「ガラッ八、俺をどこへ
「まア、黙って
「思し召は有難いが、お前の案内じゃ、不気味で仕様がねえ。また
捕物の名人銭形の平次と、その子分の八五郎、野暮用で
ガラッ八が案内したのは、
小屋は
「ガラッ八、俺にこんなものを見せる気かい」
平次はさすがに立ち止まりました。この怪奇な空気に、少し当てられ気味でしょう、
「親分、だまされたと思って入って御覧なさい。そりゃ面白いから――」
ガラッ八は、平次の手を引くようにして、一歩、小屋の中へ入りました。
中は五六十坪、筵張りの見世物にしては広い方ですが、その真ん中に、十坪あまりの真四角な
水槽の上が小さい舞台になって、その上に、お松、お村という二人の美女――これが一座の花形で、
どちらも十八九、どうかしたら
舞台には、二人の美女の外に、
水槽の前には、青竹を
「ね、親分、この不景気に、十二文の木戸を払ってこれだけ
ガラッ八は自分のことのように
「
そう言いながらも、銭形の平次も、この一種異様な見世物に心を
お松、お村の二人の美女がしばらく三味線と笛の合奏を続けながら、
「いよいよこれから龍王の
そんな事を言って笑わせている間に、お松、お村の二人の海女は、赤い帯を解いて、クルクルと
裸体に――というのは、文字通りの裸体です。明治大正になってからも、
海女といっても、お松、お村は、室内の水槽で芸をするように育って、陽にも潮にも焼けず、小屋の空気が匂うばかりの白い肌を、何の惜し気もなく
小屋を埋むる客は、この刺戟的な
「なるほどガラッ八、こいつは手前が夢中になりそうだ」
平次も少し引入れられ気味に、そんな事を言って、水槽の左右に立った美女の、素晴らしい
やがて、口上言いの男が、二た
やがて口上言いが、
「いよいよ海女は水底深く潜って龍王の
と言うと、二人の海女は、身を
二人の海女は、しばらく人魚のように、水槽の中を泳ぎ廻りました。一人が浮けば、一人が沈み、一人が
「ネ、親分、こいつは面白いでしょう」
独り者のガラッ八は、すっかり夢中になって、この巧みな興行物のエロティシズムに酔いしれます。
水槽は十坪ほどのを二つに仕切って、奥の四坪ほどのところ、水中にやや浅く木彫赤塗の龍を沈め、その深い口の端に金箔を置いた宝珠を含んでおります。二人の海女が盛んに泳いでいるところと、龍を沈めたところの間には荒い格子の仕切りがあって、格子の底の方には、
お松とお村は、しばらく水中に争いましたが、やや
小屋の中には、ドッと歓呼があがり、口上言いの男は、舞台の上を、道化た様子で、ピョイピョイと跳び廻ります。
最後の見物は、二人の娘が、すっかり濡れて、水から
「ネ、親分、面白いでしょう」
少し興奮した顔を撫でて、こんな事を言うガラッ八を顧みて、
「馬鹿だね、十手が
平次はサッと木戸の外へ出ました。
「だって親分」
「だっても
二人はそんな事を言いながら神田へ
その
「親分、た、大変」
ガラッ八が転げ込んで来ました。
「何だ、相変らず騒々しい」
「落着いていちゃいけねえ、親分、大変なことになっちゃったんだ」
「お前の大変には
そう言いながらも、二の句が継げないほど息を切らしているガラッ八を見ると、平次も少し緊張した心持になります。
「親分。今日のは現にあっしがこの眼で見て来たんだから嘘も偽りもねえ。あの両国の
「何だと――、またあの見世物へ行ったのか、馬鹿な奴だ。この間から変だ変だと思ったら、間がな
「そんな事はどうだって構やしない、親分、毎日行って見ているお蔭で、今日という今日は、とんだものを見てしまったんだ。――海女が一人殺されたんですぜ」
「何だと、ガラッ八、もう少し詳しく話してみろ」
海女が殺されたと聞くと、職業意識が目覚めて、平次は急にシャンとなりました。
「それお出でなすッた。親分がそう来なくちゃ話が出来ねえ」
「生意気な事を言わずに、海女の殺された話をしろ、無駄を抜きにして」
「――こうだ親分、今日もいつもの通り、
「それが無駄だよ」
