「親分の前だが、此頃のやうに暇ぢややりきれないね、ア、ア、ア、ア」
ガラツ八の八五郎は思はず大きな
「馬鹿野郎、欠伸に節をつけたつて、三味線には乘らないよ」
「三味線には乘らないが、その代り
「
平次は大きな舌打をしましたが、小言ほど顏が苦りきつては居りません。
「全く退屈ぢやありませんか、ね親分。こんな
「御用聞が暇で困るのは、世の中が無事な證據さ。それほど退屈なら、
錢形平次は相變らず、世話甲斐のない、植木の世話に餘念もなかつたのです。――秋の陽は向うの屋根に落ちかけて、
「折角のお言葉だが、あつしが世話をすると、植木が皆んな枯れつちまひますよ」
ガラツ八は良心に
「宜い心掛けだ。――その氣だから段々縁遠くなる」
「へツ、――縁遠くなる――と來たね。驚いたね、どうも」
八五郎はニヤリニヤリと
「
「えらいツ、流石は錢形の親分。天地見通しだ」
「馬鹿だなア」
「ね、親分、聞いたでせう。麹町六丁目の娘殺し」
「聽いたよ。櫻屋の評判娘が
「
「待ちなよ八。口惜しがるのはお前の勝手だが、煙管の
「だつて口惜しいぢやありませんか、親分。若くて綺麗な娘は、天からの授かりものだ。それを腐つた
「解つたよ八。殺した野郎が重々惡いに異存はないが、俺を引つ張り出さうたつて、そいつはいけねえよ。あの邊は十三丁目の重三の繩張りだ、勝手に飛び込んで掻き廻しちや惡い」
平次は大きく手を振りました。さうでなくてさへ、この二三年江戸の捕物は錢形平次一人手柄で、宜い加減御用聞仲間の
「そんな事を言つたつて親分。十三丁目の重三親分ぢや、コネ廻してゐるだけで、何時まで經つても目鼻がつきませんよ」
「默らないか八。さう言ふ手前だつて、あんまり目鼻のついた
「へエ――」
「若い娘が殺されると、眼の色を變へて飛び出しやがる。少しはたしなむが宜い」
平次はツイ小言になりました。が、幾つも年の違はない八五郎に、意見めかしい事を言ふのは、自分乍ら
「まア、さう言つたものさ。ハツハツハツ」
腰を伸してカラカラと笑ふのです。
その時、
「お前さん、お手紙が來ましたよ」
お靜は姐さん
默つて受取つて、ザツと目を通した平次、
「持つて來た人は?」
調子がひどく
「お返事は要らないさうです――つて歸つてしまひました」
「どんな樣子をして居た」
「子供ですよ、十二三の」
「八」
平次が聲を掛ける迄もありません。八五郎はもうハネ飛ばされたやうに路地へ飛び出して居りました。
それからほんの煙草二三服。
「あ、驚いた」
八五郎はがつかりした樣子で歸つて來たのです。
「首尾よく取逃したらう」
と平次。
「逃しやしませんが、手紙の作者は小僧ぢやありませんぜ」
「當り前だ、手紙を書いたのはお
「えツ、さうと知つてゐたら、もう少し責めやうがあつたのに、――そのお狩場の四郎が、親分へどんな事を言つて來たんで?」
ガラツ八の八五郎は少しあわてました。二三年前江戸で鳴らしたお狩場の四郎。それは、一度錢形平次に擧げられて、
「お前の話を聽いてゐるんぢやないか。それから小僧はどうした」
「路地の外でマゴマゴして居るのを捕まへて、二つ三つ小突き廻すと、わけもなく白状しましたよ――何處かの知らない小父さんに、四文錢を三枚貰つて、錢形の親分のところへ手紙を屆けたが、あとは何んにも知らねえ、ワ――」
「何んだいそのワ――てえのは?」
「いきなり泣き出した
「合の手が多過ぎるよ。それから何うした」
「手紙を頼んだ野郎の人相
「仕樣がねえなア、それつきり小僧を逃してやつたのか」
「大丈夫、其邊に拔け目のある八五郎ぢやねえ。ちやんと糸目をつけて飛ばしてありますよ。小僧は町内の
「さう解つたら、何んだつてつれて來なかつたんだ」
平次は
「どんな事が書いてあるんで? 親分」
ガラツ八はうさんな鼻を覗かせました。
「讀んで見るが宜い」
