錢形平次捕物控

敵の娘

野村胡堂





「ね、お前さん」
 女房のお靜は、いつにもなく、突きつめた顏をして、茶の間に入つて來るのでした。梅二月のある日、南陽みなみが一パイに射す椽側に、平次は日向ひなた煙草の煙の棚引く中に、相變らず八五郎と、腹にもたまらない無駄話の一ときを過して居るのでした。
「恐ろしく眞劍な顏をするぢやないか。また俺の湯呑でも割つたんだらう」
 錢形平次は後ろを振り向きもせずに、んなことを言ふのです。
「あれ、お前さん」
 お靜は途方に暮れて言ひ淀みました。察しの宜いのは嬉しいが、いつでも斯う先をくゞつて感の働く平次です。
「それとも、勝手口へうるさい押賣でも來たといふのか」
「さうぢやありませんよ。後生の願ひだから、親分に逢はせてくれといふ娘さんが、來ましたが」
「姐さん、その娘といふのは、年は幾つくらゐで、綺麗ですか」
 八五郎は横合ひから口を出します。
「馬鹿だなア、娘と聞くと眼の色を變へて乘り出しやがる。――四十八歳のゆき遲れで、人三化七にんさんばけしちだつた日にや、女房の取次があんなにはずむものか」
「あれ、お前さん」
 お靜はもう一度同じ臺詞せりふを繰り返して、立ち去りもならず、そのまゝ居竦ゐすくむのです。
「まア宜い、逢ふも逢はないもあるものか。殿樣へお目見得めみえぢやあるめえし、此處へ通すんだ。お勝手から來るやうぢや、どうせ若い娘だらうからおどかして歸しちやならねえ」
「――」
 お靜は心得て立去ると、間もなく十六七の可愛らしいのを、押し出すやうに連れて來ました。べに嫌ひの浮世繪の娘姿のやうに、それは地味ではあるが、申し分なく可憐な好ましい姿でした。
 おど/\してゐるが、下つぷくれの情熱的な顏立ち、木綿物の黄じまに黒襟をかけて、帶までが黒いのは氣になりますが、開きかけた唇は妙に引吊つて、涙を噛みしめたやうな、いぢらしさにふるへるのです。
「どうしたんだ姉さん、大層な心配事があるやうだが、打ち明けて話すが宜い。お前さんが此處へ飛び込むのは、よく/\思ひ詰めたことがあるんだらう」
 平次は靜かに訊きました。娘の丸い肩が、こらへ性もなく顫へるのを、お靜は後ろからソツト抱き締めるやうに、手拭で涙を拭いてやりました。
「でも、父さんが殺されたんですもの」
「ま、待つてくれ。お前は何處のなんといふ娘だ。やぶから棒にそいつは大變なことぢやないか」
 平次も少しあわてました。こんな可愛らしい娘が、いきなり飛び込んで來るさへ尋常でないのに、父親が殺されたといふのは、話が突拍子もなさ過ぎます。
「私はゆかり――父親は、飯田町の中坂下のかざり屋田屋の三郎兵衞と申します」
「それが?」
「今朝、私の手内職のお仕立物を、番町の御得意樣に屆けた後、――戻つて見ると、父さんが――」
 娘は涙も拭きへず、子供のやうにせぐりあげるのです。
「それからどうした」
「飯田町の兼吉親分が、多勢の子分衆をつれて來て、お隣りの勇三郎さんを縛つて行つてしまひました。勇三郎さんは、隨分父を怨んでゐましたが、人を殺すやうな方ぢやありません。どうぞ助けてやつて下さい。――家の中は檢屍が濟んだばかり、ゴツタ返して居ますが、私は、その中からソツと脱け出して來ました。お願ひですから親分さん」
 小娘のゆかりは、おまゐりでもするやうに、平次の前に可愛らしいを合せるのです。
「その勇三郎といふのは?」
按摩あんまの柿の市さんの子で」
「あ、あの桃栗三年の柿の市か、按摩は下手へただが、頑固でうるさくて、鬼のやうな顏をした不氣味な盲目めくらぢやないか」
 八五郎はそれを知つて居たのです。


 平次と八五郎は、娘に案内させて、直ぐ飯田町に向ひました。中坂を半分下りた右手、此處は安御家人の屋敷と、町家の間に挾まつて、一劃二劃、飛々に僅かばかりのしもた屋が軒を連ねて居ります。
 そのしもた屋の中に、油障子を開けると、すぐ仕事場になり、奧へ二た間續く構へが、かざり職田屋三郎兵衞の家でした。
 道々娘ゆかりの重い口をたぐつて聽くと、もとは中國筋の武家であつたらしく、田屋三郎兵衞といふいかめしい名は、二本手挾たばさんだ時の名をそのまゝ、器用と小祿で覺えたアルバイトのかざりを、浪人した後の暖簾のれん名、田屋の三郎兵衞と名乘つたといふことでした。
