「親分」
「何だ八、また大変の売物でもあるのかい、鼻の
銭形の平次はいつでもこんな調子でした。寝そべったまま煙草盆を引寄せて、こればかりは
「大変が種切れなんで、ちかごろは朝湯に昼湯に
「
「とんでもねえ、そんな不景気な事をするものですか――不景気と言や、親分、近頃銭形の親分が銭を投げねえという評判だが、親分の懐具合もそんなに不景気なんですかい」
「馬鹿にしちゃいけねえ、金は小判というものをうんと持っているよ。それを
「へッ、へッ」
「いやな笑いようをするじゃないか」
「その強そうな相手があったら、どうします、親分」
「またペテンにかけて俺を引出そうというのか、その強そうな相手というのは誰だ、――次第によっちゃ乗出さないものでもない」
平次は起直りました。春から大した御用もなく、
「品川の
「石井常右衛門の親類かい」
「そんな気のきかない
「フーン」
「そこの娘――お
「…………」
平次は黙ってガラッ八の長広舌に聴き入りました。この
「幸い、
「あの馬鹿息子がかい」
「息子は馬鹿でも、
「嘘を
「それは嘘だが、とにかく、倅に日本一の嫁を貰うんだからと嫌がる大黒屋へ人橋
「大黒屋へやったというのか」
三千両の結納は、江戸の大町人のする事にしても、少し
「池の端の江島屋から、馬に積んで番頭と
「何だと? 八」
銭形平次もさすがに驚きました。江戸の街の真昼、三人も付添って行った三千両の小判が、馬の背で砂利に化けるはずはありません。
「だから行ってみて下さいよ、――三千両は目腐れ金だが――」
「大きな事を言やがれ」
一両はざっと四
「放っておけば大黒屋の亭主は本当に首でも
「
「池の端は親分の支配だ」
「支配――てえ奴があるかい、人聞きの悪い」
「とにかく行ってみましょう。人助けのためだ」
「それじゃ池の端の江島屋の方へ当ってみるとしようか」
「
ようやく腰をあげた平次。ガラッ八はその後ろから、
池の端の江島屋というのは、そのころ上野寛永寺の御用を勤めた、
「銭形の親分、ちょうどいいところで――」
主人の良助は、平次の顔を見ると、そのまま奥へ通します。
「不思議なことがあったそうだね」
平次は好奇心以外何にも持ち合せない調子で応えました。
「不思議だか当り前だか知りませんが、とにかく、仲人の佐野屋さん御夫婦と番頭の太兵衛がついて、馬で送った三千両が品川の大黒屋に着いて、奥へ持って行って開くと、砂利になっていたそうで――狐に化かされたのなら木の葉になります。相手が人間だけに、
江島屋の口調では、大黒屋の細工と信じきっている様子です。
「付いて行った人達は
「佐野屋のお
「途中で休むような事はなかったろうか」
「番頭を呼んで訊いてみましょう」
良助が手を鳴らすと、平次の姿を見て次の間まで来ていた太兵衛は、四十男の心得た顔を出しました。
「ね、三千両を送って行く途中で、馬に水を呑ませるとか、人間が息を継ぐとか――ともかくどこかで休むような事はなかったのかい」
平次は続けました。
「とんでもない親分さん、三千両に間違いがあっては大変と思い、三里あまりの道をわき眼もふらずに参りました。水も茶も呑むどころの
少し頑固らしい太兵衛は
「何か途中に変ったところがありゃしなかったかい、
「そんなものは、ございません、――御膝元とは言いながら、三千両の大金をこう無事に持って行けるんだから、本当に有難いことだと思いました、それが――」
太兵衛は
「馬はどこのだい」
「町内の
これ以上は何を訊ねても判りません。平次はガラッ八を
「銭形の親分さん、――江島屋の三千両のお話でしょう、手前どももあの騒ぎにゃ、とんだ迷惑をしていますよ」
十一屋の親方は、平次の顔を見るとこぼし始めました。
「馬はどこにいるんだい」
「お目にかけましょう、裏の
案内してくれたのは、裏の大きな厩、五六頭の馬の中に交じって、一きわ美しい、
「こいつはいい馬だ、――こんなのはたんとあるまいね」
と平次。
「武家方の
親方は鹿毛の鼻面を
「
「そこにいる野郎で、――やい
「まあ、いいやな、――三次
平次はそれとなく、この男の様子を観察しました。年恰好もよく解らないほど物さびておりますが、せいぜい三十――どうかしたらもう少し若いかも知れません。
