錢形平次捕物控

佛敵

野村胡堂





 不動明王の木像が、その右手に持つた降魔かうま利劍りけんで、金貸叶屋かなうや重三郎を突き殺したといふ、江戸開府以來の大騷ぎがありました。
 八百八町には、その日のうちに呼び賣の瓦版かはらばんが飛んで、街々の髮結床や井戸端は、その噂で持ちきつた日の夕景、――錢形平次のところに相變らずガラツ八の八五郎が、この情報を持ち込んで來たのです。
「こいつは驚くでせう。誰が何んと言つたつて、運慶うんけいとか湛慶たんけいとかの作といはれるあらたかな不動明王樣が、金貸を殺したんですぜ――錢形の平次親分が夫婦連れで來たつて外に下手人があるわけはねエ――」
「待つてくれよ、八。俺は御存じの通り岡つ引だが、女房には十手捕繩を持たせた覺えはねエぜ。錢形平次が夫婦づれで――なんてえのは氣になるぜ」
 平次は白い額を擧げて苦笑しました。
「物のたとへですよ。ね、親分。さうでせう。叶屋の重三郎は谷中の鬼と言はれた人間だが、金がうんとあつて用心深いから、二た間續きの離屋はなれには、女房のお徳も寄せつけねエ。貸金の抵當に取つた不動樣とたつた二人、戸にも障子にも嚴重にさんをおろして、中でそつと殺されてゐたんですぜ。下手人が障子の隙間から煙のやうに入つたんでなきや、隣の部屋に置いてあつた、不動樣の仕業に違ひありませんよ」
 八五郎は一生懸命にまくし立てるのでした。事件の怪奇性を強調して、兎角出不精な親分の平次を動かさうと言ふのでせう。
「それほどよく分つてゐるなら、お前の手で不動樣を縛つて來るがいゝ。あわてて歸つて來て、どうしようてんだ」
 平次はせめてこんな事件でも、八五郎の手柄にさしてやりたいと思ふ樣子です。
「ところが、そんなわけには行きませんよ。叶屋重三郎が慾に目がくらんで、もつたいなくも不動明王の尊像を抵當に取つたから、佛罰が當つたに違げえねえといふので、不動堂の講中が、浪人くづれの大垣村右衞門を先頭に、叶屋に乘り込んで、お祭のやうな騷ぎですぜ。うつかり不動樣を縛るやうな顏でもしようものなら、請合うけあひ袋叩きにされる――」
 八五郎の仕方ばなしは次第に熱を帶びて、平次もツイ膝を乘出さずにはゐられなかつたのです。
「面白さうだな。もう少し順序を立てて、くはしく話してくれ。朝つから現場を掻き廻したんだから、少しは筋が通るだらう」
「筋が通り過ぎて困つてゐるんで」
「へエ?」
「叶屋重三郎は、谷中三崎町で、寺方と御家人を相手に因業いんごふな金貸しを始め、鬼とか蛇とか言はれながら、この十二三年の間に、何萬兩といふ身上をこさへたのは、親分も知つてゐなさる通りだ――」
「そんなことは端折つてもいゝよ」
「だん/\慾の皮が突つ張つて、谷中の不動堂の堂守、海念坊に三十兩の金を貸したのが、三年經たないうちに利に利が積つて百兩になつた。海念坊は不動堂を修覆しゆふくする時、講中の金の寄りが惡いので、ツイ高利と知りながら借りた金だが、大口の寄附の當てが外れて、今ではどうすることもできない」
「フーム」
「そのうち、不動堂の本尊が運慶とか湛慶たんけいとかの作で、望み手があれば千兩にもなると教へるものがあつて、叶屋重三郎は證文をたてに不動堂に押しかけ、海念坊が額を敷石に叩き、血の涙で頼むのも聽かず、たうとう本尊の不動明王を、自分の家へ持つて來てしまつた、――これが今から三日前」
「ひどいことをする野郎だな」
 平次も何んとなくカツと血の湧くのを感じました。
「不動堂の堂守の海念坊は講中へ申し譯が立たないと言つて、翌る朝堂の中で首をつて死んでしまひましたよ、可哀想に」
「身寄りはないのか」
「ありやしません。――たつた一人のをひの千代松が、叶屋に奉公してゐるだけ――」
「變な廻り合せぢやないか」
「千代松は一番先に怪しいと思はれたが、こいつは女の子のやうな優しい男で、人間などを殺せさうもない――その上昨夜ゆふべは不動堂で叔父のお通夜をしてゐた」
「それからどうした」
 平次はいよ/\本腰になりました。


