「親分、こいつは驚くぜ、――これで驚かなかった日にゃ、親分とは言わせねえ」
息せき切って駆けつけたガラッ八の八五郎、上がり
「何を騒ぐんだ、八」
銭形平次は秋の朝の光を浴びて、せっせと植木の世話をしていたのです。
「あわてちゃいけませんよ、親分」
「あわてているのはお前じゃないか、何をそんなに面喰らっているんだい」
平次は落着きはらって
平明な朝の光の中に、平次の顔の穏やかさ、夜店物のケチな
「
「なるほど、そいつは変っているな、――どうせ死ぬのに、場所の
「親分、落着いていちゃいけませんよ」
「あわてていかず、落着いていかず、一体どんな取り留めのない顔をしていりゃ、お前の気に入るんだ」
平次と八五郎は、いつでも、こんな調子で重大事件を片付けて行くのでした。
新しい表現に従えば、二人のユーモアの
「それが女だったら、一体どんな事になるでしょう、親分」
「女が両国橋からブラ下がったのかい」
「こいつは親分だって驚くでしょう、それもザラの雌じゃねえ――若くて綺麗で、
「待ちなよ、八、まるで、
「冗談でしょう、親分、あんな
「何だと、その女の首ッ縊りの胸に、刀が突っ立っている、と言うのか」
平次の職業意識は目覚めました。
安盆栽なんか一ぺんに忘れてしまって、ガラッ八が突っ立っている入口へ突き進みます。
「親分の
「何?」
「片刃で
ガラッ八の大きな鼻が、天井を仰いだまま、思い切りふくらみます。
「どこでそんな事を聴きやがったんだ」
「種を明かしゃ橋番所の
「妙なところへ権現様なんか引合いに出すと、旦那方に叱られるぞ」
「両国まで、チョイと一と走りやっておくんなさい、親分」
ガラッ八がこう言うのも
東両国は石原の利助の縄張で、今では廃人同様の利助が、娘のお
「手前が
「でも、親分、首っ縊りのブラ下がったのはちょうど橋の真ん中ですぜ。
「馬鹿野郎」
「へッへッ、そう来るのを待っていたんで」
ガラッ八が
馬鹿野郎をきっかけに、平次は立ち上がって、帯をキュッと締め直したのです。
「ヘエ、――煙草入」
「馬鹿だな」
ガラッ八はもう一つ小気味の良いのを喰らいました。
東西両国は野次馬の山、役人が声を
橋の
「
ガラッ八は
欄干と水肌とのちょうど中頃にブラ下がっていた死体は、若い娘の死に恥を
「あ、銭形の、ちょうどよいところだ」
町役人に案内されて、死骸の前に行った平次、――形ばかりの
「…………」
さすがに息を呑みました。これはまた、あまりにも
「親分、こいつを見て驚かなかった日にゃ」
自分の仕事のように、鼻を
「黙っていろ」
平次は片手拝みに、娘の死骸を弔ってから、職業的に冷静さを取り戻して、その側に片膝をつきました。
品の良い島田、
それにしても、この非凡の美しさはどうでしょう。
娘の胸には、
乳の少し上、深さにして三寸ぐらい、血潮は、胸から帯をひたして、凄惨を極むる姿、御用を勤める者でなければ、長く見てはいられません。
「これほどのきりょうなら、すぐ身許は解るだろうな」
平次は独り言ともなく言いました。
「判りましたよ、親分、野次馬の半分は見知り人です」
橋番所の老爺です。
「誰だい」
「
「なるほど、それじゃ」
平次はうなずきました。
中国の大藩の浪人者で相当の
もっとも、梶
早耳のガラッ八さえ、欄干にブラ下がっているうちは見極めが付かず、面喰らって平次のところへ駆け込んだような有様だったのです。
「親御はどうなすった」
と平次。
「知らせてやったが、
橋番所に居た町役人が口を利きます。
「親一人
四十がらみのお
「お前は……」
「梶さんのお隣の荒物屋のお神さんで」