「まア、黙って聞いて下さい。――いつもの通り芸題は運んで、昼少し前に、お松とお村が水槽に飛込む段取りになった。口上言いから短刀を受取って、勢いよく飛込んだまではよかったが、お松が格子の下の穴を潜って、木彫の龍の方へ抜ける時、どうしたか、サッと水が真っ赤になって、恐ろしい泡が浮くと、お松の身体は水の中でノタ打ち廻って、格子の下の穴に引っ掛っているんだ」
「フム――」
思いの外の物凄い話に、平次も釣り込まれて眼をすえました。
「その恐ろしかった事――。黒い髪が
「それからどうした」
「
「もう一人のお村は?」
「格子の手前へ、ボンヤリ浮いたが、手にはまだ短刀を握っていた。一と目、お松のもがき苦しむ様子を見ると、追っ駆けられるように水槽の縁へ這い上がり、舞台へ転げ上がると、そのまま目を廻してしまったが、赤い
「それからどうした」
「口上言いの男が着のみ着のままで飛込んで、下からお松の身体を抱き上げると
「傷は――」
「胸から腹へかけて、真一文字に斬り割かれていた、その物凄かった事」
「何か物を言ったか」
「何にも言わねえ。傷は深いし、水は呑んでいたし、引揚げると、唇を二三度動かしたっきり、息が絶えた」
「…………」
「ネ、親分、あっしは、あんな物凄いものを見たことがねえ。見物は逃げ出す、女子供は泣き叫ぶ、いやもう地獄のような騒ぎだ。一応十手を見せて、
「馬鹿野郎」
「ヘエ」
「お
「ヘエ――、これでも人間――」
「馬鹿ッ、人間の端くれは判っているが、ツイこの間お札を頂いて、それでも一本立の御用聞になったばかりじゃないか」
「ヘエ」
「ヘエじゃないよ、十手捕縄を預かる立派な御用聞が、殺しの現場を見て、驚いて飛んで来る奴があるか」
「…………」
「平次の子分の八五郎は、血を見て腰を抜かして、親分のところに飛んで行ったと言われちゃ、お前ばかりの恥じゃない、第一、そこを空っぽにして飛んで来て、下手人が逃げ出しでもしたら何とするんだ」
「ヘエ――」
「もう一度両国へ引返しな。俺は一切構わないから、お前一人で眼鼻を開けて、下手人を挙げて来い、馬鹿野郎」
平次の
「そう言われると面目次第もねえ、だがネ親分、あっしは腰を抜かしたわけじゃねえ。わっしの力には及びそうもなかったし、一つは親分の手柄にさして上げたかったんだ」
「馬鹿野郎、お前なんぞに手柄を譲って貰いたくはねえ、トットと引っ返しやがれ」
「帰りますよ、何も、馬鹿野郎、馬鹿野郎ッて言わなくたっていいでしょう、こう見えたって――」
「そのつもりで下手人を捕まえて来い、殺しの現場を見て、指を
「…………」
ガラッ八は黙って飛出しました。こう言われると、義理にも下手人を縛って来なければ、世間へも親分へも顔向けがなりません。
「誰も外へ出た者はあるめえな」
「ヘエ」
太夫元の藤六は、
幸か不幸か、まだ検屍の役人は来ず、この辺を縄張にしている石原の利助も、他行中とあってまだ駆けつけません。
ガラッ八の八五郎は、出来るだけ威儀を整えて、新米の御用聞に許される範囲で、一と通り調べ上げてみました。
太夫元の藤六夫婦は
清次というのは、口上言いの男、元は三崎の漁師で、少しくらいは文字も読め、才智も
お松とお村はどちらも相模女、二人とも負けず劣らず美しくもあり、負けず劣らず浮気でもあり、近頃は、土地の遊び人で、
その他は、江戸で臨時に雇い入れた
こう調べるまでもありません。お松が死んだ時、水中にいたのは、お村だけ、それも龍の彫刻に通う入口を争いながら水槽の深みの中に、短刀を握ってスレスレにいたのですから、お村より外に、お松を殺せる条件を握っている者は一人もありません。
こんな
ガラッ八が
「そいつは、考えることも、迷うこともあるものか、お村とかいう女を縛って、ともかく八丁堀の旦那に
その場を去らせず、こうしてお村は縛られてしまったのです。
しかし、これが大変な間違いだったことは、三日も経たないうちに解りました。お村はどんなに責められても、お松を殺したとは言わないばかりでなく、考えれば考えるほど、事件があやしくなってきたのです。
第一お村の持っていた短刀は、切れそうには見えるが刃引きで、女の手で人間一人殺せるほどの
第二が、お松とお村が水中に争う型にはなりましたが、それは振付のある極った形で、なんの無理も不思議もなく、お松が斬られたのはお村の方が上へ浮いている時で、お松の腹の方へ手が届くはずもありません。
