「親分、小柳町の
「恐ろしく早いぢやないか、待たしておけ」
「へエ――」
平次は八五郎を追ひやるやうに、ガブガブと
美しい朝です。鼻の先がつかへる
こんな快適な朝――起き拔けの平次を待ち構へてゐるのは、一體どんな仕事でせう。
「親分、た、大變なことになりました」
伊丹屋の大身代を
「駒次郎さんかい、――どうしなすつたえ?」
萬兩
「皆んな、隱せるものなら隱す方がいゝつて言ひますが、私はあんまり
駒次郎は、女の子のやうに、少し品を作つてお
「隱すの、下手人の――つて、一體それは、どんな事で?」
「親分、聞いて下さい。昨夜向柳原の
「えツ」
「母親と一緒に風呂へ行つた歸り、――一と足先に歸つて來たところを路地の中で
「それを隱して置く法はない、誰がそんな事を言ひ出したんだ」
「私の家の番頭達が言ひ出し、
平次も驚きました。向柳原の名物娘が一人、絞め殺されて死んだのを、うやむやに
「十三屋のお
十三屋の文吉が、娘のお曾與を
「さうですよ、祝言は三日の後――この二十五日といふことになつて居ました」
駒次郎はいかにも
「成程、そいつは氣の毒だ」
「番頭や親類が集まつて、――こんな噂がパツと立つて、萬一呼賣の
「無法な人達だな」
「でも私は口惜しくて口惜しくてたまりません。嫁を貰ふのを一々怨まれちや、やり切れないぢやありませんか。この先もあることですから、どうぞ下手人をあげて、お
「お前さん、怨まれる心當りがあると言ふのかえ」
「――」
駒次郎は默つてしまひました。が、この樣子では、金があるに任せて、飛んだ罪を作つてゐるのかもわかりません。
「八、一と足先に行つて見てくれ。怨まれる筋があるさうだから、思ひの外手輕に
「へエ――」
八五郎のガラツ八は、伊丹屋の駒次郎を
間もなく八五郎が歸つて來ました。
「親分、濟まねえが、ちよいと智惠を貸して下さい」
「何だ、もう見當が付く頃ぢやないのか。嫁入り前の娘を殺す奴は、大抵極つてゐる筈だ」
「それが一向決つてゐないから不思議で――」
「どうしたんだ」
「下手人の匂ひのするのが多過ぎるんですよ、親分」
ガラツ八は事件の
娘の親の
伊丹屋の先代、――この春死んだ駒次郎の父親が生きてゐたら、この祝言は成立たなかつたでせう。十三屋文吉のやうな、評判の惡い男の娘を嫁にすることは、お曾與がどんなに良い娘であつたにしても、大地主で
駒次郎はまた典型的な道樂息子で、八五郎の言葉を借りて言へば、
「あれは馬鹿野郎ですよ、金で世間の女が何うにでもなると思つてやがる、――その金で自由になつた女が、皆な自分に血道をあげると思ひ込んでゐるから
かう言つて、ペツペツと
「八、その家の中から庭へ唾を飛ばすのだけは止してくれ。大層見事な藝當だが、千番に一番間違つて、疊へ落ちた日にや、
「へツ」
八五郎はポリポリと
「ところで話の續きはどうした」
「そこで、
「無駄はいゝ加減にして、それから何うした?」
「娘は路地の外で殺されてゐたのを、一足おくれて歸つて來たお袋が、
「――」
「起して見ると、自分の娘のお曾與が、
「白木の三尺?」
「その三尺は誰のだと思ひます、親分?」
「下手人ので無いことだけは
「えらいツ、さすがは錢形親分だ」
「馬鹿だなア」
「その三尺の持主は、同じ町内のやくざ野郎で、勘三郎のものと知れた」
「あの、大工くづれの?」
「しめたと思つたから、飛んで行つて勘三郎を擧げるつもりだつたが、いけねえ、――肝腎の勘三郎は、三日前から
「本當か」
「
「フーム」
「そのお袖がまた、殺されたお曾與の前に、駒次郎と評判が立つてゐたいふから
「フーム」
「その上兄の勘三郎は、お
「それつ切りか」
「まだありますよ、親分、伊丹屋の馬鹿野郎は小唄の師匠のお舟の世話も燒いてゐた」
「そんな話を聞いたこともあるやうだな」
「月々かなりのものを仕送つて、
「まだ續いてゐるか」
「お曾與の話が始まつてから、手切の金をやつて、綺麗に切れたとは言つてますがね」
「フーム」
