錢形平次捕物控

彌惣の死

野村胡堂





「親分、何んかかう胸のすくやうなことはありませんかね」
 ガラツ八の八五郎は薄寒さうに彌造やざうを構へたまゝ、膝小僧で錢形平次の家の木戸を押し開けて、狭い庭先へノソリと立つたのでした。
「胸のすく禁呪まじなひなんか知らないよ。尤も腹の減ることならうんと知つてるぜ。幸ひお天氣が良いから疊を干さうと思つてゐるんだ。氣取つてなんかゐずに、尻でも端折つて手傳つて行くがいゝ」
「そいつはあやまりますよ、親分」
「馬鹿野郎、ほうきへお辭儀なんかしたつて、大掃除おほさうぢの義理にはならないよ。疊をあげるのが嫌なら、その手桶へ水でも汲んで來て、雜巾掛の方を手傳ひな」
「疊をあげるより、犯人ほしを擧げる口がありませんか、親分」
「仕樣のねえ野郎だ。そんなに御用大事に思ふなら、俺の代理に鍛冶町の紅屋べにやへ行つてくれ。――俺は怪我や變死に一々立會ふのが嫌だから、鎌倉河岸の佐吉親分に任せてあるんだ――」
「鍛冶町の紅屋に何があつたんです? 親分」
「紅屋の居候のやうな支配人のやうな彌惣やそうといふ男が、昨夜土藏の中で變死したさうだよ。檢屍は今日の巳刻よつ(十時)今から行つたら間に合はないことはあるまい」
「それぢや親分、大掃除よりそつちの方を手傳ひますよ」
 八五郎は言ひ捨てて飛び出しました。
        ×      ×      ×
 紅屋――と言つても、手廣く唐物袋物をあきなつた店で、柳營の御用まで勤め、昔は武鑑の隅つこにも載つた家柄ですが、先代の藤兵衞は半歳前にくなり、跡取の藤吉といふ二十三になるのが、番頭の彦太郎や、自分では支配人と觸れ込んでゐる居候上がりの彌惣を後見に、どうやらかうやら商賣を續けてゐるのでした。
 その支配人の彌惣が、今朝小僧の定吉が土藏を開けて見ると、思ひも寄らぬ長持の奧――、かつてそんな物があるとも知らなかつた石の唐櫃からびつの蓋に首を挾まれて、蟲のやうに死んでゐたのです。
 ガラツ八の八五郎が行つた時は、一と足違ひに檢屍が濟んで、役人はもう歸つた後。鎌倉河岸の佐吉も歸り仕度をしてゐるところでした。
「お、八五郎兄哥あにいか、少し遲れたが、どうせ大したことぢやないから――。無駄足になつたな、錢形の親分は?」
「大掃除で眞つ黒になつてゐますよ」
「それでよかつたよ。彌惣の死んだのは間違ひに決つたし、唐櫃の中の八千兩の小判を拜んだだけが役得見たいなものさ。――尤もこちとらのやうな貧乏人には眼の毒かも知れないが――」
 氣の良い佐吉は、さう言つて笑ふのです。
「八千兩ですつて?」
 ガラツ八はさすがにきもを潰しました。十六文の蕎麥そばを毎晩二つづつ喰へる身分になりたいと思ひ込んでゐる八五郎に取つては、八千兩といふのは全く夢のやうな大金です。
「そいつを取出さうと、石の唐櫃の中へ首を入れたところを、突つかひ棒がはづれたから何十貫といふ蓋が落ちたのさ」
「へエ――」
 さう聽いただけでも、何にかガラツ八には容易ならぬものの臭ひがするのでした。
「不斷やつとうの心得があるとか、柔術やはらがいけるとか、腕自慢ばかりしてゐた彌惣だが、石の唐櫃に首を挾まれちや一とたまりもないね」
「そいつは後學のために、現場を見たいものですね、佐吉親分」
 ガラツ八は押して頼みました。
「成程、さう言はれると面倒臭がつてゐちや濟まねえ。幸ひ現場はそのまゝにしてあるから、先づ死骸から見て行くがいゝ」
 鎌倉河岸の佐吉はガラツ八を案内して、もう一度紅屋の奧へ引返しました。
