「親分、ちょいと逢ってお願いしたいという人があるんだが――」
ガラッ八の八五郎は
「大層改まりゃがったな。金の
平次は安直に居住いを直しました。粉煙草もお小遣も、お上の御用までが種切れになって、二三日張合いもなく生き延びている心持の平次だったのです。
「へッ、へッ、へッ、そんなに
「そんならいつまでも
「ヘエ――」
ガラッ八が心得て路地へ首を出すと、共同井戸のところに待機している、手頃の年増を一人呼んで来ました。
「親分が逢って下さるとよ。遠慮することはねえ、ズーッと入りな、ズーッと」
ガラッ八は両手で畳を
年の頃は二十七八、どうかしたらもう少し老けているかも知れません。眉の長い、眼の深い、少し浅黒い素顔も、よく通った鼻筋もこればかりは紅を含んだような赤い唇も、あまり街では見かけたことのない種類の美しさです。
「銭形の親分さん、始めてお目にかかります。――私はあの、市ヶ谷
少し武家風の匂う折目の正しい挨拶を、平次は持て余し気味に
「で、どんな用事で来なすった」
煙草盆を引寄せて
「外でもございません。私が厄介になっております、宗方家の主人善五郎様は、ゆうべ人手に掛って相果てました」
「殺されたと言いなさるのかい」
「ハイ、殺されたとなりますと、何かと後が面倒なので、御親類方が集まって、自害の体に
「お前さんはそれが気に入らないというのかえ」
「宗方善五郎様は五十を越した御浪人ですが、元は立派な御武家でございます。御武家が死にようもあろうに首を吊って死んでは、お腰の物の手前
平次は
「自分で首を吊るのが恥は解っているが、人に絞め殺されるのもあまり御武家の誉れではあるまいぜ」
「でも、御主人様はこの春から軽い中風で、お身体が不自由でした」
「中風で不自由な年寄りを絞め殺すような悪い野郎もあるのかな」
「あんまりな仕打ちに、我慢がなり兼ね、何かの証拠にもと、これを持って参りました」
お茂与という美しい年増は、帯の間から紙入を出して、その中から小さく畳んだ半紙を抜き、
「何だ、これは書置きじゃないか」
「ハイ」
一、書置のこと。拙者こと万一非業に相果候様 のこと有之節 は、屹度 有峰杉之助を御詮議 相成り度く為後日 右書き遺し申候也。
月 日
宗方善五郎 判
御役人様 御中
平次は手に取って眺めて、その打ち
「これはどうしたのだ」
「宗方善五郎様が、生前そっと書き
「いつ頃のことだ」
「二た月ばかり前で――」
「こんなものを預かるお前さんは?」
「宗方家遠縁の者で、三年越し御厄介になっておりますが、どんな御縁か御主人様はことの外信用して下さいました」
お茂与はこう言って眉を落すのです。顔がくもると
「八、行ってみようか」
「有難い」
八五郎はもう掘っ立て尻になって平次の出動を待っていたのです。
浪人宗方善五郎は、武家の出には相違ありませんが、すっかり町人になりきって、高利の金などを貸して裕福に暮しておりました。
お茂与は「私が余計なことをしたと思われると、皆んなに
「御免よ」
表向きから入りました。
「あ、銭形の親分」
店にいた近所の衆や、親類の老人達らしいのが、銭形平次の顔を見るとサッと蒼くなりました。お通夜を済ませて、明日はお
「気の毒だが、ちょいと仏様に逢わしてくれ」
八五郎がズイと出ました。
「ヘエー」
「気の毒だが、少し不審がある。構わないだろうな」
「
近所の隠居らしいのが、恐る恐る抗議するのを背に聴いて、平次は真っ直ぐに通りました。
家の中は思いのほか豪勢で、宗方善五郎の裕福さと、高利の金の罪の深刻さを思わせます。
「誰か案内して貰おうか」
ガラッ八は妙に
宗方善五郎の死体はまだ奥へ寝かしたまま。首へ巻いてあった
「何もかももとの通り」
とお茂与は言うのです。
死んだ善五郎は五十少し過ぎというにしては老けて見えますが、これは軽い中風のせいだったかも知れません。
「主人の死んでいるのを、誰が一番先に見付けたんだ」
平次の問いは定石通りに進みます。
「私でございました。主人の居間へ来て雨戸を開けますと――」