 叶屋重三郎は不動樣を持込んで、廊下續きの離屋に寢た三日目の朝、いつもの早起に似ず、辰刻いつゝ(八時)過ぎになつても起きて來なかつたので、氣に入りの下女のお仲が二度も三度も廊下から呼んで見ましたが、何んの返事もないばかりでなく、障子は内からさんがおりて押せども引けども動きません。
 それから家中の騷ぎになつて、女房のお徳、娘のおひな、番頭の孫六、それにお仲が加はつて四人、障子を外から押破つて入りました。が、雨戸の隙間る朝の光の中に――。
 中はまさに血の海です。
 手前の八疊に床を敷いて寢てゐた主人の重三郎は、くびのあたりを一と突きにやられ、床から拔け出し加減に血潮の中に縡切こときれ、境の唐紙を開けた次の長四疊には、薄暗い中に据ゑられた不動明王の木像が、嚇怒かくどの面相物凄く、ヂツとそれを見下ろしてゐるのでした。
 驚いて死骸を抱き起したお徳とお雛。
 その間に番頭の孫六と下女のお仲は、雨戸と窓を開けました。孫六は雨戸を、お仲は二つの窓を――。後でガラツ八が訊いたことですが、雨戸はさんがおりてゐる上に心張棒が嚴重に締められ、窓――北向の二つの窓は、四疊の方は華奢ながら格子がある上に棧がおり、八疊の方の丸窓は、格子はありませんが、上下の棧がおりて掛金までかゝり、この上もなく念入りに締めてあつたといふことです。
 四人の聲を聽いて、店からも多勢の人が驅けつけました。何よりも人々を驚かしたのは、離屋の二つの部屋が嚴重に締められてゐるのに、叶屋重三郎は明かに人手に掛つて殺されてをり、隣室との境の唐紙は開けられて、不動明王の劍が、もつたいなくも碧血へきけつに染んでゐることだつたのです。
 木で彫つてはくを置いた不動樣の劍で人間一人突き殺せる筈もないのですが、箱のやうに密閉された部屋には、外に兇器といふものは一つもなく、人間の隱れる場所などもありません。第一、目ざといのが自慢の重三郎が、床の中に寢たまゝ喉笛をかき切られてゐるのも不思議です。
 時を移さず御用聞千駄木の菊松は飛んで來ました。が、この有樣では手の下しやうもなく、その間にガラツ八の八五郎が小耳に挾んで檢屍前に驅けつけましたが、これとても不動明王に睨みすくめられて、むなしく引揚げる始末です。
「成程そいつは變つてゐるが、ちよいと當つて見た具合でこいつは臭いな――と思つたことはないのか」
 平次はガラツ八の[#「ガラツ八の」は底本では「ガツラ八の」]長談義が終るのを待つて、かう訊ねました。
「臭い奴だらけですよ。臭くないのは娘のおひなと、下女のお仲と、飯炊めしたきのお三ぐらゐのもので――」
「その三人だけが若くて綺麗だらう」
「冗談でせう。お三なんと來た日にや、人七化三にんしちばけさんで」
「人三化七の間違ひぢやあるまいね」
「へツ、お三はまだ人間らしいところが多い方で――ニツと笑ふと飛んだ可愛らしいところもあるが、娘のお雛と來た日にや――」
「お雛はどうしたんだ」
「あれが本當の人三化七でさ――親の因果いんぐわが子に報ひ、といふ代物しろもの
「片輪かい」
「親は代々獵人なら、鳥娘か轆轤首ろくろくびだが、鬼の重三郎の娘だけに、こいつは島田に結つた赤鬼ですよ」
「そんなに見つともないのか」
「それから下女のお仲は大變ですぜ」
「それは青鬼かい」
「飛んでもない。山下にも湯島にも、岡場所なんかには、あんな玉はありませんぜ。ピカピカするやうな年増で」
「それほどの容貌きりやうが、何んだつて鬼の重三郎のところに奉公なんかしてゐるんだ」
「重三郎が金づくで手に入れて、別に圍ふつもりだつたが、恐ろしく固い女で、身を切り刻んでも父親の借りた金は返すから、唯の奉公人で使つてくれといふ望みで、本宅へ入つて下女代りに働いてゐたんださうですよ」
 ガラツ八はすつかりお仲贔屓びいきになつた樣子です。


「ところで怪しいのは誰と誰だ」
 平次はガラツ八を試驗するといふよりは、自分の燃え立つ興味に引摺られるやうに、かう水を向けました。
「先づ第一番に女房のお徳」
「フム」
「こいつは三十八九の火箸ひばしのやうに痩せた女だが、信心につてしまつて、主人の重三郎とはどうしても馬が合はねエ」
「何んの信心だ」
