本郷菊坂の六軒長屋――袋路地のいちばん奥の左側に住んでいる、
見付けたのは、人もあろうに、隣に住んでいる大工の金五郎の娘お
「あッ、大変、――誰か、来て下さい」
お美乃は思わず悲鳴をあげました。
「なんだえ、お美乃さんじゃないか」
真っ先に応えてくれたのは、一間半ばかりの路地を
「鋳掛屋の小父さん、た、大変ですよ」
「どこだい、お美乃さん」
お六婆アの家の表は、まだ厳重に締っているので、岩吉はお美乃の声がどこから聴えて来たか、ちょっと迷った様子です。
「お六小母さんが――」
「婆さんがどうしたというんだ」
岩吉は
「小父さん、どうしましょう」
「どうもこうもあるものか、長屋中へ触れてくれ。それから、医者にそう言うんだ」
岩吉はそう言いながら、裏口の柱につかまって、ガタガタ
そのうちに、壁隣にいるお美乃の父親――大工の金五郎も飛んで来ました。二日酔いらしい景気の悪い顔ですが、これはさすがに威勢の良い男で、
「早く介抱してやるがいい。絞められたくらいで往生するような婆アじゃあるめエ」
いきなり死骸を抱き起こしましたが、石っころのように冷たくなって、もはや命の
「こいつはいけねエ」
金五郎は死骸を置いて表戸を開けると、そこには、岩吉の隣に住んでいる
最後に金五郎の隣――与八夫婦の向うに住んでいる
「何が始まったんだ。大変な騒ぎじゃないか」
木戸の外から声を掛けて、若い男が入って来ました。六軒長屋のすぐ外――表通りに住む雪之助という二十七八の男で、本石町の丸木屋の次男坊に生れながら、商売は嫌いの風流事が好きで、こんなところに別宅を建てて貰い、耳の遠い年寄りを一人使って、粋事と
「若旦那、大変なことになりましたよ」
与八は歯の根も合わぬ姿でした。
「またお前のところの夫婦喧嘩かい」
事もなげに笑う雪之助。
「そんな事じゃありませんよ。お六婆さんが殺されて死んでいるんで」
「ヘエ、あの婆さんでも殺されると死ぬのかい」
雪之助はまだ
「見て下さいよ。
大工の金五郎はこんな時にも江戸っ子らしい
「あれ、父さん、そんな事を」
お美乃はそう言う父親の口へ
「なるほど、そいつは凄かろう。――ところで、届けるところへ届けたのかい」
「面喰らっているから、何にもやりませんよ」
と金五郎。
「それでは後がうるさい。何を
「ヘエ――」
日ごろ若旦那の雪之助に物を言い付けられている与八は、こんな時一番先に駆け出すように慣らされていたのです。
「こんなわけだ、――疑えば長屋中皆んな怪しい。怪しくないのは、ゆうべ小石川の叔母のところに泊ったお美乃と、眼の見えない按摩の佐の市だけさ。どこをどう突ついて、どう
真砂町の喜三郎は、
平次と同年配で、日ごろ平次の腕や人柄に推服している喜三郎は、十手捕縄の
大根畠の小町娘が、白痴の定吉に殺された事件(「人形の誘惑」参照)が、危うく迷宮入りになりかけたとき、平次の助けで厄介な謎を解いたことのある喜三郎。もういちど平次の力を借りて、このお六殺しの不思議な事件を解決しようというのでしょう。
「それくらいのことなら、真砂町の兄哥の前だが、蓋も底もあるまい。俺なんか顔を出す幕じゃないように思うが――」
喜三郎の素直な気性を知っている平次は、一応頼まれたくらいのことでは、容易に
「ところが、
「フーム」
またも憎まれ者の万七が、平次と仲の好い喜三郎への嫌がらせに、いち早くも
「それも、大工の金五郎が本当の下手人なら文句はない。俺は指をくわえて引っ込んでもいようが、どんな証拠があったにしても、あの男が人などを殺すはずはない。喧嘩して相手に傷でも付けたというなら解っているが、六十を越した烏婆アを殺し、
