笛の名人
「お師匠、このお願いは無理でしょうが、亡くなった父
一色
「いちいち
春日藤左衛門は道理を尽して、こう言うのです。
「よく判りました、お師匠。でも、私のような若い者には、笛を吹いて祟りがあるということは受け取れません。それはほんの廻り合せか、吹く人の心構えの狂いから起った間違いでございましょう。それに私は自分の未熟もよく存じております、『禁制の秘曲』をこの私に渡してくれというような、そんな大それた事は申しません。たった一度で
「…………」
藤左衛門は口を
「禁制の曲に魔がさすというのは、夜分人に隠れて、そっと吹くからでございましょう。一日中で一番陽気の
一色友衛は、芸道の執心のために、どんな犠牲でも忍び兼ねない様子でした。
「いかにも尤も、――それほどまでに言うなら、この秘曲の封を解いて、お前にも聴かせ、この私も心の修業としよう」
春日藤左衛門はとうとう折れました。この話の始まったのはちょうど
中から出たのは、平凡な
「よいか」
「はッ」
一色友衛は五六尺下がって、畳の上に両手を突きます。
高々と
ちょっと見たところでは、なんの変哲もない、「寝鳥」の
これはしかし、いろいろの先入心が、強迫観念になって、技倆に自信を持ち過ぎる、春日藤左衛門の心を
「…………」
吹きおわった笛を、流儀の通り膝の前に置いて、藤左衛門はホッと溜息を
「有難うございました」
ややしばらく経って、緊張の
その時、――
「わッ、た、大変ッ」
下男の作松の凄まじい声が、遥かの方から真昼の部屋部屋を筒抜けて響きます。
「どうした」
「何が大変だ」
家中の者が、八方から集まりました。作松が
「お嬢さんが、――お嬢さんが」
「娘がどうした」
一番先に駆け込んだのは、春日藤左衛門、それに一色友衛が続き、鳩谷小八郎が続きました。
「あッ」
凄まじい恐怖が、花火のように
「お、あやめッ」
が、引起した藤左衛門は、一と目、それは妹のあやめでないことに気が付きました。
「あ、百合だ」
「お姉さん、まア」
妹のあやめは涙声になって、姉の死骸に
無残な姿になっているのは、少し足が悪い上、ひどい
十九になる妹のあやめは、姉に比べるとびっくりするほどの綺麗さ、その方は幸いに無事だったのです。
「まア、どうしたことでしょう」
母の玉江は、一番遅れて縁側へ顔を出しました。十九の時あやめを生んで、今年は三十七、
それから際限もなく混乱が続きました。医者が来る前に、呼び掛ける者、泣き叫ぶ者、水をかける者、背中を叩く者、滅茶滅茶な介抱をしましたが、お百合はもう息を吹き返しそうもありません。
町内の御用聞、
一と通り様子を聴いて、お百合の死骸を見ると、
「すまねえが、お内儀に番所まで来て貰おうかえ」
「親分、――継しい仲には違いないが、この女は、そんな大それたことの出来る女じゃありませんよ」
藤左衛門は一応女房を
「いや、
佐吉は少し
「
下女のお篠です。二十一歳の純情をぶちまけて、自分達にはこの上もなく良かった、主人の妻を救う気になったのでしょう。
「お
「だって御新造さんは、上野の
「なんだと?――そいつが嘘だった日にゃ、手前も牢へ叩き込まれるよ」
「いいとも、舌を抜かれても驚かないよ」
お篠は一歩も
「よし。それじゃお前の顔を立ててやろう、――ところでその縄を見せてくれ」
佐吉は死骸からはずした縄を受取って、念入りに調べました。
「その
鳩谷小八郎はツイ口を出しました。この男は一色友衛より四つ年下の二十三で、武家出の腕も才覚も出来た男、わけても妹娘のあやめと、何かと噂を立てられている、立派な男でもあったのです。
「なるほど、こいつは罠だ、――どんな具合に首に掛けてあったか、ちょいとやってみてくれ」
「…………」
佐吉の頼みに、皆んな顔を見合せるばかり、一人も立とうとする者はありません。