「恐しく調法にできた女で、流行はやりものなら何んでも信心する。一しきり笠守稻荷樣に凝つてゐたが、その次は巫女みこの口寄せに凝つて、圓山のお穴樣に凝つて、近頃は近所の不動堂に日參だ。あんなのはいわしの頭だつて、お玉杓子じやくしの尻尾だつて、流行りさへすれば有難くなる奴ですよ」
「主人は默つて見てゐるのか」
「默つてゐないから喧嘩になるんでせう。重三郎から見ると信心は物入りだから、何べんも止させようとしたが、どうしても聽かねエ。尤もお徳は家付きで、重三郎の方が入婿だから、ひどく叱ると、お前の方が出て行け――と亭主へ喰つてかゝるんださうですよ」
「それから」
「隣に住んでゐる浪人者の大垣村右衞門、こいつは五十を越した冬瓜とうがんのやうな男だが、不動堂の講中の世話人で不斷から叶屋重三郎を佛敵だと言ひふらしてゐる。あんなのはきつと佛樣の罰で非業ひごふの最期を途げるに違ひない。もしも佛樣が寛大で何時までも放つて置くなら、他ならぬこの大垣村右衞門が成敗してやる――つて言つてゐたんださうで」
「少し物騷だな」
「三番目は番頭の孫六、これも五十近いくせに、道樂がひどいから借金だらけ、帳面だつてどう誤魔化ごまかしてゐるかわかつたものぢやありません」
「それつきりか」
「まだありますよ、――手代の千代松、――こいつは一番怪しい。不動堂の堂守――二日前に首をくゝつて死んだ海念坊のをひで、主人重三郎は言はば叔父の敵だ」
「フーム」
「こいつが名乘つて、敵を討つたとしたら、どうなります? 親分、――叔父の敵はとりも直さず主人だ。敵討で褒められるか、主殺しで磔刑はりつけになるか。褒められたり、磔刑になつたりぢや、千代松だつて面喰ふ」
「とりも直さずと來たか、馬鹿だなア、――それから何うした」
「それつき[#「それつき」はママ]ですよ。不動樣を縛つたものか、千代松に褒美をやつたものか。それとも――」
 ガラツ八の話は相變らず調子が外れます。
「止さないか、馬鹿々々しい。兎に角恐ろしく變つた殺しだ。ちよつと覗いて見ようか」
「有難てえ、親分が乘出しや千人力だ。千駄木の菊松なんかに指圖がましい顏をされないだけでも助かる」
「指圖されたつて不足はあるめえ。菊松は顏の古い御用聞だ」
 錢形の平次も到頭御輿みこしをあげる氣になつたのも無理はありません。それほどこの佛敵殺しは變つてゐたのです。
 谷中三崎町へ着いたのは、もう薄暗くなつてからでした。町内附合ひもろくにない叶屋かなうやでは、通夜なども至つて淋しく、店中の者に親類が二三人、それにお徳とお雛が加はつて、何んかしら上の空の逮夜たいやが營まれてをります。
「人間が死んでも、これくらゐ人樣に何んとも思はれないのはキビキビしてゐるぢやありませんか。ね、親分」
 愁歎とは凡そ縁の遠い、空々しい空氣を見ると、ガラツ八は遠慮のない調子でやります。
「默つてゐろ」
 平次はそれをたしなめながら、遠慮してお勝手口へ顏を出しました。
「まあ」
 中腰になつて何にか仕事をしながら、あかり一杯に振り仰いだのは、ガラツ八が人七化三と言つた飯炊きのお三でせう。不安らしく見張つた大きい眼、霜燒けのした赤い頬、少し仰向いた低い鼻、綺麗でないことに論はありませんが、どこか明けつ放しで、正直さうで、憎めないところのある二十歳くらゐの娘です。
「親分さん方ぢやないの。お通しするものよ、お三さん」
 さう言つて後ろから覗いたのは、二十四五の年増、これはまた拔群の美しさで、したゝる魅力を汚な作りで殺したと言つた女――多分評判の下女お仲でせう。


 女房のお徳はガラツ八が言つた火箸ひばしのやうな細い冷たい身體に、燃え立つやうな狂信者の情熱を持つた四十近い女で、思ひ詰めたら隨分ひどいことでもやり兼ねない氣性らしく、夫重三郎の非業の死を、佛罰と思ひ込んだものか、さして悲しむ樣子もなく、二人を離屋に案内しました。
「この始末ですよ。親分。――貸した金の代りにもつたいない不動樣を取るなんて、そんな非道なことをしないやうにつて、あれほど言つたのに聽かなかつたものですから」
