錢形平次はお上の御用で甲府へ行つて留守、女房のお靜は久し振りに本所の叔母さんを訪ねて、
「しいちやんのは鬼の留守に
平次と一緒になる前、一二年こゝの水茶屋で働いてゐたお靜は、兩國へ來ると――往來の人の顏にも兩側の店構へにも、いろ/\と古い記憶が
「まア」
その中にも、
もう一人小染といふのが同じ玉水一座にをります。もう二三年會つたこともありませんが、お靜とは年齡の
「おや?」
お靜は物に
輕業小屋の中は煮えくり返るやうな騷ぎで、一パイに入つたお客は、興奮しきつた顏をして木戸から外へ追ひ出されてをります。
「可哀想ぢやないか、あんな結構な太夫を殺して、――
「過ちで落ちるやうな太夫ぢやないよ、綱の上で晝寢をしたといふ小艶だ」
そんな群集の話を聽くと、お靜はハツと立ち
樂屋裏の方へそつと廻ると、こゝには表にも
「寄るな/\見世物ぢやねエ」
四ツ目の銅八の子分衆が、威猛高になつて彌次馬を叱り飛ばしてをります。曾ては平次と張り合つた御用聞――石原の利助が死んで、娘のお品が山の手に引越してからは、子分衆もすつかり四散して了ひ、この邊は四ツ目の銅八が乘出して、錢形平次などには、指も差させまいとしてゐるのでした。
お靜は人垣の後ろから背伸びをしてゐると、
「退け/\」
「あれが下手人だとさ」
「綺麗な顏をしてゐる癖に、まあ怖い」
「吹矢はお手のものだもの、口惜しさが高じてツイやつたんだよ」
勝手な囁きの中を、繩付はお靜の方に近づきました。
「あつ、お染ちやん」
一と目で、お靜は聲を立ててしまひました。豫期したことであつたにしても、舞臺化粧のまま、
小染はフト顏を擧げました。
「あ、お靜さん、――助けて、――お願ひ、――私ぢやない、――私は何んにも知らなかつたんだから」
救ひを求むる言葉が、
「えツ、默らないか」
繩尻がピシリと鳴りました。
その後から跟いて來た銅八の赭い顏は、疾風迅雷的に下手人を擧げた自分の手柄に陶醉しながら群集の中へ搜るやうに瞳を射かけます。繩付の小染が救ひを求めたのは、どこの誰だらうと言つた顏です。
お靜は幸ひ人混に隱れて、銅八の視線を避けました。が、平次が甲府から歸るのは何時のことやら判らず、お靜の手一つでは、小染を救ふ工夫も付きません。
哀れ深い繩付きの後ろ姿を見送つて、お靜の重い足は、兩國橋を渡つて、自分の家――平次の留守中近所の耳の遠い婆さんを頼んで留守番をさしてゐる家――へ急ぎました。その途中、向柳原の荒物屋の二階を借りて不精な男世帶を持つてゐるガラツ八の八五郎のことを思ひ出しました。
「八五郎さん、お願ひがあるのですが――」
店先へガラツ八を呼出して、お靜はかう切り出しました。
「留守見舞にも行かずに、姐御に歩かしちや濟んませんね」
ガラツ八の八五郎は、晝寢起きらしい
「姐御だけは止して下さいよ。お靜とか何とか、言ひやうがあるのに――」
幾つになつても、初々しさを失はないお靜は、姐御――と言はれると、ゾツと身を顫はせる
「ところで用事といふのはどんなことです」
八五郎は取散らした自分の二階へ案内するよりはと思つた樣子で、狹い店先に
「他でもないけれど――」
お靜は兩國でツイ今見て來たことを一と通り話して、
「――お染ちやんが可哀想だから何とかしてやつて下さい。あの人は正直で、素直でそりや心掛の良い人だから、人なんか殺せる筈はないし、それに、多勢の中にゐる私を見付けて、一生懸命でさう言ふんだから」