 從つて表藝の武術も一と通り、わけても槍は本人に言はせると名譽の腕前だつたらしく、主取りをすればそれでも立つて行ける筈のを、『武家はもう嫌だ』と言ひ出し、器用で覺えたかざり職になり、フイゴとタガネに暮しを托して、近頃では妙に工面が良いと言はれるほどになつてゐたのです。
 その田屋三郎兵衞の家へ着くと、町役人やら五人組近所の衆などが立て込んで、先刻さつきから見えなくなつた、たつた一人の家族、娘のゆかりが、何處へ行つたかもわからず、入棺もとむらひの支度も出來ず、途方にくれた顏を見合せて居りました。
 其處へ平次と八五郎が、小娘のゆかりに案内されて乘り込んで來たのです。
「おや、錢形の兄哥、――明神下まで使ひをやらうと思つたが、仕掛けもからくりもねえ殺しで、錢形の親分にも及ぶまいと、下手人をあげてしまつたよ。坂上の自身番に預けてあるから、一應逢つて見るかえ。勇三郎と言つてね、隣りの按摩あんまの子だが、青表紙の化物見たいな野郎で、いやもう手應てごたへのないこと――」
 四十男の飯田町の兼吉は、手柄顏に斯う言ふのでした。惡い男ではありませんが、手柄を急ぎ過ぎるのと、物事を早呑込みする惡い癖があります。
「そいつは大手柄だつたね。今朝の殺しを、晝前に縛るなどは、なか/\出來ないことだ。證據でもあつたのか」
「證據があり過ぎたよ。かざり屋の娘のゆかりは急ぎの仕立物を持つて、朝早く番町へ行つてしまひ、父親の三郎兵衞は、恐ろしい働き者で、朝のうちから仕事を始めて居たらしい、其處へ下手人が入つて來て」
「見て居たやうだね」
「見て居たやうなものさ。仕事場のフイゴの傍で、兩刄もろはの得物で、背中から突かれて、グウとも言はずに死んだらしい。――顏見知りの者でもなきや、後ろへ廻つて、背中を突かれるのを、默つて居る筈はない。その上殺された錺屋の三郎兵衞はもとは武家だつたさうで、なか/\の腕自慢だつたと言ふよ。顏見知りの者が、話でも仕掛けながら、後ろへ廻つて不意に殺したんだらう」
 飯田町の兼吉は得意らしく話すのです。
「證據はそれつきりか」
「いや、まだある。向う隣りの按摩あんまの伜の勇三郎が、錺屋かざりやへ入つたのを見たものが、町内だけでも三人は居るんだ」
「フーム」
「向うの蝋燭らふそく屋のお神さんと、錺屋の後ろ――と言つても、本當は壁隣りの谷五郎と、それから三軒先の豆腐とうふ屋の小娘だ。――入つたのを見たが、歸つたのを見た者がないといふのも變だらう。それから間もなく、錺屋の娘のゆかりが、お使ひから歸つて、父親の死骸を見付け、大騷動になつたのだよ」
「本人は白状でもしたのか」
「知らぬ存ぜぬ――さ、錺屋の小父さんのところを覗いたのは、文鎭ぶんちんの直しを頼んで置いたので、それが出來たかどうか、訊く爲だつたといふが、按摩の子が杖とか笛を直させるならわかるが文鎭は變だらう」
「フーム」
「その時までは、三郎兵衞は機嫌の良い元氣な樣子であつたといふが、背中に一太刀突き刺されて、口もきけなかつた筈だから、文句を言はなかつたに違ひねえ」
「?」
「錺屋の三郎兵衞と、按摩あんまの柿の市とは恐ろしく仲が惡く、柿の市の伜も、決して良いお客樣ぢやなかつたわけさ。――それに、勇三郎は錺屋の娘のゆかりに氣があつて、父親の三郎兵衞にひどく嫌がられて居たといふし、――この上三郎兵衞を殺した刄物さへ見付かれば文句はねえが、向う三軒兩隣り天井裏から床下まで搜したが、何處にも見當らないのさ」
 この話がはずんで、自分の噂が出ると、娘のゆかりはコソコソと自分の家へ入つてしまひました。
「兎も角も、佛樣を拜んでからとしようか」
 平次は宜い加減にきりあげて、錺屋の家へ入りました。


 かざり屋の三郎兵衞は、合長屋と近所の衆に守られて、入棺を待つて居りました。フイゴの前に横つ伏しになつて、陣羽織のやうなチヤンチヤンを着て居りますが、背中の丁度左肩胛骨かひがらぼねの下のあたりを一とヱグリにされ、血は八方に飛び散つて居ります。年輩は五十五六、死顏はまことにおだやかで、娘ゆかりに似てなか/\に立派な中老人でもあります。
 血潮は前の疊や道具類には飛沫しぶかず、後ろの壁と、隣り長屋の羽目板に飛沫いてゐるのは、どういふ身體の位置で突かれたものか、平次にも一寸見當がつきません。