「雨戸は開いていなかったのだね」
「え、いえ、鍵も
「で?」
「雨戸を開けると、主人は細引で絞め殺されて、冷たくなって床から抜け出しておりました。びっくりして大声を出すと、若旦那の
お茂与は静かな調子ながら一糸乱れずに説明して行くのです。
「主人は中風だと言ったね」
と平次。
「え、大した不自由はございませんでしたが、それでも中気でブラブラしている御主人が、鴨居へ扱帯などをかけて、自害するような、そんなことが御自分で出来るはずもございません」
踏台をして覗いてみると、高い鴨居には、
「その細工に使った扱帯はどれだ」
「これでございます」
お茂与が取出して見せた扱帯は
「誰のだえ」
「亡くなったお嬢さんので――」
「フーム」
平次も妙な心持になります。
「で、主人を殺した細引は?」
「これでございます」
お茂与は押入を開けて、そっと隠しておいたらしい細引を取出しました。ほんの五六尺の
「それにしちゃ細引の跡が薄いようだ」
平次は死体の首筋を覗いて、そっと八五郎に
「おや、こいつは何でしょう」
八五郎は
「
「まだこの辺には蚊がいるのかい」
「御主人様は大層蚊がお嫌いでございました」
お茂与は静かにその疑いを解きました。
「気の毒だが、少し訊きたいことがある」
「…………」
甲子太郎は黙りこくって
「お前さんも親旦那が自分で首を
平次の問いにはいろいろの意味がありました。
「皆んなで、そう決めてしまいましたよ、親分」
甲子太郎の調子はひどく捨鉢ですが、父親が自殺したとは信じていない様子です。
「すると?」
「親父の首へ細引を掛けた奴を私は堪忍しちゃおきません」
「それはどういう意味だね」
「…………」
甲子太郎は黙りこくってしまいました。
「
平次は話題を変えました。
「町内にいる御浪人ですから、よく知っています」
「その有峰という浪人者が、親旦那を怨んでいるようなことはなかったろうか」
「あったかも知れません、――親父はひどく有峰さんを煙たがっていました」
「有峰という浪人者に殺されるかも知れないといったような――」
「とんでもない、有峰さんは立派な方ですよ」
甲子太郎は平次の言葉を
「それじゃ他のことを訊くが――あのお茂与という女は、この家の何だえ。
「――親類なんかじゃありません」
甲子太郎は
「外に身寄りの者は?」
「何にもありませんよ。父一人子一人で、あとは奉公人ばかり。親類といったところで三代も四代も前の親類で、少し暮し向きが悪くなれば寄りつかなくなる人達です。親父の首の細引を
甲子太郎の憤激は、当てもなく爆発し続けるのです。
この上甲子太郎の
吉兵衛は五十男で、世の中を世辞笑いと妥協で暮して来た男、こんな人間が案外
手代は二人、庄八と金次といって、どっちも三十前後、貸金の取立てには負けず劣らずの腕前を持っていそうな、
庄八は色白のちょいと良い男、金次は四角の顎と大きな眼を持った男、この人相の怖い金次が案外好人物で、色白の庄八の方が太い魂の持主らしいことは、二た言三言交すうちに平次は見抜きました。
平次の問いに対する応答は番頭の吉兵衛と同じようなもの、ただ、お茂与の身分を聴いたとき、庄八は、
「主人はまだ若かったんですから、一人くらい身の廻りの世話をする者があっても不思議はないでしょう。お茂与さんはあんなに綺麗ですからね、へッへッ」
もう一人下女のお
もっとも、問いも答えも何の変哲もなく主人の善五郎が飼犬に手を噛まれるとも知らずに、お茂与にばかり目をかけて、自分をあまりよくしてくれなかったことなどをクドクド言うだけの事ですが、最後に、
「ゆうべ旦那は
平次の唐突な問いに対して、
「二三日釣らずにいましたが、この辺は山の手でも
「で?」
「釣手は一パイになっているが、中たるみがしていけないから中釣りをしたい。もっとも
お元の話は妙な方へ発展して行きます。
「その紐はこれかい」
平次は八五郎の拾った萌黄の紐を見せました。
「え、それですよ」
お元は大きく合点合点をしました。