 店から住居を拔けると、裏は二た戸前の土藏と物置があつて、その間に彌惣父子の住んでゐる小さい家があります。
「どうして紅屋の先代が、あんな男を店へ入れたか、――死んだ者の惡口をいふわけぢやねえが、彌惣といふのは一と癖も二た癖もある男だつたよ」
 五十男の佐吉は、平次には幾度も/\助けられてゐるので競爭意識を離れて、ガラツ八にかう話して聽かせるのでした。
 彌惣の家は小體こていながら裕福さうで、紅屋の支配人と言つても恥かしくないものでしたが、檢屍が濟んで土藏から死骸を移したばかりなので、上を下への混雜です。
「氣の毒だが、錢形の親分ところの八五郎兄哥が一寸拜んで行きたいと言ふから――」
 佐吉が辯解しながら入ると、
「どうぞ、よく御覽下さいまし。私はどうも、親父が怪我やあやまちで死んだとは思へませんが――」
 さう言つて案内してくれたのは、死んだ彌惣の伜で、二十五になるといふ彌三郎でした。もとはどんな暮しをしたか判りませんが、商人には向きさうもない肌合ひの男で、少し取りのぼせてはゐながらも、言ふことはひどくキビキビしてをります。
「あ」
 膝行ゐざり寄つて線香をあげて、死骸をおほつたきれを取りのけて、物馴れたガラツ八も思はず聲を立てました。
「ね、親分さん、あんまりむごたらしいぢやありませんか。万一あれが過ちでなかつたら、佛は浮かばれません」
 彌三郎は側から血走る眼で見上げます。
 死骸は全く二た目と見られない無慙むざんなものでした。石の唐櫃へ双手もろてを入れたところを、上から數十貫の蓋に落ちられたのでせう。首から肩へかけて泥のやうに碎けてゐるのです。
「氣の毒なことだつたな。――ところで、ほんの少し訊きたいことがあるが」
 ガラツ八は平次仕込みにきり出しました。
「へ、どんなことでも訊いて下さい。親分さん。――私の口から言ふと變ですが、親父は石の唐櫃の蓋に挾まれて死ぬなんて、そんな間拔な人間ぢやありません」
やつとうの心得があつたといふぢやないか」
 と八五郎。
「自分では目録だと言つてゐましたが、少しは法蝶ほらがあつたにしても劍術は自慢でしたよ」
 彌三郎はそんなことを言ふのも少し得意さうでした。
「紅屋とは、どんな引つ掛りがあつたんだ。三年ほど前にこの家へ入つたといふ話だが」
 ガラツ八は問ひ進みます。
「先代の旦那が若い時、小夜さよの中山で山賊の手に陷ちて難儀してゐるところを、私の親父に助けられたとかいふ話で、大層恩に着てゐましたよ。今から三年前、久し振りで江戸へ來て、この店へ訪ねて來ると、恩返しをしたいから、親子二人共是非足を留めるやうにと、たつてのお言葉で、到頭お店の支配をする約束で、こゝに住むことになりました」
「土藏の石の唐櫃からびつに、八千兩の金のあることを、お前は知らなかつたのか」
 八五郎の問ひは方向を變へました。
「少しも知りません」
「父親は?」
「そりや、店の支配を頼まれたくらゐですから、知つてゐたでせう」
「昨夜家を拔け出して、土藏へ入つたことをお前は知つてゐた筈だと思ふが」
「氣がつきませんでしたよ。部屋が離れてゐる上、私は大寢坊で」
 さう言はれると、それつきりのことです。


 問題の土藏は小さい方の雜用藏で、そこには穀物こくもつや荒荷や、粗末な道具類しか入つてをらず、こんな場所に八千兩の大金が隱されてゐやうとは、全く思ひも寄らぬことでした。
 しかも山のやうに積んだ雜物の奧、むしろやら、空箱やらを取除けた跡に、漆喰しつくひで堅め、角材を組んでその上に幅二尺、長さ四尺、高さ三尺ほどの御影石みかげいしの唐櫃――三寸ほどの短い足の付いたのを、社の御手洗鉢みたらしのやうに据ゑてあるのですが、百貫近からうと思ふ同じ御影石の蓋は、後の方にはね除けたまゝ、縁に附いた血潮までもそのまゝにしてあつたのです。