 長屋は、俄か造りの大變な普請ふしんで、隣りとの境はペラペラの板が一枚、それも隙間だらけの割れ目だらけですが、さすがに氣がさしたものか、覗いて見るほどの穴もなく、フイゴの後ろは少しばかり、血の飛沫いてゐないのが氣になるくらゐです。
「この通り、何處にも刄物を隱す場所もないよ」
 飯田町の兼吉は、グルリと家中を見渡しました。
「このの中は見なかつたのか、兼吉兄哥あにい
 平次はもう一つ、死骸の後ろにゑた火鉢を指さしました。
「その火鉢の中には、刄物は隱せない」
 兼吉は少し面白さうでした。平次の馬鹿な念入りが可笑しかつたのでせう。
「錺屋の火鉢にしては、灰がよくならしてあるぢやないか。――いくら火がふんだんにある稼業でも、この二月の寒空に火を起した樣子もないのも可笑しい」
 平次はさう言つて、火鉢の中に火ばしを突つ込んで、無作法に掘り返しました。よくならされた灰は無慚むざんにも掻き荒され、中からピンと飛び上がつたもの。
「おや、こいつは小判ぢやないのか」
 平次はそれに力を得て、なほも火鉢をかき廻しましたが、中から出て來たのは、小判が二枚だけ、あとはどう掻き廻しても無駄な努力になつてしまひます。
「なるほど、それは氣がつかなかつたよ」
 兼吉も妙な失策しつさくに頭を掻いて居ります。
「娘のゆかりさんに訊いて見ようぢやないか」
 平次は早速お勝手からゆかりを呼び出しましたが、十七になつたばかりのおぼこ娘は、
「父さんは、お金を持つてゐるやうでした。困る時は、何處からか出してくれたんですもの。でも、その火鉢の中に隱してあるとは知りません。火鉢は割れて居て使ひ物にならず、仕事場の隅に置いてあるだけだと思つて居ました。――お金も、二兩や三兩ではない筈で、浪人した時から用意したお金を、大分持つてゐるやうな口吻くちぶりでした」
 浪人者がかなりの金を隱しながら、錺職で安穩に暮し、娘のために良い婿でも搜してやらうと言つた心持が、はたの者にもわからないことはありません。
「縛られた勇三郎の家は?」
「狹い路地の向う、入口と入口が二間程も離れちや居ない。飛び込んで三郎兵衞を殺し、そつと逃げ出したところで、容易にわかるわけはない。本人に言はせると、三郎兵衞の家を覗いた後、中坂の上へ登つて、子供達の凧揚たこあげを見て居たといふことだ。寒くはあつたが、風のある良い凧揚げ日和びよりだつたよ。――もつとも、少し後で、壁隣りの谷五郎が、自慢の大凧を持つて來たといふことだが」
 兼吉は小判を見落したテレ隱しに、餘計なことまで説明してくれるのです。
「その谷五郎の家といふのは?」
「この隣りだよ、二軒長屋の壁隣りさ。――やくざ稼業の癖に、評判の良い男だ。かけけ事で儲けたのを、貧乏人にバラくし、腕も立ち、男もよく、飛んだ器用な男で、――今朝子供の中へまじつて、下町の人達に見せるんだと、中坂から大凧をあげて居たよ。――おや、谷五郎、其處にゐたのか」
 兼吉は手傳ひの人達を振り返りました。
「飯田町の親分からかつちやいけません。極りが惡くて顏を出せないぢやありませんか」
 好い男の谷五郎は、照れ臭さうに斯う言ふのです。
「お前は今朝何處に居たんだ」
 平次は谷五郎と相對しました。二十五六の好い男で、苦味走つて、愛嬌があつて、いかにもキビキビした男です。やくざ者と言つても、まだ若くて貫祿がないせゐか、平次に對しては、ぐつとへりくだだつた態度です。
「へエ、子供達の凧を揚げるのを手傳つて居ました。絲を持つて來い、尾が足りない、はさみが欲しいと、坂上から何べんも家へ戻りましたが」
「坂の上から見ると、この家の前の路地はよく見える筈だ。――三郎兵衞が殺されたのは、辰刻いつゝ半(九時)過ぎだらうと思ふが、その頃出入りする者はなかつたのか」
「さア、氣がつきませんが、――何しろ凧のことで夢中になつて居たので」
「――」
 それは無理のないことでした。二軒長屋と言つても、錺屋と谷五郎の家は、入口が南と北を向いて居り、全くの背中合せで、壁一重の隣りと言つても、隣町に住んでゐるやうな心持だつたでせう。谷五郎の口からは、それ以上は何んにも手繰たぐれさうはありません。


「念の爲に、向う三軒兩隣りを、見て置き度いが」
