探偵小説このごろ

野村胡堂

江戸川乱歩




「銭形平次」で世界的多作家に


 江戸川乱歩 ずいぶん書いたね。「捕物帖」は……何篇くらいになった?
 野村胡堂 ハッキリしたことはわからないが、三百篇は越しているだろう。もっともわたしの捕物帖は、「銭形平次」と「池田大助捕物控」と両方だからね。銭形の方は、二百四、五十篇というところかな? よく書いたものだわれながら……。「オール読物」の創刊号から毎号一篇ずつ載せはじめて……五年目だったかに半年くらい休んだ。休んだのはそれだけだ。そしたら読者が承知しなくてね。販売店がうるさくいってくるんだそうだ。それでまた載せはじめたわけだ。
 江戸川 銭形平次が登場してから何年くらいになるだろう?
 野村 今年でもう二十一年目だよ。
 江戸川 こんなに多くの短篇を書いた人は外国にも例がない(これは探偵小説の場合)。英国のコナン・ドイル(名探偵シャーロック・ホームズ物語の作者)が相当書いているようで、あれで六十篇くらいのものだし、同じく英国のチェスタートン(神父ブラウン物語の作者)だって八十篇だ。
 野村 そのかわりわたしの書くのは、あなたのもののように、行き詰ってしまうような凝ったものじゃない。
 江戸川 それにしても、探偵小説だからどうしてもトリックがいる。よくそれだけのトリックを考え出すものだ。三百篇のうち同じトリックをつかったものはないんだろう?
 野村 それはない。もっともつい忘れてしまって、似たようなトリックをつかって別のを書いてしまうことはあっても……全然同じということはないね。
 江戸川 ウム。そこでその心境だな、聞いてみたいのは……それだけ多作している間の気持ちは?
 野村 そうだね。むかしは大衆小説風に書いたね。チャンバラ式にだ。それからだんだんコナン・ドイル風になってきた。近ごろは心理的に書こうという気持ちになってきている。性格描写などにも力をいれてね。しかしね。三十枚そこそこの長さじゃ、とてもそんなのは書けぬ。
 江戸川 そうだね。原稿用紙三十枚では探偵小説的面白さは出せない。ドイル時代はだいたい百枚……。
 野村 五十枚以上の長さでないとダメだ。

アメリカにも「捕物帖」があった


 江戸川 そうすると、あなたの銭形平次はだんだん文学的になってきているわけだな。もっとも捕物帖は、時代が古いから外国の探偵小説みたいに自由自在に謎をつくるわけにいかんから苦心させられるな。
 野村 江戸時代という魅力があるんで、書いていても楽しい。
 江戸川 ところで、ぼくは最近アメリカの捕物帖を発見したんだ。作家はポーストといってヴァン・ダイン(「グリーン家の惨劇」の作者)より古い。作品の時代はアメリカの南北戦争より前、開拓時代になっている。幌馬車と牧場のころなんだ。銭形平次に相当する名探偵は「アブナー叔父さん」といって、牧場主なんだ。これが、すべての作品に登場してきて、ズバリズバリと明快な推理をやるんだが、そういう素朴な時代だから犯罪のトリックも捕物帖ていどの簡単なものだ。捕まった犯人が裁判にかけられたりするんだが、政治も法律も自分たちがつくったものだという考え方が作中にあふれていて、たいへん面白い。この種の小説の作家としてはエドガァ・アラン・ポウ以後ヴァン・ダインまでの最大の作家でアメリカでも珍重されているらしい。
 野村 探偵小説にしてもその時代のふんい気が重大だね。
 江戸川 あなたは捕物帖にユーモアもいれていますね。
 野村 わたしは「銭形平次」はユーモラスな会話で江戸時代の洒落しゃれを出したい、アメリカ映画流儀の気のきいた会話で筋を進めるようにしたいと思っているんだが、「池田大助」の方はこれとは趣きを変えて、ストーリーを主にする。こういう風に二つの捕物帖を区別してあるんだ。