 覗くと中は幾千枚とも知れぬバラの小判、――その上に二つの千兩箱を載せて、土藏の薄暗い中にも、入口から射す光線を受けて、眞新しい山吹色やまぶきいろに光ります。
 何んとはなしに寒氣がするやうな情景の中に、八五郎は精一杯の注意と、柄相應の威嚴とで調べを始めました。
「親分さん、御苦勞樣で――」
 若主人の藤吉は役所から歸つたばかりの顏を出します。二十三といふにしては、ひどく若々しいのは、大だなの懷ろ子に育つて、世間の風にもあまり當らなかつたせゐでせう。彌三郎のやうな苦味走つた好い男ではありませんが、おつとりして何んとなく好感を持たせる男です。
「こんなところに八千兩の大金を隱してあつたのは、誰と誰が知つてゐなすつた」
 ガラツ八は始めました。
「亡くなつた父親と、私と、それから番頭の彦太郎だけでございます」
「番頭の彦太郎?」
「私でございます」
 四十二三の月代さかやきの少し光る男が、若主人藤吉の後ろから臆病らしく小膝を屈めました。小男で、お店者らしい青白さで、どこかへ置き忘れられたやうな男ですが、商賣の道には賢い樣子です。
「死んだ彌惣は知らなかつたのか」
 ガラツ八は突つ込みました。
「知る筈はございません。彌惣は昨今の者ですから」
 若主人の藤吉はきつぱりと言ひきります。
「いえ、若旦那のお言葉ですが――親父は紅屋の支配人ですから知つてゐたに違ひないと思ひます。その證據には――」
「その證據には?」
 八五郎は問ひ返しました。
「こゝへ來て唐櫃を開けたくらゐですから、知つてゐたに違ひありません」
 さう言へば何んの變哲もありません。
「知つてゐて、やましいことがないのなら、夜更けにそつと入る筈はないと思ふが――」
「――」
 八五郎の疑ひはその上へ行きました。
「八千兩の隱し場所を、人に知られたくなかつたんでせう」
 彌三郎はこともなげに説き破ります。
「提灯があるやうだな」
 側の空箱の上に置いた小田原提灯を、八五郎は取上げました。提灯は疊んで半分ほども使つた蝋燭らふそくをむき出しにしてありますが、昨夜使つたものらしく、まだ蝋の煮える匂ひが殘つてゐさうです。
「これは誰が持つて來たんだ」
「大方、昨夜彌惣が持ち込んだものでせう。店のしるしが入つてをりますから」
 と藤吉。
「今朝死骸を見付けた小僧さんを呼んで貰ひたいが――」
「へエ――」
 番頭の彦太郎が店の方へ行くと、間もなく十三くらゐの利發さうな小僧をつれて來ました。
「私でございますよ、親分」
「今朝の樣子をくはしく話してくれ。詳しいほど良い」
「へエ――、いつものやうにお店から甲府の出店へ送る商賣物の荷造をする心算つもりで、手頃の空箱を搜しにこゝへ入らうと思ひましたが、不思議なことに、店の奧の柱の釘に掛けてあるかぎが見えません」
「どんな鍵だ」
「鐵の大きな鍵ですよ。先の曲つた、太い柄の付いた」
「で、どうした」
「滅多にないことですが、仕方がないから若旦那に申上げて、神棚に載せてある、替へ鍵を拜借して開けました」
「その替へ鍵は滅多に使はないのだな」
「十年に一度使つたり五年に一度使つたり、滅多に持出しません」
 若主人の藤吉は答へました。
「近頃は?」
「七八年使はなかつたやうです。神棚からおろした時は、大變なほこりで、手が眞つ黒になつたくらゐですから」
「それから」
 八五郎は小僧の定吉をうながしました。