「江島屋の
「それから三次兄哥はどうした」
「一杯御馳走になって、御祝儀を頂いて、いい心持になって帰りましたよ」
何という無造作なことでしょう。こんな
取って返して、江島屋の家族や雇人を一と通り調べましたが、倅の良太郎が二十五にもなって、少し
「品川の大黒屋の方に何かあるだろう」
「すぐ行きますか、親分」
「向うへ着くと暗くなるが、一と晩の違いで三千両の始末をされるのも
「ヘエ」
平次と八五郎はそこから品川まで、三里の道を急ぎます。
大黒屋の前は真っ黒に人立ち、ここには思いも寄らぬ大変な事が始まっておりました。
「えッ、黙らないか、武士に向って
「旦那、それは御無理で、沢屋さんから金は借りましたが、旦那に娘をあげるとは申しません。それに重なる災難で、
店の板敷に
「――何? 娘をやる約束はしなかった? 馬鹿も休み休み言えッ、〈
「…………」
「金は沢屋が貸したに相違ないが、その月のうちに証文はこの大川原五左衛門が買い取ってある、――さあ娘を渡して貰おうかい」
五左衛門の
「あれ――ッ」
見ると父親常右衛門の袖の下に隠れた娘のお関は、五左衛門の手に従って、ズルズルと引出されました。
十八娘の美しさが、恐怖と激情に
「お願いでございます。大川原様、それではお嬢様が可哀想――」
飛び付くように若い手代、五左衛門の腕に
「何が可哀想、――娘は嬉し泣きに泣いているではないか」
パッと払った手に
「千代松、――
主人が声を掛けると、手代の千代松は土間から外へ、
「親分、入ってみましょうか」
見兼ねて、ガラッ八は平次の
「待ちな、もう少し見た方がいい、――まだ宵のうちだ。二本差がどんな
平次は、野次馬の後ろから背伸びをしてこんな事を言うのです。
「でも、親分」
「気が
「江島屋へ嫁にやるのを邪魔する奴があるんでしょう」
「シッ――お立会いの衆が顔を見るじゃないか、なんて野暮な声を出すんだ」
二人はそれっきり口を
「来た来た、長谷倉先生が来たぜ、もう大丈夫だろう」
「御免よ、――娘を連れて行きたいが、
「ヘエヘエ、どうぞお召連れ下さいまし」
長谷倉
「お聞きの通り、その娘は拙者が親元になって、近々嫁入りさすはずになっている。無法なことを召さると
「何? 何が無法」
大川原五左衛門はいきり立ちます。
「嫌がる娘を小脇に抱えて、無理に連れ出そうとするのは無法の沙汰ではないか」
長谷倉甚六郎の調子は、静かですけど
「黙れッ、借金の
「拙者は長谷倉甚六郎、西国の浪人者だ。十年越しこの町内に住み、
「貧乏浪人の長谷倉とは御手前か、――なら、口を出さぬがいい。これは六百五十両という大金の出入事だ、〈返済相成兼候節は如何なる物を御取上げ候共異存無之〉と首と釣替えの判を
大川原五左衛門は威猛高です。
「その物が、この娘だと言うのか」
「いかにも」
「黙れッ、――物は物、人間は人間だ。昔から人間を
「何?」
「
「たわけと言ったな」
「それがたわけでなくて何だ。まして、拙者親元になって、近々嫁入りさす娘だ。その方ごとき赤鬼にやってたまるものか」
「
「や、手向いするか」
カッとなって斬り込む大川原五左衛門の
「あッ」
ポロリと落した五左衛門の刀を取上げると、足をあげてしたたかに腰のあたりを蹴飛ばしました。
「覚えておれッ、証文に物を言わせるぞ」
腰をさすりながら起き上がる大川原五左衛門。
「馬鹿奴ッ、証文の表はたった百五十両だ。三年で四倍半になる高利を、武士たる者が貸していいか悪いか、
「何を」
「それからこの腰の物は後日のために預かりおく。商人の店先へ来て、
カラカラと笑う浪人長谷倉甚六郎、まことに水際立った男振りです。
「親分、驚いたね」
それを見て舌を巻いたのは、ガラッ八ばかりではありません。
「手の内も見事だが、智恵者だな、フーム」
平次もしばらくは
「銭形の親分さんで、――とんだところをお目にかけました」
奥へ平次と八五郎を通して、主人の常右衛門は
「いや、かえっていろいろの事が解ったような気がするよ。三千両の始末を、もう少し詳しく聞きたいが――一体どんな
「こういったわけでございます。親分」
主人の常右衛門は、心の苦悩を絞り出すように、こう語り始めました。