若い喜三郎が、平次の力を借りようとするのは、そんな関係もあったでしょう。
「三輪の
と平次。
「万七親分に言わせると証拠がありすぎるんだ。――娘の留守に一杯呑んで寝たという金五郎が、すこしは酔っていたにしても、壁隣で人間が絞め殺されるのを知らずにいるはずはない。それに金五郎は二年前女房に死なれた時、お六婆アから一両の金を借り、それを返せないばかりに、利に利がつもってひどい目に逢っている。ゆうべ娘のお美乃を小石川の叔母のところへやったのも日済しの払いが溜って、お六に目の玉の飛び出るように催促を受け、思案に余っての工面だ。娘の留守に
「なるほどね」
平次は一応感心するのです。
「それから、もう一つ悪いことに、お六婆アの家の裏口から入るには、金五郎の家の裏口を通るか路地の奥へ突き当って、お六婆アの家と寺の
「表は?」
「お六婆アはうんと溜めているから、戸締りだけは馬鹿に丁寧だ。表の戸はけさ死骸を見付けた時、お勝手口から入った金五郎が、内から輪鍵を外して開けたに違いないと、自分でも言ってるんだから世話アない」
「ところで、金は
平次はいちばん重要なことに触れました。
「お六婆アの家に一文もないところを見ると、下手人は婆アを殺して金を盗ったんだろう。お六婆アが肌身離さず持っている名代の大財布もないし、手文庫には証文だけ。火鉢の引出しの小銭まで無くなっている。恐ろしく行届いた奴だ」
「お六婆アは本当に金を持っていたんだろうか」
「三十年後家を通して、烏婆アとか何とか言われながら、溜めたんだから、三十両や五十両じゃあるまいと思うが、天井裏も床下も、
「六軒長屋の家捜しは?」
「手ぬかりなくやったが、金を持っているのは、按摩の佐の市だけ、それも五両か八両だ。あとはお美乃が叔母さんから借りて来た小銭の外には、百と
「なるほど、面白そうだな。――大した役にも立つまいが、とにかく行ってみよう。八、仕度をするんだよ」
平次はいよいよ
菊坂の六軒長屋は、わけの解らぬ不安に
平次はおそろしく用心ぶかい態度で、まず入口の木戸の前に立って、長屋全体と近所との関係を見渡します。
「右手は
平次は眼を転じて左を見ました。
「こっちは旗本屋敷だよ、銭形の。忍び返しが厳重に打ってあるから、あの塀は越せまい」
喜三郎は左手を指します。
「すると出入り口は木戸一つだ」
三尺の木戸、古くなった
「こいつは誰が締めるんだ」
「木戸の
「朝開けたのは」
と平次。
「佐の市のお袋が
喜三郎は
「すると、お六を殺したのは、長屋の者に違いないということになるね」
「木戸は内から締っていたし、
「突き当りの
「潜るような穴はない。垣の上へ
「あの晩は凍らなかったか」
と平次。
「二三日凍るような天気はなかったはずだ」
そう言われると、いよいよ下手人は六軒長屋の住人でなければならなくなります。
「親分、木戸を締めたまま、内から乗越せないでしょうか」
ガラッ八の八五郎は口を出した。
「やってみるがいい。
平次の言う通りでした。
「ともかく、入ってみようか」
喜三郎に誘われて、平次はまず木戸を入って左側の按摩佐の市の家を覗きました。
「親分さん方、御苦労様で――」
按摩の佐の市はまだ二十四五の若い男ですが、眼が見えないだけに、早くも客の話し声を察して、丁寧に挨拶しました。
「佐の市さんだね。何か気の付いたことはないかえ」
平次は水を向けます。
「何にもございませんが――」
「
「そんなでもございません。眼は見えなくても、若い者はやはり
「裏口の方でなく、路地の中だね」