「替へ鍵で開けて入ると、平常使つてゐる鍵は、藏の中にはふり出してあつて、中の樣子が大分變つてるぢやありませんか。おや? と思ひながら奧へ入つて行くと、空箱やむしろを取除けた後に、見たこともない石の唐櫃からびつがあつて、そのふたに挾まれて――」
 小僧の定吉はゴクリと固唾を呑みます。
「その蓋に挾まれてゐるのが、すぐ彌惣と判つたのか」
「え、朝つから見えないつて騷いでゐたんですもの。その着物も晝のまんまだし」
 定吉は賢くも、いろ/\のことに氣が付くのです。
 しかしたつたこれだけのことで、彌惣の死を過失でないとは決められません。彌惣は何にかの事情で八千兩の隱し場所を嗅ぎ出し、夜陰にそつと忍び込んで、天罰的な災難に遇つたといふことは、充分に考へられることだつたのです。それにしても唐櫃の蓋は、一人の力では開けられさうもないほど重いのが、ガラツ八にも解ききれぬ一つの謎でした。


 鎌倉河岸の佐吉を先頭に、皆んな土藏の外へゾロゾロと出た時、
「親分さん、――變なものに氣が付きませんか」
 彌三郎は八五郎の耳に囁くのでした。
「何んだ」
「一寸來て見て下さい」
 もとの土藏の中へ引き返すと、彌三郎は後の方にハネのけた唐櫃の蓋の下から、ほんの少しばかりはみ出してゐる品物を指さしてゐるのです。
「何んだ?」
「何んだか解りません。引出して見ませう」
「よし」
 八五郎は手を掛けて引いて見ましたが、石の蓋があまり重かつたのと、はみ出してゐる品が、指が二本かゝるのが精一杯なので、力自慢でもこればかりはどうにもなりません。
「二人でやつたら、少しは動くかもわかりませんね」
「それぢや呼吸を揃へて動かして見よう。ひの、ふの、み――と」
 八五郎と彌三郎と二人の力を併せて、ほんの少しばかりひつの蓋を動かしたところを、八五郎は足を働かせて器用にその品物を蹴飛ばしました。
「出ましたよ」
「何んだ懷中煙草入ぢやないか――金唐革きんからかはの贅澤なものだな。煙管は銀ののべか、おや/\滅茶滅茶につぶされてゐる、これぢや煙も通るまいよ。――誰のだい、こいつは?」
「――」
 彌三郎は默り込んでしまひました。
「こいつは誰のだ、知つてるだらう」
「私からは申上げられません」
「何?」
 八五郎は一寸氣色ばみましたが、思ひ直した樣子で、そのまゝ外へ出るとその邊に胡散うさんな顏をして立つてゐる丁稚でつちを捕へて、わけもなく聞き出しました。懷中煙草入は若主人藤吉の自慢の品だつたのです。ガラツ八の八五郎は、これだけの收獲に滿足して、兎も角も親分の錢形平次のところに引揚げました。これ以上の調べは、どうも自分の力に及びさうもないことを、ガラツ八はこと/″\く承知してゐたのです。
「お前にしちや上できだよ」
 錢形平次は八五郎の報告を聽きながら、すつかり考へ込みました。
「これがどんなことになるでせう、親分。彌惣は矢張り過失あやまちで死んだのでせうか、それにしちや櫃の蓋が重過ぎると思ふんですが――」
 八五郎は覺束なくも爪を噛みます。
「解つてゐるぢやないか、彌惣は間違ひもなく人に殺されたのさ」
「へエツ」
 八五郎は仰天しました。自分が掻き集めて來た材料で、親分の平次は一體何を見拔いたのでせう。
「煙草入が落ちてゐたり、提灯が消えてゐたり、死んだ彌惣の細工でないことは解りきつてゐるぢやないか」
「?」
「先づ提灯のことを考へるがいゝ。彌惣が持込んだ提灯で外に誰も人がゐなかつたら、蝋燭らふそくは翌る日の朝まで灯いてゐるか、でなきや燃え盡してゐる筈だ」
「なーる」
