錢形平次捕物控

許嫁の死

野村胡堂





「親分、小柳町の伊丹屋いたみやの若旦那が來ましたぜ。何か大變な事があるんですつて」
「恐ろしく早いぢやないか、待たしておけ」
「へエ――」
 平次は八五郎を追ひやるやうに、ガブガブとうがひをしました。
 美しい朝です。鼻の先がつかへるせまい路地の中へも、金粉をき散らしたやうな光が一パイに射して、初夏のさはやかさが、袖にもえりにも香りさう、耳を澄ますと明神の森のあたりで、小鳥が朝のいとなみにいそしむさへづりが聞えます。
 こんな快適な朝――起き拔けの平次を待ち構へてゐるのは、一體どんな仕事でせう。血腥ちなまぐさい事件の豫感に、平次は一寸ちよつと憂欝いううつになりましたが、直ぐ氣を變へて、ぞんざいに顏を洗ふと、びんを撫で付け乍ら家へはひつて行きました。
「親分、た、大變なことになりました」
 伊丹屋の大身代をいだばかり、まだ若旦那で通つてゐる駒次郎は、平次の顏を見ると、上がりかまちから起ち上がりました。少し華奢きやしやな、背の高い男です。
「駒次郎さんかい、――どうしなすつたえ?」
 萬兩分限ぶげんの地主の子に生れた駒次郎は、この春伊丹屋の主人になつて、もつともらしい尾鰭をひれを加へたにしても、平次の眼にはまだ道樂者の若旦那でしかなかつたのです。
「皆んな、隱せるものなら隱す方がいゝつて言ひますが、私はあんまり口惜くやしいから、親分の力を借りて、下手人げしゆにんを見付け、二度とそんな事のないやうにしてやりたいと思ひます」
 駒次郎は、女の子のやうに、少し品を作つてお辭儀じぎをしました。色の白さも、襟の青さも、すそを引く單衣ひとえの長さも、そのまゝ芝居に出て來る二枚目です。
「隱すの、下手人の――つて、一體それは、どんな事で?」
「親分、聞いて下さい。昨夜向柳原の十三屋とみやのお曾與そよが殺されましたよ」
「えツ」
「母親と一緒に風呂へ行つた歸り、――一と足先に歸つて來たところを路地の中でめられて――」
「それを隱して置く法はない、誰がそんな事を言ひ出したんだ」
「私の家の番頭達が言ひ出し、十三屋とみやへは金をやつて、うやむやにするつもりでした」
 平次も驚きました。向柳原の名物娘が一人、絞め殺されて死んだのを、うやむやにはうむるといふのは、あまりと言へばわけが解らなさ過ぎます。
「十三屋のお曾與そよは、お前さんところへ嫁入りする筈だつたぢやないか」
 十三屋の文吉が、娘のお曾與を伊丹屋いたみやに嫁入りさせることになつた話は、平次の耳にもよく聞えてゐたのです。
「さうですよ、祝言は三日の後――この二十五日といふことになつて居ました」
 駒次郎はいかにも口惜くやしさうです。
「成程、そいつは氣の毒だ」
「番頭や親類が集まつて、――こんな噂がパツと立つて、萬一呼賣の瓦版かはらばんにでもられたら、伊丹屋の暖簾のれんきずが付く、それよりは金で濟むことなら、十三屋へ金をやつて、内々にするがいゝと、かう言ひます」
「無法な人達だな」
「でも私は口惜しくて口惜しくてたまりません。嫁を貰ふのを一々怨まれちや、やり切れないぢやありませんか。この先もあることですから、どうぞ下手人をあげて、お處刑しおきに上げて下さい、親分」
「お前さん、怨まれる心當りがあると言ふのかえ」
「――」
 駒次郎は默つてしまひました。が、この樣子では、金があるに任せて、飛んだ罪を作つてゐるのかもわかりません。
「八、一と足先に行つて見てくれ。怨まれる筋があるさうだから、思ひの外手輕に下手人げしゆにんの當りが付くかも知れない」
「へエ――」
 八五郎のガラツ八は、伊丹屋の駒次郎をうながして、一と足先に出て行きました。後には平次、悠々いう/\と朝飯にして、お靜と無駄を言ひ乍ら、陽のけるのを待つて居ります。簡單にらちがあきさうな事件を、なるべくガラツ八に任せて、手柄をさせようといふ心持でせう。