 平次が言ひ出すのを待つてゐたやうに、
「さア/\、俺が一と通り目を通したつもりだが、火鉢の中から小判が出たやうに、何が何處にあるかもわからねえ」
 兼吉は少し氣が弱くなつて居りました。勇三郎にかゝる疑ひには、寸毫すんがうの動きがなくとも、なにか新しい證據を、平次の慧眼けいがんで見付けられないものでもありません。
あつしの家からお願ひしませう。鼠の巣のやうな家ですが」
 谷五郎は氣輕に、先に立つて自分の家へ案内するのでした。
 二軒長屋の一方と言つても、男世帶だけにひどく荒れて居りますが、なか/\要領の良い男らしく、荒つぽいながらも整つて居り、お隣りの錺屋かざりやとの境になつて居る板仕切は、嚴重過ぎるほど嚴重で、覗くほどの隙間もなく、所々にハメ木をしたり板を張つたり、神經質にふさいであるのです。
「大層たしなみの良いことだな」
 それを眺めて平次がほめると、
「へツ、お隣りには若くて綺麗なゆかりさんといふ娘さんがありますから、覗いたと思はれちや、あつしの恥になります。向うの錺屋さんの方から見ると隙間だらけですが、此方側からみんな塞いでありますから、下手へたな隙間風も通すことではありません」
 谷五郎はさう言つて揉手もみでをするのです。いかにも男を賣る稼業らしい豪快な感じのする男でした。
「大層な心掛けだね」
「褒められるほどの心掛けでもありせんが、今朝もちよいと丁寧に雜巾ざふきんを掛け過ぎて、この通りまだ板仕切も椽側も濡れて居ります」
 そんな自慢話を空耳に聽き流して、平次は兩隣りを念入り見た上、最後に路地をへだてた、按摩あんま柿の市の家を訪ねました。
「御免よ、ちよいと見せて貰ひ度いが」
 兼吉が聲を掛けると、床を敷いて横になつてゐたらしい、柿の市は、ムクムクと鎌首かまくびをもたげて、
「誰だえ、又岡つ引野郎が來やがつたのか。伜を縛つて行つて何が不足なんだ」
「――」
「學問につて、親孝行ばかりして居る伜が、人を殺すか殺さないか、考へても見やがれ。俺はこれでも二十年前までは、一とかどの武士だつたんだぜ。岡つ引野郎に勝手なことをさせてなるものか。眼さへ見えれば、一人々々槍玉にあげてやるのに」
 ムラムラと湧く忿怒ふんぬのやり場に困つたらしく、柿の市はグイグイと兩のこぶしを握るのです。
「按摩さん、腹を立てるのも尤もだが、俺達は人を縛るばかりが役目ぢやねえ。お前の息子の勇三郎の潔白けつぱくな證據だつてあるだらう。暫らく辛抱してくれ」
 平次は穩やかに言ひました。
「お前さんは、評判の錢形の親分だらう。先刻ゆかり坊が來て、錢形の親分をつれて來たから、勇三郎さんはきつと疑ひが晴れて戻つて來るに違ひないと言つて居たが、成程、錢形の親分は畠山重忠役らしい。お頼みだから、伜が下手人げしゆにんなんかでないといふ證據を見付けて下さい。――私はもう、あんまり心配で、氣がくじけてしまひ、立つてゐる力もなくなつてこの通り寢込んでゐますよ」
 眼の見えない悲しさ、この老人は起きて居る氣力もなく、不斷着のまゝ床の中にもぐつて、息子のことを案じて居たのでせう。
 そのうちに、飯田町の兼吉は、委細ゐさい構はず家の中を搜しました。
「あツ、此處にも小判があつたぜ」
 不意に、飯田町の兼吉は、わめくのです。
「どうした兼吉兄哥」
「この通り、火鉢の灰の中から、小判が、五枚も出て來たぜ。――錺屋との違ひは、火鉢が割れて居なかつたのと、灰がならしてなかつたことだ」
「火鉢の中から、小判が?」
 柿の市はきもをつぶして立ち上がりました。
かざり屋は金持ちだ。錺屋の火鉢の中からも小判が出て來たが、此處の火鉢からも小判が五枚も出て來たのは、どうしたことだね――、おい柿の市、お前が何んと言はうと、伜の勇三郎の繩は解けないぜ」
 兼吉は少し毒々しく言ふのです。


「親分方、私が惡うございました。皆もな申上げます、何も彼も」
 柿の市は凄い目を剥いて、傍に立つて居た錢形平次の裾にすがりつくのです。
「何を言ふんだ。お前は何を言はうとするんだ」
 平次は中腰になつて、その肩に手を置きました。骨張つた痩せた肩です。
 若かりし頃は好い男であつたかも知れませんが、兩眼めしひて、山葡萄やまぶだうのやうに、不氣味に飛び出した上、顏半面の大火傷で、見るも無慚な顏容かほかたちです。これで按摩をやつて居るのですから、餘つ程氣の強い、親切な人でなければ、揉み療法はさせてくれないでせう。
