「平次、
與力笹野新三郎は、丁度八丁堀組屋敷に來合せた、錢形平次を誘ひました。
「旦那が御出役で?」
「さうだよ。浪人者には違ひないが、土地では評判の良い人物だ。
八丁堀の與力が出役するのは、餘程の大捕物で、いづれは殺された武家の
「お供いたします。丁度、八五郎も參つて居りますから」
「さうしてくれると都合が宜い」
笹野新三郎は、錢形平次を信頼し切つて居ります。土地の御用聞は、うるさい繩張のことを言ひ出しさうですが、與力のお聲掛りで行く分には、文句の言ひやうはありません。
櫻は八重、日和も陽氣も、申分のない春でした。竹光で武家が殺されたといふ、
「やつとうの方はいけたんでせうね、その浪人者は?」
平次は道々も竹光の事が氣になつてなりません。
「
「それが、
「變つて居るだらう」
そんな事を言ひ乍ら、三人は芝山内から
狸穴に着いたのは晝少し過ぎ、この邊は山の手の盛り場で商ひ家も多く、手輕な見世物や、茶屋、楊弓場などのあつた時代ですが、一歩裏通りに入ると、
「お待ち申して居りました、旦那」
「鼓の親分、私も目學問をさして貰ひますよ」
平次はへり下だつて肩の手拭を取りました。
「宜いとも、錢形の
あつさりした口はきゝますが、何か腹の底に
「死骸は?」
と笹野新三郎。何處からともなく散り殘る
「今朝死骸を見付けたのは、此處でございました」
源吉は狹い庭の
「誰が見付けたんだ」
「私で――」
何時の間にやら、新三郎の後、平次の横手に立つてゐたのは、二十七八の小氣のきいた渡り
「お前は?」
新三郎の眼は少し
「奉公人でございます。藤助と申しまして、へエ――」
「――」
「二十七でございます。生れは下谷で、へエ――」
訊きもしない事まで、よくペラペラと
「下谷は何處だ」
平次は此男に好奇心を持つ樣子で、横から口を出しました。
「二長町の五兵衞
藤助は一向物にこだはりません。
家の中は思ひの外小綺麗ですが、浪人生活の不自由さが、疊の古さにも、調度の貧しさにもわかります。それにしては、渡り中間らしい男を一人給料を出して下男に使つてゐたのが
死骸は
娘お頼の悲歎は見る目も氣の毒でした。天にも地にも、たつた一人の肉身は、青竹を削つて、
「旦那、氣の毒ですが、傷口を洗つて見なきやなりません」
平次は、笹野新三郎に囁やきました。
「さうするが宜い」
新三郎が目で指圖すると、ガラツ八と平次は、早速
殺された福島嘉平太はまだ五十そこ/\、武藝で
「これは不思議だ、着物の外から
源吉は酢つぱい顏をしました。竹光で外から搜つて、三度目に致命的な突きをくれるといふのは、
「その二ヶ所の淺い傷は、血も何にも出ちやゐない。死んでから付けたのさ」
平次は
「死んでから竹光を突立てたのかい」
と、源吉。
「
「主人は
それは笹野新三郎の當然の疑ひでした。
「刀か槍で刺して、その傷口へ竹光を突つ立てたのぢやございませんか、旦那」
と平次。
「成程」
「この竹光は誰の物か、解つてゐるだらうな」
平次は下男の藤助を顧みました。妙に
「申上げて宜しうございませうか、お孃樣」
藤助は、おろ/\しました。
「あれ、お前、滅多なことを」
お
「隱しちやいけねえ。解つてゐるものならはつきり言ふがいゝ。後で知れると、却つて物事が面倒になる」
平次は、お頼と藤助の二人へかけて言ひました。
「申しますよ、親分。横町に住んでゐる、星野門彌樣が、こんな刀を差していらつしやいました。矢張り御浪人で、へエ」
さう言ひ乍ら、藤助は何處から搜したか、少し禿チヨロの
「何だ、鞘も捨てゝ行つたのか。念入りなことだな」
さう言ひ乍ら、平次の眼は、側に待機してゐる八五郎の顏をチラリと見ました。
「――」
