「親分、近頃つくづく考えたんだが――」
ガラッ八の八五郎は柄にもない感慨無量な声を出すのでした。
「何を考えやがったんだ、つくづくなんて
銭形平次は初夏の日溜りを避けて、好きな植木の若芽をいつくしみながら、いつもの調子で相手になっております。
「大した望みじゃねえが、つくづく大名になりてえと思ったよ、親分」
「何? 大名になりてえ、大きく出やがったな、畜生ッ」
平次はそう言いながら、
「第一、お小遣に困らねえ」
「なるほどね、大名衆がお小遣に困った話はまだ聞かねえ」
平次もそんな事を言うのです。植木に夢中になって、八五郎の哲学などは、どうでもよかったのでしょう。
「お勝手元
「余程困ると見えるな、八」
「ヘエ、お察しの通りで」
八五郎は、ポリポリ
「
そう言いながらも平次は、お静を眼で呼んで、あまり沢山は入っていそうもない自分の財布を持って来させるのでした。
「済まねえ、親分、湯銭と髪銭と、煙草を一と玉買いさえすりゃいいんで、――そんなに要りゃしませんよ」
「まア、取っておくがいい。大名ほどの
「へッ、済まねえなア、――それじゃ借りて行きますよ。ね、親分、お小遣はまア、親分から借りるとして」
「まだ不足があるのかい」
「大名の話の続きだが、――夏冬の仕着せにも不自由はなく」
「仕着せだってやがる」
「質屋の出し入れがないだけでも、どんなに気が楽だか解らねえ。その上、出入りはお
「気に入った女は、いきなりしょっ引いてお部屋様だろう」
「そ、それを言いたかったのさ、ね、親分」
ガラッ八は少し
「馬鹿野郎、またどこかの
「そんな玉じゃありませんよ。あっしがしょっ引いて来たいのはまず――」
「煮売屋のお
「馬鹿にしちゃいけません。あんな小汚いのはこっちで御免だ――まずこの八五郎がしょっ引いて
「大きく出やがったな」
「横町の
「わッ、助けてくれ」
平次は大仰な身ぶりをしました。横丁の中江川平太夫というのは、
これくらいの娘になると、ガラッ八とは大釣鐘に
その頃、神田、日本橋、
仲間という者を持たぬ、たった一人の仕業のようですが、
腕も抜群ですが、何よりの特色はその
町内では、夜廻りを増やし、
「親分、やられましたよ」
八五郎か飛込んで来たのは、その翌日の朝。
「何がやられたんだ」
「中江川さんのところへ、あの泥棒が入りましたよ」
「えッ、そいつは大変だ」
平次は羽織を引っかける
「
ガラッ八が群がる野次馬を追っ払う中へ、平次は熱い物のさめない
「あ、銭形の――よく来て下すった、この通りの始末だ」
おろおろするのは、主人の中江川平太夫。見事な銀色の毛を申訳ほどの
「あッ、これはひどい」
切り破られた引窓、そこから
平次はまだ縛られたままになっている娘のお琴を引起すと、菜切庖丁を持って来て、バラバラと縄を切りほぐし、それから猿轡を取って、
「どうなすった、お嬢さん、――とんだ災難でしたね、――見たこと聞いたこと、詳しく話して下さいな」
ガラッ八に雨戸を開けさせ、乱れた娘の
「何にも知りません、――気が付いた時は床の中から引出されて、こんなに縛られておりました」
「引窓をコジ開ける音とか、ここへ入って来る様子とか――そんなものに気が付きゃしませんか」
「いえ」
娘は美しい顔を上げます。気が緩んだせいか、恥かしい姿を、平次やガラッ八の前にさらした
年の頃、せいぜい十九、
寝巻の上へ
「それにしても、私が来るまで、よく縄を解かずに置いてくれました」
平次は結び目を残して切った細引を、そのまま自分の袖に落しながら、中江川平太夫を顧みました。
「何かのお役に立とうと思ってな、縄を解いたり、雨戸を開けたりしちゃ、証拠をみんな掻き消すようなものだから」
平太夫は老巧らしくそう言うのです。
「ところで、
「大したことではない。当座の小遣のつもりで、出しておいた十二三両と、明日本郷の地所を求める約束で、用意した手付が五十両、合わせて六十二三両ほどじゃ、――そんな事で済むなら、世間を騒がせるまでもないと思ったがな」
大したことでないと言うのが六十何両、この浪人の裕福さは、
「あなたは、何にも御存じなかったので?」
さんざん荒らされた部屋の中を見廻しながら、平次はこの頼み少ない老人を見やりました。
