「あ、あ、あ、あ、あ」
ガラッ八の八五郎は
「何という色気のない顔をするんだ。縁先で遊んでいた
のんびりした春の陽ざしの中に、銭形平次も年始疲れの、少し
「だがね、親分、正月も三ヶ日となると退屈だね。金は無し、遊び相手は無し、御用は無し、――そこで考えたんだが、二度年始廻りをする
八五郎の
「馬鹿野郎、――よくそんな間抜けな事が考えられたものだ」
「――それも
「
「でなきゃア、御用始めに、眼の玉のでんぐり返るような捕物はないものかなア。親分の前だが、今年こそ、うんと働きますぜ。江戸中の悪党が、八五郎の名を聞いただけで眼を廻す――てな事になると――」
「八、気を付けるがいいぜ、雪のない正月で、いやにポカポカするから」
「ね、親分、今度はあっしに任せて下さいな、どんな事でも、一人で
「いい気のものだ、――おや、そう言えば御用始めらしいぜ、手前逢ってみるか」
平次が
「銭形の親分さん、た、大変、――すぐお出で下さい」
突きのめされそうな声です。二十五六、
「お前さんは、どこから来なすったえ」
八五郎は精一杯の威儀を作ります。
「
手代はゴクリと
「これを飲んで少し落着いてから話すがいい。そうあわてちゃかえって筋が通らねえ」
平次がぬるい茶を一杯くんで出すと、それを一と息に呑みほして、しばらくホッと胸を撫でおろします。
「若旦那がどうした――」
と平次。
「昨夜殺されましたよ」
手代はぞっと身を
「昨夜殺されたと、何だって今頃あわてて飛んで来るんだ。あの辺は第一、
ガラッ八は少しむくれて見せました。
「そう言うな、八、――ね番頭さん、お前さんが下手人の、疑いを受けたんだろう」
「えッ、どうしてそれを、親分さん」
「昨夜の殺しを、今頃あわてて俺のところへ言って来るのは、よくよく困ったことがあるからだろう」
平次は落着いた調子で図星を指します。
「小網町の親分が、――一人も外へ出ちゃならねえ、世間の口にのぼる前に、下手人を捜し出すから――って」
「仙太
「有難う存じます、――私は相模屋の手代の
手代の与母吉は
安針町の相模屋の若旦那勘次郎は、正月二日の晩、
勘次郎は二十三になったばかり、
「近頃は女出入りでは人に
与母吉は泣き出しそうでした。
「それは、どんな御用聞でも考える筋だ、――ところで、お前さんは今嫁のお清さんを何とも思っちゃいないのか」
平次は要領の
「思わないわけじゃございませんが、主人の嫁ではどうにもなりません。お清さんが行儀見習で、相模屋に三年も居たんですから、昔思いを掛けたのが怪しいと言えば、店中潔白なのは一人もありません」
「なるほどな」
「もっとも、三ヶ日は休みも同様で、昨夜店に居たのは私と小僧の
「
「御親類の方が年始に見えて、親旦那はそれを相手に、奥で飲んでいらっしゃいました。夕方から酒が始まって、お客の帰ったのは
「奉公人は?」
「皆んな出払って、店には私と寅松だけ、嫁のお清さんは客の相手で、お勝手には飯炊きのお熊どんと行儀見習に下田の取引先から来ているお浜さんが、
「殺された若旦那は、宵から二階などへ上がっていたのか――この節は御触れがやかましくて、町家の二階では
「年始疲れと二日酔の気味で、日暮前から
「その離屋は、
「雨戸は
「中に居る若旦那が開けてくれたら――」
「そんな事はございません、締りは内からしてありますし、若旦那は二階で殺されておりました」
「母屋からは?」
「三尺の廊下で続いております。土蔵の前を通って、これはわけもなく行けます」
「八、――
「ヘエ――」
そう言われてみると、八五郎も少しばかり不安がないでもありません。
「親分は?」
与母吉は不安らしく平次を顧みました。あまり賢そうに見えないガラッ八に