 間もなく八五郎が歸つて來ました。
「親分、濟まねえが、ちよいと智惠を貸して下さい」
「何だ、もう見當が付く頃ぢやないのか。嫁入り前の娘を殺す奴は、大抵極つてゐる筈だ」
「それが一向決つてゐないから不思議で――」
「どうしたんだ」
「下手人の匂ひのするのが多過ぎるんですよ、親分」
 ガラツ八は事件の外貌ぐわいばうを一と通り説明しました。
 娘の親の十三屋とみや文吉といふのは、向柳原の毛蟲のやうに思はれてゐるかれこれ屋で、十三屋ぢやない千三つ屋だといはれる五十男、娘のお曾與そよが不思議に美しく生れ付いたのを利用して、一番有利な取引を心掛け、到頭小柳町の萬兩分限ぶげん、伊丹屋駒次郎の嫁にするところまでぎつけたのでした。
 伊丹屋の先代、――この春死んだ駒次郎の父親が生きてゐたら、この祝言は成立たなかつたでせう。十三屋文吉のやうな、評判の惡い男の娘を嫁にすることは、お曾與がどんなに良い娘であつたにしても、大地主で舊家きうかで、神田で何番と指を折られる格式の伊丹屋に取つては、まことに我慢のならない事だつたに違ひありません。
 駒次郎はまた典型的な道樂息子で、八五郎の言葉を借りて言へば、
「あれは馬鹿野郎ですよ、金で世間の女が何うにでもなると思つてやがる、――その金で自由になつた女が、皆な自分に血道をあげると思ひ込んでゐるからすさまじいぢやありませんか。だから、お曾與殺しの下手人があがらなきや、神田中の綺麗な娘が、種切れになると、大眞目面で思ひ込んでやがるから世話はない」
 かう言つて、ペツペツとつばを吐くのです。
「八、その家の中から庭へ唾を飛ばすのだけは止してくれ。大層見事な藝當だが、千番に一番間違つて、疊へ落ちた日にや、表替おもてがへでもしなきや追つ付くまい」
「へツ」
 八五郎はポリポリとびんを掻きました。
「ところで話の續きはどうした」
「そこで、十三屋とみやへ乘込んでお曾與そよの死體を見せて貰つたが――親分、良い心持のものぢやないね、あのが達者なときはたまにからかつても見たが、駒次郎といふ大きなゑさに喰ひ付いてゐるせゐか、こちとらには鼻汁はなも引つかけなかつた娘だが、死んで見ると可哀想だ」
「無駄はいゝ加減にして、それから何うした?」
「娘は路地の外で殺されてゐたのを、一足おくれて歸つて來たお袋が、つまづいて氣が付いた、まだ月は出なかつたし、昨夜は自棄やけに暗かつた」
「――」
「起して見ると、自分の娘のお曾與が、白木しろきの三尺で絞め殺されてゐる――」
「白木の三尺?」
「その三尺は誰のだと思ひます、親分?」
「下手人ので無いことだけはたしかだらうよ」
「えらいツ、さすがは錢形親分だ」
「馬鹿だなア」
「その三尺の持主は、同じ町内のやくざ野郎で、勘三郎のものと知れた」
「あの、大工くづれの?」
「しめたと思つたから、飛んで行つて勘三郎を擧げるつもりだつたが、いけねえ、――肝腎の勘三郎は、三日前から霍亂くわくらんかゝつて、死ぬやうな騷ぎだ」
「本當か」
くだすで、げつそり痩せてゐるから、嘘ぢやないでせう。妹のお袖が、枕元に附きつ切りで介抱だ」
「フーム」
「そのお袖がまた、殺されたお曾與の前に、駒次郎と評判が立つてゐたいふから因縁いんねん事ぢやありませんか」
「フーム」
「その上兄の勘三郎は、お曾與そよと仲が良かつた。伊丹屋へ嫁に行く話の始まる前は、妹のお袖の友達でもあり、ツイ冗談の一つも言ひ合つた仲だといふから、どんな事がないとも限らない」
「それつ切りか」
「まだありますよ、親分、伊丹屋の馬鹿野郎は小唄の師匠のお舟の世話も燒いてゐた」
「そんな話を聞いたこともあるやうだな」