「當てになつたものぢやありませんや。すると、お曾與を殺しさうなのは、勘三郎と、その妹のお袖と、師匠のお舟と――」
「勘三郎とお袖でなきや、お舟に決つたやうなものぢやないか」
と平次。
「ところが、お舟も
「はてな?」
「お舟のところに
「知らないよ」
「三十がらみの
「勘三郎とお袖は兄妹だらう」
「へエ――」
「お舟と和助も、
「だから親分行つて見て下さい。あつしぢや、此上の見當が付かねえ」
八五郎は正直に投げ出してしまつたのです。
平次は大きな
先づ一番に小柳町の伊丹屋へ行つて見ると、本人の駒次郎以外は、お曾與を嫁に迎へることに賛成なのは一人もありません。
駒次郎に逢つて聞くと、
「お曾與は良い娘でしたよ、生一本で、情が
そんな事を言ふのです。
「お袖やお舟を捨てたのはどう言ふわけで?」
平次はこんな事まで突つ込むのです。
「お袖は兄がいけない、あの勘三郎は親類附合の出來ない男ですよ」
「お舟と手を切つたのは?」
「あの女には蟲が付いて居る、私は何時
平次はこれ以上聞くこともありませんでした。
「親分さん、敵を討つて下さい。娘をこんな目に合せた人間を、八つ
父親の文吉は娘の死骸を見せながら、氣狂ひ染みた事を言ふのです。
「下手人は直ぐ擧げてやるが、一體誰がこんな事をしたんだ、心當りでもあるのかい」
と平次は
「心當りはうんとありますよ、親分。伊丹屋の旦那のところへ
「そのうちでも、
「お袖や、お舟は諦められない口です」
「それから」
「娘を追ひ廻してゐたのでは、お袖の兄の勘三郎といふ野郎があります。あの野郎なら殺し兼ねません。恐ろしく無法な奴で――」
文吉の
平次はお曾與の枕元に線香を上げて、そこ/\に不快な空氣から遁れ出ました。
その次に訊ねたのは、小唄の師匠のお舟、何とかいふ名取りですが、昔から知つてゐる平次には、唯の新造のお舟のやうな氣がしてなりません。もう二十七八にもなるでせうが、若くて、意氣で、美しくて、何となく心ひかるゝ
こんな
「あら、錢形の親分さん」
お舟は
「お舟、お
かう言ふ平次は、自分ながら職業的な嫌味を自分に感じて居りました。
「え、お氣の毒ねエ」
「お前もさう思ふか」
「まア」
「お曾與には
「飛んでもない。伊丹屋の若旦那と手が切れて、私は清々して居ますよ」
「本當かい、それは?」
「嘘なら、今日にも伊丹屋の若旦那と
「大層な見切りやうだね」
「世の中に、色男面をする人間ほどイヤなものはありやしません。本人はお曾與さんと祝言をしたら、江戸中の女は半分位
「手嚴しいな、お舟」
平次も、お舟の
「だから、お曾與さんを殺したのが、伊丹屋の若旦那に振り棄てられた女の怨だと思つたら大間違ひさ、――金さへあれば、どんな事でも出來ると思ふやうな男に、女は夢中になるわけはない――金より外に何んにも持つてゐない男のために、人殺しまでする女がこの世の中にあるでせうか」
「さう言つたものかも知れないな。ところで、お前は大層な手切金を貰つたといふ話ぢやないか」
平次は話の方向を變へました。
「え、――まア/\あの
「いくらだ」
「五十兩」
「ほう、それは大金だ」
「五十兩も出さなきや、私は頸でも縊ると思つたでせう」
「ところで、
「出やしません。日が暮れるとお
「和助といふのは?」
「私の遠い
「――」
お舟に呼ばれて、默つて出て來たのは、本當に物の
弟子達の下足を揃へたり、水を汲んだり、使ひ走りをしたり、下女に手傳つて
「昨夜お舟は何處へも出なかつたね、和助」
平次は聲を掛けました。
「へエ――、私も師匠も、
さう言つて和助は敷居を指すのです。
「下女は?」
「母が病氣で三日前に房州へ歸りましたよ、――今日は戻る筈ですが」
お舟は何のこだはりもありません。
平次とガラツ八は、其足をすぐ勘三郎の家へのしました。
「病氣だつて言ふぢやないか、どんな具合だい」
淺間な家、木戸から入つて聲を掛けると、
「あつ、錢形の親分」
勘三郎はあわてて
「起きなくたつていゝよ、其儘で構はない」
「へエ――」
「お前は飛んだ仕合せだつたよ、ピンピンして居て見ねえ、今頃は無事ぢや濟まないよ」