「親分さん、――縄の先が罠になっていましたよ。投げ罠で獣を捕る時にやる――あの調子で――」
作松は何の作意もなく、そんな事を言うのです。
「ちょっとそれをやってみてくれ」
「いやな事だが、やりますよ。大きいお嬢さんの
作松は念仏を称えながら、百合の死骸の首に縄を巻いてみせるのでした。
「なるほど、それなら遠くから
佐吉は変なことを訊きました。
「信州ですよ、もっとも十七の時江戸へ出て、二十五年も奉公しているが――」
「すると
「ヘエ――」
「信州にいる時は、ちょくちょくその投げ罠で獣を捕ったんだろう」
「時々はやりましたよ、親分」
「今でも、人間ぐらいなら捕れるだろうな」
「と、とんでもない」
作松は
「まアいい、――ところで庭木戸は内から閉っているようだが――」
「ここは
一色友衛はしかと言い切りました。
「下手人は家の中の者で、たった一人でいた者となると――」
佐吉の眼はともすれば継母の玉江と、下男の作松の面上に探り寄ります。
「親分、お助けを」
その日の夕刻、下男の作松は、
「あッ、
平次はそんな無駄を言いながら、この
「銭形の親分さん、お助け下さい。一生のお願い、親分を見込んで、命がけで飛んで来ました」
「おだてちゃいけねえ、俺は人に拝まれるような悪いことをした覚えはねえ、――まア、落着いて話してみるがいい」
平次はお静を
「親分、お願い――」
「また拝むのかい爺さん、わけも言わずに、いきなり拝まれちゃ、面喰らっているだけだ。わけを話してみねえ」
平次と、ガラッ八の八五郎に慰められて、作松はようやく落着いた心持になりました。
その
「――こんなわけでございます、親分さん。禁制の賦とやら、不気味な笛の
「…………」
作松はゴクリと
「お嬢様は首に縄をつけて、部屋の真ん中に
「部屋の真ん中に、俯向きだね――仰向きじゃあるまいな」
「間違いはございません。着物や、髪形がよく似ているので、最初は見馴れた私も、妹のあやめさんと間違えたほどですから、玉子を
「なるほど」
「疑いはお内儀の玉江様に掛りました。お百合さんとはたった
「…………」
「それに継しい仲の――殺されたお百合さんは、ひどい菊石の上に、足も悪く、尼さんのような淋しい心掛けで暮している方でしたが、そのお心持の立派なことと申しては――」
作松はツイ涙
「で?」
平次はまたその先を促しました。
「佐吉親分は、投げ罠を死骸の首に掛けさせてみるような、ずいぶんイヤな事をさせた上、いきなり私を縛ると言い出すじゃありませんか。信州の山奥にいる時は、ずいぶん投げ罠も使いましたが、それはもう二十何年も昔のことで、江戸へ出て人間を
「なるほど、そいつは放っておいちゃ気の毒だ」
平次はツイツイそんな事を言うのでした』
「有難い、それじゃ銭形の親分さん、乗出して下さいますか」
「待った、そんなに夢中になっちゃいけねえ。御用聞にも縄張がある、下谷竹町は佐吉の縄張だ、俺はあんなところまで乗出すわけには行かねえ」
「そう言わずに、親分」
作松は拝んでばかりはいませんでした。いきなり平次の手を引立てて、力ずくでも引っ張って行こうとするのです。
「冗談じゃねえ。そんなつまらねえ事をしたところで、親分はどうにもなるわけはねえ」
ガラッ八の八五郎はツイ立上がりました。
「親分さん、お願いだ。俺はどうなっても構わねえ。が、殺されたお嬢さんのお百合さんは、本当によく出来た方だ。あの
作松は、平次の手に取りすがったまま、ポロポロと泣くのです。
「よし、それほどに言うなら行ってみよう。が、下手人は並大抵の人間じゃあるめえ、どんな人間を縛ったところで、後で
「それはもう親分さん」
「それからもう一つ、お
「間違いはありません。
「そいつは大事なことだ、――八、行ってみようか」
「親分」
平次の持前の探究心は、佐吉への気兼も忘れて、とうとうこの事件の真ん中に飛込ませたのでした。