「四角な字は苦手だ、ちよいと讀んでおくんなさい」
ガラツ八は大きな手を振ります。
「
――三年前、少しばかりの油斷から、其方 の繩に掛つたが、鈴ヶ森の處刑場 に引出されるといふ間際になつて、仲間のものの助勢で、首尾よく繩拔けをし、上方 へ行つて暫らく時節を待つた。併 し天下の大盜と言はれたお狩場の四郎は此儘老朽 る氣は毛頭ない。生きてゐるうちに、恩は恩、讐 は讐で返し、惡事の帳尻を合せて置かなければ閻魔 の廳へ行つて申譯が相立たない。恩といふのは、この四郎を助けてくれた仲間だけだが、讐の方は三人や五人ではない。そのうちでも忘れ難いのは、先づ第一番に、この四郎の隱れ家を訴人して縛らせた上、女房のお冬を役人の手に渡し、自分は贓品買 ひの大罪を許して貰つて、ぬく/\と榮耀 を續けてゐる、麹町六丁目の櫻屋六兵衞一家。第二番目には、このお狩場の四郎を追つた、其方錢形平次だ。その他にも怨んでゐるのは三人や五人はあるが、それもいづれ追つて思ひ知らせてやる。ところで昨夜は手始めに六丁目の櫻屋六兵衞に押入り、六兵衞が掌中 の珠と可愛がつてゐる一人娘のお美代を殺害して來た。錢形平次の賣り込んだ名前に嘘 がなかつたら、もう一度このお狩場の四郎を縛つて見るが宜い。愚圖々々するに於ては、怨み重なる平次をこのお狩場の四郎が逆 に縛るかも知れない、何んと驚いたか。
――斯う書いてあるよ」「そいつは親分」
ガラツ八はゴクリと
「どうだ、お狩場の四郎の言ひ草ぢやねえが、何んと驚いたか――と言ひ
平次は少し面白さうです。
「あの野郎はまだ生きてゐたんですね。――擧げる時は、隨分骨を折らせたが」
三年前の大捕物で、ガラツ八は少しばかり怪我をしたことを思ひ出したのでした。
「繩拔けをして、何處かへ飛んだきり、死んだといふ噂を聽かないから、まだ生きて居たんだらう。あれくらゐの惡黨になると、頭を
「
「

「泥棒の手紙を見て感心してゐちやいけません。櫻屋の娘を殺したのが、お狩場の四郎と解つたら親分もぢつとしちや居ないでせうね」
「よし、出かけよう。この手紙を見せたら、十三丁目の重三もいやな顏はしないだらう」
「さう來なくちや面白くねえ」
八五郎は武者顫ひのやうなものを感じました。
神田から麹町六丁目へ、決して近い道ではありませんが、物をも言はずに駈け付けたのは、その日ももう暮れかける頃、薄寒い夕風が街々を吹き拔いて、晩秋の大きな月が、
「あ、錢形の」
大きな兩替屋の
「十三丁目の親分、――大變なことになつたよ。これを見てくれ」
平次の出した手紙、重三は受取つてお月樣と
「――」
「心當りはあるかい、十三丁目の」
「さア判らねえ、お狩場の四郎が江戸へ入つて來たとすると、こいつは
「すると、目星が付いてゐるんだね」
「證據があり過ぎるよ。下つ引に見張らせてゐるが、繩を打つばかりになつて居る」
「誰だい、
「番頭の兼松さ。殺された娘のお美代と内々約束があつたらしいが、近頃谷五郎といふ親類の若い男が入つて來て、それが聟になる話が進んでゐるんだ。よくある筋さ」
重三は本當に
「俺まで引合に出されちや放つても置けない。一と通り見て置き度いが――」
「宜いともお狩場の四郎が身をやつして入り込んでゐるかも判らないよ。念入りに搜してくれ」
重三は少しばかり厭がらせを
櫻屋の店の中は、不安と
母親に早く別れたお美代は、少しばかり我儘で
「朝起きると、縁側の戸が一枚外れて、娘は床の中で死んで居りました。死骸の側には物置から持出した
主人六兵衞はさう言つて、言葉を呑みます。喉佛をヒクヒクと鳴らして、
「娘を怨んでゐる者でもあつたのかい」
「あつたかも知れません。親の口から申上げるのも變ですが、人並優れたきりやうに生れ付いた娘ですから、――若い娘は、誰の眼にも美しく見せようと心掛け、誰にも一と通りの愛嬌は振り撒きます。それが命取りの種にならうとは思つても見なかつたでせう」