「耳も眼も遠いから、滅多なことでは気がつきませんよ、――もっとも気がついて、なまじ腕立てなどをしたら、私の身体が危なかったかも知れない」
「…………」
心細い侍――そんな事を考えながらも、ヨボヨボの中江川平太夫を非難する気にはなれません。
「こんな事を言っては変だが――いや、平次親分だから言うが、金の
中江川老人はそう言って、真っ白な頭をブルブルふるわせるのでした。
曲者の入った跡から、逃げた出口まで、平次は入念に見廻しました。物置の後ろには九つ
「
平次は一と通り見た上で、こんな不気味なことを言うのでした。
「そんな事は?」
中江川平太夫はさすがにギョッとした様子です。
「用心なすって下さい」
「私はこの通り身体がきかないから、気ばかりあせっても、何の役にも立たない。女子供じゃ、泥棒の入った後へ来るのは気味が悪いだろうし、――若い者じゃ、娘があるから泊めるわけに行かない。お気の毒だが平次殿、しばらくここへ泊っては下さらぬか、銭形の親分
そんな
「そんなわけにも参りませんが、どうでしょう、この男を泊めて下すっちゃ、――年は若いが、これなら
平次はそう言いながら、ニヤリニヤリとガラッ八の鼻を指すのです。
「親分」
驚いたのは八五郎でした。
その晩から、ガラッ八は中江川平太夫の家に泊り込むことになりました。家が広いので、奥へは主人の平太夫、お勝手の側の居間にはお琴が一人、ガラッ八は店を直して格子をはめた表の部屋に宵から
大名の話から、お琴の
それは四日目の朝。
「八、両国まで一緒に来いッ」
「応ッ」
珍しく平次に誘われた八五郎は、少し極り悪く中江川の家から飛出し、平次を追って一気に両国まで。
「何かあったんで? 親分」
「広小路の酒屋へ入ったよ」
「ヘエ――」
「手口はいつもの通り、
そんな事を言ううちに、二人は野次馬に取囲まれた酒屋――
「親分さん、大変なことになりました。この通り」
飛んで出たのは
しかし、不思議なことに、ここでも、梯子は庇に掛けたまま使った様子はありません。横木に少しの泥も付いてはいず、二本の脚が、柔かい土にメリ込んでもいず、梯子を掛けた竹の古い
「この泥棒には人間の心がない」
平次はツクヅクそう言いました。今までの手口から見て、無恥で、残酷で、手加減も遠慮もないところを見ると、どう
「隣は?」
「空家でございます」
「その隣は?」
「
「行ってみよう、八」
平次はガラッ八をさし招くと、路地を拾って、軽業小屋の裏木戸から入りました。
「御免よ、――誰か居ないのかえ」
「ヘエ――」
ヌッと顔を出したのは、五十年配の人摺れのした男。平次とガラッ八の顔をまぶしそうに眺めます。
「ここに誰と誰が泊っているんだ」
「ヘエ――」
五十男の顔から、不敵な
「俺は神田の平次だ。朝早くから気の毒だが、ツイそこに人殺しがあったんだ。念のため小屋に泊っている男の顔を見ておきたい。皆んなここへ呼出してくれ」
「ヘエ――」
銭形の平次と気が付くと五十男はアタフタ小屋の中に駆け込みます。
後で解ったことですが、これが木戸番の
「親分さん、何かよくねえことがあったそうで」
権次郎は四十男のしたたか
「全くよくねえ事だよ、桝屋の手代が殺されて、百両ばかり盗られたんだが、泥棒はこの小屋の庇から、空家の屋根を伝わって、桝屋の庇へおり、天窓をコジ開けて入っているんだ」
「ヘエ――」
「板庇が
「…………」
権次郎は黙ってしまいました。その後ろに
「倉松とか言ったね、竹乗りは鮮やかだということだが、ちょいと身体を見せてくれ」
「ヘエ――」
平次は、ガラッ八に眼配せすると、二人がかりで、倉松の身体を調べました。あわてて
「
「…………」
黙って案内したのは、汚い楽屋。男達三四人はそこに
平次はがっかりした様子で外に出ました。
「親分、あてが
ガラッ八、犬っころのようにその後に従います。
「外れるものか――みんな思った通りだよ」
「だって何にも証拠はないじゃありませんか」
「証拠はありすぎるよ」
「ヘエ――」
「たとえば、これだ」
平次は裏木戸の外のちょっと人目につかぬ物蔭に
「おや? そいつはどこに?」
「
「それじゃ、あの野郎だ。しょっ引いて行きましょうか」