「俺が行っちゃ、仙太兄哥に悪かろう。八五郎で手に負えなくなるまでは顔を出したくない」
「…………」
与母吉は押してとも言い兼ねた様子で、ガラッ八と一緒に、安針町の店へ帰って行きました。
「番頭さん、どこへ行ったんだ、俺の言うことを聴かなきゃア、縄付けて引立てなきゃアならないが――」
与母吉の顔を見ると、仙太は
「小網町の親分、――これはあっしのせいだ、勘弁しておくんなさい」
「じゃ、銭形親分のところの、八五郎
仙太は苦り切ります。
「ツイ日本橋に用事があって来ると、そこで与母吉さんに逢ってネ、――なアに、前から少しばかり知っているんだ、――たいそう顔色が悪いから、どうしたのかと訊くと、こうこう……」
八五郎もなかなかうまい事を言うようになりました。
「うまく言うぜ――まアいい。どうせ銭形の
仙太は日本橋
「それほどでもないが」
ガラッ八は長い
店には二三人の番頭がおりますが、それは昨夜の事件とは関係のない者ばかり、宵の行先は仙太の手で調べて、一人残らず解っておりますが、さすがに恐ろしい事件の圧迫感で、青白く緊張した顔を見合せて、言葉少なに慎んでおります。
「とんだ事でしたね、旦那」
奥で火鉢に顎を埋めるように、深々と思案に暮れているのは、主人の勘兵衛でした。まだ五十五六の働き者ですが、親一人子一人の
「有難うございます、――御苦労様で――」
「下手人の心当りはありませんか」
「それがあれば宜しいでしょうが――なにぶん私は二た
ガラッ八の恐ろしい愚問に舌を巻きながらも、商人らしく、勘兵衛は素直に
小僧の寅松は庭を
「あれがお清さんとかいう?」
お勝手から出て来た若くて美しい女を、薄暗がりの中にガラッ八は指しました。
「いえ、お浜といって、行儀見習に下田の取引先から来ている娘ですよ」
勘兵衛は訂正してくれます。そう言えば、美しさにも、
「下田から――? いつ頃から来て居なさるんで」
「半歳ほど前でした、――十九の厄で、年を越さないうちは嫁にもやれないから、しばらく江戸の水を呑ましてくれという親元の頼みでしてな」
勘兵衛はそう説明しているうちに、お浜は自分の噂に追われて身を細らせながら、奥の方へ消えます。そう言えば、心持野暮ったいところはありますが、いかにも健康そうで、ハチ切れそうな美しい娘です。
「あれは間違いもなくお熊さんでしょう」
お勝手に居る四十恰好のお
「もう十年も奉公しております、家の者も同様の女で――」
「お熊さん、
ガラッ八は
「
「二階の窓が開いていたのか?」
「開いていたって
仙太はガラッ八の間抜けさを笑っている様子です。
「梯子を持って来て掛けたとしたら?」
「二階を見てからそんな事を言った方がいいよ。梯子なんか持って入られる場所じゃねえ、それに、雨戸はお浜さんが閉めて来たんだ、その時まで若旦那はピンピンして居たんだぜ」
そう言われると一句もありません。
「お浜さんが――」
ガラッ八はまだ
「お浜さんが一応疑われるわけさ、が、正面から
「なるほどね」
仙太の話を聞くと、お浜には少しの疑いも掛けていません。
「それに、正面からあれだけの事をやって、返り血を浴びないはずはない、――お浜の着物は残らず見たが、
最後の止めを刺されながら、ガラッ八は離屋に向いました。納戸の前から、土蔵の前を通って、三尺の廊下の尽きるところに、離屋の二階の登り口が開きます。
上には親類の年寄りが二三人と、嫁のお清が、まだ入棺も済まぬ死骸の前に、湿っぽく坐って引っ切りなしに線香を上げているのでした。
「御骨折で――有難う存じます」
お清はふり返ってガラッ八に挨拶しました。