「ヘエー、路地の中に違いございませんが、それっきり私が眠ったのか、物音が止んだのか、覚えはございません」
「木戸を乗越した音は?」
「それならすぐ解りますが、そんな音は一向聴きません」
「木戸を開けた音がしなかったかえ」
「だいぶ前から金具が
佐の市の答えはハキハキして、思いの外の収穫がありそうです。
「有難う、たいそう役に立ったよ。ところで、この長屋中にお六を
「よく思う者はありません。
佐の市もだいぶ悩ませられたらしく、歯に
「ずいぶん評判が悪いな」
「本郷中の憎まれ者でしたよ。死んだ者の悪口を言うわけではございませんが」
盲人らしい
「お前まア、そんな遠慮のない事を言っていいのかえ」
母親のおよのは路地から声を掛けながら入って来ました。
「構いませんよ。誰も盲目の私が殺したとは思いませんよ」
佐の市はどんなにお六にひどい目に逢わされていたか、こうでも言わなければ、腹の虫が納まらない様子でした。
「よほどお六とは仲が悪かったと見えるな」
平次も苦笑いをする外はありません。
「親分さん方、いつでも
およのは弁解らしく言うのでした。倅の佐の市が働き者で、お六の烏金などを借りるどころの沙汰ではなかったのです。
「ところで木戸を開けたり閉めたりするのは、お前さんの役目だそうだね」
平次はおよのに問いかけました。六十を越した一と
「ヘエー、役目というわけでもありませんが、木戸の側にいるのは私とお向うの与八さん夫婦ですが、与八さんは
お六が木戸を警戒したのも、およのが木戸を締める仕事を引受けているのも、持てる者の弱さだったでしょう。
「その晩のことを詳しく話してくれ」
「
「他に誰も入って来た様子はなかったろうな」
「宵のうちのことはわかりません、お勝手で仕事をしてますから。――
およのの言葉には疑問を挟むべき余地もありません。
「
と平次。
「私が木戸を開けました」
「よく締っていたんだね」
「ヘエ、
「輪鍵には釘を差さないのか」
「差したり、差さなかったりですよ」
「その時は?」
「釘は差してなかったようです。そういえば二三日前から釘が見えなくなって、輪鍵を掛けただけですよ」
およのは妙な事に思い当った様子です。が、平次がどうしてこんな細かいことまで聴くのか、見当もつかなかったのです。
「お六の家へ行ってみようか、銭形の兄哥」
喜三郎は少し面倒臭そうでした。
「いや、少し待ってくれ」
平次は木戸へ引返すと、もういちど念入りに調べ始めました。桟の具合、板の割目、それから木戸を吊った
「おや?」
平次は木戸の滑らかさが、蝶番に油を
「親分、何か匂うんですか」
とガラッ八。
「お前の良い鼻で、こいつを嗅いでみてくれ。ただの
「良い匂いですね、親分」
「その匂いを覚えておくんだ。――あッ、人が来る、鼻を引込めろ、八」
「与八、ちょいと待った」
「ヘエ、これは真砂町の親分さん」
「どこへ行くんだ」
「ちょいと、その」
「ちょいとその、どこだ」
「ヘエー」
「ヘエじゃないよ、うさんな野郎だ。来いッ」
喜三郎にピタリと腕首を
「言いますよ、言ってしまいますよ。親分、勘弁して下さい。あっしのせいじゃありませんよ。三輪の親分が、誰にも言わずに、そっと持って来れば、褒美をやると言ったんで」
三十七八――
「何を持って行くんだ。出してみろ」
「これですよ、親分。――金五郎親方の裏の、
与八は腹掛の丼から、古風な
「それがどうしたんだ」
「お六の財布ですよ。こいつを首にかけて、婆アのくせに、ジャラジャラさせて歩いたことは、本郷中で知らない者はありゃしません」
「何?」