心得て飛んで行くガラツ八。たつたこれだけの合圖で、ガラツ八は横町の星野門彌とか言ふ浪人のところへ行つて、次の命令が來るまで喰ひ下がつてゐることでせう。
「お孃さんは、昨夜これほどの騷ぎに氣が付かなかつたので?」
平次は美しい娘を振り返りました。
「赤羽橋の小父さんのところに泊つてをりました。子供達に引留められて――」
「赤羽橋の小父さん?」
「私のところだよ」
路部滿十郎はさう言ひ乍ら續けます。
「私の娘達と一緒に、飛んだ夜更しをして、
「すると、
平次はもう一度藤助に戻りました。
「へエ――、二人つ切りには違ひありませんが、朝まで何にも氣が付きません。あつしは友達仲間でも冷かしの種になつてゐるほどの寢坊で」
「朝起きて見ると、――」
と源吉。
「雨戸を開けると、
藤助はゴクリと
「親分、大變ですよ」
ガラツ八が飛んで來ました。
「星野とか言ふ浪人者はどうした」
平次は何か重大なものを、ガラツ八の顏から讀んだ樣子です。
「二三日大熱で、身動きも出來ない病人ですよ」
「病人?」
「町内の本道――本田
ほんものゝ病氣と言ふのが可笑しかつたか、平次と笹野新三郎は顏を見合せて
「それは飛んだ命拾ひだ。――病氣でなきや、どんな疑ひを受けたか知れない」
と平次。
「尤も妹が一人居ますよ」
「幾つだ」
「二十一二で、滅法良い新造で――」
「馬鹿野郎ツ」
ガラツ八はたうとう馬鹿野郎を喰つてしまひました。
「親分さん、――萬一ですよ。萬一それが假病だつたら、大變なことになりますよ」
藤助が横から口を出しました。
「何が大變なんだ。言つて見るが宜い」
と笹野新三郎。
「あの方と、此處の御主人とは元同じ藩中で、――あの方は、御主人を
藤助はよく/\口數の多い男でした。
「仇?――それはどう言ふわけだ」
「詳しいことは解りませんが、餘つ程怨があるやうで――」
笹野新三郎はその答が不滿足らしく、振り返つて、平次の顏をチラリと見ました。が、平次はそんな話には大した興味も感じないらしく、狹い――と言つても、
「旦那、變ぢやございませんか」
「何が?」
笹野新三郎もさすがに平次の疑ひの原因には氣が付きません。
「今朝、その邊を歩きやしなかつたかね、鼓の親分」
平次は狹い畑のあたりを指し乍ら、鼓の源吉に訊ねました。
「いや、誰も」
源吉はすつかり平次にリードされて、自分の意見を樹てる工夫もない樣子です。
「昨日の朝雨が降つた筈だ。――畑の端つこにある、生垣のところまで行つた足跡が澤山あるが、――おや/\、
平次は庭に降りると、足跡を辿つて、生垣の側まで行きました。
「誰だか解るか、平次」
と縁側から笹野新三郎。
「庭下駄は殺された主人ですよ。――まだ物の芽も何にもない畑へ入らないやうに、用心して歩いてゐるのは、この畑を作つた人でなきやなりません」
昨夜のやうな闇の濃い晩にも、空つぽの畑を踏まないやうにして通るのは、畑に對して特別の愛情を持つたものでなければならなかつたでせう。
「
と新三郎。
「此處へ來いツ、藤助」
平次はそれに應へず、いきなり下男の藤助を呼付けると、その手を取つてグイ/\と引きました。
「親分、何をなさるんで?」
「跣足になれ」
「――」
「ならないか。野郎ツ」
「へ――」
「この足跡の側へ、
平次は
「あツ、この
鼓の源吉は氣が付きました。
「濡れてゐるのは其處だけだ。――懷紙で其邊の木の葉を拭いて見るが宜い」
平次はそれ以上の事に氣が付いてゐる樣子です。源吉は大急ぎで――濡れ殘る生垣が、
「あツ」
紙はあるかなきかの、
「主人は其處で殺されたのさ。跣足男がその死骸を引つ擔いで來た。――それは間違ひのないことだ。跣足の足跡が、――往きは淺くて歸りが深い。――死骸を引つ擔いだ爲だ」
何と言ふ
「何だつて、あんなところへ連れて行つて殺したんだ」