「白状いたします。あの錺屋の野郎は、この私が殺しました。それに相違ございません」
 柿の市の白状は途方もないものでした。下手糞へたくそな按摩で、この上もなく感の惡い柿の市、同じ武士の果てだと言つても、兩眼明かで、武術にも達して居たといふ、錺屋の三郎兵衞を、簡單に殺せる筈はなかつたのです。
「飛んでもないことを言ふ野郎だ。伜の命を助け度いのだらうが、目の見えないお前が、武術の心得のある、錺屋をどうして殺した」
 飯田町の兼吉は、自分の手柄にケチをつけられたやうな氣になつて激しく叱り飛ばしました。
「いえ、錺屋が武術の心得があれば、この柿の市ももとは二本差、武藝の心得もひと通りはあります。一生懸命にさへなれば何んの」
「待つてくれ。それぢや、どうして殺したんだ。面と向つて立ち會つて、殺せる筈はないが」
 平次は口をはさみました。
「後ろから突きました。一と思ひに」
ふいごを使つて、羽目板を後ろにして居たんだ。どうしてその背中を突いた」
「皆んな申上げます。――私は、お隣りの谷五郎親分の家から、羽目板の境の隙間から、突きました」
「何?――眼の見えないお前に、そんなことが出來るのか」
「あの板壁には、大きな割れ目があり、谷五郎親分を揉みに行くと、そこから風が入つて、寒くて弱りました」
「谷五郎はあの若さで按摩あんまなんか呼ぶのか」
「あの人は癇症かんしやうで、ひどく肩が凝るさうで時々私が揉みに參ります。あの居間の柱の側が丁度、お隣りの錺屋のフイゴの傍で、錺屋の三郎兵衞があの羽目板にもたれて仕事をして居るのを、私はよく知つてをります」
「今朝は、お前が谷五郎の家へ忍び込んで、やつたといふのか」
「谷五郎親分は中坂の上でたこをあげてをりました。子供相手の大きい聲が私の家までよく聽えました。――眼が見えなくたつて馴れてをりますから、そつと忍び込んで、あの隙間を手さぐりで搜し當て、其處から一と思ひに突いてやりました。隙間は五分ほどもありませうか、谷五郎親分は不斷はあれをふさいでをりますが、隣りの娘を覗くのが樂しみなんださうで、いつでもハメ込んだ板がはづせるやうになつてをります」
 柿の市の白状は微に入り細に亙て、一應は疑ひもなく、いかにもこの老按摩が、錺屋の三郎兵衞を殺したのではあるまいかと思はせます。
「よし、それぢや訊くが、その隙間から三郎兵衞を突いたとして、得物は何んだ」
「刀でございますよ。落ぶれ果ててももとは武家で、たしなみの一と腰くらゐは用意してあります」
「その刀をどうした?」
 平次はなほも追及しました。
「捨ててしまひました」
「血の附いたまゝか、――何處へ捨てた」
「裏の芥箱ごみばこに捨てました」
「芥箱にはそんなものはないぞ」
「屑拾ひが持つて行つたかも知れません」
「屑屋が血刀を拾つて行つたといふのか」
「さうでも思はなきやなりません」
大概たいがいにしろよ、柿の市」
「?」
「伜を助け度さの嘘だらうが、目の見えない者が、五分や三分の隙間から、人を突き殺せる筈はないし、第一、錺屋の三郎兵衞を突いた傷は刀や匕首あひくちぢやない、兩刄の得物だ」
「兩刄――そんなものはない」
「お前のところにはないだろうが曲者はそれで三郎兵衞を突き殺したよ。――さア、飛んだ無駄をしたね。向うへ行かうか兼吉兄哥あにい
 平次は兼吉と八五郎をうながして引揚げようとするのです。三郎兵衞殺しは絶對に盲目めくら按摩でないとわかると、この上の長居は無用といふことになります。


「待つて下さい親分方、この上は、皆んな申上げてしまひます。私があの錺屋の三郎兵衞を殺さなければならなかつたわけ」
「もう宜いよ。殺し度いと思つたところで、下手人はお前ぢやない」
 兼吉はもう我慢がなり兼ねた樣子です。
「いえ、これを申し上げなきやわかりません。あの錺屋三郎兵衞は、武家であつた時の名は田屋三郎兵衞、もと中國筋の大名の家來で百五十石、御馬廻りを勤めた侍で、この私に取つては、二十年來の怨敵をんてき、命を取つたに無理はありませうか」
「?」