「お曾與の
「何て口のきゝやうだ」
「へエ――」
平次にたしなめられて、勘三郎は頭をかきました。
三日寢てゐたといふ

「腹を惡くしたさうぢやないか」
「なアに、大した事はありませんよ。兩國で散々
「それぢや腹をこはさねえ方が不思議だ」
「相濟みません」
「俺へ詫びなくたつていゝ。ところで、お曾與殺しに、何か心當りはあるかい」
「大ありですよ、誰もあの
「まア、兄さん」
妹のお袖は側からあわてて止めました。十九――殺されたお曾與よりは一つ年下ですが、荒つぽい兄の勘三郎に似ぬ、
「大丈夫だよ、錢形の親分さんは見通しだ。思ふ存分な事を言はない方が、反つて
「その通りだ、氣の付いた事は何でも言つてくれ」
「千三つ屋の文吉奴、自分のとこの七つ下りの娘を
「フーム、どんなことをしたんだい」
「あつしの妹と伊丹屋の若旦那と心易くなつた時は、お袖には勘三郎といふやくざな兄が附いてるから後が怖いとか、お袖の
「まア、兄さん」
お袖はまた止めました。
「ところで、
平次は話題を變へました。
「へツ、あんまり景氣の良い話ぢやありませんが、
「今日は」
「
さう言へば、少し
「お曾與を絞めたのは、お前の三尺だつて言ふぢやないか」
「呆れてしまひましたよ、親分。俺の三尺なんか盜みやがつて手數のかゝる野郎ぢやありませんか」
「その三尺を何處で盜まれたんだ」
「町内の
「代りはなかつたのか」
「へエ」
「帶を締めずに來たのかな」
「あつしの白木の三尺を、
「その時一緒に風呂へ入つてゐたのは誰だい」
「二三人ゐたやうですが、暫く
ありさうもない事ですが、勘三郎らしい無頓着さでもあります。
これ以上には訊くべきこともありません。
其處を出た二人。
「驚いたね、親分。お舟でなくお袖でなく、勘三郎でなきや、――流しの
ガラツ八はこんな事を言ふのです。
「流しの追剥や氣違ひが、勘三郎の三尺をわざ/\用意するものかい」
「成程ね」
「無駄を言わずに、お舟の家の近所の食物屋を一軒殘らず當つて見るがいゝ。下女が房州へ歸つてゐると言ふから、
「心得てゐるよ、親分」
八五郎はポンと胸を叩きました。勘三郎の病氣はニセでなく、三尺帶が勘三郎のに相違ないとすると、お曾與殺しの疑ひは、眞つ直ぐにお舟に掛かるわけです。お舟と和助と口を合せて、
平次はガラツ八に別れて町の湯屋へ行きました。
「一と月ほど前に、勘三郎が白木の三尺を盜まれたさうだね」
番臺のお神さんに訊くと、
「そんな事がありましたよ、――板の間
「その時、男湯へ入つてゐたのは誰だい」
「横町の古着屋の隱居と、町内の手習師匠と、――三尺には用のない方ばかりでしたよ」
「それだけか」
「小柳町の伊丹屋の若旦那が入つてゐました」
「珍らしい人だね、小柳町は遠過ぎるぢやないか、それに、伊丹屋なら
「師匠のところ――親分も御存じでせう、お舟さんのところへ
「成程」
さう言へば一向不思議はありません。
平次はそんな事で
「親分」
「どうした、八」
「變なことがありますよ、――あの町内の
「フーム」
平次の見當は見事に當りました。
「ところが、不思議なことに
「――」
「それから半刻ばかり經つて
「蕎麥は?」
「その時はまだお勝手口に置いたまゝで、念の爲に
「八、來い」
「親分」
平次は猛然と
「お舟、――
平次はお舟の家へ取つて返すと、八五郎に裏口を見張らせて、ズイと入りました。
「あ、親分さん」
「
平次は入口を背にして、お舟と和助の方へ詰め寄りました。
「親分さん、濟みません」
お舟はガツクリ頭を垂れます。大きな
「手數をかけずに、本當の事を言つちやどうだ」
「恐れ入りました、親分さん。お曾與を殺したのは、此私に違ひありません」
お舟は疊に手を突きました。
「違ふよ、――お舟さんぢやない。――お曾與殺したのは、この和助だ、――私だよ、親分」
「あれ、そんな事を言つて、和助さん」
と
「いえ、親分、――お舟さんは人などを殺せる女ぢやない。お曾與を殺したのは、全くこの和助だ、――私がそつと家を出たのが