と笹野新三郎。
「そいつが判れば――旦那」
平次は考へ込んでしまひました。
兎もすれば逃出しさうにする藤助を、ガラツ八の馬鹿力に預けて、平次と源吉と、それから笹野新三郎は、家の四方をグルリと一廻りしました。
何の變つたこともありません。が、たつた一つ、
平次は併しそれに見向きもせず、門から出ると、いきなり生垣の向う、
「御免下さい」
「ど――れ」
響の音に應ずるやうに、物々しい返事と一緒に戸口の障子を開けたのは、四十五六とも見える青髯の武張つた浪人、門札を見ると、岩根半藏と
「お隣に、飛んだ騷ぎがありまして、お邪魔しますが――」
「福島樣に間違ひがあつたさうだな」
岩根半藏といふ隣人は何も彼も心得てゐる樣子です。
「お氣の毒なことでございました。ところで、何かお氣付きのことはございませんか。昨夜から今朝へかけて、物音とか、人聲とか――」
「氣が付かんな。――尤も俺は名題の寢坊だし、奉公人といふものが居ないから」
岩根半藏はニヤニヤします。覗くともなく見ると、成程たつた二室の
「
「ないなア」
「お隣同志で、顏が合へば口をきくとか、挨拶するとか――」
「俺は――死んだ人の事を惡く言つちや濟まんが、あの、福島嘉平太といふのが大嫌ひでな。
「――」
死んだ人の事を言つちや濟まぬと言ひ乍ら、これまた齒に
「藤助と言ふのを御存じで?」
「よく知つてゐるが、あれは人間の
「へエ――」
「呑む、打つ、買ふの三道變だ。――福島といふ人、弱い尻でもなきや、あんや[#「あんや」はママ]イヤな奴を使つてゐる筈はない」
言ふことに一々
「お隣の御主人とは以前から御存じで?」
「左樣、懇意ではないが知つてはゐる」
これ以上は何を訊いても解りさうもありません。
竹光の持主、星野門彌の家はみじめでした。主人の門彌はまだ二十五六の青年武士ですが、散々の貧苦の上、二三年此方の重病で、袷の裏まで
「御病人があるさうで、お氣の毒なことですが、――」
平次もこれ以上のことは言ひ兼ねました。九尺二間の豚小屋にも劣る
「お耻しうございます。兄はこの通りの病氣で、この二三日は枕も上がらず――うつら/\と高熱にうなされて、申すことも判然いたしません」
引つ詰め髮をかき上げて、お雪は泣き濡れて居りますが、貧苦にしひたげられ乍らも、品のよさは
「少し聽きたいことがあるが、――ちよいと其處まで、お顏を」
「ハイ」
平次の後に跟いて、――後に殘る兄の容態を氣にし乍らも五六間路地の外へ出ました。
「福島嘉平太を御存じで?」
「存じて居るどころではございません。三年前まで、同じ家中でございました」
「何? 同藩?」
「さやうでございます」
「岩根半藏といふ人は?」
「あの方も同藩でございます」
「それは/\」
三人共同藩と聽いて、平次も開いた口が
「三年前まで、
「――」
「兄は福島樣を疑ひ、福島樣は兄を疑ひ、二人は力を
お雪の話は奇つ怪ですが、さう説明されると、仇同志がお互に離れることもならず、互に疑ひ合ひ、互に憎み合ひ、互に見張り合つて、三年越し暮した事情も呑込めないことはありません。
「福島樣は幸ひ御裕福で、三年經つてもお困りの樣子もございませんが、私共は御覽の通りの有樣、その上兄の病氣で、何も彼も賣り盡し、耻かし乍ら、刀の中味まで、
平次は慰め兼ねました。
「ところで、岩根半藏といふのは?」
「福島樣の御友人で、その頃國許を退轉した方でございます」
これ以上のことはお雪も知りません。平次は、兎にも角にも、
福島家では笹野新三郎の許しを受けて、
美しい娘のお
「跡部さん、忙しいところをお氣の毒ですが」
「いや、一向構はないが――」
跡部滿十郎は平次の望むがまゝに、手をあけて物蔭へ來てくれました。