「――」
「錢形の親分さん、この敵を討つて下さい。私にはたつた一人の娘、あれに死なれては、これから先一日も生きて行く
六兵衞は聲もなく泣くのです。六十そこ/\でせう。
「お前さんは、お狩場の四郎といふ惡黨のことを知つてるだらうな」
「へエ――」
平次の
「そのお狩場の四郎が、どうして居るか聽いたことがあるかい」
「三年前、御處刑になるばかりのところを繩拔けをして行方
「それから」
「その先は何んにも知りません」
「そのお狩場の四郎が、お前さん一家をうんと怨んでゐるやうな事はないだらうか」
平次は大事な質問まで
「そんな事があるかも知れませんが、それは飛んだ筋違ひでございます。散々惡いことをした者が上役人に縛られて、處刑に上るは當り前のことで、隱れ家を知つて居た私が、お役人に責められて包み兼ねて申上げたのは、言はば御奉公の一つでございます。お狩場の四郎などに怨まれる筋合はございません。もしお狩場の四郎がそんな事を根に持つて、娘を殺すやうな事があつたら――」
六兵衞は何處ともなく睨み据ゑるのです。娘を殺したのがお狩場の四郎だつたら、飛びかかつて、噛み殺しもし兼ねまじき、動物的な本能の怒りが、この老人を一
平次は六兵衞の當てのない忿怒を見捨て、ガラツ八と一緒に奧へ通りました。番頭手代、奉公人達が彼方此方の隅から不安な眼を光らせますが、平次の身分を知つてゐるのか知らないのか、進んで案内をしようと言ふものもありません。
娘の死骸は、檢屍が濟んで、
「女や子供ぢやあるまいな、八」
「達者で横着で、腹の底からねぢ曲つた野郎の仕業ですよ」
八五郎と平次は顏を見合せました。
兇器の
疊の上に泥のあつたのや、雨戸を一枚外してあつたのは、外から曲者が入つた證據のやうでもあり、内に曲者が居て、わざとそんな細工をしたやうでもあります。
「下手人は矢張り外から入つたのでせうか」
その邊の
「外から入つた者なら、こんな乾いた庭を歩いて來るんだもの、わざ/\泥なんか疊に塗るにも及ぶまいよ」
「へエ――」
「それに、他の家の物置から
「すると?」
「早合點しちやいけない。だから曲者は家の中に居ると言ふわけぢやないよ。裏には裏があるだらう」
丁度一と通り見てしまつたところへ、主人の六兵衞が來ました。
「親分さん、矢張り下手人は
さうと極つたら、繩を打たれるのを待つ迄もなく、掴みかかりも兼ねなかつたでせう。
「待つた、さう早合點をしちやいけない。あつしが順序を立てて、一つ/\訊いて見るが、それに正直な返事をしてくれまいか、下手人はきつと縛つてやるが」
「それはもう親分さん」
六兵衞の赤銅色の顏は、憎惡と歡喜にパツと明るくなります。
「まづ、一人娘が死んで、この櫻屋の
平次の問ひは常識的で平凡でした。
「誰にもやることぢやございません。娘が生きて居れば、聟にする筈だつた谷五郎が、この
「すると?」
「皆んな私が費つてしまひます。酒や女にバラ
六兵衞の捨鉢な氣持のうちには、妙に平次を
「ところで、娘を殺したのは、――親のお前さんの心持では、誰だと思ひなさるんだ」
「――」
六兵衞は深々とうな垂れました。
「親には、きつと、それくらゐのことが判ると思ふ。とりわけ、天にも地にも
「親分さん。――血だらけな
「そいつを誰が見て居たんだ」
「小僧達は皆んな知つて居ますよ」
「それから」
「娘の手箱の中には、谷五郎と祝言するなと書いた兼松の手紙が十三本も入つて居ました」
「――」
「まだあります。泥だらけな兼松の
「――」
「娘の部屋から奉公人達の部屋の方へ行く途中の
「返り血を浴びた袷は、それからまた外へ出直して洗つたといふのだね」
「十三丁目の親分さんはさう言ひました。だが――」
六兵衞の本能には、何んとなく兼松を疑ひきれないものがあります。先刻平次から聽かされた、お狩場の四郎の