平次と八五郎は社会部長と部員


 野村 わたしの知っている共同通信の記者なんだが、銭形平次と八五郎は親分と子分という関係ではなく、社会部長あたりとその部員……そっくり新聞記者的関係ですね、といっていたが、まァそういわれると、そうもいえる。わたしは長いこと社会部長(報知新聞の)をやっていたが、面白かったな。ずいぶん部員の尻ぬぐいもさせられてね。ある日社へいってみると誰もいない。変だな、どうしたんだろう?と思っていると電話がかかってきて……みんな板橋あたりへ遊びにいって、勘定が払えないもんだから、帰れない。そこへ籠城しているというんだ。助けにきて下さいってわけなんだ。みんなを助け出してやらんことには仕事にさしつかえるしね。しょっちゅうあったよ。そういうことが……
 江戸川 ほウ。
 野村 しかし楽しかった。ある雑誌社で座談会をやって、今までにどんな仕事が面白かったかと、聞かれたんで、なにが面白いといって新聞記者くらい面白いことはなかった、といった。
 江戸川 野村さんは、ぼくの恩人だよ。あんたが「写真報知」という週刊誌をやっているころ、ぼくに原稿を書かせてくれた。「新青年」以外に書いたのはそれがはじめてで、しかも新青年の倍の原稿料をくれた。まったく忘れられない。
 野村 わたしの恩人は、亡くなった直木三十五でね。彼は「文藝春秋」にさかんにわたしを推賞してくれた。わたしは四十六歳になって小説を書きはじめたんだけど、妙なところに恩人がいるもんでね。山手樹一郎君も、わたしに「譚海」という雑誌に九年連載のものを書かしてくれた。
 江戸川 一番古い捕物帖の作者というとやっぱり岡本綺堂かな?
 野村 まァそうだね。それから佐々木味津三、林不忘……みんな亡くなってしまった。
 江戸川 あの銭形平次の投げ銭……あんなことがむかしあったのかな?
 野村 いや、それをラジオの「朝の訪問」のアナウンサー君にきかれて弱った。あんなのは実際にはなかったろうな。わたしのは「水滸伝」に出てくる没羽箭ぼつうせん張清という豪傑、腰に錦の袋を持っていて、その中から石ころをとって投げる。これにはさしもの黒旋風も悩まされるんだが、それにヒントを得たといえばいえるし……。

吉田首相へお礼しなくちゃア……


 江戸川 あなたのは、はじめは外国探偵小説の翻案だと思われたでしょう?
 野村 そう、はじめはまちがえられてね。翻案は全然ない。しかし、どうも日本は探偵小説や捕物帖を目のかたきにするね。小泉信三氏から聞いた話だが……イギリスのある有名な首相だよ。政局の動きが思わしくなくて、憂鬱になっていた。ある日とても愉快そうにニコニコしているので、夫人が政局がうまいぐあいに打開されたか、と喜び「どうなさったの? 予算が議会を通ったのでございますか」と聞いたら「いや、嬉しいじゃないか、コナン・ドイルがまた新しい小説を書きはじめたそうだ」といったという話。
 江戸川 吉田首相も探偵小説の愛読者なんだそうじゃないですか。
 野村 牧野伸顕氏も実に好きだったらしい。ある外交官が外国へいく前に、牧野さんを訪ねて「なにかご注文は?」と聞いたら「面白い探偵小説を二、三冊送ってくれ」といったそうだ。
 江戸川 探偵小説は、外国では老人が読んでいる。日本では若いものが読む。まるで反対だ。ぼくは書きはじめてから二十五年になるが、このごろになって、代議士になっているくらいの年輩の人に、「読んでいますよ」といわれるようになった。嬉しくなるね。
 野村 吉田首相がわたしの捕物帖を読んでいるというんで、新聞やラジオでずいぶん冷かされて、困ったよ。しかし、おかげで、だいぶ宣伝になってね。そのうちにお礼にいかないといかんな。
 江戸川 この前アメリカへいった金森徳次郎氏に会った。アメリカで国会の図書館へ案内された。たいしたライブラリーでね。アメリカの議員さんは、ずいぶん勉強するでしょうねと彼がきくと、「なあに、読んでいるのはフィクション(小説)かデテクティヴ(探偵もの)ですよ」といっていたそうだ。

