谷中三崎町に、小大名の下屋敷ほどの構へで、
その丁子屋善兵衞が、
丁度九月九日
奧の一と間、
「では頂きませうか」
妾のお小夜は、萬事を取り仕きつて、六疊の部屋に、お茶の用意を整へました。青疊に
本妻のお絹は三十五、昔は美しくも健康でもあつたでせうが、この三年ばかりは持病の
妾のお小夜は、
年は二十三と言ひました。
が、本妻のお絹は、丁子屋の家付きで、病身で意氣地がないやうでも、いざとなると主人の善兵衞にも頭の上がらないところがあり、我儘一杯に振る舞ひながら、お小夜にもこのヒステリーの大年増が、眼の上の
養ひ娘のお冬は、十八になつたばかりの、ポチヤポチヤした可愛らしい娘でした。大して美しいといふ程ではないにしても、その新鮮さは、枝からもぎ立ての
それは兎も角、妾お小夜の手で、お茶とお菓子は配られました。お茶はその頃の世界ではこの上もない

「あの御新造樣、旦那樣からお使ひが――」
取次いだのは下女のお若でした。美人と御馳走が何より好物の主人善兵衞は、一季半季の奉公人の選擇にまで審美眼を働かせて、これも、なか/\のきりやうでした。
「あいよ、――いづれ、今晩はお歸りが遲いといふお使ひだらう」
お小夜は面倒臭さうに立ち上がりました。
「頂きませうか知ら――」
若いお冬は、見事なお菓子に食慾をそゝられた樣子で、甘えた調子で、義理の母――お絹の顏を見ました。
「いえ、あの人を待たなきや惡い――」
本妻のお絹には、お小夜に對する遠慮があるのでせう。
「何をしてゐらつしやるんでせう。隨分、ゆつくりね」
お冬の言葉は、甘えた調子から、ほのかな非難の調子になりました。
「――少し寒くなつたやうね――陽がかげつたせゐか知ら」
お絹は痩せた肩を、寒々と
「
「あ、では、あの薄い方を――氣の毒ね、御馳走をお預けのまゝ」
「あら」
お冬は自分の喰ひ辛棒を冷かされたやうな氣がして、フト顏を赤らめながら立ち上がつて、いそ/\と一つ置いて隣りの母親の部屋へ行きました。
その後ろ姿が隱れた頃。
「あ、さう/\」
内儀のお絹は、お勝手に大事な紙入を置いて來たことを思ひ出して、少しあわて氣味に立ち上がりました。紙入の中には小判が三枚と、
間もなく三人の女は、殆んど一緒にもとの座に戻りました。僅かばかりの
「旦那樣は、遲くなるかも知れないから、小袖を一枚用意に持たせるやうにとのことでした」
「さア、それでは頂戴しませう。何處のお菓子も變りはないやうなものだが、それでもお上屋敷のお菓子は、品を
お絹はさう言ひながら、先づ自分の前に置いた菓子を取つて、懷紙の中で二つに割りました。その頃

お小夜も、お冬もそれに
庭は
無言のうちに、暫らく時は經ちました。
「お内儀さん」
「何んだえ、お小夜さん」
「氣持は、何んともございませんか」
「いえ、今日は珍らしく良い心持ですよ」
「少しも」
「――」
お小夜の調子がひどく變なので、お絹は思はず、この
「胸が燒きつくやうで、喉が
「いえ少しも」
答へるお絹の平靜さに比べて、問ふお小夜の顏は物凄まじいものでした。
「今に、今に、お内儀さんも、斯うなりますよ、――誰が一體、私に、私に毒を」
わけのわからぬ事をわめくと、お小夜の手は
「どうしたの、お小夜さん」
お絹は近寄りましたが、この女――夫の愛を奪つた妾――の苦惱に絞め上げられる肉體を抱き上げるほど僞善的にもなり兼ねて、たゞおろ/\するばかり。
養ひ娘のお冬は、すつかり
「あ、苦しい、苦しいツ」
お小夜は七轉八倒するばかり、身體は六疊一パイに轉がつて、
僅かに庭から顏を出した下男の友吉が、若いのによく氣が付いて、一と走り本道の
ガラツ八の八五郎が、明神下の錢形平次のところへ、それを報告に來たのは、翌る日の朝でした。
「驚いたの驚かねえの」
相變らず
「驚くのは勝手だが、人の
平次は鼠の尻尾ほどの
「親分も菊見ですかえ。イヤになるぢやありませんか、谷中の丁子屋ぢやそれが
「變なことを言ふぢやないか。菊見と人殺しと、どんな引つ掛りがあるといふんだ」