事の重大さに、喜三郎も平次も緊張しました。取上げて見ると、中は空っぽですが、ひどく真っ黒な泥の付いたのを、無理に
「金五郎親方の裏口の藪に引っ掛っていたんです。――きのう一日誰にも見付けられないのが不思議なくらいでしたよ」
与八はすっかり観念しました。
「今ごろそんな細工をするようじゃ、油断がならない。――大急ぎで片付けよう」
平次は喜三郎を
「財布は?」
喜三郎は念を押しました。
「勝手にさせるがよかろう。金五郎が下手人だとしても、自分の家の裏口へ空財布を捨てるか捨てないか、万七兄哥にも判らないことはあるまい。そいつは与八の手柄にさしてやるがいい。藪に引っ掛っていた財布に、真っ黒な泥がどうして付いたか、それが判りさえすればいいよ」
平次にそう言われると、こんな財布にこだわるのが馬鹿馬鹿しくなります。
与八の家は空っぽ。左側の金五郎の家を覗くと、娘のお美乃が一人、壁の方を向いて、何をするでもなく坐っております。
「お美乃」
喜三郎が声を掛けると、娘はわずかにこちらを振向いて目礼しました。
貧し気な様子の中に、たった一人取り残された十八になるお美乃は哀れ深くも美しい姿です。
「銭形の親分が少し訊きたいことがあるそうだ。話してくれ」
「ハイ」
お美乃は上がり
「親分、可哀想じゃありませんか、なんとかしてやって下さいよ」
八五郎は平次の耳許に囁きます。
「ところで、お六から借りた金のことだが、――いつ借りて、どんな催促をされて、いくら払って、残っているのはいくらだ」
平次はそんな細かい事を訊きながら、上がり框に腰をおろしてしまいました。
「二年前、母さんが死んだとき、一両だけ借りました。三月目に一両二分にして返す約束で――」
「恐ろしく高い利息だな」
「でも払えないとなると、毎日毎日ここへ来て、いやな事ばかり言いました。父さんは一生懸命働いて利息だけは入れた
ポロポロとこぼれる涙を、粗末な
「
後ろの方で、ガラッ八は一人で腹を立てています。
「その婆アは殺されているんだ。黙っていろ」
「ヘエ――」
「ところで、親方は酒が好きかえ」
平次は変なことを訊きました。
「ハイ」
それで苦労をしているらしいお美乃は、
「酔うと機嫌の悪くなる方かい」
「いえ、そんな事はありません――どっちかというとよく眠る方です」
お美乃の敢然と振り仰ぐ顔。――浅黒い細面の品のよさは、
「仕事の方は?」
「父さんはいつも仕事を自慢ばかりしています」
腕に覚えのある良い職人が、酒と
六畳の間に据えた仏壇には、先祖の位牌と、死んだ女房の新しい
「親分さん方」
後ろから声を掛けた者があります。
「丸木屋の雪之助さんだよ」
喜三郎は平次に引合せました。それは二十七八の若旦那型の
「銭形の親分、お美乃さんが可哀想だ。一日も早く金五郎親方を助けてやって下さい。あの人は気性の激しい人には違いないが、曲ったことや間違ったことをする人じゃありませんよ。――こればかりは三輪の万七親分の
静かですが、反抗を許さない調子で、シトシトと弁解して行く雪之助の言葉を、平次は一句ごとにうなずきながら聴きました。
「大きにそうだろう。私もそう思っているが、困ったことに親方のためにならない証拠ばかりだ」
「例えば?」
「お六の財布が、けさ
「まア」
お美乃の方が蒼くなりました。
「そいつは証拠じゃありませんよ。金五郎親方が盗ったものなら、自分の家の裏口へ空財布を捨てるものですか」
雪之助は躍起となって弁解しました。
「そうかも知れない、そうでないのかも知れない」
平次は自分に言い聴かせるように、こう深々とした調子で言うのでした。金五郎の向う側は、
「岩吉というんだね」
「ヘエ――」