「聽いて下さい。今こそ按摩をして、細々と暮してをりますが、私は同じ藩の客分と言はれた郷士、苗字帶刀も許され、庵崎いほざき三七郎と申しました。中年の怪我で思はぬ盲目になり、見る影もない顏容かほかたちになつてしまひました。こんな顏容ちになればこそ、敵の側まで寄つて來て、五年の長い間、討ち果す折を狙つてをりました」
「待つてくれ、お前は、かざり屋を、親の敵とでも思つたのか」
「親の敵ぢやありません。女敵めがたき討で」
「女敵討?」
 その頃には、さう言つた言葉もあつたのです。女房の不義を見付けた夫は、その女房と相手の男を斬るのは、妻敵討又は女敵討の名で、默許の姿になつて居たのです。
「私の家は富み榮えました。土地の郷士で、士分のあつかひを受け、藩中並ぶ者もない勢威でしたが、今から二十一年前家中の侍の娘をめとり、伜勇三郎を生みましたが、困つたことに、私の新嫁には、私のところへ嫁入りする前に許婚があつたのでございます」
「?」
 話は奇怪に發展しさうです、平次も兼吉も固唾かたづを呑みました。
「許婚と言つたところで、親同士の口約束で、本人には何んのかゝはりもありません。ところが、私の女房の親達が、金に困ることがあつて、娘の許婚の口を破談にし、その娘を私のところに嫁入りさせました。――許婚の武家といふのは、御察しでせうが、かざり屋の前身、若い頃の田屋三郎兵衞だつたのでございます」
「――」
「田屋三郎兵衞は許婚の女が私のところへ嫁入りすると、私を敵のやうにつけ狙ひました。そればかりでなく、私の女房の袖を引いて、しつこく附きまとひましたが、女房はなか/\堅固な女で、昔の許婚に白い齒も見せなかつたのでございます。――それから一年ばかり經つた後、惡者を語らつて、田屋三郎兵衞は到頭私の女房を盜み出してしまひました――女房は可哀想に、身を恥ぢて、旅先で自害して死んでしまつたさうで――これは後で知りましたが」
「――」
「そんな事で田屋三郎兵衞は浪人し、私も家を弟にゆづつて、三つになつたばかりの伜勇三郎を背負ひ、何處ともなく旅に出ました。田屋三郎兵衞に出逢ひ次第、せめて一と太刀なりとも怨まうと」
「――」
「長い苦勞が續きました。その上今から十年前思はぬことで大怪我をして盲目めくらになり、この通りの顏容ちになり、世過ぎの按摩あんまを習ひ覺えましたが、それから五年ほど經つて、田屋三郎兵衞が飯田町に住んで本名をそのまゝ錺屋かざりやをして居ることを、昔の藩中の方から教へられ、同じ中坂のこの家に住んで、敵三郎兵衞を狙つて五年といふ月が經ちました。見えない眼でも、一太刀怨めない筈はあるまいと、一生懸命見張つて來ましたが」
「ところが?」
「困つたことが起りました。――伜の勇三郎はもう二十歳、學問につて、武藝も按摩も商賣も習はうともせず、その上、田屋三郎兵衞の娘――江戸へ出てからめとつた女房の忘れ形見ださうで、ゆかりといふのが不思議に綺麗な娘ださうで、年頃になつて、伜と親しくなるのを親の私は止めやうもありません。ソハソハした伜の樣子に氣を揉みながら、今日まで我慢に我慢をして參りました。田屋三郎兵衞を殺したのは、伜の勇三郎でなく、この私に違ひないことは、よくおわかりでせうな、親分方。サア、私に繩を打つて下さい。――もう生きて居る望もない私――庵崎いほざき三七郎でございます。せめて處刑臺の上から、――いや/\、私は三郎兵衞を殺したに違ひありませんが、それは立派な女敵討、何處へなりと出て行つて、この由を申上げませう。同藩の江戸留守居の方には昔のことを覺えていらつしやる方もあるでせう」
 庵崎三七郎の柿の市は自分の兩手を後ろに廻して觀念の目をつぶるのです。


 簡單に見透せさうで、こんな厄介な事件は滅多にありません。平次は兎も角、陣を立て直して、最初から調べを始めることにしました。
「八、お前はこれから、錺屋かざりやと按摩の身許を、念入りに調べてくれ。あの柿の市の言ふことに嘘はないやうだが、――それから谷五郎の身許も調べて見るのだ。評判の良い男だが、金づかひの具合、色事の掛り合ひなど、俺達には眼の屆かないところが多い」
「承知しました」
「俺は勇三郎に逢つて、それから、ゆかりと谷五郎に逢つて見る」
 平次は正攻法にかへつて、先づ自身番に居るといふ、勇三郎に逢ひました。