探偵小説は犯罪の予防薬である


 野村 わたしはね、こう思うんだ。探偵小説は盲目的本能の安全弁だと。探偵小説を読んでいる人は兇悪な犯罪はやらない。先生に毒入りウイスキーを贈って殺した東大小石川分院の蓮見。あんな犯罪は一見探偵小説をまねたようで、しかし決してあの犯人は探偵小説を読んでいないね。探偵小説は想像力を養うのに役立つよ。想像力をもっていないということは恐ろしいことで、ああすれば、こうなるということを知らない。だからどんな兇悪な犯罪でもやれる。少年犯罪の多いのも、少年たちが精神的失緊状態になっているためで、オシッコをたれ流すのとなんら違いがない。本能のおもむくままにやってしまうという状態なんだ。想像力を盛んにすれば行為の結果について考えるから犯罪予防になると思うね。
 江戸川 むかしはちょっとした手のこんだ犯罪があると、犯人は探偵小説の愛読者にしてしまったりしたものだね。ところであなたの奥さんは、あなたの作品を読んでいる?
 野村 それがまたどうして女房というものはこんなにも亭主のものを読まないんだ、といつか話合ったことがあるんだが、うちの女房はまるで読まないね。もっとも子供は熱心な愛読者でね。女房というものは、亭主を一から十まで知りすぎているから、その書くものにも興味を持たんのじゃないかね。
 江戸川 亭主が道楽をはじめると、こんどは読む。作品のどっかに現われていやしないかと隅から隅まで……
 野村 道楽はしないね。およそ探偵作家というものは……(記者に向って)これは特筆大書してもらいたいな江戸川さんしかり、大下宇陀児君しかり。みんな女学校の校長にしてもいい人たちばかりだ。エロっぽい絵を描いた歌麿がガマガエルみたいな男だったそうで、男っぷりのいいのには色っぽい小説が書けないのと同然、奇々怪々な作品を書く人はみんな善良な男らしい。
 江戸川 怪奇なものを書くぼくはいい男ということになるかな? ハッハッハ。レコード道楽の方はどうなっている?(野村氏は「あらえびす」の別名でレコード音楽について書いている。日本有数の権威者である)

英訳出来なかった平次捕物控


 野村 蒐集したレコードを保存するのに鉄筋コンクリートの倉庫でも建てたいと思っているんだが……。毎年一ぺんは手いれをしないとレコードは傷むし、手いれをするとなると半日ずつ仕事をするとして、五人で半年かかる。あなたの徳川時代の軟派ものの蒐集だってたいしたものだよ。西鶴のオリジナルをそろえて持っている人っていないよ。
 江戸川 ああいう蒐集は案外金がかからんでね。今は国産的なものは安い。
 野村 コレクションはあとが楽しみでね。今はあんまりレコードも聞かんけど、専門家が訪ねてくると、聞かせることにしている。今日も今ごろ二組家へきているはずだ。
 江戸川 おたがいだんだん年をとっていくが、作品の主人公はいつまでも若いね。
 野村 銭形平次は何年経っても三十だ。年をとらせると失敗するよ。歯の抜けたオヤジになってしまったんじゃア……。一ぺんお静(平次の女房)を妊娠させたことがあるが、その後子供の出る作品は書いてない。どうやらあれは流れたらしい。ハッハッハ。平次もはじめは元禄時代にして書いたんだがね。次第に書きにくくなって、今は化政度のつもりで書いている。
 江戸川 ぼくは自分の短篇の英訳を自費出版しょうと思ってね。「心理試験」「人間椅子いす」「双生児」といったものをハリスという人が訳してくれた。間もなく出せると思う。
 野村 いつかわたしの捕物帖を訳すんだといってアメリカ人が持っていったが、とてもダメです、といってきた。英語にならんらしい。だいいち親分という言葉がない。ボスでは困るし……。ハッハッハ。





底本:「野村胡堂探偵小説全集」作品社
   2007(平成19)年4月15日第1刷発行
底本の親本:「毎日グラフ」
   1950(昭和25)年4月10日
初出:「毎日グラフ」
   1950(昭和25)年4月10日
入力:ばっちゃん
校正:阿部哲也
2016年1月1日作成
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