橋番の老爺は紹介してくれます。
「それは
と平次。
「梶さんがお出かけになったのは
「お嬢さんも出かけたのかい」
「ヘエ――、梶さんがお出かけになって間もなく、変な男が表の戸を叩いて手紙を
「確かに男だね」
「間違いはありません。太い作り声で――、するとお嬢さんがソワソワしておりましたが、急に思い立ってお出かけになりました」
「たった一人で?」
「私もついて行こうと思いましたが、ツイ近所だし、家の方が用心が悪いからと、留守番をしてくれるように――とたっておっしゃるんです」
荒物屋の女房は、少しばかり責任を感じている様子です。
「どこへ行くとも言わなかったのか」
「くり返して訊きましたが、教えてくれません」
「若い娘のことだから、出かける前に念入りに化粧をするとか着物を換えるとか、だいぶ手間取ったことだろうな」
平次の問は含蓄の多いものでした。
「いえ、ちょいと帯を直しただけ、なんにもなさいません。
「お神さんは、その帰りを朝まで待っていたのかい」
「まさかこんな事とは知りません。若くて綺麗な方ですから、いずれいろいろの事がおありだろうと思って、ツイ待つともなく、寝込んでしまいました」
荒物屋の女房の話にも筋は立ちます。それにしても、梶四郎兵衛が宵に出たという用事は何? 娘のお勇をおびき出して、こんな残酷な目に逢わせた手紙はどんな事を書いてあったでしょう? 袖から帯の間などを一応調べて見ましたが、それらしいものは一つも見当らなかったのです。
事件重大と見て、時を移さず八丁堀同心
「これは、小間木様、御苦労に存じます」
「平次か、お前が嗅ぎ付けて来るようじゃ、下手人が挙がったも同様だろう」
小間木善十郎は少しばかりイヤな事を言います。若くて野心的で、ともすれば平次と違った方向へ
「とんでもない。旦那、なんにも見当が付いちゃいません」
平次は慎み深く死骸の側を離れて、先輩の三輪の万七に譲りました。
「なるほど、これは大したきりょうだ」
万七の
「どうだ、万七、見込みは?」
と小間木善十郎。
「若い女の首へ縄をつけて、両国橋の欄干からブラ下げるのは、よくよく
万七はいとも手軽です。
「それにしちゃ、
平次はツイ抗議を申込みたくなりました。三尺もあろうと思う、物凄い両刃の剣は、娘一人を殺す武器にしては
「恋の怨みとなりゃ、両刃の剣だって出刃庖丁だって振り廻すだろうじゃないか」
万七はムッとした様子です。
「
平次は首を
「橋の上へ
三輪の万七は
「首へ縄をつける前に、娘は死んでいたぜ、これは絞め殺された人間の人相じゃない」
平次が指さした娘の蒼白い顔には、不思議と穏やかささえあります。
「橋の上で突くという
「これだけ血が流れたんだから、橋の上で殺せば、どこかに
平次は橋番役人を顧みました。
「橋の上に血の汚れなどはない。それに東西の両方の
橋番役人は頑固らしく頭を振ります。橋の上で殺さず、東西両国から死骸を持込まないとしたら、一体どこから娘の死骸が橋の上へ
平次はもう一度娘の死骸を調べました。新しく気の付いたことは、剣の角度が胸と正確に直角なことと、刃が水平に
「あッ」
平次は思わず驚きの声をあげました。手をかけると、剣の
「
目釘のない刃を、人間の胸へ水平に打ち込めるものでしょうか。
「縄の結び目はどうだ」
小間木善十郎、思いの
「欄干の下のところで切って来ましたが」
橋番所の老爺の差出したものを見ると、綱はほんの六尺ばかり、一方に輪を
「その娘をブラ下げた、欄干のあたりを見せて貰いましょうか」
