銭形平次捕物控

迷子札

野村胡堂





「親分、お願いがあるんだが」
 ガラッ八の八五郎は言いにくそうに、長いあごでております。
「またお小遣いだろう、お安い御用みたいだが、たんとはねえよ」
 銭形の平次はそう言いながら、立上がりました。
「親分、冗談じゃない。――またお静さんの着物なんかいじゃ殺生せっしょうだ。――あわてちゃいけねえ、今日は金が欲しくて来たんじゃありませんよ。金なら小判というものを、うんと持っていますぜ」
 八五郎はこんな事を言いながら、泳ぐような手付きをしました。うっかり金の話をすると、お静の頭の物までも曲げかねない、銭形平次の気象が、八五郎にとっては、嬉しいような悲しいような、まことに変てこなものだったのです。
「馬鹿野郎、おめえひざっ小僧を隠してお辞儀をすると、いつもの事だから、また金の無心と早合点するじゃないか」
「へッ、勘弁しておくんなさい――今日は金じゃねえ、ほんの少しばかり、智恵の方を貸して貰いてえんで」
 ガラッ八はの窪みで、額をピタリピタリと叩きます。
「何だ。智恵なら改まるに及ぶものか、小出しの口で間に合うなら、うんと用意してあるよ」
「大きく出たね、親分」
「金じゃ大きな事が言えねえから、ホッとしたところさ。少しは付き合っていい心持にさしてくれ」
「親分子分の間柄だ」
「馬鹿ッ、まるで掛合噺かけあいばなしみたいな事を言やがる、手っ取り早く筋を申上げな」
「親分の智恵を借りてえというのが、外に待っているんで」
「どなただい」
「大根畑の左官の伊之助いのすけ親方を御存じでしょう」
「うん――知ってるよ、あの酒の好きな、六十年配の」
「その伊之助親方の娘のおきたさんなんで」
 ガラッ八はそう言いながら、入口に待たしておいた、十八九の娘を招じ入れました。
「親分さん、お邪魔をいたします。――実は大変なことが出来ましたので、お力を拝借に参りましたが――」
 お北はそう言いながら、浅黒いキリリとした顔を挙げました。決して綺麗ではありませんが、気象者らしいうちに愛嬌あいきょうがあって地味な木綿の単衣ひとえも、こればかりは娘らしい赤い帯も、言うに言われぬ一種の魅力でした。
「大した手伝いは出来ないが、一体どんな事があったんだ、お北さん」
「他じゃございませんが、私の弟の乙松おとまつというのが、七日ばかり前から行方ゆくえ知れずになりました」
「幾つなんで」
「五つになったばかりですが、智恵の遅い方でまだ何にも解りません」
「心当りは捜したんだろうな」
「それはもう、親類から遊び仲間の家まで、私一人で何遍も何遍も捜しましたが、こちらから捜す時はどこへ隠れているのか、少しも解りません」
 お北の言葉には、妙にからんだところがあります。
「捜さない時は出て来るとでも言うのかい」
「幽霊じゃないかと思いますが」
 賢そうなお北も、そっと後ろを振り向きました。真昼の明るい家の中には、もとより何の変ったこともあるわけはありません。
「幽霊?」
昨夜ゆうべ、お勝手口の暗がりから、――そっと覗いておりました」
「その弟さんが?」
「え」
「おかしな話だな、本物の弟さんじゃないのか」
「いえ、乙松はあんな様子をしているはずはありません。芝居へ出て来る先代萩せんだいはぎの千松のように、たもとの長い絹物の紋付を着て、頭も顔もお稚児ちごさんのように綺麗になっていましたが、不思議なことに、はかますそはぼけて、足は見えませんでした」
 お北は気象者でも、迷信でこり固まった江戸娘でした。こう言ううちにも、何やらおびやかされるように襟をかき合せて、ぞっと肩をすくめます。
「そいつは気の迷いだろう――物は言わなかったかい」
「言いたそうでしたが、何も言わずに見えなくなってしまいました」
「フーム」
 平次もこれだけでは、智恵の小出しを使いようもありません。
「私はもう悲しくなって、いきなり飛出そうとすると、父親が――あれは狐か狸だろう、乙松はあんな様子をしているはずはないから――って無理に引止めました。一体これはどうしたことでしょう、親分さん」
 弟思いらしいお北の顔には、言いようもない悲しみと不安がありました。七日の間、相談する相手もなく、何かと思い悩んだことでしょう。
「お袋さんは?」