「土藏の中で蝋燭はひとりで消える筈はないよ。半分も燃え殘つてゐるのは、誰か消した證據だ」
「へツ」
「彌惣がまさか提灯の蝋燭を吹き消して、それから石の唐櫃に首を突つ込んで死ぬ筈はあるまい」
「すると?」
「もう一人、人間がゐた筈だ。――彌惣の相棒かも知れない。彌惣が唐櫃の蓋に首をはさまれたのを見定めて、逃げ際に灯だけは消して行つたんだらう。どんなにあわててゐても、火の用心のことだけは忘れない人間の仕業だ」
「?」
「唐櫃の蓋は一人ぢや開きさうもない。尤も仕掛を考へ出せば別だ」
「あの蓋は、一人の力ぢやどんなことをしても動きませんよ。下敷になつた懷中煙草入を引出すのでさへ二人がかりでやつとでしたよ」
「その煙草入も面白いな」
 平次は他のことを考へてゐる樣子です。
「彌惣と一緒に土藏の中へ入つたのは、煙草入の持主の若主人ぢやなかつたでせうか。彌惣と若主人は仲が惡かつたさうですよ」
「いや、そんな筈はあるまい。――若主人が彌惣と相棒になつて土藏の八千兩を夜更けに見に行く筈はない」
「彌惣におどかされて、無理に案内させられたといふやうなこともあるでせう」
 と八五郎。
「脅かされて行つたか、――成程そんなこともあるだらうな。でも、昨夜のは若主人ぢやないよ」
「どういふわけです、親分?」
「夜更けに、他所よそ行の懷中煙草入を持つて、土藏へ入る人間はないよ」
 と平次。
「成程ね」
「だが、そんな重い石の蓋の下にあつたのはをかしいな。――今朝小僧が死骸を見付けたのは何刻だ」
「早かつたさうですよ。卯刻むつ(六時)少し過ぎ」
「自慢の懷中煙草入を持つてゐる時刻ぢやないな」
「すると、どんなことになるでせう、親分」
「こいつは思つたより奧行が深いよ。もう一度引返して、死んだ彌惣と伜の彌三郎の素性。それから身持。紅屋の先代と彌惣の掛り合ひ、若主人藤吉と彌三郎の仲が惡くないか。――そんなことをよく聽き込んで來るがいゝ。俺も少し聽き出して來ることがある」
 平次は仕度もそこ/\に出かけるのです。


 それから半日、夕景近くなつてから、錢形平次と八五郎のガラツ八は、紅屋の店先でハタと逢ひました。物蔭に八五郎を呼んだ平次は、
「どうだ八」
「みんな解りましたよ」
「どんなことが?」
 疊みかけて忙しさうに訊ねます。
「若主人の藤吉と、彌惣の伜の彌三郎が、番頭彦三郎の娘のおふでを張り合つて、若主人の方に札が落ちたことから――」
「そんなこともあるだらうな。それから」
「亡くなつた先代の藤兵衞は、彌惣をひどく嫌つてゐたが、何にかわけがあつて、追ひ出すことも出來なかつたさうですよ。――彌惣と來たら、酒亂で我儘で贅澤で手の付けやうがなかつた――」
「無理もない。あの男は兇状持きようじやうもちだつたんだ。八丁堀と數寄屋橋の間をお百度を踏んでようやく判つたよ。紅屋の主人を助けたといふのも、京上りの途中、小夜さよの中山で山賊に取卷かれたのを、彌惣が飛び出して救つたといふ武者修行の講釋見たいな話だから、最初から細工さいくだつたのかも知れないよ」
「そんなことまで親分は知つてゐたんですか」
 ガラツ八は驚きの中にも出し拔かれ氣味で、少しばかり不平さうでした。
「二人の調べが合ひさへすればそれでいゝのさ。それより明るいうちに、もう一度土藏の中を見せて貰はうか」
 平次はガラツ八一人をつれて、土藏の中に入り込みました。幸ひ秋の西陽が入口から深々と射し込んで、晝前に八五郎が來た時よりは反つていろ/\の細かいところまでよく見えます。