 さう言ひながらお徳は、さすがに線香をきながら、棺の中の――生きてゐるうちは、はなはだ仲のよくなかつた夫重三郎の死骸に意見でもするやうに、愚痴ぐちつぽくつぶやくのでした。
「お前さんは、矢つ張り不動樣の罰だと思ひ込んでゐるんだね」
 平次は靜かに問ひました。
「不斷が不斷ですから、さうでも思はなきや――」
 女房は白い眼で平次を見上げながら續けました。
「――あの人は信心といふものを大嫌ひで、念佛一つ、お題目一つ稱へたこともない人でした。その上、私の信心への當てつけもあつたでせうが、あらたかな佛樣まで抵當に取つて、無理にさらつて來るやうな人ですもの――」
「外に主人を殺すやうな者はないといふのかえ」
「いえ、主人は多勢の人にうらまれてをりました。世間並の殺されやうなら、私も下手人は他にあるかも知れないと思ひますが、中から締めきつた箱のやうな部屋の中で殺されてゐたんでは――」
 女房は世にも痛々しい表情をするのです。
「夜中にそつと忍んで來て、主人を殺した上、何にかうまい工夫で障子を締め、外からさんをおろして、そつと引揚げたかも知れないぢやないか」
 平次はそんなことを考へてゐたのです。
「障子の棧は外からおろす工夫はありませんよ。それに廊下の向うは私の部屋で、その前を通らなければ、こゝへ來る道はありません。私は自分でも困るほど目ざとい上、昨夜はかんたかぶつて曉方までまんじりともしなかつたんですもの」
 さう言へば、このヒステリツクな中年女の寢室の前を、如何なる忍術使ひも、無事に通れさうもないことは、平次にもよく呑込めます。
「すると?」
「やはり佛樣の罰ですよ。あの通り」
 女房は隣の部屋との境の唐紙を開けました。そこには不動尊像は昨晩のまゝ、前に臺を置き、供物くもつの山を積み、燈明をかけ並べて、主人の靈前などとは比較にもならぬほど賑やかに飾り立て、護摩ごまの煙が濛々と狹い部屋に立ちこめてゐるのです。
 朝からの講中の人達の騷ぎや女房の凝りやうなどが一と目で判るやうで、平次と八五郎は思はず顏を見合せたものです。
「お、寶劍の血はそのまゝにしてあるのかい」
 平次はさすがにギヨツとした樣子です。尊い佛像の劍に碧血へきけつ斑々はん/\たるのは、あまりにも冒涜的で、結構な心持にはなれません。
「こいつは又良い賣物になりますぜ親分、――不動樣が佛敵を刺し殺したとなると、賽錢さいせんがうんと――」
「止さないか、八」
 平次はその口を塞ぎました。
「でも、親分、ひどく血のついてゐるのは、劍の途中からで、尖端さきには少しもついてゐないのは變ぢやありませんか。死骸の咽喉の傷は、刄物で突いたんですぜ」
「それに氣がつきや確かだ。不動樣に罪をなすつた野郎は今頃はニヤニヤしてゐるかも知れないが。飛んだお笑ひぐさだ」
 女房がゐなくなると、平次はガラツ八の耳にかう囁くのでした。
「さうでせう、ね、親分。不動樣や觀音樣が人殺しをした日にや、うつかり信心詣りもできない」
「戸締りの樣子を聽きたい。番頭を呼んで來てくれ」
「へエ――」
 ガラツ八が飛んで行くと、間もなく少し月代さかやき光澤つやのよくなつた野狐のやうな感じのする男をつれて來ました。
「お前は番頭さんだね」
 と平次。
「へエ、孫六と申します」
「何年くらゐ奉公してゐるんだ」
「十二年になります」
「その前は」
「いろ/\のことをいたしました。へエ」
「かなり借金があるといふぢやないか」
「へエ」
「店の金をどれくらゐ費ひ込んでゐるんだ」
 平次の問ひは恐ろしく無遠慮で露骨でした。
「恐れ入ります」
 孫六は三つ四つ續けざまにお辭儀をしました。耻を知らない人間に特色的なこびを含んだ態度です。
「主人はその不始末を知つてゐたのか」
「薄々は御存じでしたよ。へエ」
 さう言ひながら、よく光る額を逆手で撫で上げるのでした。こんな商賣では腕のある冷酷な番頭は少々くらゐの不都合があつても掛け替へがなかつたのでせう。
「この離屋はなれは大層戸締りが良いやうだな」
 平次は質問の題目をグイと替へます。
「主人の自慢でございました。――こんな商賣をしてゐると、戸締りより外に頼るものはございません」