「月々かなりのものを仕送つて、おほかみ連が歸ると、長火鉢の猫板の上へ、長い頤を載つけて置いたつて言ふぢやありませんか」
「まだ續いてゐるか」
「お曾與の話が始まつてから、手切の金をやつて、綺麗に切れたとは言つてますがね」
「フーム」
「當てになつたものぢやありませんや。すると、お曾與を殺しさうなのは、勘三郎と、その妹のお袖と、師匠のお舟と――」
「勘三郎とお袖でなきや、お舟に決つたやうなものぢやないか」
 と平次。
「ところが、お舟も昨夜ゆうべは一と足も外へ出ねえ」
「はてな?」
「お舟のところに居候ゐさふらふしてゐる和助――從兄いとことか何とかいふ、不景氣な野郎を親分は知りませんか」
「知らないよ」
「三十がらみの青瓢箪あをべうたん野郎で、大きな聲で物も言へない、物の汚點しみか、影のやうな野郎ですよ、――その和助が言ふんだ、お舟さんは昨夜一と足も外へ出ねえ――と」
「勘三郎とお袖は兄妹だらう」
「へエ――」
「お舟と和助も、從兄妹いとこ同士か何かだ。二人づつ相談して口を合せたら、どんな嘘でも通るぢやないか」
「だから親分行つて見て下さい。あつしぢや、此上の見當が付かねえ」
 八五郎は正直に投げ出してしまつたのです。


 平次は大きな舌打したうちをして、十手を懷にねぢ込みました。鼻がよくて、いろ/\の消息を嗅ぎ出すことにかけては、天稟てんぴんめうを得たガラツ八ですが、理詰めに手繰つて、下手人ほしを擧げることとなると、まるでだらしがありません。
 先づ一番に小柳町の伊丹屋へ行つて見ると、本人の駒次郎以外は、お曾與を嫁に迎へることに賛成なのは一人もありません。
 駒次郎に逢つて聞くと、
「お曾與は良い娘でしたよ、生一本で、情がこまかくて――」
 そんな事を言ふのです。
「お袖やお舟を捨てたのはどう言ふわけで?」
 平次はこんな事まで突つ込むのです。
「お袖は兄がいけない、あの勘三郎は親類附合の出來ない男ですよ」
「お舟と手を切つたのは?」
「あの女には蟲が付いて居る、私は何時寢首ねくびかれるかわからない――あんな怖い女はありませんよ」
 平次はこれ以上聞くこともありませんでした。自惚うぬぼれが強くて、薄情で、臆病で、慾が深くて道樂の強さうな駒次郎は、平次に取つても、一番嫌な相手だつたのです。
 十三屋とみやへ行つて見ると、まだお曾與の死骸の始末もせず、父親の文吉と母親のお倉は際限のない涙にひたつて居りました。
「親分さん、敵を討つて下さい。娘をこんな目に合せた人間を、八つざきにも火焙ひあぶりにもして下さい」
 父親の文吉は娘の死骸を見せながら、氣狂ひ染みた事を言ふのです。
「下手人は直ぐ擧げてやるが、一體誰がこんな事をしたんだ、心當りでもあるのかい」
 と平次は
「心當りはうんとありますよ、親分。伊丹屋の旦那のところへきたかつたのは、此界隈でも、五人や三人ぢやありません」
「そのうちでも、あきらめたのと、諦め切れないのがあるだらう」
「お袖や、お舟は諦められない口です」
「それから」
「娘を追ひ廻してゐたのでは、お袖の兄の勘三郎といふ野郎があります。あの野郎なら殺し兼ねません。恐ろしく無法な奴で――」
 文吉ののろひは果てしもありません。
 平次はお曾與の枕元に線香を上げて、そこ/\に不快な空氣から遁れ出ました。
 その次に訊ねたのは、小唄の師匠のお舟、何とかいふ名取りですが、昔から知つてゐる平次には、唯の新造のお舟のやうな氣がしてなりません。もう二十七八にもなるでせうが、若くて、意氣で、美しくて、何となく心ひかるゝ含蓄がんちくがあります。
 こんなとほるやうな感じの女が、どう間違つて伊丹屋の駒次郎などの思ひ者になつて居たことか、平次にはそれが不思議でなりません。
「あら、錢形の親分さん」