「とんだ事ですね、――昨晩、一番後で逢った時は、どんな様子でした」
とガラッ八。
「
言葉少なに、窓を指します。
敷居に
窓の外は四間ばかりの空地を隔てて、乾物を積んで置く納屋の二階に面しておりますが、左右の木戸が狭いのと、空地一杯に商売用のガラクタで、三間梯子などを持ち込めないのは、たった一眼でわかります。その上窓の下は切立てたような壁で、
「この通りだ、見てくれ、八兄哥」
仙太は線香を一本上げると、片手拝みに近付いて、死体の上の
「ウーム」
ガラッ八が
「どうだ、女や子供の力ではあるまい」
仙太はそう言いながらお清の顔を見ました。
「出刃庖丁はどうしたんだ」
「ここにあるよ」
「どれ」
白い
「どうだい八兄哥、これじゃ昨夜
「その通りだ」
仙太とガラッ八は、離屋を引揚げて、土蔵の前から、空地へ降りて来ました。
「親旦那は倅を殺すわけはないし、小僧の寅松は十二だ。客は酔っていたし、一度も席を立たないとすると、どうだ八兄哥、手代の与母吉があやしくなるだろう。あの野郎は嫁のお清がこの店へ行儀見習で来ている時から夢中だったんだ」
仙太に言われてみると、ガラッ八もツイそんな気になります。
「そうかも知れない――が、ついでに奉公人達に逢ってみよう」
「初荷の仕事はあったが、手燭がうるさいから、夜業はしねえ、――昨夜納屋に来たのは、
「そいつに逢ってみよう」
「足止めをしてあるから、来るがいい」
二人はそのまま納屋へ入って行きました。納屋といっても、乾物の荷物を扱う定雇いの人足が二人三人は泊れるようになっているので、裏の方には二畳ほどの部屋を取って、寝道具も一と通りは揃えてあります。
「ヘエ――、昨夜ここに居たのは、私と、この吉三郎だけで――、朝から飲み続けて、日の暮れる頃はもう
信州者だという仁助は三十二三、いかにも酒好きらしい、一と癖も二た癖もある
「二人とも外へは出ないんだね」
「
吉三郎は少しおろおろしております。相模者だという、これは二十三四の平凡な男です。
仙太とガラッ八は二人に案内さして、乾物臭い納屋の二階に登りましたが、勘次郎の殺された部屋とは四間余り隔てて、ここからは鉄砲でなければ、人一人を殺せる道理はありません。
「親分、こんな事だ、――まるで見当が付かねえ」
ガラッ八の八五郎は、それから半刻も経たないうちに帰って来ました。
「一人で
平次は意地悪く動こうともしません。
「そんな事を言わずに、ちょいと行ってやって下さいよ、――仙太兄哥は、与母吉を縛ってしまいましたよ」
「俺が行ったところで、それより解る道理はない、誰か下手人を
「ヘエ――、そんな事がどうして解るんで」
「テニハの合わない殺しがあったら、そう思え。与母吉でなきゃア、女三人のうち、誰かが下手人を知っているに
「だから行ってみて下さいな」
「厄介な野郎だ、そんな事じゃ、いつまで経っても、一人立ちは出来ないぜ」
「ヘエ――」
叱られながらもガラッ八は、いそいそと先に立ちました。
相模屋へ着いたのはもう夕刻、大きな門松を潜って入ると、中は御
「親分、旦那に逢いますか」
「いや、納屋と外廻りを先に見よう」
平次は店口からすぐ裏へ廻って、勘次郎の殺された部屋の下へ立ってみましたが、ガラッ八が説明した通り、ここからは
「お」
「親分、血じゃありませんか」
「そうだよ、だから明るいうちに外廻りを見ようと言ったんだ」
窓の下に置いた乾物の俵の端っこに、ほんの二三点、
「
「そりゃ親分」
言うだけ野暮で、相模屋は聞えた乾物問屋ですから、血の
「その辺りを丁寧に探してみな、何かあるかも知れない」
平次に言われると、八五郎は馴れた猟犬のように、眼の及ぶ限りを捜し廻りましたが、それっきり、あとはなんの変ったものもなかったのです。