一生懸命に説き進むお靜を、ガラツ八は少し持て餘し氣味に押へました。
「よくわかりましたよ。何とかしてやりたいが、――石原の親分が達者なうちなら兎も角も、近頃では四ツ目の銅八が羽を伸ばして、錢形の親分を眼の敵にしてゐるから、親分の留守にうつかり本所あたりへ乘込むと、どんなことになるか解らない――」
ガラツ八は日頃にもない尻込みをするのです。
「そんなことを言はずに、何んとかしてやつて下さいよ、八五郎さん。お染ちやんが可哀想で、私は見てゐられない――」
「弱つたなア」
「いつも八五郎さんが、さう言つて引込み思案のうちの人を
「驚いたなア、どうも」
八五郎は妙なところで敵を討たれて、頬を撫でたり、額を叩いたり、
でも、お靜が歸ると直ぐ、八五郎並の武者振りを整へて、フラリと兩國へ出かけました。大きな彌造を二つ拵へて、肩で調子を取つて玉水一座の裏からヌツと入ると、これが四ツ目の銅八の手柄をデングリ返させる氣でやつて來たとは、誰の目にも見えません。
「おや? 八五郎兄哥」
そこに關を据ゑたのは、銅八の右の腕と言はれた、小梅の定吉でした。三十そこ/\、小意氣な男で、八五郎のノツソリとしたのとは、巧まざる面白い對照です。
「
ガラツ八は顎をしやくりました。
「皆んなゐるよ。ゐないのは下手人の小染だけさ」
「小染が下手人? へエ、――あの好い新造がネ」
「新造だつて年増だつて、人を殺さないとは限るまい。まア入つて線香の一つも上げて行つてくれ。岡惚れが一人でも來てくれると、死んだ小艶も喜ぶだらう」
「ぢや、ざつと拜んで行かうか」
ガラツ八はさり氣ない調子で入りました。
客は皆んな追ひ出して、木戸を締めきり、いづれ二日や三日は休んで、小屋を
綱から落ちて死んだ小艶の死骸は、舞臺裏の小さい仕度部屋に入れて、さゝやかな弔ひの營みは用意してをりますが、一座の者はすつかり、轉倒して了つて、殆んど寄り付く者もありません。
仕度部屋は案外明るく、外は暮れかけてをりますが、
線香にも及ばず、片手拜みに小道具物の屏風を押し退けると、薄い蒲團の上に、無殘、自分の樂屋着を掛けたまゝ美しい小艶は横たはつてをります。
「六間以上の高さから、眞つ逆樣に舞臺に落ちたんだ。ひとたまりもないよ」
定吉は後ろから覗きました。
「猿が木から落ちたやうなものだ」
「猿は木から落ちるかも知れないが、名人と言はれた小艶が綱から落ちる筈はないよ。こめかみへ吹矢でも射込まれなきや――」
定吉の指さしたのを見ると、小艶の右のこめかみに深々と吹矢の突つ立つた跡があつて、襟まで流れた血が、
「吹矢は?」
「繩付と一緒に番所へ持つて行つたよ。油で痛めた古竹の
「どこから吹き付けたんだ」
「舞臺裏さ、來て見るがいゝ」
ガラツ八は定吉とつれ立つて、直ぐ傍の舞臺へ行つて見ました。假り小屋の到つて粗末なものですが、骨組だけは嚴重で、舞臺の上から客席の天井を通つて、向う
「客の頭の上に落ちなかつたのが、まだしも仕合せさ」
定吉は頭の上を走る綱を見上げました。
小艶が落ちたあたり、舞臺の上には血がこぼれて、いろ/\の大道具、小道具が取散らしてあります。
天井からは幾つかの
「この一座には、どんな人間がゐるんだ」
ガラツ八は心安立てに、定吉に訊くのでした。
「殺された
「それから」
「下座は一人休んで、半助とお百といふ夫婦が忙がしく働いてゐる。綱渡りが始まると、女房の三味線に亭主の