ガラッ八にきめ付けられて、岩吉はガタガタ
「お前も、お六には借りがあるんだろう」
平次は静かな調子ですが突っ込んだことを訊きました。
「ありましたが、払いましたよ。ヘエ」
「いつ、いくら借りたんだ」
「一両二分、三年前に借りましたが、今年になってからみんな返しました。――こ、この通り、証文を返して貰いましたよ」
岩吉は大きな財布の中から、真新しくさえ見える自分の証文を出して見せるのでした。
「金はいつ返したんだ」
「二三日、いえ、一と月ほど前でした」
「利息が高いから、うんと金高が
と平次。
「ヘエ――」
「その金をどこから手に入れて返したんだ」
「友達が古い貸しを返してくれましたよ、ヘエ」
「どこの何という友達だ」
「ヘエ」
「言えまい」
「へ――」
「八、その野郎を縛ってしまえ」
平次の命令は激しくて
「あッ、お許しを願います。――お願い、どうぞ、御勘弁を――」
岩吉は
「さア、早く言ってしまえ。言わなきゃ、お六殺しの下手人にされるぞッ」
「と、とんでもない親分さん。私はあの家の手箱の中から、私の証文を一枚抜いて来ただけですよ」
岩吉はとうとう白状してしまいました。
「なんとつまらない細工をするんだ」
と平次。
「でも、利息を払っても、元金は減りません。一両二分借りて、この三年の間に三両以上も絞られました。――お六が死んだ今となっては、手箱から証文をそっと持って来ても、大した罪じゃあるまいと――」
「馬鹿ッ」
「ヘエー」
「余計な事をするから物事がこんがらかるじゃないか」
「ヘエー」
「その証文をもとの手箱へ返せ――と言うところだが、今度だけは許してやる。その代り何でも言うのだぞ」
「ヘエ、どんな、どんな事でも申します」
岩吉は平次の前に
「お六といちばん仲の悪かったのは誰だ」
「佐の市でございます」
「その次は?」
「金五郎親方でしょうか」
「一番仲のよかったのは?」
「お六は仲の良い人間を
「その中でも
「若旦那――雪之助さんくらいのものでしょうよ。男がよくて物柔かですから、お六婆さんだって、あんな解った人と話しているのは、
「お前は」
「良いような悪いような、へッ、へッ」
一向要領を得ませんが、それでも平次は必要な程度の
お六の家には、町役人と雪之助と与八の女房が詰めて、
「ひどい雪解けだね。二三日垣の側へ人間が歩いて来た様子はない――おや、この境内の土は真っ黒じゃないか」
独り言のように言って、平次はスタスタと菊坂の通りへ出るのです。
「親分、帰るんですか」
八五郎はあわてて追い付きました。
「そうだよ、もうあの長屋には調べることはない」
「下手人は?」
「解った
「ヘエ、何をやらかしゃいいんで」
「耳を借せ」
「ヘエー」
何やら言い付けて、八五郎を飛ばしてやると、平次は改めて喜三郎のけげんな顔を迎えました。
「真砂町の兄哥、今日陽の暮れる前に、ここへ皆んな集めてくれまいか」
「皆んなというと?」
「三輪の万七兄哥も、縛られた金五郎も一緒だ」
「それはわけはないが」
「その前に、番所へ行って金五郎に逢って、お六の表の戸の締りのことを聴いて貰いたい。――桟がおりていたか、輪鍵だけだったか、輪鍵に釘が差し込んであったか」
「そんな事ならわけはない、兄哥は?」
「俺は雪之助さんの家へ寄って、良いお茶を一杯貰って飲んで、真っ直ぐに帰るよ。それじゃ頼むぜ」
「合点」
三人は三方に別れました。それは、ポカポカ暖かい日の昼少し前のことでした。
その日の夕刻、
「下手人は金五郎じゃないと言うのかい」
万七は小意地の悪い調子で平次に突っかかりました。路地の中にも夕映えが残って、妙に神秘的な気持のする刻限です。