「戸締りは誰がするんだ」
「主人が自分でやりました。人にまかせるやうな主人ではございません。昨夜はお孃さんが雨戸と窓を閉めるのを確かに見屆けてゐなすつたさうです」
「フーム」
 平次は空耳に聽きながら、自分の手で戸を一枚々々つて見たり棧をおろしたり、心張りや掛金をかけて見たりしました。
 その中でも平次を驚かしたのは、廊下からの入口の障子二枚に、いち/\棧のあつたことです。
「こいつは大名屋敷の女部屋にあるといふ話は聽いたが、下々しも/″\でこんな仕掛を見たのは初めてだよ。この棧をおろして置くと、外からは障子を破りでもしなければ、先づ開ける工夫はあるまいな」
「するとやはり不動樣の仕業でせうか、親分」
 番頭の孫六はキナ臭い顏をするのでした。
「馬鹿なことを言へ」
「でも――」
「中から閉めきつた部屋へ、どうして下手人が入つたか不思議だといふんだらう」
「さうですよ」
「窓から入つたのさ、教へてやらう。――その丸窓だ」
「隙間からもぐつて入つたんで?」
 今度はガラツ八の方が仰天しました。
「風ぢやあるめえし、――主人の重三郎に開けさせて入つたのさ」
「誰ですその野郎は?」
 ガラツ八はキツとなりました。その邊にマゴマゴしてゐたら、いきなり十手を振り冠つて飛びかゝるつもりだつたでせう。
「主人が自分で丸窓を開けて下手人を入れたと判らなきア――番頭さん、お前さんが一番怪しかつたんだぜ」
「へエ――」
 孫六は額に浮いた冷汗をツルリと横撫よこなでにしました。


「窓の外に足跡くらゐは殘つてゐるかも知れない。明日の朝でも明るいところでよく見るがいい。――あの寢つきの惡さうな、ピリピリしてゐるお内儀さんの部屋の前を通つて、廊下の方から曲者くせものが來る氣遣ひはないから、窓から入る外に道はない。縁側の雨戸も、意地惡くガラガラ鳴るから、こゝも忍ぶ者には鬼門だ。――四疊の方の窓には細いけれども格子が打つてある。その格子をはづした樣子もないから、曲者が入つたとすれば丸窓の外にはない」
 平次は何んの躊躇ちゆうちよもなく曲者が入つた丸窓を指さすのです。強大な自信です。
「へエ――」
「その丸窓は宵に一度締めてゐる。娘が見てゐたさうだから間違ひはあるまい。――ところで番頭さん、今朝こゝを開けたのは誰だい」
「お仲でございます。私は雨戸の方を開けました」
「その時確かに閉つてゐたんだね」
さんしぶくて、暫らくガヂヤガチヤやつてゐたやうですから間違ひは御座いません。――何んでしたら、お仲を呼びませうか」
「いや。それにも及ぶまいよ。――それより、そこに立てゐるお孃さんに入つて貰はうか。番頭さんはもういゝ」
「へエ」
 ホツとした樣子で立去る番頭を見送つて、
「あの野郎ぢやありませんか、親分」
 ガラツ八は囁くのでした。
「いや違ふ。番頭はよくない人間だが、その性根を主人はよく見定めてゐる。夜中にそつと呼入れる筈はない。――ね、お孃さん」
「――」
 立聽きしたのを指摘されて、如何にも間が惡さうに、娘のお雛が入つて來ました。
 十八の娘盛りを、これはまた氣の毒なみにくさです。ガラツ八が人三化七と言つたのもまんざら形容ではありません。
「お孃さんのためには親の仇だ、知つてることはみんな言つて貰はなきやならねエ。一體誰があんなことをしたと思ひます」
 平次は打ち解けた態度で膝を進めました。
「判つてるぢやありませんか、父さんを一番怨んでゐる者――」
「一番怨んでゐる者といふと」
「――」
 お雛は默つてしまひました。これ以上問ひ詰めたら、何を言ひ出すかわかりませんが、それは言ひたくない樣子でもあります。
「八、手代の千代松を呼んで來てくれ」
「へエ」
 ガラツ八は間もなく二十三四の青白い男をつれて來ました。恐怖と疑惧ぎぐとにさいなまれて、腹の底から顫へてゐる樣子です。
「お前は昨夜どこにゐたんだ」
「不動堂でお通夜をしてゐました。――それはみんな知つてをります」
「外へは出なかつたのか」
「どこへも出ませんよ」
 千代松の答へを聽くまでもなく、ガラツ八はもう外へ飛び出してをりました。お通夜の席からそつと拔け出して、人を殺した例を知つてゐるので、早くも親分の目配せを讀んだのです。