 お舟は屈托くつたくのない樣子で迎へました。
「お舟、お曾興そよが殺されたことは聞いた筈だな」
 かう言ふ平次は、自分ながら職業的な嫌味を自分に感じて居りました。
「え、お氣の毒ねエ」
「お前もさう思ふか」
「まア」
「お曾與にはうらみがあつたんぢやないか」
「飛んでもない。伊丹屋の若旦那と手が切れて、私は清々して居ますよ」
「本當かい、それは?」
「嘘なら、今日にも伊丹屋の若旦那とよりを戻しますよ、――でも、私はもう眞つ平御免かうむります」
「大層な見切りやうだね」
「世の中に、色男面をする人間ほどイヤなものはありやしません。本人はお曾與さんと祝言をしたら、江戸中の女は半分位くびでもくゝるだらうと思つてゐるでせうが――」
「手嚴しいな、お舟」
 平次も、お舟の氣焔きえんには少したじ/\と來ました。
「だから、お曾與さんを殺したのが、伊丹屋の若旦那に振り棄てられた女の怨だと思つたら大間違ひさ、――金さへあれば、どんな事でも出來ると思ふやうな男に、女は夢中になるわけはない――金より外に何んにも持つてゐない男のために、人殺しまでする女がこの世の中にあるでせうか」
「さう言つたものかも知れないな。ところで、お前は大層な手切金を貰つたといふ話ぢやないか」
 平次は話の方向を變へました。
「え、――まア/\あのしはばうにしては、清水の舞臺から飛降りたつもりでせうよ」
「いくらだ」
「五十兩」
「ほう、それは大金だ」
「五十兩も出さなきや、私は頸でも縊ると思つたでせう」
「ところで、昨夜ゆうべお前は一と足も外へ出なかつたと言つたさうだが、本當か」
「出やしません。日が暮れるとお稽古けいこがなくなつたから、早御飯にして、和助さんと無駄話をしたり、ウンスン歌留多かるたをやつたり、亥刻よつ前に寢てしまひましたよ」
「和助といふのは?」
「私の遠い從兄いとこですよ、――ちよいと、和助さん、錢形の親分さんに御挨拶をしておくれ」
「――」
 お舟に呼ばれて、默つて出て來たのは、本當に物の汚點しみのやうな男でした。恐ろしく高い背を二つ折にして歩くので、傴僂せむしのやうに思ひますが、別に不具かたはな樣子はなく、竹のやうに長くて武骨な手足、白痴はくちのやうに陰氣で無表情な顏、油つ氣のないまげ、何處から見ても、お舟と一緒に置いて、『男性』の不安を感じさせるやうな人間ではありません。
 弟子達の下足を揃へたり、水を汲んだり、使ひ走りをしたり、下女に手傳つて雜巾掛ざふきんがけをしたり、お舟に取つては、色氣がないだけに、申分のない用心棒でもあつたのでせう。
「昨夜お舟は何處へも出なかつたね、和助」
 平次は聲を掛けました。
「へエ――、私も師匠も、此處ここから外へ一と足も出ませんよ」
 さう言つて和助は敷居を指すのです。
「下女は?」
「母が病氣で三日前に房州へ歸りましたよ、――今日は戻る筈ですが」
 お舟は何のこだはりもありません。


 平次とガラツ八は、其足をすぐ勘三郎の家へのしました。
「病氣だつて言ふぢやないか、どんな具合だい」
 淺間な家、木戸から入つて聲を掛けると、
「あつ、錢形の親分」
 勘三郎はあわててとこの上に起上がります。
「起きなくたつていゝよ、其儘で構はない」
「へエ――」
「お前は飛んだ仕合せだつたよ、ピンピンして居て見ねえ、今頃は無事ぢや濟まないよ」
「お曾與の阿魔あまが殺されたんですつてね、好い氣味見たいなもので」
「何て口のきゝやうだ」
「へエ――」
 平次にたしなめられて、勘三郎は頭をかきました。
 三日寢てゐたといふやつれはありますが、二十五六の小意氣な男で、伊丹屋の※(「米+參」、第3水準1-89-88)粉細工しんこざいくのやうな若旦那よりは、江戸の町娘には好かれさうです。