「飛んだお手數をかけて相濟みませんが、私は錺屋の三郎兵衞さんを殺すわけはありません。ゆかりちやんとの仲を、どうしても承知してくれないのは私の父親だけで、錺屋の小父さんは、薄々承知をしてをりました」
 と、何んの含みもない口吻くちぶりです。
「お前の父親は、大層錺屋を怨んでゐたやうだな」
「それが、私には不思議でならなかつたのです。訊いても話してくれないし、――眼の見えないせゐか、一てつな人で、こんなことを教へると、お前の出世のさまたげだから――と、若いときのことや、私の氣持を荒立てるやうなことは、口にも出さなかつたのです」
 二十歳といふにしては、若々しい男で、少し弱さうですが、いかにも氣持の良い勇三郎でした。火鉢の灰の中から、少しばかりの小判が出て來ただけのことで、この青年を人殺しの下手人にする氣にはなれません。
 もとの家に戻ると、三郎兵衞の死骸は清められて、入棺を始められて居りました。二軒長屋の谷五郎は、いかにもよく働いてくれます。
「濟まねえが、手がいたら――」
 平次はそれを物蔭に呼びました。
「何んか御用で?」
 これもなか/\の好い男です。勇三郎よりは幾つか上でせうが、小意氣で、したゝかで、何んとなく戰鬪力を感じさせます。
「少し訊き度いが、お前は錺屋とは大層懇意こんいだつたやうだな」
「へエ、武家上がりと百姓上がりで、懇意といふ程でもございませんが」
「百姓あがりといふと、お前の生國は江戸ぢやないのか」
「甲州でございます、鰍澤かじかざはで」
「それは良いところだね」
「十五六の時、家を飛び出して江戸へ參りました。親が達者で居さへすれば、斯んなことはなかつたでせうが」
「お隣りのゆかりと仲が良いのか」
「飛んでもない。あれはほんの子供で、勇三郎と飯事まゝごとをしてゐるやうですが、こちとらの相手ぢやございません。あんまりいぢらしいから、毎日覗くやうで惡いと思ひ、境の羽目板の割れ目も、私の方からふさいだくらゐで」
 さう言ふところは、なか/\いさぎよい男前です。
 平次は谷五郎の次に、ゆかりを呼出して貰ひました。中坂の空地、路地の奧で、それは妙な調べですが、手つ取り早く調べて行かうといふ、平次の兵法でもありました。
 早春の陽は、富士見町の森に落ちかけて、夕風は寒くなりました。坂の上では相變らず、下町つ子に見せびらかすやうに、いろ/\のたこが夕空に泳いでをります。
「親分さん、御用は?」
 ゆかりは歩み寄りました。父親の通夜のことも氣になりますが、縛られて行つた勇三郎のことで、小さい胸は一パイのやうです。
「打ちあけて話してくれ、お前と勇三郎の中を――隱さなくたつて宜い。みんな勇三郎の口から聽いてしまつたよ」
「まア」
 ゆかりは途方にくれた姿です。
「父親達は承知して居たのか」
「私の父さんは何んにも言ひませんでしたけれど、勇三郎さんの父さんは、敵同士だからとか何んとか言つて、承知してくれなかつたさうです」
「どんな敵同士か、お前は知つて居たのか」
「いえ、勇三郎さんさへ、くはしいことは知らないと言ふんですもの」
「もう一つ訊くが、谷五郎は綺麗な口をきいてるが、お前に變な樣子は見せなかつたのか」
「さう言へば變なことがありました。でも、父さんはもとは武家で、あんな無宿者見たいな人は嫌ひでしたから」
「よし/\、ひどくやつ付けられでもしたんだらう」
 ゆかりの話はそんなことでお了ひでした。


 間もなく、八五郎が戻つて來ました。
「親分、ひと廻りして來ましたよ」
「どうだ、大方の見當はついたか」
錺屋かざりやと按摩の見當はついたが、下手人はまるつきり付きませんよ」
「それは此方で搜す。ところで、お前の方の調べは?」
「錺屋と按摩の關係いきさつは、あの柿の市の言つた通りですよ。女敵と言へば女敵に違ひないわけで」
「それから」
「それつきりですよ。下手人は矢つ張りあの按摩ですか。羽目板の割れ目から刀でゑぐつたといふ」
出鱈目でたらめだよ、そんなことは達人業だ。按摩に出來ることぢやない。尤も、板の割目は恐ろしく嚴重に塞いであるが、釘は新しいから近頃の細工さいくで、雜巾掛も念入りで怪しいところがある、――板に附いた血も拭いたんぢやあるまいかと思ふが――肝腎かんじんの刄物が見付からないから、キメ手がない」
 平次もこの邊で行詰つてしまつたのです。