「叔父さんが死んで、口惜くやしかつたらうな」
「それはもう。でも、私にはどうすることもできません」
「お前は唯の奉公人か」
「?」
「給料は貰つてゐるだらうな」
「いえ、この店で給料を貰つてゐるのは、番頭さんだけです。私も、お仲どんも、お三も、親の借金のために、給金なしで働いてをります」
 千代松の眼には痛々しくもゑんずる色があります。何時の間にやらお雛は、耳をふさぐやうに出て行つてしまひました。
「あの娘の婿むこは決つてゐるのか」
 平次はその後ろ姿を見送りながら訊ねます。
「いえ」
 千代松は妙にくすぐつたく頭を振りました。この男も婿に望まれた一人だつたかもわかりません。
「隣の御浪人が、大層殺された主人を怨んでゐたといふではないか」
「え、昔は二本差した人ですから、今は手内職をしてゐても氣の荒い人です。――でもあの人が下手人ぢやありません。昨夜はやはり不動堂から一と足も出なかつたんです」
 さう言はれると、千代松と大垣村右衞門は疑ひの外へ逸脱してしまひます。
 間もなく歸つて來た八五郎も、この現場不在アリバイを裏書きしました。千代松と村右衞門が不動堂の通夜席から一歩も出なかつたことは、二人がお互に證明し合ふばかりでなく、多勢の人もよく知つてゐたのです。
「さア判らない」
 錢形平次も、この時初めて腕をこまぬきました。
「やはり不動樣で? 親分」
「いや、不動樣でないことは確かだ。あの木劍で人を殺せるわけはない。――が、入つた場所が判つても、曲者が出た場所の判らないのは驚いたよ」
「?」
「――重三郎が丸窓を開けて下手人を離屋の中へ入れた。――曲者は重三郎を殺して外へ出た。――後を誰が閉めたんだ」
「不動樣でなきや、殺された重三郎でせう」
 ガラツ八はまた飛んでもないことを言ひ出しました。


「八、相手は容易ならぬ人間だ。下つ引を五六人集めて、叶屋かなうやの奉公人の身許をみんな洗つてくれ」
 平次もよく/\手に餘つた樣子です。
「そんなことはわけありません」
「まて/\、お前はこゝにゐた方がいゝ。奉公人の身許洗ひは、千駄木の菊松親分に頼むんだ。それから叶屋を怨んでゐる者をみんな當つて見るんだ」
あつしは? 親分」
「奉公人達の荷物を見せて貰へ。それから重三郎を殺した刄物がなきやならない。奉公人のうちで刄物を持つてゐた奴はなかつたか。お勝手の出刄庖丁でもなくなつちやゐないか。よく訊いてくれ。――下手人はこの家の者だ。へいが高くて外から入つて來た樣子もない」
 平次の命令は隅から隅まで行屆きました。丁度來合せた千駄木の菊松に頼んで、八方に下つ引を走らせ、平次はガラツ八と菊松に手傳はせて、奉公人の荷物から、縁の下、物置の隅、下水の中までも搜したのです。
 が、しかしそれも全く徒勞に了りました。亥刻よつ(十時)過ぎになつて判つたことは、下女のお仲が思ひの外文字のあつたことと、飯炊きのお三が、ひどく小遣にまで困つてゐたことと、二人とも親の位牌ゐはいを持つてゐたことと、番頭の孫六はひどい借金に苦しんでゐたことと、手代の千代松は年上の下女お仲に好意を持つてゐたことなどが判つただけです。
「親分、ありましたぜ」
 ガラツ八は頭の上に何にか振り冠りながら飛んで來ました。
「何んだ八、騷々しいぢやないか」
土竈へつゝひの中を覗くとこれがありましたよ」
匕首あひくちさやぢやないか」
 大方は燒け盡した匕首の鞘を八五郎は鬼の首でも取つたやうに振り廻すのです。
「鞘があるくらゐなら、その邊に中身だつてあるだらう」
 平次がお勝手へ飛んで行くと、ほんの煙草二三服の間に血染めの匕首を搜し出してしまひました。それは同じ土竈へつゝひの土の割れ目に、奧深く押し込んであつたのを、平次は少しばかりの土のこぼれてゐるのからたぐり出したのです。
「さア、大變、いよ/\下手人は人間に決つたぞ」
 少しばかりはしやぐガラツ八。
「こいつは誰の品だか店中の者に訊いてくれ」