「腹を惡くしたさうぢやないか」
「なアに、大した事はありませんよ。兩國で散々およいだ上、西瓜すゐくわ鱈腹たらふくやつたんで」
「それぢや腹をこはさねえ方が不思議だ」
「相濟みません」
「俺へ詫びなくたつていゝ。ところで、お曾與殺しに、何か心當りはあるかい」
「大ありですよ、誰もあの阿魔あまを締め手がなきや、あつしがやるつもりだつたんで――」
「まア、兄さん」
 妹のお袖は側からあわてて止めました。十九――殺されたお曾與よりは一つ年下ですが、荒つぽい兄の勘三郎に似ぬ、露草つゆくさの花のやうな淋しい娘です。
「大丈夫だよ、錢形の親分さんは見通しだ。思ふ存分な事を言はない方が、反つてへだてがあつていけねえ。ね、親分。さうぢやありませんか」
「その通りだ、氣の付いた事は何でも言つてくれ」
「千三つ屋の文吉奴、自分のとこの七つ下りの娘を伊丹屋いたみやへ押付けたいばかりに、ひどい罪を作つてゐますぜ」
「フーム、どんなことをしたんだい」
あつしの妹と伊丹屋の若旦那と心易くなつた時は、お袖には勘三郎といふやくざな兄が附いてるから後が怖いとか、お袖の血筋ちすぢには、惡いやまひがあるとか――いろんな事を、伊丹屋にたき付けたさうですよ。お師匠のお舟さんだつて、同じやうな目に逢つてますよ、あの女には隱し男があるとか、あとでおたなへ行つて尻をまくる奴があるかも知れないとか――嫌な千三つ屋ぢやありませんか、あの野郎こそ、嘘きで、胡麻摺ごますりで、手癖が惡くて、かさつかきで、――伊丹屋の若旦那の古いアラを搜していた振つてばかりゐるさうで――」
「まア、兄さん」
 お袖はまた止めました。
「ところで、昨夜ゆうべはどうして居たんだ」
 平次は話題を變へました。
「へツ、あんまり景氣の良い話ぢやありませんが、雪隱せつちんへお百度ですよ」
「今日は」
やうやく落着いて此通り、――温石をんじやくを三つ下つ腹へ當てて居ますよ、こいつは樂ぢやありませんぜ」
 さう言へば、少し逆上のぼせてゐる樣子です。
「お曾與を絞めたのは、お前の三尺だつて言ふぢやないか」
「呆れてしまひましたよ、親分。俺の三尺なんか盜みやがつて手數のかゝる野郎ぢやありませんか」
「その三尺を何處で盜まれたんだ」
「町内の湯屋ゆやで――一と月も前ですよ。晝湯につかつて、良い心持にうなつてゐると、どこの野郎か知らないが、あつしの三尺をめて行つちまひましたよ」
「代りはなかつたのか」
「へエ」
「帶を締めずに來たのかな」
あつしの白木の三尺を、博多はかたの帶とでも間違げえたんでせう」
「その時一緒に風呂へ入つてゐたのは誰だい」
「二三人ゐたやうですが、暫く柘榴口ざくろぐちから出ずに、夢中でのどを聞かせてゐたから、どんな野郎がゐたか、ろくに見やしません」
 ありさうもない事ですが、勘三郎らしい無頓着さでもあります。
 これ以上には訊くべきこともありません。
 其處を出た二人。
「驚いたね、親分。お舟でなくお袖でなく、勘三郎でなきや、――流しの追剥おひはぎか、氣違ひぢやありませんか」
 ガラツ八はこんな事を言ふのです。
「流しの追剥や氣違ひが、勘三郎の三尺をわざ/\用意するものかい」
「成程ね」
「無駄を言わずに、お舟の家の近所の食物屋を一軒殘らず當つて見るがいゝ。下女が房州へ歸つてゐると言ふから、昨夜ゆうべあたりは店屋物てんやものを取つてゐるに違げえねえ。蕎麥屋そばやでも小料理屋でもいゝ、昨夜あたりお舟のところへ何か出前物を持込まなかつたか、持込んだ時、お舟と和助がたしかにゐたか、それを訊き出すんだ、――それから、酒屋も訊いて見るんだぜ、いゝか」
「心得てゐるよ、親分」