平次は橋の上へ、野次馬を掻きわけるように登って行きました。ちょうど中ほど、ひときわ人間の群がるあたりが娘の死骸を晒した場所でしょう。橋の上には、橋役人の言った通り、血の痕一つありませんが、欄干は、平次の心なしか、
「親分、
「つまらねえ事を言うな」
銭形の平次と八五郎は、とにもかくにも引揚げました。小間木善十郎の指図で、大先輩の三輪の万七が、お神楽の清吉以下の子分を動員し、縄張構わずの大活動を開始したところに、白い眼を見せ付けられながら、愚図愚図してはいられなかったのです。
「町内の若い者を一人残らず当っても構わねえから、あの娘に気のあったのや、嫁に欲しいと言い出したのを一人残らず調べ上げてくれ」
「親分は……」
「あの剣の出た場所を捜して来る」
平次は何より剣を気にしている様子でした。
「娘は男におびき出されたんじゃありませんか、親父が留守になったんで、
「三輪の
「まさか金の
「つまらねえ事を言うな、――若い娘が逢引に出かけるのに化粧も直さず、
「なるほどね」
「思い当るだろう、八」
「へッ」
「化け損ねたお使い姫のようなのは毎々見ているだろう」
そんな冗談を言いながら、二人は
平次の頭は、剣のことで一パイでした。三尺に余る両刃の剣というと、
念のため、剣の奉納額のある社を、片っ端から歩きましたがどこのも無事で、――よしんば額から取り外したところで、
「あれだ」
フト思い出したのは、近頃向柳原に出来た
平次は飛んで行きました。その拝殿の横手には、真新しい剣が二た振、どこの御信心連か知りませんが、ツイニた月ばかり前に奉納して、善男善女の
堂に着いて見ると、中は一面の
一歩踏み込むと、三
「あッ」
驚いたことに、堂の入口敷居から土間にかけて、一面の血潮ではありませんか。
「法印、これはどうした」
平次の声は思わず
「あ、銭形の親分、ちょうどいいところだ、――仏罰の恐ろしさ、これを見て下さい」
優曇法印は立ち上がって、護摩壇の前を指します。
「…………」
平次はもう驚きの声も出ませんでした。そこには荒筵の上に
「梶四郎兵衛は、私の宗旨を
優曇法印はそう信じ切っているのでしょう。狂信者らしい眼を光らして、ニタリニタリと得意らしく笑うのです。
平次がこの馬鹿馬鹿しい仏罰の夢物語を、どんなに骨を折って打ち壊したことでしょう。
――今朝戸を開けると、梶四郎兵衛が両刃の剣に胸を縫われて死んでいた――とたったこれだけのことです。
早速町役人に人を走らせ、両国から小間木善十郎を迎えましたが、梶四郎兵衛は娘と同じ死にようをしているという「事実」以外には、何にも解りません。
「親分、すっかり解ったよ」
ガラッ八の八五郎は、その日の夕方、平次の家へ飛込んで来ました。
「洗い上げても、娘のかかり合いじゃ、大した役には立たないかも知れないよ」
平次はなんとなく浮かぬ顔色です。
「そういえば、親父の梶四郎兵衛も殺されたんだそうですね」
「それで腐っているんだよ、――これは思いの
「あの梶四郎兵衛という浪人者は、――敵持ちだということですよ」
「何だと、八」
「
「待ってくれ、どこでそんな事を聴いて来たんだ」
平次はすっかり緊張してしまいました。早耳では江戸一番と言われたガラッ八が、持前の天才を発揮して、とんだ良いネタを拾って来てくれたのです。
「当の梶四郎兵衛を敵と狙っている、
「本当か、八」
「本当にも本当でないにも、この耳で本人から聴いたんだから、これほど確かなことはありゃしません――もっとも小峰助右衛門は大酒呑みの、半
「でも、二本差に変りはあるめえ。そこへ案内してくれ、逢って訊きたいことがある」
平次はもう、飛出す支度をしておりました。