 それは菊松が受持ちました。家中の者を虱潰しらみつぶしに訊いて廻つて、たうとう娘のお雛の口からお仲の持物ではないかといふ暗示を引出したのです。
「あ、やはりあの女だ」
 平次が何やら思ひ當つた樣子で振り仰ぐと、氣の早いガラツ八は、お勝手へ飛んで行つて、その邊でまご/\してゐる美しい下女の、お仲の腕を掴んで引つ立てて來ました。
「えツ太てえ女だ、來やがれ」
 引据ゑられて、離屋の縁側に少し灯にうとく崩折れたお仲は、見る影もない身扮みなりながら、この家一パイを明るくするやうな、不思議な爽かさと、魅力を發散してゐるのです。
「八、手荒なことをするな」
 平次は八五郎をたしなめて、お仲の俯向いた顏を差しのぞきました。
「だつて親分」
「短刀はこの女の持物でも、主人を殺したのはこの女とは限るまい。なア、お仲」
「え、その通りです。――短刀は私の品に相違ございません。――父親の形見ですもの。でも、旦那樣を殺したのは私ではありません」
 お仲は靜かに顏を擧げました。
「それぢや、今朝何んだつて丸窓を締めた」
 平次の問ひは爆撃的でした。
「えツ」
「隱すな、お仲。今朝四人で離屋へ飛び込んだ時、丸窓だけは開いてゐた筈だ。――いや閉つてはゐたが、さんもおりず、掛金も掛つてはゐなかつた。番頭の孫六が雨戸を開けるうち、――お内儀と娘が死骸に取縋とりすがつてゐるうち、――お前はガチヤガチヤやりながら丸窓を開けた」
「――」
「締つてもない丸窓を、いかにも締つてゐるやうに見せかけながら開けた。――あれはどういふわけだ」
「――」
「隱すな、――俺にはよく判つてゐる。不動樣が人を殺すわけはない。主人を殺した曲者はどこからか出たに違ひないが、障子も窓も閉つてゐた――そのうちどこか一箇所だけは開いてゐた筈だ。障子ではない、雨戸でもない、あいつはガラガラ恐ろしい音を立てるから、曲者はあんなところから入る筈も出る筈もない。――すると丸窓の他には出入口はないことになる。現に丸窓の外は足跡を掻き消した樣子で、土が新しくなつてゐる」
「――」
「今朝その丸窓を開けたのはお前だ。こいつは金輪際間違ひはない。昨夜主人が自分で丸窓を開けて中へ入れてやつた人間も、お前の他にはない筈だ」
 平次の論旨は峻烈しゆんれつで一歩も假借しません。
「いえ、いえ違ひます」
 お仲は必死の顏を擧げました。美しくも香ばしい顏です。
「いや違はない。曲者の出入口は丸窓の他にない。その丸窓へ今朝最初に手を掛けたのはお前だ。――その上血染の匕首もある」
「いえ/\違ひます。――今朝開いてゐた丸窓を一度締めて又開けたのは、それは私です。惡いことをいたしましたが、さうするよりほかはなかつたのです。――でも昨夜丸窓から入つたのも、主人を殺したのも、私ではございません。私は本當に幾度も殺さうと思ひました。死んだ父親の少しばかりの借りのために、かう身體まで縛られて、いやなことばかり言はれるのですもの。でも私には殺すことはできなかつたのです」
「それでは誰だ」
「それは判りません」
「そんな筈はない。昨夜離屋はなれへ忍んで來て、丸窓から入れて貰つたのは、お前の他にある筈はない」
 平次は容赦しませんでした。が、お仲もぐわんとしてそれに屈しなかつたばかりでなく、又も大變なことを言ひ出したのです。
「旦那樣は――昨夜、夜中に丸窓を開けて置くから來いと言ひました。一人で忍んで來たら、父親の入れた證文を返してやるとも言ひました。――でも私は、そんなことを聽く筈もありません。そんな目に逢ふくらゐなら、淵川ふちかはへ身を投げて死ぬか、一生奉公しても借金を返します。でも主人は幾度も/\念を押して、丸窓はきつと開けて置く、その氣になつたら忍んで來い――と言ひました」
「それを誰も聽いてはゐなかつたか」
「――」
 事件は次第に光明を點じて行きますが、まだ奧の奧がありさうです。


 その時歸つて來た菊松の下つ引は、重三郎に怨みを持つ者の名前や、奉公人達の身許を一々報告しました。中で一寸注意をひいたのは、飯炊めしたきのお三の父親は、根津の大工で、重三郎に借りた金のことから、二年前大川へ身を投げて死に、お三はその借金をし崩しに拂ふために、給料のない一生奉公をさせられるのだといふことでした。