 現場は八五郎の報告通り、何んの變化もありませんが、平次は一生懸命土藏の中を探してゐるうち、たうとう長いのは一尺五寸ほどから短いのは五寸ほどまでの、頑丈な棒を五六本見付けました。多分土藏の修繕でもした時、木屑きくづまぎれて殘つたのでせう。握り太の棒や二寸角ほどのかなり頑丈な角材の切れ端ですが、その中で一番長い一尺五寸ほどの兩端がひどい力でさゝくれて、一方の端に近いところには、大きな傷が付いてゐる上、反對の端の方には三尺ほどの丈夫な眞田紐さなだひもが確かと結へてあつたのです。
「八、懷中煙草入はこの蓋の下にあつたと言つたな」
「へエ、――二人掛りで引つ張り出すのが精一杯でしたよ」
「そいつを一人ではめ込む工夫があるんだ。その煙草入を借りて來てくれ。それからついでに力のありさうな男を四人ばかりつれて來てくれ。なるべく店の者でない方がいゝ」
「へエ、――」
 八五郎は飛び出すと、間もなく潰れた煙草入と鎌倉河岸の佐吉とその子分を三人までつれて來ました。
「錢形の、何にか又嗅ぎ出したのかい」
 佐吉はさう言ひながらも、他意のない笑顏を見せるやうな肌合ひの男でした。
「變なことがあるんだ。ちよいと手を貸してくんな」
 平次もわだかまりのない調子です。
「いゝとも」
「懷中煙草入は、場所柄に不似合ひな品だと思はないか、佐吉親分は?」
「さう思ふよ。だから彌惣が殺されたと聞いても、仲が惡かつた若主人を縛る氣にならなかつた」
流石さすがに佐吉親分だね。――煙草入はかうして石の蓋の下に入れたんだ」
 平次は一尺五寸ほどの棒を、石の蓋のり窪めた段にかけると、有合せの木片を支點に、グイと押しました。石の蓋はわけもなく一端を擧げて、懷中煙草入はスルスルと入ります。
「あツ」
「この通りだ。煙草入は若主人を怨む者が、後で差し込んだのさ。その證據は皆んな揃つてゐる。それから、この蓋を唐櫃からびつの上へのせて貰ひたいが――」
 それは骨の折れる仕事でしたが、力自慢の大の男が六人で、どうやらかうやら石の蓋を唐櫃の上へ載せました。蓋は少しの隙間もなく、ピタリと唐櫃の上に納まつて、二人や三人では、一寸も透かせさうもありません。人間が首を突つ込むほど開けるためには、どうしても三四人の力をあはせなければならなかつたでせう。
「これを一人で開けるのが仕掛けだつたんだ」
 平次はひもの附いた棒を、唐櫃と蓋の間に造つた、少しばかりのり窪みに當ててグイと押しました。
「あツ」
 蓋はまさに三寸ほども口を開いたのです。素早く左手を働かせて、その隙間に短かい棒を挾んだ平次は、同じ作業を幾度か繰り返してゐるうちに、たうとう一番長い一尺五寸の棒を唐櫃と石の蓋の間の突つかひ棒にし、人間が上半身を入れて、樂々と千兩箱を取出せるほどの大きな口を開けさせてしまつたのです。
「こゝへ彌惣が首を入れた。彌惣ほどの者も唐櫃の中の小判に眼がくれて、突つかひ棒に附いてゐる眞田紐などには氣が付かなかつた」
 さう言ひながら平次は、手頃の空箱を一つ、唐櫃の蓋の間に挾み、
「腕づくでは、彌惣をどうすることもできなかつた下手人げしゆにんは、後ろからチヨイとこの紐を引いた」
 言葉と共につゝかひ棒の紐を引くと、
「あツ」
 ガラツ八も、佐吉も、佐吉の子分も思はず聲をあげました。突つかひ棒は苦もなく取れて、百貫近い石の蓋が落ちると、間に挾んだ木の小箱は、微塵みぢんくだかれてしまつたのです。
「それをやつたのは誰だ、錢形の」
 鎌倉河岸の佐吉は詰め寄ります。
「そこまでは考へなかつたよ。――下手人はこれから搜すんだが」
 平次は深々と腕を組みました。赤い夕陽が土藏の中へ長々と這つて、まだ拭き清めもせぬ血潮の跡を不氣味に照らします。