「兼松は奉公に來てから何年になるんだ」
「子飼ひでございます。先代の櫻屋の
「人柄は?」
「怒りつぽいところがありますが、正直者で」
「谷五郎は?」
「私の遠縁になります。兼松より三つ年上で、去年の春田舍から呼寄せました。氣風は、素直な、まことに良い男です」
谷五郎を娘の聟に選んだ六兵衞の氣持はよく解ります。
「他にはどんな奉公人が居るんだ」
「小僧が二人、どつちも十四で、これは勘定になりません。文太郎に定吉と申します」
「それから?」
「下女が二人、一人は房州の者でお照、十九になります。一人は
奉公人はそれつきり、この中に四十男のお
でも平次は一人/\逢つて見ました。兼松は一寸良い男ですが、
「お孃さんと私と固い約束がありました。谷五郎さんが聟になる話はあつても、お孃さんが頭を振り通せば、どうにもならないぢやありませんか」
少し血走つた眼を擧げて、そんな事をくり返しくり返し主張するのです。
「井戸端の
「それが不思議なんです。――ひどく汚れたから、暇なときお北さんにでも洗つて貰ふつもりで、部屋の隅に押しつくねて置いた袷が、今朝見ると盥の中に入つてゐたんです」
兼松は惡びれた色もありません。これが下手人でなかつたら、珍らしい正直者でせう。平次は何やら深々と考へて居ります。
「親分、氣が付きましたか」
「何んだい、八」
「あの娘」
「若くて綺麗な娘には、恐しく眼が早いんだね、――あれはお照とか言ふのだらう。呼んで見な」
ガラツ八は飛んで待つて、お勝手から若い娘を一人つれて來ました。精々十八九、
「お前は、お照とか言ふんだね」
「え」
お照は平次の前へ
「房州とか言つたな」
「え」
「親は房州に居るのか」
「いえ、江戸に出て居ります」
「何處だ。――何んと言ふ」
「向柳原の彦兵衞
答へのハツキリして居るのが、八五郎の好感を倍にしました。第一その聲の美しさ。
「何時から奉公して居るんだ」
「この春から」
「死んだお孃さんはどんな人だつた」
「良い方でした」
調子の冷たさ、恐らく
「
蔭になり日向になり、深い悲しみに打ちひしがれる主人六兵衞の世話を燒いてゐるのは、店中でこの娘たつた一人だつたことは、平次が早くも見て居たのです。
「でも、お氣の毒で――」
「昨夜何にか氣の付いた事はなかつたかい」
「
若くて健康な娘達は、それが本當なのでせう。
お照をお勝手に歸すと、その次に谷五郎を搜し出しました。
「親分さん、御苦勞樣で」
二十七八の、如何にも
「困つたことだね、主人は
平次はズバリと言つて退けました。素晴しいテストです。
「今朝から私も五六邊それをきかされました。なまじつか、お美代さんと祝言の話があつただけにそんな事をきかされると變な心持になります。櫻屋の
谷五郎は淋しく笑つて、荷造りした小さい荷物などを見せるのでした。
「それは困る。下手人の擧るまでは此處に居て貰はなきや困る」
と平次。
「その下手人は、何んとか言ふ泥棒ださうぢやございませんか、親分さん」
「兼松ぢやないと言ふのか」
平次は谷五郎の言葉の裏に探りを入れました。
「兼松どんは江戸一番の正直者です。人なんか殺せる男ぢやございません」
「すると、お
「そんな事もあるでせう。血の附いた着物を着て、江戸の町は歩けません。お照さんの部屋で物音のしたのは、
「成程な」
平次は何にかしら言ひ
それから下女のお北に逢つて見ました。在所は神奈川、年は三十、出戻りで不縹緻で、御飯を
主人が立會つて、奉公人達の荷物を調べ、店の帳面から、在金まで勘定すると、正直者と思はれた兼松が、十二三兩の費ひ込みがあり、金に困つて居さうな谷五郎には、何んの
「フーム」
この事實は、主人の六兵衞を
もう一つの不思議は、下女のお照が、思ひの外の大金を持つてゐることと、女子供には讀めさうもない、むづかしい物の本を持つてゐることでした。