「去年の春五十八で亡くなりました。――それからととさんはお酒ばかり呑んで、乙松が行方知れずになっても一向心配をする様子もなく――江戸の真ん中を『迷子の迷子の乙松やい』とかねや太鼓で探して歩けるかい、馬鹿馬鹿しい――なんて威張ってばかりおります」
とっさんの伊之助親方は、たしか六十を越したはずだし、お袋さんが五十八で去年亡くなったとすると五つになる子があるのは少し変じゃないか、お北さん」
「拾った子なんです」
「そうか――それで親方は暢気のんきにしているんだろう」
「でも、私が小さい時なんかとは比べものにならないほど可愛がっていました。今度だって口では強いことを言っても、お酒ばかり呑んでいるところを見ると、心の中では、どんなことを考えているか判りゃしません」
 お北の言葉で、次第に事件の輪郭りんかくが明らかになって行くようです。
「その子の本当の親元はどこなんだい」
 と平次、これは肝腎かんじんの問でした。
「それが解りません。五年前の夏、天神様の門の外で拾って来た――と言って、白羽二重しろはぶたえ産衣うぶぎに包んで、生れたばかりの赤ん坊を抱いて来ましたが、赤ん坊に付いていたお金は少しばかりではなかった様子で、あちこちの借りなど返したのを、私は子供心に覚えております」
「伊之助親方は知っているだろうな――八、こいつは一向つまらない話らしいぜ、手前てめえの智恵でもらちが明きそうだ、やってみるがいい」
 平次は黙って聴き入る八五郎を顧みます。


 それから二日目、平次が新しい仕事に喰い付いていると、気のない顔をしてガラッ八は、帰って来ました。
「何をニヤニヤしているんだ、乙松の行方が解ったのか」
 と平次。
「面目ねえが、何にも判りませんよ」
「それが面目のないつらかい」
「これでもせいぜいしおれているつもりなんだが、どうも可怪おかしくてたまらないんで」
「何が可怪しい」
「二日二た晩、伊之助親方と呑んでいたんだが、酒ならいくらでも呑ませるくせに、あの話となるとどうしても口を開かねえ、あんな頑固なおやじは滅多にありませんね、親分」
「放っておくんだな、幽霊退治はもうたくさんだ」
「でもお北坊が可哀想ですよ、母親の亡くなった後は、身一つに引受けて世話をしたんで、泣いてばかりいますよ」
「いやにお北の事となると思いやりがあるんだね」
「冗談でしょう、親分」
 そう言いながらもガラッ八があかくなったのです。平次はそれを世にも面白そうに眺めやるのでした。
「だって、乙松は殺された様子もなく、肝腎の親父おやじが呑んでばかりいるようじゃ、この仕事はお北坊のおもりにしかならないよ、俺は御免を蒙ろう」
「でも親分は、智恵なら貸すはずだったじゃありませんか」
しだ、金なら馬に喰わせるほどあるが、今日は智恵が出払ったよ」
「…………」
「なア、八、こいつは伊之助親方が承知の上でしている事なんだ。乙松は生みの親の手許に帰って、伊之助はまとまった礼を貰ったのさ、余計な事をするだけ野暮だ。お北坊には可哀想だが、放っておくがいい」
「だって親分」
「たぶん馴合いの若いのが、親の許さない子を生んでよ、始末に困って捨てたんだろう。後で親が死ぬか何かして、幸い子供の拾い主も判っているから、金をやって取戻したのさ――この筋書にはずれっこはねえよ。詮索せんさくしたところで、戻る子供じゃねえ。それよりは、可愛がってくれる亭主でも捜してよ、早く身を固めるように――とお北に言ってやるがいい。ここにも一人可愛がってくれ手がありそうじゃないか。ネ、八」
「…………」
 八五郎は少しななめになって、プイと外へ出てしまいました。この上お北のために働いてやる工夫のないのが、淋しくも張合いのない様子です。
 がそれから三日目、江戸の初夏が次第にかんばしくなったころ、お北は顔色変えて飛込んで来ました。
「親分さん、ととさんが、大変」
「どうした、お北さん」
「死んでいるんです」
「何?」
昨夜ゆうべとうとう帰らなかったんで――酔っても外へ泊った事のない人ですが、不思議に思っていると、今朝格子の中に冷たくなって転げていました」
卒中そっちゅうじゃないか」
「いえ、斬られているんです」
「何? 人手に掛ったのか――そいつは大変ッ」
 平次は立上がって支度をしております。
「ね、親分、だから言わないこっちゃねえ」