品川一番と言われた大黒屋が、家業の左前になったのはツイ五六年前から。型の通り米相場で大穴をあけ、地所も家作も手放して、あと五六百両の不足を、高利貸の沢屋利助に借り、利に利が
その証文の一枚を買い受けたのは、沢屋の用心棒の大川原五左衛門、半歳も前から、執念深くお関を嫁にと迫りますが、相手が悪いので大黒屋も我慢がなり兼ね、ちょうど江島屋から賢くない
その結納金が三千両、江島屋からは確かに出したと言い、ここへ着いたのは箱に詰めた砂利で、
「三つの千両箱はどこで誰が受取ったんだ」
平次は第一問を発しました。
「店で私が受取り、手代や小僧に奥――と申してもこの部屋より
「その間、千両箱は」
「その床の間に置いて、四人の眼で見張っておりました」
「ちょっとも眼を離さなかったろうな――
「そんな事はございません。すぐ千両箱を開けて中味を見るのも、ガツガツしているようでたしなみが悪いと思い、
常右衛門はゴクリと
「すると、中は砂利が一パイ詰まっていたというのだろう」
「左様でございます」
「店からここへ持って来るとき、小判にしては軽いと気が付かなかったのかな」
「何分、皆んな夢中になっておりました。それに、千両箱などは、奉公人達も持ち慣れておりません」
傾いた家運を
「この縁談を壊したいと思う者があるに相違ないが――」
と平次。
「それはもう、親の私から申しては変に聞えますが、町内だけでも、娘を欲しいという方は十人や二十人じゃございません」
お関の人気の凄まじさ。ガラッ八は頬を
「その中でも、一番がっかりするのは」
「手代の千代松でございます。――お関と一緒にして、
「それから」
「
「千代松は
「昨日も、
常右衛門の言葉が、
「先刻五左衛門を取って押えた、長谷倉甚六郎という浪人者は、ありゃどんな方だい」
「立派な方でございます。町内の若い衆にいろいろのものを手ほどきして、十年もこの隣に住んでいらっしゃいますが、あんな智恵者で、あんな立派な方はございません。――娘のお関などは、どんなに可愛がって頂いたことか」
「すると、三千両はどこで誰が入れ替えたのだろう」
平次もここまで来ると、ハタと当惑してしまいました。
「江島屋さんが、そんな事をなさるはずもございませんが、――それでも、ここでなく、途中でないとすると――」
常右衛門は江島屋の主人や番頭を疑っているのでしょう。
「とにかく、本当に江島屋から出したものなら、どこかに隠されているに違いない。何とか捜し出す工夫もあるだろうから、あんまり気を落さない方がいい」
平次はそう言って常右衛門を慰めずにはいられませんでした。この主人は、本当に首でも
「縁談は破れたも同様ですから、江島屋さんからは、明日にも三千両の結納を返せと言って来るに決っております。その時は」
濃い死の
「そんなに突き詰めちゃいけねえ、もう少し心持を大きく持つがいい」
平次もそう言うのがせいぜいです。
それから千代松に逢いましたが、
「私は何にも存じません、――が、親分さん、旦那はあの通り、放っておけば、気が変になるか、死ぬか、どっちにしても無事で済みそうもありません。お願いですから、助けてやって下さい」
そういう一生懸命さが、平次を打つだけ、何の取止めたこともありません。
「お前はまさか、三千両の行方は知っちゃいないだろうな」
「え?」
平次の言葉は冷酷でした。
「この縁談を壊すだけならいいが、三千両の行方が判らないとなると、幾人もの命に
「親分さん、それじゃ、――私が、この私が隠したと言いなさるんですか」
千代松の唇はサッと白くなります。
「そうは言わないが――」
平次は煮え切らない返事をして背を見せました。
次に逢ったのはお関、これは恐怖と心配にさいなまれて、ただ、ひた泣くばかり、何を訊いても
「私は何にも知りません、――でも、
そう言うだけ。
「千代松が怪しいとは思わないか、お関さん、この男はこの縁談を一番
「そんな事はございません、――千代松は気の弱い正直者です。そんな大それた事をする千代松じゃございません」
千代松のこととなると、お関は必死と涙の顔をふり上げます。
平次とガラッ八は、これっきりで大黒屋を切り上げました。これ以上