「待て待て、少し
平次は元の小屋に引返すと、その匕首を皆んなに見せました。
「小屋の道具でないことは確かで――第一、そんなによく切れるのは危なくて、舞台へ持出しゃしません。もっとも、銘々どんなドスを隠して持っているか、それまでは解りませんが――」
権次郎の言うことは一向取止めもなかったのです。
「ここの
平次は不思議なことを訊きます。
「それは、倉松の十八番でございますよ」
権次郎はこの上もなく無造作な調子でした。
「抜けるのは倉松だろうが、縛るのは誰だい」
「お客に縛って頂きます。――お客が引込み思案で出て下さらない時は、三太がやりますが」
「ちょいと、ここでやってみてくれ」
「ヘエ――」
権次郎も三太も倉松も変な顔をしましたが、銭形平次の望みに
「もうそんな事でよかろう、抜いてみてくれ」
「…………」
倉松は何か襲われるような心持らしく、引っ切りなしに平次の顔を見ております。これが、いつ、本縄に変るかも知れないと思うのでしょう。
でも、二度平次に催促されると、芸人らしく、はっきり
「え――ッ」
気合が一つ、縄はゾロゾロと解けて、死んだ蛇のように、倉松の足許に
「御苦労御苦労、それでいい、――とんだ邪魔をして済まなかった」
平次は、丁寧に礼をさえ言って、小屋の外へ出るのでした。
「親分」
しばらくすると、ガラッ八はたまり兼ねた様子で声を掛けました。
「何だい、八?」
「倉松の野郎を縛らないんですか」
「無駄だよ」
「?」
「縄抜けの名人だ、縛るだけが野暮さ」
「ヘエ――」
「それに倉松は縄を抜けるのが渡世で、縛る方は得手じゃなかったんだ」
ガラッ八は、不服そうに頬を
「それより、あの娘の方はどうした?」
平次は話題を変えました。
「娘?」
「知らばっくれちゃいけねえ。中江川のお琴さんだよ。用心棒に
「…………」
ガラッ八の顔は見物です。
「
「親分」
「手前は、あの娘を女房にしたいって言ったろう。だから、俺は
平次はそんな事を、面白そうにまくし立てるのです。
「だって無理だよ、親分、ああ見えても武家の娘だ」
「武家の娘が何だい、――それともお琴さんが二本差しているとでも言うのかい」
「弱ったなア」
「弱ることなんかあるものか、――どうせ年寄りは早寝だろう」
「そりゃ、宵には奥へ引込むが」
「それから手前へ晩酌が出るだろう、――酔った勢いで、何とかならないものかね」
「あれでも武家の娘だ。綺麗なだけで大した利口じゃあるまいと思ったが、どうしてどうして」
「手前より利口だと解ったのかい、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、こいつは大笑いだ」
何が面白いのか、カラカラと笑う平次。その羽目を外した調子を、ガラッ八はムッとした心持で見詰めるのでした。
それから三日の間に、兇賊は三ヶ所を荒らし廻りました。質屋と、呉服屋と、女隠居と、――中でも末広町の女隠居は、あんまり金を深くしまい込んで、さすがの
その時、曲者の姿を、
平次とガラッ八が、朝のうちに駆け付けて、まだ驚きと怖れから
女隠居は、六十前後、かつては日本橋あたりの
「大男――? それは本当かい」
「ヘエ、大きな男でございましたよ。
「下女は長く奉公しているのかい」
「五六年も居りますよ。大の忠義者で、まだ三十そこそこでしょう。一度縁付いたそうですが、不縁になって私のところへ参り、もう一生動かないといっているくらいで、ヘエ」
「葛西の在から、使いでも来たんだろうな」
「口上で、――母親が加減が悪いから一と晩泊りでも来るようにと、百姓衆が言って来ました」
「下女の知っている人かい」
「いえ、村の人じゃない――と言いました」
こんな事は、いつまで訊ねていても際限もありません。いずれは偽使いに決っているようなものです。
「昨夜の事を、もう一度詳しく話して貰おうか」
平次は女隠居の言葉を、くり返して検討するつもりでしょう。
「
「確かに男だね」
「それはもう親分さん、――飛起きて声を立てようとすると
その時の事を思い出したか、女隠居はゾッと身を
「何にも物を言わなかったのか」
「――金を出せ――ただそれだけです。何にも言いません。それっきり黙りこくって、