もういちど吉兵衛に逢って、宗方家の身上を調べると、貸金はざっと三千両。地所家作が方々にあった上、店の有金は千五六百両。これはほんの概算ですが、まず浪人上がりの金貸しとしては、御納戸町の悪五郎と言われただけの事はあります。
「親分、やはり殺しでしょうね」
家の外を一と廻り、急所急所で足を留める平次へ、追いすがるようにガラッ八は言うのでした。
「解らないよ」
平次は何か外の事を考えている様子です。
「ヘエ――すると
「まるっきり解らないよ、お前はどう思う」
平次は八五郎に水を向けます。
「あっしはやはり有峰なんとかの助が殺したんだと思いますよ。この通り主人の寝間の外に男下駄の歯の跡があるじゃありませんか」
八五郎は縁の下の柔かい土に印された
「念入りに証拠を残して行ったじゃないか、そのうえ煙草入か
「おや? こいつは何でしょう」
ガラッ八は
「こいつは誰のだ、聴いて来てくれ」
「よしッ」
八五郎は飛んで行きましたが、間もなくそれは町内の貧乏な浪人者有峰杉之助の品と聴き込んで帰って来ました。
「その有峰とかいう浪人者に逢ってみようか」
平次はようやくそんな気になった様子です。
「そう来なくちゃ面白くねエ」
喜んだ八五郎、平次の後に
「たいそうお茂与の肩を持つようだが、お前は昔からあの女を知っているのか」
「へッ、へッ、ほんの少しばかり」
「へッ、へッじゃないよ。知っているなら正直に白状しておくがいい。あとで尻が割れるとうるさいぞ」
平次はきめ付けました。
「尻なんざ割れっこありませんよ。あっしは何にも掛り合いがありませんから」
「掛り合いは
「
「何? 御守殿お茂与? あれが御守殿のお茂与の化けたのか、ヘエー」
平次が感歎したのも無理はありません。御守殿お茂与というのは一時深川の岡場所で鳴らした
「もっとも今じゃすっかり堅気になって、宗方善五郎の奉公人同様に働いているが、旦那が殺されたと知って指を
「それでお前が乗出したのか」
「ヘエ――」
「ヘエ――じゃないよ。早くそう言ってくれさえすれば、考えようもあったのに」
「だって宗方善五郎は殺されたには間違いないでしょう」
「まあいいや、乗りかかった舟だ。しばらくお茂与の思うままに踊ってやろう。おや、もう有峰杉之助という人の浪宅じゃないか」
平次は八五郎を顧みて戦闘準備を促しました。仕事は第二段に入ったのでしょう。
「有峰杉之助は拙者だが、御用の筋は?」
三十五六のまだ壮年の武士でした。
「あっしは町方の御用を承る平次と申すものですが、旦那はなんですか、あの宗方善五郎様とは御懇意で――」
平次はさり気なく
「ゆうべ死んだそうだな、――お気の毒な、――昔は同藩であったが、少しも
「往来もなさいませんので」
「しないよ。向うは
有峰杉之助は面白そうに笑うのです。秋の
「旦那は――ズケズケ申しますが、あの宗方様を怨んでいるようなことはございませんか」
「怨んでいるよ」
「ヘエ――」
平次は少し
「怨んでいる
杉之助は口を
「それじゃこれを御覧下さいまし」
平次は懐中から半紙一枚の遺書を出して、有峰杉之助の前に
「なるほど、こういった遺書を書く気になったかも知れぬ。宗方善五郎は気の毒な男じゃ」
「この遺書一つで、お気の毒だが旦那は縛られるかも知れません。それより仔細はこうこうと手軽におっしゃっちゃ下さいませんか」
「左様」
有峰杉之助はなかなか口を開く様子もありません。
「これを御存じですか、旦那」
平次は縫いつぶしの古い紙入を取出しました。
「知っている段か、拙者の品だ、――どこで――」
「宗方善五郎の殺された部屋の前にありましたよ」
「ほう、無一物の紙入が、一人で歩くとは知らなかった、――がそんなことがあるようでは黙っているわけにも行くまい。いかにも宗方善五郎と拙者との関係、
有峰杉之助は、ようやく打ち明ける気になった様子です。
その話はかなり込み入ったものですが、簡単に言うと、宗方、有峰両人とも、さる中国の大藩に仕え、小禄ながら安らかに暮しておりましたが、御蔵番になった宗方善五郎は、金銭上のことに不正があり、若い同役の有峰松次郎――杉之助の弟に