 とガラッ八。
「殺されるのが判りゃ俺は占いを始めるよ。文句を言わずにお北さんと一と足先に行くがいい」
「それでは親分さん」
 二人は飛んで行きました。


 平次はなんとなく苦い心持でした。八五郎へはポンポン言いましたが、せめて三日前に乗出して、伊之助を警戒していたら、命まではられずに済んだかも知れない――といった淡い悔恨がチクチク胸に喰い込むのです。
 ――よしッ、あの娘のために、一と肌脱いで、かたきを討ってやろう――
 大根畑の伊之助の家へ着く頃までには、何遍も、何遍も、自分へそう言い聞かせているのでした。
 伊之助は少し変り者で、あまり付き合いがなかったものか、この騒ぎの中にも、集まっているのはほんの五六人、叔母のお村が采配をふるって、どうやらこうやら、遺骸を奥へ移したところです。
 奥といったところで、たった二た間の狭い家、手習い机の上に線香と水を並べて、伊之助の死骸は、その前に転がしたというだけのことです。
「親分さん、この通りの姿になりました。敵を討って下さい」
 気象者らしいお北も、急にこの世へたった一人残されたと判ったように、沁々しみじみと涙をこぼしました。
 かぶせた半纏はんてんを取ると、後ろから袈裟掛けさがけに斬られた伊之助は、たった一刀の下に死んだらしく、蘇芳すおうを浴びたようになっております。
「凄い手際ですね、親分」
 ガラッ八は後ろから首を長くしました。
据物斬すえものぎりの名人だろう。藁束わらたばの気で人間を切りやがる」
 平次も何となく暗い心持でした。町方の御用聞の平次には、自分では指もさせないだけに、武家の切捨御免がしゃくにさわってたまらなかったのです。
「辻斬りでしょうか」
「いや、――辻斬りが死骸を家まで持って来るはずはない」
物盗ものとり?」
 八五郎は日頃平次に仕込まれた通り、一応常識的な疑いを並べます。そのくせ腹の中には、そんな手軽なものじゃあるまいといった、直感らしいものが根を張っているのです。
「何にもられた様子はありません。見れば、財布もあるようですし」
 涙の隙からお北は言います。
「八、財布の中を見てくれ」
 八五郎はあけに染んだ死体の首から、財布のひもを外しました。死んだ女房が夜業よなべに縫ってくれたらしいしまの財布の中には、青銭が七八枚と、小粒で二ばかり、それに小判が一枚入っているではありませんか。
「これは迷子札まいごふだですよ、親分」
「親方はもう六十だろう、迷子札は可怪おかしいぜ、読んでみな」
 小判形には出来ていますが、よく見ると真鍮しんちゅうの迷子札で、
甲寅きのえとら。四月生、本郷大根畑
左官伊之助倅 乙松
 と二行に書いて、その下に十二支のとらが彫ってあります。
とっさんの迷子札じゃねえ、こいつは行方不明の乙松のだ」
「何? 乙松の迷子札?――やはり子供は承知の上で返したんだね」
 平次の言うのはもっともでした。行方不明の子供の迷子札が、親の財布へ入っているのは、そうでも考えなければテニヲハが合いません。
「親分さん、それは、昨夜私が入れてやったんですよ」
 お北は変な事を言い出しました。
「何? そいつは話が違って来るぜ。とっさんの財布へ五つになる倅の迷子札を入れたのは、何か呪禁まじないにでもなるのかい」
「いえ、ととさんが入用なことがあるから、乙松の迷子札を出せって、手箱から私に出さして、財布へ入れて出かけたんです」
「どこへ行ったんだ」
半刻はんとき経たないうちに帰ってくる、銅壺どうこの湯を熱くしておけ――って」
 お北はその時の事を思い出したらしく、また新しい涙に濡れます。
「近いな」
 平次は独り言のように言って、それからいろいろと調べましたが、その上はなんの手掛りもありません。
 叔母のお村は四十七八、伊之助には義理の妹で、お北の知っているほども、事情を知らず、家の中は出来るだけ捜してみましたが、文字の読めない伊之助は、書いた物というと、毛虫よりも嫌いだったらしく、大神宮様の御札と、仏様の戒名かいみょうより外には、何にもありません。
「捨てられたとき着ていたという、白羽二重の産衣うぶぎは?」
 平次にとっては、これが最後の手掛りでした。
「その後は見たこともありません、多分――」