「でも親分、――小峰助右衛門は逃げも隠れもしませんよ。ツイ
ガラッ八は少し泣き出しそうです。得意の
「よし、それじゃ覚悟を決めて聴こう。話してくれ、八」
「そう覚悟を決められちゃ、気の毒で口が切れねえ」
「贅沢を言うな」
「実は、親分」
八五郎の話は念入りに詳しいものでしたが、簡単に言うと、お勇は珍しい美人で、向柳原中の男の切れっ端が、一人として思いをかけないものはあるまいと言われましたが、中でも執拗に付き
その
佐原屋の茂吉は、金に糸目をつけない代り、
お先棒の三次に至っては、まるで虫ケラのように扱われました。たった一度、金釘流で六尺あまりの付け文を書いたのをお勇が親の四郎兵衛に見せると、四郎兵衛はカンカンに怒って、家主に披露し、家主のところに集まった町内の若い者が、面白半分にそれを、
遠藤左馬太はお勇の冷たい態度にも
茂吉はただもう身を焦がすだけ。
「親分、臭いのはこの三人ですよ。昨夜一と晩の動きを探って来ましょうか」
ガラッ八はとにもかくにも報告を
「そうしてくれ、俺はその女敵討の浪人の方を少し当ってみる」
平次とガラッ八は、もう一度
平次は、ガラッ八に教わった筋を辿って、居酒屋から居酒屋へと歩くうち、浜町のとある飲屋で、とうとう小峰助右衛門の消息を
「その方ならツイ今しがた、三輪の万七親分に縛られて行きましたよ」
「えッ、縛られて?」
平次は
「もっとも泥のように酔っていましたから、子供にだって縛られますよ。朝から晩まで飲み歩いているんですもの――」
飲屋の亭主は、銭形平次の失望の原因を知っているのでした。
「そんなに飲み歩いて、小峰という浪人者の勘定振りはどうだ」
「不思議にお金を持っている様子ですよ」
「十七八年も浪人をしているというが――」
「俺は金の
「はて?」
平次の胸の中には、一道の光明が
「その金の
「よくは判りませんか――何でも女敵討なんだそうで」
「フーム」
「敵を見付けたが、討っちゃ元も子もなくなるから、気永に飲み代をせびることにきめた。五年越しいたぶっているが、不思議に水の手の切れないところを見ると、よっぽど持っているに違いない。敵には金のあるものを持つに限る――などと太平楽を言っておいででした」
「フーム」
平次は
「今日はどんな機嫌だった?」
「いつもの上機嫌で、明日は十五日だから、また敵討に行く――と冗談みたいにおっしゃってましたよ」
「明日と言ったね」
「間違いはございません。――明日は十五日だから――と」
「有難う。それで大方判った」
平次はそのまま
女敵討を言い立てて、かりそめにも敵から飲み代を
優曇法印の堂へと一丁場――というところまで行くと、向うから
「お、銭形の
意地の悪そうな声は、言うまでもなく三輪の万七です。その前に腰縄を打って追っ立てられるのは当の優曇法印、昂然として、少しもめげぬ姿で、口の中では、何やらモガモガモガモガと引っ切りなしに呪文のようなものを称えております。
「銭形の親分、――下手人は挙がったぜ」
縄尻を取った、お神楽の清吉です。
女敵討と触れて歩いた小峰助右衛門と、堂の中に屍体を置いて、祈り続けていた法印は、なるほど、下手人でなければなりません。それを下手人であると思うのは、小峰助右衛門の場合では平次の理性が許さず、後の優曇法印の場合では、平次の微妙な直感が許さなかったのでした。
家へ帰ったのはもう暗くなってから。
ガラッ八は、少し
「どうだ、八」
「今度は滅茶滅茶
「そうか」
平次は自分の縮尻の肩が、いくらか緩やかになったような心持です。
「意地の悪いことに、三人とも