「三輪の兄哥、気の毒だが下手人は金五郎じゃないよ。金五郎なら、翌る日わざわざ空財布を自分の家の裏口へ捨てておくはずはない。――それに、金五郎が本当にお六を殺したなら、表戸ぐらいは開けておくだろうよ。裏口だけ開けておくと、自分が下手人だという証拠を残しておくようなものだ」
「…………」
万七は黙ってしまいました。
「下手人は岩吉でもない。――岩吉は臆病すぎるし、お六を殺した覚えがあるなら、手文庫から自分の入れた証文だけを抜いて行くはずはない」
平次はつづけました。
「与八は?」
と喜三郎。
「これも正直者だ。働くのが面白い男だ。人の金に目などを付ける男じゃない」
「佐の市は盲目だ。――あとは女ばかり」
こんどは喜三郎が言うのです。
「その通りだ」
と平次。
「すると下手人は誰だ?」
万七は少し
「外から入って来たのさ。――長屋の衆じゃない、長屋の衆はみな貧乏だが働き者だ」
「そんな馬鹿な事が、――お六の家の表の戸は内から締っているんだぜ。――その上木戸も輪鍵が掛っていたはずだ」
万七は抗議しました。
「下手人は宵のうちから前の空屋に忍んでいて、時分を見計らってお六の家へ入ったんだろう。たぶん金五郎が酒を買いに出たとき、――岩吉が帰る少し前だ。お六は知っている顔だから用心もしなかった。それを見込んで、不意に後ろから絞め殺した上、有金を
「表は締っていたぜ」
万七は我慢のならぬ声を出しました。
「
平次はお六の家の戸の輪鍵の輪に、水で
「あッ」
と驚き騒ぐ人々。
「木戸を外から締めたのもこれと同じことだ。佐の市が夜中に聴いた物音は、
平次は木戸のところまで人々を誘うと、同じ方法で外から輪鍵を掛けて見せました。
「輪鍵が掛って、釘の差していなかったのは、外から細工をした証拠だ。お六の家の表戸も、釘が差していなかった。これは金五郎がよく知っている。うんと溜め込んで、用心ぶかくなりきっているお六が、そんな戸締りをするはずはない」
「…………」
皆んなしばらく黙ってしまいます。
「木戸の輪鍵の釘が近頃見えないのもそのためだ。下手人は二三日前にその釘を隠してしまったのだ」
「その下手人は誰だ」
三輪の万七も、さすがに
「仕事の嫌いな奴だ。――金が欲しくてたまらない奴だ。――金五郎や岩吉は、貧乏こそしているが仕事は自慢だ。人を殺して金を盗ることなどは、夢にも考えたことがあるまい。ところが、世の中には、ノラリ、クラリと遊んで暮して、
「誰だ、そいつは、銭形の」
喜三郎は
「木戸の
「あッ」
あわてて逃げ出した一人は、早くも八五郎と喜三郎に引戻されました。
「御用ッ」
叩き伏せて、キリキリと縛ると、それはなんと、一番無害らしく見えた、丸木屋の次男で、粋事と
盗んだ金は三百両余り、寺の
*
「驚いたね、親分。雪之助がなんだってあんな気になったんでしょう」
ガラッ八がこんな事を訊いたのは、ズッと後のことでした。
「ブラブラ遊んでいるから、
「万七親分が乗出したのは」
「あれは雪之助の細工だ。三輪の兄哥はそう言わないが、あんまり早く手が廻りすぎて変だと思ったよ。それから金五郎の裏口へ財布を捨てたりして、金五郎を無実の罪に追い込み、あとで頼りないお美乃をどうかしようという企みだったのさ。――俺が金五郎の家の裏に財布が捨ててあったと言うと、雪之助は空財布と言い直したろう。――あれは語るに落ちたのだよ」
「悪い野郎ですね」
「申分のない悪党だよ。――ところで、真砂町の喜三郎兄哥の祝言までに、お前も
「そこまでは届きませんよ、親分」
「
平次はそう言いながら、珍しく