 お北は涙を押えて、淋しく頬をゆがめました。何もかも酒に代える癖のあった伊之助が、たぶん売るか流すかしたことでしょう。
「こうなると五年の月日は短いようで長いな、証拠らしいものは一つも残らない」


 その日のうちに、鼻のい八五郎は、伊之助の家を中心に、十町四方の匂いを嗅ぎ廻りました。お北の様子を見ていると、こうでもしてやらずにはいられなかったのです。
「親分、――いいことを聞出しました」
「何だい」
 八五郎が神田へ帰ったのは、もう夕暮れでした。
「伊之助があの晩家から出るとすぐ、近所の居酒屋へ飛込んで、一杯引っかけながら、これから金儲けに行くんだ――って言ったそうですよ」
博奕ばくちじゃあるまいな」
「酒は好きだが、勝負事は嫌いだったそうで、たぶん大きな仕事でも請負うけおって、手金が入る話だろう、って居酒屋のおやじは言ってましたが」
「仕事の請負に、迷子札を持出す奴はないよ。八、こいつは面白くなって来たぜ」
「ヘエ」
 八五郎は無関心ですが、平次の態度は急に活気づいて来ました。
「俺はだんだん判って来るような気がする。伊之助は悪い男じゃないが、酒が好きで、仕事が嫌いだから、五年前捨児すてごに付いていた金を呑んだ上、かなりの借金が出来たんだろう。こんどまた乙松を親の手へ返して、まとまった礼を貰ったらしいが、借金を返すといくらも残らない――死骸の財布に二しきゃなかった――でもう少し金を欲しいと思う矢先、フト思い付いたのは迷子札さ」
「…………」
「あれを持出されると困る筋があるのを承知で、乙松の本当の親へ強請ゆすりに行ったんだろう――再々の事で、向うでも愛想あいそを尽かし、いい加減になだめて帰して――後をけてバッサリやった。が、憎くて殺したわけじゃない、それに、五年も子供を育てて貰った恩があるから、死骸だけでも持って来て、入口からほうり込んで行ったんだろう」
「見て来たようだね、親分」
「物事はこう組み立てて考えるのが一番手っ取り早く解るよ」
 平次の異常な想像力は、その鋭い理智をたすけて、これまでも、どんなに難事件を解いたか解りません。
「それだけ解りゃ、相手が突き止められそうなものじゃありませんか、親分」
「もう一と息だよ――お前御苦労だが、伊之助の出入りしているおやしきで、五年前にお産のあった家を探してくれ。白羽二重の産衣を用意するくらいだから、御目見おめみえ以上の武家だ」
 平次は一歩解決へ踏込みます。
「でも捨児すてごだっていうじゃありませんか。捨児を拾ったのなら、出入りのお屋敷とは限りませんぜ」
「大嘘だよ――捨児とでも言っておかなきゃア、世間の口がうるさかったのさ。迷子札を持って、半刻で強請ゆすって帰れるなら、出入りのお屋敷に決っている」
「なるほどね――ついでに斬られた場所も解るといいが――血糊ちのりはこぼれちゃいませんか」
「そいつは考えない方がいい、たぶん屋敷の中でやられたろう」
 八五郎は飛んで行きましたが、得意の耳と鼻を働かせて、二た刻ばかりつと、揚々ようようと帰って来ました。後ろにはお北がいております。
「親分、判りましたよ」
「おそろしく早いじゃないか」
「お北さんが万事心得てましたよ」
「なるほどね」
 ちょいと、からかってみようと思いましたが、若い娘の口を重くするでもないと思って、のどまで出た洒落しゃれを呑込みます。
「親分さん――ととさんの出入りの御屋敷で御目見以上というと、三軒しかありません。一軒は金助町きんすけちょう園山若狭そのやまわかさ様、一軒は御徒士町おかちまちの吉田一学いちがく様、あとの一軒は同朋町どうぼうちょう篠塚三郎右衛門しのづかさぶろうえもん様」
 お北は父のかわりに帳面をやっていたので、よく知っております。
「その中で五年前にお産のあった家は?」
「八五郎さんでは、ほかの事と違って聞出しにくかろうと思って私が一緒に歩きました。中で御徒士町の吉田様の御嬢様百枝ももえ様とおっしゃる方が、その頃初の御産で、嫁入り先から帰って、御里で御産みになりましたそうです」
「取上げたのは?」
「黒門町のおもとさん――それも行って聞きましたが、肝腎のお元さんは三年前に亡くなって、今は娘のおのぶさんが家業を継いでやっています。何にも知らないけれども、吉田様のお嬢様なら六年前に、金助町の園山若狭様に縁付き、そのあくる年御里方へ帰って若様を産み、今でもお二人ともお達者で暮していらっしゃるそうですよ」