「變なことを伺ひますが、福島家は裕福でせうか」
「不思議なことがあるものだよ、私も福島家には三年五年食ひつなぐ金があるものと思つて居たが、主人が死んで見ると本當に百の
「へエ――」
「費用萬端、私が立換へてやつて居るが、こんなに驚いたことはないよ」
跡部滿十郎は本當に驚いてゐる樣子です。
「旦那と此處の御主人とはどんな係り合ひで?」
「何でもないよ、たゞ同藩だつたし、稽古所で私の娘共も、お頼殿と
「旦那の御
「ないよ」
跡部滿十郎の顔は一寸
それから、お頼にもう一度逢ひましたが、たゞ泣くばかりで何の取留めもありません。尤も、成熟し切つた十九の肉體は、申分のない美しさと優しさに惠まれて、少し氣性の弱々しいのさへ、却つて魅力になると言つた肌合の娘でした。
それから、最後に、もう一度藤助。
「此野郎は何べん逃げ出さうとしたかわかりませんよ、――主殺しは此奴ぢやありませんか、親分」
見張りのガラツ八は、すつかりむくれて居ります。
「今に
藤助も、平次の言葉には、魂を冷しました。
「親分、そいつは情けねえ。あつしは正直者で、主を殺す人間か、人間でないか、誰にでも訊いて下さい」
「訊かなくたつていゝ、
「お安い御用だ、親分、――その押入の中にある
「よし/\、その風呂敷や行李は見たかねえ、俺はこの部屋に用事があるんだ」
手頃の
「見ろ、藤助、御主人は百も持つちや居ねえのに、奉公人の手前は十兩といふ大金を持つて居るぢやないか」
「親分、そいつは給金を貯めたんだ、やましい金ぢやねえ」
「年に四兩の給金を、そつくり二年半貯めたといふのかい」
「少しは手なぐさみもしますよ、親分」
「まア、宜い。兎に角、昨夜主人の殺されたことゝ、
「親分、そいつは無理だ。昨夜主人を殺して盜つた金が、そんな埃だらけな紙の中に貼り込んである筈はねえ、――そいつは
藤助は思ひの外筋の立つたことを言ひますが、平次は取り合ふ色もなく、
「八、その野郎を番所へ引つ立てゝ行くが宜い、逃しちやならねえよ。それから、後で少し働いて貰ひたいことがある。屋根の上の矢を拔いて貰ひてえのだ、――小判は俺が預つて行くよ、藤助」
平次は殘るところなく手配して、笹野新三郎と一緒に引揚げました。
「旦那、大變なことになりました」
「何だ、平次、大層
翌る日の朝、錢形平次を迎へた笹野新三郎は、好奇心と職業意識でハチ切れさうでした。
「何から申しませう、――先づ、あの下男の藤助の
「それは大變だ」
未刻印小判に、僞刻印を打つといふのは、僞金を造ると同じことで、これは
「それから、もう一つ、あの藤助と言ふ野郎は、下谷二長町の
「何?」
「こいつは近頃の大捕物になりますが、組子の用意をお願ひいたします」
「何人位?」
「相手の腕が判りませんが、まア、十人もあれば」
「そんな事で大丈夫か」
「あんまりお膝元を騷がせるものでもありません」
用意は
「御用ツ」
「岩根半藏、神妙にせいツ」
一隊は表の入口から、一隊はお勝手から、一擧に疾風の如く飛込んだのです。
「えツ、何を馬鹿なツ、御用呼ばはりをされる覺えはないツ」
起ち上つた岩根半藏。
「御用ツ」
正面から飛付いた一人は、半分食ひかけの、晝飯の茶碗を
「其方共に縛られる俺ではない、寄るな、寄るなツ」
早くも引拔いた一刀、バラリと一文字に拂ふと、續く二三人、
「御用ツ」
「神妙にせいツ」
あとは僅かに二人三人、それを冷たい
「岩根半藏、逃げる氣か」
正面へ
「平次か、――無駄だ、――俺は其方などの手に了へる人間ではない」
りうと白刄が眞晝の陽を
「御金藏破り、福島嘉平太殺し、觀念せい」
平次も一歩も
「何? 御金藏破りは判つて居るが、福島嘉平太殺しは俺の知つたことではないぞ」
「神妙にせいツ」
「