「これを讀むのか」
「まア――そんなむづかしいものが、私に讀めるわけはありません。皆んな
お照は美しい顏を赤らめて辯解します。
奉公人に一人々々字を書かせて見ましたが、商人だけに、兼松も谷五郎もかなりの能筆、お照も美しい假名文字を書きますが、お北は一文不通で、いろはのいの字も書けません。
「八、お前氣の毒だが、奉公人の身許を殘らず洗つてくれ。房州と神奈川へは、下つ引きを出すんだ。宜いか、大急ぎだぞ」
平次は最後の手段を、奉公人達の身許にきかうとしたのです。
「それぢや親分」
ガラツ八は早速飛び出しました。が、それと一緒に、もう一人の人間が街の闇に飛び出したことに、平次は氣付かないわけはありません。それは反感と好奇心とで一杯になつた十三丁目の重三が、遠くの方から平次の調べを
後に殘つた平次は、もう一度奉公人の動きを調べました。
お美代が殺された前日、谷五郎は飯田町の得意先まで行つてかなり遲く歸つて居ります。お美代の死骸の見付けられた後では、――今日の
それつきりのことから、平次は何やら重大な暗示を受けた樣子です。
その晩、番頭の兼松が擧げられて行きました。兼松の疑ひは大方平次が解いてやつた
平次は、なにかしら
それから五日目、
「親分、驚いたの驚かねえの」
久しく姿を見せなかつたガラツ八が、
「相變らず、そゝつかしいぜ、八。下駄を
「小言は後にして、お
「大層な觸れ込みぢやないか、
「茶にしちやいけません。五日四晩、江戸から、房州、神奈川まで、下つ引と三人、夜の目も寢ずに
「櫻屋の下女のお照が、お
平次の
「あツ、どうしてそれを、親分」
ヘタヘタと坐り込んで、
「八
「じよ、冗談でせう。八卦や
「ハツハツハツ、物を理詰めに考へただけの事さ。五日四晩お前が駈け
「へエ――」
「宜いかい、八、――お狩場の四郎とも言はれる大泥棒が、人へ物を頼むのに、相手が
「成程ね」
「それにあの手紙の文句は、少し
「へエ――ツ」
「若くて字のうまい女が、手筋を變へて書いたのだ」
「――」
「櫻屋へ行つて、お照を見たとき、俺はハツと思つた。お前や六兵衞は氣が付かないかも知れないが、あの耳の形と目をつぶつて聽く聲の調子が、お狩場の四郎そつくりだ。顏が似てゐないから誰も氣が付かなかつたが、耳や齒並や、指の恰好、聲の調子などは、よく親に似るものだ」
「――」
「その上、下女に似合はぬ大金を持つて居るし、むづかしい書物を持つてゐる。母親の形見だと言つて
平次の推理は寸分の隙もありません。
「恐れ入つた。正にその通り、少しの間違ひもない。あの娘はお狩場の四郎の一人娘、小さい時から房州へ里子にやられて、女一と通りの道を仕込まれた。宇太八といふのは、その里親で、四郎の昔の子分だ」
ガラツ八は五日四晩の調べを語りました。
「そんな事だらう。――それから」
「お狩場の四郎が
「それで皆んな解つた」
「あつしが五日四晩飛び廻つたのは、無駄だつた事になるね、親分」
「いや、さうぢやねえ。俺が
「それぢや親分」
「疲れて居るだらうが、六丁目まで一緒に行くか」
「京大阪でも行きますよ、親分」
二人は五日目で麹町六丁目へ飛びました。
「五日の間、物を考へてばかり居たんですかえ、親分」
そんなに物を考へられることが、ガラツ八には不思議でならなかつたのです。
「いや、少しは動いたよ。向柳原の宇太八も見張つたし、娘が殺された日、谷五郎の出た先も調べて見たし」
途々二人は話し續けました。
「あの日谷五郎は何處へ行つたんでせう」
「飯田町の得意へも顏を出したが、――それから、友達の家と叔母の家へ行つたよ」
「へエ――」
「三四軒歩いて二十兩ばかり借り出して居る」
「變な野郎ですね」
「翌る日の晝頃、二た
「あの小僧
「おどかし過ぎたんだよ。子供は
「
「まア、宜いやな」