奪い取られた百二十両の惜しさが、身に
「声は?」
「低い声で、――聞いたことのあるような、ないような――」
「…………」
「仕方がないから、落しの中の、石畳の下に、虎の子を隠してあることを言いました。すると、私の胸倉を
女隠居は自分の喉のあたりを指しながら、恐怖に絶句したのです。
「それから」
「どうせ、姿を見られると、決して助けてはおかない泥棒だと聞いていたので、私も観念しました。――観念したくないにも、声が出なかったのです。思わず念仏を
「外で物音でもしたのかい」
「物音がしたかも知れませんが、私には聞えません。私はもう生きた心地もなかったので、聞落したのでしょう。泥棒があんなにあわてるところを見ると、人声か足音か、何か聞えたに違いありません」
「時刻は?」
「間もなく
「
平次はいろいろの事を考えている様子でした。
「どうしたらいいでしょうね、親分さん。あの百二十両を
女隠居は命に別条のないことをはっきり意識すると、次第に盗まれた百二十両が惜しくなったものらしく、頼み少ない姿で、悲歎にくれるのでした。
「泥棒はきっと
「…………」
「泥棒の足を見なかったかい、何を履いていたか」
「
「八、聞いたか、泥棒は履物を
「そういえばそうですね」
八五郎は一応うなずきました。が、それはどんな意味のあることか解りそうもありません。
「ここでも
平次はまだこの女隠居から引出せそうな気がしたのです。
「
「何? 頭巾の下から、切り揃えた毛? さア大変だ、八?」
平次は
「そいつは何でしょう、親分」
「たしかに女でないなら、そいつは総髪だ。総髪にしている男というと――」
「医者か、
「しめたッ」
平次は新しい光明に臨んで
神田から下谷、日本橋
「八、下っ引を二三人呼んで来い、相手はうんと
「大丈夫ですか、親分」
「たいがい大丈夫なつもりだが、――念のため筋違見附を覗いて行こう」
二人は一気に筋違見附へ――。
その頃筋違見附、今の
見附外の少し離れた空地、三脚の台を据え、天眼鏡を構えた易者は、時々編笠を取って汗を拭きますが、無精髪の総髪、まだ四十そこそこの屈強な男です。
「八、
平次は張り切った肩を落しました。
「どうしたんで? 親分」
「総髪は江戸に何十人あるか解らねえ、
「それじゃ、あの野郎の家へ行って、家捜ししましょうか」
「家はどこだい」
「
「いやな事だが、それも仕方があるまいな、行って見よう」
二人は鍋町へ引返しました。
源助店の路地の外に、ガラッ八を見張りに置いて、道軒の家へ潜り込んだのは平次たった一人。
それから
どこにも、血の付いた脇差も、小判の
「ありませんか、親分」
ガラッ八はたまり兼ねて入って来ました。
「何にもないよ、浪人者にしては、念入りの貧乏だな」
「その仏壇は?」
「盗んだ金を、入口から見透しの仏壇へ入れて、御先祖様にお目にかける奴もあるめえ、――が待てよ、外の考えようもある」
平次はもう一度引返すと、仏壇の中を念入りに見た上、下の
「おや?」
抽斗を抜いて、その奥へ手を突っ込むと、何やら指先に触れるものがあるのです。ズルズルと引出してみると、
「親分」
八五郎は思わず
「…………」
平次は黙って考え込んでおります。
「親分、見附へ行ってみましょう。気が付いてずらかっちゃ一大事」
「騒ぐな八、まだ縛るには早い。去年の暮から諸方で盗った金はどう積っても千両以上だ。ここにあるのは百二十両、あとの金が出ねえうちは、滅多に縄を打つわけには行かねえ」
「だって親分」
「まア、いい、俺に任せておけ、――この事は人に言うな」
平次は黄八丈の財布に入った百二十両を元の
それから二日目。
「ところで、八」
「ヘエ――」
平次のところへ行った八五郎は、妙に
「あの娘はどうだえ」
「ヘエ――」
「まだモノにならないのか」
「ありゃ
八五郎は照臭く頸筋を叩きます。
「何が違ったんだ」
「あのお琴という娘はとんだ喰わせものですよ」
「はてね?」
「第一、中江川平太夫の娘なんかじゃありゃしません」
「ヘエ――」
「二三日は娘らしくしていましたが、近頃じゃ――」
ガラッ八は頸を縮めて赤い舌を出すのです。
「孫かい、娘でなきゃ――」