弟を失った杉之助は、武家としての生活に
「申すまでもなく、弟御さんの
平次はたまり兼ねて口を
「いや、それは町人の一応の考えだ」
「と申すと」
「弟の
「ヘエ――」
平次もそれは気の付かない事ではなかったのですが、
「宗方善五郎は藩金を
杉之助の述懐は筋立って少しの疑いも挟みようはありません。
「
平次はそれを全面的に肯定して聴く外はなかったのです。
閑居に慣れ、貧乏に慣れ、読書三昧に打ち込んで、有峰杉之助はもう帰参の望みなどはなかったのかも知れませんが、七つになる倅のために、唯一の出世の機会を待っているのでしょう。
「お、杉丸、帰ったか」
折から母親と一緒に帰って来た倅杉丸を迎えて、杉之助の顔はさすがに淋しそうでした。
「ただ今戻りました」
小買物にでも行ったらしい内儀のお
「ヘエー、今日は」
武家の内儀に思いのほか丁寧にあしらわれて、八五郎は少し面喰らった様子です。
「宗方善五郎は昨夕死んだそうだ、――自害をしたといったな、平次殿」
杉之助は平次を顧みます。
「人手に掛って死んだとも申します」
「まア」
美しい内儀のお延は、何もかも事情を呑込んだらしく、まだいたいけな倅の杉丸を顧みて、聡明らしい眼をしばたたきます。お茂与の取澄ましたのと違って、滋味の豊かな若々しくも美しい母親です。
「旦那は、御守殿お茂与という女を御存じでしょうね」
「知っている、――あれも同国の者だ。今は宗方善五郎の許にいると聴いたが――」
そう言う杉之助の言葉のつづくうち、平次は内儀のお延の顔に動く表情を読んでおりました。
「そのお茂与が、宗方善五郎を殺したのは、有峰の旦那だと言うのですが」
「馬鹿なッ」
一瞬杉之助の顔に激しい表情が動きました。が、
「まア、なんという人でしょう。さんざん迷惑をかけた上に――」
内儀のお延はフト舌を
「親分いよいよ解らなくなりましたよ。あの有峰という浪人は人など殺しそうにもありませんね」
帰る
「俺もそう思うよ」
平次はケロリとして、もう考えている様子もありません。
「じゃ誰が殺したんでしょう」
「誰でもいいじゃないか」
「ヘエ――」
「俺はもう帰って一杯やって寝るよ。浪人者の高利貸が首を
市ヶ谷から九段へ出て、江戸の夕暮を眺めながら、恋女房のお静が待っている家へ帰るのです。平次はもう宗方善五郎殺害事件などは考えてもいない様子です。
「でも――」
「御守殿お茂与に頼まれたことが気になるのかい。じゃ、お前だけ引返して、こう言うがいい――平次は盲目じゃない。余計な細工をして、とんだ罪を作るのは
「親分」
「何をもぞもぞしているんだ、――平次を
「ヘエ――」
まだ
その
「た、大変ッ。親分」
朝のうちからガラッ八の大変が鳴り込んで来たのです。
「あ、脅かすなよ、八。朝の味噌汁が胸に
「そんな話じゃありませんよ親分。市ヶ谷御納戸町の――」
「まだそんなところをせせっているのかい。三年あさってもあの殺しは
「親分、そんな話じゃねえ。お茂与が殺されたんですよ――
「なんだと?」
「それ、親分だって驚くでしょう。御守殿お茂与があの家の大納戸の中で、細引で絞められて冷たくなっているんだ、――死顔を見るとあの女には悪相がありますぜ」
ガラッ八の報告はさすがに平次を驚かせました。事件は全く思いも寄らぬ方に発展したのです。
お納戸町の宗方家は上を下への騒ぎです。番頭に案内させて奥へ行ってみると、美女のお茂与は主人の善五郎を殺したという、
「この通りでございます、親分さん」
場所は亡き善五郎が溜め込んだ
「親分」
八五郎はさすがにこの旧知の女の死骸を見ると緊張しました。
「今度は外から
平次はからかいますが、八五郎たった一人であんよするとなるとどこから手をつけていいか、まるっきり見当も付きません。
「判ったか八、戸締りに異常はなく、外には柔かい土を踏み荒らした跡もないから、この下手人は家の中の者だ」
「ヘエ、あっしでもそれくらいのことは判りますが」