 八五郎はポンと胸を叩きました。勘三郎の病氣はニセでなく、三尺帶が勘三郎のに相違ないとすると、お曾與殺しの疑ひは、眞つ直ぐにお舟に掛かるわけです。お舟と和助と口を合せて、不在證明アリバイを作らないとも限らないわけですから、平次はその裏を掻いて、昨夜ゆうべお舟の家を覗いた者を搜し出さうとするのです。
 平次はガラツ八に別れて町の湯屋へ行きました。
「一と月ほど前に、勘三郎が白木の三尺を盜まれたさうだね」
 番臺のお神さんに訊くと、
「そんな事がありましたよ、――板の間かせぎはよくあることですが、あんまり新しくない三尺を盜んで行くのは變ぢやありませんか」
「その時、男湯へ入つてゐたのは誰だい」
「横町の古着屋の隱居と、町内の手習師匠と、――三尺には用のない方ばかりでしたよ」
「それだけか」
「小柳町の伊丹屋の若旦那が入つてゐました」
「珍らしい人だね、小柳町は遠過ぎるぢやないか、それに、伊丹屋なら内風呂うちぶろがあるだらう」
「師匠のところ――親分も御存じでせう、お舟さんのところへ入浸いりびたつてゐる頃は、伊丹屋の若旦那がよく此處へ見えましたよ」
「成程」
 さう言へば一向不思議はありません。
 平次はそんな事であきらめて歸つて來ると、それから一刻ばかり經つて、ガラツ八は息せき切つて飛んで來ました。
「親分」
「どうした、八」
「變なことがありますよ、――あの町内の蕎麥屋そばやで訊くと、昨夜ゆうべお舟のところで、確かに蕎麥を三つ取つたと言ふんで――」
「フーム」
 平次の見當は見事に當りました。
「ところが、不思議なことに戌刻いつゝ少し前に持つて行くと、お舟も和助も――二人共ゐなかつたと言ふぢやありませんか」
「――」
「それから半刻ばかり經つて入物いれものを取りに行くと、お舟と和助は何處からか歸つて來て、二人そつぽを向いて坐つて居たといふぢやありませんか」
「蕎麥は?」
「その時はまだお勝手口に置いたまゝで、念の爲にふたをあけて見ると、手もつけずに、びてゐたんださうで――」
「八、來い」
「親分」
 平次は猛然と起上たちあがりました、續く八五郎。


「お舟、――昨夜ゆうべ何處へ行つた」
 平次はお舟の家へ取つて返すと、八五郎に裏口を見張らせて、ズイと入りました。
「あ、親分さん」
先刻さつきは、よくも俺をだましたな。昨夜酉刻半むつはん過ぎから戌刻いつゝ過ぎまで、此家に二人共ゐなかつた筈だ」
 平次は入口を背にして、お舟と和助の方へ詰め寄りました。
「親分さん、濟みません」
 お舟はガツクリ頭を垂れます。大きな牡丹ぼたんが、土に落ちてくだけた風情です。
「手數をかけずに、本當の事を言つちやどうだ」
「恐れ入りました、親分さん。お曾與を殺したのは、此私に違ひありません」
 お舟は疊に手を突きました。
「違ふよ、――お舟さんぢやない。――お曾與殺したのは、この和助だ、――私だよ、親分」
 汚點しみのやうな男――和助は長身を起しました。青い顏に血が上つて、この影のやうな男にも、若い情熱のあることを、平次は不思議な心持で見て居ります。
「あれ、そんな事を言つて、和助さん」
 とへだてるお舟。
「いえ、親分、――お舟さんは人などを殺せる女ぢやない。お曾與を殺したのは、全くこの和助だ、――私がそつと家を出たのが酉刻半むつはん頃、――その時分お曾與が湯屋へ行くのを知つてゐるからだ」
 と和助。
「お前にはお曾與にうらみがなかつた筈だ、出鱈目でたらめな事を言つちやならねえ」
 平次は和助の白状を相手にもしません。
「親分、聞いて下さい、かうなりや、皆んな言つてしまひます。そして立派にお處刑しおきを受けます」
 和助は激情にふるへながら、平次の前に手を突きました。
「――」
 ヂツとそれを見詰ある平次、お舟も呆氣あつけに取られて默つてしまひました。