何百人の眼が見ていたのですから、これは少しの間違いもないことで、お村の無罪は火のように明らかになるばかりです。どうかしたら、お村は短刀を二本用意していて、よく切れる方を、どこかへ捨てたと考えられないことはありませんが、お村は水槽から這い上がると、裸体のままで眼を廻したのですから、そんな物を持っていなかったことは明らかで、水槽はその日のうちに血潮の交った水を流して、塩磨きにして洗い清めたのですから、もう一本の短刀を水中へ捨てて来なかった事も明らかです。
それが事件のあってから三日目です。
「親分、かくの通りだ。何とも面目次第もないが、智恵を貸して下さい。あっしが恥を掻くくらいは何でもないが、笹野様もことの外の御心配の様子だし、石原の親分も、緑町の藤六の家で、どんな事をしても、親分を
ガラッ八にそうまで言われると、平次もこの上動かずにいるわけには行きません。
「それはむつかしそうだ。俺が行ったところでどうにもなるまいが、とにかく、顔だけでも出して来よう」
そう言いながら、神田から緑町へ、ガラッ八と一緒にやって来ました。
緑町の藤六の家というのは、一種の合宿所で、太夫元の藤六夫婦を始め、一座のお村、番頭の清次、木戸番の百松、それに、死んだお松が一緒に、小女を使って暮している家でした。
「銭形の親分、お待ち申しておりました。よくお出で下さいました」
藤六は
「おお、銭形の、待っていたよ」
石原の利助も、ホッとした様子で迎えてくれます。
平次は、ガラッ八の口や、世上の噂で、大体の
「木戸番の百松――とか言うのが、殺されたお松に気があったとかいうのは本当ですかい」
「それはもう、百松とお松は三崎の生れで、子供の時から知っているそうですし、百松は心の底からお松を慕っていたようですが、お松の方では何とも思ってはいなかったでしょう。女の眼から見れば、そんな事はいくら隠してもよく解りますよ」
藤六の女房は、平次の問にこう答えます。
「ところで、その水槽へ飛込む時、誰が
平次の問は次第に核心にふれます。
「それは前から決っています。そうでないと、水へ入ってからマゴマゴして間違いを起しますから」
とこれは太夫元の藤六です。
「あの間違いのあった日は、蓋をあけて、すぐだったというから、お松が珠を取ることは前から、解っていたわけだね」
「
「ところで、今晩は百松とお村が見えないようだが――」
平次はフト思いついたように、
「百松は毎晩小屋へ泊っています。ろくなものもありませんが、火の用心のためで」
と清次。
「お村は?」
「お村はどこへ行ったろう。疲れているからって、奥で休んでいたはずだが、夕方から見えないようだね」
これは藤六です。
「お村さんは、
お
「何? 百松と一緒に行った。おかしいなア、お役所から帰されたばかりで、疲れ切っているから、しばらく休みたいって言っていたくせに」
「お村さんは
小女のいうことは、銭形平次を一番驚かしました。
「それは大変だ。ことによると、間に合わないかも知れない」
サッと起ち上がると、
「どうしたんです、親分」
と続いて、藤六、ガラッ八、清次――。
「お村の命が危ない、皆んなも後から来てくれ」
言い捨てて夕闇の中へ、平次の姿はさッと消え込んでしまいました。
「お村、俺の言うことが解るか――解るなら、返事をしろ」
木戸番の百松は、見世物小屋の舞台に、
前には、後ろ手に縛られた女、言うまでもなくそれは、今日お松殺しの疑いが晴れて、役所から帰されたばかりのお村です。
「ハッ、ハッ、ハッハッ、なるほど、
百松は、
「お村、お前はお松を殺したに違いあるまい。うんにゃ、隠したって駄目だ。お上の眼は
「…………」
「お前も知ってるだろう。お松と俺は、同じ村に生れて、餓鬼のうちからの友達だ。大きくなったら一緒にって、
「…………」
「俺はそれを追っかけて、二年越し江戸中を探し廻り、
醜怪な百松の眼からは、ポロポロと涙が、
「そのお松を殺したお前を、どんな目にあわせて
「…………」
「もう少しの辛抱だ、騒ぐなよ」
立ち上がると、お村を縛った縄を解いて、そのまま逃げ出そうとするのを、膝の下へ引据えて、引き