ガラツ八を甘く見て、定吉は何んの隱すところもなく話してくれるのです。
「それつきりか」
「あとは木戸番だが、こいつは勘定に入れるまでもあるまいよ。客の中を泳いで、樂屋まで人殺しに來られるわけはないから」
「成程な」
「ところで、たつた一人でゐたのは、あの小部屋で休んでゐたといふ小染だ。そのくせ騷ぎのあつた時、道具裏の暗いところで、ウロウロしてゐたんだから變ぢやないか、本人は小部屋から出たところを誰かに頭から蒲團を冠せられて、しばらくは聲も立てられなかつたといふが、その蒲團が押入の中にチヤンと納まつてゐるからをかしからう」
「フーム」
「それから吹矢だ。――六間も上の綱を渡つて居る人間に道具裏から吹矢を飛ばして、こめかみへ一寸も射込むのは、小染の外にない、どうだ」
さう言はれるとまさに一言もありません。
「一應係り合ひの者に會つて見たいが――」
ガラツ八は諦め兼ねました。
「錢形の親分が後から來るのかい」
「いや、親分は甲府へ行つて、何時歸るか解らない。親分がゐちや、こんな出過ぎたことはさせないから、ちよいと後學のため四ツ目の親分の調べやうを見て置くのさ」
ガラツ八は一世一代の智慧を
「いゝとも、錢形の親分が夫婦連れで來たつて、他に下手人は擧がるわけはない。さア、かう來るがいゝ」
定吉に伴れられて、形ばかりの大部屋へ行くと、そこは百鬼夜行の有樣でした。
「お前は?」
ガラツ八はその中でも一番
「玉之助でございます」
竹乘りの名人で、小艶、小染と共にこの小屋にはなくて叶はぬ人氣者です。柄は大きくありませんがキリリと締つた鐵のやうな四肢と、よく發達した胸を持つ男で、成程これなら、一本の竹の上で千變万化の輕業を見せてくれるでせう。
「小艶は誰かに怨まれてゐたんだらう」
ガラツ八は先づこんな定石を布きました。
「皆んな怨んでゐましたよ。何しろ、藝がうまくて、女がよくて、こゝで一番古い人ですから、齒の立つ人間なんかありやしません」
玉之助は酢つぱさうな頭をしました。張つた顎、切れの長い眼、何んとなく
小艶の増長と我儘は、ガラツ八も散々聽かされてをりますが、女が美しくて藝がよかつただけに、太夫元も見て見ぬ振りをし、一座にも、正面は
「小艶と仲のよかつたのは?」
「女同士で、矢張り小染ちやんが馬が合ふやうでしたよ。
何にかしら、
「この一座で、小染の外に吹矢のいけるのはないのか」
「皆んな眞似事で少しはやりますが、六間も上にゐる人間のこめかみを射る名人はありません」
さう言はれると、小染以外の者を疑ふだけが馬鹿のやうです。
「お前はその時どこにゐたんだ」
「裏口で親方(權次郎)と給金の掛合ひ最中でした。少し不義理な借りを
竹乘りの玉之助はそんなことまでツケツケ言ふのです。
道化役の玉吉は、二十七八の若い男。
「お前は舞臺にゐたんだね」
と八五郎、
「へエ、玉六さんに口上を言はせて、衝立に
「それから」
「飛び付いて介抱しましたが、こめかみを吹矢で射られた上、六間も高い所から落ちたんですから助かりつこはありません」
こんなことで一向要領を得ません。
口上言ひの玉六は、一寸法師といふほどではありませんが、ひどく小柄な男で福助
「私はこんな生れ損ひですから、小艶さんには隨分からかはれました。でも、小艶さんが死んで了つちや、この興行も立ち行かなくなるでせうから、今ぢや途方に暮れてゐますよ」
尤も至極なことを言ひます。これは柄は小さくとも、四十の坂を越してゐるかもわかりません。口上言ひの外物眞似が上手で、役者の