納屋へ入ると、仁助と吉三郎は足止めを喰って、すっかり
「正月の三日ですよ、親分、足止めは殺生じゃありませんか」
そう言う吉三郎が、若くて遊び好きそうに見えるのも
「まア、長い事はない、辛抱するがいい、ところで二階へ行ってみるが、二人とも一緒に来て貰おうか」
「ヘエ――」
平次はガラッ八と仁助と吉三郎を従えて、ガタピシする梯子を踏んで二階へ登りました。
「なるほど、ここからは手が届かない」
窓を開くと、勘次郎の殺された部屋までは四間あまり、ここから向うへ届くような踏板もなく、まず綱でも張って、
「親分、母屋へ行きましょう」
ガラッ八は、平次の落着き払った様子が不思議でならなかったのです。
「まア
「冗談で、親分」
「冗談じゃないよ、綱を張って渡る工夫が出来れば、向うの窓へ楽に行ける」
平次は日本一の真顔でした。
「あっしは猟師の真似をしたこともありますから、鉄砲なら撃てますが、綱渡りなんて芸はありません、――吉三郎は魚取りの方で、相模湾で波の上は渡ったでしょうが、これも綱を渡った話は聞きませんよ」
仁助は少し向っ腹を立てた様子です。
「獣や魚を相手に暮したら、刃物を
「そりゃありますとも」
「
平次の調子は
「出刃庖丁は投りませんよ」
仁助は恐ろしくきかん気です。
「猪や
平次はカラカラと笑いました。
「手槍がありゃ投ってお目にかけますぜ、猪や熊だって一と突きだ、人間なんざ
仁助がヌケヌケとそんな事を言うと、
「兄哥、余計なことは言わない方がいいぜ、俺だって、
吉三郎はニヤリニヤリしております。
家へ入って、ガラッ八がやったように一人一人当ってみましたが、別に変った手掛りはありません。
離屋の二階へ行くと、もう薄暗くなりましたが、それでも、窓から畳の上へ、まざまざと血の痕が、残っております。
「拭かなきゃアよかったなア」
平次は窓のあたりを覗いておりましたが、やがて、雨戸と障子を閉めて、薄明りの中からすかしております。
「八、これに気が付かなかったか」
「何です、親分」
「障子にも雨戸にも血が付いていない」
「なるほど」
「窓の下の空地には
「…………」
「勘次郎が殺された時は、窓が開いていたんだ」
「それはどういうことになるでしょう、親分」
「それから、寝ていてやられたんではない、立っているところをやられたに違いない」
「…………」
窓に掛った血から判断すると、それくらいのことはすぐ判るはずなのに、――ガラッ八はおよそ
「お清さんを呼んで来てくれ、それから、お清さんが済んだら、お浜を呼ぶんだ」
「ヘエ――」
ガラッ八は母屋へ行って、間もなくお清を呼んで来ました。が、その時はもうすっかり暮れて、お互の顔もはっきり判りません。
「
「いや、二階の灯は
「…………」
「隠さずに言って貰いたいが――」
お清はしばらく
「お浜が、――あの」
「そんな事ではないかと思ったよ、――」
「これは内緒にしておいて下さいませんか」
「いいとも。ところで、――
自分の夫と変な素振りのある女の挙動を、お清が見のがすはずはありません。
「一度――
「長く二階に居た様子はなかったろうか」
「え、ほんのちょいとで」
「様子は」
「落着いてはおりましたが、青い顔をしていたような気がします」
「その後で何か
「気丈な娘ですから、もっともちょっと外へ出て風に吹かれたようでしたが」
人一人を殺せば、茶碗を落すとか、物を転がすとか、何か一つくらいは粗忽をするだろうと思ったのでしょう。平次の考えそうな事でした。
「外に気の付いたことは?」
「何にもございません」
「どうも有難う――だんだん判って来るような気がする」