竹町へ着いたのはもう夕刻。
「どこへ行って来やがった、野郎ッ」
飛付く佐吉。
「
と平次は見兼ねて割って入りました。
「お、銭形の、兄哥の智恵を借りるほどの事でもないようだ。人間の首っ玉へ、投げ罠なんか引っ掛ける野郎は、どう考えたってその男の外にはねエ」
佐吉は
「そう思うのも無理はねえが、自分で殺したのなら、わざわざ罠を人様に見せて、疑いを
「その野郎は賢い人間だというのかえ、銭形の」
「賢くはねえだろうが、
平次は一向こだわりのない調子で、そこに
「…………」
佐吉の
「ね、兄哥。死骸は仰向きじゃなくて、俯向きになっていたそうじゃないか」
「ウム」
佐吉は不承不承にうなずきました。
「投げ翼を首に掛けて、遠くから引いて殺したものなら、後ろ向きになっているところをやられたはずだから、死骸は仰向きになっていなきゃならない」
「…………」
「死骸は俯向きになっているし、作松は
「…………」
「ノコノコ部屋に入って、後ろから絞めておいて、俯向きに転がしたのはどう考えても作松じゃねえ」
「…………」
「身に覚えがあるなら、そこで
平次の調子は
「すると下手人は」?」
「困ったことに、俺にも判らねえよ」
「ハッハッハッハッハッ」
平次の言葉の
佐吉の大笑いで二人の間の
「なんにも心当りはありません。足は不自由だったが、あの娘は心掛けの良い娘で、人様に怨まれるはずもなく、こんなことになっては、可哀想でなりません」
そんな事を言うだけの事です。
「縁談の事とか、婿の話は」
と平次。
「そんな事は耳を
「それから、話は違うが、その禁制の曲とやらは、本当に祟るものでしょうか」
「さア、――まさかね」
平次の真面目な態度に引入れられて、春日藤左衛門は本当の事を考えていたのです。家柄だけに、笛の奇蹟を信じたいことは山々でしょうが、娘一人を殺した相手が、鬼神や魔神の仕業では、親心が承知しなかったのです。
「二人の内弟子のうち、どっちが笛がうまいでしょう」
平次の問はいよいよ
「一色友衛の方が少しうまいでしょうが――」
若い時分に道楽強かったことや、朋輩の
平次はそれくらいにして、内儀の玉江を別室に呼んでみましたが、この美しい継母からはなんにも引出せません。お百合の死んだ驚きと悲しみに
続いてあやめ、これは大変な収穫でした。
「悪者は、どうかしたら、この私を殺す
姉に似ぬ美しい顔を
「どうしてそんな事が」
と平次。
「だって、笛の音のする間、皆んな自分の部屋に居るようにと言われたのに、私は、怖いからお母さんのお部屋へ行ったんです」
「…………」
「すると、お母さんはお勝手へ行って、お部屋にはいらっしゃらなかったから、お帰りを待っていたんです」
「……?」
「その間に、姉さんは、私に用事があるかなんかで、私の部屋へ行き、うっかり手間取っているところを、後ろ姿が似ているので、私と間違えて殺されたのではないでしょうか。年はずいぶん違っているけれど、あんまり着物の柄が違っては、嫁入り前の姉さんに気の毒だからとおっしゃって、お母さんのお指図で、私とお姉さんとは似たようなものを着ているんです」
あやめの話は、
このすぐれて美しい娘が、事件の原動力になって、気違いじみた
もう一度、その微妙な消息を春日藤左衛門に訊くと、
「一色友衛にも鳩谷小八郎にも、娘をやると約束した覚えはありません」
とはっきり言い切ります。
一色友衛は藤左衛門の昔の朋輩の子ですが、
もう一度あやめに訊くと、これは真っ赤になって何にも言わず、母親の玉江は、
「なんと言ってもまだ十九ですから、人柄を見抜くことなどは思いも寄りません」
と謎のような事を言うだけでした。
平次は庭に降りて、庭石の配置や、かなり深い植込みの様子や、裏木戸の具合を調べてみました。
作松が言ったように、裏木戸は内から
引っ返して一色友衛を捜すと、いつの間にやら