 お北の説明はハキハキしております。が、それだけの事情はよく判っても、それが乙松の失踪しっそうや、伊之助の殺された事と、何の関係があるか、容易に見当も付きません。
「吉田一学様のところで、生れた赤ん坊を入れ換えたんじゃありませんか。何かわけがあって、娘の産んだ子を伊之助に育てさせ、他の子を産んだ事にして、園山若狭様の跡取りにしたといった筋書は狂言きょうげんになりますぜ」
 ガラッ八は一世一代の智恵を絞ります。
「狂言にはなるが、本当らしくないな――五年って、元の子を取戻したのがわからねえ」
「真っ向から当ってみましょうか」
「俺もそれを考えているんだ、危ない橋を渡ってみるか」
「危ない橋?」
強請ゆすりに行くんだよ、一つ間違えば伊之助親方の二の舞だが」
 平次は何を思い立ったか、淋しく笑います。


「御免下さいまし」
「誰じゃ」
 御徒士町の吉田一学、御徒士頭おかちがしらで一千石をむ大身ですが、平次はそのお勝手口へ、遠慮もなく入って行ったのです。
「御用人様に御目に掛りとうございますが」
「お前は何だ」
「左官の伊之助の弟――え、その、平次と申す者で」
「もう遅いぞ、明日出直して参れ」
 お勝手にいる爺仁おやじは、恐ろしく威猛高いたけだかです。
「そうおっしゃらずに、ちょいとお取次を願います。御用人様は、きっと御逢い下さいます」
「いやな奴だな、ここを何と心得る」
「ヘエ、吉田様のお勝手口で」
 どうもこの押し問答は平次の勝です。
 やがて通されたのは、内玄関の突当りの小部屋。
「私は用人の後閑武兵衛こがぶへえじゃが――平次というのはお前か」
 六十年配の穏やかな仁体じんていです。
「ヘエ、私は左官の伊之助の弟でございますが、兄の遺言ゆいごんで、今晩お伺いいたしました」
「遺言?」
 老用人はちょっと眼を見張りました。
「兄の伊之助が心掛けて果し兼ねましたが、一つ見て頂きたいものがございます。――なアに、つまらない迷子札で、ヘエ」
 平次がそう言いながら、懐から取出したのは、真鍮しんちゅうの迷子札が一枚、後閑武兵衛の手の届きそうもないところへ置いて、上眼使いに、そっと見上げるのでした。
 色の浅黒い、苦み走った男振りも、わざと狭く着た単衣ひとえもすっかり板に付いて、名優の強請場ゆすりばに見るような、一種抜き差しのならぬ凄味さえ加わります。
「それをどうしようと言うのだ」
「へ、へ、へ、この迷子札に書いてある、甲寅きのえとら四月生れの乙松という倅を引渡して頂きたいんで、ただそれだけの事でございますよ、御用人様」
「…………」
「どんなもんでございましょう」
「しばらく待ってくれ」
 こまぬいた腕をほどくと、後閑武兵衛、深沈たる顔をして奥に引込みました。
 待つこと暫時ざんじ
 どこから槍が来るか、どこから鉄砲が来るか、それは全く不安極まる四半刻しはんとき(三十分)でしたが、平次は小判形の迷子札とにらめっこをしたまま、大した用心をするでもなく控えております。
「大層待たせたな」
 二度目に出て来た時の用人は、何となくニコニコしておりました。
「どういたしまして、どうせ夜が明けるか、斬られて死骸だけ帰るか――それくらいの覚悟はいたして参りました」
 と平次。
「大層いさぎよい事だが、左様な心配はあるまい――ところで、その迷子札じゃ。私の一存で、この場で買い取ろうと思う、どうじゃ、これぐらいでは」
 出したのは二十五両包の小判が四つ。
「…………」
「不足かな」
「…………」
「これっきり忘れてくれるなら、この倍出してもよいが」
 武兵衛はこの取引の成功を疑ってもいない様子です。
「御用人様、私は金が欲しくて参ったのじゃございません」
「何だと」
 平次の言葉の予想外さ。
「百両二百両はおろか、千両箱を積んでもこの迷子札は売りゃしません――乙松という倅を頂戴して、兄伊之助の後を立てさえすれば、それでよいので」
「それは言い掛りというものだろう、平次とやら」
「…………」
「私に免じて、我慢をしてくれぬか、この通り」
 後閑武兵衛は畳へ手を落すのでした。
「それじゃ、一日考えさして下さいまし。めいのお北とも相談をして、明日の晩また参りましょう」