引揚げ際に、砂利を詰めた三つの千両箱を見せて貰いたいと言うと、千代松は裏の物置に案内してくれました。
「旦那は見たくもないと言って、ここに
物置の外へ出ると、ポツポツ雨が降り出して来ました。隣の長谷倉甚六郎の浪宅からは、何やら
「八、大急ぎで帰ろうぜ」
平次は何となく淋しい心持で往来に飛出しました。金に支配されて、泣く者、怒る者、命まで投げ出そうとする者、その種々相が、江戸っ子で貧乏で、三両も三千両も同じように考えている平次には腹立たしかったのです。
「八、今日も歩くんだぜ」
「ヘエ――どこまで行くんで」
「まあ、黙って来るがいい」
平次は池の端の江島屋へ行って、番頭の太兵衛を誘い出したのです。
「番頭さん、品川の大黒屋には、怪しいのは一人もねえ、――仲人の佐野屋夫婦は、馬の先に立って歩いているし、千両箱には手も掛けないから、これは疑いようはねえ」
「すると」
太兵衛は
「一番損なのはお前だよ、番頭さん」
「ヘエ――」
「金は途中で抜かれたに違いないが、馬の後から歩いて来たお前が知らなきゃどうかしている。馬を
「冗談でしょう、親分さん、私は――江島屋の子飼いで、
太兵衛はいきり立ちます。中年者らしい頑固さが、相手の身分も、事情も忘れさせるのでしょう。
「それじゃ、池の端から品川へ行った道筋を
「行きましょう。こうなりゃ、
「そんなに遠くまで行くには及ばない」
平次はこんな調子で、とうとう尻の重い太兵衛をおびき出したのです。
池の端
「さあ行こう、俺は佐野屋の代りに一番先だ、八は馬だ、一番後は一昨日の通り番頭さん――」
一歩踏み出しました。
「どんな事でも言わなきゃなりませんか」
「どんな事でも、石っころに
平次はうなずいて見せます。
「この横町から出て来て、私に道を訊いた人がありましたよ」
いくらも歩かないうちに、――御数寄屋町と
「どんな人間だ」
「浪人風の男で、――顔は忘れましたが、
太兵衛は小戻りして元黒門町の方を指さします。
「その間に馬は?」
「佐野屋さんの後ろから、
「ちょっとの
「ほんのちょっと、煙草一服
「江島屋のすぐ前でやったのは恐ろしい智恵だ」
平次は何を考えたか、その辺の路地を二つ三つ
「ここで千両箱の中の小判を砂利に詰め替えたというんですかい、親分」
太兵衛はムッとした様子です。
「…………」
「そんな暇はありゃしません。私は馬から十
「…………」
平次はしかしそれには応えようともしません。
「親分」
ガラッ八は平次の顔に動く表情から、事の重大さを読みました。
「十一屋へ行ってみよう、たぶん駄目だろうが」
と平次。
三人は飛脚屋の十一屋へ取って返しました。
「親方、三次は? 昨夜から帰らないだろう」
飛込んだ平次。
「酔払って帰りましたが、今朝はまだ起きて来ませんよ。
「大急ぎで逢いたい。その寝ているところへ案内してくれ」
「ヘエ――」
十一屋の親分は不承不承に立上がりました。三人を案内して、
「三次、もう
ヒョイと筵をかかげた親方。
「あッ」
一ぺんにのけぞりました。
「何だ何だ」
覗けば、馬方の三次、
「親分、こりゃ大変なことになりましたね」
「こんな事だろうと思ったよ」
「こんな腕っ節の強い野郎の首を、飼糧切りに押し込むなんて、人間業じゃありませんぜ」
舌を巻くのは親方です。
「酔っていたんだろう。着物は泥だらけだ――」
「そういえば、馬鹿に当ったとか言って、フラフラしながら帰って来たようだが――」
解ったのはそれだけ、そこいら中を捜してみると、小判が一枚小粒が二つ三つ落ち散っていましたが、それがたぶん三次の命を奪った
「行こう、八、今度は品川だ」
平次は切り上げて、白日の中へ飛出しました。
品川の大黒屋へ行って、
「お関さんにちょいと逢いたいが」
平次は最後の切札を出すより
「親分さん、御用は?」
美しいが、おどおどするお関、その顔を平次はジッと見ました。
「お関、――人間が一人殺されたよ。――この縁談を
「…………」
「言ってくれ、――三千両の大金は、人一人を気違いにする。――早く言ってくれなきゃ、この上とも騒ぎが大きくなるぜ」
平次は、事件の火元をお関と見たのです。これほどの美しい娘が、涙ながらに頼んだとしたら、どんな恐ろしい事が起るか、よく解るような気がしたのです。