お清が下へ降りて行くと、入れ違いにお浜が登って来ました。
お清の智的な美しさに比べて、健康そうな多血質なお浜は、別種の美しさを持った娘で、気の多い勘次郎に付け廻されたのは無理のないことでした。
「お浜さん、だいぶ若旦那と親しかったそうだが、昨夜、何か混み入った話をしたのかい」
平次は歯に
「いえ、――御新造さんが、そんな事を言うんでしょう」
「お前は、もう少しいろいろの事を知ってるはずだ、――第一、あの庖丁は誰のだ」
「知りませんよ」
「江戸では滅多に見かけない形だが――」
「…………」
妙な
「ね、お浜、――お前は下田の生れだと言ったが、吉三郎を知っているかい」
「いえ」
「吉三郎は相模者で、お前は
「いえ、与母吉さんは御新造さんの方で――」
「仁助は?」
「…………」
お浜はそれっきり口を
「親分、娘は苦手だね」
ガラッ八は、
「俺はそう思わないよ、娘は正直だ、口で言わなくたって、顔色が物を言う」
「なるほどね、――ところで親分、この窓から帯でも下げて、男を引上げる事がむつかしいでしょうか」
「誰が」
「お清さんか、お浜だ」
「それを勘次郎が黙って見ているのか」
「でも、納屋の二階から庖丁を投げるよりは確かですぜ」
「下らない事を言う」
二人はそれっきり下へ降りて行きました。
銭形平次はガラッ八を
小網町の仙太は
「親分、妙なことを聞込みましたよ」
ガラッ八がそう言ってきたのはそれから四五日経ってからでした。
「何だ、八」
「吉三郎が十四日に暇を取って帰るそうですよ」
「十四日とはどういうわけだ、出代り季節じゃあるまい」
「
「それっきりか」
「それから、嫁のお清さんが、銭形の親分さんに、――妙なものを見付けたから、お目にかけたい――と言っていましたよ」
「フーム、それは耳寄りだ」
平次はその足ですぐ相模屋へ行ったことは言うまでもありません。
「あら、親分さん、――」
お清はいそいそと蔵へ案内すると、
「お浜が妙なものを隠しているんですよ」
押入を開けて、隅っこの方を指します。
「何だ、箱枕じゃないか」
取出したのは朱塗りの女枕、至って古いもので、
「あッ」
引出して見ると、血に染んで黒ずんだ
「これは何に使った紐だろう」
「前掛けの紐ですよ」
「男物のようだが、――心当りは?」
「…………」
お清は言おうか
「それを言って貰わなきゃ、何にもならない。もっとも、お熊か
「申します、――どうも、与母吉の前掛けの紐のようで」
「何? 与母吉?」
これは平次にも予想外でした。
「その真田紐は古い品で、滅多にはありません」
「どうしてお浜がこの蔵の中へ隠したと解りなすった?」
「ちょいちょい覗いていますよ」
「フム」
お清の答は簡単ですが、至極明らかです。
「八、お浜を呼んでくれ」
「へェ――」
出て行った八五郎、しばらくすると
「親分、た、大変、お浜が見えません」
「何? お浜が居ない? 惜しいところで逃げられたか」
それからまた一と騒ぎか始まりましたが、用事を言い付けられたような顔をして、表口から堂々と出て行ったお浜を、仙太の子分もツイ見逃してしまったのです。
「親分、大変な者が来ましたよ」
ガラッ八は敷居の外から、帆っ立て尻になって、
「何だ、松の内から、借金取りでもあるまい」
「そんな
「何? 相模屋のお浜か、逃がすなッ」
平次は飛起きると、ろくに顔も洗わずに、お浜を案内させました。
「親分さん、とんだお騒がせしました。若旦那を殺したのは私でございます」
お浜は一と晩寝なかったらしい顔を挙げて、こう言い切るのです。
「何を言うんだ、そんな事を聴くなら、早起きをするものか、本当の事を言ってくれ」
平次は相手にもしません。