「それが禁制の賦とやらで?」
平次は静かに近づきました。
「え」
一色友衛の振り返った眼には、芸術的陶酔とでもいうのでしょうか、夢見るようなものがありました。
「それを吹くと人が死ぬほどの祟りがあるというのでしょう」
「私は、そんな事を本当には出来ません。この曲は、少し変ってはいるけれど、『寝鳥』には違いないのですよ」
寝鳥とはどんなものか、それさえ平次には解りません。
「ところで一色さん、死んだお百合さんは、どんなお嬢さんでした?」
「申分のない人でした。優しくて、慈悲深くて、お気の毒な――」
「妹のあやめさんは?」
「あの人は綺麗でしょう、あんなお嬢さんは
一色友衛の眼は芸術的な陶酔からさめて、現実の世界のあこがれに活き活きと輝きます。
平次はそれ以上に追及する題目もなかったのでしょう。一色友衛と別れて、今度はあやめと廊下で立話をしている鳩谷小八郎を見付けて、人のいないところに誘いました。
「鳩谷さんは御武家の出だそうですね」
「三男ではどうにもならない、――笛でも稽古しなきゃ」
少し
「死んだお百合さんはどんなお嬢さんでした」
「良い人だった、あんな人は滅多にないな」
「妹のあやめさんは?」
「さア」
小八郎は
「親分、
ガラッ八は心配そうな顔を出しました。平次の動きを、不愉快な顔で見守っている、佐吉の態度に、少しばかりムシャクシャしている様子です。
「解っても縛るわけに行かないよ」
「ヘエ――」
「よっぽど
平次は何となく
「男ですかい、女ですかい」
「それがね」
「驚いたね」
ガラッ八は恐ろしく
「解っているじゃないか、八
佐吉は苦り切った顔を持って来ます。
「佐吉
平次は変なことを言い出しました。
「そんな手数のかかる事をしなくたって、
と佐吉。
「それがいけない」
「作松でなきゃ、継母の玉江さ、――下女と一緒にお勝手に居たっていうが、あの下女だって一と役買っているかも知れねえ」
「まア、待ってくれ、佐吉兄哥。下手人はどうせ逃げっこはねえ、何事も
平次は何か考えたことのある様子で、サッサと引揚げましたが、一二町行くと小戻りして、主人の春日藤左衛門を呼出し、門口で何やら念入りな注意を与える様子でした。
それから真っ直ぐに神田へ――。
「八、これから一と晩かかる
「そんな事ならわけはねえ」
「それから、下っ引を駆り出して、あの家の通夜にやってくれ。一人へ一人ずつ見張りをつけるようにするんだ、判ったか」
「ヘエ――」
「油断をすると恐ろしい事になるぞ」
何が何やら解りませんので、八五郎は面喰らって飛出しました。平次の言い付けたことを、忠実すぎるほど忠実にやり遂げるのがこの男の
平次の警戒を裏切って、無事な一と晩が明けると、春日家の空気もさすがに、いくらか冷静さを取戻した様子です。
「少し解りかけた事があります。面倒でも、もういちど
平次は変なことを言い出しました。
「昨日の通りというと?」
驚いたのは春日藤左衛門でした。
「皆んな昨日の昼の通りに、――お勝手にはお内儀と下女、お嬢さんは親御さんの部屋に、鳩谷さんは御自分の部屋、作松は物置、――御主人と一色さんは稽古部屋、そして昨日と同じように、上野の
「そんな事が――」
あまりの事に、春日藤左衛門はさすがに尻ごみしました。
「いや、これをやらなきゃ、お嬢さんを殺した下手人は解りませんよ。さア、もう
平次は
シーンとした、真昼の淋しさ。
やがて上野の
ややしばらくすると、裏木戸は、外から静かに開きました。輪鍵がかかっていなかったのでしょう。と、木戸を押してそっと入って来た怪しの者が一人、
見ると、畳の上を膝で歩いているのです。
部屋の中には、後ろ向きになった女が一人。怪しの者の手から、それを目がけてサッと縄が伸びました。と、女と見たのはクルリと振り返って、投げかけた縄の下をくぐると
「わッ」
逃げ出す曲者。
「御用ッ」