と平次。
「親分もどうかしていますぜ」
ガラッ八の鼻の穴は次第に大きくなります。
「何がどうしたんだ」
と平次。
「不思議なことばかりで、あっしには見当も付かねえ」
「何が不思議なんだ」
「第一、あの平太夫はそんな年寄りじゃありません、髪こそ真っ白だが」
「そんな馬鹿なことがあるものか、第一ヨボヨボして、歩くさえ不自由じゃないか」
「でも――」
「手前気が弱くてそんなつまらねえ事を考えるんだ。待ちな、俺が結構な
「そんな馬鹿なことが言える道理はありません。痩せても枯れても向うは武家で、こっちはただの岡っ引だ」
「つまらねえ遠慮をするじゃないか。武家でも浪人だろう、手前は十手捕縄をお上から預かる一本立の御用聞だ」
「だって、あの娘は、あっしの事なんか、何とも思っちゃいませんぜ」
「いないことがあるものか。大ありの名古屋だ、
「痛いッ」
平次の手は威勢よくガラッ八の背をなぐったのです。
「それでも文句を言うなら、
平次は何やら風呂敷に包んだ品を、ガラッ八に持たせるのでした。
「何です、これは」
「浦島の玉手箱だ、あけちゃならねえ、――耳を貸しな、少し呑込んで貰いてえことがある」
「ヘエ――」
「たまには耳も掃除しておくんだぜ、いい若い者が、こんな汚い耳をしていちゃ、お琴さんだって、結構なことを
その晩中江川平太夫の家で、大変な騒ぎが起ったのです。
遠い
「泥棒泥棒ッ」
恐ろしい声で、後ろからわめき立てたのは、
曲者は面喰らって立ち上がりました。が、ガラッ八の
「御用ッ」
そこには銭形平次が待っていたのです。
火のような格闘が一瞬庭に展開しました。曲者の脇差が、幾度か平次に迫りましたが、得意の投げ銭がそれを封じて、しばらく
*
娘――と称した、
「驚いたね、親分。平太夫が泥棒と、よっぽど前から解ったんですかえ」
ガラッ八は絵解きが聞きたい様子です。
「自分の家へ泥棒が入ったと訴え出た時から解ったよ。智恵のある者は、自分の智恵に負けるのさ。あんな細工をしなきゃまだ判らずにいたかも知れないが――町内の物持が皆んなやられて、裕福と噂のある自分の家だけ無事では変だと思ったのだろう」
「あの時、どんな事がおかしかったんで?」
「家の中に泥の足跡のなかったのを第一番に気が付いたよ。自分の家に泥足で入るのはイヤだろうし、それに引窓は内からこわしたんだから、梯子にも及ばなかったんだ――俺がそれに気が付くと、あの後で入った家へは泥の足跡を付けないように用心した上、梯子を一度も使わなかった」
「ヘエ――」
「お琴を縛るのに、寝巻の上へ
「ヘエ――」
「俺に泊ってくれと言うのを幸い、手前を泊めたのは、それとなく二人の間を見張らせるためさ。平太夫がそんなに年寄りでないことや、あの女は娘でないことも俺は気が付いていたよ」
「…………」
「俺に疑われたと思うと、手前に寝酒をあてがった後で家を脱け出し、両国の酒屋に押入って、竹乗りの倉松に疑いを
「…………」
「一度は易者の大谷道軒を疑わせたが、どんな馬鹿でも、前の晩盗んだ金を、戸締りもない家の仏壇の
「あの晩、お琴を嫁に欲しいと言わせたのは?」
「平太夫も近頃少し気をもんでいると解ったからだよ。何しろ八五郎といういい兄さんが、女の側に居るんだからね」
「冗談でしょう」
ガラッ八も少しは極りが悪そうです。
「いや、冗談じゃない。髪の白い弱みで、それくらいのことはあったはずだ」
「あの包の中は?」
「黄八丈の財布と、手代を刺した
「どこからそんなものを」
「一度使った物を、あれほどの悪党が持っているはずはない。いずれはどこかへ捨てたに違いないと思ったから、かもじ屋から新しく買って来て、ちょいと先を切って間に合せたのさ」
「ヘエ――」
ガラッ八も開いた口が
「あの晩、いつもの通り飲んで寝ちゃ、手前の命はなかったはずだ、――だから、悪いことは言わねえ、武家の娘などに思いをかけるより、煮売屋のお勘子で我慢しておくのさ、その方が命だけでも無事だぜ」
「へッ」
ガラッ八は苦笑いをして、ピシャリと額を叩きました。
「煮〆を腹一杯食ってよ、町内のお湯を買い切って三日ばかりつかってみねえ、こいつは大名にもない
平次はそう言って、カラカラと笑うのです。