「これが本当の事ですよ、親分さん、私を縛って突出して下さい――」
「それじゃ訊くが、何だって若旦那を殺す気になったんだ」
「あの晩二階へ上がって、雨戸を閉めようとすると、私をつかまえて、厭な事をおっしゃるんです」
「それだけか」
「…………」
「なんだって大きな声を出さないんだ」
「御新造さんがいやみを言います」
「それなら、まア、お前の言う事を本当にしよう。が、刃物はどこから出した、――若旦那が口説くだろうと思って、出刃庖丁を用意して行ったのか」
「…………」
「与母吉の前掛けの紐はどこから出したんだ」
「…………」
「サアサア、そんなつまらない事を言わずに帰るがいい。相模屋では大変心配しているぜ。ただの奉公人と違って、下田の親元へ済まないって――、一人で帰るのが極りが悪きゃア、俺が送ってやろう」
平次はガラッ八と一緒に、お浜を相模屋へ送って行きましたが、何か、新しい
が、何にもありません。
「八、また見当が違ったぞ」
「何を捜すんで、親分」
「前掛けと――もう一つは言わない方がいい」
「前掛けなら前掛けと言えばいいのに――これでしょう、親分」
「あ、それだそれだ、どこにあった」
「母屋の押入ですよ」
「お浜の
「親分はどうしてそれを?」
「まさかと思ったよ」
平次はそれっきり、お浜のことを主人の勘兵衛に頼んで帰りました。
与母吉は拷問にまで掛けられていると聴きましたが、頑固に口を
「今日はどんどだね」(一に
「今年は火の用心の
ガラッ八は
「相模屋の吉三郎が、
「仙太が止めたそうです」
「――行ってみよう、少し心当りがあるようだ」
平次とガラッ八はすぐ安針町へ。
「おや、大変な煙だが」
裏口から入ると、平次はすぐ気が付きます。
「どんどが御法度で、町内で
主人の勘兵衛がこんな事を言います。
「お店なんか大きな門松を建てるから、こんな時は不自由なわけで」
「ヘエ――」
「門松は誰が焼いているんです」
「お浜ですよ、女のくせに、妙な事に気が付いたもんで」
「あッ、それだッ」
平次は何に驚いたか、一足飛びに風呂場へ――。
「あ、親分さん」
サッと顔色を変えて立上がるお浜の手から、一と抱えの松と竹を奪い取りました。
「八、納屋へ行って吉三郎を縛れ」
「合点」
飛んで行く八五郎を尻目に、平次の片手は女を押え、片手を働かせて門松の束をほぐしました。
中から
「これだこれだ、どうして、こんな見え透いた事に気が付かなかったんだろう」
「親分、――吉三郎は逃げてしまいましたよ」
八五郎はこのとき空手でボンヤリ帰って来ました。
「薄情な野郎だ、女を捨てて行きやがって――」
*
お浜は危うく処刑されるのを、平次の情けで助けられました。吉三郎はそれっきり行方知れずになりましたが、間もなく平次の手で捕まって獄門台に登ったということです。お蔭であんなに
「親分、あっしにはさっぱりわからねえ、あれは一体どうした事で?」
ガラッ八が絵解きをせがんだのは、それからだいぶ経ってからでした。
「吉三郎は相模者だと言ったが、実は下田の者さ。お浜に
「勘次郎を殺したのは?」
「あの晩、お浜が、雨戸をしめに二階へ行くと、若旦那の勘次郎が
「そんな事が出来るでしょうか、親分」
「三崎や下田には投げ銛の名人がいるよ、十間も二十間も離れたところから、
「ヘエ、――前掛けがお浜の荷物から出たのは?」
「お清の
「お浜はどんな気で吉三郎を庇ったんでしょう」
「自分のために人まで
「なるほどね」
「もっともなまじっか、未練を残すより、その方がよかろう。――だが、人殺しに門松を使ったのは俺も始めて見たぜ、これは誰だって驚く」
平次はつくづくそう言うのでした。