「…………」
あれッとも言えません。猿轡をはめられて、虫のごとく
「この中で存分にもがけ、お松の弔いだ、俺はお前が死ぬまで見物してやる」
サッとお村の身体を、水槽の中へ投げ込むと、一度床の上に立てた蝋燭を取って、頭の上へ高々とかかげました。
水は今日入れ換えたばかり、
お村は必死と身をもがきますが、何の甲斐もありません。
くねくねともがく身体、それに絡まる
「へッ、へッ、いくら海女が商売でも、こう半刻も置かれちゃ叶わねえだろう」
そこへ平次が飛込みました。半狂人のようになった百松を取って投げると、着物を脱ぐ間もなく飛込みましたが、お村を助け上げると間もなく、上から、百松が手当り次第、棒、箱、小道具を投げつけます。
「えッ、何をする」
と言ったが、手の付けようがありません。幸いそこへ、ガラッ八、利助を始め、藤六も清次も駆け付け、百松を取って押えて、水の中から平次とお村を引上げました。
平次は元より無事、お村も水には馴れておりますから、幸いまだ命には別状ありません。
この騒ぎが一と片付きすると、ありったけの蝋燭を灯して、舞台の上へ
「お村に聞くと、百松はお村の敵を討つつもりだったようですから、百松がお松殺しの下手人のようでもありません。一体誰がお松を殺したんでしょう」
太夫元の藤六は、少し長い顔を引延して、皆んなの顔を代表します。
「俺にも解らない」
「ヘエ――」
平次の予想外の答に、みんな
「この
「宜しゅうございます、銭形の親分、どうぞ御自由に水をお抜き下すって」
藤六は、そう言いながら、ガラッ八に手伝って貰って、三重になっている、水槽の
水は恐ろしい音を立てて、下水から大川に落ちる様子。
半刻ばかり経つと、水槽の底がすっかり見えるようになります。
「もうよいだろう、利助兄イ、すまないが、ここから逃げ出そうとする者があったら、誰でも構わず引っくくってくれ」
「よし、心得た」
「それから蝋燭を――」
平次は蝋燭を片手に、木彫の龍の側にある段々を踏みました。
「お松を殺した刃物は、ここにあるはずだ、もしここに何にもなかったら、お松は水の中で
平次はそう言って、龍の口へ手を差し入れました。
「あったあった」
「柄を外して中味だけ抜いて使ったのは
平次は独り言のように言いながら、水槽の中の段を踏んで、底に降り立ちました。
「やっぱり思った通りだ」
「…………」
大勢の首が、水槽の中を覗くと、下から平次は、
「格子の潜りの下に、短刀を立てる穴が
蝋燭をかかげて身を開くと、上からも手に取るごとく見えます。水槽を二つに仕切った格子の潜りの真下に、幅二分、長さ七八分、ちょうど短刀のなかごを逆に立てるほどの、真新しい穴が
平次は龍の口から取った匕首のこみをその穴にはめると、匕首はちょうど床に植えたように、物凄い刃先を上にしてピタリと
「あッ」
上から覗いている者の口々に、恐ろしい感嘆の声。
「そこで下手人は誰だ――」
と石原の利助、鋭い眼でジロリと見廻しますが、百松の外には、そんな事をしそうな人間は一人もありません。
平次はこの試験をおわると、大急ぎで水槽から這い上がりながらこんな事を言います。
「二人の内の一人だ」
「誰と誰?」
と利助。
「お松を水槽から引揚げる時、床に植えた短刀を抜いて、龍の口へ
「すると」
「藤六か、清次」
「えッ」
「藤六は自分の
「それでは?」
そこまで解るうち清次は待っていませんでした。隙を見てヒラリと舞台から飛降りると、宵の闇へ。
「待て野郎ッ」
不意に、木戸口に隠れていたガラッ八、飛出そうとする清次の後ろから、むずと組み付きました。
*
「さすがは銭形の親分だ、親分が行って下さらなきゃア、もう少しでとんでもない事になるところだった」
述懐するともなくガラッ八。
「まア、そう言うな。今晩の下手人を捕えたのは、お前の腕っ節じゃないか」
平次はこの忠実な子分の肩を叩きました。
「そう言ってくれるのは有難いが、どう
「お松は名題の浮気者だ。清次と夫婦約束までしたのに、近頃お村と張り合って、原庭の才三という色師に熱くなっているからよ。同じようにお松に気があっても、清次は百松のように