平次は起き上がりました。谷中の丁子屋と言へば、金があつて男がよくて、物がわかつて遊びが上手で、先づ江戸中に響いた名前です。
「殿樣から頂いた、菊見の菓子を、女三人でたべて――本妻と妾と娘ですがね、――その中でも一番綺麗で一番ピチピチして居る、妾のお小夜といふのが、七轉八倒の苦しみで死んでしまひましたよ。一緒に菓子をたべた本妻と養ひ娘は、ケロリとして居るんだから、これは毒害と思はなきやなりません」
「成る程ね、その菓子は一人つづ別の物に入れてたべたことだらうな」
「一と口ぢや頬張りきれさうもない、菊形の打物で、一人に一つづつ腰高の菓子臺に載せて配つたさうですよ」
「そんな世話は誰が燒いたんだ」
「不思議なことに、死んだお小夜だから變ぢやありませんか」
「毒は?」
「色も匂ひも味もないところを見ると、
「鼠捕りだな」
「兎も角も、ちよいと
「それくらゐのことなら、お前でも
平次はなか/\動きさうもありません。
「ところが、さう手輕には行きませんよ。
「何にか、證據でも掴んだのか」
「掴み過ぎるほど掴みましたよ。――殺された妾のお小夜が、池の端で
「それつきりか」
「それつきりぢや證據になりませんが、もう一つ、――下女のお若が、その日の晝頃、妾の小夜が床の間に三方に
「細工?」
「菓子は、

「その菓子に細工をしたお小夜とやらが死んだんだらう」
「その通りですよ」
「本妻か娘か、どつちかに食はせるつもりで仕掛けをした菓子を、うつかり間違へて自分がやつたんぢやないのか」
「そんな間拔けな女ぢやありませんよ。眼から鼻へ拔けて、とんぼ返りをやり兼ねない女ですよ。いろは茶屋に居るときから、あつしも口くらゐきいたことがありますが」
「フーム」
「毒の入つて居る菓子には、何か
「そんな事だらうな。――よし、行つて見よう」
「有難てえ、それであつしの顏も立つといふものだ」
八五郎は額を叩くのです。
「又誰か――女の子にでも頼まれたんだらう」
「圖星、さすがは親分で」
「新造か、年増か」
「あの娘つ子のお冬が拜むんですよ。――黒門町の庄太が、お母さんを縛りさうだから、錢形の親分さんをつれて來て下さい。後生だから――つて。大したきりやうぢやないが、心立ての優しい、良い娘ですよ」
「そんな事だらうと思つた」
事件の面白さうなのに
谷中三崎町の丁子屋御殿は、笠森稻荷と共に、土地の名物になつて居た頃のことです。その頃はまだ、鈴木春信によつて
「八、裏から入らう」
門や
裏木戸を開けて入ると、二十五六のむくつけき男が、表の騷ぎも知らぬ顏に、悠々として庭などを
「お前は?」
平次はその前に立ちました。
「へエ、友吉と申しますだ」
下男友吉
「お前の知つてゐることを、皆んな話してくれないか――
「へエ、へエ、よく解りますだよ。お前樣は錢形の親分さんでせう」
友吉の無遠慮さと、物の掛け引を知らないらしい純粹さは、平次に取つては申分のない手掛りの提供者でした。
「先づ、この家で、新造のお小夜を一番憎がつて居るのは誰だ」
「皆んなでがすよ。内儀さんも、お孃さんも、女中のお若どんも――可愛がつてゐるのは旦那樣で、惚れて居るのは清八どんくらゐのもので」
この山男は思ひの外の
「清八といふのは手代だらう」
「へヱ、――一度はお孃さんの
「それが主人のお
「其處まではわからねえが、――近頃清八どんは、ひどくお孃さんに嫌はれて居るやうだから、御新造に乘換へたんぢやあるめえか」
愚直さうな友吉は、自己中心に物を考へないだけに、案外鋭い
だが
「お前の考へぢや、御新造のお小夜さんを殺しさうなのは誰だと思ふ」
平次は一歩突つ込みました。
「そんな事を言へるわけはねえだよ。――尤もおらでねえことだけは確かだ。お孃さんのお冬さんでもあるめえよ。あの人は神樣のやうな人だ」
友吉の言ふのは、ひどくはつきりしてをります。
お勝手から平次と八五郎は
「お前は?」
平次は立ち淀みました。鼻の先に關所を据ゑたのは、二十一二の良い女、それが下女のお若と知つたのは、八五郎に注意されてからのことでした。
「錢形の親分さんでせう。――よく知つて居ますよ、江戸開府以來の智慧者なんですつてね。怖いわ、私」