「あの板の割れ目から、人は殺せませんかね」
「たつた五分ほどの隙間だ」
「ところがね、親分。あの谷五郎といふ男の身の上を聽きましたか」
「訊いたよ、甲州者だつてね。鰍澤かじかざはの生れだと本人が言つて居たよ」
「その鰍澤で思ひ出したが、谷五郎には妙な隱し藝があるさうですよ」
「隱し藝?」
「鰍澤で育つて、やすの名人ですつてね」
「箝?」
もりに似て、鐵の尖きが三つか四つに別れて、魚を突く道具ですよ。川でも海でも使ひ、時にはなまずうなぎも取るが。もとは、岩川の石を起して、底を拔いたをけを眼鏡にして、かじか岩魚いはなを突くんで」
「よく知つてるな」
「聽いて來たばかりです。――谷五郎の野郎はそれが名人で、狙つたら、どんな魚でも逃しつこはないさうで、岩魚いはなの眼玉を縫ふ手練だと言ひます」
「わかつた、八、それだ」
「何がそれです?」
「五分ほどの板の隙間から、人の背中を突いて殺せるのは、その手練の外にはない」
「そんな事が出來るでせうか」
「火鉢の灰をならして置いたのも變だし、そのくせ按摩あんまの家の火鉢に小判を隱したのも尻の割れる事をわざとやつたやうぢやないか。かざり屋に金のあるのを知つて居るのは、隙間から覗く谷五郎の外になく、その上、あの娘のゆかりに當つて、ひどく父親に怒られて居るらしい」
「得物は何んです、親分。刀でなし、庖丁でなし、切出しぢや短いし、きりぢや細過ぎる」
「待て/\、兩刄で長いものといふと槍の外にないが、槍は滅多なところへ隱せる道具ぢやない」
「?」
「谷五郎は朝のうち何處かへ出なかつたか」
たこをあげましたよ」
「あ、それだ。行つて見よう、八」
 平次と八五郎は、中坂上の子供の群の中に飛び込みました。日は暮れかゝつて居るのに、子供達はまだ凧揚げに夢中です。
「よく揚がるな、――俺も仲間に入れてくれないか、此處から凧を揚げると、江戸中から見えて氣持がよからう」
 平次は愛想よく子供の中に入つて行きます。
「小父さんも入るかい、面白いぜ」
 子供達は大人を仲間にすることに、一種のほこりさへ持つて居るのでした。
「ところで、今朝揚げた凧は素晴らしかつたな。あれは見えないぢやないか」
「谷五郎親分が、自分の家で絲目をつけてくれた三十二枚張りさ。俺達の手では、どうにもならない」
「何處に置いてあるんだ」
「其處の物置だよ」
 火消道具などを入れて置く町内の雜用の物置のを開けると、其處に三十二枚張りの武者繪を描いた大凧おほだこがあります。
 取上げて念入りに見て行くと、凧の裏、絲目を絞つたところに、明かに血が――しかもかなり多量の血が付いてゐるではありませんか。
「これだよ、八」
 平次はそれを指さしました。
「得物は?」
「此處まで追ひ込むと、もう先が見えてる。お前は其處にある下水のふたを剥いで搜せ。谷五郎に感付かれちやならねえ。俺はひと足先に――」
 平次は其處から中坂を疾風しつぷうの如く下りました。谷五郎はもう事の破れを察して、逃げ出さうとしてゐる矢先。
「御用だツ」
 平次はその襟髮を取つて引戻したのです。
 が、谷五郎はしたゝかな鬪手でした。平次も少し持て餘して、二三枚錢を飛ばしたところへ、
「見付けましたぜ親分、下水の中から」
 泥だらけになつて居る一尺五寸もあらうと思ふやりを振り廻して、八五郎は飛んで來たのです。
        ×      ×      ×
 この事件は繪解きにも及びませんでした。柿の市も我慢の角を折つて、ゆかりと勇三郎を一緒にし、按摩をして氣樂に送つたことは言ふまでもありません。勇三郎はもとの藩に書き役で仕へ、ゆかりの新嫁姿の初々しさは番町の名物になりました。





底本:「錢形平次捕物全集第三十四卷 江戸の夜光石」同光社
   1954(昭和29)年10月25日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1954(昭和29)年3月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年12月25日作成
2017年3月4日修正
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