 でも、あんなにみにくいお三が、重三郎の誘惑を受ける筈もなく、それに、あの人の好い笑顏を見ると、あらゆる疑ひはけし飛んでしまひます。
「お仲、お前は誰かをかばつてはゐないか」
「いえ」
 平次は改めてお仲に訊ねました。
「お前と主人の話を立聽きして、開けて置いた丸窓から、そつと入つて主人を殺したのは、手代の千代松かも知れないと、お前は思つてゐるだらう。――それなら安心するがいゝ。千代松は昨夜不動堂から一と足も出なかつたし、丸窓から男が入つて來たのを重三郎が默つてゐる筈はない。――それに千代松なら、お前の持物の匕首あひくちで、主人を殺す筈はない。お前に迷惑をさせるのは、千代松の本意ではない筈だ」
「本當ですか、親分」
 さう言つて振り仰いだお仲の顏は、初めて明るくなりました。千代松に疑ひのかゝるのを、一生懸命でふせいでゐた樣子です。
「親分。た、大變ですぜ」
 ガラツ八が飛んで來ました。
「何んだ、八」
「逃げ出しましたよ、あの女が」
「お三が逃出したといふんだらう。放つて置け、放つて置け。俺は先刻から氣がついてゐたんだ。お仲が口を割つたら逃げ出すつもりで、仕度をしてゐるのを知らずにゐるものか」
 平次は驚く樣子もありません。
「すると?」
「重三郎を殺したのは、あのお三だよ。親の敵を討つ氣だつたんだ。主人とお仲の話を聽いて、お仲が離屋へ行かないことを百も承知のお三は、お仲の着物を着て、手拭か何んかで顏を隱して行つたんだ。匕首までお仲のを持つて行つたのさ。丸窓から入ると、主人はお仲が來たと思ひ込んで狸寢入たぬきねいりか何んかやつてゐたんだらう。そこを飛びついて一思ひに刺し殺し、ちよつと不動樣の劍に血をつけたのは飛んだ惡戯いたづらさ。――多分、大垣村右衞門の佛敵呼ばはりを思ひ出しての細工だらう」
「へエ――」
「翌る朝お仲は、主人の死骸を見ると、てつきり千代松の仕業と思つた。それに丸窓が開いてゐると、自分の恥にもなるやうな氣がして、丸窓が閉つてゐるやうに見せかけながら開けた。薄々お三の仕業かも知れないとも思つたが、お三の可哀想な身の上も知つてゐるから、できることならかばつてやらうと思つたのさ――さうだらう、お仲。違つてゐるか」
 平次の説明を默つて聽いてゐるお仲は、陶醉にも似た歎賞の眼をあげて、この明智の御用聞に感謝するのでした。
「追つ掛けて見ようか。まだ遠くは行くまい」
 立ち上がる千駄木の菊松。
「放つて置かうよ、千駄木の親分。あれでも親の敵を討つたに違ひないんだ。五兩か三兩の借金で親が身を投げて死んだ上、自分は一生奉公させられちやあきらめきれまい。――なに、下手人? 下手人は不動樣さ。お上へはさう申上げて置くがいゝ。笹野の旦那に一つ叱られればことが濟むよ」
「――」
「さア引揚げようか」
 何んの未練もなく立上がる平次。菊松とガラツ八もそれに從ふ他はありません。
「幸ひ誰も聽いてゐなかつたやうだ。お仲は今夜のうちに宿元へ歸つた方がいゝよ。行末の身の振り方は千代松と相談するんだ」
「親分樣、有難う御座います」
 大きな感激に身をゆだねきつて、お仲は涙の袖に頬を埋めました。
「不動樣は洗ひきよめてもとの堂へかへすがいゝ。こんなことになるのもやはり佛樣の御利益かも知れないよ。不動樣には濟まないが、暫く下手人になつて頂くんだ。人助けのためだ」
 平次は淋しい笑ひを殘して神田の家へ引揚げました。





底本:「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」同光社
   1954(昭和29)年5月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1942(昭和17)年2月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年9月21日作成
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