 平次は目的が達した様子でした。迷子札を懐へ入れると、丁寧にいとまを告げて、用心深く屋敷の外へ出ました。


 あくる日一日、平次はガラッ八を鞭撻べんたつして、吉田一学の屋敷と、一学の娘百枝ももえの嫁入り先、金助町の園山若狭の屋敷を探らせました。
「園山若狭様は一千五百石の大身だ。殿様は御病身で、世捨人も同様だというが、あの弟の勇三郎というのがうるさい。うっかり町方の御用聞が入ったと判ると、どんな眼に逢わされるかも知れないよ、用心するがいい」
「大丈夫ですよ、親分」
 ガラッ八は探りにかけては名人でした。とぼけた顔と、早い耳とを働かせて、いつも平次が及ばぬところまで探りを入れます。
「俺はもう一度吉田一学様の屋敷を、外から探ってみる」
 二人は手分けをして、それから丸一日の活躍を続けたのです。
 日が暮れると、神田の平次の家へ、平次も八五郎も引揚げて来ました。お北は事件の成行きを心配して家を叔母のお村に頼んだまま、昼からここで待っております。
「親分、ひどい目に逢いましたぜ」
 ガラッ八はよっぽど驚かされた様子で、報告も忘れてこんな事を言うのでした。
「殿様の弟の勇三郎に見付かったろう」
「いえ、――あれは猫の子のような人間で、屋敷の中へまぎれ込んだあっしを見付けても、ニヤリニヤリしていましたが、怖いのは用人の石沢左仲いしざわさちゅうで、いきなり刀を抜いて追っかけるじゃありませんか、いや逃げたの逃げねえの」
「ハッハッ、そいつはよかった」
「よかアありませんよ。あんな無法な人間をあっしは見た事もない――玄関側から、木戸を押して、奥庭へ入りかけると、いきなり、コラッピカリと来るじゃありませんか。コラッは呶鳴どなったんで、ピカリは引っこ抜きですよ」
ちゅうを入れるには及ばない――で、様子は解ったかい」
「解るの解らねえのって、はばかりながら、殿様の夜具の柄から、お女中達の昼のお菜まで判りましたよ」
「そんな事はどうでもいい」
「ところが、それが大事なんで――殿様は三年越しの御病気、少々気が変だということですが、とにかく寝たっきり、奥方の百枝様はまだ若いし、若様の鶴松様は五つ、家の中は、ニヤリニヤリの勇三郎――こいつは殿様の弟で、三十二三のちょいとい男だ――それと癇癪持かんしゃくもちの用人、石沢左仲の二人が切り盛りしています」
「…………」
「ところが、十二三日前、若様の鶴松様が、晩の御食事の後で急に腹痛を起し、一度は引付けなすったが、金助町では手が届かないというので、暁方あけがた用人の左仲がお伴をして、御里方へれて行った。今では御徒士町おかちまちの吉田一学様のところにいるが、奥方は毎日見舞い、弟の勇三郎も時々見舞っているが、いい塩梅あんばいに持ち直して、二三日でけろりと治り、今では元の身体になったということですよ」
 八五郎の報告はざっとこの通りでした。
「その鶴松という坊っちゃんは、以前と少しも変らないのか」
「弟の勇三郎様が言うんだから、ウソではないでしょう」
「顔も、物言いも――」
「多分そんな事でしょう」
 八五郎の話はこれで全部です。
「親分の方はどうでした」
「俺の方はさんざんのていさ。園山の坊っちゃんが、来て泊っていることは判ったが、あとはなんにも判らねえ」
「ヘエ――」
 ガラッ八は少し呆気あっけに取られた形でした。聞込みにかけては、親分の平次もガラッ八の足元にも及ばなかったのです。
「でも、それで見当だけは付いたよ。今晩こそ、お北さんのかたきを討ってやるよ」
「…………」
 どんな成算が平次にあるのでしょう。


 その晩亥刻よつ(十時)過ぎ、平次は約束通り、御徒士町の吉田一学屋敷へ、お北と一緒に出向きました。
「平次、迷子札はどうした。――いろいろ相談をした上、三百両で引取りたいと思うが、どうだ」
 後閑武兵衛こがぶへえは老巧な調子で話のいとぐちを開きました。
 今晩は打って変って奥の広い部屋へ通した上、隣の部屋には二三人の人が居るらしく、何となく改まった空気です。
「御用人様――いろいろ考えましたが、どうも金ずくでお渡しは相成り兼ねます」
「フーム」
「兄伊之助が心に掛けた倅乙松を御渡し下さるか――」
「左様な者は一向知らぬと申したではないか」
「では、御当家に御泊りの、園山様若様、鶴松様に、この北と申すめいが御目通りいたしたいと申します。それを御叶おかなえ下されば、迷子札は相違なく差上げますが」