パツと飛ぶのを、平次の十手は後ろから
「えツ、命知らず奴ツ」
振り返つた一文字の切り拂ひ、平次はサツと飛退くと、十手は左手に、右手は早くも懷をさぐつて得意の投錢。
「
一つは振り冠つた
「御用ツ」
續いて飛付く十手、左手業乍ら、半藏の一刀を
「あツ」
繩はもう、その手首に掛つて居りました。
「親分、何を考へて居るんです」
ガラツ八の八五郎は、慰め顏にやつて來ました。藤助と岩根半藏が縛られてから五日、平次はこれ程の手柄にも
「
「それは又どう言ふわけで? 親分」
ガラツ八は膝を進ませました。
「成程、三千兩の小判は、岩根半藏の家から出て來た。藤助の拵へた僞刻印まで捺してある、――金藏に入つて小判三千兩と、寶物を盜んだのは、岩根半藏に相違あるまい。福島嘉平太はそれを嗅ぎ付けて跡を追ひ、星野門彌は嘉平太を
「――」
「
「――」
「所が、岩根は福島嘉平太に半分やるのが惜しくなつた。藤助を
「――」
「稽古矢に火口と
「――」
これだけの事は、藤助と岩根半藏の白状で、ガラツ八もよく知つて居ることです。福島嘉平太と岩根半藏は、甲乙のない使ひ手で、正面から切り結んでは、何方が勝つとも判らないので、板塀の隙間から、生垣越しに突くことを考へたのは、まことに底の知れない惡智慧だつたのです。
「合圖の矢は屋根に落ちた。
「――」
「ところが八、困つたことにはあの晩、岩根半藏は自分の家に居たのだよ」
平次の惱みはそれだつたのです。
「それはあつしも聽きましたよ。でも、半藏が嘘を言つてるのかも知れないぢやありませんか」
と、ガラツ八。
「嘘ぢやない、多勢證人がある。夜中に脱出して來られる筈はない」
「でも」
「半藏は
「――」
「第一岩根半藏が自分でやつたのなら、血だらけな槍を自分の家の床下に投り込んで置く筈はない」
「――」
「藤助と半藏の相談を盜み聽きした奴の仕業だ、――どうかしたら、福島嘉平太を殺すのを、半藏がいやになつたと
平次は默りこくつてしまひました。いやな事を思ひ出した樣子です。
「親分、あの娘ぢやありませんよ、――あの娘なら、殺したら、殺したと名乘つて出る筈ぢやありませんか、金藏破りとそれに
ガラツ八はやつきとなりました。
「誰の事を言つてるんだ」
と平次。
「親分は、門彌の妹のお雪を疑つて居るんでせう」
「いや、違ふ――こんな事はない筈だが、人間の心は恐ろしい。あの
「え、親分、それはまたどうして――」
「なあに、女房が居なくなつて娘達ばかりだから、跡部滿十郎がお頼をひきとつたのだらう。それに頼みがもう一つ」
平次は何か言ひかけましたが、
「そいつは俺が當つて見よう。頼むぜ」
一人のみ込んで飛出しました。
人間の心の恐ろしさを、此時ほど平次も
矢を誂へたのは意外にも跡部滿十郎、そして近頃跡部滿十郎に引取られたお頼は、滿十郎の
藤助と岩根半藏の密談を聽く機會のあるのも、後で思ひ合せると跡部滿十郎で、半藏が福島嘉平太殺しを思ひ止つて三千兩を山分けにする氣になりつゝあることを見拔いたのも跡部滿十郎でした。
跡部滿十郎にしては、事件の當夜、夜中に飛出して
それを岩根半藏の仕業と思ひ込んで、後始末をした藤助にも、何の不思議もありません。
× × ×
跡部滿十郎はその日の内に縛られました。
「どうして、あの野郎がそんな馬鹿なことをする氣になつたらう」
ガラツ八の驚きの前に、
「人の心の恐ろしさだよ」
平次はさう言ふより外になかつたのです。
四十男の跡部滿十郎が、お
「親を殺して娘を手に入れる――なんて事をしやがるんだらう」
とガラツ八。
「だから
「親分」
「心配するな、


「親分、そんな馬鹿なツ」
「その方が餘程人間らしくていゝよ、ハツ、ハツ、ハツ」
平次は漸く笑顏を見せました。