「お茂与が銭箱を開けて見ているところを、後ろから忍び寄って絞めたんだ。下手人が近づくのをお茂与ほどの女が知らずにいるはずもないから、こいつはお茂与に近い人間で、お茂与は大して驚きもしなかったと見る方がいい」
平次はお茂与の死骸を前に、次第に謎をほぐして行きます。
「すると親分?」
「お茂与が我が物顔に小判を眺めているところを、後ろへ廻って首へ細引をかけた、――前の晩主人の善五郎の首に巻いた細引だ。お茂与はその人間には驚かないが、細引には驚いたろう。ハッと思うところを、グイグイと絞めた。若くて張りきっていて、お茂与憎さで一パイになっているから情けも
「自分の掘った穴ですって、親分」
「そうさ、自分の
平次の言う
「親分、誰です、下手人は?」
「…………」
「親分」
「お化けだよ」
「ヘエ――」
「善五郎の幽霊だな」
「そんな馬鹿な」
「いや本当だ。さあ帰ろうか八。お茂与は悪い女だ――お前は美しい女を皆んな善人だと思っているようだが、こんな悪い女は滅多にないよ。世話になった善五郎の首へ縄を掛けたのは、あのお茂与さ、――もっとも善五郎を殺したのはお茂与じゃない。が、昨夜の下手人は、善五郎を殺したのをお茂与と思い込んでやったんだ」
「さア判らねえ」
平次の言葉の意味は、八五郎にもよく判りません。
番頭も手代も倅の
「最初から順序を立てて話してやろう、いいか八」
「ヘエ――」
「主人の善五郎は武家の出だ。金は出来たが中気にあたった。昔自分が殺した有峰松次郎の兄の杉之助は同じ町内に住んでいる。いつ
「…………」
「お茂与の弁舌に焚き付けられて、善五郎の恐怖は
「…………」
「これは決して俺の
「ヘエ――」
「その扱帯で
「なるほどね」
ガラッ八は平次の説明にすっかり圧倒されましたが、それよりも驚いたのは、番頭手代、倅の甲子太郎などでした。
「そのとき皆んなが駆け付けて、主人が人手に掛って死んだと知れては厄介だから、あとの面倒がないように、首の細引を解き、手近の押入にあった赤い扱帯を出して首に巻き、もういちど自殺に
「…………」
「俺が来て見ると、――死体を見付けたとき、首に細引を巻いていたとお茂与は言うが、死骸の首の縄の跡などというものは容易に消えるものじゃない。善五郎を殺したのは、間違いもなく扱帯だ。鴨居にはそれを掛けた跡があり、縮緬の扱帯の端には、
「お茂与が有峰杉之助に罪を着せようとしたのは、どういうわけでしょう」
ガラッ八の疑いは
「お茂与は有峰杉之助を憎む筋があったんだ。きのうの話の中に、そんな
「ヘエ、――なるほどね」
「お茂与は有峰杉之助を下手人にして、存分に思い知らせてやりたかったんだ」
「ところでお茂与を殺した下手人は? 親分」
ガラッ八はようやく結論を引出すことが出来たのです。
「この中にいるはずだ、――きのうの朝、お茂与が主人善五郎の首から
下女のお元はあわてて唐紙の蔭に顔を引込めました。
「お元はそれを黙っているはずはない。日頃お茂与を憎みつづけて来たから――キット誰かに言った。俺にはその相手もよく判っている。その相手は、お茂与が主人の首に細引を巻いていたと聴いて、カッとしたのも無理はない。夜になってお茂与の様子を見ていると、ここへ入って銭箱の
平次の論告は終りました。
「親分、――その通りです。少しの違いもありません。私を縛って下さい。あの女に親を殺されたと思い込んで私はお茂与を殺しました」
平次の前に這い寄るように、自分から両手を後ろに廻したのは、倅の甲子太郎でした。
「お前さんは何をあわてるんだ。親旦那は首を
平次は静かに立上がりざま、
「その通りだ。それに
八五郎は宙に泳ぐように、それに続きます。
「有難い、親分」
力も勢いも抜け果てたように、甲子太郎はペタリと坐って、二人の後ろ姿を伏し拝みます。
「それじゃ帰ろうか、八」
「親分、見ていて下さい。こんな商売を
甲子太郎の声はその後ろに追いすがります。
平次はそれには応えませんでした。まだ昼には間のある明るい秋の往来へ飛出すと、何もかも忘れてしまったように黙りこくって家路を急ぎます。