 平次は畳に両手を突いて、ピタピタと話を進めました。明るい、広々とした部屋、それを四方から圧する空気も唯事ただごとではありません。
「これこれ左様な馬鹿な事を申してはならぬ。鶴松様はもう御休みじゃ」
「では致し方がございません、このまま引取ることといたします」
 平次は一歩も引く色はなかったのです。
「平次」
「ハイ」
「物事は程を越してはならぬぞ」
「存じております」
「致し方もないことじゃ」
 後閑こが武兵衛が手を上げると、それが合図だったものか、
「…………」
 後ろのふすまがさっと開いて、四十五六の武家が一人、たすきを十文字に綾取あやどり、六尺柄皆朱ろくしゃくえかいしゅの手槍をピタリと付けて、ズイと平次の方に寄ります。
「平次、覚悟せい」
 凄まじい殺気、寸毫すんごうのたるみもないのは、ここで二人を音も立てさせずに成敗するつもりでしょう。
「お、石沢左仲様」
「存じておるか」
「そう来るだろうと思ったよ」
「何を言う」
 一方からは後閑武兵衛、これは羽織だけ脱いで、一刀を引抜き、逃げ路をふさいだまま、粛然しゅくぜんと立っております。
「これくらいの事が解らなくて飛込めると思うか、いや、御両人、御苦労千万な事だ」
 平次は後ろにお北をかばって、身体を斜めに構えました。右手にもう得意の投げ銭が、いつでも飛ばせるように握られていたのです。
「無礼だろう。身の程も顧みず、御直参ごじきさんの大身へ強請ゆすりがましい事を言って来るとは、何事じゃ。この上は迷子札を出そうとも勘弁はならぬ、観念せい」
 石沢左仲の槍先は、灯にキラリと反映しながら、ともすれば平次の胸板を襲うのでした。
「御冗談でしょう。そんなものに刺されてたまるものか――ね、御両人、よっく聞いて貰いましょう。話は五年前だ。御当家から園山様へ縁付かれた百枝様が、御里の御当家に帰って双生子ふたごを御生みになった」
「えッ」
 平次の言葉は、二人の用人を仰天させました。
「世にいう畜生腹、これが縁家えんか先に知れると、離縁になろうも知れぬ。御用人の取計らいで、その内の一人鶴松君を若様とし、もう一人の乙松様を、手当をして出入りの左官伊之助に貰わせ、一生音信不通の約束をした。――ところが」
 平次がここまで説き進むと、
「黙れ、その方ごときの知った事ではないぞッ」
 石沢左仲の槍は、ともすれば平次の口をふうじようとするのです。
「どっこい待った。あっしを殺せば、門口かどぐちに様子を見ている子分の者が十六人、一手は園山様の勇三郎様に駆け付け、一手はたつくち御評定所に飛込み、御目付へ訴えることになっているぞ。証拠は迷子札――いやまだまだ沢山ある。吉田、園山両家は、七日経たないうちに取潰とりつぶされる――どうだ御両人」
「…………」
 平次の言葉は、石沢左仲の癇癪かんしゃくを封ずるに充分でした。
「話はそれから五年目だ――手っ取り早く言えば、園山家の冷飯ひやめし食い勇三郎が、兄上は病弱、鶴松君を亡きものにすれば、間違いもなく園山家の家督かとくに直れると思い込んで、鶴松君に毒を盛った」
 石沢、後閑両用人の顔色の凄まじさ。


 平次はなおも、やいばの中に説き進みます。
「鶴松君はその場で死んだが、奥方と御用人は重態と言いふらして、御里方に遺骸を運び、五年前から伊之助の子になって育っている乙松を、伊之助から取上げ、お顔が瓜二つというほど似てるのを幸い、鶴松君御恢復ごかいふくと言いふらしたが、言葉や行儀が直るまで、なお、お屋敷に留め置かれた」
「…………」
「乙松様が、伊之助とお北を恋しがってむずかるので、夜中連れ出して、大根畑の伊之助の家を覗かせたこともある。が、その後伊之助はもう少し金が欲しくなり、残しておいた迷子札を持って、強請ゆすりがましく御当家へ来たのを、後のわざわいを絶つため、後閑こが様が手に掛けた、それとも、石沢様かな」
「…………」
 平次の明智は、一毫いちごうの曇りもありません。何から何まで、推理の上に築いた想像ですが、それが抜き差しならぬ現実となって、二人の用人のきもを奪ったのです。
「さア、どうしてくれるんだ。このお北には親のかたき、名乗って尋常に勝負と言いたいところだが、せめて詫言わびごとの一つも言う気になったらどんなものだ」