 それからガラツ八と佐吉は、下つ引を動員して調べ拔きましたが、彌惣を一番邪魔にしてゐさうな若主人の藤吉は、その晩持病の腹痛を起して、按摩あんまの喜の市と婆やのお淺が夜つぴて看病し、夜が明けて少し氣分がよくなつたところで小僧の定吉に藏の鍵を出してやつたり、彌惣の死骸を見せられてすつかり腹痛を忘れてしまつたり、完全無缺な現場不在證明アリバイを持つてゐることが判りました。
 こんな騷ぎがあつたと知つたら、石の蓋の下へ、骨を折つて懷中煙草入を差込む者もなかつたでせう。
 日頃彌惣にしひたげられ通しでゐた、通ひ番頭の彦太郎は、何時もの通り同じ町内の自分の家へ歸つて、娘を相手に一杯飮んで寢たつきりで、翌る朝まで眼も覺めなかつたと知れて、これも疑ひの圈外へ遠くれてしまひました。
「すると一體、誰が彌惣を殺したんだ」
 ガラツ八が不平らしく言ふのを、
「俺と一緒に來るがいゝ。毬栗いがぐりは嚴重によろつてゐても、剥きやうがあるものだ」
 平次は、その晩遲くなつてから、八五郎と一緒に鍛冶町の裏の、さゝやかな家の、番頭の彦太郎を訪ねたのです。
「どなた樣でせう?」
 灯を持つて、入口に迎へた娘お筆の、※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らふたけて美しいのを見ると、平次もさすがに二の足を踏みました。
「父さんは、ゐるかい」
「え」
「平次が來たと言つてくれ。――いや取次ぐまでもない、お前に少し訊きたいことがある」
「ハイ」
「この眞田紐さなだひもはお父さんの前掛の紐だつたさうだね」
「?」
 平次の出した眞田紐の不氣味な謎が分らなかつたものか、お筆は大きい眼を見張りました。細面の大きい眼の、やさしいくちもとの、夢みるやうな美しさです。若主人の藤吉と彌惣の子の彌三郎との間に、激しい爭ひのあつたのも無理のないことでした。
「父さん、今晩は飮んでるかい」
「いえ、ちつとも」
「昨夜も飮まなかつたらう」
「え、――どうしてそんなことを」
「毎晩一合づつ飮むのを樂しみにしてゐることは、角の酒屋で聽いたが、昨夜と今晩は酒もうまくはなかつた筈だ」
 お筆は何んと言つて取次いだものか、後ろの方を氣にしながら、途方にくれて入口に坐つてしまひました。
「彌惣は惡い奴だ。お上でも調べは付いてゐる、――紅屋へ入り込んで、主人や彦太郎をおどし、身上の半分くらゐは横奪りしようとしたが、番頭の彦太郎が忠義者で、どうしてもうまく行かなかつた。――そのうちに主人の藤兵衞が死んで若主人の藤吉が家督かとくを繼いだ。――藤兵衞の死んだのも、疑へば不思議なことばかりだつた。――が訴へて彌惣を取押へるほどの證據はなかつた」
 平次は上がりがまちに腰をおろして、煙草入などを拔きながらこんな話を續けるのです。
「若主人の代になると、彌惣の伜の彌三郎が、道樂を教へ込むのに骨を折つたが、若主人の藤吉はよくできた人間でどうしても惡い方に向かない。仕方がないから彌惣は、番頭の彦太郎を脅し――多分刄物くらゐは持出したことだらう。たうとう土藏へ案内させて、石の唐櫃まで開けさせた」
「まア、父さんが、そんなことを」
 お筆は顏色を變へて立ちかけるのを、平次は靜かに留めながら續けました。