羽織った女の
「親分」
飛んで来たのはガラッ八と佐吉。
平次は曲者の始末を二人に任せて、静かに庭へ飛降りたとき、奥から、勝手から、藤左衛門と二人の弟子と女達は、一ぺんに飛込んで来ました。
「この通り、皆んなの気のつかないように、裏木戸を閉める隙はある」
平次はその間に裏木戸の輪鍵をかけて、元の縁側へ帰って来たのです。
ガラッ八と佐吉が滅茶滅茶に縛り上げた曲者をみると、下谷から浅草の
「あれ、何をするんだよ。俺は何にも悪いことをしねえよ」
「馬吉、――とんでもねえ野郎だ。何だってこんな所へ入って来たんだ」
平次は静かに訊きました。
「一貫の大仕事だよ、一貫ありゃお
「その銭をくれたのは誰だ」
佐吉は少しあせります。
「知らねえよ、言っちゃならねえことになっているんだ」
「よしよし、お前は良い男だ。俺が二貫やるから、その銭をくれたのは誰だか言ってくれ」
平次は
「二貫? 嘘だろう」
「嘘じゃない、ほらこの通り」
平次は一と
「やア、随分あるな。それだけありゃ、馬だって殺してやるぜ、――銭をくれた人かい、顔は判らなかったよ。この暑いのに、
そう言ううちにも、馬吉の目は、好ましそうに一と掴みの銭の山を眺めるのでした。
「皆さんに聴いて貰いたいことがあります。稽古部屋へ集まって下さい、――馬吉は、そのまま物置へ抛り込んでおけば、銭を眺めて遊んでいますよ」
平次は春日家の人達を、下女のお篠から下男の作松まで、奥の稽古部屋に入れました。
「親分、馬吉を
春日藤左衛門はさすがに気が気でない様子です。
「今に判りますよ、――これで皆んなかしら、――いや頭数なんか数えるまでもない、――そこで、馬吉を使ってお嬢さんを殺した曲者は誰か、これから考えてみましょう」
これから考える――という悠長な言葉に、藤左衛門は眉をひそめました。
「曲者は、――びっくりしちゃいけませんよ、実は、妹のあやめさんを殺す気だった。馬吉を手なずけ、膝で歩くことや、縄で締めることまで仕込んで、あの日裏木戸から植込みの蔭へ誘い入れて隠した」
「…………」
「馬吉には、上野の
平次の説明の恐ろしさに、思わず一同は顔を見合せました。
「それは誰だ。親分、言って下さい。その娘の命を狙ったのは誰だ」
春日藤左衛門はたまり兼ねて、平次の方ににじり寄りました。娘の敵が判ったら、即座にも斬ってかかる
「あれ、――あれが下手人ですよ」
平次は耳をすまして、遠く物置の方を指しました。
「御用ッ、御用だッ。野郎ッ」
八五郎の
「あッ、友衛」
藤左衛門も、玉江も、あやめも色を失いました。その曲者というのは、――禁制の秘曲を、あんなにせがんだ、――猫の子のように弱々しい、あの一色友衛の、取乱した凄まじい姿だったのです。
「この野郎が、馬吉を、後ろから
ガラッ八の威勢のよさ。
「そんな事だろうと思ったよ、恐ろしく悪智恵の廻る野郎だ」
平次はガラッ八に手を貸して、一色友衛を縛り上げます。
「親分、これが曲者? あの娘を殺したのがこの男でしたか」
藤左衛門はよろよろと
「一色家の何もかも、――格式も、芸も、みんな春日家のお前さんに
不意に縛られた友衛は立上がりました。
「そればかりじゃない、あやめまでこの俺を踏付けやがった――
「あれエ――」
物凄い呪いの叱咤を浴びて、あやめは暴風の前の草花のように大地に崩折れました。
「八、向うへつれて行け」
平次は八五郎に目配せして、必死と狂う一色友衛を遥かの方に遠ざけながら続けました。
「みんなあの男のひがみだ。が、内弟子も、外弟子も、あんな綺麗な娘を勘定に入れずに、芸事にばかり打ち込んで来ると思うのも間違いだ。――人間は人間が考えるよりは弱い。早く婿を決めることですね」
平次はそう言い捨てて、八五郎の後を追います。いつもの人を縛った後口の悪さを
馬吉は、物置の中でいつまでも銭の勘定をしておりました。手におえない