「お前も舞臺にゐたんだね」
「へエー、道化の玉吉さんが衝立へ這ひ上がる眞似なんかして、お客樣を笑はせたり、衝立の蔭へ首を突つ込んで唄を歌つてゐる間、私は傍で時々口上を言つてをりました。そこへドシーンと來たんです」
「小艶も小染も獨り者だね」
「へエー」
「男はなかつたのか」
「小艶さんは
こんなことではなんにもなりません。
「綱渡りが始まると囃子の方は二人で手一杯ですよ」
さう言ふだけのことです。
最後にガラツ八は、太夫元の權次郎に當つて見ましたが、これは竹乘りの玉之助の不在證明を裏書するだけのことで、
「困つてしまひましたよ、小艶は一座中から憎まれてゐましたが、それだけ藝達者でした。小艶に死なれた上、近頃人氣の出て來た小染が縛られりや、當分小屋を休むより外はありません。何とか親分のお力で、小染だけでも助けて下さい。恩に
そんなことを言ふのです。少しくらゐは金を出しても、小染の繩を解かせろといふ謎でせう。ガラツ八は素知らぬ顏をして、木戸番や、彌次馬や、近所の衆の噂をかき集めました。
それを
それに
騷ぎのあつた時、――
すると小艶へ吹矢を飛ばせるのは、矢張り小染の外にはないことになります。
ガラツ八はがつかりして了ひました。
「誰だい、その野郎は?」
八五郎が小屋の者を調べてゐる最中、ノソリと入つて來たのは、四ツ目の銅八でした。四方は薄暗くなつたと言つても、八五郎の顏と調子が判らない程ではなかつたでせうが、自分の仕事に足を踏込まれると、かう言はずには居られない戰鬪意識の
本所の四ツ目に住んで、四ツ目の銅八と言はれるに不思議はありませんが、自分だけは、他人の二倍物を見えるから、四ツ目の銅八と言はれてゐる
「錢形の親分ところの、八五郎兄哥ですよ」
小梅の定吉はとりなし顏で言ひました。
「何? ガラツ八兄哥か、そいつは氣の毒だ。三輪の萬七兄哥とは違ふから、俺の仕事のあとをせゝつたところで手柄になるめえ」
「そんなわけぢやありませんよ、四ツ目の親分」
八五郎はあわてて辯解しました。
「當りめえだ、そんなわけでたまるものか。お互にお上から十手捕繩を預かる身體だ。鼻の明かし合ひや、手柄の奪ひ合ひをされてたまるものか」
「――」
銅八の調子は次第に猛烈になるばかりです。
「そんなしみつ
「錢形の親分は甲府へ行つて留守ですよ、だからあつしが――」
「だからあつしてエ面かい。出直しやがれ、間拔けめ」
「――」
ガラツ八は指を
その晩、平次の留守宅へ行つて、お靜に一部始終を話したガラツ八は、あまりの口惜しさに、ボロボロと涙をこぼしてをりました。
「いくら四ツ目の親分だつて、人を
「まア、氣の毒な」
人の好いガラツ八がボロボロと泣くのを見ると、お靜はどうしていゝか解らなかつたのです。
「この仕返しには小染が下手人でないと解けばいゝんだが――」
「で、どうなつたの八五郎さん」
「困つたことに、誰が見たつて、小染の外に下手人はありませんよ。六間以上ある綱の上――大搖れに搖れる小艶のこめかみに、下から吹矢を射るやうな名人は、江戸中に二人とあるわけはない――」
ガラツ八は高々と腕を
それから三日、必死の探索も何んの役にも立たず、小染は口書き拇印を取られて、いよ/\送られるばかりになりました。
平次はまだ歸つて來ません。
「面白いことを聽き込みましたよ」
ガラツ八が踊るやうに飛び込んで來たのは四日目でした。