 平次の追及のますます猛烈なのを聞くと、後閑武兵衛は刀を納めました。
「平次とやら、いちいちもっとも――その方の申すことは道理だ。金ずくで済まそうと思った私の浅薄あさはかさを勘弁してくれ」
「…………」
「この一らちは、私と石沢殿との考えたことで、殿様も奥方も御存じないことだ――両家の大事には代え難かった。許してくれ」
「後閑様、そうおっしゃるとお気の毒ですが、御大身の直参も御家が大事なら、左官の伊之助も自分の家や命が大事じゃございませんか」
「…………」
「まして五年越し若様を養育した上、虫のように殺されちゃ浮び切れません。娘のお北の心持は一体どうしてくれるんで」
「相済まぬ」
「相済まぬ――で親を殺された者の心持は済むでしょうか。ね、御用人、人間の命には、大名も職人も変りはありませんよ」
「…………」
「龍の口へ訴え出ると申したのは、決しておどかしじゃありません。あんまり没義道もぎどうなことをされると、町人風情もツイそんな心持になるじゃございませんか」
 平次は少しも責手せめてをゆるめません。
「平次とやら、その方の言葉はいちいち胸にこたえたぞ――何を隠そう、腹黒い勇三郎様に、御家督を継がせる心外さに、これはみんなこの石沢左仲のした事だ。伊之助の帰途かえりを追っかけて、斬って捨てたのもこのわしだ。後閑氏こがうじではない」
 石沢左仲、手槍を投げ捨てると、畳の上にどっかと坐りました。癇癪持だけに、生一本で正直者で、思いつめると待てしばしがありません。
「石沢氏」
 驚いたのは後閑武兵衛でした。
「いかにもお北に討たれてやろう。命はちりほども惜しくないが――平次、これだけを聞いてくれ。大身の武家も左官の家も変りがないと言っても、家来の私から言えば、主家をつぶすわけには行かぬ」
「…………」
「勇三郎様は佞奸邪智ねいかんじゃちで、おいの鶴松君まで毒害した。それを知って園山の家督に直しては、用人の私が御祖先に相済まぬ、――長い事は言わぬ、たった一年、いやひと月待ってくれ。勇三郎様の悪事をあばき、詰腹つめばらを切らせて、園山家を泰山たいざんの安きに置き、百枝様、乙松様を金助町にお迎え申上げた上、改めて名乗って出て、縛り首なり、なぶり殺しなり、どうでも勝手になってやる」
 石沢左仲の言葉は、一つ一つが血の涙のようでした。いつの間にやら正面のふすまが開いて、園山家の百枝が、鶴松になりすました乙松を抱いて、これも涙にひたりながら見ているのでした。
「親分さん、引揚げましょう、――ととさんも悪かったんですから」
 お北も泣いておりました。勝気でもしっかり者でも、武士の義理堅さには、さすがに打たれた様子です。
「よしよし、お北さんがそう言うなら、あっしは事を好むわけじゃねえ。忠義な人達に免じて今晩は帰るとしよう――そのかわり、このお北を、金助町のお屋敷へ引取って、若様のお側へ置いてやって下さい」
「それはもう、言うまでもない、お北とやらここへ来るがよい」
 美しく気高い百枝がさし招くと、お北はもう、前後も忘れて、乙松の側へ飛んで行きました。
おとや、逢いたかったよ」
ねえや、よく来てくれたね」
 抱き合う二人、言葉とがめをするのも忘れて、百枝は微笑ほほえましく眺めやるのでした。

     *

「親分、かたきは討ったんですか」
 大むくれのガラッ八に迎えられて、
「討ちかねたよ。見事に返り討さ、武家は苦手だ。町方の岡っ引なんか手を出すものじゃねえ」
 平次は苦笑しております。





底本:「銭形平次捕物控(六)結納の行方」嶋中文庫、嶋中書店
   2004(平成16)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「銭形平次捕物百話」中央公論社
   1939(昭和14)年
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1936(昭和11)年5月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2020年6月27日作成
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