と言つた調子で、おちよぼ口を、水仕事で荒れた
「怖いことがあるものか。さア、――誰がお小夜を殺したか、話してくれ。お前は知らない筈はないと思ふんだが――」
平次は斯う言つた調子でした。相手のお若は、多血質で氣性者で、ちよいと可愛らしくて、相當以上に智慧走ると見て取つたのです。
「あの人は、自分で間違へたんですよ。お内儀さんを殺さうとして、自分で仕掛けた毒の菓子を、目印の赤い
お若の言葉は斷定的で、どんな人にも
「赤い菓子種といふのは何だえ?」
平次は訊き返しました。
「あの人は、一つのお菓子の裏へ穴をあけて、何やら白い粉を詰めて居りました。この隣りの部屋ですもの、當人は誰も見てないつもりでも、年がら年中お勝手に居る私には、戸棚の隙間からでもよく見えますよ――贅澤に育つた人達は、同じ惡いことをするんでも、何處か甘いところがあるんですね」
お若の練達さから見れば、賢いやうでもお小夜などには、何處か
「あの人は、お菓子の尻へせつせと穴をあけて、白い藥を詰めて居ました。それが濟むとお菓子の穴を
「――」
「それほど骨を折つて拵へた毒菓子、――赤い目印の菓子種が落ちて、毒菓子の拵へ主のお小夜さんがそれを食べて死なうとは、人間
「よし/\、お前がそれ程に言ふなら、お小夜は自分で拵へた毒菓子を、間違つて自分で食べて死んだといふことにして置かう。――ところで、お内儀さんと、お孃さんとの仲は好かつたのかな」
平次は唐突な問ひを持出しました。
「それはもう、――お孃樣のお冬さんは本當によく出來た方ですよ。世間で何んと言はうと、あんなやさしいお孃さんは、江戸中にも二人とはないでせう」
お若はでつかい
「お内儀さんは?」
「お氣の毒なことに病身で、毎日お妾風情の御機嫌を取つて居るのを見ると、奉公人の私でさへ
お若は自分のことのやうに憤慨するのでした。
「妾のお小夜は評判が惡かつたやうだな」
「綺麗に生れついたのが一徳で、丁子屋を儘にする氣になつたのが間違ひですよ。
「清八はそんなにお小夜に夢中だつたのか」
「お孃さんに嫌はれた腹癒せですよ。――お孃さんは生一本で眞面目だから、あんな浮氣野郎と連れ添ふ氣なんかありやしません」
お若の長廣舌は際限なく發展します。
主人の善兵衞は、四十八といふにしては、恐ろしく若い男でした。世帶の苦勞のないのと、女道樂の激しいせゐでせう。
「錢形の親分、飛んだ手數を掛けて濟まないな。何分、私は忙がしいので、家を見張つてばかりも居られない。現に
斯う言つた調子です。この男――丁子屋善兵衞に取つては、出世と
手代の清八は、三十前後の、これはちよいと好い男でした。痩せすぎで、眼が吊り上がつて、
「私は――店に居りました。へヱ、たつた一人で、店を空けるわけには參りません。――商賣柄女のお客樣方は參りませんが、男の方はよく見えました」
「昨日の客は」
「よく覺えて居ります。晝前に
「奧は覗いて見なかつたのか」
「飛んでもない。そんな事をしたら、主人にひどく叱られます」
「お前は此處に住み込んで居るのか」
「へエ、店二階に寢泊りして居ります。奧とは全くの別世界で」
「昨日の樣子、少しは知つて居るだらう」
「何んにも存じません。お若の聲で、
「お小夜と大層仲が良かつたさうぢやないか」
「ブルブルブル、そんな事を言はれると、私は主人の前へ顏が出せなくなります。それに此家へ養子になることに、大方話が
必死の場合、清八はそんな事まで言つて、身の潔白を證據立てようとするのでした。
その次に平次が會つたのは、丁子屋の養ひ娘のお冬でした。桃の實のやうな娘と先に紹介しましたが、銘仙の不斷着、髮形も一向に平凡ですが、側に寄ると野の花のやうな、野生的な魅力があつて、その上本當に野の花のやうな、甘美で
「お孃さん、お小夜が殺されたことは間違ひもないことですが、何にか、氣の付いたことはありませんか」
平次は定石通りのことを訊いて、靜かにこの娘の表情の動きを見詰めました。
「私は何んにも知らないんですもの――でも本當に怖いと思ひました」