「どうしたの、八五郎さん」
「こんなことを聽いたんです。小染といふ女は吹矢の名人だが、矢を吹くとき一つ變な癖があつた。それは、矢の羽根――
「え、え、お染ちやんにはそんな癖がありましたよ」
「さうすると袋羽が平になつて、よく飛ぶらしいと言ふんで、――ところが、小染は濃い口紅を附けてゐたから、喰ひ千切つた時、美濃紙の羽根へチヨツピリ紅が附く」
「え、それがお染ちやんの愛嬌だつたんです」
お靜もよくそんなことを知つてゐました。
「ところが、小艶のこめかみに突つ立つた吹矢の羽根は、
「まア」
お靜の顏も
「あの吹矢は小染が飛ばしたんぢやないと言つて見たが、――駄目でしたよ。小染だつて人一人殺す時だから、あわててもゐるだらう。羽根を喰ひ切らなくたつて、そんな事は證據になるものか――と銅八親分は以ての外の劍幕だ」
「まア」
お靜は慰めやうもありません。
錢形平次が旅から歸つて來たのは、それから、三日經つてからでした。
お靜とガラツ八が、交る/″\報告する輕業小屋の不思議な殺しの顛末、平次は默つて聽いてをりましたが、
「馬鹿野郎、何といふヘマばかりするんだ」
少し苦々しく舌打をします。
「親分、何うしたものでせう。このまゝ引込んぢや、私は構はないが、親分の顏にもかゝはります」
八五郎は膝つ小僧を揃へて、ピヨイとお辭儀をしました。この上もなくしをらしい恰好です。
「ね、なんとかして上げて下さい。私が八五郎さんに頼んだから始まつたことですから」
お靜も少し泣き出しさうでした。
「八の仕出かしたことを、俺が始末してやつちや、銅八兄哥に濟まねえ。こいつは矢張り八がもうひと働きした方がよからう」
平次はそんなことを考へてゐるのでした。
「親分、あつしでできることなら、今まで胸をさすつて待つちやゐません。三日も前に本當の下手人を擧げて、銅八の汚いガン首を貰ひに行つたんだが」
「馬鹿だなア」
「どうにもあつしぢや見當が付きません。小染が下手人でないといふことは解つてゐるんだが」
「どうして小染が下手人でないと解つたんだ」
「小染が下手人なら、吹矢なんかは使ひはしません。それに、羽根に紅が――」
「よし/\、そこまで判つてゐれば、あとはほんのちよいとだつたんだ。これから直ぐ小屋へ行つて
「へエー」
「それから、あの舞臺には後見人がゐるかゐないか、――
「へエー」
「もう一つ、舞臺か舞臺裏から天井の綱へ登る
「それは判ります。舞臺の上手に繩梯子があつて、太夫はそれを
「客から見えるのか」
「小艶が派手な樣子をして登るところも一つの見物で――」
「フーム、そいつは困つたな。まア、もう一度念入りに調べて見るんだな。道具裏に何か手掛りか足掛りがあるだらう」
「それぢや親分」
「念入りに調べるんだぜ。俺はその間にひと風呂入つて、ひと寢入りしてゐる」
平次の智慧を借りると、ガラツ八は魂を吹き込まれたやうに飛出しました。
「大丈夫でせうか」
お靜は旅疲れを慰める氣の手料理をしながら、心配さうな顏をお勝手から出しました。
「俺にはからくりが解るやうな氣がする。八五郎が二三度歩くうちに何とかなるだらうよ」
平次は手拭を下げて、ブラリと風呂へ出かけました。
その晩意氣込んで歸つたガラツ八は、
「まア一杯附き合ひながら話すがいゝ」
平次の差した盃を下に置いたまゝ、辯じます。
「親分、吹矢は小艶のこめかみへ眞直ぐに立つてゐたさうですよ。六間も上の綱の上にゐる人間のこめかみへ、下から吹きつけた吹矢が、眞つ直ぐに立つ筈はないでせう」