「私はこの通り、見る影もない人間だ。ね、親分。お舟さんが、寄り所のない私を引取つて、此處へ置いてくれるのは、私を男の切れつ端とも思はないからだ、――多勢の弟子達だつて、私を六十七十の年寄のやうに思つてゐる。私は結局それをいゝ事にして、人目に立たないやうに其の日/\を送つてゐる――」
「――」
「でも、私も男だ、――まだ三十を越したばかりの若い男だ。遠い從妹いとこのお舟さんの、人並すぐれて綺麗なのや、情け深いのを見て、木や石のやうな心持でゐられるわけはない。私の心はとうから火のやうに燃えてゐる――」
「――」
 和助の言葉も火のやうに燃えました。この汚點しみのやうな男に、こんな情熱があらうとは、一緒に暮してゐるお舟も全く氣が付かなかつたのでせう。思ひもよらぬ生命の點ぜられた男の顏を見詰めるばかりです。
伊丹屋いたみやの若旦那に捨てられてから、お舟さんの悲歎は、この和助がよく知つてゐる、――負けん氣のお舟さんが、口では強いことを言ひながらも、人の見ぬところでは、毎日泣いて暮してゐた。息も絶え/″\に泣いて居ることさへあつた。伊丹屋の若旦那が何も彼も金で濟したつもりで、五十兩の手切てぎれをよこした時は、お舟さんは大喜びで受取りながら、使の者が歸ると、その金を庭に叩き付けた。この私に掃溜はきだめへ捨てろといふ大むづかりだ、見るのもイヤだと言つた」
 和助の言葉の激しさ。が、それがこと/″\く事實だつたのでせう。お舟は襟に顏を埋めて泣いて居ります。
「伊丹屋の若旦那へ、ある事無い事き付けて、お舟さんとの間を割いたのは千三つ屋の文吉だ。私は文吉が憎かつた、お曾與そよも憎かつた。どうせ私のやうなものを、男の切れつ端とも思つてくれないお舟さんのために、私はこのお舟さんのうらみをそつと晴らしてやらうと思つて、――昨夜ゆうべ、お曾與が湯屋から歸るのをつけて、あの路地の中で絞め殺したのは、お舟さんの敵を討つため、文吉に思ひ知らせる爲だ――親分、これで判つたでせう。さア、私を縛つて下さい。お舟さんに罪はない、――私も隱せるものなら隱しをはせるつもりだつたが、お舟さんが私をかばつて、自分で罪を背負しよひさうぢや、もう我慢が出來ない」
「――」
「親分、縛つて下さい、さア」
 和劫は自分の身體を、平次の方へすり寄せて、兩手を自分から後ろに廻すのです。
「和助さん、お前、それは本當かい」
 お舟はやうやく顏を擧げました。
「本當とも」
「堪忍しておくれ、――私は何といふ馬鹿だらうねえ。そんな立派な男が自分の側にゐるのも知らずに、――あんな※(「米+參」、第3水準1-89-88)粉細工しんこざいくのやうな金持の若旦那なんかに未練を殘して、――」
「お舟さん」
「有難うよ、和助さん」
 お舟は膝行ゐざり寄つて、和助の激情に顫へる手を取るのです。涙はお互の顏も見えないほど降りそそぎました。
「よし/\、いゝ心掛けだ、――ところで和助、――お前はお曾與そよを殺したに違ひあるまいが――何で殺した」
 平次は靜かに問ひました。
「三尺ですよ、親分」
「どんな?」
白木しろきの三尺で」
「そいつはお前のか」
「え」
「ところで、お前は三尺を何本持つてゐる」
「二本持つてゐますよ」
「今締めてゐるのが一本、あとの一本でお曾與をしめたわけだな」
 さう言ふ平次の言葉や眼色を讀むと、ガラツ八は飛んで待つて、横手の押入から行李かうりを一つ出しました。
「こいつは和助の行李だらう」
 と平次。
「え」
 お舟は僅かにうなづきます。
 平次の指圖で八五郎が蓋を取ると、中には着物が二三枚、股引もゝひき、腹掛、手拭の外に、白木の三尺が一本入つてゐるではありませんか。
「これは何だ」
 と平次。
「もう一本ありましたよ、親分」
 和助はヘドモドします。
「和助、氣の毒だが、お前が下手人げしゆにんぢやないよ」
「――」