まだ心のをのゝきが止まらぬらしく、人の顏を
「お小夜といふのは、どんな女でした」
「氣前の良い、働きものでした。――でもお母さんを押しのけるのだけは――」
惡いとは言ひきりませんが、遠慮勝ちな
「お内儀さんはそれを何んにも言はなかつたのですね」
「え、お身體が弱いんですもの――でもその病氣だつて、お母さんのせゐとばかりは言へません」
お冬の口調には、義理の父善兵衞の亂行と、妾お小夜の我儘に對する非難が潜む樣子です。
「下女のお若は?」
「あんな良い人はありません。蔭になり
「下男の友吉は?」
「氣の知れない人です。――でも、それは私のせゐでせう」
むくつけき
「清八は?」
「怖い人」
「お孃さんと
「そんな事になれば、私は
お冬の決心は容易ならぬものがありさうです。
「どんなところが怖いんで?」
「店二階に休んでゐる人が、何處をどう通るのか、お小夜さんの隣りの私の部屋へ、夜でも晝でも、ヒヨイと顏を出したり、障子の蔭から覗いて居たりするんですもの。私はもう、あの人の顏を見ると、氣味が惡くて御飯もたべられなくなつてしまひます」
「そんな事を、誰かに話しましたか」
「言つても、本當に聽いてくれるのは、お母さんくらゐのものです」
「その清八が、近頃お小夜と仲がよいといふことだが――」
「さア私は――」
娘はさすがに其處までは答へ兼ねました。
「八、面白くなつたな、――手代の清八が、店二階から、誰にも姿を見せずに、奧の娘の部屋へ通ふ道があるに違ひない。搜して見ようぢやないか」
「やつて見ませう」
平次と八五郎は、一たん店二階へ行つて、其處から念入りに通ひ路を調べ始めました。
「あれだ、八」
「へヱ?」
「窓から出て、
平次と八五郎は、泥棒猫のやうに、庇を渡つて物干場から、潜りを開けて北側の廊下へ出ました。
「潜戸の
「清八だけは氣が付いたのさ」
「へツ、違げえねえ」
廊下を進むと、最初は主人善兵衞の部屋、その次は妾のお小夜の部屋、そして一番奧が娘のお冬の部屋になつて居り、内儀のお絹の部屋だけは、病身といふのを口實に、主人とお小夜の部屋から遠く、店寄りの女中部屋の隣りになつて居る樣子です。
三つの部屋は南縁の外に、北に廊下が通つて、明るく使ひよく出來て居りますが、細かに調べて行くと、北側の廊下に面した、小窓の障子が、それ/″\少しづつ紙が
「イヤな野郎だな。斯んな細工をして、娘やお妾の樣子を覗いて見て居たんだ」
「あの野郎、江戸つ子の風上にも置けねえ畜生ぢやありませんか」
「おや、赤いものが落ちて居るぢやないか」
「?」
「小窓の敷居に、赤い菓子種が落ちて居るよ。ほんの少しばかりだが、菓子種に間違ひあるめえ、チヨイと
「あ、親分。その中には毒が
「大丈夫さ、毒は菓子の

平次はその赤いのを舐めて見て、何やらうなづいて居ります。
その隣りのお妾のお小夜の部屋へ入つて見ると、佛樣はもう
病身らしい蒼白い顏が、一段と打ち
「
「あ、錢形の親分さん」
下女のお若から聽いて、これが錢形の平次と知つて居るのでせう。
「八、棺を開けて見るが、手傳つてくれ」
「へエ」
二人は後ろへ廻つて、まだ釘を打つてない棺を開けました。八五郎が差出す佛前の
「あ、これはひどい。どんなに苦しんだことか、罪は深いな」
どんな
二人は靜かに棺を閉ぢて、心持だけの線香を上げました。
「あの、錢形の親分さん」
「?」
内儀は顏を擧げて、靜かに聲を掛けました。
「どうぞ、私を縛つて下さい。お小夜さんを殺したのは、この私のやうな氣がしてなりません」
「それはどういふわけです。お内儀さん」
細々とした手を後ろに廻して、覺悟をきめた内儀の姿を見て、平次にも
「私は、あのお菓子を
「――」
「私の前の菓子にだけ、赤い菓子種が附いてゐたので、お小夜さんが立つた後で、フト取上げて見ると、お菓子の下の方に穴があいて、打物が出し崩れて居りました」
「――」
「私は、何んとなく氣味が惡くなつて、お隣りのお小夜さんの前にあつた菓子と、そつと取替へたのでございます。――もとより、その中に、あんな恐ろしい毒があらうとは、夢にも思ひません」