「その通りさ、俺はそれを知りたかつたんだよ。それから
「黒衣は
「その黒衣を見たのか」
「いゝえ」
「それだから無駄な骨を折るんだ。明日でいゝから、もう一度行つて見て來るがいゝ。二年も着たことのない黒衣なら、さぞ
「矢張り舞臺の隅に、見物から見えるのが一つあるだけですよ」
「そんな筈はない」
「尤も道具裏にも繩は幾本も下がつてゐますが」
「その繩を手繰つて上へ登れる筈だ。これも明日よく見て來るがいゝ。一座の者は皆んな身體がきくんだぜ。繩が一本ありや、五間や六間は苦もなく登る」
「成程ね」
「まア、そんなことでよからう。明日もう一度行つて、衣裳戸棚を
「へエー」
ガラツ八にも、何にか次第に事件の眞相が判るやうな氣がしたのです。
翌る日、ガラツ八の報告は、平次の考へたことと、ピタリピタリと合つて行きました。
第一番に、二年も使はないといふ黒衣が、埃を冠つてをりますが、疊み目も崩れて衣裳棚へ
道化の
「それでいゝ、――染ちやんは助かつたよ、お靜」
平次は勝手へ聲を掛けました。
「まア」
お靜は前掛で
「八、今度はむづかしいぞ。玉之助や玉吉では手に了へまい。お前の工夫で、一寸法師の玉六をおびき出すんだ。あの男は思ひの外
平次とガラツ八は手分けをして出かけました。が、約束の夕刻、平次は小染の口からいろ/\のことを訊き出して歸つたのに、ガラツ八は氣拔けのしたやうに引揚げて來たのです。
「親分、玉六は昨夜からゐませんよ。どこかへ
「いや、そんな筈はない。玉六は下手人ぢやない、――それにあの身體ぢや高飛びしたつて、三日經たないうちに捕まる」
「變ですね」
「こいつは、飛んだことになつたかも知れないよ、八」
「へエー」
平次の豫感は當りました。その翌る朝、一寸法師の玉六の
「やつたな」
「親分」
「かうなれば
「どこへ行くんで」
「小艶と玉六を殺した下手人を擧げるんだ。銅八兄哥への氣兼ねなんかしちやゐられない」
二人は兩國へ飛びました。
「御用ツ」
飛び込んで平次が組み伏せたのは、竹乘りの玉之助でした。
「何をツ」
非凡の怪力でハネ返して、逃げ出さうとするのを、
「野郎ツ」
と八五郎が
「八、任せたぞ」
さう言つて平次は、奧へ飛込んで、逃げ道を搜してゐる道化の玉吉を
「神妙にせい」
「親分、
二人の惡者を送つた歸り、ガラツ八は例によつて繪解きをせがみます。
「道化の玉吉だよ」
「衝立の蔭へ首を突つ込んで唄を歌つたのは?」
「玉吉と玉六さ」
「へエ――」
ガラツ八にはまだ解りません。
「三人で相談してやつたのさ。竹乘りの玉之助は小染に蒲團を冠せてグルグル帶で縛つたまゝ、道具裏に突つ轉がし、時分を
「歌つたのは?」
「一寸法師の玉六だよ、あの一寸法師は物眞似
「へエ――すると、玉六は?」
「お前がおびき出して口を割りさうだと見たから、多分力の強い玉之助が誘ひ出して大川へ沈めたんだらう。お
「へエ、あつしは貰ひに行く
「そんな心掛だから何時まで經つても腕が上がらないんだ。銅八親分はもう散々耻を掻いてゐる。この上嫌がらせをしちやならない。人の心持を察してやるやうになれば、人の心を見拔くことも覺えるのさ」
「へエ――」
ガラツ八は正に一言もありません。
「それより、小染が歸つたら、お靜が逢ひたがつてゐるから、お前が行つてつれて來てくれ。あの娘は心掛がいゝから、堅氣にして
平次はガラツ八を