「はてな?」
「御家人崩れの遠藤左馬太は、糊売り婆アの家の二階にゴロゴロしていますが、一文無しで
「誰から聴いた」
「糊売り婆アは、
「それから」
「佐原屋の息子の茂吉は、宵のうちは帳場に居て、
「三次は?」
「これは一番確かで――、宵から佐原屋へ遊びに行って、息子の茂吉と夜中まで将棋を差していたそうですよ」
「それから――」
「佐原屋へ泊って今朝帰ったそうで、一方は堅気の町人の息子、一方はやくざ者ですが、餓鬼のうちからの友達で、妙に馬が合う様子です」
「困ったな、八」
「…………」
これでは、三輪の万七の見込みの方が正しいのかもわかりません。
「八、ちょいと来てくれ」
「どこへ行くんだ?」
平次は遅くなるのも
「ここをもう一度見ておきたいが、――夜は誰も居ないんだね」
向柳原の河岸っぷち、千坪ばかりの空地の中に建った法印堂は、堂守を縛られて、闇の中に不気味な口を開けております。
「あの法印は二三丁先の自分の家へ帰って泊りますよ」
「夜は誰も居ないのか」
「こんな気味の悪いところに誰が居るものですか」
「それで解ってきた。近所で
平次に指図されるまでもなく、ガラッ八は至極そんな事を心得ておりました。
が、ガラッ八が提灯を借りて来るまで、平次も遊んでいたわけではありません。曇ってはおりますが、ちょうど満月で、窓の戸さえ開けてしまえば、堂の中は薄々見えないことはありません。
「親分」
帰って来た八は御用の提灯をさげております。
「八、ちょうどいい。お前この
平次は堂の正面の閉した扉を指さします。
「こうですか、親分」
ガラッ八は提灯を平次に預けて、何の気もなく、扉をサッと押したのです。
ちょうど八五郎の全身が敷居を
「あッ」
堂の中から射出された一本の
いや、本当の矢ならそれは間違いもなく、ガラッ八の心臓を
「それが
「親分、判った」
ガラッ八の顔にも生気が
「仕掛は馬鹿のようなものだ、見てくれ」
平次の掲げた提灯の明かりに透かして見ると、怪奇な本尊の前一
「どうして、こんな事が判ったんです。親分」
とガラッ八。
「堂の正面に納めた額の剣がなくなっているのを見た時、――どうかしたらこの
「糸は?」
「本尊の台座の下に隠してあったよ。青竹は外の
明察、平次の眼に曇りはありません。
「誰がそれをやったでしょう。親分」
「判らぬ」
平次は唇を噛みました。下手人が判らなければ、殺しの
「優曇法印でしょうか」
とガラッ八。
「仏敵退治ぐらいはやり兼ねない男だが、どうも違っているようだ。あの法印では、こんな手の込んだ細工は出来そうもない」
「…………」
「それに法印の仕業なら、娘の死骸を両国橋まで持って行くはずもない」
「すると?」
「遠藤左馬太か、佐原屋の茂吉か、お先棒の三次か?」
平次にも、これから先は判りません。三人が三人とも、結構すぎるほどの
二日三日と、無駄な日は過ぎました。その間に平次は、遠藤左馬太と、茂吉と三次の
遠藤左馬太の泊っている糊屋の婆アは、五十がらみの恐ろしい
三次が佐原屋へ泊るのは、これもありがちのことで、決して珍しいことではなく、二人の
また二三日過ぎました。優曇法印は許されましたが、女敵討の小峰助右衛門は、自分から、梶四郎兵衛親娘殺しを白状したそうで、三輪の万七の喜びは有頂天ですが、
「こいつは臭い。梶四郎兵衛が殺されたと聴いて、捨鉢な心持ちが言わせる
笹野新三郎はこう言うのです。
その
「親分、良い智恵があります」
ガラッ八はニヤリニヤリとしております。
「どんな智恵だ」
「待っておくんなさい」
八五郎は即刻飛出すと、糊売り婆アの店へ駆けつけました。