内儀のお絹は、その菓子に毒を仕込んだ者が誰であつたかも忘れて、ひたむきに、菓子を取替へた自分が、お小夜の命を
「お内儀さん、その心配は尤もだが、菓子に毒を仕込んだのは誰の仕業か、お内儀さんは知つて居なさるだらうな」
「いえ、其處までは」
「お前さんには罪がない。――よく出來たやうでも内儀さんは、腹の中で不斷お小夜を憎み續けて居るから、お菓子を替へたために、お小夜を殺したやうに思ふだらうが、そいつは苦勞性過ぎますぜ」
平次はさう言つて慰める外はなかつたのです。恐らく、日頃お小夜の行状が目に餘つて、本妻のお絹は、時々は殺し度いと思つたことがあるのかも知れません。それが
「さうでせうか、親分さん」
「まア、心配しなさんな。ところでお内儀さん、お前さんが菓子を
「間違ひもなく、あとの二つは何んにもないのに、その菓子だけ、まん中に赤い菓子種が附いて居りました」
「ところで、その後で、三人揃つて、その菓子をたべた時、お小夜の菓子の上に、赤い菓子種は附いて居ましたか」
「よく覺えて居ります。――不思議な事に、お小夜さんがたべる時は、赤い菓子種などはなかつたのでございます。――でもそれを食べると直ぐ、お小夜さんはあの苦しみで――」
それは驚くべき發見でした。平次の頭は恐ろしいスピードで動いて、
「八、あの野郎だ。――店から清八をしよつ引いて來い」
「よしツ」
八五郎は飛んで行きます。
「親分、私ぢやない。私は何んにも知らない」
わめき散らしながら清八は、八五郎に
「野郎、ジタバタするか」
平次の前に引据ゑて、八五郎は手に
「清八、證據は皆んな擧つたぞ。二階から
平次は靜かに問ひ詰めました。
「その通りに違ひありません。が、私はお小夜さんを殺した覺えはない。お小夜さんは私と固い約束をして居りました。此處から逃げ出して、私と知らぬ他國で世帶を持たう――と」
「馬鹿野郎ツ、
八五郎はその生つ
「でも、私は、お小夜さんとお孃さんの菓子を、そつと入れ替へただけなんです――お孃さんのお菓子に、毒が入つて居やうなどとは夢にも思ひません」
「お前はあの佛樣のやうなお孃さんを殺す氣だつたのか」
清八はたうとう語るに落ちました。
「親分、そんな。そんなつもりぢや」
「いや、それに違ひない。赤い飾り種の附いてるのが、毒を仕込んだ菓子と知つて、お孃さんとお小夜の菓子を入れ換へ、お孃さんを毒害する氣だつたに違ひあるまい」
「飛んでもない、親分」
「證據は、赤い菓子種が、お前一人しか通らない、小窓の敷居の上に落ちて居たとは氣がつくまい」
「えつ」
「お前は、毒菓子から
「でも死んだのは、お小夜さんですよ、親分」
清八は必死と爭ひ續けるのです。が、
「それは、神樣のなさつたことだ。最初菓子に毒を仕込んで、内儀を殺さうとしたのはお小夜だ。その毒菓子が何んにも知らないお孃さんの前にあるのを、神樣は放つては置きなさらない」
「――」
清八も、お絹も、縁側から覗く善兵衞も、娘のお冬も、庭に突つ立つて居る下男の友吉も、
「さア、八。その野郎を引つ立てろ」
「立てツ」
腰繩を打たれた清八は、最早
× × ×
「親分わからねえことばかりですぜ。丁子屋の一件」
その翌る日、平次のところへ顏を出した八五郎は、相變らず貧弱な
「よくわかるぢやないか、何が一體わからないんだ」
「神樣ですよ、――お孃さんの前の毒菓子と、お小夜の前の菓子を入れ替へた神樣といふのは、一體誰です」
八五郎は鼻の穴をふくらませます。
「あ、その事は、あの
「へエ、神樣が曲者になりましたね。えーと、皆んな顏が揃つて居た筈だが」
「下女のお若だよ」
「あ、成程」
「お若は、お小夜が毒菓子を拵へるところから見て居たんだ。――氣になることがあつて、奧へ行つて南縁からそつと
「――」
「目印がないから、もう誰にもわからない。お小夜は自分の拵へた毒菓子を喰べて、死んでしまつたといふわけさ」
「へエ、恐ろしいことですね」
「お小夜は
平次はつく/″\さう言ふのでした、鼠の尻尾のやうな懸崖の小菊の前で。――