「俺の言ふことが違つてゐるなら、お前の父さん、――紅屋の番頭彦太郎は、隣の部屋で默つて聽いてはゐない筈だ。――いゝか、何がどうあらうとも、人を殺して許されるわけはない。俺は踏込んで、父さんを縛つて行くのはわけもないが、それではお上にも慈悲のかけやうがない。言はゞ忠義のためにしたことだ。十手捕繩を預つてはゐるが、俺にはどうも彦太郎が縛れない。――いゝか俺は教へるわけぢやないが、岡つ引に縛られる前に、八丁堀の組屋敷へ驅け込んで、笹野新三郎樣御役宅に自首して出るがいゝ。自首をするとよく/\の罪でも御手加減がある。死罪が遠島、遠島が永牢ながらうで濟まないとは限らない」
「――」
「ましてお前の父さんは、お主の家を思つてしたことだし、相手は兇状持だ。精々遠島か所拂ひ、極く/\輕いおさばきで濟むかも知れない」
 平次はそれが教へたかつたのです。娘のお筆も前後の事情を察したものか、唯もう泣き濡れて、顏を擧げる氣力もありません。
「親分さん、有難う御座います」
 隣の部屋の彦太郎は泣き聲で續けました。
「確かにこの私、――彦太郎が下手人に違ひはありません。みす/\お主の仇と知りながら、訴へるほどの證據もなく、腕づくではかなひやうのない私が、八千兩の小判の隱し場所を教へなきや、娘をどうにかすると言はれては、他に工夫も手段も御座いませんでした。私は心を鬼にしました。――娘を寢かして、そつと拔け出し、彌惣と約束して丑刻やつ(二時)丁度に藏の前で落合つて、あんなことになつてしまつたので御座います。錢形の親分さん」
「どつこい、障子を開けちやならねエ。お前の顏を見ると俺は縛らずには歸られないことになる。――そのまゝ裏口から、八丁堀へ駈け付けるのだ。いゝか」
 平次は何も續けるのでした。
「――間違つても、俺の指圖だなんて言ふな。分つたか」
「親分さん、心殘りは、――この娘、お筆のことで御座います」
「心配するな。お筆は俺が引受けて、年内には紅屋に嫁入りさせてやる」
「有難い、親分さん。それぢや、お頼み申します」
「あれ、父さん、私も」
 お筆はあわてて父の跡を追ひましたが、その顫へる肩は裏口に待機してゐた八五郎に押へられて、父親の彦太郎だけが、後ろを見返り/\路地の外へ遠ざかつて行きます。
        ×      ×      ×
 その後のことは言ふまでもありません。死んだ禰惣は稀代きだいの惡黨と知れた上、彦太郎の主家を思ふ衷情が知れて、昔のお裁きの極端な融通性ゆうづうせいを發揮し、形ばかりの遠島で二年目には江戸に還れました。
 その間にお筆は、平次が親元になつて、紅屋に嫁入りし、煙草入細工をして、藤吉をおとしいれようとした彌惣の伜彌三郎は、他の惡事まで露見して、どこともなく逐電ちくでんしました。
 一件が落着してから、ガラツ八がいつもの調子で繪解きをせがむと、
「何んでもないよ。――提灯の蝋燭らうそくが燃え盡くさずに消してあつたと聽いた時から、俺は番頭が怪しいと思つたよ。そんな切羽詰つた時にも火の用心を忘れないのは、よく氣の付く女房か、賢い番頭に限ることさ。でも鍵を忘れたり、棒に附けた眞田紐さなだひもを解かずに、そのまゝ逃げ出したところは矢張り素人しろうとだね。彌惣におどかされて、よく/\思ひ詰めたんだらう」
 平次はかう言ふのでした。





底本:「錢形平次捕物全集第二十四卷 吹矢の紅」同光社
   1954(昭和29)年4月25日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1941(昭和16)年11月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年6月10日作成
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