十手と捕縄と、
さすがのガラッ八も、責め
事件がクライマックスまで盛上がったのは、その翌る日の朝。
「大変ッ、親分」
朝の陽と一緒に飛込んで来たのは早耳のガラッ八です。
「また大変か。何があったんだ」
平次はまだ顔を洗ったばかり。朝の煙草と、駄盆栽を楽しんでいる最中です。
「また両国橋へ死骸がブラ下がりましたよ」
「なんだと、八」
平次の意気込みは猛烈でした。
「今度は無傷だが、締め殺された男ですぜ」
「誰だ、それは」
「佐原屋の茂吉ですよ」
「それで下手人が判った。来い、八、逃げられちゃ大変だッ」
平次は何もかも
向柳原へ入ると、平次の足は一文字にお先棒の三次の宿へ――。
が、危機一髪というところでした。三次はもう叔母の家を飛出して、どこともなく行ってしまったのです。叔母に訊くと、三次が旅装束をして、出かけたのは半刻前、まだ芝へも行き着くまいと言うのでした。
「それッ」
飛出す八五郎。
「待て待て、旅に出た後に、あの真新しい
平次は上がり框の下を指します。
「あッ」
蒼くなった叔母。
「八、裏口へ廻れッ。構わないから踏込んで家捜しだ」
平次の
「御用ッ」
平次の手に後ろ髪を掴まれてしまったのです。
瞬時、恐ろしい格闘が展開しました。お先棒の三次の
「悪い野郎だ、神妙にせい」
「…………」
三次は一番
「親分、どうして茂吉が殺されると、三次に見当を付けなすったので――」
暴れ狂う三次を番屋へ送った帰りガラッ八は、親分の平次のこの捕物の絵解きをせがみました。
「二人で相談をして、あの晩梶親娘を殺したのさ、――誘い出したのはたぶん三次だろう」
「蔵座敷で将棋を指していた二人じゃありませんか」
「それが手だ。二人の口が揃えば、まず大概の疑いは晴れる。その上あの蔵座敷には、番頭達に知らさずに外へ出る道がない――と思われていたが、蔵の二階の窓へ、裏から
「ヘエ――」
「堂守の留守を狙って、たぶん小峰助右衛門の名を
「なるほどね」
「三次は恐ろしい人間だが、付け文を晒し物にされて、死ぬほど口惜しかったに相違ない。梶四郎兵衛を殺そうとして折を狙い、同じ怨みを抱いている茂吉を誘った」
「…………」
「茂吉は気の弱い男だが、物持ちの一人っ子らしい
平次の推理は、一つのストーリーを、手際よく組立てて行きます。
「…………」
八五郎は口を開いて、時々は歩くのを忘れてそれを聴いております。
「茂吉の様子はだんだん変になる。あんなに気が弱くちゃ、いつ自首して出るかも判らないので、三次は大金を
「…………」
「茂吉が殺されたと聴いて、俺には何もかも判った」
二人の
「橋から死骸をブラ下げたのは、親分」
「あの手品は一番判らなかった。橋の上には血の痕も無いし、橋番所では死骸を通した覚えはないと言う――」
「…………」
「だんだん考えてみると、お先棒の三次は、身軽で有名な男だ。火事場の働きが目覚ましいと、お前が言ったろう」
「ヘエ――」
八五郎、とうの昔にそんな事を忘れていたのです。
「船に死骸をのせて
「欄干へ結んだのは」
「それからが、三次の身上だ。死骸を吊った綱を船に縛り付け、
平次の絵解きには
「なんだって、娘の死骸を両国橋へなんか晒したんでしょう」
「悪人の心持は、お前には解らないよ、――八は善人だ」
「からかっちゃいけません」
「若い娘に
「茂吉を晒したのは」
「あの
岡っ引らしくない平次は、こんな事を考えていたのです。
お先棒の三次は、観念して何もかも白状してしまいました。その筋道は、平次が組み立てたストーリーと、少しの違いもなかったことは言うまでもありません。