無題(故海野十三氏追悼諸家文集)
野村胡堂
「海野さんのものを全部読まして下さい」と言って来た、若い電気学生があった。それは私の知人の次男坊で、私の書いたものなどは、鼻であしらって、一向感服した顔もしてくれないお点の辛い青年であったが、海野君の作品にひどく傾倒して、私の持っている海野十三氏著の幾十冊を悉く読破して、まだもの欲しそうな顔をしているのであった。
その青年は今はもう立派な弱電気の学者になり、さる学校で教鞭を執っているが、今でもなお海野君の愛読者たるに変りはなく、海野君に満腔の好意を持っていることを私は知っている。
海野君の強さは、斯んなところにあったと思う。あの作品に通じている特色は、海野君の聡明さと、あの魂の美しさだ。
海野君の死は惜んでも惜み足りない。私も若くて親切な友人を喪った悲しみに打ひしがれているが、それよりも海野君を喪った、幾十万の読者の悲みと失望は容易ならぬことだろうと思う。
これは決して形容詞や誇張ではない。私と海野君の交りは極めて淡いものであったが、今となって、もう少し繁々と往来して、海野君の良さに接して居るべきであったという、大きな悔に悩んでいる。
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