に飛出しました。
現場へ行つて見ると、路地の中は、ハミ出しさうな人だかり、それを押しわけて入ると、隱居家のドブ板の上には、若い男が一人倒れて居り、町役人や棟梁乙松の子分達の振り照す
「錢形の親分だ」
野次は又寄つて來ます、八五郎はそれを掻きわけた中に、
「親分、伜の死にやうが、唯事ぢやありません、何んとか敵を取つて下さい、お願ひ」
と拜むのは、兼て顏見知りの、棟梁乙松の興奮しきつた顏です。
「なんか、辰
平次はさり氣なく訊きました。
「それが少しもわかりませんよ、尤もなまじつか、男つ振りが良いとか何んとか言はれて、此二三年は目に餘る道樂でした、師匠の文字花と一緒にしろと言つたと思ふと、半歳も經たないうちに、水茶屋の女と妙な噂を立てられ、今度は米屋のお孃さんを貰つてくれとせがんだり」
我儘一杯に育つた、色好みの伜には、親の乙松も持て餘して居た樣子です。
乙松の愚痴を聞き乍ら、平次は手早く死骸を
傷は清次郎の場合と同じく、見たところ一つもありませんが、首の後ろが青く
隱居藤兵衞の孫娘と、下女のお種に訊いても、此前清次郎が死んだ時と全く同じで、宵に遊びに來て、月が出た頃歸ると言ひ出し、外へ出たところで雨戸と格子を締めると、間もなくドブ板の上に、ドシングウと言ふ代りに、今度はギヤツ、ドシンと聲が先で、音の方が後だつたといふのです。お芳と下女のお種と、二階に泊つて居た猪之助が、此前の時と同じやうに、三人一ぺんに外へ飛出すと、月下にはもう
一應も二應も其邊を搜しましたが、家は
左右前後、近所の家といふ家は全部〆切つて、もぐり込める路地もなく、第一その邊に大の男の首の骨を打ち折るやうな、そんな武器は一つも無かつたのです。
「八、お前は此處で張番をして居てくれ、俺は一寸搜して來るものがある」
「何んです、親分」
「得物だよ」
平次は人波をかきわけて、路地の外へ出ると、裏から廻つて、二軒置いて先の
「錢形の親分、何んか御用で」
と先をくゞります。
「
「へエ、どんな事で」
「此の普請場で、一と月――とは經たないかも知れないが、何んか無くなつたものがありやしないか」
「さう言へば、妙なものを盜られましたよ」
「何んだ?」
「土臺を据ゑる時に使つた、
「それだツ、有難う、それでわかつたよ、人間の首を打ち折るやうな仕事は、
平次はフト考込みました、金梃で人間の首を毆れば、骨も碎ける代り、皮も破れ、肉も割け、血も飛散るわけです。
平次は默々として元の隱居所へ引揚げる外は無かつたのです。
隱居所の前には、八五郎と二三人の下つ引が、野次馬を追ひ散らし乍ら待つて居りましたが、平次の顏を見ると、
「得物はわかりましたか親分」
八五郎は四方構はず張り上げるのです。
「判つたやうな、判らないやうな」
平次はそんな事を言ひ乍ら、念入りに四方を見廻して居りましたが、小型の天水桶の上へヒヨイと登ると、それを
目の前には立ちはだかる嚴重な格子、念のためにそれに手をかけて、搖ぶり加減に押して見ると、格子は一間の
その中の雨戸は、元より中から
二階の雨戸を開けた八五郎と、庇の上の平次は、鼻と鼻が合ふほどに立つて居りました。
「もうわかつたよ、八」
「何がです、親分」
「金梃の行方だよ」
部屋の中に立つて、提灯を振り照し乍ら、ヂツと見て居た平次、置床の柱、
「見るが宜い」
孟宗竹の柱を逆樣にすると、中からゾロリと出たのは、成程、十貫目もあらうと思はれる鐵梃でした。
「これで毆つたんですか」
「その通りだよ」
「すると血が飛び散りますが」
「いや
「成る程ね、恐ろしい
「ところで、下手人は猪之助にきまつたが、姿が見えないぢやないか」
「親分が外へ行つた時、跟いて行つたやうですよ」
「しまつた」
「何處でせう、親分」
「多分、文字花の家だらう、あの男は生れ乍らの不粹だが、江戸育ちの浮氣者の文字花に、すつかり打ち込んで居たらしい」
「行つて見ませう」
「來いツ」
平次と八五郎は、野次馬の頭の上を渡るやうにして、一軒置いて隣の文字花の家に飛込みました、が、その時はもう萬事が終つて居たのです。
「あツ」
中は血の海、文字花は自分の居間で、出刄
「猪之さんが、お師匠樣を殺して逃げてしまひました。――猪之さんが一緒に逃げようと言つても、――お師匠樣はお前だけ勝手にお逃げ、私は人殺なんかした覺えなんか無いんだから、何處へ出たつて申開きが立つよ、人の言ふことを勝手に惡い方に取つたお前が惡いぢやないか――といふと、猪之さんは、
少女は思ひ出したやうに、大きい聲を立てゝ泣き出すのです。
× × ×
猪之助は板橋で召捕られ、三人殺しの罪で處刑になりました。米屋の娘お芳は、世間の惡評に居たゝまらなくなつて、近在の親類に預けられ、それで一件は落着したわけです。
その後八五郎のせがむまゝに、平次は斯う話して聽かせるのでした。
「息子番附の三役にならなくて、お前は飛んだ仕合せさ、
「――」
「何? 出世しなくても宜い? 罰の當つた野郎だ、――一件の繪解きは何んでも無いよ。文字花は浮氣者のくせに、男を皆んなお芳に取られて、
「成程ね」
「さて二人は殺したが、バレさうになつて逃出した猪之助は、文字花を一緒に伴れ出して故郷の越後へでも飛ぶ氣だつたらう。文字花に斷わられると、カツとなつて、それも殺してしまつた」
「無分別なことですね」
「女から女へ渡り歩く男や、男から男へ渡り歩く女には、飛んだ見せしめかも知れないよ――と、これは飛んだ説教になつたが」
「へツ、當て付けられてゐるやうで」
「何を、呼出し奴のくせに」
「違げえねえ」
二人はカラ/\と笑ふのでした。