と和助。
「お前にはお曾與に
平次は和助の白状を相手にもしません。
「親分、聞いて下さい、かうなりや、皆んな言つてしまひます。そして立派にお
和助は激情に
「――」
ヂツとそれを見詰ある平次、お舟も
「私はこの通り、見る影もない人間だ。ね、親分。お舟さんが、寄り所のない私を引取つて、此處へ置いてくれるのは、私を男の切れつ端とも思はないからだ、――多勢の弟子達だつて、私を六十七十の年寄のやうに思つてゐる。私は結局それをいゝ事にして、人目に立たないやうに其の日/\を送つてゐる――」
「――」
「でも、私も男だ、――まだ三十を越したばかりの若い男だ。遠い
「――」
和助の言葉も火のやうに燃えました。この
「
和助の言葉の激しさ。が、それが
「伊丹屋の若旦那へ、ある事無い事
「――」
「親分、縛つて下さい、さア」
和劫は自分の身體を、平次の方へすり寄せて、兩手を自分から後ろに廻すのです。
「和助さん、お前、それは本當かい」
お舟は
「本當とも」
「堪忍しておくれ、――私は何といふ馬鹿だらうねえ。そんな立派な男が自分の側にゐるのも知らずに、――あんな

「お舟さん」
「有難うよ、和助さん」
お舟は
「よし/\、いゝ心掛けだ、――ところで和助、――お前はお
平次は靜かに問ひました。
「三尺ですよ、親分」
「どんな?」
「
「そいつはお前のか」
「え」
「ところで、お前は三尺を何本持つてゐる」
「二本持つてゐますよ」
「今締めてゐるのが一本、あとの一本でお曾與をしめたわけだな」
さう言ふ平次の言葉や眼色を讀むと、ガラツ八は飛んで待つて、横手の押入から
「こいつは和助の行李だらう」
と平次。
「え」
お舟は僅かに
平次の指圖で八五郎が蓋を取ると、中には着物が二三枚、
「これは何だ」
と平次。
「もう一本ありましたよ、親分」
和助はヘドモドします。
「和助、氣の毒だが、お前が
「――」
「下手人は、勘三郎の三尺を盜んで、それでお曾與を殺したんだよ」
「それが」
「まア聞け、その三尺は町内の湯屋で盜まれた品だ」
「私ですよ、親分。私が勘三郎の三尺を盜みましたよ」
と和助。
「何時の事だ」
「三日前で――いや五日位前ですよ」
「もう澤山だ、――下手人は和助ぢやない――が、お舟を
「――」
お舟と和助は濡れた眼を見合せました。
「和助とお舟は、
「――」
お舟はうなづきました。
「ところが、お舟は本當の下手人を見た。背の高い男が、お曾與を殺して逃げたのを見た筈だ。
「――」
「和助の方はお舟の出て行つた血相と、あわてて歸つて來た樣子を見て、てつきり下手人をお舟と思ひ込んだ――それに相違あるまい」
「その通りですよ、親分」
和助とお舟は始めてホツとした顏を擧げます。
「背が高くて一寸和助に似た身體の男が下手人だ。そいつは、文吉に
平次は其處を飛出しました、――續く八五郎。お舟と和助はそれを見送つて、氣まづい沈默を續けて居ります。
「和助さん」
「――」
「和助さん、――お前さんは馬鹿ねえ、――でも本當に有難うよ」
お舟は極り惡さうにモジモジする和助の側に寄つて、その
× × ×
平次はもう一度駒次郎がお袖に充分
「それ行けツ、あの野郎だツ」
平次とガラツ八は小柳町に飛びました。丁度外へ出ようとした駒次郎は、ガラツ八の腕力に押へられて、蟲のやうに
繩付を役所に引渡した歸り、ガラツ八は繪解きをせがみました。
「惡い奴があるものだね、親分」
「あれは馬鹿さ、――金づくで何うにもならない事があると、馬鹿はあんな事をするのさ」
「何だつて、わざ/\親分のところへお曾與が殺されたつて言つて來たんでせう」
ガラツ八にはそれが不思議でたまらなかつたのです。
「どうせ變死と知れずには濟まぬと思つたのさ、知れると、この
「その邊は馬鹿ぢやないね」
「どんなに器用な細工をしたところで、人でも殺さうといふのは、矢張り馬鹿さ」
平次はさう言つて、お舟と和助のことを考へて居ました。この二人は駒次郎の馬鹿のお蔭で、飛んだ