そんな事を言ふうちに、二人は六丁目の櫻屋に着いて居りました。
「おや?」
中はザワザワと立ち騷ぐ人聲、物音。
スツと入ると、
「太え
十三丁目の重三が、張りきつた叱

「お、十三丁目の親分、大變なことをするぢやないか」
平次は思はず非難の聲を掛けました。
「錢形の、到頭捕まつたよ。この女はお
重三はキリキリと繩を絞つて、お照の
お照は何んにも言ひませんが、美しい顏は蒼くなつて、キツと結んだ唇は、金輪際開きさうもありません。
「重三親分、――その女は、お狩場の四郎の娘に違えねえが、
平次の言葉は豫想外でした。
「何んだと、錢形の」
「まア、落着いて聽いてくれ。――
「――」
平次の隱やかな調子になだめられて、重三も暫く手を
「聽いてくれ、重三親分。そのお照といふ娘は、櫻屋に怨みを言ふ
「――」
「そればかりぢやねえ。あの
「――」
「その上、お美代の手箱から出て來た手紙を見ても判る通り、二人はまだきれてはゐない。お美代は蓮葉娘だが、谷五郎をひどく嫌つてゐたことは、親の六兵衞もよく知つて居る筈だ。それに、費ひ込みが十二三兩あるのを、そのまゝにして主人の娘を殺すのも少し氣が廻らなさ過ぎる」
「――」
平次の言葉は、一句々々、兼松にかかる疑ひを解いてやりましたが、一轉して、
「其處へ行くと、谷五郎なんか、お美代が殺される前の日、
其處まで來ると、部屋からパツと飛び出した者があります。
「御用ツ」
縁側で待機して居た八五郎は、
「逃すな、八」
と平次。
「何んの」
重なり合つて土間へ轉がり落ちましたが、その時はもう、八五郎の膝の下に曲者を組み敷いて居たのです。
「あ、谷五郎、お前が――」
主人の六兵衞は
「その野郎だよ、重三親分。――お美代に振り飛ばされて、櫻屋の
「親分、どうしませう」
八五郎は捕繩を口でさばいて居りました。
「十三丁目の親分に縛つて貰ふが宜い。手前や俺の出しや張る幕ぢやねえ」
平次が言ふ迄もありませんでした。十三丁目の重三は、あわててお照の繩を解くと、庭へ飛び降りてキリキリと谷五郎を縛り上げます。
重三が繩付の谷五郎を引いて行つた跡、
妙に突き詰めた心持で、皆んなは暫く默つて居りました。
「親分、その娘は?」
八五郎は、何にかしらきつかけを
「お照さんは何んにも知らなかつたんだ。此處へ入り込んで、宇太八と
「――」
平次は疊の上に兩手を突いて、顏を擧げられないほど泣き入るお照を見やり乍ら續けました。白い首筋、桃色の
「宇太八には責められたが、お照さんは仕返しのやうな事は何んにも出來なかつた。そのうちに半歳經つた。――もう
「――」
お照は涙にひたり乍ら、二つ三つうなづきました。
「お前は善人だ。父親の死際の怨みを引繼いだ心算でも、惡いことは出來なかつた。――意見をするわけぢやないが、お前の父親は惡事が重なつたばかりに、御上の御法の裁きを受けたのだ。人を怨む筋は一つもない。本來ならば、親の怨を返す代りに、親の罪を身に引受けて、その
「親分さん、私が惡う御座いました」
お照は袖を噛んで
「宇太八と一緒に房州の山の中へ歸るのが宜い。お狩場の四郎の娘と知れては、江戸では住みにくからう」
「ハイ」
「房州で暮しが立つて行くのか」
「――」
「可哀想に」
平次もつい、この貧しい純情な處女の、山の中に
ガラツ八は大きな
「親分、――私も我慢の角が折れました。この娘の先々の事は、及ばず乍ら、私が引受けて世話をしませう」
六兵衞は靜かに口を
「いや、それはお照さんの本意ではあるまい。――櫻屋の後は、其處に居る兼松に繼がせるが宜い。亡くなつた娘さんも喜ぶだらう。――お照さんは、私の女房に世話をさせよう、どうだ――」
靜かに振り返る平次の側に、お照はシクシクと赤ん坊のやうに泣いて居りました。
× × ×
八五郎を
家には、女房のお靜が待つて居るのです。