「下手人は、勘三郎の三尺を盜んで、それでお曾與を殺したんだよ」
「それが」
「まア聞け、その三尺は町内の湯屋で盜まれた品だ」
「私ですよ、親分。私が勘三郎の三尺を盜みましたよ」
 と和助。
「何時の事だ」
「三日前で――いや五日位前ですよ」
「もう澤山だ、――下手人は和助ぢやない――が、お舟をかばつてさう言ふのだらうが、こいつはお舟でもないよ」
「――」
 お舟と和助は濡れた眼を見合せました。
「和助とお舟は、昨夜ゆうべ別々に此處ここを出て、お曾與を殺すつもりで行つたんだらう」
「――」
 お舟はうなづきました。
「ところが、お舟は本當の下手人を見た。背の高い男が、お曾與を殺して逃げたのを見た筈だ。宵闇よひやみの暗い中で、それを和助と思ひ込んだのも無理はない」
「――」
「和助の方はお舟の出て行つた血相と、あわてて歸つて來た樣子を見て、てつきり下手人をお舟と思ひ込んだ――それに相違あるまい」
「その通りですよ、親分」
 和助とお舟は始めてホツとした顏を擧げます。
「背が高くて一寸和助に似た身體の男が下手人だ。そいつは、文吉にうらみがあるか、お曾與が生きてゐては困ることがあつたんで、そして一と月前に湯屋で勘三郎の三尺を盜んで仕度をした――八、來い。俺には大方判つたやうな氣がする」
 平次は其處を飛出しました、――續く八五郎。お舟と和助はそれを見送つて、氣まづい沈默を續けて居ります。
「和助さん」
 しばらく經つてお舟が口を切りました。
「――」
「和助さん、――お前さんは馬鹿ねえ、――でも本當に有難うよ」
 お舟は極り惡さうにモジモジする和助の側に寄つて、その節高ふしだかな手を取つて居りました。
×      ×      ×
 平次はもう一度十三屋とみやの文吉に逢つて、いろ/\締め上げました。そして文吉が、伊丹屋駒次郎が部屋住時代に、筋の惡い借金や、かたりのやうな事までして、遊びの金を作つたことを種に、駒次郎を脅迫けふはくして、お舟やお袖と手を切らせ、無理に自分の娘を押付けてゐたことを白状させました。
 駒次郎がお袖に充分未練みれんがあつたことは、近所の人達もよく知つて居ります。押かけ嫁の祝言が近くなつて、駒次郎は最後の手段を取つたのでせう。
「それ行けツ、あの野郎だツ」
 平次とガラツ八は小柳町に飛びました。丁度外へ出ようとした駒次郎は、ガラツ八の腕力に押へられて、蟲のやうに無抵抗むていかうに縛られたことは言ふまでもありません。
 繩付を役所に引渡した歸り、ガラツ八は繪解きをせがみました。
「惡い奴があるものだね、親分」
「あれは馬鹿さ、――金づくで何うにもならない事があると、馬鹿はあんな事をするのさ」
「何だつて、わざ/\親分のところへお曾與が殺されたつて言つて來たんでせう」
 ガラツ八にはそれが不思議でたまらなかつたのです。
「どうせ變死と知れずには濟まぬと思つたのさ、知れると、このあたりの事だから、俺が行くに決つてゐるぢやないか。どうせ平次の手に掛かるものなら、此方から訴へ出て好い子にならうといふ魂膽こんたんさ」
「その邊は馬鹿ぢやないね」
「どんなに器用な細工をしたところで、人でも殺さうといふのは、矢張り馬鹿さ」
 平次はさう言つて、お舟と和助のことを考へて居ました。この二人は駒次郎の馬鹿のお蔭で、飛んだまうけものをしたことになるのです。





底本:「錢形平次捕物全集第十六卷 笑ひ茸」同光社磯部書房
   1953(昭和28)年9月28日発行
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2014年1月18日作成
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