「私は何にも存じません、親分さん」
お関の眼の清らかさ。
「それは本当か」
平次の当惑さは一と通りではありません。
「親分、千代松を当ってみましょう」
ガラッ八は口を出しました。
「いや、千代松にこれほどのことは出来ない」
平次は
「それじゃ、これだけ聞かしてくれ、――
「それなら申上げられます、父さんと千代松と」
「それから」
「あとは奉公人達も知りません」
「もしや、お隣の浪人には話さなかったか」
「長谷倉様には、御心配して頂いて、ツイ
「有難う、それくらいでよかろう」
平次はお関に別れて外へ出ると、そっと店の小僧を物蔭に呼出しました。
「小僧さん、昨夜お隣の御浪人のところに素読の稽古があったかい」
「夜は休んだようですよ、頭痛がするとか言って」
「そうだろう、頭痛のするような晩だったよ」
平次はガラッ八を眼でさし招くと、
「八、いいか、今度は命がけだよ」
そっと
「何をやらかすんで」
「俺と一緒に来るがいい」
真っ直ぐに入ったのは、いうまでもなくお隣の浪人者、長谷倉甚六郎の
「御免」
「ドーレ」
破れた障子を開けて、狭い土間へ顔を出したのは、主人長谷倉甚六郎自身でした。もっとも天にも地にもたった一人暮し、取次も、主人も
「長谷倉さん、少し
平次はズバリと言って
「な、何を申す」
「三千両はお関さんが可哀想だから隠したのでしょう。それは解りますよ。江島屋の馬鹿息子へ、あの娘をやるくらいなら、あっしだって
平次は遠慮もなくまくし立てます。
「無礼者ッ、何を言うのだ」
「脅かしっこなしに願いましょう。――額に古傷を描いて、番頭の太兵衛に道を訊き、ちょいと馬から遅らせたのは旦那の
「黙れッ、無礼者ッ」
「だが、三次を殺したのはやりすぎですよ。旦那、人の命さえ取らなきゃア、この平次は眼をつぶって上げたのに」
「
いつの間に抜いたか、長谷倉甚六郎の手に
「御用ッ」
「神妙にせいッ」
平次の袖の下を掻いくぐって飛込む八五郎、その鼻の先へ
「八、抜かるな」
「合点」
飛込む二人。が、一歩遅れました。長谷倉甚六郎は、入口の二畳に
「気の毒なことに、お関を助けるつもりでやった細工だ。最初はたいした
「…………」
平次は長谷倉甚六郎の死体を片手拝みに、
「そのうちに、あんまり器用に三千両を隠したので、これほどの人も慾が出た。――お関の嫁入りを邪魔するつもりで隠した三千両だが、あんまり自分の智恵が
「もう一人、代りの馬を
「それは多分、かなりの金を貰って、その晩のうちに遠方へ逃げてしまったろう。三次は江戸の酒と女と
平次の明察に曇りはありません。
が、三千両の金の隠し場所は、死んだ長谷倉甚六郎の口からでも聞かなければ、容易に解りそうもなかったのです。
甚六郎の浪宅は、ほんの二た間、
「こいつは驚いた。三千両はどこへ消えたんだ」
ガラッ八は根気よく見て廻りますが、日が暮れるまで見付かりません。
そのうちに
「おや、これは、私の家の物置に預かってある品だが――」
常右衛門の顔は不思議でした。
「それはどういうわけで?」
「長谷倉さんは昔は大した御身分で、お国許では大きな仏壇を持っておられたが、浪々の身ではそんな仏壇を裏長屋に置くわけにも行かないとおっしゃって、大きな茶箱に仏具を一パイ詰め、お
「なるほど、その物置にあるはずの仏具がこの
「ヘエ――」
話はそれっきりでしたが、
「御主人、ちょっと」
平次は常右衛門を呼出しました。
「ヘエ、――何か御用で」
けげんな顔をする常右衛門とガラッ八に
「自分の家でないとすると、大黒屋に隠すのが一番確かだ。長谷倉という浪人は智恵者だね」
「ヘエ――?」
平次の言葉は謎のようです。
「長谷倉甚六郎から預かったという、仏具の箱は?」
「あれですよ、親分」
主人の指した茶箱、簡単に掛った縄を払って開けると、中には千両箱が三つ、
「あッ」
常右衛門とガラッ八は、思わず声を呑みました。
「御主人、この金は江島屋へ返すがいい。三千両で売っちゃお関さんが可哀想だ、――千代松は婿にして不足はない男だ。――借金は働けば返せるだろう。無法な利息は、お上へ届出て、何とかして貰えるだろう」
平次は小判の光と、驚き呆れる常右衛門の顔を見比べながら、